再生紙偽装・発覚遅延の原因を考える
私が司法修習生だったころ、つまり20年ほど前になりますが、大阪の実務修習(社会実習)の一環として、「近鉄電車の運転実習」というものがございました。いくつかの班に分かれまして、修習生が運転席で実際に近鉄電車を一区間ずつ運転します。もちろん、乗客を乗せたものではなく、いわゆる「臨時列車」ですが、お昼のダイヤに合わせて、運転いたします。隣に近鉄電車の運転手の方が付き添っているのですが、実際に修習生が運転をするというもので、いまなら「電車でGO」で予習もできるかもしれませんが、当時は「ぶっつけ本番」のとてもスリリングで楽しい修習でした。
弁護士になって数年後、新聞に「司法修習生、無資格で電車運転」なる大きな見出しとともに弁護士会の不祥事問題として公表され、当時の大阪弁護士会のM副会長が謝罪会見を開く、という事態となりました。今から考えますと、臨時電車とはいえ、無資格の人間が白昼堂々と電車を運転をしているわけですから、「往来の危険を生ぜしめている」ということでゾっといたしますが、当時は特別に危険だという認識もなく、「え!なくなっちゃうの?修習生かわいそう」くらいにしか考えておりませんでした。翌年から、近鉄電車運転実習が廃止されたことは当然のことであります。
このようなお話を書きましたのは、昨日の「再生紙偽装に関するいくつかの疑問」への小僧さんの回答を読ませていただき、「なぜ十数年にもわたって、内部告発等によって問題が発覚しなかったのか」ということへの原因が、おぼろげながら理解できたような気がしたからであります。たくさんの製紙会社の社員の方々は、再生紙の古紙配合率に虚偽がある、といった事実を知っておられたようでありますが(ここでツッコミが入るかもしれませんけど・・・)、そもそも(少しオーバーな言い方かもしれませんが)「酒の席でも、平気でしゃべってしまう」ほどのことであり、それが「内部告発をする」だけの価値があるのか、言い換えれば、その事実が社外で大騒動になる、といった認識が製紙業界のみなさんに欠けておられたのではないでしょうか。少なくとも数年前までは、そういった感覚だったのではないかと推測されます。ところが、ここ数年、エコ商品への社会的な関心が高まってきたことと、品質偽装といったことへのコンプライアンスの議論が高まってきたことが相まって、「このままだとヤバイのではないか」といった風潮が次第に製紙業界にも芽生え始め、業界団体等においても、「古紙100%は本当に環境によいのか」なるキャンペーンなどと銘打って、古紙の偽装の程度を低減させていこう・・・といった業界の流れになってきていた矢先の「問題発覚」だったのではないかと推測いたします。(もちろん、そのような姑息な目的だけのためにキャンペーンを打ったものでないことは小僧さんのコメントのとおりであると思いますが、まぁそのような流れのなかで、といいましょうか)きっと「こんなの昔からやってたし、なんでいまごろ騒ぐの?」と思っていらっしゃる社員の方もおられるのではないでしょうか。
こういった社内慣行への意識と、社外の意識とのギャップから生ずる「不祥事問題」は、たいへんおそろしいものだと感じます。たまたま今回は製紙業界の問題でありますが、同様の「ギャップから生じる問題」はどこの業界でも三つ、四つくらいは抱えているはずですよね。倫理的に問題がある業界慣行ではあっても、それが社会的に許容(許容が語弊があるとすれば、発覚してもニュースソースたる価値がないこと)されるものと、大騒ぎになってしまうものがあって、時代の流れの中で、社会的に許容されない悪事である、と評価され、過去にさかのぼって偽装していた、とか、隠蔽していた、と言われてしまうわけであります。世の中が騒ぐ不祥事と騒がない不祥事(つまり、内部告発する人もいないだろうし、また告発を受けたマスコミも本気でとりあわない不祥事)の境目というものは、そう簡単には識別することは困難ではないか、と思う次第であります。
