金商法193条の3と会計士の粉飾発見義務
金融商品取引法改正案(193条の3)に関するパブコメ(パブリックコメント)の結果が12月7日付けにて金融庁HPで公表されております。公認会計士、監査法人の独立性強化、責任の厳格化の一環として、公認会計士法(およびその周辺政省令)の改正とともに施行が予定されておりますが、会計士さん方のお仕事、とりわけ監査に携わる先生方にはかなり重要な法改正ではないかと思っております。
この金商法193条の3といいますのは、以下のような規定であります。
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そして、この規定に違反したような場合には、30万円以下の過料に処せられるようです。
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これらの改正条項が、「粉飾決算の防止と公認会計士の役割」にとって、どのような影響を及ぼす可能性があるのか、という点につきましては、これを考えるための道標としまして、先のパブコメでも話題になっておりますように、旬刊商事法務1812号44頁以下におきまして、岸田雅雄早大教授の貴重な論文がございます。私自身、会計士さん方の「法令違反等事実発見への対応」が規定されたとしましても、それは「たまたま発見ときの対応(通知義務)」を定めたものであって、そもそも法令違反等発見義務そのものを規定したものではない、したがって、これまでの監査人による監査の本質とはなんら矛盾するものではないと考えておりました。しかしながら、以下の著書を読みまして、「本当に関係ないのだろうか?」と少し考えが変わりつつあります。
「公認会計士VS特捜検察」(細野祐二著 日経BP社1800円税別)
会計士の方々はご承知のことと思いますが、キャッツ事件で一審、二審とも有価証券報告書虚偽記載罪の「共同正犯」として有罪の判決を受けて、現在上告中の公認会計士の方の手記をとりまとめたものであります。読了して、かなり重い気持ちになりましたが、この本はぜひとも弁護士の方々にもお読みいただくことをお勧めいたします。(また、将来的には裁判員に選ばれた方にも、審理に臨む前には、ぜひお読みいただきたい・・・・と個人的には思います)この本の内容を論評することは、とてもブログという媒体では(執筆者に失礼にあたると思いますので)差し控えますし、私個人の感情としては、ぜひ細野さんには最高裁で無罪を勝ち取ってほしいと願うばかりでありますが、個人の感情を抜きにして、冷静かつ客観的にこの本から考えたことは、法律家と会計士とでは、「事実」の捉え方も、法や会計原則への「解釈」の仕方もまったく違うのではないか・・・というところであります。会計士協会さんのほうは、この判決を受けて、「あくまでも一会計士の個人的事情によるものである」と冷静にコメントをされたそうでありますが、この金商法193条の3との関係でみると、果たして「個人的事情による」ものといった観点から捉えるだけでいいものだろうか・・・と少し疑問を抱いております。とりわけ控訴審では、原審での関係者の証言が覆り、「共謀」に関するアリバイなどが成立し、会計専門家(大学教授)の意見書まで提出されたにもかかわらず、著者である監査人の有罪判決は覆らなかったわけであります。つまり会計士さん方の常識が、法律の世界ではそのままでは通用しないわけでありまして、金商法193条の3にいうところの「法令違反等事実」の解釈にもご留意いただいたほうがよろしいのではないか・・・というところであります。著者である細野さんは、「もっと司法制度の制度疲労について、目を向けてほしい」と述べておられますが、私はミクロ的には、刑事事件として粉飾決算が問題となる場合の、双方の認識の違いのような点が、とても気になったような次第であります。そして今後、公認会計士法が改正され、懲罰的な課徴金制度が導入されるなか、この傾向はますます強まるのではないかと懸念するところであります。(もちろん、課徴金制度の場合は、直接的には行政と会計士さんとの関係でありますが)
