(18日午前 追記 辰のお年ごさんより、2点ほどご指摘いただいております。また、igi先生からも適用条文に関するご意見をいただいております。貴重なご意見ですので、併せてお読みください。)
インサイダー取引に関するニュースは最近ひんぱんに飛び交っておりますが、やはり「NHK報道局の記者・ディレクターの方々による取引疑惑」となりますと、どこも一面トップで取り扱うニュースとなってしまいます。(たとえば日経ニュースなど。)以前、家族を不幸にするインサイダー取引なるエントリーをアップいたしましたが、家族だけでなく、会社も不幸にするのがインサイダー取引でありまして、先のエントリーでも申し上げましたとおり、コンプライアンス経営のために役員さんだけでなく、役職員でのセミナー受講をお勧めしたいのが、このインサイダー防止体制の整備であります。(東京や大阪の大手法律事務所は、どこも詳しい専門家の先生方がいらっしゃると思います)
磯崎さん(isologue)も、このたびのNHK記者さんの疑惑に関する要件該当性について疑問を呈しておられますし、また、葉玉先生(会社法であそぼ)も年初のエントリーにおきまして、今年の企業法務トレンドのひとつとして「金商法における課徴金制度の強化」(あとの二つは株券電子化とアクティビスト対策における敵対的買収防衛策、とのこと。)を掲げておられますので、おそらく内部者取引への対応は上場企業における喫緊の課題であることは間違いないと思われます。今回のNHK記者さん方のインサイダー取引で問題となりそうなのが、磯崎さんもご指摘のとおり「会社関係者がその職務に関して知ったとき」に該当するかどうか、といった要件該当性の問題(追記 ただしここでは重要事実に関する情報を入手した報道関係者が問題とされておりますので、正確には「情報受領者による不正な取引」として166条3項の前段もしくは後段の要件該当性が問題となりそうです。辰のお年ごさんと、igi先生のご指摘です。ただ当該情報取得者が「職務に関して知った」かどうか、という論点は166条1項の事案とほぼ同じだと思料されます。)と、もうひとつ、行政処分たる「課徴金制度」の対象事案であることと思われます。ちょっとややこしいのですが、金融商品取引法175条(会社関係者に対する禁止行為等に違反した者に対する課徴金納付命令)の第1項が、同法166条1項または3項を引用しておりますので、要するに「刑事罰たるインサイダー取引の違反行為と同じ要件によって、金融庁は課徴金納付命令を出すことができる」というものであります。
(会社関係者に対する禁止行為等に違反した者に対する課徴金納付命令) 第175条
第166条第1項又は第3項の規定に違反して、自己の計算において同条第1項に規定する売買等をした者があるときは、内閣総理大臣は、次節に定める手続に従い、その者に対し、次の各号に掲げる場合の区分に応じ、当該各号に定める額に相当する額の課徴金を国庫に納付することを命じなければならない。 一 第166条第1項又は第3項の規定に違反して、自己の計算において有価証券の売付け等(同条第一項に規定する業務等に関する重要事実の公表がされた日前6月以内に行われたものに限る。以下この号において同じ。)をした場合 次のイに掲げる額から次のロに掲げる額を控除した額 イ 当該有価証券の売付け等について当該有価証券の売付け等をした価格にその数量を乗じて得た額 ロ 当該有価証券の売付け等について業務等に関する重要事実の公表がされた後における価格に当該有価証券の売付け等の数量を乗じて得た額
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ちなみに、166条1項は、以下のとおりです。
(会社関係者の禁止行為) 第166条 次の各号に掲げる者(以下この条において「会社関係者」という。)であつて、上場会社等に係る業務等に関する重要事実(当該上場会社等の子会社に係る会社関係者(当該上場会社等に係る会社関係者に該当する者を除く。)については、当該子会社の業務等に関する重要事実であつて、次項第五号から第八号までに規定するものに限る。以下同じ。)を当該各号に定めるところにより知つたものは、当該業務等に関する重要事実の公表がされた後でなければ、当該上場会社等の特定有価証券等に係る売買その他の有償の譲渡若しくは譲受け又はデリバティブ取引(以下この条において「売買等」という。)をしてはならない。当該上場会社等に係る業務等に関する重要事実を次の各号に定めるところにより知つた会社関係者であつて、当該各号に掲げる会社関係者でなくなつた後一年以内のものについても、同様とする。 一 当該上場会社等(当該上場会社等の親会社及び子会社を含む。以下この項において同じ。)の役員(会計参与が法人であるときは、その社員)、代理人、使用人その他の従業者(以下この条及び次条において「役員等」という。) その者の職務に関し知つたとき。
