« 2007年6月 | トップページ | 2007年8月 »

2007年7月31日 (火)

コンプライアンス・トライアングル

さて、昨日ご紹介した『「まずい!!」学 組織はこうしてウソをつく』でありますが、いや実におもしろく、現在ほぼ2回目の読了となりました。これを読んでおりますと、企業におけるコンプライアンス・オフィサー的立場の方が、どのように活躍すべきか、といったことを、ふと考えてみたくなりました。ちょっとしつこいようでありますが、二夜連続のコンプライアンス経営に関するエントリーであります。

今年6月、東京の行方先生とお話をさせていただいたときに、金融機関のコンプライアンスの難しさについて語っていただいたことがあったのですが、タテ割り組織であるがゆえに、上から下への指揮監督関係は整備されており、上司のコントロールの届く範囲においては目立った不祥事は発生しないそうであります。むしろ問題なのは、タテ割り組織の弊害、つまりヨコの繋がりが薄いために、「隙間」の部分の問題を誰も扱おうとしなかったり、忙しいときに別の部署がヒマそうにしていても、なかなか遠慮してしまって、別の部署の応援を頼みにくくなってしまったり、というあたりの問題が、企業不祥事の温床になってしまうわけであります。(このたびの樋口氏の「まずい学」にも、同様の事例が紹介されております)そういったところをカバーするために、社内を横断的に動くことができる職種が必要だと思われますし、それこそコンプライアンス・オフィサーのような資格者の存在がピッタリなのかもしれません。金融機関のコンプライアンス・オフィサーといった立場と同様、一般の会社においてもオフィサーが活動できるかどうかは私もわかりませんが、リスクマネジメント委員会あたりの直轄として、活躍できる方(おそらく現場ではあまり歓迎されない役回りだとは思いますが)がいらっしゃったら、全社的リスクマネジメントの立場からコンプライアンス経営の一端を担える存在になるのではないでしょうか。企業組織のヨコ軸に一本串を刺すような役割を誰かが担う必要はあると思われます。

さて、企業組織にはタテ軸とヨコ軸を想定することはありますが、もう一本「時間軸」というものもコンプライアンスを考えるうえでは想定できるような気がいたします。これは現在、私が数社のIPO企業の支援活動を行っているなかでの感想でありますが、ワンマン経営者以外、一般の企業にはローテーションがありますので、就任早々は「あれもやりたい、これもやりたい」と仕事に対する前向きな気持ち(改革への意欲)でいっぱいの方も多いのでありますが、時間が経過して、そろそろ次の職務に異動するころになりますと、「ちょっと気になることがあるが、もう黙認してしまって、次の人に任せてしまおう」といった気持ちになってしまうケースが多いようです。新たに就任した方も、前任者が積み残した問題点について疑問に思うものの、新しい職務遂行には関係ないということで、そのまま放置してしまって、いつまでたっても不祥事の芽が摘まれないままに違法状態が増幅してしまう、といったケースであります。先ほどの遠慮が「ヨコ軸の遠慮」であるならば、こっちは「時間軸における遠慮」であります。コンプライアンス委員や、リスクマネジメント委員をしていて、こういった時間軸に起因する「隙間」による危機的な不祥事発生のリスクはけっこう多いように感じます。いまのところ、こういったリスクへの対策は思いつきませんが、こういった時間軸における問題につきましても、コンプライアンス・オフィサー的な立場の方々が「引継ぎにおける啓蒙活動、とりわけ後任者の勇気」を社内で根付かせるような取り組みを始めるべきだと思います。私自身は、これまでいくつかの具体的な事例を知っておりますので、そういった事例を多少デフォルメして、社内研修などで対応策を検討してみることが一番手っ取り早い方法かもしれません。

このようにコンプライアンス・オフィサーが一般事業会社で有効に機能するためには、タテ軸、ヨコ軸、そして時間軸の「コンプライアンス・トライアングル」のような発想を基本に据えて検討してみるのもひとつの方法ではないかと思います。なお、この樋口氏の著書の言葉を借りるのでありましたら、「やかまし屋」のような存在こそ、コンプライアンス経営には機能発揮が期待されるのかもしれません。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2007年7月30日 (月)

企業法務と事実認定の重要性(中)

先週末の内部統制監査実務指針関連のエントリーには、日曜日であるにもかかわらず、またhisaemonさんや、critical-accountingさん等よりコメントを頂戴しておりまして、たいへん感謝しております。検討させていただき、ご回答させていただきます。(ありがとうございました)

さて本日のエントリーは、私のブログのなかでは、過去の最もお読みいただいたエントリーのひとつである「企業法務と事実認定の重要性」の続編であります。(前回は6月6日のこちらのエントリーです)前回も、いろいろなご意見や苦言を頂戴しておりましたが、やはりこの「事実認定」問題というのは、私的にはたいへんおもしろい分野であります。「企業不祥事」をとりあげる場合、誰もが「過去の事実(真相)を知りたい」と渇望するところでありまして、その目的は責任追及のため、ということもあれば、企業における再発防止のため、また上場企業の場合には証券取引所から要求される適時開示ルールの履行のため、ということもあるでしょうし、またそもそも真摯に事実の調査をする姿勢自体が「企業の社会的評価の毀損を防止する」目的の場合もあろうかと思います。限られた人的および物的資源を活用して、できるかぎり目的に適合した事実調査を行うことは、企業の危機管理能力として不可欠のものだと思いますし、こういった能力を普段からどうやって社内で高めていくべきか、検討する価値は十分にあるはずです。

こういった分野におきまして、ぜひ社内でお読みいただくことをお勧めしたいのが、最近新書版で出されました「『まずい!!』学 組織はこうしてウソをつく」(樋口晴彦 著 祥伝社新書)。現在警察大学校主任教授(元内閣安全保障室)の樋口氏の『組織行動の「まずい」学』の続編であります。

011079 この本は書名からも明らかなとおり、組織行動の失敗から何を学ぶべきか?というところに照準が置かれておりまして、最近発生した民間企業や公共団体の組織行動上のまずさから大きな社会的非難へと発展した、その経過と原因をわかりやすく分析されております。コンプライアンス関連の書物も、最近の企業不祥事をテーマに掲げたものは数多く出版されておりますが、結論的には「概念的、抽象的なマニュアル的提言」に終わってしまう本が多く、途中で眠くなってしまうものが多いのでありますが、この本の場合、その詳細な事実認定と、著者の本来的に持っておられる常識や専門知識の組み合わせから、具体的な事例を通じて、日本の組織社会がどこでも持っているような「生来的な弱点」を探りあてておられます。結論に至るまでの推論の過程につきましては、読者の賛否両論がありえるとは思いますが、事実を認定することや、事実を解析することのムズカシサが味わえますし、第三者に納得してもらえるような事実認定とはどういった努力の積み重ねによってなされるのか・・・といった点をとても考えさせられる一冊です。

この書物のなかで、危機管理場面における事実調査のための外部第三者委員会は、政治的配慮によっても事実が歪められ、また事実確認の目的によっても歪められる(正確には事実の調査になっていない)ことへの危惧感を述べておられ、著者なりの「外部第三者委員会」の最低限度の要件について提言されておられます。その提言内容につきましては、私自身は異論もございますが、たいへん興味あるところでありまして、今後のエントリー続編におきましても参考にさせていただこうかと思っております。最後のほうでは、最近の内部統制ブームへの苦言もあり、会計士の方やコンサルタントの方々には少し読みにくいところ(?)もあるかもしれませんが、企業経営者の方にとりましては、クライシスマネジメントを学ぶ最適の書物として、この777円の一冊をぜひお勧めしたいと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年7月27日 (金)

内部統制支援と監査人の独立性

(土曜深夜 追記あります)

最新号の経営財務(2829号)の記事によりますと、先日(7月7日)の監査研究学会西日本部会におきまして、内部統制監査の基準をめぐって議論がなされた そうでして、あるCPAの方が「内部統制監査を実施する立場からみた制度上の懸念事項」として①業務プロセスの評価範囲の決定②外部監査人の独立性③他の監査人等の利用④内部統制の有効性評価主体の4項目を指摘されたそうであります。(私も先日のJICPAの監査実務指針を読んでの感想は、まさに上記4点ではないかと思っておりましたので、すこし安心をいたしました。)とりわけ②の外部監査人の独立性は大きな懸念事項のようでして、独立性に関する明確な指針が示されない中で、監査人がどこまで対象企業の(内部統制システム整備構築の)支援が可能であるか、かなり混乱が生じているようであります。監査人の見解次第で、監査人から積極的な支援を受けることができる企業と、そうでない企業との格差が生じつつある・・・といったかなりショッキングなお話であります。

そういえばこの外部監査人の独立性につきましては、先のJICPA監査実務指針の13ページ以下で詳説されているわけでありますが、実施基準の目玉であります「財務報告に係る内部統制構築のプロセス」にしたがって、「どういった行為が法律で禁止されている同時提供禁止行為で、どういった行為が同時提供可能か」といった例示が掲げられております。ここはおそらくJICPAとしましても、公認会計士法24条の2に関係する部分であり、違法性が問題となる場面ですから、相当慎重な配慮が必要な箇所ではないかと推測いたします。しかしながら、この例示というものが実にわかりにくい・・・と感じるのは私だけでしょうか?これを読んで、具体的にどういった行為が非監査業務の同時提供として違法なのか、それとも適法なのか、見事に区別できる先生がいらっしゃいましたら、ぜひ一冊の本にまとめていただくことを切望いたします。私はその監査実務指針に登場している倫理委員会報告第一号「職業倫理に関する解釈指針」(平成18年3月17日)を参照しましても、じつにわかりにくく、思い悩むところであります。

たとえば、以下のような事例においては、監査業務と非監査業務との同時提供に該当するのでしょうか?(なお、私個人としましては、企業側の立場から、できるだけ多くの情報を外部監査人から取得したいところですので、該当しない、といった意見が多いことを祈っておりますが・・・)

1企業担当責任者もしくは担当役員が自己の意思決定をもって、内部統制構築に係る経営者の基本的計画および基本方針を立てたのであるが、これに監査人候補者がコメントを出してきたので、そのコメントをもとに再度、修正して計画および方針を作成した。こういったことを繰り返して、やっとのこと、最終的には「言うべきコメントはありません」との監査人候補者の回答を得た。この場合、監査人候補者が後日、内部統制監査を行うとすると同時提供禁止規定には反しないのか?

