取引的不法行為と会社法上の内部統制構築
4月14日発売の日経ヴェリタス「放電塔」でも少しばかり紹介されておりますが、リーマン・ブラザーズ証券が丸紅社を被告として総額352億円の支払を求める裁判を東京地裁に提起したそうであります。リーマンがアスクレピオス社を介して病院再生事業に371億円のつなぎ融資をしたのでありますが、アスク社が破綻し、投資事業組合が集めた約400億円の行方がわからなくなってしまっているそうです。なお(一方当事者からのリリースではありますが)12日に丸紅社より、リーマン社の訴状内容(概要)と自社の反論要旨が開示されておりますので、詳しい事例内容につきましては、そちらをご参照ください。とりあえず、リリースの2ページ目に事案概要を図式化したものが掲載されておりますので、これがわかりやすいように思います。
丸紅社リリースから推測されるリーマン社の訴状の組み立てでありますが、①丸紅社の契約責任の追及(ただし、リリースからは「納品請求受領書」がリーマン社宛に保証の趣旨で出されたものなのか、投資事業組合宛に出されたものについてリーマンが代位して主張しているのかは不明でありますが、実質的には丸紅社とリーマン社間における融資債務に関する保証契約の有効性を前提としているように思われます。普通は会社法362条により、これだけの高額取引であれば取締役会決議が必要ですよね)、②かりに契約の有効性が認められないとしても、リーマン社は丸紅社の社員によって詐欺的被害を被ったのであるから、使用者責任(民法715条)に基づいて丸紅社に対して取引的不法行為に基づく損害賠償を請求する、というものであります。
本件に関与したとされる丸紅社元嘱託社員(懲戒解雇済み、双方より刑事告訴あり)2名が、どのような地位にあったのか、どういった理由で丸紅社内における取引が可能だったのか、といったあたりは不明ではありますが、おそらく取引的不法行為の責任が丸紅社に及ぶかどうか、といったあたりが実質的な争点になるものと思われます。ご承知のとおり、社員がその事業の執行について他人に損害を与えた場合には、社員とともに会社自身も使用者責任を負担するわけでして、この「事業の執行について」リーマンが丸紅社社員によって詐欺的行為による被害を受けたかどうか、という点がもっとも問題となるところではないでしょうか。
この「事業の執行について」といえるかどうか、判例はいわゆる「外形標準」説を採用しておりまして、この丸紅社元嘱託社員による保証的契約締結行為が「外形から客観的に判断して職務の範囲内であるかどうか」によって判断されることとなります。ただ、こういった外形標準説というものは、そもそも社員の行為を信頼して取引をしている相手方を保護するためであるといわれておりますので、「外形標準」とはいいましても、その取引相手方に社員の行動を信頼するにあたっての「落ち度」がある場合には、保護に値しない、ということも判例で認められております。どういった場合に保護されないかといいますと、悪意もしくは悪意に準じるような重大な過失が取引相手方に存在する場合、とされております。丸紅社のリリースのなかでリーマンの高額取引における確認義務違反をはじめとする「落ち度」について厳しく反論する趣旨は、本件において取引的不法行為による使用者責任が認められない、との主張と裏付けるためであろうと推測されます。
進行中の裁判ゆえに、どっちが有利だとか、こんな証拠があればこんな主張が通るのではないか・・・といった個別論点に踏み込むことはいたしませんが、一般論としてみると、たとえば取引的不法行為の相手方に「重過失とはいえない程度の過失」があった場合にはどうなるのだろうか・・・といった疑問が湧いてくると思います。「重過失」といいますのは、そもそも相手方の「悪意」(本件でいえばリーマン社が丸紅社員らが勝手に印鑑等を偽造して契約行為を行っていることを知っていること)を立証することが至難の業ですので、悪意があったのと同程度の非難に値するような重大な落ち度が立証されることが必要、ということを意味しております。嘱託社員の高額の取引的行為・・・というものが、そもそも「丸紅社においてあまりにも不自然な行為であって、ありえない。また天下の有名証券会社にとっても、そんな高額取引について嘱託社員を相手とすることもありえない。」と評価されるのであれば、外的的に見て「事業の執行について」不法行為があったと認定されないものと思われますが、そこで主張が認められない場合には、この重過失と過失の問題に直面する可能性が出てくるような気がします。
