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2008年5月30日 (金)

アデランスHDの「社外取締役」リスク(けっこう怖かったかも・・・)

こんにちは。カテリーナ・ヤマグチです。(ここは無視してもらって結構です。一度やってみたかっただけですので・・・)

すでに多くのブログでも話題になっておりますアデランスHD社の株主総会ネタ(取締役9名の選任議案において、新任の社外取締役2名以外の7名否決)でありますが、アデランスHD社のリリースによりますと、取締役の人数に欠員が生じたため(つまり、会社法で要求されている取締役会設置会社の最低取締役人数3名を割ってしまったため)、新任の2名が取締役、任期満了の9名が会社法346条1項に基づく取締役「権利義務者」として残ることになったようであります。本来、取締役は総会終了時をもって任期満了となり、お役御免となるわけですが、突然解任されたり、選任議案が否決されるなどで法定の取締役の人数に欠けることとなった場合には、会社との委任契約の性質上、(民法654条の「委任契約終了時の受任者の義務」に関する規定と同じく)後任が決まるまでは会社のために役員としての権利、義務を負うわけであります。そこで今回のアデランスHD社の場合にも、この規定に基づいて改任予定だった7名と、4月28日付けリリースで明らかにされていた退任予定2名の合わせて9名(つまり総会直前の取締役全員)がそのまま役員としての権利義務を負っている状態にある、ということになります。

もちろん、スティールを筆頭とした49,8%(2月末時点)の外国人株主の意向によって取締役の選任議案が否決される、というまことに異例の事態にも驚きましたが、よくもまあ無事にこれまでの7名が取締役「権利義務者」として残って、11人による取締役会が開催されることで済んだものだなぁ・・・というのが私の感想であります。(もちろん早期の臨時株主総会開催は必然のこととして)選任議案が提出された7名のうち、元最高裁判事でいらっしゃる大先生がおひとり「社外取締役」として選任される(改任される)予定だったようでありますが、この先生も選任議案が否決されたために、結果として取締役たる地位にあるのは新任の2名の「社外取締役」さん達だけになったのであります。(新任2名の除く9名のうち、2名については、任期満了で退任予定でしたので、選任議案は提出されておりません)もし選任予定の7名の取締役のうち、社外取締役だった元最高裁判事さんだけが、「社外取締役」であるがゆえに外国人株主によって「賛成」票が投じられていたとすると・・・・・、けっこうたいへんな事態になっていたのではないでしょうか。つまり、社外取締役ばかり3名が正式な取締役として就任することになりますので、法定の取締役人数に欠けるところはありません。またアデランスHD社の最新の定款をみてみますと、その20条において「取締役の人数は12名以内とする」とはありますが、とくに取締役人数の最低数を定款で規定しているものでもありません。ということは、もし外国人株主の方々が、「現任取締役のうち、社外取締役については再任はOK」と判断していたとしますと、会社法346条1項の「役員が欠けた場合」には該当しなくなりますので、社外取締役3名だけで取締役会を構成して、ほかの社長、会長を含めた実質的な役員の方々は、取締役「権利義務者」にもなれず、取締役会すら参加できない状況になっていたのではないでしょうか。これでは会社としての機能が一時的にでも麻痺してしまうことになりかねず、ゾッとしますよね。(なんぼなんでも、弁護士と会計士さんと、リスクマネジメントの先生の3人でアデランス社の経営判断をしろ、というのは厳しいですよね。だからといって、選任直後にわざと一名辞任する・・・というのは、それこそリスク大きいですし)

そのあたりのリスクも見越して、外国人投資家の方々は社外取締役についても選任議案に反対票を投じたのでしょうか?しかしそこまで足並みを揃えて反対票を投じていたとは思えないのでありまして、本当にヤバイ事態になりかねなかったのではないかと思われます。新任の2名の社外取締役については賛成票を投じているにもかかわらず、現任(再任)予定だった社外取締役にはこぞって反対票を投じる・・・・・・、このあたりはどう解釈したらよいのでしょうか。

ところで5月24日あたりの報道では、アデランスHD社の総会について、議決権行使助言会社であるISS、グラス・ルイスあたりが、会社側提案に賛同するよう呼びかけている・・・というニュースがありましたので、今年は昨年ほどの騒ぎになるようなことは予想されず、マスコミにとっても意外なニュースだったのではないでしょうか?あと1ヵ月後に控えております3月決算会社の株主総会対策にも、けっこう大きな影響を与えるのかもしれませんね。

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2008年5月28日 (水)

船場吉兆の廃業報道について思うこと

本日の読売新聞の一面トップ記事として「船場吉兆、廃業へ」とありました。読売のネットニュースはこちらです。(関西版だけがトップ記事だったのかもしれませんが)何名かの方より、エントリーのご要望がありましたので、仕事中ではありますが、ほんのひとこと、感想だけ書かせていただきます。

民事再生開始を申し立てたころは、おそらく顧客の方々さえ来店いただければ、事業規模を縮小することによって営業を継続できるだろう・・・との期待があったと思われます。しかしながら、やはり「つかいまわし」は痛かった。これは最後の砦である「長年にわたる顧客からの信頼」を裏切ったことになってしまったことは間違いないでしょう。これでは接待で使うにも使えないですよね。不祥事の種類にもいろいろありますが、この企業体質を如実に表現するタイプの不祥事の怖さを痛感しました。

それと、関係者の方々にご迷惑をおかけしてはいけないので、これはあくまでも私個人の感想(といいますか推測)にすぎませんが、廃業と刑事捜査との関係はどうなったのでしょうかね?不正競争防止法違反容疑で大阪府警の捜査が継続していたと記憶しておりますが、もし経営者の方々の刑事問題が微妙なところに来ているのでしたら、「廃業」はまちがいなく不起訴処分(起訴猶予)と結びつく事情になります。あまり報道はされておりませんが、私はむしろこっちのほうが大事だったのかなぁと。企業コンプライアンスに身を置く立場として、ギリギリの司法警察との交渉は過去に何度か経験がありますので、ただ私個人の感想として読み流していただければ幸いです)

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監査役交代が内部統制に及ぼすインパクト

日本ハウズイング社と原弘産社における株主名簿閲覧拒否仮処分事件の東京地裁決定につきましては、昨日の日経法務インサイドで少しだけ骨子が掲載されておりましたが、結論からみて、保全の必要性がない(原弘産ホームページにて自らの主張を株主に訴えかけることが可能、法定開示書類によって議決権ベースで65%程度の株主が判明している、日本ハウズイング側が株主に発送する参考書類に提案全文を掲載予定であることなどが理由)とのことで、原弘産側の閲覧請求が認められなかったようです。(ただし即時抗告あり)ただ、本日(5月27日)日本ハウズイング社の大株主(株式会社カテリーナ・イノウエ。日本ハウズイングの創業者による資産管理会社だそうです)より、双方に対して公開質問状が届いたようで、その中身を拝見いたしますと、これがかなりおもしろい内容です。とりわけこの質問状では、株主名簿閲覧拒否事件に絡んで、昨日の法務インサイドの記事にも言及されており、日本ハウズイング社に対しては、正々堂々と株主名簿を公開するよう要求しており、もし拒否するのであれば、その理由を説明するように求めています。他の質問内容も、委任状争奪戦を前にした株主からの質問として非常に参考になるところであり、私的には(こういった質問状が出てくる背景にはいろいろなご事情があるとは拝察いたしますが)ぜひとも、この公開質問状に対する真摯なご回答を両社にいただき、勉強させていただきたいと切に願っております。

