(総合解説)内部統制報告制度(その2)
3年前のクリスマス・イヴの日(平成16年12月24日)、金融庁からディスクロージャー制度の信頼性確保に向けた対応(第二弾)なるリリースが出され、内部統制報告制度なる基準作成の必要性と、そのための具体的な制度作りが開始されました。ちょうど3年前でありますが、果たしてその当時、金融庁の立案者の方々は、このような内部統制ブームが到来することは予期しておられたでしょうか?また、先日ご紹介したような「(総合解説)内部統制報告制度」なる書物を著して、誤解されないための内部統制報告制度を声を大にして解説しなければならないような事態に至ることを少しでも想像されていたでしょうか?そもそも「経営管理手法」であったり、試査範囲決定のための監査論の世界のものであった「内部統制」なる概念が、突然、証券取引法の世界で議論されることとなり、内部統制に関する様々な意見や憶測が様々な業界において飛び交うこととなりました。そしていよいよ法施行の年を迎えようとしております。すべての上場企業におきまして、文書化(業務プロセスの「見える化」作業と、プロセス評価、監査のための記録保存方法策定作業の両方を含みます)や、具体的な運用方法、検証方法などの確定に忙しい毎日かとは思います。しかし今一度、この3年前の内部統制報告制度導入の契機となりましたリリースを読み返してみて、法としての「内部統制報告制度」が何を目的としているのか(あるいは、もっと高度な目的のための手段として位置付けられているのか)を改めて検討してみることも意味があるのではないでしょうか。
12月4日のエントリーにおきまして、金融庁立案担当者の方々によります上記解説書をご紹介いたしましたが、この本を読みますと、やはり①確認書制度との関係、②四半期制度との関係、③会計基準の整備との関係、④会計監査の充実・強化との関係、⑤連結決算重視の流れ、⑥コーポレートガバナンスとの関係など、それぞれの関係を考えるなかで、経営者評価、監査人監査の基準をどのように解釈すべきか・・・といったことを考えるヒントがいろいろと詰まっているように思います。「金融商品取引法における内部統制報告制度の導入は、開示・会計・監査に加えて、ガバナンスということが、適正なディスクロージャーを支える第四の要素として確立しつつあることを如実に示しているのではないか」なるフレーズが、非常に印象的であります。
ただ、いろいろと読んでおりますと、また疑問も湧いてくるところでありまして、内部統制報告制度とともに、義務化される確認書制度(金商法24条の4の2第1項)の運用について、少しばかりわからないところがございます。この代表者(および財務最高責任者)による確認書というものは、もし内部統制に「重要な欠陥」があり、有価証券報告書提出時点において欠陥が存在する場合でも、「有価証券報告書(または四半期報告書)の記載は正しいものである」として提出することはできるのでしょうか?それとも提出できないのでしょうか?もしくは、有価証券報告書等の記載内容について十分な確認を行うことができず、確認を行った記載内容の範囲が限定されているとして、その旨及び理由を付記することで対処すべきなのでしょうか?そもそも、財務諸表を含めた、有価証券報告書のすべての開示事項について、その真正を担保するために、確認書と内部統制報告書が並列的にその実効性が期待されているものと(私は)理解しているのでありますが、やはり確認書が有価証券報告書自体の信頼性を確保するためのものである以上は、内部統制報告制度との関係につきましても、統一的な理解が必要かと思われます。たしかに「確認書」なるものは、虚偽記載であることを隠して、真正なものとして報告しているものではない・・・ということを代表者が宣誓する ところに意味があることは承知しておりますが、もし内部統制評価において、重要な欠陥が修復されないままである、ということになりますと、虚偽記載があるとまでは確定的にはいえませんが、「有価証券報告書の内容において虚偽記載が存在する可能性がある」ことまでは認識しているはずであります。そういった状況のなかで、果たして「確認書」は提出できるのでしょうか。