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2007年7月30日 (月)

企業法務と事実認定の重要性(中)

先週末の内部統制監査実務指針関連のエントリーには、日曜日であるにもかかわらず、またhisaemonさんや、critical-accountingさん等よりコメントを頂戴しておりまして、たいへん感謝しております。検討させていただき、ご回答させていただきます。(ありがとうございました)

さて本日のエントリーは、私のブログのなかでは、過去の最もお読みいただいたエントリーのひとつである「企業法務と事実認定の重要性」の続編であります。(前回は6月6日のこちらのエントリーです)前回も、いろいろなご意見や苦言を頂戴しておりましたが、やはりこの「事実認定」問題というのは、私的にはたいへんおもしろい分野であります。「企業不祥事」をとりあげる場合、誰もが「過去の事実(真相)を知りたい」と渇望するところでありまして、その目的は責任追及のため、ということもあれば、企業における再発防止のため、また上場企業の場合には証券取引所から要求される適時開示ルールの履行のため、ということもあるでしょうし、またそもそも真摯に事実の調査をする姿勢自体が「企業の社会的評価の毀損を防止する」目的の場合もあろうかと思います。限られた人的および物的資源を活用して、できるかぎり目的に適合した事実調査を行うことは、企業の危機管理能力として不可欠のものだと思いますし、こういった能力を普段からどうやって社内で高めていくべきか、検討する価値は十分にあるはずです。

こういった分野におきまして、ぜひ社内でお読みいただくことをお勧めしたいのが、最近新書版で出されました「『まずい!!』学 組織はこうしてウソをつく」(樋口晴彦 著 祥伝社新書)。現在警察大学校主任教授(元内閣安全保障室)の樋口氏の『組織行動の「まずい」学』の続編であります。

011079 この本は書名からも明らかなとおり、組織行動の失敗から何を学ぶべきか?というところに照準が置かれておりまして、最近発生した民間企業や公共団体の組織行動上のまずさから大きな社会的非難へと発展した、その経過と原因をわかりやすく分析されております。コンプライアンス関連の書物も、最近の企業不祥事をテーマに掲げたものは数多く出版されておりますが、結論的には「概念的、抽象的なマニュアル的提言」に終わってしまう本が多く、途中で眠くなってしまうものが多いのでありますが、この本の場合、その詳細な事実認定と、著者の本来的に持っておられる常識や専門知識の組み合わせから、具体的な事例を通じて、日本の組織社会がどこでも持っているような「生来的な弱点」を探りあてておられます。結論に至るまでの推論の過程につきましては、読者の賛否両論がありえるとは思いますが、事実を認定することや、事実を解析することのムズカシサが味わえますし、第三者に納得してもらえるような事実認定とはどういった努力の積み重ねによってなされるのか・・・といった点をとても考えさせられる一冊です。

この書物のなかで、危機管理場面における事実調査のための外部第三者委員会は、政治的配慮によっても事実が歪められ、また事実確認の目的によっても歪められる(正確には事実の調査になっていない)ことへの危惧感を述べておられ、著者なりの「外部第三者委員会」の最低限度の要件について提言されておられます。その提言内容につきましては、私自身は異論もございますが、たいへん興味あるところでありまして、今後のエントリー続編におきましても参考にさせていただこうかと思っております。最後のほうでは、最近の内部統制ブームへの苦言もあり、会計士の方やコンサルタントの方々には少し読みにくいところ(?)もあるかもしれませんが、企業経営者の方にとりましては、クライシスマネジメントを学ぶ最適の書物として、この777円の一冊をぜひお勧めしたいと思います。

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コメント

私は「裁判員制度」に関してはあまりに拙速に過ぎるということで
反対の意見を持っております(そもそも有権者の大多数が望んでいない
制度を何故最高裁は強引に進めるのでしょうか?法曹界の一種の国民への
責任転嫁なのでしょうか)。
ただ、その理念そのものは正しいと思っています。学校教育を通して
公正に物事を視るというのはどういうことなのか、ディベートはいかに
して行うのか、などを子供たちに勉強させて、その子供たちが成人した
時期に段階的に(裁判員というより)「陪審員制度」を復活させるべき
かと思っております。
時間がかかり過ぎやないの?と言われそうですが(笑)、
これもまたこの国のカルチャーを大きく変えることになる問題なので
十年単位の時間がかかって当然なのです。

で、この「外部第三者委員会」とやらも政府が勝手に作る各審議会と
同じで、どこか胡散臭いように見えてしまうのも、意見をちゃんという
会議という習慣が根付いていないその裏返しのような気がします。

ディベートの訓練というのは、相手の立場に立つという意味でも
相手の出方を図るという意味でも、とても大切なことなのですが、
ネット上の不毛な論争(ではないですね、言いっぱなしの非難)を
見るにつけ、「日本はそういうプロセスを経ないまま、ブログの時代、
つまり個人が意見を勝手気ままに発せられる時代になってしまったんだなあ」
と思ってしまいます。

結論ありきではない会議って、どれだけこの国にあるんでしょうかねえ。
会議では結論が決まっている。不満は居酒屋かブログで発する(あ、
それって、いまの私じゃないか(笑))。


第三者委員会に限らず、そういう会議はまず人選。誰をメンバーに入れるか
という以前に誰が選ぶかという選ぶ人自体の人選のほうが大事でしょう。
そして、そういう会議を有効に機能させるには良きファシリテーターを
育てることから始めないといけないように思います。
自由で闊達な意見が全ての参加者から出て、その議論を戦わせる。
しかし不毛な会議にはしない。可能な限り議事は開示する…。

こういう訓練ってもっと学校で受けとけばよかったかな。
それとも訓練の問題ではないのでしょうか。

投稿: 機野 | 2007年7月30日 (月) 10時32分

最近は高校の授業でも法学教育を取り入れたり、日弁でも「裁判甲子園」を開催したりして、ずいぶんとディベートなどにも力を入れるようにはなってきました。やはり裁判員制度の導入にあたって、なんらかの啓蒙活動をしなければならない、といったあせりからだと思います。
第三者委員会については、おっしゃるとおり、人選は困難ですよね。事実認定が一筋縄ではいかないことの証左だと思います。意見におよぶものであればなおさらです。みなさん、利害関係者の代表者(?)みたいな感覚で登場されますので・・・だからこそ、客観的な証拠評価方法といった理屈もまた勉強しなければいけないのではないかと思います。

投稿: toshi | 2007年7月31日 (火) 02時26分

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