さて、本日ある研究会の席上で、小耳にはさんだお話ですが、某会社の監査役が任期満了目前の時期に、諸般の都合によって辞任をされた、ということで、適時開示もされたのでありますが、これを知った監査法人の担当者から某会社に連絡が入り、「監査役辞任後の貴社の内部統制が有効であることの証明書を差し入れてほしい」と言われたそうで、会社も顧問弁護士さんもたいそうビックリしたそうであります。私もその開示情報は読んでおりましたが、その辞任理由は、やむをえず任期満了前に辞任せざるをえない正当な理由が読み取れるわけでして、とくに不穏な空気が会社内に漂っていることを予感させるようなものではありませんでした。したがって、私も「内部統制の有効性証明宣誓書の差し入れ」というのも少し驚いた次第です。ひょっとすると、任期を残して監査役が辞任する場合のマニュアルとして、こういった有効性証明書を出させるのが、最近の傾向になってきているのでしょうか?そもそも、いったい誰がそんな内部統制に関する有効性を判断できるのか、また有効であることを証明できるのか、ちょっとよくわかりませんが、こういった慣行があるとすると、監査役もずいぶんと辞めるのにプレッシャーがかかりますよね。。。だいたい、監査役辞任のお知らせには、辞任理由として「一身上の都合により」とか「諸事情により」といった簡単な理由が付されているだけでありますが、監査役が辞任することが会社の不穏な空気を想像させるものであるならば、もう少し「不穏な辞め方なのか」、「平穏に辞めたのか」想像がつく程度の理由が必要になるのかもしれません。以前にもエントリーのなかで少し述べましたが、監査役の任期は(上場会社の場合)4年ということで非常に長いものですから、とりわけ社外監査役(非常勤)のように他の仕事を兼任しているような方でしたら、本業の関係で途中辞任しなければならないケースもけっこう多いと思います。また、年齢的なところからくる「健康上の理由」もあるでしょう。したがいまして、監査役の(任期半ばにおける)辞任というのは、本当に「不穏な理由」と「平穏な理由」がけっこう数の上では拮抗しているのではないでしょうか。(もちろん、そんな統計結果などあるはずないでしょうが)

「社内に不穏な空気が流れているのかどうか」ということだけでなく、モニタリングの重要な役割を担う監査役がいなくなったこと自体が、内部統制の有効性に影響を与える場合もあるかもしれませんので、一概には申し上げられませんが、内部統制の有効性評価にあたって、監査役の社内における行動が参考とされるのが一般的ということであれば、少しずつ会社制度における監査役監査の地位も向上するのかもしれませんね。

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2008年5月27日 (火)

西武鉄道有報虚偽記載事件判決と法人自身の不法行為責任

先週の日経「法務インサイド」で採り上げられておりました「西武鉄道有価証券報告書虚偽記載事件判決」(東京地裁平成20年4月24日 民事8部判決)の全文が裁判所HPにて公開されています。法務インサイドでは、裁判所による「損害額」認定への疑問などが中心だったと記憶しておりますが、なるほど、こうやって全文を読んでみますと、裁判所の損害額認定の理屈が論旨明解である、とまではいえないように思いますね。(また、ご関心のある方は直接判決文にあたってみてください。)

私が知識不足なのか、それとも基本的なところで理解不足なだけかもしれませんが、この判決は株式会社西武鉄道や、名義株を多数保有していた株式会社コクド(現プリンスホテル)自身の民法709条に基づく不法行為責任を当然のこととして認めているわけですね。法人に不法行為責任が認められるのは、使用者責任(民法715条)が認められる場合や、代表者に不法行為が認められる場合(旧商法261条)が原則であって、特定の個人の不法行為成立が前提になってはじめて法人の責任が認められるような印象がありますが、本判決では「被告西武鉄道の注意義務」の有無がいきなり議論されています。法人責任が無過失と結びつくケースだとなんとなく理解しやすいのですが、法人自身の過失という概念は、証券被害事件などでも普通に認められているのでしょうか?(普通に認められているのだとすれば、私自身、かなりの認識不足があったかもしれません。法人自身の不法行為責任というのは、もっぱら公害訴訟など、ごく一部の分野で議論されているにすぎないと思っておりました。)

しかし、企業自身の不法行為責任という概念は、おそらく被害者救済的な発想から、企業活動全体を評価して、その故意過失(違法性)を認定しようということだと思いますので、逆に企業側からしますと、けっこうコワいですね。法人が契約当事者になる以上、法人の債務不履行責任は当然イメージできますし、使用者責任や法人の理事による不法行為ということであれば、個人の不法行為責任が前提となりますので、故意過失の有無に関する反論は考えやすいのでありますが、どういった事情が重なれば法人自身に過失があったといえるのか、法人側からの反論の機会が十分に付与されないと、あいまいなままに不意打ちをくらって、企業自身に違法行為があったと認定されてしまう可能性が高いのではないでしょうか。つまり「何をもって法人自身の注意義務違反と評価するのか」、訴訟当事者間における問題点の共有が十分はかられる必要がありそうです。

また、本判決では、法人(西武鉄道やコクド)自身の不法行為責任と、個人として被告とされている西武鉄道の元代表者らの不法行為責任とが連帯債務関係に立つことが明言されていますが、なぜ法人の不法行為責任と取締役の責任とが連帯債務になるのか、そのあたりの理屈についても実はよくわかっておりません。また時間のあるときにでも、じっくり考えてみとうかと思っています。

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2008年5月26日 (月)

内部統制報告制度と財務諸表の適正性確認義務との関係

当ブログにお越しの皆様方はすでにご承知のことと存じますが、5月24日(土曜日)の日経朝刊におきまして「内部統制に問題が判明しても、即時の開示を求めることはしない方針を(東証が)固めた」とのニュースが掲載されておりました。今年1月29日に東証からリリースされました「金融商品取引法における四半期報告制度の導入等に伴う上場制度の整備について」(パブコメ案)では、東証の意見として、

上場会社は以下に該当する場合には、直ちにその内容を開示すること

a 内部統制報告書において、「重要な欠陥」または「評価不実施」の記載を行うことを決定した場合

b 内部統制監査報告書において、「不適正意見」または「意見不表明」の記載が行われた場合

とされておりましたので、 「重要な欠陥あり」と評価した場合でも、適時開示の手続は不要、ということなんでしょうね。有価証券報告書提出と同時に内部統制報告書も提出することになりますから、上場企業における内部統制の有効性に関する経営者評価、監査意見については、それまでは開示されない、ということになるんでしょうか。市場の過剰反応を防ぐのが目的とありますが、以前も書きましたが「重要な欠陥」なるネーミングが影響しているのかもしれません。そもそも内部統制の有効性評価というものは、動的なプロセスを評価した結果を示すものですから、B/S的発想からくる「当該企業の生来的体質」を表現するのではなく、P/L的発想による「当該企業の運営成績」(みたいなもの)を表現するものですよね。「重要な欠陥」があるとされた企業にとって、頑張れば翌期には「有効」と評価されていいと思いますし、何年も「有効」だった内部統制について、「重要な欠陥」が認められる企業もあると思います。「改善を必要とする重要な課題」くらいのネーミングのほうが、投資家も過剰反応しないかもしれませんし、また経営者も素直に課題を「弱点」として認めて、前向きに取り組むようになる思うのですが。まぁネーミングはともかくとしまして、いずれにせよ市場の混乱を防ぐということが大きな目的であるとすれば、やはり「重要な欠陥とは何か?」もう少し具体的な判断基準を、関係者間で共有することが喫緊の課題のようであります。

(さて、ここからが本論でありますが)先週末あたり、財団法人日本証券経済研究所のHPに、金融庁(総務企画局)企業開示課長のM氏の講演録がアップされております。(金融資本市場法制等をめぐる最近の状況-開示を中心として-)講演内容は3本の柱から成り立っておりまして、①会計基準の国際的なコンバージェンス、②内部統制報告制度、③金融商品取引法の改正案等、いずれも金融庁の公式な見解に近いものとして、非常に参考になるところです。(なお講演日は4月2日。)とりわけ内部統制報告制度につきましては、米国SOX法における監査実務がなぜ、あのように厳格なものになってしまったのか、金商法24条の4の4はあくまでもディスクロージャー制度として規程したものにすぎず、内部統制構築義務とは無関係であること、内部統制報告制度に関する11の誤解の「説明」、今後も追加Q&Aを公表する予定であることなどが述べられておりまして、制度の根幹を再確認する参考になると思われます。

