行政調査の拡大と内部統制システムの構築
きょうも東洋ゴム社や伊勢丹社など、大手企業の商品不正表示問題が新たに発覚しておりますが、連日の不正表示事例から思いますところは(刑事事件か行政事件かは別として)、もし企業による商品不正表示を問題とするのであれば、その不正表示が企業の故意に基づくものか、それとも過失によるものなのかは、明確に分けて考えるべきではないか、ということであります。ここで「故意」といいますのは「組織ぐるみ」の場合や従業員が上司に黙って不正表示を繰り返し行っていた場合を含むものでありまして、一方「過失」といいますのは、表示シールを単純に間違って貼ってしまっていたような「誤表示」の場合とか、取引先から送られてくる原材料(加工品である場合)が消費期限切れであったり、原材料の成分が虚偽であることを知らずに、これを用いて自社製品を製造販売したような場合であります。もちろん、あとで原材料の消費期限切れが判明した場合には、一般消費者向けに原材料の不具合を告知して、商品を回収する努力は当然でありますが、昨今問題となっております赤福社や船場吉兆社のように、自社で消費期限を偽装していたような事例と比較しますと、その違法性にはかなり大きな差が認められるように思います。
ただ、よくよく考えてみますと、原材料の表示が偽装されていたとしても、その加工品の原材料を仕入れた加工食品の製造会社が、全くの被害者的存在であるかといいますと、かなり怪しい場面もあるのではないでしょうか。実は私が社外監査役を務める企業(外食チェーン店産業)にも、事件発覚の前にミートホープ社の担当者がやってこられまして、加工食材の営業をされておられましたが、それがずいぶんと安いんですね。当社の担当者は長年の経験から、当然に相場を知っておりますので、あまりの怪しさに「これはちょっとおかしいんじゃないの」と思って取引をお断りした経緯がございました。こういった「やましい可能性のある商品」というものは、競業他社の加工品と比較すると著しく安価な場合が多いかもしれませんし、これを十分な検査もせずに購入する側において、まったく落ち度がないものかと言えば、多少の疑問を感じるところであります。また、ひょっとすると、仕入れ担当者と営業社員との間でリベートが発生しているケースもありますので、そうなってくると、いくら自社で偽装しているものでないとしましても、共犯関係として原材料の加工業者とは連帯責任を問われる可能性も出てまいります。
結局のところ、加工食品の製造過程に携わる企業には、消費者に開示すべき品質に関する情報の真正については共同で責任を負担してほしい・・・といった思想から、このたび農水省では食の安心に対する消費者の信頼確保に向けて、食品の業者間取引における表示義務の拡大のための法改正(正確には加工食品品質基準の改訂)に踏み切るようでありまして、その結果、JAS法に基づく行政調査の範囲が「業者間取引」にまで及ぶようになりそうであります。(JAS法の品質表示の適用範囲の拡大について)ただ、私のブログをよくお読みいただいている方はおわかりのとおり、これまでも、この「行政調査」の結果、食品不正表示に関する問題点が次から次へと明るみになるわけでして、企業の社会的評価が毀損されるかどうかは、この(問題発覚時における)行政調査の範囲がどこまで及ぶのかによって決まるといっても過言ではありません。そして、行政調査自体は、本来的には加工品を納品する側の原材料表示の適正性を担保するためのものでありますが、加工品から食品を製造販売する企業が果たして不正表示による加工品原材料を、知ってて使っていたのか、それとも知らずに(つまり騙されて)使っていたのか、といった製造販売会社側の事情までも判明する可能性が高くなるのではないでしょうか。これは加工食品製造会社にとっては大問題であります。行政調査は行政処分を発動する前提としての行政活動でありますが、そもそも刑事手続ではありませんので、加工食品製造会社に故意過失がどうであれ、また動機がどうであれ、違法と疑われる状況さえあれば、国民の生命身体の安全を確保するために、とりあえず行政措置を発動する可能性があります。そういったケースでは、おそらくマスコミにも報道され、加工食品製造会社自身が刑事罰を受けたのと同等の社会的な評価低減に至る可能性も出てくるかもしれません。手続的には行政手続きであり、要件該当性判断においては甘いものであるにもかかわらず、その行政処分の持つイメージは、社会的には企業自身が刑事手続きによって罰則を受けたのと同じほどに社会的信用を毀損する・・・という現実は、なんともコンプライアンス経営のおそろしい側面であり、企業経営者にとっても留意すべき点のひとつではないかと考えております。
