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2007年6月20日 (水)

監査役の外観的独立性

大手監査法人さんの「内部統制コンサルティング」のプレゼンによりますと、IT統制というのは、だいたい第3フェーズあたりで指導する、といったところなんでしょうか。もし私もコンサルティングに立ち会う機会がございましたら、ぜひとも「IT統制とメール管理」の関係につきまして意見交換をさせていただこうと思っております。(まだまだ貴重なご意見をいただいておりまして、本当にありがとうございました。ここまできますと、管理人は議論の整理をする必要がありそうなんですが、なかなか難しいですね。)

さて、「監査役の理想と現実」をまじめに考えるシリーズでありますが、先日は「店長兼務監査役」さんのお話をまじめに採り上げました。本日は、不正会計によって創業者会長さんが引責辞任をされたブックオフさん(ブックオフコーポレーション、以下BOといいます)について、すこしだけ気になることがございますので、ブログにて検討させていただきます。(朝日新聞ニュースはこちら)先月9日頃に発売されました週刊文春記事により、BOさんのリベート疑惑等が発覚しまして、5月中旬には社内で外部委員を中心とした調査委員会が設立され、その中間報告(要旨抜粋)が6月19日にリリースされたようであります。この文春記事のなかで、外部委員会が検証したのは4項目ございますが、そのなかのひとつの項目として「BOの監査役会は3名の社外監査役で構成されているが、3名とも学生時代の仲間であり、大きな疑問がある」といった点であります。(ちなみにBO社のコーポレートガバナンス報告書を読みますと、1名が常勤社外監査役、2名が非常勤社外監査役となっております)

上記朝日新聞ニュースでも指摘されておりますが、外部調査委員会といいましても、委員長には顧問弁護士さんが就任されておられるようで、そもそも経営者個人もしくは会社の利益のために活躍される顧問弁護士さんが、公正中立に事実認定を行うべき外部調査委員会の委員長にふさわしいのかどうか、少し疑問が残るところであります。ただ、この調査委員のメンバーは、いずれも企業コンプライアンスの分野で著名な弁護士の方々でありますので、そういった疑念は「百も承知」のうえでの構成だと思います。(おそらくなんらかの合理的な理由があろうかと思われます)ただ、それよりも私がビックリいたしましたのは、「監査役制度に問題がある」と指摘された内容を検証するための調査委員会が「監査役会の下部機関として設立」されているところであります。なぜそうなったのかと申しますと、先ほどの中間報告によりますと「(調査委員会の)独立性を担保するため、調査委員会は今後当社監査役会の直轄とする」とあり、「調査委員会の選任は委員長および監査役会に一任する」とのことであります。(いずれも臨時取締役会にて決定された、とのこと)しかし、社外監査役3名が学生時代の友人どうしであって、監督機能が十分行使されなかったのではないか、といった疑惑を検証するにあたって、その監査役さん方3名で構成されている監査役会に独立性が担保されていると言えるのでしょうか?また、その監査役会が選任した外部第三者委員の方々に、そういった監査役会の機能検証について公正中立な判断が期待できるものなのでしょうか?

ちなみに、この中間報告(要旨)によりますと、

BO社の監査役3名につきましては、たしかにいずれも同じ大学の同窓生で、合唱団仲間であるとの事実は認められるが、今般、厳正な本調査を委託してきたことからも明らかなとおり、職務執行に公正を欠くことは考えがたい、

との結論に至っておりまして、おそらく最終報告におきましても、この監査役会の検証活動といったことは、ほぼ同様の結論で終止符が打たれるものと思われます。過去の職務執行の公正性を判断するにあたって、問題発覚後の監査役の対応を根拠とすることは、(その対応がおよそ自発的になされたものであることが立証されないかぎりは)おそらく説得性に欠けるものだと思われますので、なんとなく、この調査委員会の判断は苦しい理由付けになっているような気がいたします。なお、「仲良し三人組」がなぜ、外観的独立性からみてよくないのか?といった論点もあろうかと思いますが、「経営者がへんなことをしていたら、辞任してでも抗議しますよ」といった監視役が一人でもいることによって、経営陣が業務執行や役員会に臨む気持ちが違ってくると思います。あの仲良し三人組だったら、これくらいのことは大目に見てくれるのでは・・・といった甘い気持ちを経営者に抱かせるとすれば、それは大きな問題だと考えます。誤解を恐れずに言わせていただくとすれば、たとえ不祥事を隠蔽するにしても、そもそも監査役が「鼻につく」経営者であれば、監査役にいろいろと突っ込まれてはマズイと考えるでしょうから、このたびの文春記事にようにたやすく社員に内部告発されるような尻尾をつかませないほどに巧妙に隠蔽するのではないでしょうか。「あの監査役さんたちだったら・・・」といった甘い考えがあったために、結果として脇が甘く、容易に従業員にも不祥事の発端が垣間見えたのではないか、とも考えられます。(注 これは決して、不祥事隠蔽を肯定するものではございません。)