以下、若干興味を持ちましたM課長の講演内容について、引用させていただきますと(M課長いわく)

「ストレートに言いますと、『内部統制は一切やる気がないので整備しませんでした。したがって内部統制には重大な欠陥があります。なぜなら、当社は上場したばかりで、コストもかかるし、赤字になって、会社にとってはマイナスだ。自分の営業スタイルは、こうすることによって粉飾決算を防ぐことができます』、こういうことが宣言できれば、そのとおりありのままに書けば、内部統制報告としては合格でございます。」

「気をつけていただくのは、その場合、内部統制には欠陥があるので、財務諸表が正しいかどうかというのは別途考えなければいけないので、『財務諸表には粉飾がありません。正しいんです。』ということは、経営者はどこかで説明をしないと、みんなは納得しないでしょう。その意味で経営者は必ず内部統制を整備すると思います。ただし、そのことと金商法24条の4の4とは法律的には別のことです。」(講義録22頁~23頁)

「11の誤解」に沿ったご発言内容だとは思いますが、たしかに、金融商品取引法24条の4の4から「内部統制構築義務」が導かれないことは、すでにいろいろなところで議論されており、ほぼ現時点での通説かと思われます。(経営者に課せられるのは、内部統制評価、報告義務と監査を受ける義務)しかしながら、このM課長が言われるように「重要な欠陥があるけど、財務諸表は正しいです」と説明しなければ投資家、株主は納得しないのはわかりますが、そうであるならば、「重要な欠陥」があっても、説明責任さえ尽くせば法的義務はない、と素直に考えてよろしいのでしょうか?投資家が納得しないのが怖くて「内部統制を整備する」というのは、いわば経営者が財務報告にかかる内部統制を構築するかどうかはソフトローの世界の話であって、放置していてもなんら法的責任がないことが前提となるお話だということなんでしょうか。

ここから先は会社法と金商法の交錯する場面の問題かと思いますが、金商法および関連規則も取締役が遵守すべき「法令」に該当することから、これを遵守することも取締役の善管注意義務にあたるといわれることが多いですよね。(これが財務報告の信頼性確保のための内部統制システムの構築義務を根拠付けるものである、と。)しかし「金商法を遵守する」といいましても、上述のとおり、内部統制の整備義務自体が金商法から導かれないのであれば(つまり取締役が整備するのは、ソフトローの効果に期待するということであれば)、やはり善管注意義務違反もしくは任務懈怠と評価することとは、ダイレクトには結びつかないように思います。また、取締役が構築すべき財務報告内部統制のレベルを決めるのに「重要な欠陥」概念で判断する、というのも、果たして裁判規範としてみた場合に妥当なものと言えるのでしょうか?「重要な欠陥」があるかどうかは、そもそも会計監査の世界にかなり近いモノサシを使って考えるわけで、「合理的保証」とか「重要性」の基準からみて、その是非を判定することになるはずです。こうなりますと、重要な欠陥の有無は判断する人によってかなりバラツキがあると思いますし、取締役の法的責任を判断する基準としてはあまりにも漠然としたものになってしまうのではないでしょうか。つまり「重要な欠陥」という概念は、あくまでも企業情報開示制度と親和性を持つものにすぎず、取締役の法的義務の範囲を定めることとの親和性は薄いものと考えられます。また、かりに「重要な欠陥」の概念にはこだわらず、ともかく上場企業の取締役には、財務諸表の信頼性を向上させるための内部統制構築義務があるのだ、といった前提に立ったとしても、それでは一体、どの程度の構築義務があるかという点も、「重要な欠陥」概念を用いる場合以上にあいまいなものであると思われます。このあたりが、私にはいまだ混沌としておりまして、明確な回答を持ち合わせていないところであります。

ただ、こうは考えられないでしょうか?たしかに会社法は上場企業だけでなく、非上場の会社にも適用されるものなので、財務報告の信頼性確保のための内部統制構築義務というものは、直接的には導かれるものではないものの、やはり、(会社法上で取締役の善管注意義務のひとつとされている)法令遵守義務と金融商品取引法とを結びつけて善管注意義務のひとつと捉えたいところであります。ただ、金商法24条の4の4をもって、直ちに内部統制構築義務の根拠法令とすることにも疑義が残る・・・

そこで、取締役の財務報告に係る内部統制の整備構築義務というものを、金商法全体の趣旨から、捉えることはできないものでしょうか。たとえば内部統制報告制度は、はじめて経営者評価の基準を定立して、内部統制の評価というものを法的に意味あるものにしたわけでして、これは、日本の会計制度において、監査人だけに頼るのではなく、経営者もより健全な開示制度のために協力する必要があることを示しております。なぜなら会計基準の国際的なコンバージェンスへ向けた取組みや、会計基準が複雑化、高度化するなかで、正確な企業情報開示のためには、企業側の努力が必要だからであります。その努力の具体的な内容は、経営者自身が会計方針を決定したり、レベルの高い経理担当者を置いたり、内部統制の評価や改善に資する内部監査人を置くことが要請されるところであります。そういった企業側の努力は、開示制度のなかでも活用されてしかるべきだと思いますが、内部統制評価報告制度自体が、「ありのままの報告」で合格点であるならば、努力は報われないことになってしまいますよね。そこで当然のことながら「確認書」制度のなかで活用されることが期待されます。内部統制の有効性を評価できる企業であれば、これに依拠して確認手続をとることができるでしょうし、内部統制に重要な欠陥がある企業であれば、確認書を出すまでの経緯については投資家が納得できるような説明を尽くすことが要求されることになります。ということで、これまで有価証券報告書の添付書類として、任意の制度だった確認書を義務化されたことは、経営者が財務諸表の正確性について、合理的な理由をもって説明できることが前提となっているわけでありますので、そこに財務報告に係る内部統制の整備義務を根拠つけることができるのではないでしょうか。そもそも平成19年2月15日に公表されました財務報告に係る内部統制意見書の前文(審議の背景)におきましても、「我が国では、平成16年3月期決算から、会社代表者による有価証券報告書の記載内容の適正性に関する確認書が任意の制度として導入され、その中で財務報告に係る内部統制システムが有効に機能していたかの確認が求められてきたが・・・」とあります。この前文の記述からも明らかなとおり、財務報告に係る内部統制の有効性評価と確認書の提出制度は(ともに財務諸表の信頼性を確保することを補完するものとして)密接な関係にあり、この確認書の提出が、独立して法定化(義務化)されたことは、まさに経営者における財務報告の信頼性確保のための内部統制システム構築を通じて、財務諸表の数字の適正性を保証することを、各上場企業に求めているものと言えるのではないかと思います。

このような理解は、「内部統制を整備しない経営者が、財務諸表の正確性を説明できれば(法的には)それでいい」とするM課長の話との整合性について疑問が残るかもしれません。たしかに、何年も内部統制が有効と評価されている会社どうしが合併した場合のように、たまたまその年度においては会計処理システムの有効性が十分検証できずに「重要な欠陥」があるとされる場合があっても、経営者は、これまでの合併当事会社の内部統制評価の結果からみて、連結財務諸表の正確性は説明できる場合もあるでしょうし、構築義務違反=取締役の任務懈怠とはならないケースもあるとは思います。ただ、それは構築義務を尽くさなかったとしても財務諸表の正確性が合理的な範囲で担保されているような、相当な理由がある場合に限られるわけでして、やはり、原則は金商法の制度趣旨からみて取締役に構築義務を認めていいのではないでしょうか。あくまでも開示制度を充実させる範囲での内部統制構築義務を取締役に認めるわけですから、この義務を認めるとしても、経営者におけるリスク評価、内部統制の整備、運用において広い裁量権があると考えていいと思います。

