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2007年12月16日 (日)

見えてきた「赤福再生への道」とその教訓

300年の歴史上、未曾有の危機に直面していた赤福社が、なんとか創業者社長を残したままで、再生を果たす道が開かれたようであります。不二家、石屋製菓は、赤福社同様「消費者に愛されてきた銘菓」を作り続けてきた企業であるにもかかわらず、経営者トップが変わらなければ、その看板を掲げ続けることは困難でありました。しかしながら、赤福社は(同族色が薄められたとはいえ)、「組織ぐるみ」「経営トップの不正関与」をあいまいにしたままで、なおかつ経営トップは変わらることなく、見事再生への道を選択することを可能としたようであります。(12月14日に三重県に改善報告書を提出した段階で、突然マスコミのトーンも「赤福への期待」などと、少し前までとは180度変わっております)「組織ぐるみ」であることを曖昧にしたままでの再生といえば、日興コーディアル社による不正会計事件が記憶に新しいところでありますが、あのときも、経営トップはすべて入れ替わることで、「統制環境の変化による再発防止」を印象づけたわけでありまして、日興コーデ社の件と比較しましても、このたびの赤福社の再生への道は、見事というほかはありません。石屋製菓の元経営者の方も、この赤福社の復活への兆しや、「白い恋人」の売り切れ続出のニュースをみながら、「あぁ、俺も銀行から会長さんを迎え入れて、自分は社長にとどまっていればよかったのかも・・・」などと後悔をされているのかもしれません。

もちろん、今後の改善計画の実践には、まだまだ赤福社による必死の努力を要するものと推察いたします。しかしながら、このたびの赤福社の経過をみて、今後同じような「食品偽装事件」を起こしてしまった企業にとりましては、「あぁ、赤福のように振舞えば、なにも経営トップが辞任しなくてもだいじょうぶなんだ。要は行政から『組織ぐるみ』と断定されても、最後まで粘って否定していれば、世の中はなんとか許してくれるんだ」と認識された方も多いと思います。こういった前例を赤福社が築いたことは今後の食品偽装を含めた不正行為への対応としては大きな意義があると思います。誤解のないように申し上げますが、「不正は最後まで認めるな」というような短絡的な教訓を、私が強調しているわけではございません。要するに今回の事件の意義につきましては、「不正の程度と企業の対応とのバランス」を冷静に考えること、および不正への疑惑が報道され、社会的信用が毀損されてしまうリスクが大きくなったとしても、「最後まで、あきらめずに事実は事実として企業の主張をまげない」ことの重要性を世間に知らしめた点であります。

消費者を騙す(消費期限表示の偽装)ことが(現場での行動なのか、経営トップの指示によるものかはわかりませんが)長年行われてきたとしましても、「マスコミによる非難」という社会的制裁によって、とりあえず「すでに制裁を受けたもの」といった感覚がわれわれの意識に根付いてきたこともあるのかもしれません。「不正行為があったとしても、とくに国民に実質的な被害が発生していないのだから、無期限営業禁止とマスコミによる相当程度の非難の嵐でバランスがとれているのではないか」といった一般消費者の意見がここのところ、多くなってきていたように感じます。つまり、国民を騙すような不正があったとしても、健康被害を出すほどではないのだから、今後再発防止策を徹底することを誓約すれば、経営者が辞めるほどではない・・・といったあたりが「罪と罰」のバランスだといったところでしょうか。また、赤福社の場合はどうだったのかは最後までわかりませんが、少なくとも今後、食品偽装事件が発覚した企業において、「組織ぐるみ」でない場合には、マスコミの非難を過度におそれることなく「組織ぐるみではなかった」と粘ることの成功例と認識すべきであります。この意義は非常に大きいと思います。なんといいましても、今後、内部通報や内部告発によって、不祥事を社内で発見した場合に、「こんなことが発覚したら、俺はやめなければならなくなる」といった間違った隠匿への誘惑を断ち切る動機となるからであります。