経営者が確認書を提出するにあたりましては、財務諸表の確定作業のプロセスや内部統制評価、そして開示統制などに関する確認作業が前提となっているのではないかと思いますので、内部統制評価に関するところも重要な内容になってくるのではないかと考えられます。したがいまして「内部統制評価においては重要な欠陥はあるが、それ以外の部分から判断して有価証券報告書に虚偽はないものと認め、確認した」と果たして言えるのかどうか、このあたりの整理につきまして、ご存知の方がいらっしゃいましたら、またご教示いただけましたら幸いです。(ひょっとするとパブコメ回答集のなかに、金融庁の考え方のようなものが記載されていたかもしれませんが、私自身は記憶がありません。また、日本の制度の場合、内部統制報告書自体に対する確認書制度はありませんので、今回の確認書制度は、「確認に至った理由のひとつ」として、経営者が内部統制を有効と評価した経緯についてもとりあげざるをえないのではないかと思っております。したがいまして、これまでの任意に提出する確認書の作成過程はそれほど参考にはならず、まさに「内部統制報告制度と確認書制度との関係」をどう理解するか、にかかっているのではないかと思います)
おそらく確認書も提出をしない場合には、30万円以下の過料(四半期報告書に係る確認書の不提出については10万円以下の過料)に処せられることとなりますので、どんなことがあっても「確認書」は提出しなければならないと思います。また、一般的には、内部統制報告制度におきまして、「有効ではない」と経営者が評価した場合であっても、その欠陥が虚偽表示リスクを及ぼす項目について、試査の範囲を拡大する、サンプル数を増やす等によって、財務諸表監査では適正意見をもらうことができる、とされておりますので、ひょっとすると経営者自身が「確認した」と宣言することもできるのかもしれません。このあたり、上記(総合解説)を読みましても、よくわかりませんでしたが、けっこう重要な点ではないかと思い、ここに疑問を付した次第です。
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コメント
拝見致しまして、そもそも論としての内部統制報告制度の法制度上の実質的意義と機能を問われていると読み取りました。
私などはどうしても制度を受入れる側の視点でありまして、法としての効果と言いますか、法が秩序を正すと言う全体的、かつ根源的な観点から考察するには、背景も素養も欠落の一語に尽き、はなはだ無念に感ずるばかりであります。
>経営者が確認書を提出するにあたりましては、財務諸表の確定作業のプロセスや内部統制評価、そして開示統制などに関する確認作業が前提となっているのではないかと思いますので、内部統制評価に関するところも重要な内容になってくるのではないかと考えられます。したがいまして「内部統制評価においては重要な欠陥はあるが、それ以外の部分から判断して有価証券報告書に虚偽はないものと認め、確認した」と果たして言えるのかどうか
これはおそらく、上記前段から読み取りまして、内部統制監査における保証の範囲やその合理的判断の根拠が論点になると考えます。後段はまさにその論点の背景となる本質的疑問と理解しました。
私は現在──これは企業側はじめて正面から取り組む監査業務と言う点も踏まえ、監査手続至上主義といいますが、前述論点の問うところの保証の何たるかが問われるべきと考えております。
単純な発想と言われればそれまでですが、監査の手続たる機能に瑕疵・欠陥が存在した場合、評価は不能になり職業監査人の言うところの意見不表明やら限定付意見表明になる点、その監査業務がすべて手続いかんによることを示していると考えます。
とは言いながらも、企業がそのような質・量に達すればこその話であり、それ以前の成長段階ではいかにすべきかと言う、ある種経過的な対策やら、支援やらがなければその先の適正水準も得られないわけであります。
──少し論点がずれ始めましたが、私は後段の御指摘については定量的基準を中心に証拠を示し、かつ専門家の評価・吟味を加える事しかなさそうだと考えます。結局は内部統制報告制度のフレームワークが目指すところと同一ベクトル上にある論点かと感じるしだいです。