「社外の常識を、社内に取り入れる」というフレーズは、宣言することは簡単でありますが、実行に移すことはむずかしそうであります。しかし、ひとつ「経営の透明性、公正性をはかる」ということで、社外取締役や、社外監査役の役割が期待されるところでありまして、たとえばこのたびの再生紙偽装の一件など、各製紙会社の社外役員の方々は、どう思っていらっしゃたんでしょうかね。こういったケース、たとえば社外役員であれば、「そのような慣行はまずいのではないか」と疑問を呈していただけたのではないか、と。王子製紙、日本製紙はじめ、この業界には名門企業が多いようですので、もちろん社外役員さん方も、立派な方々が多いものと思われます。そういった方々は、情報伝達の限界として、そもそも再生紙偽装なる事実は耳に入っておられなかったのか、それとも当然のごとく、知悉されていたのだけれども、社内の役員さん方と同様、「そんなに憤って文句を言う必要があるの?この競争激化のなかで、そんなことに文句を言ってたらKY(空気が読めない)って言われてしまいますよ」くらいの感覚だったのでしょうか。
なお、私はどなたかの法的責任を追及する目的で申し上げているわけではなく、あくまでも「企業の不祥事体質」というものがあるのであれば、その原因はどこにあるのか、を究明したい、との気持ちからのエントリーであります。このたびの再生紙偽装が、業界あげての不祥事である、とお認めになるのであれば、それでは今後どうやって不祥事再発のない企業体質にできるのか、その処方箋を検討することが、私は責任追及よりも優先すべきであると考えております。(弁護士会の選挙のこととか、本業の書面作成に追われて、きちんと文章を整理する時間がありませんので、ダラダラとした文章、お許しください)
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コメント
TOSHI先生
こういう不祥事が起こる企業だけでなく、何らかの不祥事が恒常的に起きる場合には、役職員の意識が指摘されるようなレベルであることは非常に典型的であると思います。企業という「村」に安住し暮らしていくとこういうことが起こります(我々が弁護士という「村」に安住しているうちに世の中にたたかれるようになったのと同じですが、我々の世界ではそれがわからない方が日弁連会長候補として多くの票を集めているようなので、まさに顔に汗ですぅ)。ただ、本件は単に社会規範だけでなく、制定法違反があり、さらには、民法でいえば再生紙でないものを再生紙と偽って、おそらく高い値段で10年も売っていたという「サイテ~」の事件ですよね。構造としては総会屋への利益供与と同じです。違法行為がわからないというのは、ありえなかったはずで、相当厳しい制裁をすべきであると思いますが、株価、乱高下のおり、すっかりマスコミもおとなしいようで、このままうやむやになるような気がして苦々しい気分です。仕事中ですので、このへんで失礼します。
投稿: とも | 2008年1月24日 (木) 13時18分
このような不祥事に直面した場合、自ら公表する場合のリスク(ダメージ)と、今回のように「発覚」する場合のリスク(ダメージ)を比較すると、
きっと前者については拡大方向で想定(過大評価)し、そのダメージは100%の確率で発生し、後者の場合には縮小方向で評価(過小評価)し、発覚する確率もほとんどゼロで評価して、結果自ら発表する場合は回避したい事態が100%発生し、ほおかぶりすると発覚する可能性は限りなくゼロか文字通りゼロになり、そうすると自ら発表して不愉快な事態に遭遇する必要もない…。自ら公表するということは、発表すると「決定する」ことで、決定しなければ何もする必要がない(もしかすると、ダスキン事件のような空気というか雰囲気というか…。)
決定するには相当なストレスに耐えなければなりませんし、不愉快な事態に直面することを想像するのもかなりのストレス耐性が必要です。
インセンティブの設計で対処の方法はあるのでしょうが、それでもゼロの可能性は魅力があります。
マスコミに直結した内部告発しか威力がないのでしょうかね。
投稿: TO | 2008年1月24日 (木) 16時49分
ただの偽装で済むのであれば御の字ではありませんか。詐欺罪に該当しないかというリスクを考えてしまいます。このリスク、ネグリジブルですか。
投稿: kawailaw | 2008年1月24日 (木) 23時01分
こんばんは。
今日は我々に社長からのメッセージが届きました。これがまた○×△な内容でして、警視庁の捜査2課のあたりにお出まし願って外圧で無理やり反省を深める必要があるかと、酒が入った脳が信号を出しています。
さて、toshiさんのご推察は、ほぼ100%私の考えと同じです。拙文から本意を汲んで頂き、上手く料理してもらえて嬉しいです。