2内部統制の構築上の要点や、構築に必要な手順、日程等の一般的な考え方について、監査人候補者が責任担当者、担当役員に対して教育、訓練をした。

3全社的内部統制について、内部統制の基本的枠組みと現状とを比較して、不十分な部分については指摘することは可能とされているが、監査人自らによる内部統制の構築と誤解されないように留意すること、とされている。そこで、担当責任者が、監査人候補者による指摘に基づいて、何度も現状を変更して、最終的には監査人候補者より指摘すべきところがない、といわれるようなシステムを構築した。

こういった問題事例は、このガイドラインを読んでおりますと、至るところで発生するかもしれません。(ほかにも経営者による評価範囲の決定について、直接的支援はできないが、経営者が決定した評価範囲についてコメントを提供することは可能、とされておりますが、こういったコメントを頻繁に求めて、その都度経営者サイドで修正を重ねて、最終的には監査人候補者のコメントが出ない形に整えたことについては、これを実質的に内部統制監査候補者自身が策定したものとは言えないか?等)これまで、このような監査人の独立性がまさに問題となるような事例集のようなものはあったのでしょうかね?このたびの財務報告に係る内部統制の監査基準を考えるにあたって、こういった監査人の独立性に関する論点は、会計士さん方の内々の議論の場では大いに意見交換がなされてきたものと推測いたします。しかしながら、先の研究会でも議論されているように、会計士さんの個人的な見解によって、ある事例では同時提供と解釈され、また別の会計士さんの見解では同時提供ではないと解釈されるとするならば、おそらく対象企業としてはその内部統制への費用負担に大きな差が発生することになってくるように思えるわけでして、大きな不公平感を招く結果となるのではないでしょうか。できれば、先のJICPAの監査実務指針で書かれている具体例をもう一段、わかりやすい「事例集」のようなものに落とし込んでいただき、厳格なのか緩いものなのかは別として、大きく内部統制監査に携わる会計士さん方の見解がブレないような枠組みを示していただけたら・・・と思います。

(追記)こういった財務報告に係る内部統制報告実務関連のエントリーにつきましては、最近は多くのコメントやトラックバックを頂戴する機会が増えたのでありますが、どうも今回のエントリーにはあまり頂戴できないようです。やはり、実務上も、まだ結論の出にくい難問なのでしょうか?すでに試運転の時期も中盤に差し掛かってきた頃ですし、このあたり内部統制実務との関係で、もうすこし明確な指針が必要ではないかと思っております。おそらく会計士協会の監査実務指針の公開草案に関しましても、私のような意見が出されているのではないかと推測しております。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2007年7月26日 (木)

善玉ファンド・悪玉ファンド論

国税庁の見解(株主に対して新株が交付された時点では課税しない)も明らかにされ、ブルドックソースは24日、防衛策手続を開始した、との報道がなされております。高裁決定を受けて、スティールパートナーズが「濫用的買収者」と認定されたことで「悪玉ファンドは退場を命じられた」と評するところも多いようです。そしてまた「ブルドック決定や村上ファンド刑事判決の内容は、ファンドの投資活動に悪影響を及ぼすのではないか」との危惧もあるからでしょうか、最近は「善玉ファンド」と「悪玉ファンド」に分類して、悪玉こそ退場されるべきであって、中長期的視野において企業価値を向上させることに寄与するような「善玉ファンド」は歓迎すべきである、といった論調も目立ちます。先のブルドック事件の高裁決定が、スティールの「属性」を考慮して「濫用的買収者」にあたると判断したことは否めないわけでありますが、この「濫用的買収者か否か」といったところの判断に「買収者の属性」を重視することにつきましては、すこし疑問を感じるところでありますし、もしこういった「濫用的買収者」といった判断基準が今後もなんらかのルールになりうるものとしても、スティールが常に「濫用的・・・」に該当するものとは言えないのでは、と思ったりもしております。

(たとえ話として適切かどうかは皆様方のご判断におまかせいたしますが)離婚事件におきまして、「離婚をしたい」と考えている側は、その離婚裁判におきまして相手方をわざと怒らせるような主張を出して「婚姻を継続しがたい重大な事由」があることを根拠つけようと画策するわけであります。(もちろん、不貞行為や暴力、生活費をいれないなどの悪意による遺棄等に該当する事由が証拠によって明確に立証できる場合には、そのようなことはされないと思いますが)相手方がこれにつられてカッときて、法廷での喧嘩状態になってしまいますと、離婚をしたい側にとっては「しめしめ」と思うわけであります。そういった喧嘩を誘引させるような書面が出てきたときにも、冷静に「事実の存否のみを争う」姿勢を貫くことを勧めることが、相手方代理人にとっても重要なところであります。ところでこういった離婚事件の場合、調停委員などをしてみるとわかるのでありますが、夫も妻も、第三者としてそれぞれとお話をすると、とても常識のある「いい人」でして、どっちが悪人でどっちが善人という区分けは容易ではありません。冷静に裁判を継続した場合、結局のところ、属性というところは無視して、事実の存否によって離婚の成否、慰謝料の金額の多寡等を判断せざるをえないわけであります。

このように自然人(いわゆる生命体としての人間)に例えて考えてみましても、「いい人」と「悪い人」というのは峻別することは困難なはずでありますし、どんな人でも善悪の部分を併せ持っているのが普通だと思います。相手によっても、またその人の精神状態や経済状態によっても、「いい人」であると解釈される場合もあれば、「意地悪な人」と評価される場合もあるわけでして、その人の属性だけを捉えて絶対的な基準で「善悪」を判断することは困難ですし、またたとえ裁判官であっても、そのような判断能力は持ち合わせておりません。「なんであいつと話をすると、自分はこんなに腹が立って、傷つけるようなことばっかり言うのだろうか」と自己嫌悪に陥るようなことは、誰でも一度は経験するのではないでしょうか。またそういった場合、相手もあまりこちらにいい感情は持ち合わせていないのが通常ではないでしょうか。私は「善玉ファンド」「悪玉ファンド」という用語を用いることについては反対はしませんが、どんなファンドであれ、対象企業の取締役との相性や、ファンドの活動過程、そしてファンドに相対する対象企業の行動などによって、「善玉」にも「悪玉」にも変化しうる、つまり相対的な基準にしかならないものだと思います。つまり、スティールPがこのたび「濫用的買収者」だと認定されたことをもって、別の相対企業においても、確実に「濫用的買収者」と認定されるかといいますと、濫用的買収者かどうか、ということは相手との相関関係的判断のもとで決まるわけであり、そのまま他の事件にも妥当する、と考えるのは早計ではないでしょうか。「濫用的買収者」かどうか、といった判断は、ある対象企業からみれば「濫用的買収行為」と評価されたがゆえに、そのようなレッテルが貼られたに過ぎず、ほかの対象企業(たとえば事前警告型の防衛ルールを導入している企業)との関係からみると、「濫用的買収行為」とは評価できない場合というのも、普通に考えられるものと思います。このあたり「善玉」と「悪玉」といったファンドの属性に依存するような区別は、なんとなく誤解を生じさせるような気もいたします。ある企業と大株主である投資ファンドとが良好な信頼関係を築いている時期であれば、その企業にとりましては「善玉ファンド」かもしれませんが、業績が悪くなれば「モノ言う株主」となり、その時点では企業側からみれば「悪玉ファンド」に変化するものかもしれません。

そもそも、「濫用的買収行為」といったものは、ファンドと対象企業とのキャッチボールのなかで評価されるべき規範的な要件であって、ファンド側の属性とか、一方的な行動だけで認定できるような概念ではないように思われます。先日のエントリーでも、なにが評価根拠事実で、なにが評価障害事実になるのか、先のブルドック事件では明確になっていないし、当事者間でも合意されていなかったのではないか、と書きましたが、私はこのような双方のやりとりの経過のなかで、根拠事実や障害事実がピックアップされていくべきもののように思います。どのような一般的評価を受けているファンドであっても、そもそも日本企業を買収するにあたっては、「このようなルールに基づいて手続を実践すれば、TOBによる株主判断までこぎつけることができる」といった道筋を示すことによって、必要以上の萎縮的効果も排除することができ、また市場の活性化へのダメージにならないような最低限度の配慮にもなるのではないでしょうか。「悪玉ファンドは即退場」といったイメージで考えるのではなくて、たとえいままでは「悪玉」であったとしても、日本市場ではこのように「いい子」に振舞えば「善玉」として扱いますよ・・・といったルールを明示するほうが、行動上のインセンティブにもなりましょうし、「金融商品取引法規制下におけるファンドのあり方」について、もうすこし深い議論ができる土壌にもなると思うのですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月24日 (火)

内部統制の重要な欠陥と人材流動化リスク

財務報告に係る内部統制の監査に関する実務上の取扱い(いわゆる会計士協会による監査実務指針)につきましては、すでにいろいろなブログでも話題になっているところでありますが、そのなかに「内部統制の重要な欠陥」といった項目がございます。私自身も「内部統制の重要な欠陥」に関する判断指針にはかなり関心を持っております。これまでは、文書化やIT統制といったところに財務報告内部統制の関心が非常に高いところでありますが、いわゆる財務報告の信頼性確保のための内部統制プロセスに関わる「人」の資質というものが、「重要な欠陥があるかどうか」といった企業の有効性判断にどのような影響を与えるのか・・・・というところには、あまり光があたっていなかったのではないでしょうか。(また、これからも、光をあてにくい問題なのではないでしょうか)いくら内部統制報告制度において、文書化やIT統制の整備運用が充実したとしましても、所詮は整備運用に携わる社員に財務的な素養がなければ、有効性評価とは結びつかないはずであります。

そもそも「重要な欠陥」かどうか、といったことも経営者による評価ということになりますが、監査する側からみれば、「経理、財務部門」の専門的能力や人員が不十分であるために、企業の内部統制により識別できなかった財務諸表の重要な虚偽表示を監査人が検出した場合には、その不備が「重要な欠陥」に該当するかどうか、慎重に判断しなければならない、とされております。(実務指針43ページ。ところでまず「企業の内部統制により識別できなかった財務諸表の重要な虚偽表示を監査人が検出した」という結果と、それが「経理財務部門の専門的能力や人員が不十分であった」という原因との因果関係は誰がどうやって判断するのだろうか、容易に判断できるのだろうか・・・といった素朴な疑問が浮かんできませんでしょうか。私はこのあたりでまず理解不能に陥ってしまいました)したがいまして、この人的な資質の問題によって内部統制に重要な欠陥を作らないためにも、企業側におきましても、こういった人的な資質の部分において、内部統制に不備があるかどうかを評価することが不可欠、ということになりそうです。ところで、たとえ経理、財務部門の専門的能力や人員が不十分であるとしましても、内部監査部門が充実しているのであれば、たとえ決算財務報告プロセスにおける資質に関する人的不備が存在していたとしても、その不備は監査人の目にとまる前に是正される可能性があるわけですから、結局のところ、企業における専門的能力や人員が不十分であることに起因する不備が重要な欠陥に該当する可能性は低くなるはずであります。したがいまして決算財務報告上のブロセスにおける人材不足と、内部監査部門(有効性評価部門)における人材不足が競合するようなことを回避することが得策かと思われます。(人的資質という部分に光をあてて企業が「重要な欠陥」と判断できるかどうか、また「重要な欠陥が是正されたかどうか」を判断できるかどうか、という問題は、その資質を評価できる人材が社内に存在することが前提となるはずであります)このように考えますと、経営者評価の問題と、人的資質が「重要な欠陥」のひとつになる、という条件を結び付けますと、決算財務報告プロセスに関わる社員の財務的資質と、内部監査部門の社員の財務的資質とが不可欠ではないかと思われます。

私は上記のように考えているのでありますが、実際に内部統制監査人の方は、決算財務報告プロセスに関与する社員の経理、財務部門の専門的能力だけを判断の対象とするのでしょうか?もし、経営者評価のしくみ、つまり社員の資質が「有効」と評価できる部門の存在を抜きにして、人の資質を監査対象とするのであれば、それはダイレクトレポーティングを採用していない内部統制報告制度とは矛盾しないのでしょうか?また、内部統制監査の目的というものが、財務諸表に虚偽表示を発生させる可能性の高さと、その発生した場合の重大性を判断するところにあるとすれば、この人材流動化の時代に、ある程度の財務的資質を持った人材の流動リスク、といったものも不備の対象になってくるのではないでしょうか?内部統制監査に携わる方々にお聞きしたいことは、まず何をもって「財務的資質」に問題なし、と考えるのか、その判断指針でありますが、そのつぎに、どの領域に、どの程度の「財務的資質」を持った社員が存在すれば、「不備」にはあたらないと考えるのか、その2点であります。

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2007年7月22日 (日)

監査役の権限強化は第2のJ-SOXとなるか?