しかし、これは誠に水平思考的延長線発想であります。内部統制の限界を想定したとたん、今回の制度のフレームワークでは前述引用の後段の論点には無力なものを感じる他ありません。所詮は数十年前からの古典的手法、その近代化に関する適否の議論も含めてパラダイムシフトを狙いたいものです。
投稿: 日下 雅貴 | 2007年12月25日 (火) 11時19分
toshi先生、こんにちは。
経営者の確認書、私には「すこし」どころか「まるっきり」分からないことだらけですが(汗)、US-SOXのCertificationをパクッてきた、と仮定すれば、一定の方向性は見えてくるかと思います。
まず、US-SOXでは2つのCertificationを定期報告書(つまり四半期および年次)の都度提出しなければなりません。1つは経営者の民事責任を明確にした§302に基づく報告書、もう1つは経営者の刑事責任を明確にした§906に基づく報告であります。
おそらくわが国の確認書制度は、§302に類する性質のものと推測されます。米国のCertificationは比較的詳細な記述(9項目に細分化されています)がSECから要求されていますが、わが国の確認書は極めて包括的に金融商品法制に従っていることを要求しており、「一体何をしたらよいのやら?」と途方にくれる性質を有しているといえます。私は直接確認していませんが、toshi先生のお言葉を拝借すれば行政罰が付与されているのがわが国の確認書の特徴といえましょう。
toshi先生が疑問に思われてた「この代表者(および財務最高責任者)による確認書というものは、もし内部統制に「重要な欠陥」があり、有価証券報告書提出時点において欠陥が存在する場合でも、「有価証券報告書(または四半期報告書)の記載は正しいものである」として提出することはできるのでしょうか?それとも提出できないのでしょうか?」との問ですが、基本的には「提出できる」であると考えます。
最大の理由は対象の違いにあるといえます。内部統制報告書の対象は「期末日時点における財務報告に係る内部統制の有効性」ですが、確認書の対象は「定期報告書の記載内容そのもの」であると考えられます。
典型的な論点としては、期末時点で重要な欠陥が残存しているケースであると思います。この場合、「通常(必ず、ではありません)」期末の財務諸表にも見逃すことのできない財務諸表の虚偽表示が存在しますので、財務諸表監査の過程で外部監査人はその虚偽表示たる誤謬ないしは不正を発見すると思います(発見できなければ、会計士にとって事件になります)。経営者がこの指摘を受けいれて、財務諸表(のドラフト)を修正するのであれば、「結果的に」財務諸表は適切になります。
このケースであれば、経営者は内部統制報告書については「有効でない」、確認書について「確認した」との表明が、監査人は内部統制監査について「経営者が有効でないとしたことに対する無限定適正意見」が、財務諸表監査について「無限定適正意見」が表明が、それぞれされると思われます。
したがって、「有価証券報告書等提出時に有価証券報告書の記載が適切であること」を経営者が確信する限り、確認書は提出できると考えるのが理論的であると思います。
もちろん、確認書の対象は「有価証券報告書等」の全てですから、内部統制監査の監査対象にならないいわゆる「開示統制」も含みますから、監査の対象にはならなくとも、経営者は自らの責任において、確認書の趣旨を達成するために開示統制を構築して、確認書提出時点の有効性を確かめることを暗に求めている、というのが制度上の意図であると考えられます。
ただし、US-SOXでいうところの「開示統制」の一部は内部統制報告制度の対象(すなわち監査の対象)として「決算・財務報告プロセス」に含める必要がある点は米国とわが国との相違点であり、注意すべきかな、と思っております。
テキトーなことを書いている可能性がありますので、識者の方に間違いをご指摘いただければ幸いです。
投稿: tom | 2007年12月25日 (火) 13時19分
1.>代表者(および財務最高責任者)による確認書というものは、もし内部統制に「重要な欠陥」があり、有価証券報告書提出時点において欠陥が存在する場合でも、「有価証券報告書(または四半期報告書)の記載は正しいものである」として提出することはできるのでしょうか?それとも提出できないのでしょうか?