企業は新株予約権や種類株式を活用しながら、直接金融、企業再編、事業承継を行う自由度が増したわけであり、また市場もいま、その仕組みを作りつつあるわけであります。自由を持つ裏にはその責任も伴うものであり、市場の健全性を確保する責任の一端を、発行体企業自身も負担する必要があるわけで、複雑化していく会計制度の透明性、公正性を監査人だけに委ねるのではなく、協働作業によって維持することが、すくなくとも上場企業の場合には、金融商品取引法を通じて要請されているものとみるべきではないでしょうか。

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2008年5月23日 (金)

リコール実施と開示統制システム

Husyoji021 昨日のエントリーには、たくさんのアクセスをいただき、ありがとうござした。内容的に、それほど盛り上がるようなテーマではないのでありますが、やはり粉飾決算と会計監査人の責任問題・・・というのは、けっこう注目度が高いのでしょうね。間違った内容等ありましたら、どうかご指摘いただければ幸いです。(そういえば、関連するような問題で、5月21日付けにて、日本公認会計士協会のHPに懲戒処分リリースが掲載されていますね。処分理由を読んでかなりビックリしました。)

さて、JASDAQ上場企業である日本トイザらス社が販売商品の塗料に問題があったとして、製品回収(リコール)を告知しましたが、リコール発表の時間を報道機関を通じて予告することで、その告知内容が世間に大きく知られるところとなりました。企業の社会的責任を宣言する企業として、このリコール実施の方法は、まさに企業の体質を物語るものであります。

こういった危機管理(クライシスマネジメント)の一環としてのリコール実施方法について、私がよく参考にさせていただいているのが「不祥事を防ぐ市場対応ハンドブック」(久新大四郎 著 唯学書房 2800円税別)であります。前半部分はまさに問題発生の第一報からリコール実施までの詳細な解説が記述されておりまして、現場感覚がよく把握できるもので、たいへんありがたいです。後半は、まさにいま問題となっております消費者庁へ移管が予定されている各法律を消費者問題との関係から手際よくまとめておられるものであり、私にとりましては「一粒で二度おいしい」参考書であります。著者の九新(きゅうしん)氏はソニーCSオフィサーなど、長年企業の側から消費者問題に関与されている方でありまして、法律家の執筆するコンプライアンス本よりも「明解でわかりやすい」内容であります。いざ!というときはもちろんコンサルティングが必要でありますが、平時におけるリスクマネジメントを考えるには最適であります。この前半部分を参考にしながら、今回のトイザらス社のクライシスマネジメントの手法などを検討してみると、リコールの成否が企業の情報開示統制に大きく依存していることがおわかりになるかと思います。

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2008年5月22日 (木)

キムラヤ粉飾決算事件に関する会計監査人の責任(否定)

(22日午前11時 追記 なんだか、本日はものすごいアクセス数になっておりますが、本件エントリーはまだ「書きかけ」程度にご理解ください。本判決の3分の1程度の論点しか紹介しきれておりません。こういったときはかならず後でご批判を受けるんですよね 笑)

旬刊金融法務事情の最新号(1835号)の判決速報にて、株式会社キムラヤ(ディスカウントストア 平成16年9月民事再生手続開始)の粉飾決算事件について、三菱東京UFJ銀行等2名が取締役らと会計監査人に損害賠償を求めた訴訟の判決全文が掲載されております。(東京地裁、平成19年11月28日民事第五部判決 確定)キムラヤは、当時同族で90%以上の株を保有していた非上場会社でありますが、負債が200億以上の「商法特例法上の大会社」だったために、平成12年より平成16年1月期まで会計監査人による商法監査を受けていたものであります。三菱東京銀行は、他行とともにシンジケートローンを組み、民事再生開始申立の直前に10億円をキムラヤに融資実行したわけでありますが、その際に、被告会計監査人の適法意見の付された計算書類を信用して融資を決定したということで、商法特例法10条(現行会社法429条2項4号)による会計監査人の責任を追及した、というものであります。

判決は、粉飾を実行した取締役らの責任を全面的に認めましたが、会計監査人(公認会計士)の責任は否定しております。平成9年ころから粉飾は続いておりましたが、事案の性質上、原告銀行らは平成16年1月期の会計監査についてだけ、その過失を主張しているようです。粉飾はディスカウントショップらしく、いわゆる棚卸資産(商品在庫)の架空計上でありまして、平成16年1月期の貸借対照表上の棚卸資産計上額は89億3900万円ですが、実際(民事再生開始決定後にあずさ監査法人が算定した正味在庫)は、47億3700万円であり、実際の資産よりも倍額の過大計上だったようであります。裁判におきましては、商法特例法10条責任(立証責任の転換)が適用される事案であるため、会計監査人のほうが一生懸命「過失なし」であることを立証して、裁判所がこれを認めたものでして、会計監査人としてはキムラヤの固有リスク、統制リスクをきちんと評価したうえで、比較的厳格に監査手続を履行したことが、「平均的な水準の会計士としての注意義務をもって監査手続を行った」ものとして評価されたようであります。

しかし、先日のナナボシ判決を読んだあとで、上記判決文を熟読してみますと、ずいぶんと原告銀行側の主張もあっさりとしたもので、「絶対に会計監査人の過失を認めてやろう」といった迫力が感じられませんでした。これは原告側が監査契約に基づいて(実質的な)主張立証責任を負う債務不履行責任を追及したものではなく、銀行が「第三者」として商法特例法10条責任を追及したことからくる差なのかもしれませんが、ツッコミ不足だったように感じます。原告が会計監査人の不法行為責任を追及しておれば、もっとリスク・アプローチを採用したうえでの監査上の注意義務違反の有無が詳細に問われる事案ではなかったかと思います。あまりにも多くの疑問点があるために、到底ブログでは申し上げられませんが、そもそも法定監査が開始されて以来、ビッグカメラが銀座に出現して売上自体は伸びていないにもかかわらず、6年間で在庫商品の資産計上額が10倍というのはかなり異常ではないかと思いますが、そのあたりはまったく判決文のなかでは触れられておりません。また、メインバンクであるみずほ銀行が、「在庫を監査させてほしい」とキムラヤに申し出て、みずほが指定した監査人による監査が開始されるやいなや、わずか2日目でキムラヤ経営陣とみずほが委託した監査人との間で意見が衝突し、その直後に民事再生を申し立てたという経緯がありまして、このあたりの話からしますと、虚偽表示リスク(商法監査に、この用語は正確には不適切かもしれませんが)というものが、もうすこし厳密に争点になっていたら、どうなったんだろうかと疑問を抱くところであります。

本日(5月21日)ヤクルト株主代表訴訟の高裁判決が出たということで、またどこかで判決速報などを読んでみたいと思っておりますが、報道レベルでは、原告株主らが賠償を求めたかった取締役らの責任につきましては、「当時のリスク管理体制整備義務を尽くしていなかったとまではいえない」として否定されたようであります。こういった監査とか監視義務といった問題の場合、いつも思うのですが、監査人や取締役の「法的責任」を議論する場合、いかに具体的な主張を展開できるか、という点がキモでありまして、とてもむずかしいですね。「内部統制の不備あり→実査すべき」なる主張では、おそらく裁判所は説得できないわけでして、最低でも「内部統制の不備→代替手続による確認→虚偽表示リスクの認識→試査による追加手続の可否→実査すべき」といった過程のなかで、逐一、会計監査人の注意義務の存否を評価していく必要があると思います。また、取締役の内部統制構築義務違反を問題にする場合にも、「内部統制の基本方針→具体化作業→運用状況評価→改善に関する提案の有無→改善の実行」までの過程を検証したうえで、裁判所に内部統制上の「重大な欠陥」(重要な欠陥とは少し概念が異なりますが)があったことをまず論証したうえで、各取締役の内部統制をあえて無視する、という作為と同じほどに評価できる不作為(放置)を立証しなければ、善管注意義務違反は認められないものと思っております。そもそも「経営判断」や「会計監査」は、法との関係を離れて企業社会において重要な意味を持つものでありますから、そこに法が割って入ることの意味はよくよく慎重に考えておきたい、というのが私の勝手な持論であります。(うーーん、書きたいことの半分も書けずに、なんか不完全燃焼に終わってしまったエントリーです。。。トホホ)