「辞めなくてもだいじょうぶ・・・」

赤福餅の消費期限切れ製品の販売が発覚した当初、記者会見のたびに、新しい問題点が発覚し、その都度、マスコミの非難を浴びておりましたが、あれはいったいなんだったのでしょうか。それでも社長は交代しなくてもいいわけで、このことが、企業の不祥事の早期公表を促進し、いわゆる二次不祥事を防止することへとつながることになれば幸いです。そして、もうひとつ忘れてはならないのが元住友銀行副頭取の方の会長就任であります。これはビックリでした。あの阪神電鉄・村上ファンド株式買取事件のときに、話題の中心におられた方です。メインバンクか、近鉄さんか、そのあたりのつながりなんでしょうか。最後に300年の歴史の重みを見せつけられたようであります。このような方を赤福会長に迎え入れることができた「赤福の人脈」。やはり最後は「人と人とのつががり」こそ、企業防衛の「キモ」のような気がしてまいりました。

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コメント

山口先生
ごぶさたしております。
まず受賞おめでとうございました。
早速ですが、この責任の取り方については、果たして銀行から会長を向かえれば社長は退任せずに在任できると推奨できる「やり方」なのでしょうか。今回消費者を欺いたといっても消費者側に実害がないので、まあ、この程度いい、と言っていいんでしょうか。
事例ごとの個別事情などにより、たまたまそうなった、ということではないか、後任がいる組織では、こうはいかないでしょうし、その先に会社が崩壊する会社もあるでしょうから、ことはそう簡単ではないのではないかな、と。もちろん、これは同族経営ですし、非上場ですよね。上場企業ではこうはいかないでしょう。
「責任のあり方」の議論の中で一つの例としては検討されるのでしょうが、あまり大々的に言うべきものではないように思われます。誰かをすえたら逃げおおせる、責任の所在はできるだけうやむやにした方がいい、みたいな見方はそもそも本末転倒でしょう。
いずれにしても、同種事案の動向は要チェックですね。
P.S. 船場吉兆さんの件について、どう先生はお考えになりますか。また楽しみにしています。

投稿: 辰のお年ご | 2007年12月16日 (日) 10時09分

たつのお年ごさんに同感です
赤福の場合は、財務状態がすこぶるいいことから、今回のような
再生の道が選択できたのであり、ほかの企業の場合はこうはいかないと
思います。
私は今後ますます「消費期限切れ」への消費者の関心は高まると考えます

投稿: unknown | 2007年12月16日 (日) 11時05分

のらねこです。

2007アルファブロガー受賞おめでとうございます。

赤福をはじめ一連の食料品偽装の報道に関して気になることがあります。

それは、「罪の大きさ」と「報道の取り上げ方」です。
「報道のちから」を意識しました。
とくに、視聴者へ与えるマイナスイメージです。
放送の回数や時間が増えるに従い、受けるダメージは大きくなります。
どんな会社でも、ダメージにより経営に重大な影響がでます。
偽装した企業を庇うつもりはありませんが、食品偽装ブームのようなものを感じます。

人体にほとんど影響がでない、実害は発生していない事件で、重要な社会問題として取り上げるのであれば、人体に大きな影響がでるの事件はどのような報道がされるのでしょうか。

報道機関の公正さを期待したいところです。
報道が懲罰的な性格を持つようになれば、報道機関が内部統制について一番真摯な態度で臨むことを期待します。

二度と「あるある」のような問題を起こさないためにも。

投稿: のらねこ | 2007年12月16日 (日) 22時06分

 竹村です。次から次へと書き込みしてますが、
「嘘」もバレなければ「嘘」にならない。
「嘘」も最後まで認めなければ「嘘」にならない。
日本がおかしくなってきている。大人がこれでは、子供たちが間違った方向に向かうのではないかと不安に思う。こんな大人たち世代が今現在経営層にいっぱいいるのだから、内部統制制度の限界など既に見えているような気がして仕方がない。小学校の「道徳」教育をマスコミが行って欲しい。

投稿: 竹村 | 2007年12月17日 (月) 10時53分

toshi先生の意図されるところは理解できたのですが、私なんぞが言う
のもおこがましいのですが、誤解を与えるような書き方かな・・・と
感じました。

toshi先生の意図は、私の理解したところでは、「きちんと調べがついた
真実であれば、それがマスコミの望むものでなくても、辛抱強く主張
しつづけるべきである」ということだと思います。
問題は、「きちんと調べがついた真実」なのかどうか?また、発端や
中途であやふやな(特に責任転嫁のような)情報を発表(あるいは漏洩)
した場合は、「真実の主張」とは別に、「なぜ真実を発表できなかった
か」について、明確に説明すべきだろうと思います。