2.>もしくは、有価証券報告書等の記載内容について十分な確認を行うことができず、確認を行った記載内容の範囲が限定されているとして、その旨及び理由を付記することで対処すべきなのでしょうか?
3.>もし内部統制評価において、重要な欠陥が修復されないままである、ということになりますと、虚偽記載があるとまでは確定的にはいえませんが、「有価証券報告書の内容において虚偽記載が存在する可能性がある」ことまでは認識しているはずであります。
──こちらのほうが重要な論点ですね…
内部統制に欠陥があったとしても、理論的にですが監査法人が十分に実証性監査を行い、財務報告に関する重要な虚偽表示を指摘・更正したとすれば、無限定適正意見──は難しいにしても限定付適正意見になることがあり得ます。確認書にはその旨と理由を記載することになるのではないでしょうか。ただ、それだけ指摘・更正されたと言うことは内部統制は適切に運用されていない、欠陥があったと確認書に記載されないと平仄が合いません。
内部統制報告書については、欠陥が隠蔽されずに適確に記載されていれば、それが事実である以上その内部統制報告内容は適正意見を得ることになるはずです。引用の3.ですが同様の理由から限定付適正意見範囲外については虚偽表示の可能性があり得ると言うことだと思います。
適正外もあるが、適正部分については適正だと言う証明は、内部統制報告書と内部統制監査報告書を根拠にこの部分については適正と言う監査証明があるとして確認書の記載根拠にするのかと考えます。
これも理論的には──ですが、有価証券報告書の内容について意見不表明の場合は内部統制も財務報告も手がつけられない状態だと言うことですから、こういうあまりないケースがあった場合、確認書は提出しないのが正常なのでしょうか。
投稿: 日下 雅貴 | 2007年12月25日 (火) 17時21分
toshi先生、コメントで荒らすつもりはないのですが、今回のこの問題提起について少しこの一両日で調べておりまして、不覚にも考慮していない真空地帯を発見しまして──御参考にお知らせしたいと思います。誠にうかつな話ではありますが…
1.法令による代表者確認書制度は四半期と半期の提出を求めている
2.確認書の内容は内部統制報告制度の抜粋的内容である
3.ところが監査法人は内部統制監査を期末にしか行なわない
となると──期末に至るまでの確認書はどのようにして作成されるのか。どうも企業は期末の報告書しか念頭にないようで、仮にそうなら第1四半期や半期はどういった根拠で確認書を作成するのか──
監査法人に監査を依頼するのでしょうか──それはどうも難しいと思われます。
半期の確認書、あるいは第3四半期の確認書で「有効」を宣言していたが期末に監査法人が内部統制監査を行なって重要な欠陥を指摘した、あるいは不適正意見を表明したとすれば…
A.監査法人が指摘したのは期末時点であるからそれ以前は無関係なので比較できない
B.期中の確認書の内容は事実に反する内容だったと判断される
いずれかに該当することになります。A.はそもそも期末時点でよいと言う評価時点がどうかと言う話もありますが、期末に是正されていればセーフと言う評価を下せるのは事実です。このような状況を踏まえて本エントリの提起している点を考えた場合、論点は前提においていろいろと枝分かれする様相になると思われます。
投稿: 日下 雅貴 | 2007年12月26日 (水) 16時55分
tomさん、日下さん、詳細なご意見ありがとうございました。
すこし疑問があるのですが、決算訂正が過日行われたとしますと、内部統制報告書に関する内容も虚偽だったとして訂正されることになるのでしょうか?内部統制の有効性評価は正しかったし、適正意見も監査人としては問題はなかったのだが、決算は虚偽記載だった、という結論はとくにおかしくはないのでしょうかね?確認書作成過程だけが甘かった・・・みたいな理由は成り立つのかどうか。
tomさん曰く、