まぁこのくらいは良いかという意識で、渡ると帰れなくなる川を渡り、仲間も泳ぎついた彼岸の心地よさにうつつを抜かしていたら、三菱自動車、ミートホープ、白い恋人、ペコちゃん、船場吉兆といったご近所さんが次々に捕まるのを見て、冷や汗を書きながら元の岸に向かって泳いでみたけれど、当然に間に合わずに溺れたという構図です。
企業内の意識はリーダー(経営層)とフォロワー(従業員)でタイムラグが生じます。今回の不正も、始めたころは多くの従業員が異を唱える中でリーダーの指示で行われ、従業員が不正に浸かって罪悪感すら消えるほど広がったあとに、今度はリーダーの大号令で不正は止めろとなっても、従業員の意識は簡単には戻りません。ので、今回の事件後も、社員の感想は人によって随分異なっています。
それで、どうやれば不正をなくせるのか?ですが、私はもっと会社の中の個人をクローズアップするべきだと思います。「会社」といったって、所詮は個人の集まりですから、それぞれの階層に合わせた不正防止の意欲を持たせる枠組みがいるのかなと。
取締役の皆さんであれば、不正行為に手を染めたら逮捕される、株主訴訟で身ぐるみ剥がされる、一族郎党が辱めを受けるといったプレッシャーや、あるいは自白することでヒーローになるか儲かるかの仕組みでもなければ、不正撲滅のエネルギーは沸かないと思いますよ。
TOさんの仰るとおり、やってしまった不正を明らかにするなんとことは、社長にとっては超ハイリスクノーリターンですもの。それ以上のリスク、あるいは何らかのリターンが望める状況でなければ、普通はできませんよね。このあたり、談合防止の枠組みは飴と鞭が上手く機能し始めたようでありますから、他の不正行為防止にも考え方を取り入れるたら良いのかと思います。
従業員に対しても、上司から何を言われようが不正に手を染めたら、実行犯の個人に責任がつくというルールを、もっと厳格に運用するべきじゃないかと思います。今回の我々の不正も、職務権限を持ってて決済した人間は、拘置所暮らし程度は覚悟する世の中になるべきでしょう。ギスギスして嫌な世の中にも思えますが。飴の方は何か良い手はないですかね。日本企業でよく行われる連帯責任システムでは、もう保たない気がしています。
アルコールの影響で、普段以上の乱文になってしまいましたがご容赦ください。何か自分でも整理しきれない理由で非常にイライラしております。このままではダメなんだよなぁ...
投稿: 小僧 | 2008年1月25日 (金) 01時08分
DMORIです。
小僧さんは製紙会社の社員の立場で、ここに書き込みをしておられますので、今回の事件の生々しい内部情報は、みんなでコンプライアンスを考える上で、とても貴重な証言と思います。ありがとうございます。
さて、どうやれば不正をなくせるのか? ですが、
小僧さんの会社でも、社員倫理規程は定められていて、それを年に1回は従業員1人ひとりから、遵守する旨の約束を再確認していると思います。
その規程の中に、内部告発を推奨する規定はありますか?
「部署や部門の上長が、コンプライアンスに反する指示をしていると感じた場合に、匿名で社長室や内部監査部門へ伝えましょう。それがみんなで私たちの会社を守ることにつながるのですよ、そして会社は匿名の通報者を詮索することはせず、また詮索する上長がいたら処罰するし、会社は通報者を守りますよ」といったルールを明示しているでしょうか。
さしつかえなければ、教えていただけますか。
このあたりは、近年多くの企業で内部通報制度を整えてきていますので、上場大手であればたぶん規程化されているだろうと拝察いたします。
しかし、内部通報制度やコンプライアンスへの考え方が進んでいる企業は、これをさらに一歩進めています。
それは、外部への密告の奨励も規定にしていることです。
「あなたが、もし社長室や内部監査室へ通報しても、情報を握りつぶされるのではないだろうかと、懸念があるのであれば、当社の監督官庁やマスコミへ通報してください。私たちはそのような方法を社員が選択しても、会社がコンプライアンスを守り、社会に対して責任を果たすには良い方法であると考えます。」
といったルールまで定めて、社員に公開している企業も、実際にあります。
