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2008年4月11日 (金)

講談社、社外調査委員会報告書にみる「コンプライアンスの脆さ」

奈良母子殺害事件の少年鑑定に従事された精神鑑定医師の秘密漏示罪(刑法134条1項)被告事件の第一回公判が4月14日に開廷されますが、これに先立ち、講談社HPより「『僕はパパを殺すことに決めた』調査委員会報告書および、この報告書に対する講談社のコメントが公表されております。調査報告書は46ページにわたるものであり、また1ページの文字数が非常に多いために、相当の大作でありますが、その内容はじっくり読むに値するだけの興味深さであります。この週末、企業コンプライアンスに関心をお持ちの方には、ご一読をお勧めいたします。また、この調査報告書も、総務、法務部等におかれましては、「自社が講談社の総務、法務部であれば、この出版を止めることができたか、たとえ止めることができなかったとしても、起こりうる重大な事業リスクへの対処ができたかどうか」を検討してみてはいかがでしょうか。お読みになればおわかりのとおり、この調査報告書はいろいろな論点を含んでおります。表現の自由とプライバシー権の関係(刑事と民事)、秘密漏示罪の構成要件該当性、取材活動と少年法の関係、医師の守秘義務とは?、出版社の取材源秘匿と公権力の介入などなど、数えだしたらきりがございませんが、当ブログの性格から挙げるとすれば、講談社という企業のリスク管理が最も大きな論点であります。なお、この調査報告書は調査委員の意見もふんだんに盛り込まれておりますので、こういった論点を議論する礎にもなろうかと思われます。(しかし著者がこの報告書をお読みになったら、かなりムッとされるのではないかと・・・)

年間の発刊数が300冊以上を越える講談社の学芸局でありますが、局長(責任者)はこの「僕はパパを・・・」(以下、本書といいます)については、出版にあたってはかなり大きなリスクがあることを認識されていたようであります。他の出版物とは異なったリスク評価を行ったわけで、これをそのまま出版すべきかどうか「いちおう」法務部に相談するように指示を出しておられます。しかし法務部に相談があったのは、すでに発刊予定の1週間前であり、法務部としても顧問弁護士とともに検討を行ったのでありますが、その検討内容は「この本を世に出していいかどうか」ではなく、「世に出した後、どのようなリスクが当社に発生するか」という点からスタートした、とのこと。

さて、これを読まれて、「法務部はなんとだらしないのだろう。こんなのじゃ、法務部への問い合わせなんて、単なる責任逃れのための理由付けにすぎないじゃん」と評価するのは簡単かもしれませんが、では、実際会社の存亡をかけるような営業活動において、社内のほとんどの人たちがゴーサインを待っているような状況のなかで、「ゴーサインは出せません」とノーを突きつけられる法務部員はどれほどおられるでしょうか?講談社の局長さんの「とりあえず」「いちおう」法務部の意見を聞いておいてくれ、なる対応は、社内における法務部の位置付けがなんとなく透けて見えるような気がいたします。また、「社内の異議」なる小見出し(23頁以下)のもとで、社内で公然と本書発刊に異議を唱えたのは、「動物的カン」をもった週刊誌編集長だけであった、とされておりますが、最終的にはこの異議も無視されて出版に至ったものであります。以前、関西テレビあるある大事典捏造事件の調査報告書においても問題にされておりましたが、番組下請会社で捏造が発生していなかった時期があり、それはある特定のプロデューサーが存在していた時期だった、とのことでありました。こういった事件の真相からすれば、社内でコンプライアンス経営が根付くことは本当にむずかしく、真相は特定個人の類まれな「コンプライアンス才能」に依拠しているにすぎないのかもしれません。

とくに、この調査報告書に3回登場される、週刊誌担当の編集長の位置付けは非常に特徴的であります。けっして「コンプライアンスおたく」のような頭の固い人ではなく、「読者におもしろい、好奇心をそそるような話題にはどんどんつっこめ!だけど「ここから先はやばい」というバランス感覚は身に着けろ」といった、「動物的カン」をお持ちの方のようであります。講談社においては、こういったバランス感覚豊かな方がいたにもかかわらず、発刊に至ったわけでありますが、こういった感覚をやはり経営トップにお持ちいただくのがもっとも幸福な企業の姿なのかもしれません。(弁護士という立場からは、この報告書の内容につきまして、たくさん書きたいこともございますが、とりあえずブログの性質上、上記の点のみに限らせていただきました。また公正を期するために、調査書に対する講談社側の意見書も読まれたほうがよろしいかと思います。)