もちろん、私は「BO社の監査役の方々が、本当にまじめに監査役としての職責を全うしておられたのか疑わしい」と邪推しているわけでは決してございません。BO社のガバナンス報告書によりますと、この監査役の方々は(平成18事業年度におきまして)、ほぼ全回取締役会に出席されておりますので、おそらくまじめに経営者としての経験を生かしつつ監査役としての職務に取り組んでおられたのだと推測いたします。ただ、あえて申し上げるとすれば「外観的な独立性」といったところに問題があったのではないかと思います。監査役会を構成する3名の監査役さんが、代表者の大学の先輩であり、また同じクラブの仲良しグループであったということになりますと、「本当に厳しい意見を経営陣に申し述べることが期待できるだろうか」と普通に疑問が湧いてくるのではないでしょうか。たとえそんなことはない、と当事者が感じておられるとしましても、やはりそういったことを疑われないだけの外観的独立性も重要ではないかと思います。経営陣が監査役に対して、そういった外観的な独立性など、あまり意識されていなかったことが、このたびの調査委員会の人選や監査委員会直轄、といった組織構成にも影響しているのではないでしょうか。経営者自身からみて「なんか異分子的な人だなぁ」と少し違和感を感じるような人を監査役に招聘できる(たったひとりでも結構かと思いますが)度量というものも、企業のコーポレートガバナンスのあり方にまで目を届かせている株主監視の時代には、必要な能力のひとつではないか、とふと考えさせられるような事例であります。

この監査委員会は、取締役会に中間意見を申し述べるにあたって、社外の法律専門家(これもたいへん著名な方々)の意見を参考とされているようですので、かなり厳正に審査されたうえでの報告書となっているようでありますが、一番大きな問題であるリベート疑惑をはじめ、いくつかの検証項目につきましては、厳正な内容の報告書と評価されるにせよ、どうも監査役に向けられた疑惑も含めての調査報告書ということになりますと、ずいぶんと監査役制度自体が軽んじられているのではないか、といったことが思い浮かぶわけでして、かなり疑問が残るところではないかと思っております。

6月 20, 2007 監査役の理想と現実 |

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監査役の独立性には、外観的独立性(経営者との関係、処遇制度等)と内面的独立性(精神的な気概)の両面があります。このうち、大切なのは、後者の精神的な独立性です。なぜなら、常勤監査役を考えると、外観的独立性は大同小異ですが、精神的な独立性には極端な隔たりがあり、それが監査役に対する評価に反映しているからです(精神的な独立性の低い監査役が多いことが、監査役の評価を押し下げています)。

BO社の場合は、独立性に関する二つの側面のいずれもが不充足であったということでしょう。監査役制度が円滑に機能している会社であれば、こうしたケースでは、まず社員から監査役宛に不正疑惑の情報が流され、監査役はそれに基づいて監査し、是正していくというのがあるべき姿です。BO社の内部には、そうした円滑な機能を阻害する要因が山積していたのではないかと思います。それが、いきなり、外部への情報流出となって現れたのでしょう。

こうした不祥事が発生すると、よく社外監査役がクローズアップされます。しかし、私は、それはおかしいと思っています。不祥事の予防は、何と言っても、社内常勤監査役の本来的な任務です。ところが世論は、あるいはTOSHI先生も、こうした時には常勤監査役を叱咤することは差し控えられ、えてして、社外監査役に比重のかかった議論を展開されます。その議論が、結果的に常勤監査役に本来負うべき責任を分散させているように感じさせ、責任を自覚させる障害になっているのではないかと思います。

私が仮にBO社の常勤監査役であれば、雰囲気のよどみの解消に全力を尽くしていたと思います。これだけの鬱屈したエネルギーが充満していたのであれば、それに気のつかない監査役は、やはりおかしいと思います。TOSHI先生としては、まずこうした点から、常勤監査役を叱咤激励していただければ、監査役制度の核をなすべき常勤監査役を覚醒させる一石になるのではないかと思います。