ところで、こういった行政調査の拡大場面におきまして、やはり企業価値を防衛するものは「内部統制システムの構築」にあると思います。加工品納入業者(取引先)への食品安全調査の実施(つまり食品会社自身が、取引先の食品の安全を確認すること)や、納品時の表示された内容の確認方法のマニュアル化、マニュアルによる実行へのモニタリング、ヘルプライン(内部通報制度)の充実など、さまざまな工夫が考えられます。そしてそういった内部統制システム整備の目的は、なんといいましても「組織ぐるみ」と疑われるような間接事実を否認できるようにすること、そして業者間取引に関与していた自社担当者において、加工原材料納品業者との間で、やましい流通慣行の事実が存在しないことを明確にしておくためであります。今回はたまたま食の分野における行政処分と内部統制との関係に触れておりますが、これはJAS法だけの問題点ではなくて、広く行政処分によって不利益を課される場面にも通じるものであります。機動的かつ迅速に法目的を達成することが可能なところが行政処分の長所でありますが、その分あいまいな要件で企業側が不利益を課されるリスクもあります。そういった企業の重大なリスクマネジメントの一環として、自助努力は欠かせないところではないかと思いますし、「事後規制社会」における企業に必須の防衛策は、まさに内部統制システムの構築にあると考えます。
5日の夕刻、昨年に引き続き、今年も食中毒事件を発生させてしまった外食企業による適時開示情報が出ております。多くのお客さまに繰り返し現実の健康被害を発生させた企業の不祥事にはなんらマスコミは関心を示さず、いっぽう健康被害は一切出ていないにもかかわらず、表示に瑕疵があった企業については、国民を欺いた責任は重いと言わんばかりの連日の報道であります。どちらの企業のほうが悪いのかは(いろいろな視点があるでしょうから)別として、これが現実の「世間一般常識」であるならば、その一般常識への配慮もまた十分な吟味が必要な世の中になってきたのでありまして、ここにもコンプライアンス経営のむずかしさが潜んでいるようであります。
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コメント
私は、この積極行政の動きを、あらたなコンプライアンス・リスクと捉えていますが、そのインパクトは計り知れない大きさを持っています。企業としては、この行政の積極化というコンプライアンス・リスクへいかに適切に対応していけるかで、先生のおっしゃるように、企業価値は著しく変わってくると思います。
行政調査や行政処分の多発の背景には、国民の意識の高まりがあり、その国民の意識の高まりを後押ししているのがマスコミです。言い方は悪いですが、行政が積極的に調査を行い、処分を下すのは、政治的な要請はもちろんありますが、根底にあるのは、国民の意識の変化だと思います。行政の動きが悪いと、マスコミがそれを批判し、その批判が国民に介されて肥大化し、行政への大きな圧力になるからこそ、批判されないために先手を打っているというのが、現状ではないかと評価しています。
行政調査によって、次々と事態が発覚し、行政処分によって著しく経営を圧迫する。これが現代のコンプライアンス・リスクの最たるものではないでしょうか。コムスンやノバの例を持ち出すまでもないですが、行政処分により、事業継続に困難をきし、最悪倒産まで追い込まれるほどの切れ味を持っているのです。
投稿: コンプライアンス・プロフェショナル | 2007年11月 8日 (木) 01時39分
コンプロさん、おひさしぶりです。
きょうのエントリーとも関連しますが、日本における「企業と行政処分の関係」は、ほとんど「法の支配」からは遠いですね。(あくまでも現実論です)企業と行政の関係が旧態依然のところへ、コンプライアンスの新しい考え方が混入しますと、企業にとってはきわめておそろしい立場に陥ってしまうというのが現状ではないでしょうか。
不二家再生委員会の活動などが、こういった現状を打破するためのひとつのモデルケースであったような気がしますが、いかがでしょうか。
投稿: toshi | 2007年11月 9日 (金) 02時48分
TOSHI先生、確かに行政権力の肥大化・積極化により法の支配が聞いていない現実はあるかと思います。改憲議論の流れを受けた現在の政府・官僚等の行政機関では、大事な法の支配等の精神が骨抜きにされそうな危惧がありますが、憲法論となるとそれこそ企業実務、企業法務の話題からは遠くなりますので、これ以上深入りはしません。いずれにしても、個人情報保護法や金融商品取引法などで、監督官庁から各種ガイドラインが出され、企業実務に大きな影響を及ぼしており、このようなガイドライン行政の横行の現状に鑑みれば、一層、法の支配からは遠ざかる状況になるのかもしれません。
