オピニオン・ショッピング(「粉飾の論理」より)
(2月8日午前 追記あります)
私のブログでも、過去2回ほど監査法人さんの「セカンド・オピニオン」について書かせていただきましたが、弁護士業界と違って、監査法人さんがセカンド・オピニオンを書きたがらないのは、「そんなに短期間に会社の会計方針がわかるはずもなく、また余程会社の実情に詳しく精通していなければコワくてセカンド・オピニオンなど書けるものではないからである」といった回答が多く寄せられたことを記憶しております。ブログを書き始めてもうすぐ3年になりますが、今頃になって、ようやく会計監査のむずかしさもすこしばかり理解できるようになりまして、上記理由は会計監査人の短期ローテーションの弊害にも通じるところではないかなぁ・・などと感じるようにもなりました。
さて、本日(2月7日)の日経ニュースにおきまして、KDA監査法人さん(所属会計士数27名)が、平成20年2月7日付けにて公認会計士・監査審査会より、処分勧告を受けた、と報道されております。(公認会計士・監査審査会のリリースはこちら)ちなみにKDA監査法人さんというのは「国際第一監査法人」さんが名称変更されたようでして、企業会計に関心を寄せるブロガーとしましてはこのお名前は忘れもしません、一昨年のベストセラー「粉飾の論理」(高橋篤史 著)のなかで、「オピニオン・ショッピング/駆け込み寺」として登場されたあの監査法人さんですね。ちょうど、監査法人のセカンドオピニオンについて、いろいろとブログにも書いておりました時期にこの本を読んでおりましたので、「この監査法人さんは、こんな短期間によく社内事情を理解できるものだなぁ」と思いながら読んでおりましたが、やはり今回の処分勧告の理由におきましても、監査契約の新規締結等の問題点等を指摘されておられるようであります。
ここでは、KDA監査法人さんのことをあれこれと申し上げるつもりはなく、公認会計士・監査審査会が監査法人へ処分勧告を行う場合の、その理由付けに関心を持ったような次第であります。すでに平成19年も監査法人の内部管理態勢に不備(重大な不備)があったとして数社の監査法人さんが処分勧告を受けておりますが、その理由などを検討しますと、来るべきJ-SOX施行によります一般上場会社の内部統制評価や監査のあり方が少しだけ垣間見えてくるように思われます。たとえば、本件のKDA監査法人さんの場合をみますと、統制環境(理事会の機能不全)→品質管理体制の整備状況(品質管理責任者の職務分掌の不明確さ)→モニタリング(品質管理に係る独立的評価機能の不全)→リスク評価におけるトップダウンアプローチ(トップダウンリスクアプローチの適用方針が皆無)→業務プロセスの深度ある評価(ここでは監査業務の記録化の不存在)などなど。
さて、問題は、こういったKDA監査法人さんの内部管理態勢につきまして、これを「重大な不備」と判定する切り札はどこにあるのでしょうか?それとも「切り札」はないけれども、品質管理レビュー等で上記のような諸々の欠陥が判明した以上は、総合的に見て「重大な不備」だと認識されたのでしょうか。もし「切り札」があるとするならば、たとえば上場企業と契約をして監査業務を行う監査法人さんは、どこでも公認会計士協会に「品質管理基準」なるものを提出しているわけでありますが、そういった書面と調査実態の差をとらえて「重大な不備」と認定してされているのか、それとも不正会計等で上場廃止等の問題となった企業の監査を引き受けていたことが、そもそも「切り札」となりまして、これを「重大な不備」と結びつけて判断されるのか、このあたりがとても気になるところであります。実際、今後の財務報告に係る内部統制の制度が施行された後、とりわけ決算、財務報告プロセスの不備や重要な欠陥というものが、「後だしじゃんけん」方式によって、会計上のミスがあったから、架空取引等不正な会計処理があったから、「重大な欠陥」がある、といった判断がなされる余地もあるように思えます。大きな会社の場合にはないかもしれませんが、中小の上場企業の場合ですと、全社的内部統制に重要な欠陥がある、と監査人に指摘される可能性もあると考えております。ただ、その場合の重要な欠陥は「行為無価値」つまり、たとえば統制環境がイマイチということで判断されるのか、それとも実際に会計不正が認められた、という「結果無価値」を捉えて認定されてしまうのか、どうもこのあたりが、今後の内部統制評価、監査実務の運用の気になるところであります。
(8日午前 追記)本日のエントリーに関しましては、数名の方々より、コメントはできませんが・・・・、ということでメールを頂戴いたしました。新設されました金商法193条の3の積極活用へのご意見などは別途採り上げたいと考えておりますが、下記のような情報もいただいております。(どうもありがとうございます)
