「船場吉兆記者会見」から何を学ぶべきか
会計専門職であるtomさんより、金融商品取引法193条の3と粉飾発見義務に関する渾身のコメントを頂戴いたしました。まだ私もすべてをきちんと読めておりませんが、またご意見のある方は、ご遠慮なくコメントいただければ・・・と思います(tomさん、ありがとうございました。)
さて、日本漢字検定協会によります「今年の漢字」大賞として、一位には「偽」が選ばれたそうであります。12月11日、同12日と、日経新聞朝刊でも偽装問題の発端となりました「内部告発」の現状を取材した特集記事が掲載されておりました。私自身、「外部窓口」の仕事や、内部通報制度(ヘルプライン)の導入指導、および内部告発者の代理人などをさせていただいた経験からしまして、この連日の日経の特集記事は、かなり客観的に内部告発の現状や内部通報制度が機能していない状況等を伝えており、ほぼ正確な実態が浮き彫りにされているものと思いました。「こうすれば内部通報制度は実効性が上がる」といった意見は私自身、いくつか持ち合わせてはおりますが、本日はその点については触れるつもりはございません。ただ、法律事務所やコンプライアンスコンサル企業を外部窓口として備え、むしろ立派な「内部通報制度」を整備しながら、なぜ機能しないのか?社内不正の兆候がまったくないから、ということはおよそありえないわけでして、その原因は、やはり「形だけのコンプライアンス」にある、と言われても仕方がないのが現実のところのように思います。
ここ数日の船場吉兆社の記者会見に関するマスコミの報道などをみて、経営者の皆様はどう思われたでしょうか。「あの女将さんの手控えノートはなんやねん」とか「女将さんからヒソヒソと模範答弁を耳打ちされるマザコン社長」といった印象を受けて、「あぁ、あれじゃ仕方ないわなぁ。俺だったら、あんな答弁はしないわなぁ」といった、ある意味、自信をもってホッとされた方が多いのではないでしょうか。ただ、私はもうすこし、「当社でも起こりうる社会的信用毀損の事態」として、危機意識をおもちいただいたほうがよろしいかと思います。危機意識という言葉が、不用意に「あおるような」言葉であって不適切でありましたら、「リスク管理」と言い換えてもいいかもしれません。たとえば、下記内容は、船場吉兆社の外部調査委員会(7名の弁護士によって構成されております)の委員を務める弁護士の方より、本日いただいたメールの一部であります。ご本人の了解のもとで、ここに転記させていただきます。(誤字は若干修正をしております。また下線は私が付したものです)
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私は外部委員会の弁護士でもありませんし、事実関係も調査した立場ではございませんので、とくに船場吉兆社を擁護するわけでもなく、またマスコミの対応を非難するつもりもございません。(このブログで何度か申し上げておりますとおり、マスコミも短時間のうちに記事としてまとめなければならないわけでして、聞き取り以前の段階で、ある程度の記事のストーリーを予想されているのもいたしかたないものと思われます)ただ、上記の弁護士の方は、いわゆる「外部調査委員会」の委員であり、おそらく会社側、従業員側、取引先側など、かなり独立公正な立場から、事実認定を試みたものと思います。(経営者ら自身の、あのような会見における失態を事前に止められなかったのも、「指導する立場にはない」独立公正といった立場からだと思われます)船場吉兆社の顧問弁護士という立場であれば、「弁明」への非難や疑惑といったものが飛んでくるのも当然かとは思いますが、独立第三者である立場でありましても、上記のような感想を抱かれるわけです。独立調査委員会が、時間をかけて、結論を出してきたにもかかわらず、その直後に、その認定事実とは異なる結論を(経営者から直接)引き出すために、多くの質問が投げかけられ、あのような失態に至ったとなりますと、委員の方々が無力感を抱かれることにも、私は素直に納得できるところであります。しかしこれが現実であります。おそらく、こういった記者会見に臨む経営トップの方々は、もはや孤立無援の状態で、針のむしろに座らなければならないわけでして、「何を言っても、マスコミのストーリーに反する内容の事実であれば報道されないこと」への覚悟が必要であります。
