断熱材性能偽装に怯える企業
金商法関連の法律雑誌の原稿(締め切り間近)やら、ロースクールの準備やらで、新聞も読む暇がなくバタバタしておりまして、内部統制ネタやうなぎパイネタも書けないままになっております。ただ、ひとつ気になるニュースについてコメントさせていただきます。ニチアス社、東洋ゴム社と、立て続けに断熱材の耐火性能偽装が話題になっておりますが、どうも建材を扱っていらっしゃる方々のお話をお聞きしますと「ニチアスさんはかわいそう。」といった印象をもたれているようでして、私自身はおそらく今後も耐火性能偽装に関する企業不祥事はまだ続くのではないかと予想しております。
私のブログは企業サイドに立ってコンプライアンスを語ることが多いために、「あんたは不祥事企業に甘いのではないか」と批判をいただくこともありますが、そもそも1%の経常利益をアップさせるために必死に売上を向上させ、また経費を削減しようとしている企業にとりまして、不祥事など、けっしてなくなるわけはないのでありまして、すこしでも不祥事発生頻度を減少させたり、すこしでも早期に不祥事を発見したり、すこしでも発生した不祥事による損害を低減させることこそリスク管理としてのコンプライアンス経営の要諦であります。そのためには、やはり不祥事発生の動機をできるかぎり掘り下げて検討しなければ、ありきたりな解決方法の採用で終始してしまい、思考停止に陥ってしまいますので、ある程度、企業側の論理というものも検討してみる必要はあろうかと思われます。(企業不祥事が発生したときに、もっともらしい原因を見つけ出すのは比較的簡単でありますが、その原因を除去する対策が立てられていたとしても、やはり不祥事が発生した可能性が高いのではないか、という検証をすることも同じように重要であります)
ということで、ニチアス社の件でありますが、この企業不祥事の特徴といいますと、性能評価機関へ断熱材を持ち込み、そこで審査を受けるというものでありますが、この審査というのが一回500万円ほど要するものであり、もし審査がパスしない場合には、その後何ヶ月も審査手続きの順番を待たなくてはならないというもののようであります。(なお、ドアノブの部分がふっとんで、小さな穴から火が通ってしまっただけでも審査はアウトのようであります。)簡単に断熱材を持ち込んで審査が受けられるわけではなく、たいへん大掛かりなセットを組んで実施されるようですので、審査料以外にも、企業自身の金銭的負担を大きく、担当社員からすれば、もしパスしなければ社内における自身の地位にも影響するとのこと。そんななかで、各社とも一回でパスできるように、(詳細は書けませんが)いろいろと工夫(裏ワザ)がなされているようなんですね。(ということで、「ニチアスさんはかわいそう」といった表現が使われているのかもしれません)これが実態ということでしたら、ニチアス社も東洋ゴム社も内部告発によって具体的な報道に至ったことからしましても、別の企業において同様に断熱材性能偽装が発覚する可能性もやや高いのではないか・・・と予想をしております。
もちろんニチアス社や東洋ゴム社の性能偽装は「勝手な企業の論理」であり、許されるものではなく、厳しく糾弾されるべきものではありますが、そのまえに少し明らかにしておいたほうがいい問題もあるんじゃないでしょうか。ひとつは、性能評価機関というところは、これまで他社含めて、どれだけの偽装を発見してきたか?という問題であります。目の前で審査に通らないような性能であることが判明すれば問題ありませんが、審査を通るような工夫(裏ワザ)を解明して、アウトと宣告できたケースはどれほどあるのか、という点は今後の再発防止策の検討にとってはきわめて重要な点ではないかと思います。よくいわれるところの「性弱説」に立つならば、違法行為を犯したくても犯せないのか、違法行為は容易に犯すことができるけれども、ばれたときのことを考えて自律的に慎まなければならないのか、これは防止策検討にとって大きな差であります。
それと、もうひとつは(先にも述べたところと関連しておりますが)、こういった大掛かりな偽装については「組織ぐるみ」なのか「担当者判断」なのか、という点であります。私が本日、お聞きしたところでは、十分に担当者レベルだけの偽装動機が成り立つようであります。もちろん、社内で何度も保湿成分チェックなどを繰り返すようでありますので、偽装グループのような集団があるのかもしれませんが、それでも「担当者判断」であればリスク管理の一環(内部統制システムの構築問題)として捉えるべきものであり、経営トップが関与していたような事例でありましたら、もはや内部統制の限界であり、企業の社会的評価は大きく毀損されてしまうはずであります。(その意味で、ニチアス社の場合は、発覚後に社内で性能偽装の問題を隠匿していた事実が判明しておりますので、不公表という事実がもっとも非難の対象になってくるものと思われます)東洋ゴム社の場合、早々とトップの辞任意向が伝えられておりますが、性能偽装に至る動機がどこにあるのか、まず調査解明することが第一順位ではないかと思われます。
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コメント
>「組織ぐるみ」なのか「担当者判断」なのか