たとえばひとつの例としましては、「たまたま監査の時点で、粉飾の事実を発見したら、監査人は監査役に通知すべし」と言うことは簡単なことであります。しかし、法律家と会計士との間で「事実」と「解釈」において、認識が共有されているとは思えません。「事実」とはどこまでの証拠があれば「事実」と言えるのでしょうか?また、法令違反というのは、会計原則や金商法等の解釈抜きに一義的に決まるのでしょうか?「これって、違反事実が認定できるじゃないか?なぜ報告しなかったんだ?」「いや、まだそれだけでは事実が確定しているとはいえないと思っていました」とか「これって法令違反にあたるだろう。なぜ通報しなかったのだ?」「いえ、会計原則からみれば、法令違反とまではいえないと思いましたので」といった会話がなされるおそれはありませんでしょうか?もし、こういった会話が成り立ってしまうのであれば、「たまたま発見したら通報する義務」を超えてしまって、かぎりなく「会計士さんの不正発見義務」が認められたことに近づいてしまうおそれがあります。上記の著書のなかで、細野さんもおっしゃっていますが、「監査とは、たとえそこで不正行為が行われていたとしても、その不正行為による損得も、すべて正確に反映している財務諸表であれば、適正意見を書くものであって、不正行為を非難するのが監査の役目ではない」はずであります。そして、かろうじて、会社法にも規定がありますが、不正を発見した場合には、別途会社に対する通知報告義務を課すことで、本来の使命との両立がとれることとなります。しかしながら、不正発見義務となりますと、もはや本来の使命自体に変革が生じたこととなりますので、193条の3の運用次第では、本来的使命の変革にもつながりかねないのではないでしょうか。
「違反したとしても、たかだか30万円の過料ではないか・・・」といった楽観論は否定すべきだと思います。たしかに行政罰としての30万円はたいしたことではないかもしれません。しかしながら、法令違反等事実の報告義務違反の疑いをもって、広範な行政調査権を行使できる根拠が増えたことで、「その奥にある刑事罰への足がかり」が作れますし、またなんといいましても、会計士さん方の崇高なる「守秘義務」の壁を突き崩すことができるわけであります。(法令違反等事実の通知報告義務を根拠に、検察やSECさんは、会計士さんの守秘義務による証言拒絶を懐柔することが可能になるはずです)そういったところも、今後の193条の3の運用において見逃すことができないところであります。
さらにまた別の例としましては、「法令違反等事実」というのは、いったいどのような事実を指しているのか、(岸田教授が指摘されているように)談合とか、耐震偽装とか、食品表示の不正など、ダイレクトには財務報告の信頼性に影響を与えるとは言えないような「不正」を発見したときまで、通知報告義務を認めるべきなのか・・・といった論点も出てくるわけでありますが、先のパブコメ結果公表における金融庁の回答では、このあたりが曖昧なままでありまして、これはまた別の機会に検討してみたいと思います。(不定期にてつづく)
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コメント
こんにちは。竹村です。この問題ですが、公認会計士もそうですが、内部監査において、偽装を発見した時に、これが、社内の規程に違反していないし、上司も承認している、つまり社内制度では問題がなかった・・・対処には、「規程」の変更を行うしかないことが分かった場合に、それまでの偽装行為について、発見してしまった内部監査人は、どのように対処すれば良いのでしょうか?会社のために、「規程」の変更だけを行うことで済ませるのか、今までの偽装のことを公言するようにするのか?(内部告発すれば、会社にいられなくなるし・・・)
内部統制制度によって、内部監査人、監査役、公認会計士の背負うものが大きくなり過ぎではないでしょうか?会社自体の自浄作用を施す制度になっていないところが一番の問題点のような気がしてきている最近です。
内部統制の限界って、色々言われるけど、まともに会社勤めしたこともない役人や経済学の先生が制度を作ることの問題の方が大きいとつくづく思います。平のサラリーマンには、ほとんど関係ない(大きな不正などできない)ことなのに作業をして理解するのは平のサラリーマン!全く意味を感じない!世の中のどれだけの経営者がこの制度を理解しているか?
それを調べて見て欲しい!
