財務報告内部統制と内部統制システム基本方針改定
(10月14日深夜 追記あります)
昨日(12日)の適時開示情報のなかにおきまして、大証ヘラの燦(さん)キャピタルマネジメント社が「内部統制システム構築の基本方針の改定に関するお知らせ」をリリースされておりました。燦キャピタルさんの基本方針の最後に、財務報告内部統制確保のための体制整備について記載がされておりますが、こういった財務報告に係る内部統制システムの整備運用方針を追加的に記載するために、内部統制システムの基本方針を改定する企業が最近目立つところであります。金融商品取引法が全面的に施行され(ただし財務報告に係る内部統制制度については来年4月以降)、内部統制府令(第62号内閣府令)も正式に公布されるに至りましたので、企業としても体制整備の一環として、財務報告内部統制確保に関する基本方針を追加しているのでしょうね。また、監査役協会が財務報告内部統制に関する監査基準を新設して、監査役による監視検証の対象として採り入れていることなども、こういった改定の要因になっているのかもしれません。
さて、このところの基本方針の改定を調べてみましたところ、上記の財務報告内部統制を確保する体制については、概ね3つの改定パターンがある ことがわかります。(追記 改定を検討してみたが、諸々の理由によって改定をしなかった、というものをパターンのひとつと捉えれば4パターンということになりそうです。技術屋の内部監査人さん、のらねこさん等のコメント 参照)ひとつは取締役、使用人の職務執行が法令定款に基づき適正に行われるための体制確保のなかで追加するパターン、ひとつは連結財務諸表の適正性確保を主たる目的として内部統制報告書が作成されることから(金融商品取引法24条の4の4)、企業集団における業務の適正を確保するための体制として捉えているパターン、そしてもうひとつが、上記燦キャピタルさんのように、これまでの条項とは関係なく、独立条項を設けて体制整備を謳っているパターンであります。いずれのパターンによるかは、各上場企業の置かれている経営環境によって異なるものと思われますが、いずれにせよ、会社法における内部統制システムの構築と、金融商品取引法(内部統制報告制度)における内部統制との融合的理解といったことが前提となりますので、各企業とも、統一的な理解をもって体制構築を企図されているようであります。以前からこのブログでも述べておりますように、私自身は会社法上の内部統制とJ-SOXはまったく別次元のものであり、安易な統一的理解はすべきではない(異質説 ただし、いずれの法目的をも充足させるような共通部分が相当にあるので、企業はそこから対応すべし)と考えておりますが、最近の法曹界の通説では統一的理解が可能である(同質説)とみるようでありますので、注1 最近の基本方針の改定は、そういった通説的理解との親和性は高いものと思います。
注1この分野における秀逸な論文として、「金融商品取引法の内部統制と法令遵守体制の関係」池永朝昭著・旬刊商事法務1796号22頁以下がある。会社法上の法令遵守体制と財務報告内部統制との関係について整合的に理解するには大変参考になるものと思われる。
ところで、取締役や使用人の職務執行が法令および定款に適合することを確保するための体制の一環(会社法362条4項6号、施行規則100条1項4号等)として「財務報告内部統制を確保する体制」を捉える場合、そこで適合性が求められる「法令および定款」とはいったい何をさすのでしょうか?金融商品取引法をさすのでしょうか?金融商品取引法では、上場企業が内部統制報告書を有価証券報告書と併せて提出すること(金商法24条の4の4)、その報告書には監査証明を付すこと(同193条の2、2項)、および報告書の虚偽記載に関する罰則等が規程されているのみでありまして、財務報告内部統制の確保に関する具体的な定めはありません。ただし(金融商品取引法の委任もしくは細則的な意味合いをもって作られております)今年8月10日に公布されました「財務報告に関する書類その他の情報の適正性を確保するための体制に関する内閣府令」(内閣府令第62号)によりますと、当該会社(もしくは当該会社が帰属する企業集団)における財務報告が、法令等にしたがって適正に作成されるための体制のことを、財務報告に係る内部統制と定義されておりますので(上記府令3条)、この府令3条の「法令等」の具体的な中身の問題になろうかと思われます。注2 そして、この法令等の中身につきましては、当該府令1条1項において、当該府令と「一般に公正妥当と認められる財務報告に係る内部統制の評価の基準」とされているようでありまして、同1条4項では企業会計審議会により公表された基準が、この「公正妥当と認められる基準に該当する」と定められておりますので、結局のところは「内部統制実施基準」までが「法令等」に該当することになろうかと思われます。そして「実施基準」が、経営者評価にあたり、各上場企業に広範な裁量範囲を付与していることは皆様ご承知のとおりであります。