(日曜午前 追記あります)

監査役サポーターさんも思わず唸った・・・という土曜日日経一面記事でありますが、私もかなり驚いております。法制審議会を経て、早ければ来年の臨時国会に会社法改正案が提出され、監査法人(公認会計士)さんの選任権および報酬決定権を監査役固有の権限とする、といった内容になる模様であります。先日の監査法人改革の際にも、金融庁サイドでは監査制度に内在する矛盾(監査される者が監査法人の選任権や報酬決定権限を有しているのであれば、厳正な監査は制度的になしえない・・・といった「ねじれ現象」のこと)を解消するために、会社法を改正して独立性を有する監査役へそれらの権限を移すべきである、との意見が出されておりましが、まぁ、現実の監査役のあり方からみて、法務省が監査法人の独立性強化のために監査役制度を改正することは当分ないだろう、と思っておりましたので、「これはひょっとして米国SOX法301条の到来か?」(ちょっと大袈裟ですが・・・)と、この日経朝刊の見出しをみて、ちょっとビックリした次第であります。(ただし「日興上場廃止へ」のときも、「内部統制ルール実質緩和」のときもたしか大見出しの一面記事だったはずでして、このエントリーもなにげにおそるおそる・・・といったトーンになってしまいますが)

本当にこういった制度改革が実現するとなりますと、とても短いエントリーでは書けないほどの多くの論点があると思っておりますが、私自身の第一印象の感想としましては以下の2点であります。ひとつはそろそろ管理行為(注 会社の活動自体を収益獲得行為と管理行為に分類した場合の管理行為のことを指しております)の一貫としての「監査役制度」といったものが上場企業に出来上がってもいいのではないか、というものであります。大企業の場合であれば、それこそ監査役事務局の体制も整備され、外部専門家を監査役自身が選任できるようなところもあるかもしれませんが、それはほんの一握りの企業に過ぎないと思っております。一昨日の村上ファンド事件の東京地裁判決のなかで、裁判所はMACの監査役が村上氏に対して、アクティビストとしての活動と、投資顧問業としての活動とは(インサイダー取引や利益供与禁止規定違反などに触れるリスクが高まることを回避するために)分断すべきである、との意見を述べていたにもかかわらず、(村上氏は)これを聞き入れなかったことをたいへん重要視しております。監査役の存在というものが、あまり明るみに出ないことが多いなかで、このように経済刑法が問題とされている裁判例として、監査役の社内における意見陳述の事実を大きく採り上げられたところはたいへん新鮮に感じました。チャイニーズウォールが敷かれているかとか、アームズレングス・ルールが取引上で守られているか等、おそらく今後の上場企業の業務監査においては、とりわけ監督責任を果たせるプロの監査役が必要ではないかと考えておりますし、たとえば会計監査の部分においては、監査法人と連携協調して不正監査を防止していけるかどうか、といったところも重要なプロとしての要素だと思われますので、監査法人の選任権や報酬決定権の保持といったところも、「プロの監査役」が期待されている制度改革の一部分であると考えております。

もうひとつの感想は、「これまでの監査役の権限強化の歴史と、今回とはどこが違うの?どんなに変更してもなにも変わらないのでは?」といった問いに対する答えであります。これまでの1974年以降の監査役制度の変遷は、会社不祥事が社会問題となるたびに生じたものでありますので、このたびも「会計不正への対応」という点では同じようにも思われます。しかしながらこのたびはコーポレート・ガバナンスに関する世界的潮流(ガバナンスは企業パフォーマンスに影響を与える)に合わせての監査役制度改正という面も大きいのではないでしょうか。※1 ガバナンスに対する社内、社外からの「評価」というものを気にしないわけにはいかない時代になりつつあると思いますし、不祥事対策も「不正者への責任追及」から「プロセスチェック(リスク管理)による未然防止」へといった傾向にありますので、監査役会の構成(たとえば、財務専門家の監査役が存在するか)とか、監査役スタッフの構成(常勤監査役の周囲のスタッフはどうか、外部専門家によるサポートはどうか)など、いわゆる「プロとしての監査役制度が整っているかどうか」が、企業価値そのものへの評価のひとつになる時代が来るのではないか、と考えております。したがいまして、会社法や規則が改正されれば完結するものではなく、証券取引所規則によって、あるべき監査役制度の構成とか、その開示方法を提示したり、監査法人側からはあるべき連携協調のためのシステムが提案されたり、いろいろな民間レベルでのルール作りのなかで、監査役制度のあり方が模索されていくのではないかと思います。今回(もし本当に法改正があるのでしたら)の監査役権限強化への法改正が、そういった流れになる「きっかけ」となれば、これまでの「不祥事防止対策」とは少し違った「監査役制度の変遷」になるのでは・・・と期待をしております。(それにしましても、最近よく話題になります「公開会社法制定への動き」との関係はどうなるんでしょうかね?)

※1 7月20日まで、35回にわたって日経新聞に「新時代の企業統治」といった「やさしい経済学」が連載されておりました。こちらでも、企業統治の評価と企業パフォーマンスの関係がひとつの論点として採り上げられておりました。

(追記)メールにて、監査役制度が会社の「管理行為」とは、そもそも不適切な陳述である・・とのご意見をいただきました。もちろん私は「執行機関に管理されている」という意味で使っているものではありませんが、誤解を招くおそれがありますので、注記を付加いたしました。ただし本文で述べておりますとおり、最近のガバナンスの問題が業績や株価に影響を与える、といったことを前提といたしますと、厳密に収益獲得と管理行為を分けることができるかどうかは異論もありかもしれませんが。

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2007年7月20日 (金)

村上ファンド、東京地裁決定の影響度(1)

すでにご承知のとおり、東京地裁で村上ファンドの元代表村上氏に対する実刑2年追徴金11億という有罪判決が出ております。基本的な構成要件を整理しますと、

証券取引法167条「公開買付者等関係者等のインサイダー取引規制」が問題

公開買付者等関係者等←①公開買付者等には、議決権数ベースで5%以上の株式の買い集め行為者も含む②「関係者等」には、関係者から情報の伝達を受けた者も含む(以上、証券取引法167条3項、および施行令31条参照)

公開買付等事実の発生後、公表前に(売却、買付の時期的制限) ←つまり、この時期にインサイダー取引の故意が認められなければならない

当該公開買付等事実を←公開買付等(ここでは買い集め行為)事実とは?←①業務執行を決定する機関が②買い集め行為実現への決定行為にいたること

「知りながら」 ←決定行為の実現可能性を認識していなければ故意があるとは認められない(なお、実現可能性は「決定があった」という事実認定にも影響している模様)

現実に、有価証券の売買、買付を行い、その後当該公開買付等事実が公表されたこと。ただし、買い集め行為者の要請を受けて、応援買いをする者については適用除外とする。

と、いったところでしょうか。(間違いがございましたら、ご指摘ください)

そこでまず「公開買付者等関係者等」につきましては、村上氏が「伝達を受けたか」どうかが問題となります。それから実行行為時に故意が認められる必要がありますが、逮捕事実によりますと、平成16年11月9日から翌17年1月26日にかけての約193万株の買い付け行為が実行行為ですから、すくなくとも11月8日までに村上氏に実行行為の故意が認められる必要があります。したがいまして上記のとおり、決定行為に関する実現可能性を、この11月8日までに村上氏が認識していなければ故意が認められませんので、 「執行機関による決定」の有無と、その実現可能性の有無、そしてそれらの時期が判断される必要がありそうです。私的な整理ではありますが、このように理解すると、新聞報道なども頭に入りやすくなるのではないでしょうか。

先日のブルドック・スティール事件のように、地裁と高裁でかなり構成が異なる裁判の結果となる可能性もありますので、現段階での地裁判決への感想でありますが、上記のような各論点への地裁の対応が、すべて「村上ファンドは存在そのものがインサイダーである」という特殊な見方から帰結されているように思えますので、私はこの地裁判決は、今後の企業実務にとりまして、(後記の点を除けば)それほど大きな影響を与えるものではない、といった印象をもっております。たとえば、買い集め行為決定の時期や、その実現可能性の有無、また「伝達を受けたかどうか」につきましては、それまでの村上ファンドのライブドアへの働きかけや、実際の資金運用力の大きさ、そしてなによりもファンドとしての組織的欠陥(監査役からアクティビスト活動部門と、投資顧問業部門を分離するように、強く勧められていたにもかかわらず、なんらの措置もとらなかったようです)が大きく事実認定に影響を及ぼしているようですし、まさに判決に出てくるように「本件は偶発的な犯行ではなく、必然的なもの」が前提となっているからであります。(もちろん、事実の当てはめ方が罪刑法定主義の見地から適切かどうか、といった問題は別途ありますが、ここでは事案の特殊性を裁判所が強調したかったのではないか、といったところに焦点をあてております)感覚的な物言いで恐縮ではありますが、先日のブルドック高裁決定が突然「濫用的買収者だ」と認定したかのごとく、本件地裁判決でも、「あなた自身が自らインサイダー状況を作り出している」と言われて、困惑している、といったところではないでしょうか。なお、当初気になっておりました「応援買い」や「共同買付者」に該当するのではないか、といった論点につきましては、公判前整理手続きの中身がわかりませんので、推測にすぎませんが、ライブドアとフジテレビを天秤にかけて、自己の利得のみを考えていたとの事実や、そもそもの要請があったかどうか、といったところでのライブドア側からの供述が得られなかったことなどから、論点としては採用されなかったのかもしれません。

と、いいましても、この裁判が指摘している「村上ファンドの組織上の構造的欠陥」というものはやはり気になるところでありまして、今後のファンドや証券会社などにおける活動への影響といったところも無視できないように思えます。また、このたびの刑事事件でも、やはりメールの証拠価値といったものが明確になったようですので、またそのあたり続編ということで書かせていただきます。

| | コメント (3) | トラックバック (6)

2007年7月19日 (木)

経産省によるMBO指針の報告書案

今朝の日経一面にも出ておりましたが、経済産業省の企業価値研究会は、MBO(マネジメント・バイアウト)に関するTOBルールについて、できるだけ価格の不透明さを解消するための指針に関する報告案をまとめ、これを公表することになりそうであります。(とりあえず、日経ニュースはこちら です。)最近のMBO事例を企業側からみた場合、いろいろなリスクが隠れているようにも思えますが、基本的には法務、会計、税務に関する相当深い知識と経験がないと、そのスキームのリスクを低減することは困難ではなかろうか・・・というのが実感であります。ただ、MBOそのものの規制のあり方を考えておくことは、今後非公開化を検討する場合にも有益であろうかと思われます。