4月 11, 2008 コンプライアンス経営はむずかしい |

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受信: 2008年4月12日 (土) 23時09分

コメント

この筆者にも編集者にもジャーナリズムの素人化をまず感じました。昔はとんでもない新人研修で、その人の人生経験やプライドを壊すことから始めたこともありました。自分が想像できる世界なんてちっぽけなもので社会は深くて広いことを教えたかったのだと思います。編集長が言いたかったバランス感覚は、決して動物的カンばかりではなく、経験に基づくカンもあったと思います。ジャーナリストは知識でなく資質が必要です。このある種先天的な資質が大事な仕事だと思うのですが、成績で選ぶようになってからアンテナ感度も覚悟もカンも「?」という人が増えたように思います。一種ヤクザ的感覚ですから、なかなか分かってもらえないかもしれませんが、生臭くて第4の権力というような高級なものではありません。
今回のケースでは3匹目のドジョウはないでしょう。報告書で単行本化に際しての相手とのやり取りが不鮮明のように感じたのですが、ネタの3度使いになれば、あとほどギトギトにならざるを得ません。「イケイケ」の時は当事者が自制するしかないですが、人間上昇志向がありますから、なかなか「やめよう」とは言えないのですが。ネタをつかんだ奴が絶対ですから、周りからとめるのは厄介です。ただ、当事者は経験があれば越えていい線か越えてはいけないのかを悩むのが普通でしょう。その悩んだ様子が報告書からは見えてこないように感じました。公益性なんて持ち出す前に、書き手側が人間として悩む姿がほしかったですね。その悩みの深さから覚悟が生まれ、社会は違法であっても共感してくれるのでしょう。私人であれば公益性より本人の人権を優先して考えてきました。それぞれの人生が掛かっているわけですから、事件は決してもてあそんではいけないと思うんです。
最後の提言は疑問があります。言論の自由を担保したいということでしょうが、講談社にとって出版するかしないかは経営そのものであり、リスクを予防することは経営上、必要なことで結局は同じことではないかと思います。もし、自由が損なわれ、いい出版物が出せなくなるなら、それも十分リスクではないかと思うのですが。
生意気ですが、コンプライアンスは結局人の資質に掛かっているように思えてなりません。入社試験と社員教育に「人間らしさ」を取り戻すことが常識を醸成し、越えてはいけないことが分かってくるのではないでしょうか。空論かもしれませんが。

投稿: tetu | 2008年4月12日 (土) 00時03分

ジャーナリズムの、素人化。なるほど。いつまで玄人だったのが、いつから素人化し始めたのか、存じませんが。

さてと。では。
弁護士の、素人化。え?昔から素人だって?
安穏としていた古い人たち、数が増えたら、淘汰されるのでしょうか。
淘汰されていったい何処へ行くのか。事前規制か事後処罰か。ワオ!?
誠に相済みません。脱線しすぎ。

投稿: 通りすがりのものですが。 | 2008年4月12日 (土) 02時09分

コメントの最後あたりは同感です。結局のところコンプライアンスには王道はないように思います。実際は地道な研修と、受身でない内部統制の構築で補っていくしかないのかなぁと。不祥事そのものは絶対にどこの企業でも(必死になって利益獲得を目指しているかぎりは)発生するものであって、ただ、そこに「善玉」「悪玉」が混じっているものだと認識しています。会社に自浄作用が期待できれば信頼は回復されるでしょうし、組織ぐるみや事後対応の悪さなどから「悪玉」と評価されれば、経営交代などの責任問題を乗り越えないと信頼は回復できないわけでして、そのあたりはどう組織内に浸透させうるかが問題ではないかと思います。これはけっして空論ではなく、普段からの努力によって「悪玉」を「善玉」程度までには変えていくことはできるものと信じています。
前半部分のコメントは、tetuさんの職業柄、なるほど・・・と考えさせられました。つぎのエントリーに生かしたいと思います。ただ、私的にはコピー禁止という趣旨はどう考えてもデジタルカメラでの撮影も禁止でしょう!というのが常識的判断だと思うのでありますが。。。これは出版社自身への批判であります。