それにしても、具体的な健康被害がない中で異様な雰囲気を感じて
おりましたが、本日の報道によりますと農水省に20人規模で「食品表示
特別Gメン」を配置する旨の予算計上を行うようであります。何か力の
入れどころが違うと私は感じるのですが、「佐賀牛を但馬牛と偽装」と
いうのは食品安全の問題ではなくて、経済行為・不正競争の問題では
ないでしょうか。農水省には、本当の食品の安全性(食品添加物等)や
食糧自給はどうあるべきか等の問題を追求してほしいのですけどね・・・
どうも「叩きやすい」「わかりやすい」ところから省益拡大しようと
しているように見えるのは考えすぎでしょうかね?

投稿: nightwalker | 2007年12月17日 (月) 14時39分

山口先生
アルファブロガー2007受賞おめでとうございます。
日本内部統制研究学会理事就任おめでとうございます。

投稿された皆様の、食品業界「偽装問題」に関しての様々なコメントを読み、内部統制構築部隊の人間として、また一消費者として感じたことをコメントさせていただきます。

健康被害が発生した場合は別として、無い場合大別すると①「消費期限」「賞味期限」の偽装、②「ブランド」または「材料そのもの」の偽装、③「JAS法」の表記偽装(表示間違い?)に分類できると思います。
①の件は法律的詳細を理解している訳ではありませんが、企業が科学的根拠を持って消費者に提示していると理解しています。②については、それこそ消費者に対しての根本的アナウンス義務であるべき項目であると考えます。③については恣意的なのかどうかということで、私個人的にはコメントしにくい項目と考えます。
以上から考えますに、①と②の項目はそれこそ企業自ら消費者に提示していることであり「内部統制」そのものではないかと考える次第です。(ここでは今議論されております、マスコミ対応の上手下手は考えておりませんが)
健康被害の有無及び経営者層がどれだけ情報をつかんでいたのかに係わらず、経営者は何らかの責任を取るべきだと考えます。食品会社のステークホルダーは消費者であり、企業の大小は関係ないのではないか。(お役所及び議員の皆様のステークホルダーが誰であるか考えてほしい と昨今特に思いますが(蛇足でした))

マスコミについて、外部監査役について、船場吉兆のこの先等、皆様方の議論を楽しみにしております。長々と申し訳ありません。

投稿: 素人オヤジ | 2007年12月17日 (月) 18時35分

「きちんと調べがついた真実であれば、それがマスコミの望むものでなくても、辛抱強く主張しつづけるべきである」ということには同意できますが、「辞めなくてすんだ」というニュアンスは違和感を覚えます。

結局、うそやだましたと関係なく、会社経営上重要な責任を果たしていたか否かが、辞める辞めないの場合は重要だと思います。

組織ぐるみでなかったにせよ、管理不足であったこと、信用失墜(回復の可能性はあるようですが)を招いたことなど、後ろ指を差されることは一杯あります。

世間の経営トップの方には社長を辞める辞めないでなく、組織を少しでも、現状維持して守る発想を持ってほしいものです(実際に難しいのは承知していますが)。

別に辞める辞めないにそれほど興味はないのですが、なんとなく一般的なコンセンサスとして、中小企業は大企業と違い経営資源に限りがあるため、せめて「余人を置いて他にいない」ぐらいが残留の条件にしてほしいなあ。

制度的には株主総会で決まるので、同族企業の場合結果的に意味を成さなかったとしても。

マスコミの 「無責任な責任追求」 報道に対する見解は同意いたします。

投稿: katsu | 2007年12月18日 (火) 01時13分

皆様、コメントありがとうございます。
今回のエントリーに関しては、良識ある常連の皆様より、かなり批判的なご意見をいただいたようです。
一個人のご意見だけですと、見解の相違かなぁといった認識でありますが、このようにコメントをされますと、少し誤解を招いた点もありますし、また私自身の認識の甘さもあったように思います。