すべての内部告発を抑止できるものではありませんが、内部通報制度に実効性があれば、不祥事が「進んで公表できる程度」に小さな段階で情報として把握することが可能となりますし、「取引先に迷惑をかけない程度」に自社のみの判断で公表できますし、また、なによりも二次不祥事に発展することなく、一次不祥事のみで会社の信用毀損を最小限度に抑えることが可能となります。孤立無援の状態で、頭が真っ白になってしまう事態は、誰にも想定されるところであります。平時にこそ、先のようなリスクを想定していただき、せっかくの立派なシステムに「魂を入れて」いただければ・・・と思います。
PS アルファブロガー2007を受賞して以来、いろいろなご意見、ご質問をメールにて頂戴しておりますが、なかなか回答する時間がありませんので、お返事もできずに申し訳ございません。本業の時間にブログを書くわけにもいかず、忘年会が終わってから、とりあえずエントリーを仕上げるのに精一杯の状態です。もうすこし時間的に余裕ができましたら、じっくりと拝見させていただきます。
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コメント
船場吉兆社の外部調査委員会の委員を務める弁護士の方の了解を得て転記いただいたメールを読むと、マスコミの怖さを感じました。その怖さとは、今のマスコミの組織・会社としての怖さもありますが、結局は一般大衆に受けようとしているのであり、「善」・「悪」の二者択一でしか世の中は考えないようになってしまったのかなという怖さです。
投稿: ある経営コンサルタント | 2007年12月13日 (木) 11時36分
> ある経営コンサルタントさん
はじめまして。現在は、一般企業の内部統制部門に所属しておりますが、大学卒業後、テレビ制作会社で働いていたこともあり、マスコミの怖さは、ある程度理解しております。おっしゃるとおり、一般大衆に受けるかどうか、視聴率が取れるかどうかが全てです。かなり話がずれますが、良い例としては、TBSの亀田一家の扱いなどが良い例です。亀田一家を今まで応援してきながら、視聴者受けしないことが分かると、悪者扱いに手のひら返しを平気でする。ダイエット番組が視聴率が取れるから、データを捏造して番組を作る。インタビューは、誘導的に話を言わせて番組構成で都合の良いように編集する。(ほとんどやったことがあります・・・_(._.)_スイマセン)そして作られた番組から、話が広がって「事実」とは何かが分からなくなる。現在では、年金の公約問題。今後「マスメディアのあり方」に国民が疑問を持たなければ・・・しかし、メディア自身がこの問題を取り上げるわけもなく、では、どうすれば良いのでしょうね?
投稿: 竹村 | 2007年12月14日 (金) 09時34分
>竹村さん
私の書き込みに対して、レスを頂きありがとうございます。
「年金の公約問題」にしても、私は予想されたことであったと思うのです。従い、本質は「公約違反」ではなく、
・ 当時何故予想されるコンピュータ事務処理の将来の問題発生を避けるための対策が取られなかったか?年数が経過しているがために、修正するコストも高い結果になっていると私は思います。
・ 公約は、その実行性について議論されなければ意味がない。
単に、右から左に伝えるのではなく、ある観点から調査・研究・検討した意見・報告というのを私は少しは伝えて欲しいのですけどね。そこはtoshiさんの「ビジネス法務の部屋」もありますので、闇夜ではありませんが。
投稿: ある経営コンサルタント | 2007年12月14日 (金) 12時45分
経営コンサルタントさん、竹村さん、こんばんは。ご意見ありがとうございます。
実は、エントリーにある内容は、「愚痴程度」のものでありまして、もうすこし詳しい内容についても続編を書く予定です。あまり当事者の方にご迷惑をかけぬよう、もう少し研究対象を絞ってマスコミのコンプライアンスについて検討してみたいと思います。
それにしても「赤福」の会長にあの阪神、村上ファンドのときの「あの方」が就任するとは夢にも思いませんでした。ホント、驚きです。
投稿: toshi | 2007年12月15日 (土) 01時44分
正邪が分かりやすい「事件」ですから、余計そうなったのでしょうが、メディアの仕事してきた者として考えさせられます。社外調査委員をされた弁護士の方は、場合によってはメディアスクラムの申し立てをすることも対抗手段としてあります。ただ、期間、程度、態様を考えると現実的には難しいかもしれません。不二家ケースの時、取材について「地検の取調べでもあんなひどいことはしない」といった趣旨の発言を郷原先生でしたかがされておられました。いささか引っ掛かるところもありましたが、現在の取材現場がそんなに不遜になってしまったのかと情けなくなりました。厳しい取材とは質が全く違うと思うからです。
