TBS「不二家報道」に関するBPO報告書
(8月7日 午後追記あり)
放送倫理・番組向上機構(BPO)における放送倫理検証委員会が、例の『朝ズバッ!』における不二家報道の件で、委員会としてははじめての決定を出しております。(TBS「みのもんたの朝ズバッ!」不二家関連の2番組に関する見解)5月に不二家の信頼回復対策会議が審理申立を行い、6月8日に審理開始決定が出されておりましたので、約2ヶ月での決定ということになります。この委員会における審理目的が「国家権力による放送の自由侵害から、メディアを守るための自浄的作用を機能させること」や、最終的には一般視聴者が事実誤認に陥ることを防止することを目標としていることなどから、捏造かどうか、といったことへの委員会の見解にはいろいろと意見が分かれるところではないかと思いますが、文章や構成がとても上手ですし、25ページにわたる意見書の内容はたいへん参考になるところが多いと思います。
とりわけ一般企業の法務、コンプライアンス担当の方には、ぜひ一読されることをお勧めいたします。といいますのも、内部告発を受領した企業の対応策について考えさせられるところが大きいと思われます。たとえば内部通報制度に基づいて、企業の窓口が社員より不正事実の申告を受けたとき、その内容が真実であることをどうやって証拠によって担保していくか、証人的立場にある人物からの聞き取りについてはどのようにすればよいのか、窓口から事実認定者まで、中間に介在する人が多い場合、どのような結果になってしまうのか等、内部通報制度自体の運用方法などを考えさせられるところであります。また、今後は逆に、マスコミが内部告発によって察知した事実について、マスコミから真偽に関する意見を求められた場合、企業としてはどう対応したらいいのか、といったクライシスマネジメントのあり方についても示唆に富む内容であります。(参考となる記載がありますのは、11ページから14ページにかけての部分)
ただ、いくら再発防止策の提言がメインではないとしましても、TBSは10年前に坂本弁護士ビデオ問題を契機として「放送のこれからを考える会」を外部有識者を中心として立ち上げ、そこでは再生のための行動指針をうたっております。そこでは報道番組やワイドショーにおける取材ルールを確立したり、品性のある番組作りをこころがけること、放送や報道についての社会の問題提起に対し、説明責任があることを宣言されております。今回の不二家事件において、クレームから謝罪まで3ヶ月もの時間を要した点につきましては、どう説明されるのか、この10年前の行動指針では、今回のような場合にTBSはどのように対応することが要求されており、その要求にしたがって今回も行動されたのかどうか、行動したにもかかわらず、事実解明には合理的な限界があったのかどうか、まず説明をTBS側に求めることが先決ではないかと思うのでありますが、そのあたりについてはなんら触れられておりません。(ちなみに、10年前の坂本弁護士ビデオ事件の際には、坂本弁護士のビデオを事前にオウム幹部に見せた・・・という事実をTBSが認めるまで5ヶ月を要しました。このあたり、とても気になるところであります。)内部告発に基づく報道に不十分さが認められるものの、その不十分さは個人的資質に帰すべき事柄ではなく、番組制作体制そのものが内包する深刻な欠陥である・・・とこのBPO報告書は結論付けておられますが(23ページ)、もしそうであるならば、あれだけ世間を騒がせた不祥事から10年経過した現在、TBSの再発防止策が、このたびの騒動について機能していたのか、いなかったのか、その検証をしなければ「深刻な体制」だったのかどうかも十分把握できないように思われます。
(追記)7日の朝刊は、どこも本件をかなり大きく採り上げているようです。ネットで読めるニュースとしては、産経WEBのこちら や こちら がかなりよくまとまっているように思います。7日「朝ズバッ!」では、あらためてTBS側よりコメントが出されたようですが、本当に国家権力による放送の自由侵害を自らの手で守るのであれば、この程度のコメントではすまなくなると思われますし、不二家ではなく、一般消費者、視聴者の知る権利を第一に考えるのであれば、さらなる独自の調査報告が必要ではないかと思いますが、いかがでしょうか。
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コメント