性善説に立って、コンプライアンス教育を社員に実施することも、もちろん大事ですが、企業が不正を抑止する上で、最も効果の高い方法は、こうした内部通報制度をしっかり整えて、社員に納得を図ることだと思います。そして、それが企業を永く守る上で大切な方法です。
投稿: DMORI | 2008年1月25日 (金) 09時16分
でもですね、そうやって外部への内部告発(ヘンな日本語ですが)を
されたとしても、よほどの事例でないと当局は動かないと思いますし、
仮に動いて捜査、調査が入った後、そのあと何が起こるかといえば
「誰がチクったんやー。告発者を探せ!吊るせ!」騒動だと
だいたい相場が決まっています。
告発者保護とか言いますが、
そんなもん現状の法律程度では意味を成していません。
事柄によりますが、「アイツが喋らなきゃこんなことにはならなかった」
という社内の怨嗟は凄まじいものがありますから、よほど肝の据わった
ひとでないと社内に留まることは難しいでしょうね。
「勇気を出して」と言うのは簡単です。でも誰もが蛮勇を揮えるわけでは
ありませんから。マジな話、死人が出ますよ。
法律を強化して、内部告発者は本人家族の面倒を一生国が看るぐらいの
ことを決めないと変わらないでしょうね。
もうほとんどマフィア犯罪裁判の証人保護みたいな話に
なってきました(笑)。
でも、例えば愛媛県警の不正経費を告発した勇気ある警官に対して
聞くところによると愛媛県警は相変わらず「迫害」を続けているし
不正を認めて改めようとはしていないといいます。
これが、ニッポンの組織の正体です。腐っているのはごくわずかかも
しれませんが、それを見て見ぬ振りをしている多くの人間がいます。
我々民間に何を求めようというのですか…。
投稿: 機野 | 2008年1月25日 (金) 09時48分
理想的な経営者もいるでしょう。理想的な組織もあるでしょう。
そういう企業、経営者がたくさんあって、いて欲しいですが、
世の中は残念ながらそうではないようです。
理想的なケースを念頭に置いて、制度設計を考えないでください。
「内部統制報告制度」は投資家保護目的であり経営者の資質を問うもの
ではありませんが、建て付けとしては「どういう経営者であっても
その企業の内部統制に致命的な問題がないようにする」という理想を
抱えています。
ところが、「内部統制報告制度」、よほど頭がよくて優れた経営者でないと
理解できないシロモノなのです、これが(バク)。
コンピュータがネットに繋がらない。そのための素晴らしい対応方法が
ある。でもそれはコンピュータをネットに繋げないと見られない。
…たとえてみると、そういうことです(笑)。
-
やや話が横にそれてしまいましたが、
個々の企業が、或いは従業員がもっと真剣に考えていくべきことではある
のはもちろんですが(それが出来ないとその企業は崩壊する)、
法規制、ルール、アドバイスは、どこの企業でも対応可能な、経営者の
叡智や人格、道徳観に期待しないようなものでないといけません。
ただそうすると、闇雲に規制だけが大きく強くなって、社会が萎縮する
ということにもなるんですよねえ…。ああ、難しい…。
投稿: 機野 | 2008年1月25日 (金) 10時09分
しかし──ですね。
こんな事書いちゃいけないんでしょうけど。
マスコミリークによる信用棄損を利用して相手企業を貶める、葬り去る、
あるいは株価下げてこっそり大量に保有する──なんて事も不可能じゃないんですね。
もちろん諸刃になってますが。
投稿: 日下 雅貴 | 2008年1月25日 (金) 12時44分
こんばんわ。バタバタしていまして、しばらく“参加”できなかったのですが、素晴らしいやり取りですね。『小僧』さんの話は貴重です。実相がとてもよく理解できました。
自分と関係が深いところで言えば、内部告発です。内部通報=ヘルプラインの活用が盛んに言われていますが、大枠は公益通報者保護法に示されていて、この法律では保護される条件を厳しくして、外部への内部告発を極力減らし、組織内で処理するように誘導したのだと感じました。ところが、ヘルプラインのまともな利用はされていないようです。社内窓口に行きづらいなら、外部窓口へといっても、かなりは社の顧問弁護士か、社が依頼した弁護士や専門業者です。社の規定を見ると、なかなかご立派なところもありますが、信用はされていないですね。言うこととやることが違うのはこの世の常ですから、当然でもあります。