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私も、会計士さんと一緒にお仕事をする機会がありますので、いろいろと話題になるような監査法人さんの会計士さんも存じ上げているのですが、そういった監査法人さんの方も個人的には非常に勤勉で、人情味あふれており、楽しい方が多いように感じているのですが、やはり最終的にはトップの方々の色が出てくるのでしょうか?監査法人さんの場合、東京事務所と大阪事務所のように、事務所が違いますと、まったくカラーが違うのではないかといった印象を抱いております。このあたりも組織再編などを繰り返している影響なのかもしれませんが。
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コメント
お久しぶりです。中堅企業の内部統制担当のtonchanです。
特に匿名にすることもないので、今回からは名前も入れておきます。
山口先生のおっしゃる通り、担当者からすると後出しじゃんけん(結果責任)で内部統制を評価するというのは非常に大きな問題です。
我々中堅企業にとって、全社的な統制で最も悩ましいのが人的資源の問題です。
結果責任で内部統制を重大な欠陥があると指摘された場合、人的資源の評価に絡められると中堅企業ではほとんど逃げ道が有りません。是非、この部分に対する良い理論武装が有れば皆さんに教えていただきたいと思います。
現場担当の意見であり論理的な意見ではありませんが、一つの考えとしてコメントさせていただきます。
投稿: tonchan(saika) | 2008年2月 8日 (金) 10時16分
>実際、今後の財務報告に係る内部統制の制度が施行された後、とりわけ決算、財務報告プロセスの不備や重要な欠陥というものが、「後だしじゃんけん」方式によって、会計上のミスがあったから、架空取引等不正な会計処理があったから、「重大な欠陥」がある、といった判断がなされる余地もあるように思えます。
>大きな会社の場合にはないかもしれませんが、中小の上場企業の場合ですと、全社的内部統制に重要な欠陥がある、と監査人に指摘される可能性もあると考えております。ただ、その場合の重要な欠陥は「行為無価値」つまり、たとえば統制環境がイマイチということで判断されるのか、それとも実際に会計不正が認められた、という「結果無価値」を捉えて認定されてしまうのか、どうもこのあたりが、今後の内部統制評価、監査実務の運用の気になるところであります。
最初の段落ですが、重要性の高い取引で重大な不備等があったら、内部統制の設計に問題があると考え、統制の補修・強化に臨むべきだと思います。実際にそういう指摘例が(US-SOX対応の日本企業で)あります。
重要性が乏しいと思われる部分なら、その設計自体が不適当だという結論はただちにないとしても、現に重要な決算処理でミスが生じていたら、統制設計上の不備・欠陥は否めないと思います。
言葉尻ではないのですが、例示の架空取引等の不正が(統制限界に無関係なところで)あったとして、多額な不正も同様に行なわれるリスクが統制されていないとすれば、「重要な欠陥(設計上の不備)」か、と思われます。
仮に適正な内部統制制度が働いていてなお、財務諸表監査でこのような事象が発見されるのであれば、内部統制の限界(統制無視、共謀、あるいは防止困難な過誤=牽制が牽制にならない)が考えられると思います。。
二番目の段落ですが──
「行為無価値」⇒「ある統制行為が有効ではない(全社レベル統制に依拠するものを含む)」
「結果無価値」⇒「統制行為の有効無効は各々あるとしても、ある財務報告が真正でない」
──という理解でよろしいでしょうか。
全社レベル統制に不備・欠陥があった場合、業務レベル統制の有効性に全般的な懸念があり、入念、かつ広範囲なモニタリングをもって、内部統制監査が実施される、そして同様に財務諸表監査が入念・広範囲に実施されると思われます。
遵守性テストである内部統制監査と実証性テストである財務諸表監査は、互いに依存・並存するものであっても、全社レベル統制に何らかの指摘事項が生じた(業務レベル統制でも良いですが)からといって、財務諸表監査での適正性に関する意見が自ずから導出される事(行為無価値、∴結果無価値)はないと思われます。
行為無価値でなく、結果無価値でない…問題なし
行為無価値でなく、結果無価値である…統制○で決算×だが会計士が更正指示、結果≒適正
行為無価値であり、結果無価値でない…統制×だが決算はしっかり(内部統制報告×)
(この場合は重要な決算プロセス以外の統制で何か(ITGCフェイルとか)あって行為無価値)