労働法の分野では、労基署の見解と裁判所の見解が異なることは良くありますが、このようなねじれ現象といいますか、2面的コンプライアンスが、実は企業にとっては、出たとこ勝負になってしまい非常に怖いのですが、このような状況が労働法以外の分野でも通常化しかねないことを考えると、ぞっとしてしまいます。
さて、先生もおっしゃるように、不二家のような第三者委員会によるコンプライアンスの強化、行政等への問題提起、架橋というのは一つの優れたモデルではあるかとは思います。しかし、不二家のケースは、郷原教授が関与されていたから、議論の内容の是非はともかく、あそこまでの活動が出来たのではないかと思います。郷原教授の解く、フルセット・コンプライアンスの中の環境整備コンプライアンスの考え方を実践されたのが、不二家のケースだったのではないかと思います。その意味では、第三者委員会による架橋や問題提起も、少なくとも現時点では、極めて極限的な効果しかないのではないかと思います。
企業の中では、第三者委員会の位置づけとしては、依然として外部専門家の調査機関という位置づけが強く、また第三者委員会に関与される方もその意識が強いのではないかと思います。一部、先生が重要性を強調しておられる行政法専門弁護士の問題とも関係するのかも知れませんが、行政や現行制度の問題を積極的に問題提起しながら活動していく意欲のある、第三者委員、特に委員長を務めるケースが多い弁護士がどらくらいいらっしゃるかについては、申し訳有りませんが、非常に少ないのではないのでしょうか。行政裁量に大きく影響を受けながら、それが法的解釈としては成り立たないNOVAのようなケース(ポイントの換算式)のようなケースでは、第三者委員会は機能しにくいと思います。
とすれば、企業としては、やはり、別のエントリーのコメントに書かせていただいたように、
1.他社の例を他山の石にしながら、
2.経営者、取締役自らが、自社の状況を改めて確認、検証し、
3.問題があればすぐに改善を支持し、率先して行動し、
4.早め早めに消費者や社会に情報開示を行う
ことが必要になってくると思います。
勿論これだけで、行政と司法のダブルスタンダードの現状を打破できるわけではありませんが、ニュース等で、司法、行政それぞれの動きや方向性考え方を把握しながら、それを踏まえて改善・対処していかざるを得ないのではないかと思います。少なくとも他社の事例に目をむけ、自社の問題点に取り組む姿勢を内部統制システム自体も求めているのではないかと思いますが如何でしょうか。
実際の例を見ると、行政による処分を受けているケースでは、法令や社内規程に違反していたケースが多いです。とすれば、行政処分や調査を受けないためには、他社の事例等に着目しながら、それを踏まえて、自社の現在の運用が法令に違反していないか、社内規程に違反していないか、その当たりを絶えず問題意識を持って、組織全体で見ていくしか現実的な対処方法はないのではないかと思います。
第三者委員会は、現在では、ある意味事案が発生した後のクライシスマネジメントの一環として現在は位置づけられていると思いますが、事案を発生させてからでは現実に処分等を受ける可能性もある以上遅いわけで、平時のリスク管理手法としては第三者委員会はなかなか使いにくく、結局は企業が自らの平時のリスク管理の中で対処していかざるを得ないのではと思います。
その意味では、新しいコンプライアンス観を持ち込むと企業の現場が混乱するというのは確かですが、行政によるコンプライアンス・リスクを前提とした上で、他社事例を参考にしながら一定程度の行為規範を見出しながら、企業活動の自由を確保していく形で、対処していくしかなのでしょうか。法の支配には程遠いですが、法の支配の原点にある自由主義的発想を企業自らが、一定程度取り入れていくしかないのではと思います。
余談ですが、強引な見方かも知れませんが、裁量的な解釈運用による調査権・処分権の発動を通じて、結果の妥当性を追求していこうとする行政の結果無価値的発想と、法の枠内で企業の予見性や行動規範性、限界なども考慮していく司法の行為無価値的発想の間で、企業活動が萎縮している部分があるのかも知れません。穿った見方なのかも知れませんが、現在の企業のおかれた現状に、処分が伴う際の結果無価値的発想の怖さを見ているような気がしています。
投稿: コンプロ | 2007年11月 9日 (金) 21時05分