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2007年8月10日 (金)

ブルドック最高裁決定と事前警告型防衛策の行方(3)

ブルドック最高裁決定と企業が導入している(もしくは今後導入を予定されている)事前警告型買収防衛策との関係について、これまで2回にわたって私自身の思いを述べてまいりましたが、それぞれ最高裁決定を参考としながらも、1回目は「どうしたら裁判を有利に戦えるのか」という視点、2回目は「上場企業として一般投資家から信用されるべき買収防衛策とはなにか」という視点から検討をしております。そして、今回はそもそも「最高裁判決の妥当すべき範囲はどこまでか」といった視点で検討してみたいと思います。私のブログにおきましても、katsuさんや経営コンサルタントさん、そして辰のお年ごさんはじめ、いろいろな方よりコメントをいただいており、それぞれの立場から高裁決定、最高裁決定などへの意見をいただいております。外資脅威論者の方や「モノ言う株主」を歓迎しない立場の方々からすれば、このたびの決定を受けて「ほれみろ、最高裁がお墨付きを与えたぞ。これで投資ファンドや外資による強圧的なM&Aが日本では通用しないことが証明された」とされ、いっぽうグローバルな国際分業時代の到来を待ち望んでいらっしゃる方(金融国家ニッポン)や、ガバナンス推進論者の方などからは、「司法はまったく日本の経済国家としてのあり方について理解していない。こんな司法であれば世界から失笑を買うであろう。日本の将来は真っ暗闇となった」とおっしゃいます。こういった議論は我々法律家(とくに一般の弁護士)からみると、民事、刑事、商事にかかわらず、裁判的決着をみる場合にはよくある話であります。裁判に勝訴した側に与する立場の人たちは、事例の特殊性を問題にすることなく、自分たちの主張が全面的に通ったと考え、また敗訴したほうに与する方は、裁判の妥当範囲を広くとらえて、こんな思想がまかりとおるようでは、司法も腐敗したものだ、と立腹され、もしくはお嘆きになるわけであります。

普段から裁判制度を身近なものとして捉えておられない一般の方々に向けて、こういった社会的に大きな影響を与えかねない最高裁の判断が出た場合に、法律家には、この「最高裁の判断の妥当する範囲はどこまでか」を説明する責任があると思います。それはこういったM&Aに詳しい弁護士の方々の重要な仕事かもしれませんし、また著名な商法学者の先生方の大切な仕事なのかもしれません。今朝(8月9日)の日経朝刊におきまして、有識者のどなたかが「日本にも金融裁判所を創設すべし」とおっしゃっていましたが、まさに的を得たひとつの見解かと思います。日本の裁判所は、あくまでも紛争解決のための機関でありまして、政策形成機能としては「憲法裁判所」すら存在しないのであります。もし裁判官がM&Aの行く末を案じて、なんらかの政策形成的判決を出したいと考えましても、それは原告、被告双方の弁護士さん方がお出しになられた「争点」への判断に拘束されるわけでして、またその目の前の事件を解決する範囲でのみしか判断をしてはいけないわけであります。ましてや、最高裁のように、その判断が後世まで絶大なる影響力を有する判断を下す機関であればなおさら、政策形成的な判断は謙抑的にならざるをえないはずです。そのように考えますと、このたびのブルドック最高裁決定につきましては、①この紛争解決にあたって、双方の代理人が提示した争点に過不足はなかったのか、②この判断理由部分は、どこまでの事例に適用されるべきものなのか、事実のうち、どの部分が異なれば、まったく最高裁の先例が及ばないものと考えるのか、③会社法や金融商品取引法の解釈が問題となるのであれば、それはいったいどの条文の解釈が問題となるのであって、その条文の正当性をささえる根拠(立法事実)は時代とともに変容しやすいものなのかどうか等、きちんとした仕訳作業を法律家が行わなければ、今後の事前警告型の買収防衛策の巧拙は本来語れないものではないか、と私は考えております。