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また、166条3項は以下のとおりであります。(辰のお年ごさん、igi先生のご意見などからみて、この3項後段が適用されるようですね。 記者は「情報受領者」ですので。ただ前段がストレートに適用されるかどうか、となりますと情報伝達の相手方をかなり広く解釈することとなり、たとえ放送局であっても、インサイダー取引とそうでない取引の境界線を引きにくくなるために妥当とはいえないように思います。たいへん勉強になりました。)
3 会社関係者(第1項後段に規定する者を含む。以下この項において同じ。)から当該会社関係者が第1項各号に定めるところにより知つた同項に規定する業務等に関する重要事実の伝達を受けた者(同項各号に掲げる者であつて、当該各号に定めるところにより当該業務等に関する重要事実を知つたものを除く。)又は職務上当該伝達を受けた者が所属する法人の他の役員等であつて、その者の職務に関し当該業務等に関する重要事実を知つたものは、当該業務等に関する重要事実の公表がされた後でなければ、当該上場会社等の特定有価証券等に係る売買等をしてはならない。
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刑事罰は「インサイダー取引は悪いことだ。悪いことをやった奴は道義的非難は当然だし、制裁を加える必要がある」というものですが、課徴金納付命令は刑事処分ではなく、行政処分ですから、行政目的達成のために課されるわけであります。つまり、「ズルをして儲けた奴のやり得は認められないから、その利益は返してもらう」という制度であります。(そのために、不当な利得をいくらと認定するのか、といった規則が定められております)したがいまして、原則として、そこには道義的非難とか、制裁という意味は基本的にはございません。(いまのところ。ただし、今年あたり「制裁的意味合い」のある課徴金制度を認めた金融商品取引法の改正案が国会で成立する予定であることは、前に述べたとおりであります。またすでに制裁的な意味合いのある課徴金制度は、金融庁管轄でも「改正公認会計士法」によって導入されております。)もちろん、インサイダー取引の刑事罰に関する構成要件(金商法166条)をそのまま課徴金制度(同法175条)でも引用しているわけですので、証券取引等監視委員会のほうで「この記者さんたちは、何度も繰り返してやっている」とか「そもそも報道機関という、もっとも規律を守るべき人たちがやっている」ということを重くみて「社会的に大きな非難に値するので、制裁を加えるべきである」との判断に至った場合には、金融庁への課徴金納付の勧告を飛び越えて、「しかるべき措置」を促すことになるわけであります。(刑事罰適用のための厳格な証拠が必要となることは言うまでもありません)
いずれにしましても、この記者さん方は、ご自身が閲覧できる「ニュース原稿専用端末」から、重要事実の公表直前に、インサイダー情報を入手したわけでありますので、刑事罰であっても、課徴金納付命令であっても、この方々が適用要件たる「(重要事実を)その者の職務に関して知った会社関係者」に該当するのかどうか、といったあたりが問題となるところであります。自分たちが取材してきた未公表のニュースの内容から自己の計算において株取引を行った、ということでしたら、当然言語道断のインサイダー取引でありますが、今回はどうもそうではないようでして、いわば報道部のなかで飛び交っているニュースの原稿に触れてしまった方々が、この会社関係者が「その職務に関して知った」のかどうか、という論点であります。実はこの「その者の職務に関し知ったとき」なる条文の解釈は、「職務行為自体により知った場合のほか、職務と密接に関連する行為により知った場合を含むが、その者の職務が、当該重要事実を知りうるようなものでなければならない」と狭く捉える見解から、「その職務の実行に関して知る必要のある情報または知る立場にある情報を知った場合」と、比較的広く捉える見解まで、いくつかの諸説があるようでして、私の知るかぎりではまだリーディングケースとなるような判例はないものと思われます。したがいまして、誰かがしゃべっているのを、たまたま聞いてしまった職員の人であれば、いずれの見解でもインサイダー取引の要件には該当しないでしょうが、今回のNHK報道局の記者さん方においては、ニュース原稿を専用端末から入手できる立場にあったということですから、「職務に関して知った」というのを広く解釈する立場からすれば、かなり微妙ではないかと思われます。