投稿: toshi | 2008年4月12日 (土) 02時53分

>通りすがりさん

弁護士の数が増えた場合の問題は
「素人」→育成→「玄人」の過程における
育成を「いったい誰がやるの?」ということに
つきるのでは?
「ノキ弁」「タク弁」では無理ですよね???
これを議論すると、またまた炎上リスクを
かかえますので、このあたりでご勘弁を。

投稿: toshi | 2008年4月12日 (土) 02時59分

「法務部は何か」について、私は単に意見を述べる、コメントを述べるのみであってもよいと思うのです。法務部が、会社のある行為に反対できるのは、違法である場合であり、実務的にはリスクの大小になってしまうと思います。

法務部(弁護士もそうですが)に相談するとして、(無意識に省略してしまう部分も含めて)重要事項を全て説明しているかの問題もあると思います。

結局は、総合判断を下すのは、経営者(経営者が構築した社内組織を含め)であると思います。

ブログの論点を外れてしまっておりますが、各企業が法務部をどのように有効に活用するかが、コンプライアンスの上で重要と思ったものですから。また法務部の方には、各人が思うことを遠慮なく発することが、その会社のためにも社会のためにも重要と思ったものですから。

投稿: ある経営コンサルタント | 2008年4月12日 (土) 14時16分

経営コンサルタントさん、おひさしぶりです。ご意見ありがとうございます。
法務部の位置づけというのは、親会社を持つ会社とか、知財部や内部統制グループなどが別途独立している場合とか、いろいろと企業によって異なるようですので、「こうあるべき」といった物言いがむずかしいところがありますよね。
ただ、昨日、あるブロガーの方とお会いして、このあたりのお話もしたのですが、法務部の人たちも、担当役員に自分たちの存在をどう訴えるか、これは一朝一夕にはなしえないものの、努力は必要であるといった「前向きな」ご意見をいただきました。(また、エントリーにしたいと思います)「有効活用」という程度のものでは済まない決意が必要な場合もありそうです。

投稿: toshi | 2008年4月13日 (日) 14時24分

いつも楽しく読ませていただいております。社内ではコンプライアンス担当など勤めておりますが、日々勉強の繰り返しです。
さて、本日の初公判で鑑定人の医師側弁護人は「被告は学識経験のある鑑定人として鑑定を行ったのであって、行為が医師の業務に該当しないので、秘密漏示罪にはあたらない」と述べていますが、果たしてそうでしょうか? はじめから鑑定「医」は医師の中から選任されるものであって、その時点で医師の業務にあたるのではないかと思うのですが。
そもそもコンプライアンスという考え方は、ある意味では法務部や弁護士と最も遠い端にあるものではないか、という気がしております。法令に対するある行為の見方で、「これはやってもグレーだけれど有罪ではありませんよ」という考えと、「これをやったら不法行為ではないけれどあなたは胸を張って自慢できる行為ですか」、という考え、とでも申しましょうか。そういう意味では日本にコンプライアンスがなかなか根付かない最大の理由は、この言葉を"法令"遵守当\約したところにあるのでは、という気がします。
素人の戯言、お聞き流しを、、、

投稿: ほんの素人なのですが、、 | 2008年4月14日 (月) 13時31分

ほんの素人さん、こんばんは。コメントありがとうございました。
刑法の構成要件の解釈ですから、おそらく弁護人の方は医師の業務を狭く解釈する傾向にあるのではないでしょうか。秘密漏示罪の構成要件に列挙されている専門職の職業からしますと、どれも他人から秘密を暴露されるか、もしくは秘密を知りうる立場にあるわけですから、医師としての日常の医療活動によって知りえた事実にのみ「秘密性」を認めようとされるのではないかと思います。
ただ、ご指摘のとおり、裁判所が鑑定を選任するのは、医師としての高度の守秘義務を課された人であり、また学術的な知識技能に優れた人だからこそであって、その職務の性質は通常の医業とは異なるものの、高度に秘密を守ることが社会的に期待され、また鑑定対象者の法的利益にかなうものであると思います。したがいまして、私は素人さんとまったく同じ意見です。

投稿: toshi | 2008年4月16日 (水) 01時17分

パラパラッとした感想を。
(1)法務部とか顧問弁護士を少しかばいすぎですね(特に会社側意見書)。相談を遅らせた側の者のみ悪者扱いしているようで、法務部や顧問弁護士はまるで第三者です。言うべきことは言う、言わない以上は任務懈怠、(プロである以上)こんなの当たり前です。事後ならともかく、1週間も「事前」なんですから。こういう弁護士などは、実名を明らかにして「市場の評価」に晒していくべきだと思いますね。今後、市場原理によって正当に淘汰されていく必要がありますから。
(2)「コピーはしない」という約束をめぐる解釈の齟齬は噴飯モノです。デジカメで撮影するのはもちろん、「全部(そのまま)書き取る」行為はコピーそのものです。解釈だの認識の齟齬など入る余地はありません。こんなのは常識かと思いますが、「コピー」というのは「コピーマシーンを使用して複写すること」などと思っている人がいるんでしょうか?