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2008年5月21日 (水)

世相を反映する新司法試験(雑感ですが)

著名ブロガーの方々が、平成20年度の新司法試験問題についてコメントされておられるので、たいしたことはコメントできませんが、ひとことだけ雑感を述べさせていただきます。おそらく受験された方は民事系問題を見てビックリされたことだと思います。今年は商法科目が民事訴訟法科目とくっついて大問(配点200点のほう)になっちゃったんですね。私のゼミを受講されたロースクール生の方々ならご存知のとおり、昨年から「会社法は絶対に訴訟法とからめて勉強すべき」と何度か申し上げておりましたので、そういった意味では「大当たり」でしたね(^^;

いえ、これは私が優秀な講師だからではなくて、逆に「とても人には言えない恥ずかしい訴訟」を何度も過去に繰り返してきた「ごく平凡な弁護士による苦い経験」からであります。大手の法律事務所の弁護士さん方でしたら、元々優秀なうえに訴訟担当チームを組んで、それなりに会社事件の訴訟活動は先輩からきちんと教えられるところもあるかと思いますが、小規模事務所が会社事件を担当することとなりますと、弁護過誤にもつながりかねないような基本的なミスを犯す可能性が高いのであります。当事者適格や訴訟形態(給付訴訟か確認訴訟か、形成訴訟か)、裁判管轄(どこの裁判所に訴えるべきか)、必要的共同訴訟かどうか、提訴期間や訴訟参加は可能か、定款自治や株主間契約による合意は訴訟要件にどのような影響を及ぼすか、などなど、会社法特有の訴訟法上の問題はやまほどあるわけです。あまり知られておりませんが、あのダスキン株主代表訴訟の第一審においてですら、かなり基本的なところで手続上の瑕疵があり、「瑕疵が治癒された」と裁判所に判断されているケースもあるほどです。ということで、商事事件を扱う弁護士を想定しますと、まずなんといっても、利害関係者の権利義務関係を裁判所に判断してもらうためには、「事件をとりあえず裁判にのっける」作業が必要なのでありまして、実務家になるためには、この「会社法と訴訟法の交差する場面」は「基本中の基本」なのであります。来年の試験問題がどうなるかは予想できませんが、私は判例研究などをされる場合でも、原告弁護士がどうやって「裁判にのっけたのか」、被告弁護士はどうして、ここで門前払いを求める主張をしているのかなど、きちんと配慮していただきたい、と常々申し上げているところであります。

あと、会社法を学ぶ上でとても大切(と私は勝手に思っておりますが)なのは、勉強しているときに思い浮かべている「会社」は大きな会社なのか、小さな閉鎖会社なのか、同族会社なのかベンチャー会社なのか、合弁会社なのか、ということであります。判例研究の際、毎回最初にお聞きするのは、「この被告会社はどういったイメージの会社ですか」ということでして、イメージされた会社によって、法律実務家が選択すべき法律構成はまったく異なるわけでして、そのあたりを十分理解しているかどうかは、非常に重要であります。今年の問題をみましても、上場子会社と、これを実質支配する小さな閉鎖型の親会社が登場して、かなり怪しい株式交換手続を行うものでありまして、上場会社からみた「会社法」、閉鎖会社からみた「会社法」、そして(責任財産保全の問題をからめながら)それらの関連性の問題点を見つけ出すというところは、かなり良問ではないかと思いました。

しかし架空循環取引や粉飾決算が登場したり、親子上場問題が出たり、怪しげなM&A投資アドバイザーが活躍したり、利益のためなら多少のコンプライアンス違反に目をつぶる銀行マンが登場したりと、まさに世相を反映した民事系問題ですね。昔の司法試験問題とは異なり、上から40%の人と45%の人の間に差をつけなければならない試験になりましたので、たくさんの文書を読ませて、論点抽出型の回答にならざるをえないものとは思いますが、楽しく議論してみたい問題だと思いました。(お気楽な内容ですが、このあたりで)

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2008年5月20日 (火)

サンエー社のインサイダー疑惑とベターレギュレーション

以前日経新聞でも伝えられておりましたが、また読売ニュースにてサンエー・インターナショナル社(上場会社の役職員)のインサイダー取引について証券取引等監視委員会が課徴金処分を念頭に勧告を行う予定であることが報じられております。私の手元にあります東京証券取引所発行にかかる「インサイダー取引Q&A第三版」の29ページには、「決定事実」が最高裁まで争われた事例をもとに①決定は商法上の機関によるものに限られず(つまり社長の意思決定だけでもあたる)②条件付きの決定(たとえば親会社が第三者割当てに難色を示しており、この親会社が承諾することを条件に割当てを行う、といったケース)であっても該当する、とありますし、またQ&Aのなかでも半年前くらい遡った初期段階においては、かなり微妙ではあるが、社長がトップダウンで重要事実案件実現を目指して検討が開始されているようなケースでは初期段階であっても重要事実が成立していると考えられる(16ページ)とあります。この本の副題のとおり「30分でインサイダー取引がわかる」かどうかは別としまして、こういった一般の方向けの解説を読みますと、サンエー社の件は普通に考えても「ちょっとヤバイんじゃないかな?」と考えられるところだと思います。実際のところ、サンエー社としては「ヤバイ」と思って証券会社さんに意見を求めたわけですから、どうして証券会社としては、違法性なし(だいじょうぶ)といったサインを送ったのでしょうか。下手をすると、先日の証券会社社員によるインサイダー取引を発生させてしまった内部統制上の問題点ともつながってしまうのではないかと邪推してしまいますが、このあたり、もうすこし詳しい事実関係が知りたいところであります。

インサイダー取引が刑事事件として立件されるのであれば、サンエー社役員の方に故意が認められる必要性がありますので、証券会社さんの意見にしたがって公募増資を行ったというものであれば「故意が認められない」(もしくは行為に違法性なし)とされるでしょうが、課徴金賦課につきましては「うっかりインサイダー」なるお馴染みの用語でもおわかりのとおり、明確な違法性に関する認識がなくても柔軟に課されてしまうわけですから、サンエー社の役員の方にしてみれば納得のいかないところだと思われます。

金融庁HPで「ベターレギュレーションの進捗状況について」と題する報告書が公表されておりまして、そのなかでプリンシプルベースとルールベースの最適の組み合わせが大きな柱とされ、一例として先日公表されました「内部統制報告制度に関する11の誤解」が引用され、「ルールの解釈にプリンシプルから光をあて、実務が過度に萎縮することがないよう、制度の趣旨を明確に示す取り組みを実施」した、と説明がなされております。私はこの金融庁の「11の誤解」につきましては、かなり画期的であり、評価している立場でありますが(当ブログにお越しの常連の皆様は別の意見と思いますが)、これがルールベースとプリンシプルベースの最適な組合せの適例かどうかはちょっとよくわかりません。先のサンエー・インターナショナル社の例などをみますと、この「プリンシプルベースとルールベースの組合せ」なるものは、ルールの隙間をプリンシプルで埋める、といった印象が強いのではないでしょうか。そもそも金融市場の健全化をはかる為には、厳格な司法判断やがんじがらめの事前規制では機動的な取締りが困難なために、専門性を発揮した柔軟な取締りのために、プリンシプルベースで「穴」を作らない方に目的があるのではないかと疑ってしまうところがございます。となりますと、むしろプリンシプルベースというのは使い方次第では、実務に対して過度の萎縮的効果を与えてしまうのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

そもそも、「11の誤解」につきましても、実務が過度に萎縮することがないように」とは言いますが、経営者評価と監査とは別々の「実務」があるわけですから、経営者にも監査法人にも、それぞれの業務が萎縮しないことへの効果はあったのでしょうか?私には、どっちかに効果があれば、一方は萎縮してしまう関係にあるのではないか、と疑問に思っております。いずれにしましても、いま私が期待しておりますのは、相談センターなどの問い合わせ事例を集計して、世間ではこの内部統制報告制度を施行するうえで、どんなことが問題になっているかを早期に公表していただくことであります。それと、「金融専門サービス士」構想ですが、これはまた別の機会に思うところを書かせていただきます。