注2 立案担当者は、この内部統制府令3条について、「この体制は、各社の状況(置かれた環境や事業の特性、規模等)により異なることから、一律に示すことは困難であり、各社において適切に判断されることになるものと考える」とされる。(谷口・野村・柳川 「開示制度に係る政令・内閣府令等の概要(上)」旬刊商事法務1810号38頁)
さて、上記のように「法令等」が金融商品取引法から内部統制報告制度の実施基準まで、広範な部分を包含するものと捉えますと、法令への適合性が求められるといいましても、非常に曖昧かつ漠然としたものであることがわかります。とりわけ経営者評価基準といったものは唯一の会計慣行も存在しませんので、誰か(評価に詳しい方)が「こうでなければならない」といった基準を示しても、それ以外は基準として適合しない、といったことでもありません。内部統制監査人が、(事実上)経営者評価はこうでなければならない、と指摘したとしても、それ以外の評価方法が違法という評価は出てこないということになりそうであります。(いや、「こうでなければならない」といった話はそもそも前提としては成り立たず、「こうであれば、評価方法としては適切ではない。」とまでしか言えないのではないでしょうか)内部統制システム構築に関する基本方針のひとつとして、財務報告内部統制を含ましめることに、どれほどの意味があるのかは、いまのところ私自身もよく理解していないのでありますが、とりあえず会社法と金商法との内部統制に関する統一的理解を前提とした場合には、このあたりが議論の出発点になるのではないか・・・と思った次第であります。
あまり理屈っぽい話だけではおもしろくありませんので、すこしだけ具体的なお話をしたいと思いますが、たとえば財務報告内部統制の構築体制を確保する、といった基本方針を開示する場合、単に「体制を確保すること。取締役会は代表者の整備運用への評価を監視すること」などといった抽象的なことだけでなく、もうすこし具体的なことも書いてみたらいかがでしょうかね。10月はじめに、「内部統制府令に関する金融庁ガイドライン」が「Q&A」とともに公表されていますが、そのなかで報告書に署名捺印を要する「最高財務責任者」に関する解説がありまして、単なる経理担当者にとどまらず、経営者とともに、財務報告に係る内部統制の評価に責任を負うべき者であることを要する・・・とありました。もし、そのような意味で責任を負う立場にある最高財務責任者を設置している企業であれば、そういったことも財務報告内部統制の基本方針として記述すべきだと思いますが、いかがでしょうか。単に経営者評価は代表者が責任をもって評価する、とされる企業と、最高財務責任者も併せて署名する、とされる企業とでは、現実の評価手続きを考えた場合、後者のほうがよっぽど「取り組みへの真剣度」が高いように思えますし、会社債権者や株主への開示情報からの印象度注3 にも差が生じるように思えるのでありますが。。。(記述することについても、それほど面倒なこともありませんし)
注3 そもそも会社法の規定する内部統制システムの基本方針決定(体制整備に関する取締役会決議)は、法が特別に内部統制システムの構築を企業に義務付けたものではなく、基本方針を決議するかどうかの自由を与え、もし決議した場合には適時開示情報や、事業報告(会社法施行規則118条2号)等で開示せよ、というものであり、開示制度の有するガバナンス機能が重視されているものである。(「会社法下における企業法制上の新たな課題(下)」旬刊商事法務1789号5頁相澤発言 参照)いっぽう、財務報告に係る内部統制報告制度の場合には、連結財務諸表等の信頼性を確保するに足るレベルの内部統制システムの構築が目標とされ、インダイレクトレポーティングによるものとはいえ、監査水準による監査証明も要求されるわけであるから、一定水準の統制システムの構築が法により要望されているといえるが、特別に個々の企業の財務報告の内部統制システム自体が、法によって開示されることまで要求されるものではない。なお、会社法における内部統制システムの構築の水準というものを想起するのであれば、それは個々の企業における取締役の善管注意義務のレベルを模索することになると思われる。