行為無価値であり、結果無価値である…財務報告は会計士が頑張り更正指示、結果≒適正
さて、上記の2番目が微妙です。例としては、新しい会計制度の適用に当たって、経理部門が入念に対応したにもかかわらず、過誤に至ったと言うものが浮かびます。不知・不習熟の場合です。
しかし、これでも統制自体が不知・不習熟により十分でなかったとして、結果「行為無価値である」にされる可能性があると思います。「結果無価値である すなわち 行為無価値である」は真(命題の逆)、ただし「行為無価値である すなわち 結果無価値である」は偽(上記に反証あり)であると考えますが、これはおかしいでしょうか…。
もちろん、この不知・不習熟によるミスが重大な取引だった場合です。
投稿: 日下 雅貴 | 2008年2月 8日 (金) 14時00分
のらねこです。
会社法における内部統制システムは、取締役の善管注意義務を要求しているわけで、すなわち不祥事が発生した時の責任を問われます。
いわゆる「後だしじゃんけん」方式の評価になります。
一方、金商法における財務報告に係る内部統制は、結果ではなくプロセスの評価を義務付けられています。
じゃんけんで「グー」を出すに至った手続にに重大な欠陥がないかが問われます。
ある意味「前だしじゃんけん」方式とでも言うのでしょうか。
「じゃんけんに勝っても、社長の承認がない「グー」は問題ですよ。不祥事が起こる可能性があります・・・」
投稿: のらねこ | 2008年2月 9日 (土) 00時33分
何かですね、どんどん本質から物事が遠ざかっていくような、
気が遠くなるというか、やる気を失うというか、
そういう印象をまずます受けてしまいます、
こういう、ある意味「形而上の」やりとりをされておられますと。
世界中の経営者層が複雑怪奇な統制の仕組みを理解し把握し
問題点を捉え不備を減らし内容を開示する…、
そんなこと出来るはずがないじゃないですか。
人間ってそんなに頭がいい動物ではありませんぜ。
どうして誰にでも分かり易いもっと平易なシステムを
作ろうとしないのでしょう。
例えば
リスクを分散化させて回避しようとしたサブプライムローンファンドが
いかなる事態を引き起こしているか。
.
ものをつくる、有価物を生み出す…
この原点からここまで遥かに離れてしまうと、
どなたか学者さんの本ではありませんが「株式会社の終焉」さえ
感じてしまいます。
.
規制も法律もシステムも、もっとシンプルに還る。
きっとそう遠くない将来、そのことの必要性に気付かされるときが
やってくるに違いありません。
投稿: 機野 | 2008年2月10日 (日) 17時06分
皆様、コメントありがとうございます。
規制も法律もシステムもシンプルに還る・・・
そういえば金融商品取引法を改正して、金融庁が大量保有報告書の「虚偽」かどうかを自ら判断して、自ら削除できるよう内閣法制局と詰めに入るとか。これって、シンプルですよね。
刑事法学との関係からいえば、またいろいろと問題が出るのかもしれませんが、一般の人たちにわかりやすい市場法制というものは、今後も急速に実現されるのではないかと考えています。ただ、力の強いもの、頭のいい人だけが得をするような制度にならないように、システムを作る人、運用する人に誠実性は必要ですし、もしそれが実現できなければやっぱり難しいパズルのような法制度が復活してしまうように思います。
投稿: toshi | 2008年2月11日 (月) 22時02分
toshiさんへ
>そういえば金融商品取引法を改正して、金融庁が大量保有報告書の「虚偽」かどうかを自ら判断して、自ら削除できるよう内閣法制局と詰めに入るとか。これって、シンプルですよね。
これは、事後規制的に実体的審査を行うってことなんでしょうかねえ。
その実体的審査をどの段階で行うのかという問題が出てくるのだとするとシンプルに考えるなら事前の審査制をとったほうがわかりやすい点もあるよなあ・・・という気もするのですが、行政としての体制とコストを考えるとこういう方向にならざるを得ないのかとも思い・・・。
ただ、この制度の帰趨をどう考えるかっていうのは相当市場における情報の信用性というかその情報の提供システムへの信認を左右するところがあると思うのでわかりやすさと実効性とシステムとしての機動性と実現性をなるべくバランス取れるような枠組みを考えていただきたいなあと・・・って書いてて、んな簡単にできるかって怒られそうだなあという気になってきてしまいました(苦笑)。
投稿: ろじゃあ | 2008年2月12日 (火) 00時29分
法の網をかいくぐる者と取り締まる者の闘いには終わりがないようで。
ぼちぼちでええんとちゃいますの?
