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2007年7月31日 (火)

コンプライアンス・トライアングル

さて、昨日ご紹介した『「まずい!!」学 組織はこうしてウソをつく』でありますが、いや実におもしろく、現在ほぼ2回目の読了となりました。これを読んでおりますと、企業におけるコンプライアンス・オフィサー的立場の方が、どのように活躍すべきか、といったことを、ふと考えてみたくなりました。ちょっとしつこいようでありますが、二夜連続のコンプライアンス経営に関するエントリーであります。

今年6月、東京の行方先生とお話をさせていただいたときに、金融機関のコンプライアンスの難しさについて語っていただいたことがあったのですが、タテ割り組織であるがゆえに、上から下への指揮監督関係は整備されており、上司のコントロールの届く範囲においては目立った不祥事は発生しないそうであります。むしろ問題なのは、タテ割り組織の弊害、つまりヨコの繋がりが薄いために、「隙間」の部分の問題を誰も扱おうとしなかったり、忙しいときに別の部署がヒマそうにしていても、なかなか遠慮してしまって、別の部署の応援を頼みにくくなってしまったり、というあたりの問題が、企業不祥事の温床になってしまうわけであります。(このたびの樋口氏の「まずい学」にも、同様の事例が紹介されております)そういったところをカバーするために、社内を横断的に動くことができる職種が必要だと思われますし、それこそコンプライアンス・オフィサーのような資格者の存在がピッタリなのかもしれません。金融機関のコンプライアンス・オフィサーといった立場と同様、一般の会社においてもオフィサーが活動できるかどうかは私もわかりませんが、リスクマネジメント委員会あたりの直轄として、活躍できる方(おそらく現場ではあまり歓迎されない役回りだとは思いますが)がいらっしゃったら、全社的リスクマネジメントの立場からコンプライアンス経営の一端を担える存在になるのではないでしょうか。企業組織のヨコ軸に一本串を刺すような役割を誰かが担う必要はあると思われます。

さて、企業組織にはタテ軸とヨコ軸を想定することはありますが、もう一本「時間軸」というものもコンプライアンスを考えるうえでは想定できるような気がいたします。これは現在、私が数社のIPO企業の支援活動を行っているなかでの感想でありますが、ワンマン経営者以外、一般の企業にはローテーションがありますので、就任早々は「あれもやりたい、これもやりたい」と仕事に対する前向きな気持ち(改革への意欲)でいっぱいの方も多いのでありますが、時間が経過して、そろそろ次の職務に異動するころになりますと、「ちょっと気になることがあるが、もう黙認してしまって、次の人に任せてしまおう」といった気持ちになってしまうケースが多いようです。新たに就任した方も、前任者が積み残した問題点について疑問に思うものの、新しい職務遂行には関係ないということで、そのまま放置してしまって、いつまでたっても不祥事の芽が摘まれないままに違法状態が増幅してしまう、といったケースであります。先ほどの遠慮が「ヨコ軸の遠慮」であるならば、こっちは「時間軸における遠慮」であります。コンプライアンス委員や、リスクマネジメント委員をしていて、こういった時間軸に起因する「隙間」による危機的な不祥事発生のリスクはけっこう多いように感じます。いまのところ、こういったリスクへの対策は思いつきませんが、こういった時間軸における問題につきましても、コンプライアンス・オフィサー的な立場の方々が「引継ぎにおける啓蒙活動、とりわけ後任者の勇気」を社内で根付かせるような取り組みを始めるべきだと思います。私自身は、これまでいくつかの具体的な事例を知っておりますので、そういった事例を多少デフォルメして、社内研修などで対応策を検討してみることが一番手っ取り早い方法かもしれません。

このようにコンプライアンス・オフィサーが一般事業会社で有効に機能するためには、タテ軸、ヨコ軸、そして時間軸の「コンプライアンス・トライアングル」のような発想を基本に据えて検討してみるのもひとつの方法ではないかと思います。なお、この樋口氏の著書の言葉を借りるのでありましたら、「やかまし屋」のような存在こそ、コンプライアンス経営には機能発揮が期待されるのかもしれません。