Mbogazou_3

                  

                         

                                                                 

              

     

            

          

             

 私自身は、MBOの研究家でもない単なる素人ではございますが、ここのところ、いろいろな雑誌などでMBOが内在的に持っております問題点などが採り上げられており、そういった問題点をどう克服するか・・・といった視点にかなり関心がございますので、こういった表を作成して、事前規制や事後規制の区別、法による強制力の有無による区別などを基準として、考えるきっかけとしたいと思っております。何を考えるのか、といいますと、基本的には有益なMBO、つまり少数株主の権利を保護しつつ、シナジー効果のあるMBOを完遂させることに実効性のある規制方法を模索する・・・という基準であります。表に示しております◎はある程度実効性が期待できる、×はあまり期待できない、△がよくわからない・・・という形で、私自身の意見を書いておりますが、有識者の方がご覧になれば、おそらくツッコミドコロ満載ではないかと思います。

情報開示といいますのは、TOBに応じる株主にとりまして、その価格が適正であるかどうかを判断するに足る情報という意味であります。役員の行動規範といいますのは、本来的に「取締役の利益相反行為」性を内在しているMBOの場面におきまして、対象企業の取締役がどのように振舞えば利益相反行為ではないと言えるのか、という善管注意義務違反の有無の観点からの規制であります。そもそも善管注意義務違反行為があったかどうか、ということは司法判断だけでなく、機関投資家による役員評価等ガバナンスの問題にもつながるわけでありますが、MBOの場面におきましては、上場廃止を伴うために、事後の一般株主による評価による規制という観点はなくなってしまうことになります。公正性確保の仕組み、といいますのは、企業価値判断のための独立第三者委員会の設置や、社外役員の構成など、MBO手続きに関する論点を指すものであります。そして、企業の説明義務といいますのは、MBO価格の公正性に一定の疑いが生じるおそれのある場合に、その補完として、企業が一般株主に対して、公正であることの説明義務を課すことを想定した仕組みであります。この表に基づきまして、今後経産相指針や、東証ルールなど、もしくは司法判断などが出てきた際の「あるべきMBO実現のための実効性」について考えてみたいと思っております。(なお、本来ならばもっと複雑なマトリックスになるはずでありましょうが、ブログアップ用にかなり簡素化してみました。)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年7月18日 (水)

内部統制報告実務の新たな局面(監査指針公開草案)

こんにちは、山口利昭です。まだ名古屋の裁判が終わったばっかりで、名古屋駅近くの喫茶店からエントリーをアップしております。

内部統制報告実務に関する重要なお知らせが日本公認会計士協会のHPでリリースされております。(記者発表もされております)昨日、機野さんのコメントを受けて「会計士協会から本当に指針が出るんでしょうかね?」などと書いてしまいましたが、関係者の方がこのブログをお読みになってたら「プププ!(爆)」ということだったんでしょうかね?

上場企業にとりましては、たいへん関心の高いものでしょうし、また今後もいろんな議論がされていくことでしょうね。新たな局面に入ったというべきでしょうか。とりあえず、いまから大阪に戻りますので、ホンマの速報版ということで失礼いたします。

| | コメント (18) | トラックバック (0)

最良の企業統治を考える

日本取締役協会の「企業にとって最良のガバナンスのあり方を考える委員会」の対談について日経ニュースで報じられております。企業の発展段階によってガバナンスの形態も変わる、とする報告書がまとめられた、とのことで、つまりは新興企業から成長企業、大企業へと推移するなかで、企業統治のベストプラクティスも変容する、ということなのでしょうか。

いま私自身、社外役員やリスク管理委員会委員として、数社の新規株式公開を目指す企業の実態を見せていただく機会がございますが、企業が順調に運営されている状況のなかで、企業統治のあり方を変える、というのはたいへん勇気のいることではないか、と思います。とりわけカリスマオーナーや、創業家が代表を務める企業におきましては、そのトップの考え方が余程柔軟なものでなければ、リスクを抱えてまで企業統治のあり方を変えようという気持ちにはならないのではないでしょうか。また、企業不祥事が発生した場合こそ、企業統治のあり方を変える契機になるのかもしれませんが、はたしてコンプライアンスリスクの顕在化がそれまでのガバナンスに起因することが証明できるものでもないと思われますし、これも検証することが難しい場合になろうかと思われます。独立社外取締役制度を導入したり、取締役相互間におけるけん制機能を強化したり、監査役、内部監査人などのモニタリング機能を充実させることも重要かとは思いますが、先日「簡易版COSOガイダンス」でもご紹介いたしましたとおり、創業家や新興企業オーナーなどのように、その権限が社内で絶大な権勢を誇っている企業こそ、内部通報制度(ヘルプライン)などの内部統制システムの整備によって違法行為の予防(もしくは早期発見)に尽力すべきであります。

むしろ、不祥事防止という面ではなく、パフォーマンスの向上といいますか、収益性、効率性向上のためのガバナンス構築という面から考えたほうが経営者に対するガバナンスへの関心を高め、ガバナンス改良への動機付けとしては有効ではないかと思われます。ただ、こちらのガバナンスの問題につきましては、単に企業の成長過程によって変容させればよい、といったものではなくて、たとえば間接金融のあり方とか、株主構成、株式持合い制度の風潮、ステークホルダー論など、企業を取り巻く経営環境への対応として変容させるべきものと認識しておりますので、はたして企業の発展段階によって変容させるべきものとのみ、捉えられるものなのかどうか、疑問に思うところがございます。なお、上記対談内容は18日の日経産業新聞で詳しく報じられているそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年7月17日 (火)

内部統制ルールの実質緩和(続編)

先日のオフ会でも「続編を書きます・・・、といいながら、なぜ続編を書かないのか?」とのご意見をいただいておりますので、例の「内部統制ルール実質緩和」の続編を少しばかり書かせていただきます。

結論から言って、あの土曜日の日経朝刊一面記事は、どうも根拠に乏しいものではないか、と推測しております。①二日ほど経過してから、金融庁が「施行前の基準緩和などありえない」と発表している記事があったこと、②緩和策のなかには、あまり真新しくない(つまり、実施基準の発表の時点で緩和されることが決まっていた事情まで含まれていた)ものが含まれていたこと、③あれから何名かの立案担当者の方の解説をお聞きしましたが、「私もあの日経の記事にはビックリしています。あまり雑音は気にせず、これまで企業のなかで進めてきたプロジェクトを、これまでどおりに進めてくださって結構です。金融庁Q&Aは出るのか出ないのかは不明ですが、実施基準の内容の詳細を補足する程度であって、新たに実施基準の内容を厳格にしたり、緩和したりするものではありません」とほぼ同一のお話をされていることなどが理由であります。ちょっと、先日のエントリーでは、この「実質緩和」を当然の前提とした意見などを書いてしまいましたが、人の意見を拝聴したりしながら、冷静に考えてみますと、たしかに5%ルールの緩和などを一律に定めてしまいますと、私が社外役員を務めているような居酒屋やレストランチェーン店などは、どこの事業所も評価の範囲外になってしまう結果となりますし、私としましては少し思い直したところであります。(また何かこの実質緩和シリーズにおきまして、情報等お持ちの方はお知らせいただければ、と思っております)

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2007年7月14日 (土)

「濫用的買収者」って何だろう?

きょうも経済産業省の事務次官さんが「ブルドック高裁決定は画期的」と賞賛されていたようであります。あの高裁決定が出た日、スティール側は「まったくの予想外の判決」とショックを隠せなかった様子でありました。スティール側のこのコメントに、溜飲を下げた方も多かったのではないかと思いますが、この「予想外の判決」というのは、ひとつ間違えますと「弁解の機会を与えられなかった裁判」ということにもなりかねません。

先日のスティールは乱用的OR濫用的?のエントリーにおきまして、unknounさんより、以下のようなコメントを頂戴し、私は「そういった立場のご意見お待ちしておりました」とコメントを返させていただきました。実は、エントリーを書きながら、unknownさんとかなり近い感覚を覚えたからであります。

先生は、本件においては、濫用的買収者であることの評価根拠事実ばかりが主張立証され、評価障害事実の主張立証が不足していた旨を述べておられますが、私としては、本件において、そもそも評価根拠事実となりうるものが主張されていないように思われます。

たとえば、裁判所は、評価根拠事実として、スティールが①経営について何のビジョンも持っていないこと、②株式を転売するつもりであること、③資産処分を視野に入れていること、等を挙げていますが、①は資本と経営の分離の観点から問題なし、②については投資家としてあたりまえのことであり(インカムゲインが少ない日本企業への投資においてキャピタルゲインを求めない投資行動はむしろ不合理だと思います)問題なし、③アセットストリッパーのような場合であればともかく、企業の資産効率を上昇させるために、非効率な余剰資産の処分をして企業価値を高めることは当然なので問題なし、という具合に、裁判所が評価根拠事実のような位置づけで挙げている事実は、実は評価根拠事実になっていないのではないかと思っております。

私自身の見解としましては、unknownさんが「評価根拠事実になっていないのでは」と指摘されている各事実については、一応評価根拠事実らしいものではないか、と考えております。ただ、おっしゃるように、誰がみてもそういった事実が認められれば「濫用的買収者」である・・・と判断できるものではなく、やはり「濫用的買収者」とは言えない、と判断する立場も十分成り立つのであって、明確に「濫用的買収者」であることを基礎付ける根拠事実といえるかどうかはかなり疑わしいように思います。だいいち、この高裁決定の中身を読みますと、抗告人と相手方の主張整理のところで、「抗告人はグリーンメイラーではないと言い、一方相手方は(抗告人関係者が)濫用的買収者だと主張する」と書かれてあります。このブログでかなり以前から「グリーンメイラー≠濫用的買収者?」と問題提起しておりましたが、どうもこのあたりのモヤモヤは高裁決定の中にも現れておりまして、このような書き方からしますと、抗告人と相手方そして裁判所の間におきまして「濫用的買収者とは、どういった根拠事実があれば認められるのか?」といった争点整理が行われていなかったのではないか、と推測されます。ちょっと極端な例になりますが、交通事故の運転者の過失を基礎付けるための「前方不注視」といった注意義務違反の事実をとりあげますと、そこには「居眠りをしていた」「よそ見をしていた」「携帯メールを読んでいた」などの事実が指摘されますと、概ね異論なく「前方不注視」は認められると思われます。しかしながら、「会社を食い物にしていた」という事実(これが事実といえるかどうかは問題あるかもしれませんが)については、その食い物にしていたことを基礎付ける事実がまた必要になってくるわけですが、そこでは異論なく「食い物にしていた」と評価できる事実というものを探すのはかなり困難な作業が伴うのではないでしょうか。そのあたり、当事者間での交通整理をして、こういった事実が認められれば「食い物にしている」ということになりますが、いいですか?といった争点整理の必要性があったように思えます。そのあたりをもし裁判所がとばしてしまって、争点が明確になっていないまま(たとえば、抗告人は単にグリーンメイラー性だけを否認し、相手方は濫用的買収者であることを積極的に述べている)、裁判所の法律解釈によって、何が「濫用的買収者」と評価できる事実かを独断で選定してしまって、ほらあなたは濫用的買収者ですよ、といわれてしまいますと、反論の機会も与えられないままにスティール側が「不意打ち」をくらったことになってしまったのではないか、といった疑念が生じるのも無理からぬところではあります。果たしてこういった高裁の対応が民事訴訟法の大原則である「当事者主義」からみて正しいものであるのかどうか、すこし検討を要するところではなかったかと、私もすこしばかりの疑問を抱いた次第です。ひょっとしますと、このブルドック高裁決定というのは、会社法だけの問題ではなくて、民事訴訟法とか、要件事実論など、裁判制度の根幹に関わる問題点も内包している、たいへんおもしろい決定なのかもしれません。(unknownさんのご指摘に反応しまして、思いつきのレベルでのエントリーですので、また今後の正確な分析をご参照くださいませ)