よく引合いに出されるフレームワークですが、私、実はこれがよく判らないですよね。何をもって「組織ぐるみ」というのか。この2つに切り分けることにより狙っている効果の影響の大きさからすると、安易な捉え方(決め付け)はいかがなものかと。「定説」「通説」と呼べるようなものはあるんでしょうかね? 何となく雰囲気で使われているように思えるんですが。
投稿: 監査役サポーター | 2007年11月 9日 (金) 00時30分
おっしゃるとおりですね。
あの日興コーデの不正会計のときには、私はマスコミが「組織ぐるみ」と報道しているにもかかわらず、「組織ぐるみではない」と最後まで疑問を呈しておりました。(結果的には東証も「組織ぐるみとまでは認められない」とされていましたが)
私がとりあえず通説と思って考えているのは、やはり「経営トップが関与していた、もしくは知っていながら黙認していた」場合が「組織ぐるみ」と評価してもよい場合であると考えております。最近はすぐに「経営トップの考え方次第」などといわれるケースが多いのですが、この言葉で納得してしまいますと思考停止に誘引してしまうと思っております。そこで、十分吟味していこうという気持ちは今も持っております。
投稿: toshi | 2007年11月 9日 (金) 02時54分
見当違いを書いてしまいそうなのですが一言二言申し述べたいと思います。
営利企業が徹頭徹尾に清廉潔白、公明正大などをその事業遂行において長期に維持するのはほとんど理想論に過ぎない点、多くの人が事実として認めるものと考えます。
そのような中では准清廉潔白、概ね公明正大であれば、及第以上の姿勢と言えるのでしょうが、例えば営利企業が事業拡大や新規事業の推進などの中で強行突破せざるを得ない場面に直面した場合、大なり小なりイリーガルな選択肢を視野の正面に据える事がままあると思われます。
清濁併せ呑む、玉石混交の選択肢で進めざるを得ないメタ現実世界で必要悪容認を突きつけられる人は責任に比例して多くなると思われます。全体的利益を維持するために少数のイリーガルを容認する苦渋(的合理?)の選択は責任あるものの普遍的命題だろうと思います。
さて、これらを必要悪と言った時、これら必要悪が必要悪であるためにはこれらをブラックボックスに入れて全般的社会から隠して初めて必要悪として成り立つと思われます。必要悪は関係者限りであるはずです。
内部告発などでこれが明るみに出て、それが社会的影響を伴っていたとなれば「不祥事」となり、法と社会が責任を追及する──概ね清廉潔白であっても出来心はいつあろうともおかしくはないと言う現実は、永遠のテーマと言うか、事業にまつわる因縁・宿命のようであります
このような陥りやすい習性を正し、社内においてすらブラックボックスに入れられるかもしれない故意的誤謬や不正、社会性において離反しながら企業目的としては正当視可能なものに対して、経営者はいかにこれらを律していくかが「コンプライアンス経営の要諦」だと論じられていると思います。そうすると、副次的ではありますが、ブラックボックスがある事が問題を誘引すると言う仮説が立てられそうです。
プロセスを見せずに結果だけを見せる、と言うのはもっともありそうな、それでいてそれなりに見えるブラックボックスで、それがそうだとすら気づかせない事もあるかもしれません。これに対抗し得るのは透明性の高い情報開示システム──とか言うと如何にもくさいのですが、それはブラックボックスを減らす方式だと思われます。
そうだとすれば、内部統制の整備と充実がこのブラックボックスの駆逐に貢献するかが論点になると思われますが、これのみではむずかしいと考えざるを得ません。必要悪の選択肢を行なうかもしれない一人称がブラックボックスを減らし、かつブラックボックスを見つけたら蓋をすべて開けて検分していると言っても自己証明である以上、単なる主張に終わっています。そうなると第三者の批判的立場からの適否検証が必要となるわけですから、なるほど昨今の内部統制運動に至るのはむべなるかなであります。何とかして正しく普及させたいものですが──現実を見るにつけ、深く悩む毎日です。
投稿: 日下 雅貴 | 2007年11月 9日 (金) 13時59分
toshi先生のご指摘、その通りと思うのですが、ただ「断熱材」の製造・販売を生業とする会社であれば、そもそも断熱材の「審査」の段階に、大きなボトルネックがあると認識しておく必要はあったのではないでしょうか。具体的には(1)審査に通らないリスクと、(2)通すためのプレッシャーから不正を起こしてしまうリスクです。
起こってしまったことを振り返れば、そういうことになるのかもしれませんが、数字とにらめっこしてばかりいると、そういう想像力が低下してしまうということではないでしょうか。これを内部統制の限界と言ってしまっては、きちんとやろうとしている会社からは…。組織ぐるみではないとしても、組織の不作為はあるということです。
投稿: フック | 2007年11月 9日 (金) 16時45分
日下さん、フックさん貴重なご意見ありがとうございます。内部統制の限界なる概念も、軽々しく使うことは慎むべきだとは思いますが、リスク管理の手法であることと、内部統制は万能ではない、といった前提で、議論の深化のために使いたいことがありますのでご容赦ください。
なお、本日たいへん興味深い続報ニュースが出ておりますので、さらにこの話題について検討してみたいと思います。どうか、至らぬ点につきましては、またご意見をお願いします。
投稿: toshi | 2007年11月10日 (土) 20時03分