7月 31, 2007 コンプライアンス経営はむずかしい | | コメント (5) | トラックバック (0)

2007年7月30日 (月)

企業法務と事実認定の重要性(中)

先週末の内部統制監査実務指針関連のエントリーには、日曜日であるにもかかわらず、またhisaemonさんや、critical-accountingさん等よりコメントを頂戴しておりまして、たいへん感謝しております。検討させていただき、ご回答させていただきます。(ありがとうございました)

さて本日のエントリーは、私のブログのなかでは、過去の最もお読みいただいたエントリーのひとつである「企業法務と事実認定の重要性」の続編であります。(前回は6月6日のこちらのエントリーです)前回も、いろいろなご意見や苦言を頂戴しておりましたが、やはりこの「事実認定」問題というのは、私的にはたいへんおもしろい分野であります。「企業不祥事」をとりあげる場合、誰もが「過去の事実(真相)を知りたい」と渇望するところでありまして、その目的は責任追及のため、ということもあれば、企業における再発防止のため、また上場企業の場合には証券取引所から要求される適時開示ルールの履行のため、ということもあるでしょうし、またそもそも真摯に事実の調査をする姿勢自体が「企業の社会的評価の毀損を防止する」目的の場合もあろうかと思います。限られた人的および物的資源を活用して、できるかぎり目的に適合した事実調査を行うことは、企業の危機管理能力として不可欠のものだと思いますし、こういった能力を普段からどうやって社内で高めていくべきか、検討する価値は十分にあるはずです。

こういった分野におきまして、ぜひ社内でお読みいただくことをお勧めしたいのが、最近新書版で出されました「『まずい!!』学 組織はこうしてウソをつく」(樋口晴彦 著 祥伝社新書)。現在警察大学校主任教授(元内閣安全保障室)の樋口氏の『組織行動の「まずい」学』の続編であります。

011079 この本は書名からも明らかなとおり、組織行動の失敗から何を学ぶべきか?というところに照準が置かれておりまして、最近発生した民間企業や公共団体の組織行動上のまずさから大きな社会的非難へと発展した、その経過と原因をわかりやすく分析されております。コンプライアンス関連の書物も、最近の企業不祥事をテーマに掲げたものは数多く出版されておりますが、結論的には「概念的、抽象的なマニュアル的提言」に終わってしまう本が多く、途中で眠くなってしまうものが多いのでありますが、この本の場合、その詳細な事実認定と、著者の本来的に持っておられる常識や専門知識の組み合わせから、具体的な事例を通じて、日本の組織社会がどこでも持っているような「生来的な弱点」を探りあてておられます。結論に至るまでの推論の過程につきましては、読者の賛否両論がありえるとは思いますが、事実を認定することや、事実を解析することのムズカシサが味わえますし、第三者に納得してもらえるような事実認定とはどういった努力の積み重ねによってなされるのか・・・といった点をとても考えさせられる一冊です。

この書物のなかで、危機管理場面における事実調査のための外部第三者委員会は、政治的配慮によっても事実が歪められ、また事実確認の目的によっても歪められる(正確には事実の調査になっていない)ことへの危惧感を述べておられ、著者なりの「外部第三者委員会」の最低限度の要件について提言されておられます。その提言内容につきましては、私自身は異論もございますが、たいへん興味あるところでありまして、今後のエントリー続編におきましても参考にさせていただこうかと思っております。最後のほうでは、最近の内部統制ブームへの苦言もあり、会計士の方やコンサルタントの方々には少し読みにくいところ(?)もあるかもしれませんが、企業経営者の方にとりましては、クライシスマネジメントを学ぶ最適の書物として、この777円の一冊をぜひお勧めしたいと思います。

7月 30, 2007 企業法務と事実認定の重要性 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年7月27日 (金)