もしいい制度なら、最近の事例でも活用されていていいはずですが、1件もないことが証明でしょうか。私は無駄な制度だったと思っています。風通しのいい会社なら、こんなものがなくとも「こりゃ、まずいですよ」と言えるし、風通しが悪い会社なら制度は外向けのアクセサリーだから、作っても意味がないし、それを社員も知っているということでしょうか。
不祥事は風通しの悪い会社で起こりやすいと思います。その風通しを良くするのは、世間の風でしか変わらないのかもしれないと感じています。世間の風とは、市場(決して資本市場ではなく、お客さんや社員の家族や周辺の人を合わせた社会市場というような意味です)の目です。時間はかかるでしょうが、これが圧力になるのだと思っています。グローバル企業ではそれが難しいのかもしれませんが、そんな会社はまだまだ数は少ないです。
メディアは瓦版ですから、話題になりそうな話を探して書きますが、すべてが世間の風になり、うねりになり、大嵐になるわけではありません。メディアが寄ってたかって書けば、風は起こりますが、それで収まることもあります。不祥事の態様、悪質度、影響などを世間は判断します。違法=退場でもなければ、適法=優良でもないです。シビアですが、納得もできます。そういう意味では今回の古紙問題は、大きくはならないように感じます。一つの指標は経済部カバーが変わらないことです。メディアのアンテナ感度にもよりますが、大きくなるときは社会部も参入してきます。メディア全体で取り組むようになるときは、大体簡単には収まりません。
その“社会の風向き”は、行政や政治も巻き込みますので、これが問題会社への圧力であり、反省のきっかけになるのではないでしょうか。メディアはその端緒役になることがあると言うに過ぎません。これでも大きな力ですから、内部告発は有効な手段でしたし、これから増えると思います。近年の内部告発は昔と違って資料もきちんとしており、精度は高いですね。
日下さんの下りを読んで、グリ・森事件を思い出しました。メディア全部とは言いませんが、表ばかり見ているわけではありません。
また、長くなってしました。申し訳ありません。みなさんの熱いコメントを読んだものでつい…。
投稿: tetu | 2008年1月25日 (金) 23時56分
>>DMORIさん
ご推察のとおり、当社でも立派な内部通報制度がありまして、社内のコンプライアンス担当部署、もしくは契約している弁護士事務所に通報すれば、匿名でも告発を受け付けてもらえ、通報者は明確に悪意がない限りは保護されるというルールになっています。実際にパワハラ、セクハラ、超過労働などで、それなりの件数の告発があり、是正されるケースがあると聞いています。
コンプライアンスに関する教育も、職場単位の勉強会やネット上の通信学習も行われており、社員の行動規範も定期的に読み合わせています。外部通報推奨まではないものの、大きな会社としては一般的なパッケージの制度だと思います。
が、が、当社の場合は、コンプライアンスという言葉が流行するずっと前から、大掛かりな不正を会社ぐるみで行っており、多くの従業員がその事実を知っており、取締役も不正に関わったりしていたのですね。
そんな状況の中「はい、今日からコンプラアンスが最優先です。密告制度も作りました」とトップが言ったところで、従業員は「どの口がそれを言うか!」という感覚になると思います。というか私はそう感じていました。再生紙の嘘が根絶しない限り、コンプラアンス関連の話は全て絵空事だよなと。
そしてそれは特殊事例として置いておきますが、内部通報制度の役割は、社員の納得を得るという側面の他に、被通報候補者(多くの場合は上役の人々)に不正を思いとどまらせる抑止力を働かせることじゃないかと思います。その機能を補強するために外部通報さえ推奨するというのであれば、とても合理的だなと感じました。
昨日も書いたように、私は不正防止には個人にインセンティブを働かせることが肝要だと考えています。鞭のインセの一つとして内部通報が機能していると考えますが、もっと進めて「面白いネタには通報者に金一封を提供します、通報者の安全は確実に保障します」などという外部通報機関があったら良いかもしれません。不正排除告発者への飴と不正を行おうとするものへの鞭として有効に機能しうるかと。古来からあるブラックジャーナリズムを洗練させたようなものね。こんなNPOを誰か作ってみませんか?
