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2007年9月 9日 (日)

田中論文と「濫用的買収者」

(9月9日夜 追記あります)

大杉先生のブログで「9月5日号の旬刊商事法務にビックリ論文がありますよ」といった予告が出ておりましたので、期待しておりましたところ、ホンマ、これは「監査役制度改造論」以来のビックリ論文ですね。(ブルドックソース事件の法的検討 田中亘 成蹊大学准教授)圧巻はブルドック高裁決定がスティール(関係者)を「濫用的買収者」と認定した理由付けはおかしい、とする見解であります。

ブルドックソース事件で「濫用的買収者」に関する議論をされていた方々のうち、高裁決定の「スティールは『濫用的買収者』である」との判断理由に「日本のM&Aの行く末」を悲観的に嘆いておられた方にとりましては、まさにナミダモノの論文ではないでしょうか。ちょうど二年ほど前に田中論文と企業価値論というエントリーをアップしておりますが、当時の論文を拝見して以来、取締役の責任論やMBO論考など、田中亘准教授(成蹊大学)の論文はいつも楽しみにしておりました。ただ、いつも田中先生の論文は、何度も読み込まなければ私のような凡人には理解できない部分もあったのですが、このたびの「ブルドックソース事件の法的検討(上)」は、なんといっても「論旨が明解でわかりやすい」のが特長かと思います。おそらくこれだけわかりやすい論文ということは、田中先生がブルドック高裁決定に触れたとたんに、「これはおかしいぞ?」と脊髄反射的に疑問点を感じ取られたからではないでしょうか。とりわけ高裁決定がスティールを濫用的買収者と認定(断定?)したことへの「法と経済学」的な視点からの的確なご批判は、日経新聞の記者(?)さんはじめ、MAに携わる多くの方が「これまでの辛酸をなめていた日々」を忘れさせてくれるほどに胸のすく思いを味わえたのではないかと推測いたします。(ただ、私自身はこの田中教授の論文を読んだ後でも、日本の当事者主義的な訴訟制度および、濫用的買収者かどうか、といった判断は規範的要件の解釈に関するものであって、評価根拠事実や評価障害事実に関する当事者の主張にひきづられるところもあるので、裁判所が「濫用的買収者」にスポットをあててしまった以上は、こういった結論になるのもやむをえないところもあるかな・・・と思ったりもしておりますが。ただ、正確には高裁や地裁レベルにおける双方の準備書面(主張書面)まで確認しなければなんとも言えないところではあります。なお、このあたりの議論につきましては、私のブログでもたいへん盛り上がりました7月中旬ころの 濫用的買収者って何だろう? あたりをお読みいただけますと幸いです。)

田中先生の論文では、最高裁決定および東京地裁決定(論文では原々決定)の論旨を客観的に手堅くまとめあげていらっしゃいますので、逆に東京高裁決定の濫用的買収者認定に関するご批判がますます際立っている感がしております。「濫用的買収者かどうか」といった論点は、TBS・楽天事件におきまして、企業価値評価特別委員会の報告書でも議論されているところですし、事前警告型防衛策の発動要件として、今後も有識者の方々によるいろんなご意見が出るところだと思いますので、この田中教授の視点も今後議論の対象になってくるものと推測いたします。なお、この「法的検討(下)」ではブルドックソースの株主の意思決定に関する問題点についても検討されていらっしゃるようですので、大杉先生の経済刑法に関する判例評釈とともに、ますます次号が楽しみになってまいりました。