投稿: 酔狂 | 2007年6月20日 (水) 13時20分

いつもながら、酔狂さんは「ぶれ」のない視点で当ブログを叱咤激励していただきまして、ありがとうございます。このブログのテーマが「社外監査役からみた企業価値を考える」といったところにある関係で、どうしても社外監査役制度のほうに力点が移ってしまいます。ただ、ご指摘のとおり、「監査役制度」全般を十分研究しなければ、社外監査役と常勤監査役のあるべき連携も見えてこないと思いますので、もうすこし客観的な判断を遠慮なく書かせていただくようにいたします。
そういったところから考えますと、社外監査役は「外観的独立性」、常勤監査役は「精神的独立性」といったところに(どちらかというと)親和性があるのかな・・・とも考えられませんかね。そういった組み合わせも「連携」においては検討課題かもしれません。

投稿: toshi | 2007年6月20日 (水) 23時20分

toshi先生の「社外監査役は「外観的独立性」、常勤監査役は「精神的独立性」といったところに(どちらかというと)親和性があるのかな」というご指摘は、直感レベルではありますが、その通りかな、と思います。

ところで、会計士の場合の独立性はどうか、ということで、先日、ある会計士の先生と議論をしましたが、その先生も、精神的独立性のほうが大事ではないかとのお考えでした。学者先生は、どうしても、外観的独立性に重心を置いたお考えをなさることが多いように感じますが、実務レベルでは、必ずしもそうではないということをご認識いただければと思います。処遇制度等、おなじ会社法の構造下にあって、会計士も常勤監査役も、実態は、独立性においてピンからキリまでの開きがあるということが、精神的独立性のインパクトの大きさを物語っているのではないかと思います。

投稿: 酔狂 | 2007年6月21日 (木) 16時59分

例によって不勉強なまま勝手な印象を書込んでしまうのですが、私にはこの「精神的独立性」という概念が全く理解できないのです。正確にいうと、こういうアイマイモコとした、検証・論証・測定不可能な概念が大真面目に議論されていることが理解できないのです。

①「精神(的)…」という形容は、しばしば前近代的な、非合理的なあり方に関して使用されるネガティブな言葉です。「精神論」などのように。

②「精神的独立性」と無前提に聞くと、「身体は売り渡しても魂は売り渡さない」(これはヘンな意味ではなく、例えば、戦時下の「生きて虜囚の辱めを受けず」などもそうですね)みたいな連想があります。これも負け犬(敗者・弱者)的で、どちらかというとネガティブな用法です。

③「精神的独立性」の対概念(セット概念)は「外観的独立性」でしょうが、通常の言語感覚では、”メンタル”の対になるのはやはり”フィジカル”でしょう。「肉体的独立性」?「物理的独立性」?・・・とやはりこれもピンと来ませんね。

④あるいは、「経済的独立性」が対かもしれません。親のスネカジリの学生が、いっぱしの大人を気取って「精神的には自立(文脈上、「独立」を「自立」に変えています)している」などとうそぶくように。これもあまりポジティブではありません。

⑤しかし、この④は案外「公認会計士(監査人)」の世界には当たっているような気もします。「監査報酬は会社(経営者)から貰っているけど…」という今ホットな立法論とも通底しますし。

⑥では、監査役の「精神的独立性」は? ⑤とは少し違い、カネよりは人事権でしょうか(⑤も人事権が絡みますが)。「自分の首根っこはこの人(経営者)につかまれているけど…」ということですかね。とすると、話はずっと遡って、②③辺りに戻りそうです。つまり、人事権=肉体という訳です。

⑦こういう思考を辿ると、不勉強の私にもなんとなく理解できるような感じがします(少なくとも法制度との関連では)。がしかし、クリアではありません。モヤモヤ感が残ります。会社の中で、あるいは実業の世界で、「監査役・監査人の精神的独立性とは」と言ったところで、何人の人がまともに聞いてくれるのしょうか。