内部統制支援と監査人の独立性

(土曜深夜 追記あります)

最新号の経営財務(2829号)の記事によりますと、先日(7月7日)の監査研究学会西日本部会におきまして、内部統制監査の基準をめぐって議論がなされた そうでして、あるCPAの方が「内部統制監査を実施する立場からみた制度上の懸念事項」として①業務プロセスの評価範囲の決定②外部監査人の独立性③他の監査人等の利用④内部統制の有効性評価主体の4項目を指摘されたそうであります。(私も先日のJICPAの監査実務指針を読んでの感想は、まさに上記4点ではないかと思っておりましたので、すこし安心をいたしました。)とりわけ②の外部監査人の独立性は大きな懸念事項のようでして、独立性に関する明確な指針が示されない中で、監査人がどこまで対象企業の(内部統制システム整備構築の)支援が可能であるか、かなり混乱が生じているようであります。監査人の見解次第で、監査人から積極的な支援を受けることができる企業と、そうでない企業との格差が生じつつある・・・といったかなりショッキングなお話であります。

そういえばこの外部監査人の独立性につきましては、先のJICPA監査実務指針の13ページ以下で詳説されているわけでありますが、実施基準の目玉であります「財務報告に係る内部統制構築のプロセス」にしたがって、「どういった行為が法律で禁止されている同時提供禁止行為で、どういった行為が同時提供可能か」といった例示が掲げられております。ここはおそらくJICPAとしましても、公認会計士法24条の2に関係する部分であり、違法性が問題となる場面ですから、相当慎重な配慮が必要な箇所ではないかと推測いたします。しかしながら、この例示というものが実にわかりにくい・・・と感じるのは私だけでしょうか?これを読んで、具体的にどういった行為が非監査業務の同時提供として違法なのか、それとも適法なのか、見事に区別できる先生がいらっしゃいましたら、ぜひ一冊の本にまとめていただくことを切望いたします。私はその監査実務指針に登場している倫理委員会報告第一号「職業倫理に関する解釈指針」(平成18年3月17日)を参照しましても、じつにわかりにくく、思い悩むところであります。

たとえば、以下のような事例においては、監査業務と非監査業務との同時提供に該当するのでしょうか?(なお、私個人としましては、企業側の立場から、できるだけ多くの情報を外部監査人から取得したいところですので、該当しない、といった意見が多いことを祈っておりますが・・・)

1企業担当責任者もしくは担当役員が自己の意思決定をもって、内部統制構築に係る経営者の基本的計画および基本方針を立てたのであるが、これに監査人候補者がコメントを出してきたので、そのコメントをもとに再度、修正して計画および方針を作成した。こういったことを繰り返して、やっとのこと、最終的には「言うべきコメントはありません」との監査人候補者の回答を得た。この場合、監査人候補者が後日、内部統制監査を行うとすると同時提供禁止規定には反しないのか?

2内部統制の構築上の要点や、構築に必要な手順、日程等の一般的な考え方について、監査人候補者が責任担当者、担当役員に対して教育、訓練をした。

3全社的内部統制について、内部統制の基本的枠組みと現状とを比較して、不十分な部分については指摘することは可能とされているが、監査人自らによる内部統制の構築と誤解されないように留意すること、とされている。そこで、担当責任者が、監査人候補者による指摘に基づいて、何度も現状を変更して、最終的には監査人候補者より指摘すべきところがない、といわれるようなシステムを構築した。