(追記)田中先生の上記論文以外にも、この商事法務9月5日号では「スクランブル」で「ブルドックソース事件最高裁決定の射程」なる小稿が掲載されておりまして、買収防衛策と「濫用、非濫用の買収ニ分類」に関する考え方の整理が示されております。そもそも買収防衛策の発動は「濫用的買収者」が現れたときのみ許されるとする考え方と、濫用的買収者の定義に含まれない者であったとしても(非濫用的買収者)、企業価値(ひいては株主共同価値)を毀損する者に対しては、買収防衛策を発動できるとする考え方の比較ということであります。TBSの企業価値評価委員会の判断過程などを報告書から検討しておりますと、そもそも「非濫用的買収者」が企業価値を毀損するおそれのある場合でさえ「濫用的買収者」の概念に含んで考えていらっしゃるように読めますので、こういった考え方の違いというのも、まだまだ流動的な部分が多いように思えます。要は、アクティビスト的な買収者の場合と競争事業者的な買収者の場合とで「濫用的買収者」の概念を同じに扱うのか、違う定義とするのか、また上記のとおり買収防衛策発動が許される場合というのを「濫用的買収者」の場合に限るのか、非濫用的買収者にも一定の要件のもとで可能とするのかなど、まだまだ整理しなければならない余地がありそうですね。

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コメント

山口先生、ごぶさたしておりました。
高裁決定については、いろいろ問題が指摘されながらもやや関心が薄れかける中、著名な学者により、しっかりと検討された論文がタイムリーに公表され、今後非常に参考になります。ライブドアの高裁4類型も、本当はしっかりと検討する必要があるといえそうです。

 個人的には、高裁の最大の問題(高裁の価値判断の根拠となっただろうと推察している事項が露呈している部分)は、次のところではないか、と考えています。
「本件は,前記認定のとおりの属性を有し濫用的買収者と認められる抗告人が,日本国内で創業以来100年余の歴史を有し,堅調にソースの販売製造事業を行っている相手方を本件公開買付けによって買収しようというものである。相手方は,このような買収行為によって,場合によって「「解体にまで追い込まれなければならない理由はない」」のであって,・・・・」
ここで、どうやって「解体されるいわれがない」などの議論を持ち出せるのか、理解に苦しみます。裁判官の想像上の事案を考えたのでしょうが、映画の見すぎではないか、先入観にとらわれていないか、と思います。解体が一番経済的に利益があるというのは、有機的一体としてのゴーイングコンサーンバリューのある事業として売却するより、ばらばらにした方がいい場合となるはずですが、それは経営が個々の資産を上回る付加価値を生み出していない場合ではないでしょうか。そういう経営だ、という認定がどこかにあったか、というとそこまで踏み込んだ検討をした箇所は見当たりません。(そのような場合、そもそも現経営陣の経営が非常に稚拙ということになって、それをそのまま認定の根拠にされることに対して現経営者は何も言わないのでしょうか、それも問いたいところです。)

また、高裁の 「最終的には対象会社の資産処分まで視野に入れてひたすら自らの利益を追求しようとする存在」という言辞にあらわれるように、資産の処分そのものまで否定するに及んでは、先入観にとらわれ過ぎではないかと思われます。仮に事業経営に不要な資産や非効率な資産があった場合に、これを処分することは「悪いこと」なのでしょうか。SPJの肩を持つつもりはないのですが、先入観で判断が下された点については、やはり法律家として、今後の問題を考えるうえでも、高裁の認定について批判的な検討が必要だと考える次第です。
なお、SPJ側が「対象者が完全子会社となった場合には、対象者の資産を処分することを見込んでいます」と公開買付届出書に記載していますが、これを根拠に「解体」まで読むのはおかしいのは上述のとおりです。また、対質問回答報告書において、「現時点において、我々は対象者の資産を処分する計画はありません。公開買付届出書において、公開買付者は単に将来の可能性について記載しただけです。ただし、我々は将来を予測することはできません。。。。」(4(7))などの記載がなされている点も考慮したうえで、裁判所は事実認定をすべきだった、と考えますが、いかがでしょうか。
なお、個人的には、笑止千万だったのは 「日本国内において安全で美味なソース造りに専念し,堅調に実績を上げ,同事業においてグループシェア全国1位である・・・」とのくだりは、「安全」であるかどうかどうやって認定したのか、「美味なソース」というのはどうやって認定したのか、わざわざこういうことを持ち出す意味があるのか、かなり疑問視がつきます。 
なお、東京地裁の決定についても、「企業の経営支配権の争いがある場合に,現経営陣と敵対的買収者のいずれに経営を委ねるべきかの判断は,株主によってされるべきであり,株主が適切にこの判断を行うためには,現経営陣と敵対的買収者の双方の事業計画が提示され,必要な考慮期間が確保されることが必要であるところ」というくだりがあります。これは企業価値研究会の考え方に沿っているように見られますが、果たして私的な研究会の報告書の考え方を、あたかも当然のように取り扱っているような扱いはどうなんでしょうか。企業価値基準に違和感がない人は特段不自然ではないのでしょうが、この基準そのものの当否について、十分な検討がなされるべきではないか、と考えている次第です。
少なくとも、今回の最高裁の決定文では「企業価値のき損」(原文ママ)という語が使用されていますが、こういった地裁の考えは採用していないと考えています。