典型的な論点としては、期末時点で重要な欠陥が残存しているケースであると思います。この場合、「通常(必ず、ではありません)」期末の財務諸表にも見逃すことのできない財務諸表の虚偽表示が存在しますので、財務諸表監査の過程で外部監査人はその虚偽表示たる誤謬ないしは不正を発見すると思います(発見できなければ、会計士にとって事件になります)。経営者がこの指摘を受けいれて、財務諸表(のドラフト)を修正するのであれば、「結果的に」財務諸表は適切になります。
とありますので、結果的に財務諸表が適正になるのはいいとして、もし今回の三洋電機さんのように、後で「虚偽記載があった」とされるケースですが、結果から遡って、内部統制にも重要な欠陥があったとなるのか、それとも、内部統制は有効だったが、結果的に虚偽記載があったとなるのか、そのあたり少し疑問が残りました。
>日下さん
四半期報告書への確認書提出につきましては、私も存じ上げておりました。(すこしだけ本文でも触れております)私もこの点は「四半期報告書法定化と内部統制報告制度」として別エントリーを予定していたところです。こういった疑問があるからこそ、確認書は内部統制報告制度と「並列的に」財務の信頼性確保に資する制度だと認識すべきなのではないか、と思うところです。でも、そうなりますと確認書(これも経営者評価でしょうね)で確認すべき内容と、内部統制の評価とはいったいどんな関係に立つのか、またまた疑問点が出てくるんじゃないでしょうか。ずいぶんと理屈のうえで曖昧な点が残されているような気がしますが。
投稿: toshi | 2007年12月26日 (水) 22時06分
>決算訂正が過日行われたとしますと、内部統制報告書に関する内容も虚偽だったとして訂正されることになるのでしょうか?
内部統制報告書の該当部分について、決算訂正に至るほど重要な虚偽表示があったとされれば、通常は重大な欠陥として内部統制報告内容も改められると思います。でなければ、報告内容が矛盾します。
>内部統制の有効性評価は正しかったし、適正意見も監査人としては問題はなかったのだが、決算は虚偽記載だった、という結論はとくにおかしくはないのでしょうかね?
決算訂正に及んだ会計事実に関する表示の過誤・虚偽を外部監査人も発見出来ず(監査リスクの発見リスクがある以上、これは想定可能です)、かつこの財務報告に関するプロセスの不備も発見出来なかったと言うのは理論上想定可能です。
この場合、①内部統制の限界(過誤、共謀、無視等)、②財務諸表監査の監査リスク(発見リスク)があったとすれば、財務報告に虚偽表示が潜在したにもかかわらず、いずれの監査証明も適正意見を表明しているケースとなると思います。
なお、財務諸表監査(実証性監査)で過誤・虚偽が発見された場合、外部監査人はこの指摘・更正を促がすと同時に内部統制報告書についても不備(場合によっては重大な欠陥)を指摘します。企業側がこれに従わず、内部統制報告の該当部分を不備なしとすれば、外部監査人は内部統制監査報告書でこの部分を不適正として表明するはずです。
>確認書作成過程だけが甘かった・・・みたいな理由は成り立つのかどうか。
これは監査法人の監査を経ずして経営者が単独、かつ独自に確認結果を表明するでしょうから、その甘さを認識出来なかったと言うのは大いにあり得るのではないでしょうか。成り立つと言うより起こり得ると思います。
>結果的に財務諸表が適正になるのはいいとして、もし今回の三洋電機さんのように、後で「虚偽記載があった」とされるケースですが、結果から遡って、内部統制にも重要な欠陥があったとなるのか、それとも、内部統制は有効だったが、結果的に虚偽記載があったとなるのか、そのあたり少し疑問が残りました。
前述しましたが、これは内部統制に重要な欠陥があったとして内部統制報告が更正されると思います。ただ、内部統制の設計・構築は十分有効だったが、内部統制の限界に直面して財務報告の虚偽表示に至ったと経営者が主張する可能性はあると思います。この場合、その限界を超えて起こった事実を前に、①内部統制は限界に遭遇することがなければ有効だった、②統制の設計をこのようにすれば主張する限界は限界でなかった(統制構築の不備を指摘)、とする主張の対立が生まれると考えます。