こういった問題事例は、このガイドラインを読んでおりますと、至るところで発生するかもしれません。(ほかにも経営者による評価範囲の決定について、直接的支援はできないが、経営者が決定した評価範囲についてコメントを提供することは可能、とされておりますが、こういったコメントを頻繁に求めて、その都度経営者サイドで修正を重ねて、最終的には監査人候補者のコメントが出ない形に整えたことについては、これを実質的に内部統制監査候補者自身が策定したものとは言えないか?等)これまで、このような監査人の独立性がまさに問題となるような事例集のようなものはあったのでしょうかね?このたびの財務報告に係る内部統制の監査基準を考えるにあたって、こういった監査人の独立性に関する論点は、会計士さん方の内々の議論の場では大いに意見交換がなされてきたものと推測いたします。しかしながら、先の研究会でも議論されているように、会計士さんの個人的な見解によって、ある事例では同時提供と解釈され、また別の会計士さんの見解では同時提供ではないと解釈されるとするならば、おそらく対象企業としてはその内部統制への費用負担に大きな差が発生することになってくるように思えるわけでして、大きな不公平感を招く結果となるのではないでしょうか。できれば、先のJICPAの監査実務指針で書かれている具体例をもう一段、わかりやすい「事例集」のようなものに落とし込んでいただき、厳格なのか緩いものなのかは別として、大きく内部統制監査に携わる会計士さん方の見解がブレないような枠組みを示していただけたら・・・と思います。

(追記)こういった財務報告に係る内部統制報告実務関連のエントリーにつきましては、最近は多くのコメントやトラックバックを頂戴する機会が増えたのでありますが、どうも今回のエントリーにはあまり頂戴できないようです。やはり、実務上も、まだ結論の出にくい難問なのでしょうか?すでに試運転の時期も中盤に差し掛かってきた頃ですし、このあたり内部統制実務との関係で、もうすこし明確な指針が必要ではないかと思っております。おそらく会計士協会の監査実務指針の公開草案に関しましても、私のような意見が出されているのではないかと推測しております。

7月 27, 2007 内部統制支援と監査人の独立性 | | コメント (5) | トラックバック (0)

2007年7月26日 (木)

善玉ファンド・悪玉ファンド論

国税庁の見解(株主に対して新株が交付された時点では課税しない)も明らかにされ、ブルドックソースは24日、防衛策手続を開始した、との報道がなされております。高裁決定を受けて、スティールパートナーズが「濫用的買収者」と認定されたことで「悪玉ファンドは退場を命じられた」と評するところも多いようです。そしてまた「ブルドック決定や村上ファンド刑事判決の内容は、ファンドの投資活動に悪影響を及ぼすのではないか」との危惧もあるからでしょうか、最近は「善玉ファンド」と「悪玉ファンド」に分類して、悪玉こそ退場されるべきであって、中長期的視野において企業価値を向上させることに寄与するような「善玉ファンド」は歓迎すべきである、といった論調も目立ちます。先のブルドック事件の高裁決定が、スティールの「属性」を考慮して「濫用的買収者」にあたると判断したことは否めないわけでありますが、この「濫用的買収者か否か」といったところの判断に「買収者の属性」を重視することにつきましては、すこし疑問を感じるところでありますし、もしこういった「濫用的買収者」といった判断基準が今後もなんらかのルールになりうるものとしても、スティールが常に「濫用的・・・」に該当するものとは言えないのでは、と思ったりもしております。

(たとえ話として適切かどうかは皆様方のご判断におまかせいたしますが)離婚事件におきまして、「離婚をしたい」と考えている側は、その離婚裁判におきまして相手方をわざと怒らせるような主張を出して「婚姻を継続しがたい重大な事由」があることを根拠つけようと画策するわけであります。(もちろん、不貞行為や暴力、生活費をいれないなどの悪意による遺棄等に該当する事由が証拠によって明確に立証できる場合には、そのようなことはされないと思いますが)相手方がこれにつられてカッときて、法廷での喧嘩状態になってしまいますと、離婚をしたい側にとっては「しめしめ」と思うわけであります。そういった喧嘩を誘引させるような書面が出てきたときにも、冷静に「事実の存否のみを争う」姿勢を貫くことを勧めることが、相手方代理人にとっても重要なところであります。ところでこういった離婚事件の場合、調停委員などをしてみるとわかるのでありますが、夫も妻も、第三者としてそれぞれとお話をすると、とても常識のある「いい人」でして、どっちが悪人でどっちが善人という区分けは容易ではありません。冷静に裁判を継続した場合、結局のところ、属性というところは無視して、事実の存否によって離婚の成否、慰謝料の金額の多寡等を判断せざるをえないわけであります。