投稿: 辰のお年ご | 2007年9月 9日 (日) 22時06分

toshi様
読みました。以前有名弁護士(会社法であそぼ)のセミナーで、氏が「裁判なんて、裁判長が誰を勝たせたいかで決まるもんですよ。その気持ちにいかに訴えるかです」とものすごい発言をされたのを、高裁~最高裁の間に聞きました。演繹法、仮説思考、決めてかかる・・・。

一方、自分のブログでも少し紹介した、「会社買収時代のサバイバル」野間健著 では、なんとスティールパートナーズは国策ファンドではないか、という主旨のことが書いてあったり(ややタブロイドっぽいですが)。
しかし、スティール国策説にたてば、これまでの流れはものすごく説明が付きやすい。政府が「ぐずぐずするな、黒船が来るぞ」と攻め立てている…(もっとも彼らは米国や韓国でも敵対的買収をやってますから、日本だけ出資者が政府ってことないでしょうが)。

田中准教授の論文は問題提議が大きいですね。事業計画に関し上記「決めてかかっている」結論は納得感あります。全般的に一方の側に合理性があるからといってもう一方の側の立場に立って考えていないし、もう一方の立場に立てば合理的な可能性もあるではないか、という点はフェアーでいいですね。もっともtoshi様もおっしゃるように、そのように裁判をコントロールするのも実力のうち、という説もうなずけます。

私は今まで、裁判というものを結果だけで考えてきました。なぜなら、裁判官は全知全能の頭がよくてえらい人、という隠れた前提が自然とあったように感じます。冒頭の弁護士先生の言葉は重みがあります。

まだ(下)があるので次号も読もうと思います。

いろいろありがとうございました。改めて御礼申し上げます。

投稿: katsu | 2007年9月12日 (水) 01時34分

>辰のお年ごさん

いつもコメントありがとうございます。いつもながらの鋭い分析、参考にさせていただきます。
私が田中准教授の論文を読んでみて「これはおもしろい」と感じましたのは、「会社は誰のものか」という、イデオロギーの対立にも似たような匂いを感じさせず、株主の力を借りるにせよ、従業員の力を借りるにせよ、最終的には永続的成長を企業が遂げるためにはどうしたらいいのか・・・といった視点を経済学的側面から崩しておられないところです。結論先にありき・・・といった匂いがしないからこそ、この「濫用的買収者」論につきましても非常に説得力があるなぁと感じ入った次第です。
「解体」「資産処分性」につきましても、とくにスティール側の肩をもつわけではなく、「こういった考え方であれば、もっと濫用的買収者であるかどうか、といった判断基準をルール化できるのではないか」といった非常に公平な立場で批判している点に共感いたしました。もちろん、法と経済学の視点ではなく、もっと純粋に法政策的な視点からも公平なルール作りは可能なのかもしれませんが、企業価値論と司法判断との接点を提供された功績は大きいと思います。
後編も楽しみにしておりますし、また田中先生とは違った視点で、別の先生方が「濫用的買収者」をどう判断すべきか、といった提言をされるのを楽しみにしております。

投稿: toshi | 2007年9月12日 (水) 01時49分

>katsuさん

投稿時間がほとんど同じだったもので、かぶってしまいましたね。
また、書かれている内容が、かなり似ていますね。
この高裁判断は、おそらく「結論先にありき」と感じてしまうんでしょうね、読み手としては。とくに辰のお年ごさんが指摘されている箇所などは、裁判官の感情までも混入しているように思えてしまいます。