要は赤福の経営トップが「やめなくてすんだ」ことを一般化した点に、皆様の「違和感」の発信源があるのではないでしょうか。それでは、なぜ今回、赤福は経営トップが辞任せずに済みそうな状況なんでしょうか。諸事情を勘案すると、「やはり赤福という企業の特質からみて、経営トップだけは代替性がない、経営トップだけは残らなければ経営が維持できない」といったあたりをマスコミや行政を含めて認識を共有している、ということなんでしょうかね。

私個人としては、まだまだこの赤福社の件につきましては、マスコミも含めてフォローしていくべき点があると思いますし、「嵐が去ったら」では終わらせてはいけない事例であると思います。

投稿: toshi | 2007年12月18日 (火) 01時32分

竹村です。私が少し飛躍しすぎてコメントを書いたのかな?という気がしてなりません。そこは、お詫びいたします。皆様の言うようにマスコミの「無責任な責任追求」報道になってしまうことへの懸念、マスコミによるフォローアップ監査報道があってもよいと思っています。そして、もうそろそろこうした偽装問題が出てこないことへの勝手な期待というものも含まれていました。今年の漢字が「偽」、来年も似たような漢字が選ばれないような社会への意識。様々な見解があるかと思いますが、内部統制担当者ながら、正直あまり、この制度に期待はしていません。今年の偽装問題もほとんどが「組織ぐるみ」でした。つまり、内部統制の限界そのものではないでしょうか?マスコミが取り上げて面白い企業ならまだしも、そうでなければ、内部通報制度(公益通報者保護法)の利用価値があまり無いとも思われます。逆にこの制度によって来年は、大手企業ばかりがマスコミに顔を出すことになる気がします。(内部告発者が取材報酬などのメリットがある企業ばかり。)一応、自分の会社は、内部告発はかなり有効ですし、内部統制の整備も順調です。問題を起こしたら、おそらく会社が・・・(2度目の経験をします。一度、前の会社で民事再生法を経験してます。)

投稿: 竹村 | 2007年12月18日 (火) 09時42分

それなら社長はそのまま残ってもらって、民放各局の社長さんを社外役員に向かえて経営を監視してもらうのが、究極の危機管理になるのでしょうか?マスコミも自社の社長が役員をやっている会社はたたかないですから・・・。現実にテレビ局の不祥事については、不祥事を起こしたテレビ局自身はそのことにほとんど触れず、他局もさらっと報道するぐらいですから。あるある大辞典の件を除いては。

私は、
>>それでは、なぜ今回、赤福は経営トップが辞任せずに済みそうな状況なんでしょうか。諸事情を勘案すると、「やはり赤福という企業の特質からみて、経営トップだけは代替性がない、経営トップだけは残らなければ経営が維持できない」といったあたりをマスコミや行政を含めて認識を共有している、ということなんでしょうかね。

という意見は、違うのではないかと思います。このようなことになったのは結果論ですが、危機管理は結果論ではありません。

そのその企業が本当の意味で事案を教訓化し、改善されたかどうかというのは、わずか何ヶ月の間で分かるわけではありません。もう少し時間をかくて検証していく必要があると思います。

マスコミの報道姿勢や過剰報道、批判ばかりの聖人君子的驕りについては、皆さんと同意見ですし、以前から何度もマスコミ批判をさせていただいておりますので、改めてコメントすることはありません。

TOSHI先生のブログの場を借りてこのようなことを言うのも非常に失礼ですが、アルファーブロガーの受賞者としてマスコミ関係者者も、ブログを閲覧しているはずです。ぜひ、マスコミの立場から議論に参戦してもらいたいものです。日ごろはマスコミは国民の代弁者気取りなのでしょうが、マスコミの常識が必ずしも世間の常識ではないことが良く分かるのではないでしょうか?企業が利益偏重で不祥事を起こすように、マスコミ、特にテレビ局は、視聴率偏重で自分達の論理のみで過剰演出や過剰報道を繰り返すわけですから。双方の立場から公平な分析、報道がないのがそれを物語るでしょう。結局、構図は同じです。テレビ局も株式会社であり、営利企業ですから。

投稿: コンプライアンス・プロフェショナル | 2007年12月22日 (土) 13時04分

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