「市場と法」-いま何が起きているのか-
もう、かれこれ2年ほど前になりますが、三宅伸吾さん(日本経済新聞社編集委員 法務報道部)の著書「乗っ取り屋と用心棒」の書評を書かせていただきましたが、このたび、また三宅さんの新著「市場と法-いま何が起きているのか-」(三宅伸吾著 日経BP社)を拝読させていただきました。僭越ながら、この本のご紹介を兼ねて、若干の書評を書かせていただきます。(しかし2年前とはいえ、私ずいぶんと偉そうに書評書いてますね。。。いま読み返してみますと、おまえはいったい何様か?と思います。実名ブログのコワさがまだよくわかっていなかった頃だったんですね ハズカシイ・・・・笑)
日本が市場国家として生きていくことを選択した以上は、その市場が健全に発展するためには、一般市民や投資家から信認されなければならないわけであります。そして、その信認のためのひとつの条件としては、「規律の包囲網」が適切に構築されなければならない、そのために「法とその担い手である法律家」がいかに市場と向き合うか・・・といったところへの鋭い観察と問題提起が今回の主たるテーマとなっております。
本来、こういったテーマは法律家こそ、問題提起すべきであろうかとも思いますが、三宅さんはご自身のポジションをよく心得ていらっしゃるようであります。たとえば法律にかぎらず、ある社会的なルールが制定される場合、そのルールがなぜ作られなければならないのか、を十分議論する必要があります。(もう少しムズカシイ言い方をしますと、「ルールの正当性を基礎付ける事実を検証する」といったところでしょうか。)これを「立法事実」と言い換えるならば、この立法事実は机上の学問で習得できるものでもなく、また秀才のヒラメキによって認識できるものでなく、経験に基づいた仮説の定立と、それを裏付けるために汗をかいて実証材料を集めることにあるわけでして、これは到底法律家によってなしうるものでないことは明らかであります。「あとがき」の謝辞をみるまでもなく、経産相から、著名法律家の方々に至るまで、日経記者としての職責をまっとうして集めた取材データの分析は、まさにこの「立法事実」、つまりルール定立のための正当性を基礎付ける事実を検証するにふさわしいものでありまして、私のような「三宅ファン」ならずとも、ぜひご一読されることをお勧めいたします。丁寧な取材に基づく粉飾決算・不正会計事例、刑事司法制度の背景、敵対的買収防衛事件、法律事務所の実態、そして裁判所と政治との関係など、どれもおそらく今後の市場をとりまくルール定立のあり方について、議論の前提としての「共有資産」としての価値があると思います。
個別にいくつかの感想を述べさせていただきますと、まず今回は三宅さんの意見が最終章で大きく語られていることが印象的であります。理想論ではなく、現実社会の錯綜する利害状況を冷徹に見据えながらの問題提起でありますので、かなり説得力があります。ただ、法人処罰に関する提言部分(「日本版DPA」に関する提言部分)につきましては、アメリカの制度を導入できるほど、日本の社会は甘くないことを実際の仕事のなかで実感しているところですので、私自身は三宅さんの提言に若干異論を唱えるところであります(詳細はまた別エントリーにて述べたいと思います)
つぎに「市場への背信」のなかで、村上ファンド事件、ライブドア事件、日興コーディアル事件について詳細に触れられているわけでありますが、なかでも一番多くのページが割かれているのが日興コーディアルの不正会計事件であります。ここは日経新聞の「日興コーデ上場廃止へ」といった一面記事が、当時大きな問題となったこともあり、東証が上場廃止予測から一転、上場維持決定へと変遷していった(変遷というのは東証関係者の方からすると語弊があるかもしれませんが)経過が、見事に浮き彫りにされております。(ここは日経新聞記者として、渾身の力を振り絞って書かれたように思いました)これは個人的には読み応え十分で、圧巻です。
最後に、三宅ファンとしましては、「この次はいったいどこに視点を合わせるのだろう」といった興味がまた湧いてくる本であります。私的には、この本を拝読した感想としまして、今後さらに運用状況を検討すべきは、市場が継続的な信認を得るためのキーワードとして、課徴金制度、企業の自己規律のための内部統制、そして市場関係者による自主規制ではないかと考えております。(しかし、最終章にあります企業コンプライアンスへの提言などは、いま問題になっている「赤福」にも通じるところがありまして、たいへん興味深いです。なお、公式には10月24日発売・・・とされているようであります。)
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