これも前述しましたが、外部監査人についても、仮にこのような内部統制の限界を肯定した場合、その他(実証性監査)において専門家として十分な注意を怠らなかった、そしてこれを監査リスクの範囲内として過失はなかったと主張するのではないでしょうか。
投稿: 日下 雅貴 | 2007年12月27日 (木) 11時54分
toshi先生、こんばんは。
コメントがさらに疑問を呈する形になり、すみません。
内部統制報告書の訂正は全く考えてもみませんでした。
日下さんとのやり取りは相当に高度で、
さらにコメントするのもブログ的にどうかと思いましたが、
もう少し追加します。
訂正の件は実務上は「当局がどう判断するか」にかかっていると思います。ちなみに、米国の実務では内部統制報告書と確認書を訂正するという話は少なくとも私の聞いた限りではないです。確認書に至っては、文言の一字一句がSECの最終規則で決まっていて、字句を修正して提出すること自体認められていません。
とはいえ、理論的にはいろいろ考察できると思います。
一番肝要な点は、「訂正」の意義にあるのではないかと、思料しております。
この「訂正」という意味をよくよく整理しないと、議論に方向性を与えることができないのではないでしょうか。
財務諸表という概念は、継続企業を前提としつつ、会計期間という概念で人為的に区分された結果生じる産物ですから、本質的に「時系列の継続性」という性質を持っています。
従って、どこかで間違えれば、それを修正しない限り未来永劫誤り続ける性質を有しますし、単独の会計期間だけで財務諸表を見たときにも毎期毎期「期首残高」にそのひずみが表れ続きます。
また、件の三洋電機問題とも絡みますが、分配可能限度額といった会社法上の概念も会計数値に依存している側面があります。
従って、財務諸表の場合は、言葉は余りよくありませんが「有罪だろうが無罪だろうが」、本質的に「訂正」することが要請されていると考えられます。この点で「過年度の財務諸表自体の訂正」と「企業会計原則で認められているある事業年度の特別損益としての過年度修正損益」は非常に微妙なバランスの上に成り立っているものだと理解しています。
一方、内部統制報告書は「ある一時点で、内部統制という仕組みが(現在及び将来の)財務諸表等に重要な虚偽記載を発生させる可能性(リスク)の大きさ」について言明するものだと理解していますので、この場合「時系列の連続性」はないといえます。「期首残高」に相当するものはありません。であるとするならば、「訂正」することは理論的に必要ないように思います。
また、内部統制の評価は「影響度」と「発生可能性」を考慮しますが、「影響度」はともかく「発生可能性(内部統制の不備が財務報告に影響を与える可能性)」というものは、「The判断」というくらい主観的なものであり、「その時(内部統制報告書のサイン日付)は重要な虚偽記載が起こる可能性は低いと判断したから「有効」としたけれど、結果的に将来虚偽記載が発生してしまった」ということは、なんら矛盾するものではありません。
これを否定することは経営者に「魔法使いになれ」ないしは「預言者になれ」と言っていることに等しいです。これは監査人にも当てはまります。自分のその時の判断が正しいと信じる以上、それ以外に「訂正」する必要性はここからは発生しないのですから、わざわざ訂正することはないのではないでしょうか。
少なくとも私はそれくらい内部統制評価と財務諸表作成はリンクしないものだと考えています。内部統制が財務諸表作成を支援するということはもちろん賛成します。