(10月14日夜 追記)
明朝から某会社の経営会議のため、別エントリーをたてるだけの時間がありませんので、追記とさせていただきます。のらねこさん、監査役サポーターさんのコメントを読ませていただきました。会社法と金融商品取引法の内部統制が密接不可分の関係にあるとか、財務報告にかかる基本方針は会社法の基本方針の下方に位置する等といった見解もあろうかとは思いますが、ひとつ整理をしたい問題がございます。もし財務報告内部統制が、業務の適正性確保のための体制と同質もしくは下部に位置するとすると、取締役は会計監査人による監査証明において、「内部統制は有効である」とした経営者評価に適正意見さえもらえれば責務を全うしたことになるのでしょうか?財務報告内部統制の実施基準において「内部統制の限界」とされるような事例において、不正会計が発生した場合には、取締役の責任は免除されるのでしょうか?今後、J-SOXの基準が緩和された場合、その基準の変化にしたがって取締役の注意義務も変化するのでしょうか?財務報告の信頼性を確保するための体制が一般的にみて業務の適正性確保のための体制の一部であることは私も認めるところでありますが、それは会計監査人だけでなく、監査役とか、内部監査人とか、諸々の構築、モニタリングにかかわる人たちによって、外部監査とは無関係にコンプライアンス的発想から要求されるものでありまして、そもそもJ-SOXとは次元が違うのではないでしょうかね。
また、判例上では、会社法上の内部統制システムの構築については、取締役の経営判断原則が成り立つものと言われておりますが、(実際、ダスキン高裁判決においても、広範な経営判断原則の適用を認めております)たとえば財務報告に係る内部統制の構築といった問題は(同質説の場合)どう捉えるべきなのでしょうか?やはり広範な経営判断原則の適用があるのでしょうか?
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コメント
コンピュータ屋です。
おはようございます。
「内部統制システム基本方針の改定」
身近なお客さんの中でも発表されています。ただし、「では具体的な一歩は?」と言ったとき、まだまだです。
取締役、監査役さんたちの役割は明記されています。
具体的な手足となるべき内部監査人のことについては少しトーンダウンしているようです。
こうした中、ポストJSOX対応として、統合的な内部統制の仕組み作りが必要と感じています。(オペレーションやコンプライアンスのことも目的とした)
財務報告に係わるところは、「制度対応」として割り切り、本当に役立つ内部統制の仕組み作りが必要と感じています。
私自身具体的な準備中と言ったところです。
以上、勝手な言い分ではありますが。
投稿: コンピュータ屋 | 2007年10月14日 (日) 08時40分
●会社法の内部統制構築の基本方針のもう一つのパターン
当社(正確には小生の個人的な意見として)の会社法にける「J-SOX」の扱いは、業務の適性でもなく、法令等でもなく、独立条項を設けるのいずれにも当てはまりません。
J-SOXのプロジェクトで検討したときも、会社法の基本方針にあえて取り上げるものではないとの結論に至りました。会社法は「業務全体」を対象とし、J-SOXは「個別の業務」を規定するものとしたからです。個人的には、J-SOXが業務そのものであり、「業務の適性」も「法令等」も含んでおり独立させることは「全体」と「個別」の概念に矛盾が起こると考えたからです。
また、私見ですが、当社は、事業上の(全社的な)リスク評価を行っていますが、その中でも「財務報告の虚偽表示」は重要な高リスクではありますが、リスクの中の一つに過ぎないという実務上、経験上の感覚があるからです。
開示した内容だけでは社外の人にはなかなか分かりませんが、もう一つのパターンがあると思っております。
※もう一つのパターンには、検討した結果当初のままで行く場合と、まだ検討せずに当初のままである場合もありえますが・・・
投稿: 技術屋の内部監査人 | 2007年10月14日 (日) 10時14分
>コンピュータ屋さん
ご意見ありがとうございます。「J-SOXの次にあるもの」、そちらのブログで拝見しております。おそらくこの2,3年、日本に本格的な内部統制システム導入の機運が高まって以来、真剣に取り組んでこられた方は、このたびの金融庁Q&A等をご覧になっても、もっと企業に役立つような内部統制構築の方法があるはずだ・・・と、模索しながらもがいておられるのではないでしょうか。