法規制も軍備増強競争もテロ対策も偽装・混入対策も
いたちごっこでキリがありません。
どこかで誰かが
「もうこれぐらいでええんとちゃいますの?」
「もうこのへんが、ぼちぼち、ほどほどでっせ」
と言うべきかと。
その「ぼちぼち」というのが「合理的保証」なんだと思うのです。
「ぼちぼち」と「ええ加減(テキトー)」なのは微妙だけど全く違います。
泰然としてきたUSAの人間が経済的にはエンロン・ワールドコム騒動で
社会的には何よりも「9.11」でプライドを砕かれ右往左往し
極端なテロ対策と保守的なマインドに流れていきましたが、
日本はもともと保守的、というか事なかれ主義で
「絶対的な安全」というのを政府に求めすぎるきらいがあります
(他方、これとバランスをとるかのように「諦観」という東洋的な
観念も持っているのですが)。
社会から寛容さが失われていき、匿名の批判、無記名の悪意が
横行するなか、
監査でも裁判の場であってもあくまでも私たちは私たち自身に対して
「合理的な保証」しか出来ないということをいかに市民に理解して
いってもらうか、さらにとても重要なことになってきたと思います。
投稿: 機野 | 2008年2月12日 (火) 09時41分
>TOSHI先生
形而下の話ですが……
「後出しじゃんけん方式」に喩えられたのはどのような点だったのでしょうか。私の前のスレッドの引用部分について、どの点をどのように危惧されておられたのかと思います。
>さて、問題は、こういったKDA監査法人さんの内部管理態勢につきまして、これを「重大な不備」と判定する切り札はどこにあるのでしょうか?
この部分が「後出しじゃんけん」と喩えて危惧されておられるきっかけにあたる部分かと受け取っております。
「結果を前提に逆流させて前提を否定する」というような場合が現にあるのか、あるとすれば、その決め手はいったい何かを示しておられるのでしょうか。
1.前提が○だから前提に依存する結果も○だ
2.前提が×だから前提に依存する結果も×だ
これがひるがえされるのはどうかと思う、とお考えなのでしょうか。
つまり──
3.前提は○だが、前提に依存する結果が×だから前提は○ではなくて×になる
4.前提は×だが、前提に依存する結果が○だから前提は×ではなくて○になる
上記4.は、まずは特殊に見えますが、それはさておき、この時の「結果」がどこまで「前提」に影響を与え、前提に遡及して解釈されるかに危惧を感じておられる、と言う事でしょうか。
仮に今回の法制(金証法)が経営者に適正な内部統制の構築を義務付けるとだけあって、統制の有効性評価は財務報告に基づくものを外部監査人が行なうとしていた場合に、外部監査人により不備・欠陥が発見されたとき、内部統制の構築は本来こうあるべきであったとすれば、これは「後出しじゃんけん」で相手を打ち負かす事も出来る、あるいは経営者は後出しじゃんけんされたと思うだろう、とは思うのですが。
ですので、会社法の内部統制に関する体制等の構築義務においては、この法令に違反している、あるいはしていない、の主張の対立が起こった際、「先に出したチョキは後に出したグーに通用するはずはない、チョキなんかで足りるとするのは通常の注意を怠った証拠だ」になる事があるだろうと思う次第です。何故なら、金商法が適用されない企業においては、おそらく、内部統制をどのように考え構築したかと言う前提が文書化等により十分明確になっていないだろうと思うからです。
こちらにもコメントで登場された弁護士さんのブログに「で、証拠はあるの?」と言うエントリがあります。この内容が会社法についても当てはまるかどうかは自信がありませんが、原理としては(先の例で言えば)チョキがいかに自社の場合に十分適切であったか、グーとの邂逅はきわめてまれで不可測な事象だと経営者が証拠をもって言わなければならない立場になると思います。それが不十分なら、後出しじゃんけんで勝負が決まってしまう事もあるのかと考えます。
その点、金商法ではまず証拠(になるかと言う部分は──なるだろうと思っていますが)として、構築とその運用についての一定の裏づけある証拠(内部監査調書等)があるのではないかと思います。しかし──仮にこの場合でも経営者の善管注意義務を問うような係争があった場合で、裁判所がこの統制設計は実は不適切だ、あるいはこのような有効性証明は証明たり得ない、もしくは適正と意見を表明した監査法人は専門家としての注意を怠っている、と経営者の主張をひっくり返せる事は不可能ではないと考えます。この究極の「後出しじゃんけん」は──どうなんでしょうか?
投稿: 日下 雅貴 | 2008年2月12日 (火) 11時57分
機野さんの二番目のコメントの最後の一文、同感です。
言うまでもなく「合理的」の部分がすべてですが。
その先は司法に直接係る方たちの個別マターになるのでしょうか。
投稿: 日下 雅貴 | 2008年2月12日 (火) 12時08分