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2007年7月13日 (金)

(番外編)ビジネス法務の部屋関西オフ会報告

本日(7月12日)、「ビジネス法務の部屋」第1回オフ会を開催させていただきました。総勢18名の大宴会となりましたが、いやいや皆さん、おつかれさまでした。本当に楽しかったですし、「2年半、ブログやってきて本当によかった」と思いました。東京からお越しいただいた丸ちゃん(丸山満彦先生) 、神戸のligayaさん、大阪のgrandeさんM&A会計士の八大先生、京都の藤野先生など、HPやブログで著名な会計士の方々ともいっぺんにお会いできましたし、たくさんの企業や金融機関、○○○○○の役員の方(来られた人しかわかりませんが・・笑)、それから法務担当のお若い社員の方も含め、大いに意見交換させていただきました。とくに京都や神戸が本社の方々にも多数お越しいただき、恐縮しております。(ほとんど話ができずに申し訳ありませんでした>○○キャピタルマネジメントの△△さん。今度はぜひ、ゆっくりお話しさせてください)

「ビジネス法務の部屋」というブログのあり方につきまして、皆様方のご意見を集約いたしますと、
「少しエントリーが長すぎる。あの内容を3行くらいでわかりやすく書けないものか?」(そりゃ無理ですわ・・・・・(o。o;) )
「続きを書きます・・・といいながら、なかなか続きを書かない。なぜだ?続きを期待しているのに」(そりゃえらいすんまへん[;*_*;]たしかに、続きを書こうと思っておるのですが、また刺激的な出来事に気をとられてしまいまして、どうも後回しになってしまうきらいがあります。続きは1年くらいのスパンで期待していただくとありがたいです (* ̄▼ ̄*) )
「いや、長くても結構です。興味あれば読みますので。興味ないときはパスしてますし」・・・・・・・( ̄◇ ̄;)
「コメントを気にしすぎる!いちいち反応しなくてもいいのではないか」(自分では、そんなに気にしているようなことはないのですが・・・)
「toshiさんは、じつは二人か三人いるんじゃないのか?」(いてまへん)
「○○ではないでしょうか?との問い形式が多いが、読み手にそんなふうに振られても・・・」(日経でご紹介いただいたときも申し上げたのですが、問題意識を共有しようとの意識からです。ただ、この意見は多かったので、少し見直すかもしれません。)
「追記する場合には、かならず最初に追記とその時間を書くように」(できるだけ善処いたしますm(_)m)

「丸ちゃんのように『こんにちは。山口利昭です。』でいつもエントリーが始まるようにしたらどうか。やはりキャッチフレーズがあったほうが、印象に残ると思うが」(いや、別に印象に残らなくてもけっこうです)

「法務の国のろじゃあというブログがあるが、あの『ろじゃあ』さんとは何者だ?」(い、言えまへん・・・・( ̄□ ̄;))

「深夜、更新しているそうだが、奥さんとはうまくいっているのか?」

とまあ、これからのブログ更新に役立つのか役立たないのかは不明でありますが、皆様方からの貴重なご意見をもとに、今後もブログを続けていきたいと思っております。わずか2時間半ばかりの居酒屋での小宴でございましたが、あっちこっちで盛り上がっていただけましたので、楽しんでいただけたのではないかと思っております。(なお、皆様方どうしの今後のご交流はどうか勝手にやってください・・・笑)

(お詫び)なお、宴会場やお話できる人数の関係で、このたびはたくさんの方にご参加できないこととなり、本当に申し訳なく思っております。できるだけ早い段階で、また第2回のオフ会を予定してみたいと思っておりますんで、またこれに懲りずにごヒイキにしてやってください。(しかし18名ともなりますと、知り合いの方どうしが偶然参加されていたりして、世間は狭いなぁと感じました。)

とりあえず、雨が降らなくてよかったですね。

(また明日より通常バージョンに戻ります。)

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2007年7月11日 (水)

スティールは「乱用的」or「濫用的」?

また、たいへん親切な方より、ブルドック東京高裁抗告審決定(全文)の写しをご送付いただきましたので、本業終了後に全文を読ませていただきました。著名ブロガーの方々のように、会社法や税法全体を見渡しての立派な意見などお話できる立場にはございませんが、やっぱり私はこの決定全文を読みましても「スティールは濫用的買収者」といった概念にこだわりを持ち続けております。(たいへんしつこいようですが・・・・・)

マスコミ各社によってマチマチですが、新聞を読みますと「濫用的買収者」と記述しているものと、「乱用的買収者」と記述しているものがありますね。(高裁決定ではもちろん「濫用的」とあります。)法律の専門家である高裁の裁判官が判決文で記述しているものは、正確に記載したほうがよろしいのではないか、とまず思いました。これは私の推測でありますが、法律用語でいうところの「濫用」は、「権利の濫用」にあるように「本来行使することができるものではあるが、その行使の仕方が不適切であるために法の保護に値しない」といった場合に使われるものであります。いっぽう、「乱用」につきましては、たとえば「薬物の乱用」といった使用法にみられるとおり、「本来行使してはいけないものを、勝手に行使すること」を意味するものと思われます。そういった意味で考えますと、スティールが買収行為を「乱用」したのではなく「濫用」したのであれば、これは本来、スティールでも正当な買収活動はできるのだけれども、たまたま今回はその権利の使用法に不適切なものがあった、と考えてもいいのではないか・・・・・・といったところが、今回の決定を読んでのマニアックな感想でございます。ましてや、「こんな裁判が出たら、投資ファンドはみんな濫用的買収者になってしまう」といった感想は、すこし違うのではないか・・・と素直に思います。

そうやって、もう一回、この決定全文を読み直してみますと、株主平等の原則に違反しているかどうか・・・といったところで1回、そして「濫用的買収者」に該当するかどうかの高裁の意見表明の部分で1回、いずれも「信義誠実の原則により・・・権利の濫用と認められる」とか「信義則上、濫用者と認められる」との記述がみられます。通常、我々弁護士の感覚からしますと、「信義則」や「権利の濫用」という主張で裁判で勝つ・・・というのはほとんど稀なケースであります。どちらかといいますと、負け筋の事件で、もう本当に有利な主張が組み立てられない場合に「一発逆転を狙ってのうっちゃり」として主張するのが「信義則」「権利濫用」の主張であります。このブルドックの裁判に話を戻しますと、グリーンメイラーなる用語ではなく、裁判所が好んで「濫用的買収者」といった用語を「信義則」とセットにして決定理由のなかで使用しているところから推測いたしますと、やはり「スティールは濫用的買収者である」といった主張責任のあるほうが、相当一生懸命、この「濫用性」つまり、本来スティールの買収行為は正当な活動であるけれども、その行使方法に不適切なところがある、といった「規範的要件」の充足性を裁判所にアピールする必要があったのではないでしょうか。この決定書では、高裁は多くのページを割いて、この「規範的要件」を充足させるべき「評価根拠事実」を認定しておりますが、これは通常「権利の濫用」の主張が認められる際には当然、このような判決文になるはずであります。スティールの属性ばかりが強調されているようでありますが、その「属性」もブルドックの「属性」との比較において、評価根拠事実のひとつにすぎないのではないか、と推測されます。そして、いっぽう「グリーンメイラー」性で敗れることはまずないだろう、と高をくくっておられたスティール側は、この「濫用性」に関する「評価障害事実」もしくは「評価根拠事実を積極的に否認する事実」の主張立証に力点を置いていなかった、したがって、結局のところ「評価根拠事実」と「評価障害事実」とがバランスよく主張立証されていればどうなっていたのか、結論はわからなかった、しかし実際は「評価根拠事実」のみ立証された形になってしまったので、「当事者主義」を基礎とする民事訴訟の原則にのっとり(たぶん仮処分事件における審尋手続きも当事者主義のはず)、裁判所は「スティールはグリーンメイラー、もしくはその他濫用的買収者」である、といった相手方(ブルドック側)の主張どおりに(その主張に拘束されて)に認定した、といった結論に至ってしまったのではないでしょうか(なお、刑法の世界におきましても、違法性が阻却される「正当防衛」と阻却されない「過剰防衛」の区別がありますので、濫用的買収行為に対して防衛策の相当性が求められるのは当然だと思われます)逆に申し上げますと、katsuさんがコメントされているように、スティールがこれまでの日本での活動のなかで、買収行動の後も引き続き株式を長期保有し、その企業価値を向上させた実績などを丹念に主張立証することは、ひとつの「評価障害事実」でありますので、そういった主張を積み重ねれば、スティール側にも有利な事情は斟酌されますので、どういった結論になったかは、(ひょっとすると東京地裁決定のようなルールを定立したとか)わからないところだったのかもしれません。

「会社法という森の中」のすべてを見渡しての意見ではございませんので、本当に拙い意見ではございますが、この高裁決定の中身からしますと、本当の意味で「濫用的買収行為」の先にある買収防衛ルールの中身・・・、このあたりがほとんど語られていないのではないかと思いますし、「濫用的買収行為」というものが果たして買収防衛ルールのなかでのモノサシ(基準)になりうる概念かどうかは極めて疑わしいもののように思えてきました。とりわけ「濫用性」については双方の「属性」から相関関係的に検討する・・・などといった判断枠組みですと、事前交渉ルールのなかで、定立できる基準かどうかはかなり検討を要するように思います。スティールへレッドカードを示した高裁決定は、そのショッキングな決定内容からみて拍手喝采を送る方も多いかとは存じますが(ステークホルダー論なども含めて)、本当に買収防衛策の適法性が認められやすくなったかといえば、実はそうでないのかもしれません。今後の有識者の方々の冷静な分析が待たれるところであります。なお、大杉先生のブログで「濫用的買収者といった用語から『者』をとろう」とのご指摘がありましたので、私もこれからは「濫用的買収行為」と表現しようと思っております。(たしかに、「属性」ばかりが強調されて誤解を招くおそれがあるように思いますし、「罪を憎んで人を憎まず」的発想で防衛ルールを考える大杉先生の考え方には、大きな示唆をいただきました。また、葉玉先生のお作りになったマトリックスも、問題の整理に非常に役立ちました。どうもありがとうございました)

| | コメント (11) | トラックバック (0)

2007年7月10日 (火)

企業の不祥事体質と取締役の責任

(追記:一部訂正がございます)