私も同感です。私は会社法上の内部統制構築の話はよいとしても、J-SOXはまだまだ試行錯誤があると思いますし、ぶっちゃけ大改正もあると予想しています。そんな状況なので、現時点ではあえて「統一的理解」ということは回避したほうがいいと思っております。(後日の社会的混乱を避けるため)この話は長くなりますので、またエントリーのなかで述べることといたします。
>技術屋の内部監査人さん
コメントありがとうございます。そうですね、もうひとつのパターンはありますよね。検討したが見送った、というやつですね。
「個人的には、J-SOXが業務そのものであり、「業務の適性」も「法令等」も含んでおり独立させることは「全体」と「個別」の概念に矛盾が起こると考えたからです。」
このフレーズはなかなかおもしろいですね。似たようなことを私も考えているのですが、まだエントリーできるほどにまとまったものでありません。理屈ではありませんが、私は「開示情報としての意味」つまり、最近のコーポレート・ガバナンス理論からみたら、基本方針として揚げてみることもそれなりに意味はあるだろう・・・とは思っております。ただ、そうであるならば、もうすこし株主にとって会社の姿勢がわかるような記述をしたらどうか、というのが本旨であります。
投稿: toshi | 2007年10月14日 (日) 12時12分
基本方針にこだわる「のらねこ」です。
のらねこは、「もう一つのパターンの内、検討した結果当初のままで行く」派です。(技術屋の内部監査人さんのコメントより)
その理由は2つあり、ひとつは会社法の6つの体制に「財務報告の信頼性」がそれぞれに含まれていると考えています。
会社法は体制の面から6つに分割しており、金商法は目的を4つに分割しています。
体制と目的、それぞれマトリクスの縦と横の関係です。
次に、金商法における「財務報告に係る基本方針」は会社法の基本方針より、下位の位置関係にある。
位置関係を主張する理由は次のとおりです。
財務報告に係る内部統制の基準では(金融庁 2007/2/15発行)
「会社法の規定によって、内部統制の基本方針は取締役会が決定することとされており、経営者は、取締役会の決定を踏まえて、財務報告に係る内部統制を組織内の全社的なレベル及び業務プロセスのレベルにおいて実施するための基本計画及び方針を定める必要がある。(以下略)」(内部統制の構築)(67/129ページ)
「経営者は、信頼性のある財務報告を重視し、財務報告に係る内部統制の役割を含め、財務報告の基本方針を明確に示ししているか」((参考1)「財務報告に係る全社的な内部統制に関する評価項目の例」の1番目の例より)(97/129ページ)
のらねこ流の解釈は、
①会社法の基本方針は、財務報告の基本方針より上位方針である。
②財務報告の基本方針は基本計画及び方針を意味する。
です。
投稿: のらねこ | 2007年10月14日 (日) 15時09分
私も、
>会社法上の内部統制とJ-SOXはまったく別次元のものであり、安易な統一的理解はすべきではない(異質説 ただし、いずれの法目的をも充足させるような共通部分が相当にあるので、企業はそこから対応すべし)
という説に完全に賛同するものでありますので、
>最近の法曹界の通説では統一的理解が可能である(同質説)とみるよう
という動きがどうしても得心できない状態にあります(こういう動きがますます加速している、しかも、「J-SOXは会社法上の内部統制に含まれる」とする説が台頭しているような印象があります)。
いずれのパターンにせよ、「内部統制の基本方針」の中に明示する以上は、会社法上は、(会計)監査人の出番はなく、監査役(会)のみの監査の対象になる訳です(「監査の範囲内に属さない」ものとして対象外とすることも可能でしょうが、そう言い切るだけの度胸のある監査役さんはいないでしょう)。
基本方針の中での書振りにもよるでしょうが、一体どうやって監査役さんはその「相当性」を判断できるのでしょうか。
例えば、監査役(会)が監査報告を作成するタイミングまでに、(金商法上求められる)監査人の内部統制監査報告書は勿論、経営者による内部統制評価報告書さえもまだ出来ていない可能性がありますよね。ということは、監査役は独自に監査をしないといけないことになりますね。つまり、監査役は、会社法上の職務(義務)として、金商法上監査人にさえ求められていないダイレクトレポーティング的な監査をしないといけないということになるんでしょうか?