このように自然人(いわゆる生命体としての人間)に例えて考えてみましても、「いい人」と「悪い人」というのは峻別することは困難なはずでありますし、どんな人でも善悪の部分を併せ持っているのが普通だと思います。相手によっても、またその人の精神状態や経済状態によっても、「いい人」であると解釈される場合もあれば、「意地悪な人」と評価される場合もあるわけでして、その人の属性だけを捉えて絶対的な基準で「善悪」を判断することは困難ですし、またたとえ裁判官であっても、そのような判断能力は持ち合わせておりません。「なんであいつと話をすると、自分はこんなに腹が立って、傷つけるようなことばっかり言うのだろうか」と自己嫌悪に陥るようなことは、誰でも一度は経験するのではないでしょうか。またそういった場合、相手もあまりこちらにいい感情は持ち合わせていないのが通常ではないでしょうか。私は「善玉ファンド」「悪玉ファンド」という用語を用いることについては反対はしませんが、どんなファンドであれ、対象企業の取締役との相性や、ファンドの活動過程、そしてファンドに相対する対象企業の行動などによって、「善玉」にも「悪玉」にも変化しうる、つまり相対的な基準にしかならないものだと思います。つまり、スティールPがこのたび「濫用的買収者」だと認定されたことをもって、別の相対企業においても、確実に「濫用的買収者」と認定されるかといいますと、濫用的買収者かどうか、ということは相手との相関関係的判断のもとで決まるわけであり、そのまま他の事件にも妥当する、と考えるのは早計ではないでしょうか。「濫用的買収者」かどうか、といった判断は、ある対象企業からみれば「濫用的買収行為」と評価されたがゆえに、そのようなレッテルが貼られたに過ぎず、ほかの対象企業(たとえば事前警告型の防衛ルールを導入している企業)との関係からみると、「濫用的買収行為」とは評価できない場合というのも、普通に考えられるものと思います。このあたり「善玉」と「悪玉」といったファンドの属性に依存するような区別は、なんとなく誤解を生じさせるような気もいたします。ある企業と大株主である投資ファンドとが良好な信頼関係を築いている時期であれば、その企業にとりましては「善玉ファンド」かもしれませんが、業績が悪くなれば「モノ言う株主」となり、その時点では企業側からみれば「悪玉ファンド」に変化するものかもしれません。

そもそも、「濫用的買収行為」といったものは、ファンドと対象企業とのキャッチボールのなかで評価されるべき規範的な要件であって、ファンド側の属性とか、一方的な行動だけで認定できるような概念ではないように思われます。先日のエントリーでも、なにが評価根拠事実で、なにが評価障害事実になるのか、先のブルドック事件では明確になっていないし、当事者間でも合意されていなかったのではないか、と書きましたが、私はこのような双方のやりとりの経過のなかで、根拠事実や障害事実がピックアップされていくべきもののように思います。どのような一般的評価を受けているファンドであっても、そもそも日本企業を買収するにあたっては、「このようなルールに基づいて手続を実践すれば、TOBによる株主判断までこぎつけることができる」といった道筋を示すことによって、必要以上の萎縮的効果も排除することができ、また市場の活性化へのダメージにならないような最低限度の配慮にもなるのではないでしょうか。「悪玉ファンドは即退場」といったイメージで考えるのではなくて、たとえいままでは「悪玉」であったとしても、日本市場ではこのように「いい子」に振舞えば「善玉」として扱いますよ・・・といったルールを明示するほうが、行動上のインセンティブにもなりましょうし、「金融商品取引法規制下におけるファンドのあり方」について、もうすこし深い議論ができる土壌にもなると思うのですが。