昨年のいまごろは、ダスキン代表訴訟高裁判決が出されまして、不祥事を公表しなかった取締役や監査役の責任が認められたことで、コンプライアンス経営やクライシスマネジメントに関する議論がさかんに行われたところであります。ある程度、ダスキン事件の話題も出尽くしたかなぁ・・・と勝手に考えていたところ、6月25日の旬刊商事法務におきまして京都大学の北村教授が「違法行為の隠蔽による信用の失墜と取締役の責任」という論文を出しておられ、これを読ませていただきましたが、また新たな論点について突っ込んだ議論がなされておりまして、たいへん刺激的であります。

内容的には過失相殺や損益相殺、割合的因果関係論など、法曹でなければちょっとわかりにくい論点ではありますが、あえてデフォルメして問題点を提示いたしますと、高裁の判断では、実際に食品衛生法違反の事実を「口止め料を払って隠蔽」した取締役2名については、50億円といった賠償責任が認められているが、そういった事実を知りながら公表措置をとらなかった取締役、監査役らに対しては2億円の範囲で賠償責任(全員で連帯債務)が認められている。しかし、これは公平の観点からみておかしくはないか、というものであります。(北村教授の解説部分は以上)

こういった意見から、私自身の推測ではありますが、そもそも担当取締役らが口止め料を払った事実を知っていながら、公表措置をとろうとしなかった取締役、監査役が大半であったのだから、そういった企業はそもそも不祥事隠蔽体質にあり、そのような体質のなかで「口止め料」を払った取締役らは、(たまたま担当者という立場であったために、自身が実行したにすぎず)その口止め料の支払いによって、長期間にわたってダスキン社が営業利益を上げていた以上、(企業自身が口止め料効果によって恩恵を受けていたのであるから)他の取締役、監査役らも「隠蔽を実行した責任を負担すべきではないか」・・・といったところも検討されるべき論点になりそうであります。

私自身、昨年にダスキン高裁判決を検討していたころには、こういった取締役間の責任の公平な負担・・・といった視点にはまったく気がつきませんでした。しかし、よく考えてみますと、北村教授がおっしゃるように、不祥事とはまったく無縁な企業体質と、なにか不祥事があったら隠蔽するのがあたりまえ・・といった悪質な不祥事を生む体質の企業環境とを区別せずに、そこで発生した不祥事への対応について、その隠蔽の実行者だけが極端に大きな賠償責任を負担して、それ以外の取締役は現実的な範囲での責任を負担させる、というのも、なんかおかしいような気もします。その実行者と隠蔽に賛成した者との間において、モラル的な差がそれほど大きなものではない場合が多いでしょうし、また「責任者としての地位」からすれば、企業不祥事を生む企業環境のもとにおいては、会社を守るために「隠蔽工作」に手を染めることにブレーキをかける期待可能性が乏しい場合もあるかもしれません。蛇の目ミシン事件の高裁判決ではありませんが、取締役らが違法行為を犯すことについて善管注意義務違反の事実はあるものの、期待可能性がないために責任を問えない、といった判例もあるわけですから、責任はあるにせよ、その責任の範囲を企業体質を考慮しながら、合理的な範囲に限定しようと考えられるのも、それなりに説得力があるのではないかと思われます。

ただ、もし隠蔽を実行した取締役らの責任が限定されるとすると、「損害の公平な負担」といった見地から、他の取締役らの責任が加重されることになるのかもしれません。そしてその責任が加重される根拠としましては、企業不祥事体質の解消、つまり内部統制システムの構築義務あたりに論点が移ってくるのかもしれません。つまり今度は企業自身の体質が問題視されるわけでして、そこでは内部統制システムの構築に向けて、取締役らがどのように努力していたのか、といったあたりが議論の対象となるのかもしれません。もちろん、「不祥事を発生させやすい企業体質」など、すぐに立証できるものとも思えませんし、また取締役の監視義務違反、といったあたりで公平を図ることもできるのかもしれませんが、ガバナンス体制を見直して、積極的に違法行為の防止のために努力している企業へのインセンティブを考えますと、場当たり的な監視義務違反の問題と考えるよりも、全社的な体制整備の一貫としての「企業体質」を捉えるほうが妥当ではないか、と考えております。

(追記)unknownさんより、北村教授の解説の趣旨が少し間違って紹介されているのではないか、とのご指摘を受けました。たしかに、再度論文を読み直したところ(たとえデフォルメしたものであっても)私の引用に不適切なところがございましたので、一部訂正いたしました。たいへん失礼いたしました。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年7月 9日 (月)

ブルドック高裁決定(速報版)

(ちょっと出遅れましたが)ブルドック抗告審決定が出たようであります。スティールが「濫用的買収者」に該当する、とのことだそうで。私はまだ、この毎日新聞ニュースが伝える決定内容と、大杉先生、磯崎先生のブログあたりしか読めておりませんが、ほとんど内容が理解できませんです。

毎日新聞ニュースを読みますと、防衛策導入(発動)が株主平等の原則に反しない理由としては、「濫用的買収者には差別的な取扱いをしても許される」からなのか、「ある程度の財産的損害の補填をしているのだから許される」のか、ほとんど理解不能であります。(おおすぎ先生のブログを拝読すると、前者のようでありますが)ひょっとすると、財産的補填をしたことは、防衛策の相当性判断のなかでの事由にすぎないのかもしれません。

もうひとつ、素直にこんな疑問が出てこないのでしょうか?(もし、スティールへの財産的補填、という事実が平等原則とはあまり関係ない、とするならば)おそらく今回の「濫用的買収者」という概念は、「グリーンメイラーを含む濫用的買収者」といった概念だと思うのですが、それだったらライブドア事件の際の高裁決定や、このたびの東京地裁決定でも出てくるように「緊急避難的な措置が可能な事例」であって、そもそも株主総会にかけずとも、取締役会決議で発動しても適法(オッケー)だった、ということになるんじゃないでしょうか?

そもそも株主総会で特別決議にかけて、株主総会が買収防衛策を発動したことと、実体法のどこにも出てこない「濫用的買収者」という概念がどこでどう結びつくのでしょうか?もし株主総会主体の対抗措置発動が、「必要性」のところで「濫用的買収者」と結びつき、「特別決議」が「相当性」のところで結びつくのであれば、あのライブドア事件や東京地裁決定の濫用的買収者排斥の論理は修正された、とみるべきなのでしょうか?

そして、この論理からいきますと、防衛策というものが発動されるのは、「濫用的買収者」という「TOBのふるいにかけることにふさわしくない買収者」を排斥するにすぎないわけで、そうであるならば、(買収防衛ルールのあり方としては)買収者側の情報だけを取締役もしくは株主に開示するシステムだけがあれば足りることになり、双方の企業価値向上に向けての計画等を株主に開示する必要はない、ということでしょうか?それとも、「濫用的買収者ではないけれども、TOBのふるいにかけてはいけない買収者」といった概念があって(「濫用的買収者プラスα)、そのプラスαの買収者を排斥するために企業価値比較のための情報開示が行われるのでしょうか?(ちなみに、2005年5月27日の経済産業省・法務省による「買収防衛策の指針」では、その原則として「買収防衛策の導入、発動および廃止は、企業価値、ひいては株主共同利益を確保し、または向上させる目的をもって行うべきである」と明記されております)会社側の役員としては、素直にこのような疑問が出てもおかしくないと思うのでありますが。(また決定全文を読んだ後に、意見が変わる可能性もありますが、ともかく現時点では、上記のような印象しか出てきませんです。)

| | コメント (3) | トラックバック (1)

私的検証・ブルドック東京地裁決定

いよいよ大阪でもMBO関連の事件が始まるようですね。サンスターのMBOについて、少数株主排除に関する価格(おそらくTOB価格と同一)に反対の意思を表明した個人株主の方々が、大阪地裁に対して株式買取に関する価格決定申立を行った、との報道がなされておりました。今後の非訟事件に進行について、果たして大阪ではどうなるのか、今後に注目してみたいと思います。

さて、ブルドック事件につきましては、もうそろそろ抗告審決定が出るはずですし、ニュースやブログでは、東京地裁決定に関する賛否両論の意見がかなり出ておりまして、今後の議論の展開が非常に楽しみになってきておりますが、このブルドック東京地裁決定の内容について若干疑問に感じるところを考えてみたいと思います。結論の当否というよりも、裁判所が定立しようとされている基本ルールに関連する部分であります。もちろん、毎度のことながら、個人的な意見にすぎません。

今回のブルドック・スティール間の差止仮処分事件におきましては、経営権を取得しようとTOBを開始した公開買付者が現れた際に、丸腰だった買付対象企業が急遽防衛策を導入し、かつ防衛策を発動する場面、といった「世界でもあまり例のない状況での対象企業の防衛行為の適法性」が問題とされているわけでありますが、本件では基本的には「急遽防衛策を導入し、発動」する主体は株主総会である、とされております。もちろん防衛策発動の提案は買付対象企業の取締役会ではありますが、定款変更→発動決議といった流れからしますと、「本件新株予約権無償割当は、取締役会の提案に係るものではあるが、その実施は、株主総会の権限に基づきされているから、取締役会の権限に基づき新株予約権の発行がなされた場合についての法理(取締役会は緊急避難的行為として相当な対抗手段を講ずることが許容されるのは、特段の事情があり、それを主張立証しなければいけない、といった法理)は、本件に妥当するものではない」とされております。こういった考え方を基本として、スキームとしての防衛策(平等原則との関係)や、その防衛策を株主総会が対抗手段として講じた必要性、そしてその相当性について検討されている・・・といった流れの決定であると理解をしております。

ところでこの東京地裁決定は、企業の経営支配権の争いがある場合において、現経営陣と敵対的買収者のいずれに経営を委ねるべきかの判断は、株主によってなされるべきであり、その最終判断については諸事情判断のうえで、最高意思決定機関である株主総会にこそ、対抗手段の必要性判断が委ねられるべきである、とされております。そして、そのうえで証券取引法で規定されたルール(TOBにおける公開買付者と対象企業それぞれの情報開示ルール)とは別に、その最終判断者たる株主のための「買収防衛ルール」といったものが両立するんだ・・・といった考え方を示しております。これは決定書28ページから30ページあたりに記述されている理由から読み取れるものであります。たとえば以前私が、ブルドック買収防衛策へのブルドックソースの意見表明報告と附随質問というエントリーで、TOBルール(政省令)では何日までに意見を述べなくてはいけない、とあるのに、その意見表明を留保してさらに質問をする、というのは法令を無視したものであり、ルール違反ではないか?と疑問を呈したところ、複数名の方から「株主への十分な情報開示のためにはやむをえないもので、適正な対応である」といったコメントをいただいていたところであります。そのあたりを東京地裁決定も意識されてか、TOBルールと防衛策ルールとの差異といったものを、きちんとフォローされているようであります。つまり、「公開買付の制度は、投資者の保護の観点から必要な規制を行うものであって、公開買付者に株式の買収について優先的な地位を保障するものではないから、公開買付に応ずるか否かという形での株主の選択権行使の機会とは別に、株主総会における議決権の行使という形で株主の選択権行使の機会を設けることが、証券取引法の趣旨に反するということはできない」とされております。このように、株主には(敵対的買収者が出現した場合には)、TOBに応じるべきかどうか、といった選択権確保の要請とは別に、株主全体の利益保護の観点から、支配権取得行為自体を阻止することへの選択権確保の要請もあるので、対抗手段が許容されるのだ、といった結論とともに、TOBルール以外の対象企業の(対抗措置導入を合理化する)情報提供ルールとしての対抗策の適法性をも示しているものと考えられます。

しかし、もともと裁判所が定立している基本ルールは「誰に経営を委ねるか、ということは株主総会が決定すべきものである」といったところであります。基本的には「Aをとるか、Bをとるか」の選択権を行使することになるはずであります。しかしながら、上記のとおり「証券取引法の趣旨に反することにならない」とされる理由における株主の選択権の行使の内容は「A(本件ではスティール)を確定的に排除するか、それともAとBをさらにTOBによって判断するか」に関する選択権の問題であります。そもそも株主総会の権限として、「AかBか」といった企業価値判断のための選択権がある、とするならば、わかりやすいのでありますが、こういった複雑な選択権行使が果たして一般株主によって判断可能であるのかどうか、疑わしいものでありまして、そもそもそのような選択権がある、と言えるのかどうか、未だよくわからないところであります。(結局はTOBを行うことを前提とした場合に、Aに賛同する株主にとってみれば、Bは「経営支配権の取得が企業価値を損なう」と認めるべき買収者になってしまうわけでして、特別に株主総会で判断しなければならない株主の選択権というものは存在しないのではないか、と考えられませんでしょうか?)