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2008年5月19日 (月)

企業サイドからみた「消費者庁リスク」

当ブログではこれまで三度にわたって「行政法専門弁護士待望論」に関連する話題について語っておりますが、平成21年にはできる(本当かな?)とウワサされております「消費者庁」なる内閣府の外局構想につきましては、これまで以上にそういった専門弁護士が待望されるところではないかと思っております。なんといいましても、5月16日の日経朝刊では「22法律移管」とされ、同日の時事通信ニュースでは24法律、そして朝日ニュースでは26法律が移管されるとのことでありまして(いったいどの報道が正確なのでしょうか?)、今後の各省庁との折衝次第では、ものすごい絶大なる権限(総合調整権限)を有する行政組織が誕生することになるわけであります。これは企業コンプライアンスの観点からみて大きなリスクであることに間違いないと思います。(にもかかわらず、あまり話題にならないのはなぜなんでしょうか?麻生さんはまったく関心がないということか?)なお、誤解のないようにあらかじめ申し上げておきますが、「リスク」といいますのは、決して消費者を騙しているような悪徳企業の「やり逃げ」を支援するという意味ではなく、自由競争のもと正当な営業活動を続けているまっとうな企業の商売に萎縮効果を与えるリスクのことを指しております。消費者保護と企業の自由な営業活動との調和点をどこに求めるのか、という非常にむずかしい問題が横たわっているわけであります。

いずれにしましても、一部移管も含めますと、PL法、景表法、消費者契約法、金融商品販売法、消安法、品確法、公益通報者保護法、食品衛生法、そして宅建業法などなど、商工会議所主催のビジネス実務法務検定問題に登場するような重要な法律の運用に関与する行政組織となりますので、その「行政手法」がどのようになるのかが、非常に気になるところであります。私は行政法専門弁護士でもなんでもありませんが、素人ながら、その行政手法を検討するためには、「何を」規制するのか、という観点と、「どのように」規制するのか、という観点で分けて検討するのが便利ではないかと思っております。「何を」規制するか、というのは消費者行政に関連する企業活動そのものを規制する場合と、消費者と企業との取引の効力自体を規制する場合とに分けて検討すべき、ということであります。それと、「どのように」規制するか、ということにつきましては、以下のとおりに分類すべきではないでしょうか。

①被害拡大防止型→公表、報告、営業禁止命令等

②被害救済型→父権訴訟、損害賠償金の被害者配当措置等

③事後規制型(行政調査)→行政罰(課徴金)許認可取消、行政サービスの 停止、改善命令

④行政指導、誘導型→契約的手法、苦情処理、紛争解決、勧告的措置等   

もちろん、これらの行政手法がバラバラに用いられる場合だけでなく、こういった行政手法をいくつか組み合わることによって公益目的を実現することも考えられるわけであります。そしてこういった行政手法への企業側の対応も、フレキシブルに検討していく必要があると思っております。ここで申し上げたいのは、行政訴訟を提起したり、行政手続法に沿った申立を行うことを主として意味しているのではございません。(そういった法的手続きに関する問題であれば、それこそ行政事件に強い弁護士さんに相談されるのが良いと思います)私が行政法専門弁護士を待望しますのは、そういった既に教科書的に書かれている法的手続きに強い弁護士さんではなく、もっと早期の段階、つまり行政調査が入った時点で交渉できる弁護士とか、行政罰ができるだけ軽く済むような企業側の諸事情を代弁するとか、いわゆる行政処分によって信用が毀損されてしまう「一歩手前」のところで行政処分を出させないようにするとか、すでに公益目的が実現されたのと同じ状況を作出するといった「政策法務」に強い弁護士のことであります。

「政策法務」といいますのは、普通は霞ヶ関とか、地方自治体の幹部の方々が、法律や条令を制定する場合に、その立法事実を正確に把握したり、どのような行政手法を採用するかを検討したりする場合の実務が中心でありますが、そういった実務の考え方は今後企業サイドにおいても必要になってくるのではないかと考えております。とりわけ所轄の省庁による専門的、技術的見地から許認可行政が運用されてきた法領域に対して「消費者行政」なる名目で別の官庁が大きな権限を行使するとなりますと、曖昧な要件のもとで営業活動の制約(財産権保障の『公共の福祉』による合理的制約)がまかり通ってしまって、そういった処分のもつ「信用毀損効果」をおそれて、企業活動は萎縮してしまうのではないかと危惧するところであります。そこで、たとえば行政が企業に対してペナルティを課すことに「裁量」が認められるのであれば、それこそ普段の法令遵守体制への尽力が影響することになるでしょうし、許認可権を省庁が手放さずに、勧告権だけが消費者庁に存在するのであれば「公定力」がない分、消費者庁とは徹底的に争うことも可能になるでしょうし、リスクを低減もしくは回避する方法はいくらでも考えられると思います。

また、「何を」規制するか、という点で企業活動を直接規制する方法と、企業と消費者との契約自体を規制する方法に分類した場合、たとえば企業の行為を規制するためには多大なエネルギーを使って行政調査を行うことになりますが、その場合にはまず消費者教育がなければ、「利用価値のない消費者情報」に振り回され、非効率な行政活動になってしまうのは目に見えているのではないでしょうか。つまり効率的な消費者行政であれば、1年に1000件の企業不正を処理することができるのに、消費者の啓蒙活動ができていないために、わずか100件しか処理できなかった、という結果に終わる可能性はいまのところ非常に高いと思います。今朝の朝日ニュースで、「消費期限」の意味を理解している消費者は半数にも満たなかった、というアンケート調査のことが報道されておりましたが(朝日ニュースはこちら)、消費者庁構想の最も大切な点は、この消費者への啓蒙活動にあると考えます。さらに、企業と消費者との契約自体の規制につきましても、先日の健勝苑、ニッセンを被告とした大阪地裁での判決(正確には消費者と企業の関係ではありませんが)にもあらわれているとおり、同じ被害者に対する対面呉服販売であっても、その被害者が最初に購入した場合と、次の業者から購入した場合とでは、結論が異なる場合もあるわけです。(ちなみに、先に呉服を購入した業者との契約は公序良俗違反で無効、次に購入した業者との関係では、危険を承知で購入したのだから無効とまではいえない、といった判決内容であります)つまり「消費者行政」といいましても、そこには個々の消費者ごとに企業との取引では保護に値する消費者なのかどうか、吟味する必要があるわけですので、契約関係へ行政が立ち入ることについては、消費者側からも企業側からも、相当な抵抗があるのではないかと予想しております。

ということで、福田内閣の推進する「消費者庁構想」、私の頭のなかでは、予想される混乱を考えますと、その実現率はかなり低いのでありますが、どうなりますでしょうかね?なお、首相官邸HPの消費者行政推進会議の議事録ならびに資料はなかなか勉強になります。

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2008年5月16日 (金)

「経営判断原則」に関するわかりやすいお話

毎週木曜日はお昼から2コマ(合計3時間)、同志社のロースクールにて森田章教授と一緒に3年生の会社法ゼミを担当させていただいております。ゼミの時間はけっこうツッコミを入れさせてもらっておりますが、本日は森田先生がご専門の「株主代表訴訟と経営判断原則」をテーマとした事例研究ということで、私はほとんど聴講生状態でした。(^^;いやいや、アメリカの裁判事情や、取締役とCEO、株主との関係など、日本の株主代表訴訟と比較して非常におもしろいお話が聞けました。(以下、記述をわかりやすくするために、若干デフォルメしております。法律に詳しい方、あまり鋭いツッコミをいれないでくださいね)

紀伊国屋文左衛門の話

江戸でみかんが不足していて、嵐のなかを無事に船で江戸までみかんを運べたら大もうけや。そやけど、みんなは「こんな嵐やったら船がひっくりかえるがな。やめとけ。やめとけ」っていうんや。そやけどやで、無事運べたら、誰も文句はいわへん。船がひっくりかえってしもたら、「ほらみろ、あれだけやめとけいうたのに、無理して出かけたお前が悪いんや。」っていわれるやろ。これが「合理的判断」や。10人中8人くらいが船ででかけるのは無謀と思ったなら、これは合理的判断やから責任ありや。そやけどやで、そんなんでやめとったら商売ならへんがな。10人中8人が「行け!」っていうからいっとったら、そんなもん、もう商売は終わりやで。儲かるわけないんや。10人中ひとりかふたりが「行ける」と思って成功するから商売なんや。これがビジネスジャッジメントルールっちゅうもんやで。わかるか?アメリカでは「合理的判断」とはいわんのや。合目的的判断や。(rational)アメリカではこの合目的的判断が保護されるんやけど、日本の裁判では「合理的判断」でないと取締役は救われへん。そんなアホなことあるかいな。リスクっちゅうもん、わかっとらんのちゃうか?