⑧「外観的独立性」との関係で言えば、こういうことなんでしょうか。
 ・本来的には、精神的独立性こそが重要である。
 ・しかしながら、それは捉えどころのない、検証・論証不可能な概念である。
 ・したがって、まずは形で判断(より正確に言えば、「一定の推定」というべきでしょうか)せざるを得ない。即ち、外観的独立性はベースであり、第一関門である。
 ・換言すれば、その第一関門をクリアしていない場合であって、問題が発生したとき(監査役・監査人がその本来の職責を果たさず、任務懈怠が疑われたとき)、疑われた当の本人は自ら第二関門を突破しなければいけない。つまり、「精神的独立性」につき証明責任を負うことになる。しかし、所詮証明不可能な概念であるため、敗北は確定的である。
(第一関門をクリアしている場合は、「敗北の確定」はもう少し、場合によっては相当程度先送りされる。)
 ・故に、外観的独立性が実務上はより重要である。
こう考えると、会社法関係省令が、様々な開示規定(特定関係事業者、親族関係など)を設定していることもなんとなく納得できます(正直に言うと、「なんとなく」しか理解しておらず、実のところ全く理不尽極まりなき条項と思っております)。

あとそれから、「精神的独立性」強調しすぎると、「孤高」「独善」にも繋がりかねず、会社法関係省令で規定が設けられた「意思疎通」(良好なコミュニケーション)と緊張関係をもたらすことにもなりかねないように思います。

毎度与太話で失礼いたしました。

投稿: 監査役サポーター | 2007年6月21日 (木) 22時29分

監査役サポーターさん

詳細なコメント、有難うございます。しかし、「精神的独立性」の意味がご理解いただけないとは、まったく驚きました。私は、人事権をトップに握られていようと、企業経営における正論は、堂々と主張すべきと考えており、そうした精神的気概を「精神的独立性」と表現しました。これは、情感の世界の表現であり、検証・論証・測定出来ない世界を排除されるのであれば、ご理解いただけないのかもしれません。

しかし、物事は、検証・論証・測定という条件を満たさなければ認識できないのでしょうか。私は、全くそのようには思いません。情感と論理の世界があいまって、物事の認識が可能であると思います。「左脳」ばかりでは、人間性が希薄になって偏った見方になるでしょうし、また「右脳」ばかりでも、まとまりのない認識になってしまいます。「右脳」と「左脳」のバランスの取れた認識が要求されるのではないでしょうか。
監査役の独任制は、この精神的独立性をバックに考えられている概念だと、私は捉えています。ご懸念なさるように、「孤高」「独善」にも繋がりかねず、会社法関係省令で規定が設けられた「意思疎通」(良好なコミュニケーション)と緊張関係をもたらすことにもなりかねないと、私も思いますが、その中で、監査役の特権として「独任制」が認められているのは、「精神的独立性」の重要性を物語っているのではないでしょうか。

監査役は、経営のダブルチェック機能を担っていると考えておりますが、経営が、論理と情感の混在する世界に存している以上、監査役が論理の世界のみに埋没していては、偏った監査役業務しか果たしえないのではないかと懸念します。以上が、私の監査役観であり、人生観です。


投稿: 酔狂 | 2007年6月22日 (金) 08時33分

こんばんは。最近はしばらくROM専になってますが、常連のひとりとして、横から失礼します。最近のtoshi先生の監査役ネタの書きっぷりを拝見しておりますと、この「精神的独立性」と「外観的独立性」の区別をかなり意識して(といいますか、おそらく気を遣って)絶妙に書き分けているなぁと感心していたところです(まちがっていたらゴメンなさい>toshi先生)そして、また酔狂さんと監査役サポーターさんのコメントを拝読して、とても興味を持ちました。といいますか、監査役という制度について、私は会社では「監査役サポーター」に近い立場なのですが、これほど奥の深い議論ができる制度とは考えもしていなかったです。おそらく上場企業といっても巨大企業から、新興企業まで様々なんで、それぞれの会社の規模とか、社風とか、監査役スタッフの有無とかで、きっと右脳が重視される会社とか、左脳が重視される会社とか、様々なのかなぁという意見を持ちました。私個人としては監査役さんに精神的独立性をぜひとも具備していただだきたいと思っているのですが、お世話する立場となりますと、これがまたそこに期待していては成り立たないわけですね(笑)やはり会社の体裁を考えますと、「外観的独立性」のお膳立てを気にすることになります。あまり大きな会社でないだけに、監査役スタッフなんだけども、じつは社長のスタッフのような意識で仕事してたりするわけなんです。「ホンマにこれでええんやろか」と考えるときもあるんですが。こういったいろいろな考え方があるんだということを知りますと、自社における監査役制度のあり方とか、きちんと考える必要があるように思います。(長文失礼いたしました。あっそれから、私もいちおうオフ会、参加いたしますので)

投稿: halcome2005 | 2007年6月23日 (土) 01時36分

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