ただし、「訂正」は自らの過去の非を自白したも同然と捉えられるでしょうから(最近は訂正も連発されているので、その意味は薄れてきているかもしれませんが)、「有罪」が推定されるでしょうし、過失を認定されたときに情状酌量の余地もでてくるのかもしれません。このような側面を当局が重視するのであれば、「訂正」という制度を内部統制報告書にも拡大する意義はあると思います。また、明らかに過去が誤っていたと本人が自覚した場合は、その事実を公表したとしても、訂正できないとなると気分は悪いような気がします。
ただし、違法配当のような特殊なものは除くとしても、取締役等にしても外部監査人にしても、基本的にはそれぞれに課された善管注意義務を追及する過失責任である以上、法的な争いについては、突き詰めれば日下さんがお書きになった、最後の段落に行き着くのだと思います。あとは、過失の認定に関する司法判断でしょうから私の無知なる世界です。これ以上検討することは私個人にはできません。
確認書の話が漏れましたが、確認書の記載内容は内閣府令によれば、
(6) 有価証券報告書の記載内容の適正性に関する事項
a 確認した有価証券報告書の事業年度を記載すること。なお、有価証券報告書の訂正報告書を確認した場合には、その旨を明記すること。
b 代表者及び最高財務責任者(会社が(4)にいう最高財務責任者を定めている場合に限る。)が有価証券報告書の記載内容が金融商品取引法令に基づき適正であることを確認した旨を記載すること。
c 確認を行つた記載内容の範囲が限定されている場合には、その旨及びその理由を記載すること。
とされていて、添付する有価証券報告書等が適正かどうかを確認することを求めているわけですから、確認書提出時点において経営者が善管注意義務をまっとうした上で、有価証券報告書が適正であると確信する限り、それを将来において訂正する理由はないように思います。確認書自体に時系列の連続性がないことは言うまでもないかと思います。
わが国の確認書はcがある以上、米国とは異なり、自由記載形式なのでしょうが、何を書いたらよいのやら、という感じです。
確認書も内部統制報告書も財務報告の信頼性を確保する制度であるというtoshi先生のご意見に異論はありませんが、確認書と内部統制報告書は一部かぶっているものの、かなり距離感がある制度に私は思います。
確認書はどちらかというと、従来から概念として存在する「経営者の財務諸表の作成責任」を有価証券報告書・四半期報告書全体に広げた上で法制度化したものであり、「二重責任の原則」を明確にしたに過ぎないもののように感じます。その意味では、内部統制報告制度のような「新しい制度」のような感覚は、会計士の私にはあまりないのですがどうなのでしょうか(もちろん、そのベースになる有価証券報告書全てに関する内部統制、いわゆる開示統制などは目新しさを感じますが)。
経営者確認書は四半期・年度とも、財務報告から外れた部分も対象にする以上、明らかに会計士の職域外であり現状として監査対象ではなく、理論的にも監査対象とするべきではない、というのが私見ですが、あえて監査報告書と結びつけるなら、内部統制監査報告書よりもむしろ財務諸表監査報告書に近い関係にあるように感じます。
財務諸表監査報告書が不適正意見にもかかわらず、経営者確認書が提出された(上記bを見る限り「適正でないことを確認した」と記載されることは想定されていないと思います)場合、少なくとも「経理の状況」については、双方の主張が不一致になるため、非常に違和感を感じます。
一方、内部統制報告書が「有効でない」が確認書を提出することができることについては、前回のコメントどおりです。
理論的な流れかどうかは、私自身微妙に思いますが、内部統制報告書は「内部統制」が目的物ですから、外部監査人の指摘は内部統制の不備を意味しますが、確認書は「外部報告物」が目的物ですから、外部監査人の指摘は、経営者が自らの判断に基づいてこれを反映させる限り、問題にはならないように思います。
網羅的にこれらの論点をコメントしようとしましたが、かなりバラバラになってしまい、読みづらいかと思います。残念ながら、十分文章を練る時間がなく申し訳ありません。
投稿: tom | 2007年12月28日 (金) 21時15分