投稿: 小僧 | 2008年1月26日 (土) 01時40分
小学生の子供がお父さんに聞きました。
「お父さんの会社、再生用紙でないのにうそついてみんなに売ってたんでしょ。どうしてそんなことしたの。みんな悪いことしているのになんでとめなかったの?」
「子供にはわからないこともあるんだよ。」
「いつもお父さんはうそついちゃいけないっていってるじゃないか。お父さんは自分は守れないのに、僕らにはなんで悪いことしちゃいけないっていうの?なんで?」「…」
今回の製紙会社の行為は、再生紙でないのにそう偽ってうっていたとなると、民事のみならず刑事の詐欺罪の可能性も否定できないくらいの行為です。そんなことをしない、ということが大人のわれわれにどうしてできないのでしょう。子供たちにいったいどういう説明をすればいいのでしょうか。こんなことで、われわれは自分の子供や孫に誇るべき文化や伝統を受け継がせることができるのでしょうか。
「民間に何を期待するのですか」というのでしたら、こんなことも守れないのであったら、国はいくらでも介入してきます。「理想的なケースを念頭に置いて、制度設計を考えないでください」ちがうでしょ、子供だってわかる悪いことをしないような制度を作ることをかたっているにすぎません。
私自身は、すでにけっこう昔の話ではありますがコンプライアンス上のもっと微妙かつ重要な問題で上司と対立し、降格か退社かと迫られて、「あんたはまちがいだ。だからやめる」といって退社した経験があります。いまでもそのときのことを思い出すと悔しくてなりませんが、その後その会社がたどっている状況をみると自分は本当に正しいことをしたんだと誇りに思えます。しかし話はこんな製紙会社の単純な悪事ではなくもっとこみいっていたものでした。
みんなで赤信号わたれば怖くない、長いものにはまかれようという議論からぬけでられないならば内部統制など働く余地はありません。
投稿: とも | 2008年1月26日 (土) 18時37分
>>ともさん
古紙回収、再生紙の利用には、数多くの子供たち協力してくれており、多くの学校で環境教育の一環として取り組んで頂いておりましたので、我々の行ってきた不正行為は単なる詐欺行為を超えた重罪です。現行法を総動員して、しかるべき刑事罰が下されるべきだと思っておりますし、適用できる法律の罪刑が甘いようであれば、改正も必要だと思います。
今回の原因を制度論すり替えるつもりもありません。なぜこんなことになったのか?と子供に問われれば、「お父さんたちは金に目がくらんでウソをついてしまったんだ。」というのが答えとなります。社の利益に貢献して報酬を増やし地位を上げたい、あるいは不正に反発して地位報酬を失うのは損だという私欲に、倫理観が負けたのです。当社でも、不正に反発して辞めた方がおりましたが、私を含めた大多数の役職員が誘惑に勝てませんでした。
制度論に原因を摺りかえるつもりはない、とはいうものの、私の果たすべき責任の一つとして、私の見てきた内部事情や当事者の考え方を開示することで、後世に何らかの教訓を残したいというのが、一連の書き込みの動機であります。不愉快に思われましたら平にご容赦ください。
投稿: 小僧 | 2008年1月26日 (土) 22時45分
小僧さん
ありがとうございます。小僧さんのような書き込みを続けておられること自体、勇気のいることであり、私は決して小僧さんを非難するつもりはありません。むしろ味方であり、悩みが手にとるようにつたわってきます。小僧さんの誠実な心情をさらにもっと社内でわかる形で日々がんばってほしいと強く思います。
ただ、役職員全員が悪いことは悪いといえない方向を向いているときに、その姿勢自体を正さずに、そういう状態に対する断固とした姿勢を個人レベルでもとることなく、制度を議論するという傾向が、このブログの書き込全体に現れているのではないかと、非常な危惧を感じた次第です。内部統制でもっとも大事なのは統制環境だということは、内部統制にかかわる者ならだれでも理解しているはずなのですが、そこの部分がぐらぐらしているというのでは、内部統制をあれこれテクニカルに論じても意味もないことであると思うのです。
私の尊敬する久保利英明先生は防弾チョッキを着て総会屋と戦いました。外でアドバイスしている弁護士がそこまでがんばっていることによって、企業の方々はどんなにか勇気を得ることができたでしょうか。しかし、今回の事件の戦うべき相手は、会社の内部の社風であり、こればっかりは従業員一人ひとりの勇気しかありません。また外部取締役や監査役がどれくらいまともに取締役たちを説得するかの話でもあります。制度の話とはいえ、これほど精神論が必要なものもありません。精神論を論じてもしょうがないという論調に対しては、私は非常ないらだちさえ感じます。なぜならば、必要なシステムは大方そろっているからです。日本だけできないならば、日本人はよほどずるい人種ということになってしまいます。