エントリーの最後にも書きましたが、裁判の場でなくても「濫用的かどうか」を判断しなければならない場面がありますので、今後も色あせることなく、この問題は議論されるべきだと思っております。

投稿: toshi | 2007年9月12日 (水) 02時02分

ご返事の後、ふとTBSのHPを見て、同社の濫用的買収者のガイドラインの7類型の中で、よく読むと「えっ?」と思う類型があり。

「2. 当社の会社経営への参加の目的が、主として当社の事業経営上必要な知的財産権、ノウハウおよびコンテンツ等の権益、企業秘密情報、主要取引先や顧客等を当該買収提案者またはそのグループ会社等に移譲させることにある場合。」
http://www.tbs.co.jp/company/newsrelease/20070907.html


これとほぼ同じ内容がブルドック防衛策の(2)にもあります(企業価値、株主価値共同の利益を著しく損なうと認められる類型)

この類型のどこが「濫用的」なのでしょうね。
これはふつうに事業会社が伝家の宝刀「シナジー効果」を主張しているだけに過ぎないのではないでしょうか?
たとえ買収先企業にコアコンピタンスのようなものが移転しても、買収後の連結企業価値が改善していれば、まったく問題ないような感を単純に受けます。

独立委員会の方は、こういった類型に縛られて、濫用・非濫用のジャッジをするのでしょうか。それとも、目の前の提案を合理的・客観的にのみ見ていくものなのでしょうか?

一橋大の服部客員教授の「JUST SAY NEVER」(いかなる条件でもNO)『検証、日本の敵対的買収 日本経済新聞出版社』を表しているような気がします。

こういうのは、本来、導入のときに論じてほしいものですね(発表されていないだけでしょうか)。

投稿: katsu | 2007年9月13日 (木) 01時37分

山口先生

横からですいません。

KATSUさんの上記書き込み、「当社の会社経営への参加の目的が、主として当社の事業経営上必要な知的財産権、ノウハウおよびコンテンツ等の権益、企業秘密情報、主要取引先や顧客等を当該買収提案者またはそのグループ会社等に移譲させることにある場合」について、ちょっと一言個人的な見解を述べさせてもらいます。

株主といえども、会社に帰属するトレードシークレットや機密情報を勝手に入手したり、持ち出して私的に利用することはできないですよね。

厳密には、従業員が本来の会社の業務以外の目的(すなわち、第三者への開示や自己での私的利用などの目的)でこういうことをすれば、刑事罰の対象になりますし、それは役員であっても同様です。

日本の会社の実情では、これが法的問題があるという意識をあまりしないまま、親会社などにも平気で情報を利用させたりしているでしょうが、本当はよほど気をつけないと危ない場面もあるはずです。

もちろん、ライセンス契約のように契約関係をはっきりさせて、開示させたり利用させることは可能ですが、しっかり対価をとったりする必要があり、会社財産の流出を見過ごしていれば、役員の責任の問題も生じます。

そう考えると、上記を濫用の場合という扱いをすることに、私は合理性があると考えますが。

なお、MBOなどの場合にも、これは実は気をつけないとならない論点であるはずです。経営陣は、第三者が知らない、会社の情報に通じているわけですよね。そういう中、企業の本質的な価値(intrinsic value)を知っていたり、またMBO完了後の事業計画の策定に会社側の適切な承認手続きもなく利用したりすると、本当はマズイというべきです。

情報の非対称性という場合に、こういう情報の帰属主体が会社であって、それを窃用・盗用するリスクがMBOにあることは、やはりしっかり考えておかないとならないはずです。もちろん、デューデリを買収提案者に許容することは可能ですので、法的な承認権限がある機関の決定を経ていれば可能ですが、それがもしMBOをする役員であり、その利用について、自分で勝手に決めていたらどうなんでしょうか。利益相反の問題を生じるということは明白なことはお分かりいただけると思います。現状、残念ながら、そういう問題意識はあまり共有されていないのではないか、と懸念しています。気がつかないではすまされない問題だとだけ申し上げたいな、と。