投稿: 竹村 | 2007年12月10日 (月) 11時27分
>竹村さん
いつもながら、竹村さんの意見は正論だと思います。エントリーとはすこしはずれますが、「内部統制研究学会」においても、実際に現場で悪戦苦闘されている法務、財務、経理等(SOX対応)担当者の方の実情を、できるだけ反映させて議論すべきだと思います。なかには「米国SOX対応の経験者」の方がリードされていて(そのこと自体はとくに悪いというわけではありませんが)、その方の指示にしたがっていて間違いない、といった「思考停止状態」で対応が進んでいるところもあります。そういったところは、また経営者ご自身も、いま現場で何が起こっているのか、ということを知ろうともなされないようです。
私自身、現場の方とお話する機会が(幸いにして)多いものですから、金融庁の目指す方向性が、少しでも現場実務に反映するよう、これからも工夫を考えていきます。
なお、先の問題ですが、私は内部監査人が背負うものが大きすぎないよう、「情報と伝達」のひとつとして監査役への連絡が不可欠だと思っています。(本当に重要な問題であれば、やはり経営トップへの早期の情報伝達が必要かと思います)
投稿: toshi | 2007年12月10日 (月) 12時59分
>前条第1項の監査証明を行うに当たつて、特定発行者における法令に違反する事実その他の財務計算に関する書類の適正性の確保に影響を及ぼすおそれがある■事実(次項第1号において「法令違反等事実」という。)を●発見したときは、当該事実の内容及び当該事実に係る法令違反の是正その他の適切な措置をとるべき旨を、遅滞なく、内閣府令で定めるところにより、当該特定発行者に書面で通知しなければならない。
初めまして。企業会計をまったく知らない一般人です(自営業=翻訳、をいとなんでいます。確定申告を税務署に毎年提出しています)。
細野祐二さんの今回の新著には大変共感し、ブログ記事に書評を書きました。
さて上記の記事中、の■事実、とは何でしょうか?書面として(内部文書?原稿?対外文書?)企業側が記した事実(計算間違い、とか)なのでしょうか?たとえば経営者との会議や電話、あるいは風聞で知った事実でなく。法律で「事実」とはどのように規定されているのでしょうか。これは●発見、とはなにか、にも関連しますが。
細野さんの著書を読む限り会計士は経営者としょっちゅう会話を交わしており、経営者の認識している(書面になっていない)「了解事項」を会計士が知ったとき訂正や変更を迫っています。これもこの法律の言う事実、なのでしょうか、報告対象となるのでしょうか?
こういう規定をわざわざ設ける理由は、会計士が報告をしていない場合、そういう事実も存在していなかった、と見なすべきである、ということを明確にするためのものである、といえませんか(なかば冗談ですが。。)。
投稿: 古井戸 | 2007年12月11日 (火) 09時46分
古井戸さん、こんばんは。そちらのブログも拝読させていただきました。
たいへんな力作ですね。私が「ブログでは論評できない」と書きましたのも、実は古井戸さんくらい、きっちりと表現しなければ、閲覧されている方に誤解を生じさせると思ったからです。他人の論評よりも、まずこの本を手にとって、ご自身の感覚でお読みいただくのがいいかと。
私はまさに古井戸さんが疑問に思っておられるところが本エントリーのテーマだと認識しています。書面できっちり証拠化できるものを積み上げないと「事実」とはいえないのか?会話の中で聞き知った話から「事実」とはいえないのか?それとも感覚的に「疑わしい」と会計士さんが思えたら「事実」になるのか?会計原則の適用にあたって、仕訳するための判断基準と同じであるはずはないわけですよね。(目的が違うわけですから)
そうしますと、これは会計士さん方にとってはたいへんな負担になるのではないかと思います。ペナルティがいくら軽いといいましても、義務違反となるケースが予想されるわけでして、気持ちのいいものではないと思います。
最後の質問にはお応えしておりませんが、もう少し上記疑問に関する議論が尽くされてくれば、おのずと最後の質問への回答も見えてくるのではないかと考えております。
投稿: toshi | 2007年12月11日 (火) 17時45分
私は、細野さんの著書を読んでおりませんので、軽々な発言は控えるべきかと思いますが、引用された著書の内容に一点違和感を覚えるところがあります。
「監査とは、たとえそこで不正行為が行われていたとしても、その不正行為による損得も、すべて正確に反映している財務諸表であれば、適正意見を書くものであって、不正行為を非難するのが監査の役目ではない」という箇所です。本当にそうなのでしょうか。こうした会計監査で世間の非難を浴びたのが、日興コーディアルのケースではなかったでしょうか。せっかくの好事例がありながら、何も学ばれていないとすると、さびしい限りです。