7月 26, 2007 ブルドックソースvsスティールP | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月24日 (火)

内部統制の重要な欠陥と人材流動化リスク

財務報告に係る内部統制の監査に関する実務上の取扱い(いわゆる会計士協会による監査実務指針)につきましては、すでにいろいろなブログでも話題になっているところでありますが、そのなかに「内部統制の重要な欠陥」といった項目がございます。私自身も「内部統制の重要な欠陥」に関する判断指針にはかなり関心を持っております。これまでは、文書化やIT統制といったところに財務報告内部統制の関心が非常に高いところでありますが、いわゆる財務報告の信頼性確保のための内部統制プロセスに関わる「人」の資質というものが、「重要な欠陥があるかどうか」といった企業の有効性判断にどのような影響を与えるのか・・・・というところには、あまり光があたっていなかったのではないでしょうか。(また、これからも、光をあてにくい問題なのではないでしょうか)いくら内部統制報告制度において、文書化やIT統制の整備運用が充実したとしましても、所詮は整備運用に携わる社員に財務的な素養がなければ、有効性評価とは結びつかないはずであります。

そもそも「重要な欠陥」かどうか、といったことも経営者による評価ということになりますが、監査する側からみれば、「経理、財務部門」の専門的能力や人員が不十分であるために、企業の内部統制により識別できなかった財務諸表の重要な虚偽表示を監査人が検出した場合には、その不備が「重要な欠陥」に該当するかどうか、慎重に判断しなければならない、とされております。(実務指針43ページ。ところでまず「企業の内部統制により識別できなかった財務諸表の重要な虚偽表示を監査人が検出した」という結果と、それが「経理財務部門の専門的能力や人員が不十分であった」という原因との因果関係は誰がどうやって判断するのだろうか、容易に判断できるのだろうか・・・といった素朴な疑問が浮かんできませんでしょうか。私はこのあたりでまず理解不能に陥ってしまいました)したがいまして、この人的な資質の問題によって内部統制に重要な欠陥を作らないためにも、企業側におきましても、こういった人的な資質の部分において、内部統制に不備があるかどうかを評価することが不可欠、ということになりそうです。ところで、たとえ経理、財務部門の専門的能力や人員が不十分であるとしましても、内部監査部門が充実しているのであれば、たとえ決算財務報告プロセスにおける資質に関する人的不備が存在していたとしても、その不備は監査人の目にとまる前に是正される可能性があるわけですから、結局のところ、企業における専門的能力や人員が不十分であることに起因する不備が重要な欠陥に該当する可能性は低くなるはずであります。したがいまして決算財務報告上のブロセスにおける人材不足と、内部監査部門(有効性評価部門)における人材不足が競合するようなことを回避することが得策かと思われます。(人的資質という部分に光をあてて企業が「重要な欠陥」と判断できるかどうか、また「重要な欠陥が是正されたかどうか」を判断できるかどうか、という問題は、その資質を評価できる人材が社内に存在することが前提となるはずであります)このように考えますと、経営者評価の問題と、人的資質が「重要な欠陥」のひとつになる、という条件を結び付けますと、決算財務報告プロセスに関わる社員の財務的資質と、内部監査部門の社員の財務的資質とが不可欠ではないかと思われます。

私は上記のように考えているのでありますが、実際に内部統制監査人の方は、決算財務報告プロセスに関与する社員の経理、財務部門の専門的能力だけを判断の対象とするのでしょうか?もし、経営者評価のしくみ、つまり社員の資質が「有効」と評価できる部門の存在を抜きにして、人の資質を監査対象とするのであれば、それはダイレクトレポーティングを採用していない内部統制報告制度とは矛盾しないのでしょうか?また、内部統制監査の目的というものが、財務諸表に虚偽表示を発生させる可能性の高さと、その発生した場合の重大性を判断するところにあるとすれば、この人材流動化の時代に、ある程度の財務的資質を持った人材の流動リスク、といったものも不備の対象になってくるのではないでしょうか?内部統制監査に携わる方々にお聞きしたいことは、まず何をもって「財務的資質」に問題なし、と考えるのか、その判断指針でありますが、そのつぎに、どの領域に、どの程度の「財務的資質」を持った社員が存在すれば、「不備」にはあたらないと考えるのか、その2点であります。

7月 24, 2007 内部統制の重要な欠陥と人材流動化 | | コメント (12) | トラックバック (0)

2007年7月22日 (日)

監査役の権限強化は第2のJ-SOXとなるか?