かりに、株主全体の共同利益を毀損するおそれのある買収者を、株主総会の決議で確定的に排除できる選択権がある、としましても、その選択権の行使がたとえば「TOBに進むこと」を選択した場合(つまり、買収防衛策発動決議が否決された場合)には、結局のところ、TOBルールにおける株主の選択権確保の機会が付与されることになって、(3分の2を獲得するにせよ、過半数を獲得するにせよ、TOBの結果に委ねればいいだけの話であって)特別に株主総会決議を必要とする理由はなかった、ということになります。また、もし株主総会として、たとえば「公開買付者の経営支配を確定的に困難にすること」を選択した場合には、TOBルールにしたがって公開買付を開始した者にとっては、法律にも規則にも(また事前交渉ルールにも)書いていないルールによってTOBが不可能な状況になってしまう、つまりTOBルールが機能しない場合を認めることとなり、証券取引法の趣旨と抵触しない、ということではなく、完全に証券取引法と抵触する結果を招来させてしまうのではないでしょうか。私は以前のエントリーにも書きましたが、グリーンメイラーと濫用的買収者の関係について、同じものなのか、違う概念なのか、よくわかっていないところがあるのですが、おそらく「TOBで経営権支配を委ねるべきかどうかを決する資格を有する敵対的買収者」が正当な買収者であるとすれば、それ以外が濫用的買収者、そのなかでも取締役会だけで防衛策導入および発動が可能となるのがグリーンメイラーではないか、と考えておりますが、そうであるならば一般株主に「買付人が濫用的買収者であるかどうか」を判断させる、というのは株主総会における議決の実態から乖離しているのではないかとの疑問があります。たとえば取締役会や独立第三者委員会の意見として、買付人が濫用的買収者であるとの認識のもとで、取締役会における対抗措置発動への「判断」について、株主総会が「承認する」、といったことであれば、「対抗措置の相当性を裁判所が判断する基準」としては理解できるのであります。(これまでの事前警告型の防衛策の多くがこの型ではないでしょうか)しかしながら「濫用的買収者かどうか」といった判断そのものを「株主総会」が行うのであれば、(擬制ではなく現実に)TOBによる経済的利益の獲得機会の確保を超えた株主利益の存在、つまり株主が一枚岩になるほどの共同利益が認められることと、株主総会は「多数者を少数者に」「少数派を多数派に」変えることが可能なほどの議論と(会社と株主および株主間における)情報開示の場が確保されていることが条件ではないでしょうか。現に、今回ブルドック側は、自社の企業価値向上策を株主向けに提出しているのでありまして、「どちらが企業価値を向上させるのか判断してください」と株主に問いかけているのでありますから、一般株主としては「スティールは濫用的買収者だ」と判断したのではなくて、「スティールとブルドックとの比較であれば、現経営陣に経営をまかせるほうが企業価値向上に資する」と判断したはずであります。そういたしますと、裁判所が合理性があるとした今回の株主総会での判断内容と、実際に80%の株主が発動に賛成したという株主総会での判断内容とでは、かなり齟齬があるのではないか、といった疑念をぬぐいきれません。今回は「見た目」の印象で判断すれば、こういったルールでも丸く収まるように思いますが、これが果たしてライバル事業会社、海外の大手の競合会社による買収が行われた場合に、うまく効果的に利用されるルールなのかどうかは、もうすこし考えてみたいと思っております。

(なお、濫用的買収者かどうかを株主総会の判断に委ねる場合の理想的株主総会といったものは以下のような図式で表現されるのではないかと考えております。)

Blog023

しかし、これだけ株主総会の判断が重視されるとなりますと、事前警告型の防衛策を導入していない企業がターゲットとなった場合、その対象企業の取締役の身の処し方についても十分検討しておく必要があると思われます。とりあえず、TOBに委ねるための委任状獲得競争だけでなく、防衛策発動に関する提案をとりあえず臨時株主総会を提出して、そこでの株主の判断(議決)を仰がなければ、善管注意義務違反になってしまうのではないか、といった疑問も付されるのではないでしょうか。(これは言いすぎでしょうか?)また、そういったことになりますと、取締役らにとっては株主共同利益を害する第三者か否か、といったことの判断はすべて株主に委ねますので、ある一定の交渉を行ってさえいれば、それ以上の判断は不要となり、これが株主と取締役との信認関係からみて、本来の姿に近いといえるのかどうか、改めて検討してみたいと思います。著名ブロガーの方々の、この東京地裁決定への評価はおおむね良好でありますので、抗告審の予想も含めて、今後の重要な基本ルールを形成するものと思われますが、どうも私が読ませていただいたかぎりにおきましては、各社の状況や、登場する敵対的買収者の性格などによって、防衛策のあり方にはそれぞれ工夫が必要になってくるのではないか、と思いました。

| | コメント (3) | トラックバック (1)

2007年7月 5日 (木)

JICPA「企業価値評価ガイドライン」

7月3日付けにて、日本公認会計士協会のHPに経営研究調査会研究報告として「企業価値評価ガイドライン」が公表されております。(リンクによる引用は控えさせていただきますので、ご自身でHPにアクセスしてみてください。)このガイドラインは、公認会計士さん方の株式価値評価の際の実施、報告についてまとめたものであります。(ただし「基準」に該当するものではなく、また当然のことながら法的拘束力もありません。なお、公認会計士以外の専門家が利用することを妨げるものではない、とのこと)最初、なにげなくWEB上で読み流そうと思っていたのでありますが、たいへんおもしろい内容だったんで、全部プリントアウトして一冊の本にしてしまいました。

これ、どうなんでしょうか。私が読むかぎり、かなり実務で使えそうな内容ですよね。実に優しく書かれていますよね。評価アプローチと評価法に関する記述もわかりやすいですし、私のような法曹からみると、後半部分の「裁判目的の価値評価業務」と「今後の企業価値評価業務と検討課題」のところがたいへんツッコミドコロも多いですし(まさにブログネタの宝庫!)、非常に参考になる記述が多いと思います。163ページの大部でありますが、今日だけでも約3分の1くらいは、普段参考書として利用しております「MBAバリュエーション」(日経BP社 森生明著)と読み比べながら精読いたしました。こういった実務マニュアルを読んでおりますと、鑑定人(もしくは評価人)が企業価値評価方法として折衷説を採用したとしましても、どういった仮定事実を重視して、その評価方法の比率を高めたのかとか、採用した仮定事実間に矛盾はなかったのかとか、結論に至る過程を逆から辿っていくためのモノサシを提供してくれますし、前提事実を提供する企業側の主観部分と、評価算定する算定人自身の主観による部分などを仕分けすることの根拠にもなりえますので、(これが唯一の基準というわけではないでしょうが)企業価値判断を吟味するにあたってのたいへん貴重な情報が満載ではないかと思われます。

具体的な例であげますと、たとえば上場企業の非公開化手続き、いわゆるMBO(マネジメント・バイアウト)の場面におきまして、公開買付側企業の株価算定書については証券取引法上のルールとしてEDINET上に公開されております。あれはいわゆる「株価算定業務」の一貫としての第三者機関による意見表明報告書の部類に属することになるのでしょうが、それでは対象企業が参考とすべき公正中立な第三者機関の株価算定書はどうなんでしょうか?(この算定書は現状では公開がルール化されておりません)このブログでも何度か話題となりましたが、対象企業の取締役らとしましては、できるだけ一般株主から安い値段で買い取りたいといったインセンティブがはたらくわけでありますが、しかしながら一方で株主利益の最大化を図る必要があるわけでして、この二律背反的な要請が、取締役らの行動として適法であるためには、どうしてもこの第三者機関における公正な株価算定に依拠するところは必要だと思われます。そうしますと、このガイドラインで説明されているところの「フェアネスオピニオン業務」を取締役らとしては、算定人に求める必要があるのではないか、と考えますが、実際のところは公開買付者側の第三者算定書の内容と、自社が依頼した算定人の意見に基づいて、TOBに賛同すべきかどうかの意思決定を行うわけですから、投資意思決定等の参考としての評価額を算定すること、つまり「算定業務」のみを依頼しているものと思われます。このガイドラインの説明によりますと、たとえフェアネスオピニオン業務だとしても、「対象取引価格が公正であることを表明する」にとどまり、その表明が特別な責任を負担するものではない、とのことでありますので、MBOの場面における取締役らの行為規範としましては、一般株主のためには、そこまでの説明義務が要求されてもおかしくないと思うのですが、どうなんでしょうか。(たしか以前に、取締役らが提供する前提事実の信憑性や、将来計画に対する見込みの正確性への調査など、真剣に検討するとなると膨大な費用がかかる・・・といったコメントを頂戴したことはございますが、だからといって何も疑わない、というのもまったくナンセンスのように思います)

また、このガイドラインによりますと、株価算定書といったものが、一般株主の目に留まる可能性があり、企業の無形資産等が社外に流出するおそれがあるために、できるだけ簡潔な算定書を作成することがのぞましい・・・といった記述になっておりますが、これも取締役らの説明義務といった観点からは異論のあるところではないでしょうか。たしかに、一般株主の目に留まる範囲においては、算定要旨のみの記述書として、企業秘密等の流出を避けることが望ましいかもしれませんが、裁判等の文書提出場面においては秘密保持命令やイン・カメラ手続きによって企業価値の流出を防ぎながら、株価算定手続きを争うことは可能でしょうし、そもそも詳細な算定書が記述されること自体が、中立公正な株価算定書作成の信頼性を担保するものでありますので、要旨書とは別途正式な算定書を依頼者側企業に提出すべきではないでしょうか。(鑑定人と裁判所との理想的な対応方法なども記述されておりまして、おそらくこのガイドラインは秀逸なものではないでしょうか。これまで私が単に、こういった研究報告を知らなかっただけなのかもしれませんが・・・)

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007年7月 4日 (水)