「会社法上の内部統制と司法判断」といいますと、大和銀行事件に代表されるような、取締役や監査役の善管注意義務(監視義務)違反に基づく法的責任問題を思い起こします。しかし今回のような取引的不法行為の外形標準理論や、代表取締役がその代表権を濫用して重要な取引を行った場合など、基本的には取引の相手方が保護されるケースにおきましても、取引相手方の過失の程度が問題となる場合があると思いますが、会社法上の内部統制システムの構築に関する議論が進むにつれて、保護されるべき過失の程度などに、いろいろと影響が出てくるのではないでしょうか。たとえば取引的不法行為の成否が問題となるような場面におきまして、(使用者責任を免れるための要件である)企業側の「相当な監督をしていた」事実を立証する場合におきまして、たとえ不法行為を行った社員を直接監督していなかったような状況があったとしても、そういった取引的不法行為を合理的に防止しうる程度の統制システムが構築されていたと評価される場合には「監督責任を尽くしていた」と認定できる場合も出てくるでしょうし、また内部統制の基本方針に基づき、整備の具体化や運用状況のチェックをするのが大会社の通例となりつつあるのであれば、取引相手方としては「社内チェック工程」の存在も十分予想がつくはずであり、「重過失」だけでなく、相手方保護のためには「無過失」であることも要求されてよいのかもしれません。また取引相手方の「表明保証」のとり方も問題になるケースも出てくるでしょうし、取引相手方自身も大きな会社であれば、自社のリスク管理の一貫として、高額融資を行う場合の取引内規が当然の内部統制ルールとして評価され、その内規に反する取引自体が「過失」とされるかもしれません。
内部統制システムの構築論によって、取引の安全が高度に要求される商取引の効力に影響を与えることは直接的にはないものと思っておりますが、たとえば会社の代表権の内部的な制限の問題とか、権限濫用の問題とか、監督責任の問題など、会社内部の手続ルールに破綻が生じ、この破綻が取引相手方の主観的な要件にも影響を与えるような場面におきましては、その規範的要件を基礎付ける事実の選択とか、規範的要件自体(重過失か軽過失も含むか、など)に「内部統制の構築論」が関連する時代になってきたのではないかと考えたりしております。本件のリーマンとしましては、詐欺被害に関する保険請求をするための要件として「とりあえず裁判はきちんと提起しておこう」と考えての提訴なのか、それとも「丸紅は絶対に許せない」という趣旨での本気の裁判なのかは存じ上げませんが、いずれにせよ非常に興味深い内容の裁判でありますので、今後の展開については注目しておきたいと思っております。
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コメント
新聞記事で少し読んだのとリンクされた丸紅の発表文程度の知識しかありませんが、リーマンの側で引き受けられた弁護士の方にやや恐縮してしまいます(大して訴訟知識もありませんが)。何かすごい証拠があるのでしょうかね。
私がかつて在籍した、いわゆる「都銀上位行」では、
法人からの債務保証は
必ず保証引き受け書への署名捺印(取引印鑑か実印+印鑑証明書)
同保証の取締役会決議の写し
代表取締役との面談による意思確認と意思確認記録書の作成
(何月何日何曜日、どこで、どういった会話をしたとか(「金本2000本行きましたなあ」とかの雑談が極めて有効とされる)相手の服装とかその日の天気とか。司法の場で負けない証拠作りの一貫。これぐらいしっかりしてないと「あんたら金融のプロとちゃうの?」の一撃で結構負けていたらしい)
がマニュアル化されていました。社内監査で不備が見つかると(というより保証や担保差し入れから5年程度経過すると)、再度署名や印鑑の取り直し、確認記録の更新などが義務付けられていました(これ嫌でしたね。寝た子を起こすみたいな)
丸紅ほどの先であれば担当役員レベルでも良いかもしれませんが、金額が金額ですからねえ。リーマンとしては確実に与信の源泉は丸紅のはずでしょうし、リスク意識が低いとしかいえない(たとえ丸紅に落ち度があったとしても)。
ライブドア-フジテレビがこの程度の与信判断で行われていたのか。
というのは「上位都銀」(除く三菱)はこういった管理不足のトラブルも原因で、「国民の血税」のお世話になることになったからです(正確には公的資金注入前から手続き的にはあったと思う)。けど10年前ですね、もう。
第二のベアー筆頭格のリーマンさん、サブプライム頼むでえ、って言いたくなりますね。米国の評論家が「米国は日本の轍を踏まない」って言ってましたが、大丈夫か?
表見代理等ではないのですね。
投稿: katsu | 2008年4月14日 (月) 23時33分
katsuさん、こんばんは。すんません、先にこっちからコメントさせていただきます。(最近、お返事が遅れておりまして)
エントリーでも少しふれておりますが、この丸紅の元嘱託社員の方々がどういった役職についておられたかによって(またどれくらいの期間勤務されていたかによって)、契約責任が問えるかどうかが決まってくると思います。ただ、おそらく商法総則上の「番頭、手代」に該当するような地位にはなかったものと推測されますので、外観法理を利用した契約責任を問うことがかなり困難ではないかと思っております。(表権代理につきましても、会社自身が会社外部の人間になんらかの権限を付与していたような事案ではないので、構成としてはむずかしいと思います)もし外観法理の適用があるとすれば、不法行為における使用者責任がもっとも近いのではないでしょうか。
なお、債務保証に関するお話は、勉強になります。金融機関を相手方とする民事裁判において、銀行側提出証拠には、よくメモ欄に世間話の記録などが記載されていますよね。
投稿: toshi | 2008年4月16日 (水) 01時08分