「朝ズバの見解」を読んで、一つ感じたのですが、結局は不二家は10年くらい前には「チョコレートの再利用をしてた!」ってことになっているようですね!取材の難しさはよく分かる。情報不足!裏付けが足らない!結局は、面白くなるように構成する・・・テレビの鉄則ですよね!「やらせ」や「捏造」じゃなかったし、不二家とも和解できたようだし、良かったのでは?和解できないでモメ続けると結構大変なんですよ!しょせんは、制作会社の責任ですから・・・
投稿: 竹村 | 2007年8月 7日 (火) 11時25分
竹村さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
たしかに、すでに和解的な解決がなされているところで、この報告書が出てきたところに意味があるようですね。この報告書は、不二家とTBSがあいまいなままに和解的な解決をはかろうとしていることについてかなり不満を表明していますよね。
この委員会の最終目的は、一般視聴者や消費者に誤解を与えかねない情報提供をうやむやなままに放置することは不適切だとして、今後のTBSの更なる行動を求めているようです。おっしゃるように、内部告発者が存在して、その告発内容もある程度は信用できる状況にあったのかもしれませんが、ほかの客観的な証拠とつきあわせると、TBSとしてはもっと消費者へ正確な情報を提供することで、不正確な情報を提供した会社としての責任をまっとうできるのではないでしょうか。謝罪というのは、事実を誤って伝えたから謝罪するならわかりますが、誤っていたとは明言されていないわけですから、謝罪の後も、当然のことながら事実を調査して報道する責任があるということではないかと思います。
投稿: toshi | 2007年8月 7日 (火) 12時49分
郷原教授が以前から指摘していた、放送局のコンプライアンス意識の欠如、企業不祥事等におけるマスコミ報道の問題点に関する主張など、一連の精力的な活動の一つの成果と見ることが出来るかと思います。
委員会自体は、非常に多角的かつ緻密に検証しており、調査の観点等は非常に参考になりました。マスコミの取材のあり方の問題点については、以前より様々な業務を通じて感じているところですが、裏づけ調査の不十分さ、「伝聞」と「事実」の使い分け、コメンテーターの断罪的言論など、見事に報道局の過剰演出、歪曲報道の根本をついているかと思います。個人的には、逆にこれをドキュメンタリーで放送したら非常に面白いかな・・・と思っています。
「伝聞」と「事実」の使い分けや「事実」と「推測・意見」の区別は、基本中の基本だと思うのですが、これこそがまさに「情報操作」のテクニックとして、意図的に彼らが自分たちの良いように解釈しているところなのかもしれません。
それにしても、この見解の中でも述べていますが、司会者のジャーナリズムのあり方を履き違えたスタイル、問いかけや問題提起に留めるべきところを断言する姿勢など、放送に携わる本人の意識、モラルなどで、本来あるべき姿とかけ離れた現実が横行している点は、マスコミ側も猛省すべきだと思います。
歯に衣着せぬコメントで人気を集める司会者はたくさんいます。彼らは言葉を売りにしてその地位を気づいているのですが、本当の言葉の怖さ、言葉の重みを知らない(知っていても、屁理屈で問題を直視しない。この見解にも、司会者からの回答が紹介されていますが、自己弁護、詭弁ばかりで反省は感じられません)のではないかと感じてしまいます。政治家の失言を寄ってたかって批判していますが、情報番組等での失言の方が多いのではと個人的には思います。
それにしても、企業にとっては、危機広報、クライシスコミュニケーションは非常に重要な課題であると共に難しい局面でもあるわけですが、どうして放送局、特にテレビ局は、クライシスコミュニケーションが下手なんでしょう。手本となるようなクライシスコミュニケーションを見てみたいものですが、自分たちが間違っている、正面からそのことを直視して改善していこうという意識が薄いために出来ないんでしょうか。ぜひ、多くの司会者には、人間論的な内容を説教めいた口調で話す前に、一人の素晴しい人間として、大人の責任の取り方、謝罪の仕方を実演して欲しいものです。
投稿: コンプロ | 2007年8月 8日 (水) 18時15分
コメントありがとうございます。>コンプロさん
検察の不祥事とマスコミの不祥事について、真摯な態度で事実訂正がなされ、また再発防止策が講じられる世の中であれば、かなりレベルの高い「表現の自由」王国が誕生するように思います。(私はかなり諦めムードに近いものを抱いてしまいますが・・・)
郷原教授の見解は、コンプロさんのおっしゃるとおりだと思います。ただ、今回はこの委員会の性格や、不二家とTBSが和解的解決をすでにはかっていた事情と、この郷原教授の意見とが、どうもミスマッチしているように思えてしかたありません。きちんと議論が整理されるには、もうすこし議論の前提を説明する必要があるように思いました。