監査役として、会計監査人がこうした考えで監査をされているとすれば、相当性判断を簡単に下すわけにはいきません。なぜなら、監査役は、企業の持続的成長を確保するという職責を担っているからです。この職責は、従来の健全性の確保に付加されたものですが、その背景は、バブル崩壊後、存続が懸念される企業が多発したことにあります。そこで、「企業の持続的成長」が改めてクローズアップされ、統治体制の重要な目的になってきました。したがって、監査役の職責も、統治体制の一翼として、健全性の確保に加えて、持続的成長の確保が追加されたのは当然のことと受け止めています。
とすると、会計監査人も企業統治において重要な一角を占めているわけですから、会計監査人の職責も従来のまままではおかしいということにはならないでしょうか。新しい職責を担っている監査役と、既存の職責に閉じこもろうとする会計監査人とのギャップがまさに上記の引用した点に現れています。
監査役の世界においては、新しい職責を満たすための監査手法等がいろいろと検討されています。会計監査人も、しっかりと新しい職責に目を向け、新しい会計監査のあり方を探るべきではないでしょうか。いつまでも、既存の役割や手法に閉じこもっていては、世間の期待とのギヤップが大きくなり、会計監査人こそ制度疲労が非難されることになるのではないかと危惧します。
投稿: 酔狂 | 2007年12月12日 (水) 10時55分
toshi先生、はじめまして。
私は公認会計士登録をして間もない、一介の会計士でございます。もう先生のブログを拝見してから1年弱になります。一方的なROMで恐縮ですが、ビジネス法務の観点からの明解なご説明と、お忙しい合間をぬってコレを書かれているとはにわかには信じがたいほどの情報量は、私のような法律のズブの素人にとっては、本当に貴重にな情報源となっています。
もはや、このブログなしには生きていけません(笑)
さて、私のような、1年近く財務諸表監査をマトモにやらせてもらえず、専ら内部統制監査の実務上の適用について、頭を悩ませているような輩にとっても(汗)、金商法193条の3は大いに興味のあるところです。これが、従来の会計士の本来的使命を変える可能性があるとのご指摘に、金商法のように広く一般に適用される法律で、会計士に対する行政罰が規定される世の中では、業界の殻に閉じこもって己の論理を振りかざすことは害悪でしかない、と強く感じました。
まだ、「公認会計士VS特捜検察」は読んでいないので、当局と著者のやり取りの内容は把握していませんが、toshi先生のブログを拝読しても、「不正」という言葉一つとっても法律家と会計士の間には大きな隔たりがあるように感じます。実際に私自身、ブログを拝読する際には明確に頭を切り替えないと混乱するときがあります。しかも、都合の悪いことに社会一般が「不正」と聞いて喚起されるイメージは、会計士が使用する用語としての「不正」とは明らかに異質なものであることも、よりいっそう会計士の立場を危うくしているような気がいたします。
会計士の従来の本来的使命は「財務諸表に重要な影響を及ぼす虚偽の表示を発見すること」でありまして、会計士の用語としての「不正」とは、「財務諸表の誤り」を指す言葉に過ぎません。したがって、一般的なイメージとしての不正のうち財務諸表の誤りに関連しないものは、そもそも財務諸表監査の対象から外れますので会計士の領域からも自動的に外れます。もちろん、何らかのきっかけでこれらの不正を発見すれば、人間の良
心に従って監査役等に報告することはあるでしょうが、会計士の本来的使命とは無関係ですし、「お前、仕事しろよ」という話になりかねません。
類似語に「誤謬」がありますが、こちらも「財務諸表の誤り」を指します。これらの相違は「意図的である(不正)か、意図的でない(誤謬)か」ということですが、本来的使命に照らせば副次的な分類にすぎません。共に、本来的使命から定義されている用語ですから、本来的使命を果たすという観点からは用語の区別なく重要なものは漏れなく発見する責務が会計士にはあります。このように会計士にとって「不正」という用語は比較的「どうでもいい」分類を区別するための用語なのですが、このような用語に、一般社会にとって重大なイメージを喚起する言葉を使用してしまったことが不幸の始まりなのかもしれません。
もちろん分類する以上は意味がありまして、特に監査手法の技術面で、共謀・隠蔽・経営者による内部統制の無効化を伴う「不正」は、より発見することが困難であることを背景に、「不正」にフォーカスした監査技法が会計監査の歴史の中で培われてきています。「不正」の存在が内部統制の限界にも列挙されていることは、発見の困難さをよく表していると思います。とはいえ、一義的には困難であることを理由に、財務諸表の重要な虚偽表示を看過する事を許容することは、本来的使命からいってあり得ないことです。また、さらに「不正」はその行動主体でさらに分類され、経営者による不正な財務報告がいわゆる「粉飾」です。「粉飾」の影響度合いの大きさはご存知の通りかと思います。「粉飾(決算)」については、会計士と社会一般とで、言葉から得られる