それにしても、O氏やS氏といった御大(大先生でしょうが、「今」を代表できる人でしょうか)を担ぎ出すあたり、ちょっと時代掛かっていませんかねぇ。

投稿: 白旗軍団総帥 | 2008年4月20日 (日) 02時16分

白旗軍団総帥さん

はじめまして。コメントありがとうございました。
(2)についてはまったく同感であります。私も「常識」で判断する以外に方法はなく、デジカメ撮影とコピーについて区別する理由はどこにもないと思っており、この釈明はかえって批判の的になると考えております。
(1)につきましては、総帥さんと同じ意見の方もいらっしゃいますが、ここまでの事実関係だけではなんとも申し上げられません。ただ、弁護士法72条問題のリスクについては、「まったく知らなかった」というのではなくて「当事者間で問題視されていた」ような事情があったとすれば、そこでの対応については非常に残念な対応であったといえるかもしれません。この問題はまだ続きそうですので、追加のリリースを待ちたいと思います。

投稿: toshi | 2008年4月20日 (日) 11時22分

周回遅れみたいな書き込みで恐れ入ります。
ようやく調査員会報告書と会社側のコメントを読み終わりまして、コンプラを含む内部統制について自社の組織と引き比べながら、何でもできるエースというか個の力に依存せざるを得ない中小企業の組織や意思決定、統率といったことを考える良い教材というか、資料になりました。
総論とすると、如何に内部体制を整えようが結局は個の問題に帰着するらしいこと(野村證券のインサイダーもそのようですが)。で組織として少し強力な縛りを入れようとすると、本件の場合では「言論統制」という大上段に振りかぶったというか、錦の御旗を担いだ異論が出ること(で内部統制の弱さを正当化できるらしいこと)。一方において、週刊誌の某編集長のように絶対権力を振るう組織が並存すること。その他個々の話では、法務部への相談を確信犯的に遅延させ、止められない状況を作り出すこと、そしてこれはおそらくいたるところに発生しているだろうこと(会社の意思決定をする側としてはこれが最大の問題で、私の場合はこのような案件がくると怒鳴り散らし押印を拒否することがままあり、これはこちらの法務部さんのように事後対策というか体裁を整えることに注力すべきらしいこと)。クライシスマネジメントでは、起こりうる事象を列挙するはずであるのに、また指摘されているにもかかわらず自己の(希望的)観測・推測で除外すること(それは起こらないと手前勝手に判断すること、あるいは判断すらしないこと。このあたりは観点が違うかもしれませんが、ダスキン事件の不作為を想起させること)。
まあ、個でやっていることをトップはつかめませんし、完全に統制できないのですが、このような不手際が一般会社や今をときめく監査法人さんの業界で発生したら、マスメディアさんはこぞって力が入るのでしょうね。色々思うところがあります。
ところで書籍の発行人は何故個人名なんでしょう、個人で最後まで責任をお取になる、という意思表示なのでしょうか。
取りとめのない感想文を失礼いたしました。

投稿: 総務部長見習 | 2008年4月23日 (水) 11時27分

長見習さん、いつもありがとうございます。とても励みになります。私も、コメントを拝読して、同感の部分がたくさんあります。
コンプライアンス問題というのは、生身の現実と向き合うことでむずかしさを知り、虚脱感に襲われそうになりますよね。100点満点の行動はできなくても、どこか一部でも修正できそうな箇所を見つけられたら、それでも相当な進歩ではないかと思います。「動物的なカン」は養われないかもしれませんが、経験則に基づく行動くらいは身につくのではないか、と私も思いながら勉強しております。
また感想でも結構ですので、気軽にコメントよろしくお願いいたします。

投稿: toshi | 2008年4月24日 (木) 02時51分

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