たとえば今回(かりの話でありますが)、スティールは「濫用的買収者」だけれども、ブルドックの防衛策発動が、既存の一般株主に多大な経済的損失を出すものであるから、その防衛策の「相当性」に問題があるために、違法な防衛策である、したがって発動は差止られるべきである、といった決定が出たとしましょう。こういった決定が出たとしますと、実質的にはスティールは勝訴するわけでありますから、「濫用的買収者」と認定されたことに不満はあっても不服申し立てはできないわけであります。これは日本に金融裁判所というものが存在しないわけでありまして、紛争解決機能のみを果たす日本の裁判制度からみますと、やむをえない結果であります。また、双方代理人の論点の立て方の巧拙次第では、こういった決定が出てしまう可能性も、現実にはあったかもしれません。もし、こういった決定が実際に出された場合、皆様方は今回のスティールとブルドックとの「代理戦争」的な結末をどのように解説されたでしょうか。

(法に触れないかぎり  注1)どんな手を使ってでも、クライアントのために勝利に導くことも、法律家としてのプロの仕事として高い評価を受けるものだと思います。しかしながら、それに匹敵するほど、先に述べたような仕訳作業を行い、どんな時代であれば、またどんな事案であれば、どういった防衛策がもっとも効果的(勝てる、という意味や、社会的信用を維持できる、という意味で)かを検証できる法律家もまた、プロとして高い評価を受けるべきものだと思います。もちろん、商事裁判に基づく仕訳作業ですから、税務、会計、証券分野、会社法実務等すべてにある程度精通していなければ、適切な分析は困難でしょうし、その仕訳の巧拙はおそらく公開の場における評価によって理解されるはずだと思います。こういったM&A実務に関与されている方々にとりましては、今後始まるであろう、そういった法律家の仕訳作業に冷静にご注目いただければ、さらに今回の最高裁決定の自社防衛策への応用に資するヒントが得られるのではないか・・・と(私は)考えております。

(注1)「法に触れないかぎり」の法とは、弁護士法も含みます。したがいまして実定法違反ということだけでなく、弁護士としての品位を汚す手法を用いたり、所属弁護士会の社会的信用を毀損するような手法を用いることも、当然のことながら禁止されます。

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コメント

法律家としてのプロフェッショナリズムを否定するつもりは毛頭ありません。
法的に安定性のあるガイドラインはは、あったほうが攻める側も、守る側も、弁護する側も実務上好ましいかと存じます。
ただし、そもそも本音と建前があるイシューなので、法的安定性ある基準なるものが仮に出来た場合、かえって「知らない方が良かった」と思われる取締役の方が増えそうです。

法律家の方が防衛策でご助言できるのは、有事の際の訴訟対策になるのはやむを得ませんが、そこにいたるまでの平時からのプロセスが裁判で影響を持つような枠組みがある程度法的にもあればなあと思う次第です(といいつつとても抽象的な思いですが)。

投稿: katsu | 2007年8月12日 (日) 02時06分

>katsuさんへ

>法律家の方が防衛策でご助言できるのは、有事の際の訴訟対策になるのはやむを得ませんが、そこにいたるまでの平時からのプロセスが裁判で影響を持つような枠組みがある程度法的にもあればなあと思う次第です

私が専門外にもかかわらず、MBOはじめM&A案件に関心を抱くのは、こういった買収問題も企業のリスクと捉えているからです。そこにはインサイダー取引や株主への利益供与などの「経済刑法」に関わるリスクに始まり、取締役の賠償リスク、不正開示リスク、社会的信用毀損リスクなど様々なリスクが横たわっておりますが、その誘因のひとつが敵対的買収であることに間違いありません。そういったリスク管理も、大量保有報告書で確認してからでは遅すぎると思いますし、平時の準備の一環ではないかと考えております。裁判での勝ち負けに資するような平時からのプロセスというものも、たしかにお示しできれば・・・と思うのですが、私の感覚では、関連判例があと10件ほどありませんと(笑)。日本の裁判官が何を考えているのか、今回もいろいろと勉強させてもらいました。

katsuさんのブログの「サブプライム問題」、非常におもしろいので、また続編があれば期待をしております。

投稿: toshi | 2007年8月14日 (火) 11時39分

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