イメージにそれほど差異はないように思います。この意味では、題名の「粉飾発見義務」は従来から監査人に当然に課されていると、私は考えています。
そして、問題の一般的な通念としての不正を発見する義務ですが、不正の発見を目的とするためには、不正そのものの事実を認定することが会計士に求められると理解しています。つまり、不正という事象の枠組みを理解してどこからが不正でどこまでが不正でないのかを明確には根本的に分けられないまでも、一定の理解が必要なんではないか、ということです。これについては、法律の専門家等の間で発展がなされているような気がいたしますから、教えを業界として請う必要があると思いますが、私の知る限りそういった動きはないように思います。
上記から推察していただいているかも知れませんが、現状を端的に言ってしまえば、会計士は「不正」を認定する必要がないため、そのような概念(一般的な通念としての不正の発見)自体持っておりません。上記の本来的使命からいえば、「財務諸表に重要な虚偽表示があるかどうか」が目的ですから、これを事実認定することは必要ですが、「不正」はそれを引き起こす手段としてしかこの観点からは導出されませんので、事実認定する必要などそもそもないといえます。もちろん漠然と「これは誤謬かな」「これは不正かな」程度の判断は、用語が違う以上一般的なレベルとしてできます(ただし「不正」の意味が違いますが)けれども、「責務(私は責務は定められることでしか生まれないと理解しているのですが)」として専門家としての正当な注意義務を求められるのであれば、現状ではとても対応できないと思います。
恐ろしいほど遠回りしました(これほど前置きをおかなければ、そもそもこの議論が始めることができないことこそ根源的な問題だとおもいます。これでも不足しているのではないか、との懸念がつきません)が、この点で金商法193条の3は解釈によっては、Toshi先生のおっしゃるとおり、「責務」に大きな影響がでると思われ、私も興味がある次第です。私が恐れているのは、会計士側にそのような危機感がないということに尽きます。
会計士の立場からこの条文を眺めた場合(もちろん私見ですが)、「前条第1項の監査証明を行うに当たつて、特定発行者における法令に違反する事実その他の財務計算に関する書類の適正性の確保に影響を及ぼすおそれがある事実」を通知することは、従前の会計士の本来的使命から外れない範囲で法令に規定されているように感じます。もちろん、第2項の社外への通知義務は従来にはなかった概念ですが、財務計算に関する書類(=財務諸表)の適正性の確保に影響を及ぼす恐れがある事実とは「財務諸表の重要な虚偽表示」の事実であり、法令違反であるか否かを問わない会計用語としての「不正」及び「誤謬」を指しているように感じます。その前の「法令に違反する事実」がどういう意味を指すのかは、法律的素養のない私は若干混乱するのですが、「前条第1項の監査証明を行うに当たって」とは財務諸表監査を指しますから、やはり、財務諸表の重要な虚偽表示に関連する違法行為(これは、会計士の用語としての「違法行為」と同義です)を指しているように感じます。ただし、これに「法令違反等事実」という略語を当てられたのは、さらに世の中とのギャップが広がる要素になってしまうような気がいたしますが。
これが「前条第2項の監査証明」、すなわち内部統制監査を行うに当たって~、ということであれば、ずいぶん話は変わってくるように思います。
内部統制監査は財務計算に関する書類「その他の情報」の適正性の確保するための「体制」に関する経営者の内部統制報告書に対する監査です。監査の対象となる内部統制は財務報告の信頼性を確保する目的に限定されており、少なくとも会計士の立場からは、あくまでも財務諸表監査の延長としての存在と捉える考え方が一般的です。私から見た内部統制監査は、従来会計士が財務諸表監査の一部として検討してきた内部統制に、昨今の粉飾(経営者不正)に対応するために、経営者不正の抑止のためのより上位の内部統制を加え、さらにそれに対する監査証明を行わせるものです。
しかしながら、「その他の情報」とあるとおり、財務諸表以外の有価証券報告書の開示事項も対象となりますし(財務諸表の数字に関連するところに限られてはいますが)、「体制」の中には、「全社的な内部統制」のような、一見財務報告目的ではないのではないかと思われるような項目まで評価対象になります(このあたりは実施基準Ⅱの(参考1)をご覧いただければご理解いただけると思います)。従って、内部統制監査そのものは、財務諸表監査の対象よりもかなり広い範囲をカバーしなければならないため、内部統制監査の実施に当たって発見される「違法行為」や「不正」となると、もはや従来の「財務諸表の重要な虚偽表示(記載)」から定義する論理に無理があると思われます。となれば、法令によって会計士の本質的使命の変更を余儀なくされているとはっきり認識せざるを得ないと思われます。