このへん、日本の会社法も、うまくできかけとったんや。お前ら知っとるか?会社法の条文で削られた条文あったやろ?代表訴訟で、会社の正当な利益が害される場合には代表訴訟は許されへん、ってな条文が最初あったんやけど、あれ、つぶれてもうたんや。アメリカの訴訟委員会みたいなもん、日本にはないから、取締役にとっては災難やで。こんなん弁護士もうけさせるばっかりやで。ホンマのビジネスマンが日本には育たんで。ワシもな、最初は日本には「独立社外取締役」なんて、いらんと思っとったんや。そんなもん、会社経営にはなんの役にも立たんとな。そやけどな、社外取締役が訴訟委員会みたいなもん作って、そこで株主の代表みたいな顔して、「こんな訴訟やったって、取締役からお金をチョロっと取り返したとしても、会社の信用は落ちるは、弁護士報酬が高くつくわで、会社にとってええことない。訴訟はやめなはれ」って言えたら、こりゃええもんですわ。会社と株主との利益調節のためにも、社外取締役は安くつくし、もっと活用したほうがええんとちゃうやろうかな。

最近、6月総会を控えまして、機関投資家による「日本企業における株主利益向上のための議決権行使基準」に関する話題が盛り上がっているようでありますが、米国の機関投資家によるガバナンス改善要求の真意などを知るうえで、やはりアメリカで長年研究されていた学者の先生方の意見を拝聴するのはたいへん有意義だと感じました。なんといいましても、代表訴訟や独立社外取締役制度、執行役と取締役の関係、そして株主によるクラスアクションなどが、それぞれ制度として関連性を有しているわけでして、これらが日本の企業文化のなかでどのように効果的に機能するのか、そのあたりはやはり海外の制度を理解している方のお話を聞いてみるのが一番だなぁと感じております。(できるだけ森田教授の口調に近い雰囲気でご紹介いたしましたが、私はもちろん、尊敬している方であります。失礼がありましたら、この場で謝っておきます。また内容に関する誤りがございましたら、それは私自身の責任です。)

PS そういえば、今日の事例研究(株主代表訴訟における担保供与事件)で、発表担当のスクール生のひとりが「へびのめミシン」「へびのめ不動産」と言い出したのには唖然としました(^^;;「お前そんなんも知らんのか!? 昔は嫁入り道具のひとつやったんやぞ。お前のおかあちゃんも、これ実家から持ってきとるはずやで!今は知らんけど・・・」なる説明をされていた森田教授にも笑わせていただきましたが・・・・・ 

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2008年5月15日 (木)

NHK土曜ドラマ「監査法人」に期待します!

NHK名古屋放送局が制作する土曜ドラマ「監査法人」が6月14日よりスタートするらしいですね。昨年の「ジャッジ~島の裁判官」では裁判官の生活や仕事ぶりがリアルに描かれていましたが、今度は企業の監査に携わる公認会計士さんの仕事や生活ぶりがドラマ化される、ということで楽しみにしております。昨年の私のエントリーのように(笑)、その筋の方々はおそらくツッコミを入れたくなるのかもしれませんが、監査に詳しい学者の先生方が監修されたり、日本公認会計士協会のHPでも広報されているようですので、「ドラマ」ということで、おおらかな気持ちで拝見することにいたしましょう。

門外漢である私がこのドラマで一番楽しみにしておりますのは、「いったい会計士さんというのは、仕事の楽しさをどこに見出すのだろうか?」という点であります。自らの監査という仕事をやりきったときに、果たしてどこにテレビドラマにふさわしい「充実感」が描かれるのでしょうか?先日ご紹介した山浦先生の「会計監査論第5版」第6章(職業監査の規範)におきまして、山浦先生はたいへん冷静に以下のとおり解説しておられます。

「・・・会計監査の需要者や監査結果の利用者にとって、監査が首尾よく実施されればされるほど、監査という業務のメリットを実感しにくいという、きわめて皮肉な構造になっている。たとえば同じ専門職業であっても、医者の場合は治療の結果を患者が直接に実感できる。また弁護士の場合は訴訟での勝ち負けが依頼人の利害に直結する。しかし会計監査の場合は、こうした成果を捉えにくい。むしろ何事も問題が生じないときこそ、会計監査の成果が発揮されているときであり、・・・(中略)会計監査はまさに「日々平穏こそ吉」であり、成功裡に終えることのできた業務を外に誇示できないという宿命を担った専門職業である」

たとえば、このドラマを商学部や経済学部に通う大学生が見ていたとします。ドラマをみて「うわぁ、やっぱり公認会計士ってカッコいいっす。俺も頑張ったらなれるかなぁ」と職業会計人を目指す動機付けになりうるためには、このドラマが監査業務という仕事上の充実感とか、自由競争によって会計士の能力に差が出ることなどが描かれることが必要だと思います。ちなみに、昨年の「ジャッジ」では最終回だけを見ても、島の将来を二分するような大きな紛争を裁判官の努力によって解決し、島民全体がWIN TO WINの関係を築き上げたところに裁判官としての職業上のやりがいが見事に描かれていたように思います。また、税理士さんであれば、(私もお世話になっておりますが)あのテこのテで税務署と格闘していただき、クライアントに対して「節税効果」を実感させてくれます。会計士さんが主人公のドラマということで、ストーリーはおそらく企業の会計不正を暴くことにフォーカスされるのではないかと想像しますが、会計士さんは、その能力によって不正を暴くとしても、その充実感はどこから得られるのか、人よりも監査能力が高いことを、どうやって会計士さんはアピールすることができるのか?(それとも、そんなアピールは必要ないのか?もしアピールする場がないのであれば、どうやって職業人としてのスキルアップへのインセンティブを持ちうるのか?)そのあたりはドラマのなかではどのように描かれるのでしょうか?とても興味があります。「行列ができる法律相談所」はあっても、「行列ができる有限責任監査法人」というものは、そもそもありえないんでしょうかね?