(日曜午前 追記あります)

監査役サポーターさんも思わず唸った・・・という土曜日日経一面記事でありますが、私もかなり驚いております。法制審議会を経て、早ければ来年の臨時国会に会社法改正案が提出され、監査法人(公認会計士)さんの選任権および報酬決定権を監査役固有の権限とする、といった内容になる模様であります。先日の監査法人改革の際にも、金融庁サイドでは監査制度に内在する矛盾(監査される者が監査法人の選任権や報酬決定権限を有しているのであれば、厳正な監査は制度的になしえない・・・といった「ねじれ現象」のこと)を解消するために、会社法を改正して独立性を有する監査役へそれらの権限を移すべきである、との意見が出されておりましが、まぁ、現実の監査役のあり方からみて、法務省が監査法人の独立性強化のために監査役制度を改正することは当分ないだろう、と思っておりましたので、「これはひょっとして米国SOX法301条の到来か?」(ちょっと大袈裟ですが・・・)と、この日経朝刊の見出しをみて、ちょっとビックリした次第であります。(ただし「日興上場廃止へ」のときも、「内部統制ルール実質緩和」のときもたしか大見出しの一面記事だったはずでして、このエントリーもなにげにおそるおそる・・・といったトーンになってしまいますが)

本当にこういった制度改革が実現するとなりますと、とても短いエントリーでは書けないほどの多くの論点があると思っておりますが、私自身の第一印象の感想としましては以下の2点であります。ひとつはそろそろ管理行為(注 会社の活動自体を収益獲得行為と管理行為に分類した場合の管理行為のことを指しております)の一貫としての「監査役制度」といったものが上場企業に出来上がってもいいのではないか、というものであります。大企業の場合であれば、それこそ監査役事務局の体制も整備され、外部専門家を監査役自身が選任できるようなところもあるかもしれませんが、それはほんの一握りの企業に過ぎないと思っております。一昨日の村上ファンド事件の東京地裁判決のなかで、裁判所はMACの監査役が村上氏に対して、アクティビストとしての活動と、投資顧問業としての活動とは(インサイダー取引や利益供与禁止規定違反などに触れるリスクが高まることを回避するために)分断すべきである、との意見を述べていたにもかかわらず、(村上氏は)これを聞き入れなかったことをたいへん重要視しております。監査役の存在というものが、あまり明るみに出ないことが多いなかで、このように経済刑法が問題とされている裁判例として、監査役の社内における意見陳述の事実を大きく採り上げられたところはたいへん新鮮に感じました。チャイニーズウォールが敷かれているかとか、アームズレングス・ルールが取引上で守られているか等、おそらく今後の上場企業の業務監査においては、とりわけ監督責任を果たせるプロの監査役が必要ではないかと考えておりますし、たとえば会計監査の部分においては、監査法人と連携協調して不正監査を防止していけるかどうか、といったところも重要なプロとしての要素だと思われますので、監査法人の選任権や報酬決定権の保持といったところも、「プロの監査役」が期待されている制度改革の一部分であると考えております。