J-SOX対応に頭を悩ませている監査役さんも多いと聞きます(監査役さんを悩ませるような”高尚な雑音”が多いという方が正確でしょうか)。もっと、現実的に、かつ真剣に悩まないといけない問題があるんじゃないんでしょうか。雇用関係の問題(偽装請負、過労死など)、消費製品や食品の安全の問題、独禁法の問題、その他各業種固有業法問題(保険金不払いなど)等々・・・。何か歪んでいるような気がします。
投稿: 監査役サポーター | 2007年10月14日 (日) 23時53分
あのー、また皮肉めいたことを書いて恐縮ですが、
「邪馬台国はどこにある」という話をしているわけじゃないですよね。
いま、この現在ある法律、政省令について話をしているわけでしょ。
なんで「なんとか説」というのが複数出てきて解釈が割れるんですかっ。
そもそも金融庁が「勝手に」に金融商品取引法を制定する際、
法務省や経済産業省は何故ストップをかけなかったのか。
ほぼ同時並行的に「(新)会社法」制定を進めていたのに
どうして省庁間で調整することをしなかったのか。
そんなもん、ニッポンの縦割り行政なら当たり前じゃん、
とウソブクことなく、
どうして法曹関係者は役人たちに意見できなかったのか。
そして、そういう矛盾、無調整による「被害」を
何故我々民間企業が被らねばならないのでしょうか。
憤懣やるかたない気分、再びですよ。
.
政府が責任をもって法律間の関係を整理し公表しない限り、
どうしてイチ民間企業がその改定パターンとやらを出せましょうや。
勝手に自由に解釈していいんですか?
いいんですか?「いい」って誰が保証してくれるんですか?
「いい」っていうのも一つの解釈に過ぎないのではないのですか?
投稿: 機野 | 2007年10月15日 (月) 10時05分
●質問です。教えてください。
いろいろ意見があるようですね・・・・
ところで、「法令等」にJ-SOXの「実施基準」まで含むとの説明でしたが、例の2月に公開して「意見書」には、「・・・・、それ(基準)を実務に適用していく上での実務上の指針 (実施基準)を策定し・・・・・」と書いてあります。
これを読むと、「実施基準」は「指針」であり、「指針」は限りなく「ガイドライン」に近く思え、「法令等」には「実施基準」は含まないような気もしますが、いかがでしょうか。
また、この件と似たような別のテーマで「裁判規範」の説明がありましたが、この「裁判規範」と「法令等」は同じような意味なのか、それとも違うのか、違うなら何がどう違うのか教えていただけませんか。
一寸しつこいですね。でも、気になって気になって仕方ないものですから。すみません。よろしくお願い致します。
投稿: 技術屋の内部監査人 | 2007年10月15日 (月) 20時05分
「追記」でご指摘の点、全くそのとおりだと思います。「統一的理解」をされる人、「同質」的なものと考える人、一元的に捉えようとされる人には、こういう疑問に真正面から答えて頂きたいなぁ、と思います。
そういえば、昨年の始め、会社法の法務省令案がパブコメも終わり、段々と固まりつつある頃、立案担当者の某氏は、某所で行った講演(法務省令(案)の解説会)で、「金商法の内部統制は『国策』によるもの、かたや会社法の内部統制に『国策』はない。」というような表現でもって、両者は全く別物であると話しておられました(活字にはなっていないようなので、私の個人的な聞き間違いでしたら申し訳ありません)。「国策捜査」とか「国策裁判」といったコトバが流行った時期ですが、それとはややニュアンスが異なるようでした。が、個人的にはなんとなく、○○庁に対する皮肉のようなものを感じ取りました。
若干の時を経て、この「立法者意思」(というのは少々言い過ぎでしょうが)はどこへやら、という状況になってきたのでしょうかねぇ。
投稿: 監査役サポーター | 2007年10月15日 (月) 23時44分
>技術屋の内部監査人さん