こういった問題にぶつかるために、わざわざ「前条第1項の監査証明」と限定してくれたのではないかと、希望的観測を持っている次第です。
幸い(?)にもミートホープ社や赤福社は非公開企業ですから、そもそも会計士には縁遠い企業ですが、例えば、不二家は上場企業ですから、これらの監査を受けなければなりません。理論的に考えれば、財務諸表監査は、基本的に過去情報たる財務諸表を対象としますから、期限切れ原材料の使用問題は発覚した際に財務報告に影響するものを適切に反映すれば、通常免責されるような気がします。
一方、内部統制監査の対象となる内部統制は、「財務諸表の虚偽記載リスク」に着目して評価範囲を決定することが求められています。一義的には財務報告の信頼性に係る内部統制が対象ですが、企業の経済活動はいつかは財務報告に反映されるわけですから、厳密には最終的に財務報告の信頼性に関係ない内部統制などない、という考え方もできると思います。特に「全社的な内部統制」はそう考えやすい領域だと思います。そう考えた場合には、事象が発生するか否かが未確定の「リスク」を監査対象としているのが内部統制監査ですから、財務諸表監査から内部統制監査が一人歩きした場合、問題が発覚すれば、「期限切れ原材料を使用するリスクをなんで評価しなかったんだ」と叱責されてしまうような気もいたします。こうなると、会計士の担当領域は企業活動全体に及ぶことになってしまいます(会計士の本質的使命を変えない、というテーマからは如何に内部統制監査が一人歩きしないような実務にするかが極めて重要になってくるともいえると思います)。
もちろん財務諸表も、現代会計は純然たる過去情報だけでなく、経営者の見積りが重要なファクターになっていますから、この問題に直接的な例を挙げれば、来期から強制適用になる「たな卸資産の低価法」に係る会計基準の適用をめぐって数年後には「数年にわたって期限切れ原材料を使用していたのに、これまでの決算で簿価で評価し続けた会計士は何をやっていたのか」と言われてしまう可能性もあながちないとはいえないような気もします。という意味では、「前条1項」だろうが「前条2項」だろうが、会計士が思ってもいないところで責任を追及される事態に陥る可能性は否定できませんが、それでも大分限定的に捉えられる余地があるのかな、と考えています。
この点について、また気が向かれた際にでも、論点として法的な観点からご教授いただければ嬉しく思います。駄文長文で失礼しました。
投稿: tom | 2007年12月12日 (水) 22時32分
tomさん、力作、有難うございます。私の存じ上げている会計士さんには保守的な方がほとんどで、業界内部からの自浄作業は時間がかかるのではないかと思っていましたので、大変失礼なことを申し上げました。tomさんのような方が早速に現れていただき、一安心いたしました。
会計監査人の本来的使命は、COSOレポートの内部統制目的で言えば、財務報告の信頼性確保に尽きるのではないかと思います。その領域を超えて、関連法令の遵守や業務の有効性と効率性にまで拡大することは、今のコーポレートガバナンスのあり方から言って不必要でしょう。問題は、財務報告の信頼性確保と、多くの会計士の方が考えておられる伝統的な本来的使命の間にギャップがあることです。
伝統的な会計士の本来的使命は、細野さんが著書で言っておられる「監査とは、たとえそこで不正行為が行われていたとしても、その不正行為による損得も、すべて正確に反映している財務諸表であれば、適正意見を書くものであって、不正行為を非難するのが監査の役目ではない」とする考え方でしょう。しかしこのお考えでは、技術的な会計監査としての間違いがなくても、大局的には世間の常識に反して間違いを犯した日興コーディアルの再発を防ぐことは出来ません。世間の期待は、会計原則に即しているだけではなく、会計監査の領域において世間から見た不正を犯していないかどうかもよく監査して欲しい、ということではないでしょうか。
したがって、tomさんがご心配のように、会計士の担当領域が企業活動全体に及ぶというのは杞憂に過ぎると思いますし、そういう仕組みにすべきでもありませんが、伝統的な本来的使命については軌道修正が要求されていると捉えるべきでしょう。その理論構築ならびに旗振り役をぜひtomさんに頑張っていただきたいと思います。ご健闘を心からお祈りしています。
投稿: 酔狂 | 2007年12月13日 (木) 10時13分