もうひとつの感想は、「これまでの監査役の権限強化の歴史と、今回とはどこが違うの?どんなに変更してもなにも変わらないのでは?」といった問いに対する答えであります。これまでの1974年以降の監査役制度の変遷は、会社不祥事が社会問題となるたびに生じたものでありますので、このたびも「会計不正への対応」という点では同じようにも思われます。しかしながらこのたびはコーポレート・ガバナンスに関する世界的潮流(ガバナンスは企業パフォーマンスに影響を与える)に合わせての監査役制度改正という面も大きいのではないでしょうか。※1 ガバナンスに対する社内、社外からの「評価」というものを気にしないわけにはいかない時代になりつつあると思いますし、不祥事対策も「不正者への責任追及」から「プロセスチェック(リスク管理)による未然防止」へといった傾向にありますので、監査役会の構成(たとえば、財務専門家の監査役が存在するか)とか、監査役スタッフの構成(常勤監査役の周囲のスタッフはどうか、外部専門家によるサポートはどうか)など、いわゆる「プロとしての監査役制度が整っているかどうか」が、企業価値そのものへの評価のひとつになる時代が来るのではないか、と考えております。したがいまして、会社法や規則が改正されれば完結するものではなく、証券取引所規則によって、あるべき監査役制度の構成とか、その開示方法を提示したり、監査法人側からはあるべき連携協調のためのシステムが提案されたり、いろいろな民間レベルでのルール作りのなかで、監査役制度のあり方が模索されていくのではないかと思います。今回(もし本当に法改正があるのでしたら)の監査役権限強化への法改正が、そういった流れになる「きっかけ」となれば、これまでの「不祥事防止対策」とは少し違った「監査役制度の変遷」になるのでは・・・と期待をしております。(それにしましても、最近よく話題になります「公開会社法制定への動き」との関係はどうなるんでしょうかね?)

※1 7月20日まで、35回にわたって日経新聞に「新時代の企業統治」といった「やさしい経済学」が連載されておりました。こちらでも、企業統治の評価と企業パフォーマンスの関係がひとつの論点として採り上げられておりました。

(追記)メールにて、監査役制度が会社の「管理行為」とは、そもそも不適切な陳述である・・とのご意見をいただきました。もちろん私は「執行機関に管理されている」という意味で使っているものではありませんが、誤解を招くおそれがありますので、注記を付加いたしました。ただし本文で述べておりますとおり、最近のガバナンスの問題が業績や株価に影響を与える、といったことを前提といたしますと、厳密に収益獲得と管理行為を分けることができるかどうかは異論もありかもしれませんが。

7月 22, 2007 監査役の権限強化と会社法改正 | | コメント (12) | トラックバック (0)

2007年7月20日 (金)

村上ファンド、東京地裁決定の影響度(1)

すでにご承知のとおり、東京地裁で村上ファンドの元代表村上氏に対する実刑2年追徴金11億という有罪判決が出ております。基本的な構成要件を整理しますと、

証券取引法167条「公開買付者等関係者等のインサイダー取引規制」が問題

公開買付者等関係者等←①公開買付者等には、議決権数ベースで5%以上の株式の買い集め行為者も含む②「関係者等」には、関係者から情報の伝達を受けた者も含む(以上、証券取引法167条3項、および施行令31条参照)

公開買付等事実の発生後、公表前に(売却、買付の時期的制限) ←つまり、この時期にインサイダー取引の故意が認められなければならない

当該公開買付等事実を←公開買付等(ここでは買い集め行為)事実とは?←①業務執行を決定する機関が②買い集め行為実現への決定行為にいたること

「知りながら」 ←決定行為の実現可能性を認識していなければ故意があるとは認められない(なお、実現可能性は「決定があった」という事実認定にも影響している模様)

現実に、有価証券の売買、買付を行い、その後当該公開買付等事実が公表されたこと。ただし、買い集め行為者の要請を受けて、応援買いをする者については適用除外とする。

と、いったところでしょうか。(間違いがございましたら、ご指摘ください)

そこでまず「公開買付者等関係者等」につきましては、村上氏が「伝達を受けたか」どうかが問題となります。それから実行行為時に故意が認められる必要がありますが、逮捕事実によりますと、平成16年11月9日から翌17年1月26日にかけての約193万株の