そして、この「かなり微妙ではないか」というのが、課徴金制度のミソであります。課徴金は行政処分ですから、刑事罰における「罪刑法定主義」が厳密には採用されないわけで、証券取引等監視委員会も、機動的、迅速的に対応することが可能であります。不服申立制度として規定されている「課徴金納付に関する審判制度」におきましても、厳格な証拠ルールは適用されません。また、課徴金納付命令を受ける側も、両罰規定の対象となる企業とは異なり(注1)、あくまでも個人本人の不当な利得を返還するだけですから、数万円から数十万円の世界であります。(ただし有価証券虚偽記載に対する課徴金等は別です)そんな数十万円のために、弁護士を頼んで行政救済制度で争う、取消訴訟で争う、ということはおそらくされないんじゃないでしょうか。しかも課徴金納付命令に対して争うつもりでいたとすれば「あれ?争うの?だったらこっちだって刑事処分でやっちゃうかもよ?」みたいな威嚇効果もあるわけです。実際、これまでに平成17年改正の施行以来、課徴金納付命令が発出された件数は30件を超えておりますが、いままで一度も課徴金納付命令は違法だ、と争ったものはなく、違反事実を認める答弁書を提出して、頭をさげて金融庁から処分を受けているのが現状であります。。誰も課徴金納付命令を争う気配がないわけですから、証券取引等監視委員会としては、「これ幸い」と今後も「微妙な解釈問題」が存在するケースでは、とりあえず課徴金制度を活用して、前例を作っていって、きたるべき刑事事件(こちらは弁護士がつくケースで解釈問題は争われることになります)での有罪率を高める礎を築いているところではないかと推測いたします。昨年、コマツ社や大塚家具社において問題となりました「うっかりインサイダー」につきましても、本当に争う気持ちがあれば、いくつか法律上の問題点はあると思いますが、結局は違反事実を認める答弁で終了しております。
(注1)ここにいう「両罰規定」とは、刑事罰が個人に課される場合のことを述べております。課徴金制度につきましては両罰規定はありません。法人の役員が会社の計算において売買を行った場合には、その会社自身が課徴金納付命令の対象となります。(金融商品取引法第175条7項参照)
そもそも法律の趣旨では、インサイダー取引といいましても、課徴金納付命令だけであれば、制裁的意味はないということですが、それでも世間では「とんでもない悪いことをした」「会社も悪い」「インサイダー=刑務所」みたいなイメージが定着してしまっており、個人的な利得目的によるインサイダー取引が社内で発覚した場合でも、本日のNHKのように謝罪会見となってしまうわけであります。そこで、企業コンプライアンス的な発想からしますと、そもそもインサイダー取引によって社員に対して課徴金の調査が始まってしまうような事態そのものから隔絶できるシステムを社内に作るべきではないかと思います。(なお、証券取引等監視委員会による調査に対しては、証券会社も証券取引所も、みんな協力する体制であることを、認識されていたほうがよろしいかと思います)なお、今回のNHKの事例では、3人のうちおひとりが違反事実を否定されているとのことであります。まだ今回の件が課徴金調査で終わるのか、刑事問題に発展するのかは不明でありますが、とりあえず今後の対応に注目しております。
(18日午前 追記)
今朝の新聞報道によりますと、このNHKの記者(ディレクター)さん方は、全国の別々の部署から、約5000人の社員が閲覧できるニュース原稿にアクセスしていた、とのこと。このシステムの運営につきましては、正確迅速な報道のために不可欠なもののようでして、今後も運営を変更できるようなものではないようであります。ということは、社内で容易に防止システムを策定することは困難なのかもしれませんね。また、同じ会社の3人が全国から、何の意思の連絡もなくアクセスしていた、ということですから、これが事実だとすれば「まだほかにも何人も同じことをしていたのでは?」と疑われてもしかたないかもしれません。