大宮法科大学院に久保利先生に依頼され、社内弁護士の役割について話にいった時のことです。会社が不正を行っていることが判明し、説得にもかかわらず社長以下いうことを聞かないときにはどうするかという問いがでたときに、企業に勤めているロースクール生が簡単にそんなことは言い出せないといいました。久保利先生は、山一證券の飛ばしの発覚は一人の勇気ある従業員がはらをすえて経営陣を説得したことからはじまっている、サラリーマンの人だってそういうときはどーんと肝をすえて勇気出してやれば何とかなるんだ、弁護士になろうとするものはそれができないというならばそんな弁護士は不要だ、と非常にきっぱりと言い切りました。私は自分の体験で、そのような行動をとることがどんなに組織の中でしんどく、場合によっては自分が組織から追い出されかねないことになりかねないということをよくわかっています。しかし、内部統制を本当に会社の中に根付かせたいと考えるのであったら、本当に肝をすえなければならないということも事実なのです。難しいことですが、ひとりひとりの行動が決定的なのだということをあきらめてはいけない、それなくしてどんなに内部通報制度などをいじったとしてもうまくはいかないと思います。
企業風土をかえるのは一大事です。本当に時間がかかります。私の社内弁護士として勤務した最後の会社での仕事は、それに始まりそれに終わりました。4年半、本当に全力でやったので限界がきて、社内弁護士はリタイヤしましたが、経営陣が一丸となって注力したのでまったくちがった会社になりました。小僧さんの日々の奮闘がきっとこんな実を結ぶことを強く願っております。ありがとうございました。
投稿: とも | 2008年1月27日 (日) 02時08分
「とも」さんのコメントに賛意を表します。
こんな経験があります。昔ある政治家の周辺の不祥事を記事にしたことがあります。現物を入手し、事実関係は完全に取材したのですが、「書いたのがけしからん。書いた奴を首にしろ」と猛烈な抗議が社にきました。上層部は「謝りに行かせろ」だの「自主退社はできないか」だの大騒ぎです。1点、私のミスがありました。それはその人のコメントを取らなかったことです。現物があったことと、簡単に接触できないこと、しつこく追い回せばつぶしに掛かるだろうと考えたことなどからですが、その点を衝かれました。100%事実関係では負けないのですが、力関係が左右します。相手は小物政治家ではありません。
この時、親しい弁護士がこう言ってくれました。「君の会社と私は契約がある。しかし、私は君の弁護士になってやる。会社とも、相手とも闘ってやるから安心しろ」。裁判にできるはずもなく、最終的には軟着陸しましたが、本当にいろいろと動いていただいたように後で聞きました。
瑣末な不祥事は、大体大きなリスクにはならないと思います。セクハラや職場の不公平などではなく、根幹的な不祥事に対して有効でなければなりません。経営陣が“自首”するような決断ができなければ、信用は得られないと思います。しかし、それは不可能ではないでしょうか。上昇志向、権力志向と潔さは大体比例しません。その前に胆力が備わっていません。
それだけに弁護士の重要性を感じます。外部監査役や顧問弁護士は社長のお守りではなく、まさに社会的に意味のあることをしている企業のお守りなわけですから、その企業のリスクに対して、一身を懸けて闘う必要があるのだと思います。私のケースで言えば、もし私を切るような判断をすれば、会社の社会的信用が失墜するという、リスク管理の発想が働いたのではないでしょうか。
この覚悟を持つことは、なかなか難しく、いまだ自分には備わっていませんが、真っ直ぐに生きなければならないと決めた時には、極力そうしようと心掛けています。
投稿: tetu | 2008年1月27日 (日) 22時04分
今回の件は内部告発だとか
そういう問題では本来なかった話だと思うんですよね。
会社単位どころか業界ぐるみで長年やってきたことですから、
経営者が集まって「いい加減にやめよう」という方向で談合すれば
よかったわけで(これ、冗談として書いたつもりですけど、現実も
そうなりかかっていたようですね…)。
誰か勇気ある社員が立ち上がって…などと書くような話でもない。
はっきりいって馬鹿馬鹿しくて、どこか喜劇っぽいのです。
全てが茶番という感じがしてしまいまして
(小僧さま、こういう表現になってしまい申し訳ありません)。
こういうことさえ自浄能力が働かなくて、政府の法規制を期待する
ということにさらになっていくことは確かに避けねばならないですね。
文字通り他山の石として、考えてまいりたいと存じます。
投稿: 機野 | 2008年1月29日 (火) 09時35分