この年齢(トシ)で法律を学ぶ「幸せ」
いろいろとエントリーしたいことはあるのですが、ここのところブログを認める(したためる)時間がなく、まともなお返事も書けずに申し訳ございません。m(_ _)m 先週から同志社大学の法科大学院で会社法のゼミを担当させていただいておりまして、まだ慣れないせいでしょうか、その準備がけっこう時間を要します。毎週1回京都の美しいキャンパスに向かうことはそんなにしんどいものではないのですが、本業の合間にけっこうたくさんの資料に目を通しておかないといけないですし、「今後いかに効率よく、手抜きをせずに準備するか」を検討しませんと、ブログのほうも更新が滞りがちになってしまうかもしれません。(なお、同志社のロースクール生の皆さんには、ほとんどこのブログは認知されていなかったようです・・・(^^;)
しかしながら、ひさしぶりに初心に帰って会社法を基礎から学びなしてみますと、法務ブログを2年半ほど続けてきたせいか、どの論点にぶつかっても、なかなか興味をそそられまして、たいへんおもしろく勉強させていただいております。たとえば会社法の授業では、おそらくどちらの大学でも「定款に記載された事業目的と株式会社の権利能力」といった論点を(最初の授業あたりで)学ぶ機会があると思います。私が司法試験の浪人中は、こういった論点がなんとも退屈でして(といいますか、鈴木竹雄先生の「会社法」の基本書がどうも頭に入らなかったのであります。いま想い出しても結局何を基本書として会社法を学んだのか、あまり記憶が定かではありません)、著名な昭和45年大法廷判決の政治献金事件の判例あたりを「サラ」っと読み流していただけでありました。しかし、ここ数年の某ゼネコンの政治献金事件判決(地裁、高裁)あたりを読みますと、地裁と高裁で結論が逆になっていたりして、けっこう面白い論点に変貌しているんですね。いや、ひょっとすると、「会社の定款」は以前からおもしろい論点だったのかもしれませんけど、私自身が「おもしろい」と感じるだけの実力も関心も知識もなかったのかもしれません。「会社法」だけを純粋な学問のように学ぼうとすると無味乾燥なもののようにも思えますが、商法科目らしく、現実の世界にどう機能しているか・・・といったあたりが理解できますと、条文の構造も理解できますし、自ら疑問も湧いてくるようになるのではないでしょうか。ただ、会社といいましても、大会社から家族経営会社まで、その形態は様々ですし、現実の世界と法律とをどう関連付けて考えるか・・・といったあたりは口で言うほど易しいものではないようです。
そういえば今年の株主総会では、「談合決別宣言」といったコンプライアンス条項を定款に記述する、といった上場企業もありました。いわゆる「企業行動規範」の定款への取り込みであります。かなり特殊な例かもしれませんが、この企業行動規範の定款への反映といったものが、そもそも定款の性質と合致するものかどうか・・・といったことについてはあまり議論されていないようであります。そもそも企業倫理規範とか、行動規範といったものは経営の理念であって、経営者が示すものであります。その理念に株主が賛同することもあれば、反対することもあるでしょう。いっぽう、定款は株主の意思の総和(特別決議)によって形成される規範であります。たとえ取締役会が定款の一部変更議案を上程するとしても、変更を決議するのは株主でありますから、果たして企業の倫理規範を株主が決議したり、後で消除したりしていいんだろうか・・・といった疑問が出てきてもおかしくないような気がいたします。(実はこれは元々司法書士のぐっぱるさんとのメールのやりとりのなかで、ぐっぱるさん自身が疑問を抱いておられた点です)ちなみに、そのコンプライアンス条項はといいますと、
(法令遵守および良識ある行動の実践)第3条 当会社においては、役職員一人一人が、法令を遵守するとともに、企業活動において高い倫理観をもって良識ある行動を実践する。特に建設工事の受注においては、刑法及び独占禁止法(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律)に違反する行為など、入札の公正、公平を阻害する一切の行為を行わない。
といった条項になっております。株主オンブズマンの方々が、長年要望していたことが、一部の企業において実現したわけでありますし、企業コンプライアンスの実現のためには有意義なものであることは間違いないわけですから、私自身、こういった試みに反対するものではありません。ただ、定款の法的な性質や、企業倫理規範が企業経営者による永続的な「看板」であることを考えますと、こういった試みが広範に検討されるなかで、少し考えておいたほうがいいこともあるように思ったような次第であります。