上村達男先生と金児昭氏による「株式会社はどこへ行くのか」(日本経済新聞社)の244ページ以降で、ご質問への回答がほぼ記述されています。形式的には「実施基準」も内閣府令によって一般に公正妥当な内部統制評価の基準」に含まれますので、法令に該当するものと思います。ただし、上村先生もおっしゃっているとおり、中身は「どうでもいいことが書かれているな気がして」それだけで法的規範となるという意識には乏しいとあります。(あくまでも企業会計原則や監査基準と比較して、とのことでありますが)
法令と裁判規範については、重複しているものが多いと思いますが、法令のなかにも、国家権力(裁判所)によっては法の目的を強制できないものもあります。精神規定と呼ばれるものや、努力義務と言われるものですよね。もちろん解釈によって分かれるものもあるのですが、いちおう裁判規範であるのか、ないのか、といった分類方法があることは間違いないところです。(ここでは、法律家向けの正確な記述ではなく、あくまでもわかりやすい例としてあげさせていただいております。法律家さん、ツッコミいれないでね・・・)
投稿: toshi | 2007年10月17日 (水) 22時16分
今の”場”の雰囲気とは、一寸違った話題で申し訳ありませんが・・・・・
toshi先生、ご説明、ありがとうございます。
ご説明の中にあった主なキーワード「精神規定」「努力義務(規定)」「裁判規範」等をインターネットで調べると、いろいろなことが分ってきました。"
その中に、なんとtoshi先生のブログの「定款への『企業理念』の記載」を発見し、関連用語として「訓示規定」「精神規定」「努力規定」「根拠規定」の使い方も興味深く再読させていただきました。そうなんです。「再読」なんです。最初に読んだ時は、この「精神規定」等の文言は殆ど気にならなかったのですが、今回あらためて読み直してみると「なるほど。そういうことだったのか!」と脳みその中でシナプスが踊っているような感じになりました。新しいことに取組む時は必ず「メリット」と「デメリット」があり、それぞれの会社への影響度を考えなければなりませんね。
例えば、「この規定(定款に記載した”企業理念”)は一体、どんな効力を持つんだろうか」とか、「こういった訓示規定に近いような条文を定款に挿入することになりますと、・・・(中略)ほかの規定につきましても「努力規定」とか「訓示規定」といった解釈が出されてくるおそれはないのでしょうか?」とかです。
また、日弁連が2005年12月に「『会社法施行規則案』等に関する意見書」を出した時の情報もネットにかかりました。法務省令案の第三条に対して、「「精神規定」あるいは「訓示規定」と見られるべき規定が多数混在しているが、その内容及び必要性に疑問があるばかりか、他の「効力規定」と混在することにより、解釈上の疑義を生ぜしめ、実務をいたずらに混乱させることになるので、基本的に削除すべきである。」と。
" さらに、こんなことも発見しました。
郵便振興会(2003.5) 「金融商品販売法のコンプライアンス」の講演内容です。重要事項の説明義務(第一の柱)等はもちろんのことですが、それ以外に「3.どこまで説明すべきか」とのテーマで、下記事項を説明しています。
「法定された説明義務も抽象的、一般的なものにとどまっており、これが「行為規範」として販売の現場で機能するためには、事業者自身が具体的なコンプライアンス基準作りに取組まなければならない。この場合、単に恣意的に基準を決めるのではなく、法の審議過程での議論や、判例法理等を視野に入れて検討することが必要だ。"
" 例えば、説明の程度、すなわち、どの程度まで説明すればよいのかということは条文上明示されていない。この問題に関しては、法制定の過程で議論されており、「一般的大多数の顧客が理解できる程度の」説明という一応の考え方は示されている。
しかし、説明義務に関する判例の立場は、「顧客が理解できるまで」の説明である。したがって裁判では、この法理が適用されるかもしれない。