投稿: toshi | 2007年8月 9日 (木) 02時54分
プロの議論に、市井の人間が割り込んで申し訳ありません。
いつも、プロの議論の深さに感心しております。
今の日本に最も必要とされる資質として、正義感や勇気があると思います。誰でも、意味とその大切さを知っていると思いますが、日常の中にそれを実践する機会はいくらでもあるのに、私を含め、多くの日本人はそれから、逃げているような気がします。
本件についても最終的には和解することになるにしても、両者の公共性の高さからすれば、すべてを明らかにし、問題は何で、どうすべきであったかを当事者が明らかにすべきであったでしょう。そうすることにより、両者の信用は相当落ちるでしょうが、それは当然の報いとして受け入れる「勇気」が必要でしょうし、それを改めることによって、より立派な企業、報道人になるという覚悟も必要でしょう。
過日、宋 文洲さんのメルマガに「勇気とはフェアのために何かを失っても構わない寛容です」という定義が出ていました。間違いや失敗を認める「勇気」、また許し難い被害や損害を許す「勇気」、それには、何かを失ってもよいという「寛容」が必要なんですね。
私を含め、多くの日本人に、この何かを失ってもよいという「寛容」がないために、「勇気」を実践できないのですね。
市井の人間として、小さな事しか出来ませんが、少しでも勇気を実践出来ればと考えています。
引き続きのご議論・ご活躍を期待します。
投稿: yoshi | 2007年8月10日 (金) 11時25分
結局のところ、「捏造」したって、間違った報道をしたって、視聴率が取れてスポンサーがいてくれさえすればテレビ局は何も問題ないんですよ!この構造を崩すような罰則的な社会的制裁を作らないと今後も何も変わらないでしょう。例えば、問題があった番組に関わったスポンサーは、1年間、テレビ番組のスポンサー禁止(スポンサーに対する処罰)、更に2年間、そのスポンサー企業が、そのテレビ局の番組のスポンサーになることができなくなる(テレビ局に対する処罰)。とか、スポンサーとテレビ局を引き離すことを考えなければテレビ局は変わらないでしょう。そうすることで、今まで全てテレビ局に任せきりだったスポンサーのチェックなど新たなチェック機能ができると思われ、内部統制が少し有効になることもあるかもしれません。とにかく、テレビという世界を限定で考えてみましたが、問題を起こすと収入がなくなる、という危機感を与えた方が良いと思います。そういうことがないから、「視聴率三冠王」とか社内に貼って(それって○○)視聴率ばかりを考えた番組作りをするようになるのだと思います。
投稿: 竹村 | 2007年8月10日 (金) 13時48分
yoshiさん、はじめまして。コメントありがとうございました。
私自身も、たしかに逃げているところがあると思います。その逃げる理由を「家族のため」とか「事務所のため」といったところに求めている自分がいます。
本件へのご意見につきましても、まったく同感であります。自分の所為によって、先輩が長年築き上げてきた会社の名誉を貶めることになるかもしれませんが、それが本当に組織のためになるのであれば、堂々と行動する勇気こそ必要です。ダスキン事件などを読んでおりましても、私は同様の感覚をもちました。
「人とおつきあいすること」の重要さは、こういった勇気を実践されていらっしゃる方が、ときどきいらっしゃることを知るところです。それこそ、勇気をいただく機会に恵まれるときがありますよ。
プロの議論とおっしゃるほどのものでもありませんので(コメントされる方にはもちろんプロの方も多いのですが)、また気軽にコメントをお願いいたします。
投稿: toshi | 2007年8月10日 (金) 14時01分
広告代理店の業界も、放送業界も、ここ5年くらいの予想としましてはあまり外資による圧力を受けることもありませんし、寡占化のなかで、営業に関する熾烈な争いというものは出てこないような気がします。
こういったなかで、スポンサーさんが番組作りにチェックをいれることにどれだけ期待ができるものか、(たしか「あるある」の調査報告書でも触れていたかと思いますが)とりわけ視聴者へ良質な番組を提供するといった視点からは疑問を感じますね。