なお、先の某ゼネコンさんの政治献金訴訟は、この株主オンブズマンの方々が原告となっておられる株主代表訴訟でありますが、実は地裁や高裁の判決のなかでは、定款の記載が取締役の善管注意義務の根拠条文に影響を与えたり、経営判断原則の考え方に影響を与える可能性を示唆しているんですね。ということは、定款に役職員の行動規範を記述する、といったことは、道義的もしくは倫理的な意味合いを越えて、法的な意味合いをも含んだものに進化する・・・ということも言えるかもしれません。また、こういった考え方の延長線上には、蛇の目ミシン判決の最高裁と高裁との判断の違いが見えてきたり、ダスキン高裁判決の考え方が見えてきたりするわけでして、いろんな論点がつながってくるわけであります。「談合との決別」を宣誓した役員の皆様方にとって、この「定款への決別宣言組み入れ」が、どれだけ重い意味を持っているか・・・ということを、こういった会社法の基本原則のような論点を改めて学ぶなかで認識することができました。(なお、これはあくまでも私見であり、これが関係当事者の真意なのかどうかは定かではございません。ねんのため)
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コメント
そうですか。ロースクールの学生はこのブログを知らないのですか。
けしからん。(ロースクール卒ではないですが、少し先輩風)
私が学生時代に先生のような人がいれば、もっと法律が好きになったかもしれません(笑)。
この大学の教授陣のマンネリ(だった)こと。
「違法性を棄却しない」とか言い回しがややこしく、政治学科でゼミを取った次第です。
今そのつけを、大きく払わされていますが・・・。
少し、グチでした。
ゼミがんばってください。
投稿: katsu | 2007年10月11日 (木) 02時42分
katsuさん、こんにちは。
いま、2回目のゼミが終了して、(カミングアウトされているので申し上げますが)同志社近くの「わびすけ食堂」に来ております。やっぱり留学生とか多いですね。京都を感じます。
ゼミ終了後も、何名かのロースクール生から、いろいろと質問を受けたりして、少しずつなじんでこれたみたいです(^^;某教授から、来年は2コマ担当してもらえないか、と打診を受けまして、ちょっと絶句しております。。。
以前、普通の弁護士をしていたころは修習生の指導を担当しておりましたが、さすがに最近はコンサルタント的な仕事が多くなったため、修習生指導はなくなりました。その分、こういった形で後進指導を続けていこうかと思っております。
またときどき、(企業法務担当者にも役立つ)ロースクールネタも織り交ぜますので、今後ともよろしくお願いいたします。
投稿: toshi | 2007年10月11日 (木) 13時26分
●この年齢(トシ)で法律の凄さに気付く「幸せ」
もともと出身が技術屋であるため、「法律を学ぶ『幸せ』」にはいたりませんが、最近「法律の凄さに気付く『幸せ』」を実感している”技術屋の内部監査人”です。
監査部門に配属になって今年で4年目になりますが、当初は「何でこんな部門に来たのだろう・・・・・」とそんな時期もありました。が、最近は、特にお酒が入ると「もし、生まれ変わったら、今度は法学部に行きたい!」と言うことが多くなってきています。
今、PHP新書の矢部正秋氏が書かれた「プロ弁護士の思考術」を読んでいますが、経験を通した実務的な思考術にはまっています。ひょっとしたらお酒を飲みすぎると「もし、生まれ変わったら、今度は弁護士になりたい!!!」と言いそうな気分になっております。
とりとめもない内容になりましたが、当ブログを読んで一言書きたくなりましたので・・・・・
投稿: 技術屋の内部監査人 | 2007年10月11日 (木) 20時58分
技術屋の内部監査人さん、どうもありがとうございます。COSOのモニタリング指針に関する続編が滞っておりましてすいませんです。。
ロースクールには、多種多彩な前職をお持ちの方もいらっしゃるようですので、いまからでも遅くないのでは?(笑)
最近発売されました「2008年版 ポケット六法」を見ながら、ロースクール生に「あれ?民法の条文がなくなってるんだけど?知ってた?」といいますと、あっさりと「先生、今年の12月から改正民法が施行されるんですよ」と教えられてしまいました。(^^;
ふだん、使わない法律となりますと、こんなもんです。。。
いくつになっても「学ぶ」姿勢は必要だと思います。
投稿: toshi | 2007年10月11日 (木) 22時41分
こんばんは。ずっとROM状態でしたけど久々にコメントできる話題でうれしいです。
>「わびすけ食堂」
確か「イモねぎ」が美味しかったですよね。
私もサラリーマン生活の中で法律学や経済学をもっと勉強できたら幸せだろうなあ、って思います。