弁解がましくなりますが、1、2点感ずるままに記します。社外調査委員の弁護士からの指摘で、「自宅まで押しかけた」は相手の方には大変でしょうが、仕方がないと言うしかありません。取り上げる意味のある取材テーマであれば、取材します。相手が誰であれです。解きほぐしていくとき、キーマンとなる人の話は聞かなければなりません。公式発表にはウソ、隠蔽があるという前提を持たなければならない長い経験があります。
ただ、「シナリオに合わせてくる」という下りは、大変重い話です。記者は公的な資格職ではありません。誰でもなれます。例外はあるでしょうが、活字メディアと映像メディアでも違います。そこで「商品=記事、ニュース」を作るとき、何が優先規準となるかです。スクープを書けば、視聴率を取れば、の視点を重視すれば、派手に、面白く、分かりやすく、「情念」に訴えます。怒らせたり、泣かせたりということです。程度の差こそあれ、宿命的にこれを無視することはできません。特に新事実がない時、取材能力が劣っている時にこの傾向が強くなるものです。
しかし、であるが故に越えてはならないものがあると考えてきました。私は「記事は人の生き死にをも決めるものだ」と考え、後輩に言ってきました。思い上がりかもしれませんが、1本の記事で社会的に抹殺してしまうことも起こるという意味です。ですから最低限正確性だけは守るべきだと考えてきました。書くか書くまいか、どう表現するか、をもんもんと葛藤した上で書くのが、この仕事をする責任だと思ったからです。記者なんて、そんなにエライもんじゃありません。
どんな仕事でもそうでしょうが、頭の中にシナリオはあります。構成といったらいいのかもしれません。主見出しを考えます。要するに何を書くかをイメージしているのです。しかし、これは想定です。取材の中でどんどん変わっていきます。当り前です。ところが記事制作は組織的になっていますから、予定の変更は社内では嫌われます。
大きなテーマになるほど、チーム取材になり、取材結果をはめ込んでジグソーパズルをつくることになります。このとき想定外の取材結果は困ります。そこで「シナリオに合わせる」ということが起こりがちになるのだと思います。正確性=真実性を最優先にするか、効率を優先するかでもあります。このせめぎ合いが日常だということは分かっておられるのでしょうから、そのバランスが程度を越えて崩れているという指摘だと思います。
大胆に言えば、減点主義、成果・効率主義の行き過ぎが原因の一つだと考えています。経営的に言えば正しい選択なのかもしれません。むかし「大記者」という言葉がありました。いい意味ばかりではなく、上司の言うことも聞かずわがままですが、時々とんでもないスクープをする記者という意味にも用いられました。上司から見れば扱いづらい存在ですから、こうした記者は社内で偉くなることはまずありませんが、不思議と機微を知っていて、人の世の仕組みを教えてくれたりしました。別の仕事で言えば「職人」かもしれません。しかし、そんな化石のような記者がいる隙間は今はありません。成績がいい優等生の記者が、粛々とパソコンに向かい、想定内の取材結果を出してくれば、組織運営管理上は高評価を付けるしかないのです。
自分の経験則としては、さまざまな取材先の結果、形成された心証に基づいて、「あなたは隠していませんか」という姿勢で聞いてしまうことはあります。これは事前の予定に合わせるのではなく、取材の結果。自分の得にならない、都合が悪いことはなかなか話してくれないからです。取材の手法はさまざまで、人それぞれです。若い記者に不幸なことは発表が多くなったために、人を相手にした取材の経験が減ってしまいました。ネット情報の氾濫も人に対する取材経験の機会を奪っています。この点は組織体制上の問題とは別に弁護したいポイントです。私は無名の元記者に過ぎませんが、殴られたことも、物をぶつけられたこともあります。礼を失した取材だったと思っています。結局経験でしか身に付かない部分があるのです。
しかし、多くの人が「シナリオ合わせ」と感じておられるようですから、現場ではそう感じさせる事実が横行しているのだと思います。昔からある程度はあるのですが、放置できないほどであれば、その対抗策というか解決策を考えることが必要です。理念論は山とありますがこれは偉い人に考えていただくとして、現実的な手段が必要です。その一つは毅然と対抗することだと思います。法的手段まではともかく対峙していく姿勢が必要です。しかし現実にはなかなか大変でしょう。体力も理論武装も必要だからです。不二家ケースのTBSとのやり取りを見ていただければ納得していただけると思います。