あるある調査報告書でも出ていましたが、あるプロデューサーさんが担当している間は、ほとんど受託会社によるグレーな番組作りはなかったんですが、そのプロデューサーさんがおやめになった直後から、いろいろと問題が発生してきた・・・ということでしたよね。外からの規制に限界がある業界については、やはりこういった「人」に頼るところが大きいでしょうし、またそういった「人」を適材適所に配置できる「人」もまた、必要なのかもしれません。
投稿: toshi | 2007年8月10日 (金) 14時24分
おそらく3つの方向性があると思います。
1つは、法的な対応。免許業種ですので、やはり免許業種にふさわしくないことがあれば、それ相応の対応があるべきです。その際、手続の公正さ、透明性、客観性などを確保したうえで、信頼される判断が示されることが必要だと思われます。
報道の自由、公共性はもちろんですが、歯止めも何もないのはやはりおかしい。(同じことは、弁護士などの専門家にもいえます。規制などによる弊害を議論することは重要ですが、聖域を作ることの問題も視野に入れた議論が必要でしょう)。
2つ目は、上記法的対応はいわば最後の砦ともいうべきものであって、業界内での自主的な対応で、できるだけ対処するのが望ましいというあり方。報道機関に政治や行政が介入することになることに伴う弊害を勘案すれば、こちらがしっかり機能すること、実効性があることを対外的に示していければ、望ましいあり方といえるでしょう。
3つ目は、社会的な対応。
スポンサーは、言ってみれば、その番組に対して資金的な援助をしているわけですから、完全に責任がないとはいえない。その意味で、間接的(あくまで間接的というべきでしょう)に、道義的責任がある。
そのことの認識を欠くことが明らかになれば、それは今度は消費者側がそのスポンサーに対して、Noを言う、という対応が考えられるのではないでしょうか。
一人ひとりの意識として、そういうスポンサーの提供する商品やサービスを購入するか、それとも選別するか。小さいことの積み重ねであっても、そういう形で意見を個人も表明していくことは可能ではないでしょうか。
なお、スポンサーが番組の内容そのものをチェックするのは、放送の公共性から問題だと思われます。そうでなくても、スポンサーの意向を反映して、偏向したと疑われかねない番組編成があるかもしれないという事情が多々あるようですから。むしろ、スポンサーは一定の距離を置くべきでしょう。そのうえで、内容そのものを云々するのではなく、番組の編成(下請けだからというのは放送局の社会的責任からは許容されないでしょう)に問題があれば、スポンサーを降りる形も検討する必要があるかもしれません。そこは、スポンサー側の経営判断でしょうから、当不当の問題はあっても、適法違法ではないですね。また、内部調査に対して、不十分であれば、それなりの対応をすることもあっていいのではないでしょうか。それも含めて、スポンサー側のメディア・PRとして、しっかりした対応が求められていると考えるべきでしょう。
それぞれ一長一短、でもそれぞれの性質に応じた対処が、相互に補完しあって改善されるのがいいのではないか、と。
問題が起きたことは残念ですが、それが改善につながることが分かれば、信頼性を増すことができるわけで、それをし損なうと、やっぱりこの会社は、という評価につながってしまう。結局は、最終的にはレピュテーションにかかる問題(reputational risk)につながる問題でしょう。
次期の株主総会で、経営陣の対応のあり方については、説明を求めるのが当然に求められるでしょう。それでだめであれば、やはり交代の問題が浮上するということでしょう。
そして、そういう会社が買収防衛をすることについても、大きな問題が生じかねないですから、経営陣が信頼される形でしっかりされることが大事というべきでしょう。その意味で、どうするかは、現時点で大きな経営課題なのかな、と。ちょっと脱線しましたが、そういう視点で、買収防衛策の問題も考えることになるかな、と。
投稿: 辰のお年ご | 2007年8月10日 (金) 18時15分
辰のお年ごさんのご意見を拝読して、不正会計に関する企業と証券会社と証券取引所との関係を想像したのは私だけでしょうか(笑)
弁護士の領域との関係につきましては、私も同感です。ただ、監督官庁を持たない弁護士の世界が「大量増員」によって、これまでの自浄作用が機能するかどうかは、喫緊の課題ではないかと考えております。今朝の新聞に社会保険系の医療機関がハーバード大学医学部作成にかかる「医師のための謝罪マニュアル」を受け入れる方針を決めたそうでありますが、そのうち弁護士も「謝罪マニュアル」を導入する時代が到来するかもしれません。
投稿: toshi | 2007年8月14日 (火) 11時47分