投稿: fuji | 2007年10月11日 (木) 23時47分
>fujiさん
どうもおひさしぶりです。
うわぁ!そのとおり、きょうは「イモねぎ定食」を食しました。
そぼろのような「ひき肉」は昔から同じなんでしょうかね?(笑)
留学生の方々も「imonegi」食べてはりましたです。。。
fujiさんもあそこのご出身なんですね。
法律や経済、経営学は実学といえる部分がありますので、実際に社会に出てから「やっときゃよかった」と思うところがありますよね。おそらくfujiさんなども、ある専門分野については普通の法曹よりもお詳しいと思うのですが、やっぱり基礎的な部分で「法律的なモノの見方」のようなところに不安を抱いていらっしゃるのではないでしょうかね?私もやはり会計学の基礎が乏しいために、どうも会計士さんに一歩引いてしまうようなところがあります。
fujiさんのような方々が少しだけでも「法律を勉強した」と思えるような話題を、これからもコマメにアップしますので、またのぞいてやってください。
投稿: toshi | 2007年10月12日 (金) 01時36分
●弁護士の経験を通した実務的な思考術とは・・・・・
弁護士の思考術とは、乏しい情報の中で「仮説と検証」を愚直に繰り返し、問題を解決する考え方、と捉えました。矢部正秋氏が書かれた「プロ弁護士の思考術」を読んでの感想です。
2週間前に、キム拓主演の「HERO」を観ました。こちらは検事が主人公でしたが、愚直なまでに事実を追いかける姿勢にジーンときたことを思い出しました。企業でも同じことで、思い込み(検証のない1回ぽっきりの仮説)はいつまでも通用しませんし、「多数意見」を「正しい意見」と錯覚しないようにしたいものですね。
今の監査部の仕事に関わってから、今まで以上に「事実」と「意見」を混同しないように気をつけようと思っています。
朝から、つまらない話ですみません・・・・・
投稿: 技術屋の内部監査人 | 2007年10月13日 (土) 10時26分
「仮説と検証」はもちろん必要ですが、上手な仮説が立てられるかどうかは、人間として生きてきた経験と、経験から学んだ知恵だと思います。弁護士の世界には、多種多彩な経歴を持った方々が進んでいただきたいと思うのは、こういったところにあります。(もちろんそういった経験がない場合には、愚直な仮説検証を繰り返す必要があると思いますが)あと、弁護士として勝負に強いかどうかは、「空気が読めるかどうか」にかかってますね(笑)。裁判官がどの論点に疑問を感じているかとか、どういった主張をしてほしいと考えているのか等、空気を読める弁護士って、意外に少ないように思います。これも弁護士の大きな能力のひとつだと考えます。
「事実」と「意見」を混同しないように留意・・という件は、そこにお気づきになられたとしたらスゴイです。このブログでも、再三申し上げておりますように、内部通報制度における社内担当者のウイークポイントは、この「事実」と「意見(偏見の場合もある)」との混同です。この峻別は、言うはやすし、行うは難しですが。
投稿: toshi | 2007年10月13日 (土) 15時22分
●「『仮説と検証』を愚直に繰り返し・・・」の補足説明
早々のご返事、痛み入ります。意図したことが十分伝わらなかったような気がしましたので、補足説明させていただきます。
「(自分も含めて)惰性で生きている多くの人を動かすには何が必要か、きれいな理屈だけで、惰性となった習慣や生き方を変えてくれる人は多くない。頭では感心しても、身体までは動かそうとしない。観念的には感心しても、生き方までは変えてくれない。
それでは、どうすればいいのか。一番重要なのは、「えー、そこまでやるの。それは凄い!うーん。」と周りの人を動かせること。その人の価値観や感情を根底から揺るがすだけの「凄いこと」がこれでもか、これでもかと人々の前に次々に立ち現れる。そうなってはじめて人は惰性を改めてくれるのである。
現実に人を動かし、世の中を変えることができるのは、自分の信念を「愚直に」「地道に」「執拗に」実行する人である。口先だけの美しい理論を振りかざすだけで現場に出てこない人はまずだめだ。・・・」
これは勿論小生の言葉ではないのですが、「愚直」とか「凄いこと」を正確にわかっていただくために、あえてある人の言葉を使わせていただきました。凡人はいい年になってもなかなか「愚直」に「凄いこと」ができないものですから。
矢部弁護士の思考術(≒ものの見方・考え方)を自分なりに捉えようとしたときに、上記のことをいいたかった・・・・・
あまりうまい補足説明になってないかもしれませんが・・・・・・・
投稿: 技術屋の内部監査人 | 2007年10月13日 (土) 18時11分