上記やや脱線してしまいましたが、なあなあでやると後で問題となるリスクがある点については、多くの方に、われらが敬愛する山口先生のこのブログをご覧の方には、記憶の片隅にとどめておいてもらうのがよろしいかな、と。いつも、長くなってしまってすいません。

投稿: 辰のお年ご | 2007年9月13日 (木) 23時43分

辰のお年ご様
ご教示ありがとうございます。
確かに親子会社間でも契約関係はきちっと行っておりますね。

ただ、買収後にそういう訴訟を起こされる可能性があるのは理解できるのですが、上記のようなリスクを買収行為中にどうやって濫用と認定できるのか、依然疑問が残ります(そういう過去実績があれば別問題でしょうが)。

まれに転職社員が守秘義務を持ち出すとかそういうケースでしょうか?
確か製薬会社エスエス製薬でしたか、資本提携1年後、敵対かどうか不明ですが、経営陣の予期せぬTOBでドイツの会社の子会社化となったケースがありました。仮に、ドイツの社外取締役のようなポジションの者が、おっしゃるような行為を行った場合が該当するのでしょうか?

私は単純に、王子-北越のようなパターンを想定しておりました。

勉強になりました。

投稿: katsu | 2007年9月14日 (金) 02時14分

Katsu様
こういう場面では、悪徳が乗り込む場面を想定するといいと思います。もし、あまり筋のよくない(一応新興市場などの上場会社を想定します)ところが過半数を握り、本来であれば、権利関係をきっちりする会社であったが、送り込まれた役員らが、そういうことも無視して、会社の財産を流出させた、とような場合、こういう会社の買収を阻止するのは、企業価値のき損を防止するうえで必要、という考えがあると思います。問題は、濫用事例として想定できても、これを理由として発動するためには、そのような脅威があることをどう立証できるようにするか、にあるかもしれません。なお、客観的な事実として、濫用類型に該当することを立証するのではなく、主観的に、そういう脅威があると合理的に信じたこと、と考えるのが適当だと思っています。基準ですから、主観というのはどうか、という考えの方が多いと思いますが、「主観」にこだわるよりは、客観的な事実としての認定は困難であるはずで、むしろ判断権者の合理的な認識をベースにすることになる、と(Unocalご参照)。

投稿: 辰のお年ご | 2007年9月14日 (金) 09時28分

katsuさん、辰のお年ごさん、いろいろと勉強になりました。ありがとうございます。とりわけMBOにおける利益相反となる可能性については、私もあまり意識していなかったので、今後の参考にさせていただきます。

私もこの問題について一言だけ個人的意見を述べさせてください。

2項の基本的な解釈は辰のお年ごさんのご指摘のとおりだと思います。また悪徳への対応を念頭に置くものであることも、記述からみてもナットクできるところです。
ただ、私はちょっと2項は被買収者側にとって「濫用」のおそれもあるのではないかと危惧するところです。
知的財産権についての資産評価というものが、現時点でそれほど客観性をもちえない場合、katsuさんの指摘されたガイドラインの項目が、会社側に有利に濫用される可能性については否定できないように思いました。
このあたりは、無体財産評価に対する哲学にもよりますが、知的財産は、それだけで価値があるとは思えず、その財産を高額なものにするのも紙くずにしてしまうのも、その財産管理部門の力に負うところが大きいのではないでしょうか。第三者からみればたいした営業秘密やノウハウとは思えなくても、その保有者からみれば高額な財産であるといった主観的な防衛論が成り立つ世界のように思えます。つまり、この2項というのは、企業側にとって「どうにでも使える項目」であり、7項とならんでそれこそ、排除したい人を排除するための「伝家の宝刀」ではないか・・と私は考えました。辰のお年ごさんのおっしゃるように2項が正当な理由で判断されるのであればいいのですが、どうも他事考慮のうえで濫用的に使われるおそれがあるような懸念を感じております。

投稿: toshi | 2007年9月15日 (土) 20時06分

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