また公社は他の金融機関とは異なる公共的・社会的役割を担っている。したがって、現存する解釈の中で最も公社に厳しい、最も顧客に有利な解釈をコンプライアンス基準として採用するべきであろう。」"
ところで、現在当社は、中期経営計画で「CSRに徹する企業」を重点施策の一つとして取組んでいます。この施策を受けていくつかの項目の中に「コンプライアンスの徹底」があり、「コンプライアンスの基本は”人づくり”」にありとし、年次計画で各部門が重要な課題としてPDCAを回しております。
先日も、元検事の方の社内講演会がありまして、「コンプライアンス」は、単に「法令遵守」のことだけではないと話しておられました。「企業が社会から要請されるものに誠実に応えること」であると。「法令」だけではなく正に「法令等」なんですね。「法令等」の「等」には「社会規範・一般倫理等」があるとも説明されていました。似たような概念だなって感じました。
今、社会環境がいろいろな意味で激しく変化していますね。その社会の変化に対応するように、企業も法令等も変わっていくのでしょうね。法律って生きているものなのですね。「生ける法(いけるほう)」とは、オイゲン・エールリッヒが提唱した法の概念。「生きた法」とも(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia))。
なんだか、学生時代ゼミで、いろいろな資料を集めていたころのことを思い出しました。
" 今の内部監査人の立場からすると、社内ルールを作る過程(プロセス)と考え方を知ることは、内部統制の状況を確認し評価するときに大いに役立ちますね。20年以上も前の全社的なTQC(現TQM)で方針管理等のしくみ構築や数年前のISOの社内の品質・環境のマネジメントシステムを立ち上げた時のことも思い出しました。
今回は、法律の視点からの見方・考え方を知ってさらに「頑張る力」をいただいた気分です。いろいろきっかけをつくっていただきありがとうございました。 "
toshiゼミの加齢な学生(現”技術屋の内部監査人”)より
<追伸>
内部監査を始めた時から、どうやっていいかスッキリしなかったことの一つに、監査の時はどの「ものさし」を使い、どの程度の「水準」で評価・判断するか、がありました。「ものさし」=評価の基準=法令等、社内ルール、倫理などなどと大雑把には分っていたつもりでしたが、今回の件でかなり考え方が整理できた気がしております。「水準」は「社会の目」を考えて一寸先を読んで決めればいいのかな、と漠然と思っております。
投稿: 技術屋の内部監査人 | 2007年10月20日 (土) 11時10分
>技術屋の内部監査人さん
こちらこそ、お役に立てたようでなによりです。といいますか、上記コメントの中段部分は、私も勉強になりました。(^^;
法律は(そもそも)多数人の集団が平和的共存していくための「社会科学」ですから、その科学の範囲は国家の強制力が働くものから、自治会ルールのような小規模閉鎖社会の「おきて」まで、いろんなものを学ぶ必要があると思っています。あるときは「説得の材料として」、そしてあるときは「自分の行動の効果を予想するものさしとして」どんなルールがあれば適切かを、我々法律家も考えなければなりません。「生きる法」とは、まさにそのとおりでして、「どう生きているか」を認識するには、現実の社会をどこまで洞察できるか、その目を養う必要があります。
なお、裁判規範ではなく、精神規則や努力義務を定めたもの・・・ということから、そういった規約を軽く考えるとたいへんなことになる・・・という具体例もありますが、それは少し法律家やロースクール生向けのお話になってしまいますので、省略しておりますが、また別エントリーで、いちど検討してみたいと思います。
ちなみに「社内講演会」の講師をされた元検事の方って、「法令遵守が日本を滅ぼす」のあの方ですよね???笑
投稿: toshi | 2007年10月20日 (土) 22時16分