こうしたこともあって近時、危機管理に関連して記者会見のやり方など広報のコンサルティングがもてはやされています。動機はとても分かるのですが、コンサルをされる方は広告宣伝系などの方が多く、メディア(社会部系)側の人はあまり見かけません。「潔しとしない」のかもしれませんが、メディアと取材対象とのせめぎ合いは、長い目で見ればお互いの利益になることではないだろうかと思うのです。それでまずは相手のことを正確に理解・認識すること、その一助になればと不遜にも考えてこんな長文を書いてしまいました。
このエントリーはとても勉強になり、考え考え読ませていただいています。もはや勉強してどうなるという年齢ではありませんが。
投稿: tetuo | 2007年12月16日 (日) 16時58分
>tetuo
tetuoさん。はじめまして。メディアの世界の不合理な部分や倫理観など、分かりやすく説明いただきありがとうございます。また、説明不足により、不愉快な思いもさせたかと思います。失礼いたしました。私自身も組織が求めるものと取材で得てきたものが違ったときの葛藤については、メディアで働く人間の倫理と「真実とは何か」という点で難しい問題だと思います。私の場合は、映像でしたが、映像であれば、他の部分の尺を伸ばしたりして都合の悪い部分は短くしたり後からでも、修正可能ですが、記事になると、簡単に1ページや決まった枠を違うものと差し替えるとはいかないでしょうから、構成の都合に合わせる、組織に合わせる必要性が大きいのだろうと思います。どちらにしても総合プロデューサーがいたりして、全体の構成を合わせるのだろうと思います(テレビにはいました)そういう人が、他の人たちの個々のコーナーをチェックして、場合によっては、組織的な都合に編集し直したりします。(一度、すごいインチキ手直しを見たことがあります)正直、個人では、何もできないと感じました。メディアにいるころに、よくイタズラをしたのですが、「面白ければ、それで良い。」と言われていました。本当の情報と嘘の情報でも仕事に影響がなければ面白い方が採用されました。そういう環境を作っていたのです。内部統制の限界ではないですが、メディアの問題は、今後も起こると思うし、メディア自身に期待するのは難しいでしょう。視聴者・読者である私たちが、面白いことを求めるだけでなく、真実を求める社会が作ることで、メディアを変えていかなければいけないのかもしれませんね。
投稿: 竹村 | 2007年12月17日 (月) 10時19分
こんにちは。師走も半ば。
過日14日は泉岳寺に寄り、線香をたむけてから帰宅しました。
●今年は不二家に幕を開け、ミートホープや船場吉兆など、内部告発から端を発して、企業のコンプライアンスが大きく問題になった年でした。
●J-SOXが要求する内部統制、コンプライアンスが、企業だけでなくビジネスパーソンに影響を与えたことが、大きな要因です。
これまでは目を伏せてきた上司の不正指示に対して、きちんとトップへ報告したり、保健所や監督機関へ匿名で告発することを、日本人がためらわなくなりました。これは実に大きな進歩と変化だと思います。
●金融庁の実施基準を見ても、内部通報制度が特筆です。
文書化3点セットだの、モニタリングだの細かいことが言われますが、企業会計の最も大きな不正・虚偽は、ほとんどトップが指示したものですから、これを防ぐ仕組みが、内部統制のうえで一番重要なのです。
●記者会見で息子に「アタマが真っ白になって…と言いなさい」と耳打ちしているようでは、内部統制の意味がわかっていないといえます。
コンプライアンスを学ぶ意味で、この「耳打ち」会見は今年のヒット場面の1つでした。
投稿: DMORI | 2007年12月17日 (月) 15時08分
tetuoさん、竹村さん、DMORIさん、コメントありがとうございます。船場吉兆社とミートホープ社の対応は、今年一、ニを争うマスコミ対応失敗例だったのではないかと考えております。もちろん、対応のマズサも問題でありますが、マスコミの報道のあり方についても、平時におけるリスク管理のひとつとして学ぶことは有意義ではないかと思います。ということで、お約束のとおり、第二弾をエントリーしてみました。また、ご意見など頂戴できましたら幸いです。
投稿: toshi | 2007年12月18日 (火) 02時35分