ブルドック東京地裁決定全文が公開されています。

(ある経営コンサルタントさんより教えていただきました)債権者スティールパートナーズ(ジャパン・ストラテジック・ファンド)、債務者ブルドックソース間における東京地裁、株主総会決議禁止等仮処分命令申立事件の決定全文が公開されておりますので、お知らせいたします。ご関心のある方は、こちらからどうぞ。

そういえば昨日(7月3日)の日経夕刊では、日興シティグループ証券の方が「スティールとしては現金を受け取って、またTOBを仕掛けるという具合に、会社側に資金的な余力がある限り、同じ手を繰り返せる」と指摘されていまして、このブログで@南大阪さんや、経営コンサルタントさんが指摘していたような問題点は現実に議論されているようですね。また、実際に定時総会の時期だったからこそ、特別決議を集めることができたのかもしれませんが、臨時株主総会の収集が必要だとすれば特別決議による承認がとれたかどうかも微妙かもしれません。そろそろ東京高裁における抗告審決定も出る頃かとは思いますが、まだまだ議論すべき論点は多いと思われます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月 3日 (火)

簡易版COSO内部統制ガイダンス

(7月3日正午 重要な追記あります)

内部統制ルールの実質緩和(?)なる巷(ちまた)の噂と「時を重ねた」かの如く、「簡易版COSO内部統制ガイダンス翻訳版」が出版されております。(監訳 日本内部監査協会、八田進ニ 同文館出版)

Coso 昨年9月25日にCOSO「中小公開企業」向けガイダンスなるエントリーでご紹介しておりましたが、あれから約9ヶ月経過しての出版となりました。どなたかが、コメントで「いまさらガイダンス出したって、もう現場での整備運用段階になっちゃったんだから・・・」とおっしゃっておられましたが、少なくとも上場企業の内部統制担当の役員さんや、常勤監査役さん方には、お勧めの本ではないかと、素直に思います。COSOの基本的な考え方を自社にどう落とし込めばいいのか、それがどういった内部統制の目的達成と関係付けられるのか・・・といったあたりが、もっともイメージしやすい本ではないかと思われます。難点といえば、原文に忠実な訳文ということなんでしょうか、ずいぶんと固い文章になっておりまして、かなり読みづらい箇所があることと、アメリカの監査委員会制度および独立取締役制度を当然の前提として統制環境を説明したり、実際の適用事例などを紹介しておりますので、日本における監査役制度や社外取締役制度との違いを常に意識しておかないと、内部統制報告制度における応用が連想できない、といったところでしょうか。(あと、不備と欠陥に関する分類法にも要注意かも・・・)ただ、このガイダンスはそもそも米国SOX法の適用猶予措置がとられていた米国の中小公開企業向けに、SOX法適用を前提に簡易な基準としてCOSOが作成したものでありまして、「内部統制ルールの実質緩和」との噂が流れるなか(?)、日本では大企業におきましても、十分通用するガイダンスだと思います。すくなくとも、「外部監査人と監査役の提携」が重要視され(ちなみに、八田先生は「月刊監査役」7月号の「全体会議シンポ」におきまして、内部統制報告制度における監査役の役割が最も重要・・・と檄を飛ばしておられました)、また「監査役と内部監査人との連携」も不可欠(ちなみに上記月刊監査役7月号のミスター内部統制こと眞田先生の「監査委員会からみた内部監査人との連携」に関する解説は勉強になりました)と言われているなか、上場企業の監査役の方々におかれましては、この本に書かれている内部統制報告制度のレベルについては、外部監査人や内部監査人との連携協調を実質的に実現可能なものにするためにも、理解することが妥当ではないかと思われます。

第三部の「評価ツール編」もスグレモノだと思いますが、読み物としては第二部のガイダンス編のうち、非常にたくさんの「本原則の適用事例」が掲載されておりまして、これがたいへんオモシロイです。たとえばワンマン経営者の場合には効率性からみた内部統制システムの構築は比較的容易であるが、システムを無視する可能性が高いので内部通報制度の構築を重視している事例とか、売上向上ばかり気にしていて、「管理行為」にはほとんど興味を示さない経営者の場合には、むしろ「売上向上」のための数字チェックのシステムを工夫して、同時に財務報告の信頼性をモニタリングできるシステムも並存させる仕組みなども考えられており(ただし仕組み自体は公認会計士さんでないと考案できないと思われます)、「費用対効果」に留意しながら、財務諸表の信頼性を確保できる仕組みが多数紹介されております。すでに企業の現場担当者の方々は、そのまま整備構築に進んでおられるところかとは思いますが、せめて内部統制報告制度の執行担当責任者や、監査役の方には、今後どういった「緩和や厳格化」などのルール修正がありましても、慌てないでいいくらいの基本的な考え方を身に着けておくべきでしょうし、そのモノサシとしてはこういったCOSOモデルを基本から学ぶことも適当ではないでしょうか。(こういった基本書をもって勉強会を開催するのもいいのかもしれませんね。一般の解説書ですと、自社の事業特性やら、企業規模を忘れて「こういったレベルでないといけない」といったハードルの高さばかりに気をとられてしまいがちですが、この本ですと、まず自社にとっての「あるべき内部統制システム」を考えて、それに見合った自社特有のシステムを構築するヒントが得られそうであります。)

(追記 3日正午)ある方から、「おもしろい記事がありますよ」と教えていただいたのが、日経BP社「内部統制jp」のニュース記事です。さてさて、土曜日の朝刊と、このニュースとどちらが信憑性があるのでしょうかね?(^^;

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年7月 2日 (月)

新株予約権の無償割当と株主平等の原則

(ちょっと本業のほうで準備が忙しく、ブルドック地裁決定もきちんと読めていないままでのエントリーですので、間違いがございましたらご遠慮なく指摘してください。)

内部統制ルールの実質緩和(速報版)」およびブルドック防衛策発動に関するエントリーにたくさんのコメントをいただきまして、ありがとうございました。どちらも続編として書きたいことがあるのですが、とりいそぎ、ブルドックの買収防衛策については、やはり個人的関心が強いものですんで、抗告審決定が出る前ではありますが、考えを整理しておきたいと思っております。なお、コメントをいただいたシロガネーゼさんは、おそらくコメントの書きぶりから拝察するに、決定全文を未だお読みになっておられないままに、意見をお書きになっておられるようです。しかしながら、その指摘されていらっしゃるところは、やはり債権者側(スティール側)代理人より争点として提起されているものばかりでありまして、(基準日問題およびスティールへの現金給付が「利益供与」に該当するか否か)やはり、ある程度こういった問題に詳しい方々の視点というものは、理解が深いぶん、おおよそ問題点の捉え方について共通してくるものなんですね。さすがです。そのシロガネーゼさんが少し触れておられますが、敵対的買収防衛ルールの考え方としましては、米国型だけでなく、欧州型の規制方法についても検討すべきということは合点のいくところであります。ただ現実の解釈論としては、会社法の制度趣旨を基本にすえたものでないと、なかなか裁判所を説得するのはむずかしいように思えますね。(今回の決定を読んでの感想であります)

ということで、ブルドックvsスティールの東京地裁決定への感想のつづき(すいません、しつこいですが・・・)でありますが、タイトルにも書きましたが「新株予約権の無償割当と株主平等の原則」との関係について、少しばかりの疑問がございます。この東京地裁決定を読みますと、一般株主に対して新株予約権を無償割当するケースでは、株主平等の原則の適用がある(平等原則の趣旨が適用される)ことをまず明確にして、つぎに平等原則違反にはらなない例外的な場合があることを指摘し、そして本件がその例外的事由に該当するかどうかを詳細に検討する、といった構成になっております。

ところで、2005年5月27日に出されております経済産業省と法務省共同リリースによる「企業価値・株主共同の利益確保または向上のための買収防衛策に関する指針」の6ページから7ページにかけて、買収者以外の株主に対する新株・新株予約権の発行(買収者以外の株主に対してのみ新株・新株予約権の割当を行うこと)は、株主平等の原則に違反するものではない、と明記されております。たしかに、商法時代における「差別的行使条件のある新株予約権の発行」と、会社法上初めて認められた「取得条項付き新株予約権の無償割当」とではスキームは異なるわけでありますが、この経済産業省、法務省による「買収防衛策に関する指針」で定義されている株主平等の原則とは「株主としての権利について、その有する株式数に応じて比例平等的に取り扱われねばならない」というものでありまして、この定義からみるならば、本件無償割当につきましても、本来一般株主が保有している株式自身の内容への取扱いには変更はないわけですから、そもそも株主平等原則とは無関係ではないかと思われるのですが、いかがなもんでしょうか。地裁決定では、割当前の株式よりも、割り当てられる新株予約権の内容(行使条件に差があること、取得方法に差が生じること)自体にスポットをあてて、平等原則の「趣旨」が適用されるとされているようでありますが、そういった考えであるならば、逆に先の買収防衛指針の例の場合であっても、平等原則の適用場面になるのではないか、と若干の疑問が生じます。また、この地裁決定が会社法109条の解釈において「この規定は、株主としての資格に基づく法律関係においては、株主をその有する株式の内容および数に応じて平等に取り扱わなければならない」ということを「株主平等原則」と定義付けておりますが、この「株主としての資格に基づく法律関係においては」といったフレーズや、平等原則の適用があるとする理由などを読みますと、株主平等の原則を形式的にではなくて、実質的に考えるといった立場ではないかと思われます。つまり、先の防衛指針での防衛策と平等原則の考え方と、この地裁決定での考え方とはかなり立場が異なるものであって、なおかつ、その差は商法時代に認められなかった(第三者割当ではなく、株主に対する)新株予約権の無償割当が行われたから、ともいえない、つまり「株主平等の原則」の捉え方に関する「根源的なところでの違い」に由来するものではないでしょうか。

このあたりは、今後の敵対的買収防衛策のスキームをどう考えるのか、ということにも影響を与えるところと思っております。たとえば、以前このブログでもすこしご議論いたしましたが、D社が株式を長期保有する株主だけに議決権の優遇措置をとるとか、新株予約権を多めに付与するといったことが行われる場合、(エントリーはこちら)たしかに「元」になっている株式に注目するのであれば、誰でも長期保有する機会を付与されているわけであるから、会社側の取扱いには平等原則違反はないとも考えられます。しかしながら、優遇措置にスコープしますと、ある時点の株主については、同じ「株主という資格」を有するにもかかわらず、議決権をたくさん行使できる人と、できない人が発生するわけでして、株主という資格に基づく法律関係においては平等原則違反の状態が発生する、という解釈に向かうのではないでしょうか。

こういった問題をエントリーするのは、ひとつ間違えますと赤面モノのエントリーになってしまいますので(本来もう少し決定書を精読し、文献なども調査すべきであって)たいへん勇気がいるわけでありますが(^^;;、シロガネーゼさんのように「チョコチョコ」っと書いただけで、問題の核心をつくことができるほどの実力者の方々が、私のブログを閲覧されていらっしゃることを思いますと、またどなたか問題点の整理をしていただけましたら、もしくは考え方のヒントを頂戴できましたら、きっと私の同様の疑問を抱いておられる方もいらっしゃると思いますので、幸いであります。(この問題は絶対に、いろんなところで議論されている、と思うのでありますが・・・)

| | コメント (0) | トラックバック (2)

« 2007年6月 | トップページ | 2007年8月 »