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2008年5月13日 (火)

コンプライアンス違反による倒産急増?(その2)

帝国データバンクの発表によりますと、2007年の倒産集計報告におきまして、またまた法令違反を原因とする倒産企業の数が急増した、とのことであります。(朝日新聞ニュースはこちら)ちょうど1年前に、こちらのエントリーにて、そもそも(法令違反よりも先に)経営が苦しくなったから不祥事に手を染めたのではないか、といった疑問や、不祥事がみつかりやすくなってきた社会情勢に起因するのではないかといった推測から、この報告には若干懐疑的であったわけですが、一般の倒産件数に比べて、圧倒的に伸び率が高いことや、この1年間の食品偽装→破産、民事再生といった報道内容などを顧みますと、たしかに法令違反(コンプライアンス違反)が法人の継続性に影響を与えているところは無視できないようにも思えてきました。なお、以下の表における法令違反に起因する倒産企業数は負債1億円以上のものに限ります。

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上記朝日新聞ニュースにもありますように、企業の法令違反行為が発覚することで、CSR調達のように顧客から取引を打ち切られるケースもあり、また反社会的勢力との取引排除に代表されるように、金融機関からの融資継続の条件として法令違反行為の排除が要求されるなど、ビジネスの環境としてコンプライアンスが経営の命運を分ける場面も実際に増えているんじゃないでしょうか。さらに、上場企業の場合ですと監査の厳格化や内部通報制度の充実などによって、(昨年の推測どおり)そもそも法令違反が発覚しやすい土壌が次第に形成されてきたこともあるように思います。しかし、このまま倒産件数が漸増する傾向が続きますと、コンプライアンス不況なる情勢も現実味を帯びてくるようで、少し怖い気がします。

法令違反が世間に発覚する端緒として「内部告発」が圧倒的に多いことは皆様すでにご承知のことと拝察いたしますが、こういった内部告発に対して企業が真剣に向き合うための有益な資料としまして、内閣府国民生活局公益通報者保護制度ウェブサイトにて、公益通報関係裁判例集の作成検討会報告書(2年ぶりの改訂版)がリリースされているのをご存知でしょうか?(この報告書はたいへん参考になるところであります)多くの内部告発がマスコミに対して発信されている現実が集計結果として認識できますが、民間企業における内部通報制度の充実に向けた提言がなされているところも注目されます。とくに24ページから25ページあたりにおきまして、各企業が内部通報制度を整備し、かつ適正な運用を行う上で必要な点についての整理がなされておりますので、ここだけでも必見かと思います。内部通報制度が整備され、従業員に(通報制度自体が)信頼されているときには、内部通報を経ない外部通報を抑止できる可能性が高い、ということが様々な裁判例を検討した結果として提言されております。内部告発が命取りになる前に、自社のヘルプラインの運用改善のためにこういった良質な資料を活用されてはいかがでしょうか。

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2008年5月12日 (月)

不正のトライアングルからみた粉飾決算リスク

5月11日の「情熱大陸」では今年のベストマザー賞を受賞された勝間和代さんの日常生活が取材されておりました。番組最後の質問・・・「勝間さんにとって『お金』とは?」

「ひとに感謝の気持ちを表現する道具ですね」 (さすがやなぁ。。。)

さて、その勝間さんが日経ITプラスにて「IT関連企業はなぜ会計偽装が多いのか」と言うテーマで、ニイウスコー社の架空取引を例に検証されておりますが、そのなかで「不正のトライアングル」について紹介されていらっしゃいます。「不正のトライアングル」といいますのは、CFE(公認不正検査士)の資格を有しておられる方はご承知のとおり、人はどのような条件が整うと会計不正をはたらくか・・・、という問いに対する回答として、一般に①動機、プレッシャー②不正の機会③不正の正当化要因の存在、が挙げられ、これら3つの条件がすべて整うと、不正リスクが非常に高まることを説明する概念であります。勝間さんが分析されているとおり、IBMと野村総研の下で生まれた「名門IT企業」であるニイウスコー社ですら、この不正のトライアングルの条件がすべてそろっていたことが理解できそうであります。(しかし短期間に多額の増資を行っているので、ニイウスコー社の場合、かなり悪質な気もしますし、条件たる「正当化要因」が認められるかどうかはちょっと微妙です)

ただ、この「不正のトライアングル」によって会計不正を説明する場合、「IT企業だから・・・」といった静的な分析だけでは若干不足しているように思います。IT企業でもしっかりしているところは多いですし、内部統制について配慮する若手経営者の方もいらっしゃいます。ぎゃくに製造業社でありましても、コンプライアンスについて全く配慮されない経営トップの方もいらっしゃいます。ということで、私はもうすこし「不正のトライアングル」については動的な視点についても重視すべきであると考えております。IT企業であれ、老舗メーカーであれ、上場審査を経ているわけですから、あの証券取引所で鐘の音を聞いて感動を覚えた時期があったはずであります。どんな経営者であれ、上場を果たしたときには、その栄誉をかみしめ、当社では絶対に粉飾決算などありえない・・・と心から確信していたに違いないでしょう。

たとえば法定監査で初めて監査法人さんに(地裁レベルではありますが)賠償責任が認められたナナボシの事件でありますが、粉飾を始めた当初は、上場前の厳しい監査法人さんのチェックが担当者の頭にこびりついておりましたので、用意周到に緻密な準備を怠らなかったのであります。ところが予想に反してあまりにもユルユルの監査だったために安心しきってしまい、2年目には約2倍、3年目には約3倍もの架空売上、架空利益を工作し、エスカレートしていくのであります。また、単独工作をもくろむも、粉飾が第三者に発覚してしまい、取引先に粉飾の協力者を得て、そこで集中的に繰り返されるという事態となるわけでありまして、「不正を行う機会の存在」というものも、監査法人の対応の変遷や手数料稼ぎに誘惑されたり、取引打ち切りをおそれてやむをえず粉飾に手を貸す外部協力者の誕生など、外部環境の変遷に起因するところのほうが影響度が大きいのではないかと考えております。また、「動機」につきましても、IT関連企業に限らず、上場後は株式時価総額の上昇へのプレッシャーについては同じだと思いますし、経営環境の変化に由来する「動機、プレッシャー」のほうが大きいのではないかと推測いたします。

勝間さんが指摘されているように、今後は内部統制報告制度の施行等により、こういった不正のトライアングルの示す条件が整いにくい経営環境となり、粉飾リスクが低減されるような状況になればいいのでありますが、企業は生き物であり、上記のような動的な変化によってどんな企業でも会計不正が生まれる要因を持っている以上は、少数株主権の確保、内部通報制度(ホットライン)の充実、社外取締役の増強、業務監査の強化などなど、コーポレートガバナンスの基本的な制度の充実によって、不正のトライアングルの条件が整った場合でも会計不正が生まれにくい体質を強化する必要があろうかと考える次第であります。

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2008年5月 9日 (金)

料理の使い回しはモラルか違法行為か?

世間からどのように非難されようとも、顧客層にご迷惑をかけなければ、それなりに再生計画をもって経営が成り立っていくのではないか・・・・・と予想しておりました船場吉兆社でありますが、このたびの「提供料理の使い回し」が明るみに出たことで、その「顧客層」からも信頼を失うことになってしまうかもしれません。(読売ニュース「全店で食べ残しを使いまわしていた」 )

未だ不正競争防止法違反事件の捜査が進行していることと、私自身も若干の利害関係を有しているところですので、船場吉兆社がどうのこうの・・・といったお話は控えさせていただきますが、一連のニュースをご覧になり、「食べ残しの使い回しは違法ではなく、モラルの問題なんだ」と理解されている方も多いかもしれませんので、あえてひとこと私見を述べさせていただきますと、食材の使い回しは単なるモラルの問題ではなく、立派な詐欺罪に該当する違法行為だと考えております。ニュースでは農水省や自治体の行政官の方々が「法に抵触するわけではないが・・・」と「前置き」のようにおっしゃっていますが、それは各行政官の方々の責任範囲の法律を基準としたうえでの見解でありますので、警察マターの刑法犯に該当するかどうか、といったことへのコメントは含まれていないものと思われます。

たとえば食材が「最初に提供されたお客さん」に出された時点で、その価値はすべて失われるのでありまして、これをお客さんがたまたま食されなかったからといって価値が復活することはないですよね。したがって使い回しを提供されたお客さんにとっては無価値のサービスを、さも価値のあるもののように提供されるわけです。また、個々の食材の価値とは別に、提供されたサービス全体として「一品でも使い回しの食材が入っていれば食べる気がしない」のが一般人の感覚です。(高級料亭でも、大衆的な食堂でもこれは一緒です)このようなことは提供する側も十分認識できるでしょうから、使い回しの食材が含まれていることを黙って、さも全品が新たに作った料理であるかのように誤信させて提供し、正規の代金を頂戴する店側の行為は立派な「欺罔行為」であります。欺罔行為→(お客の)錯誤→処分行為→財物(サービス)の移転という流れは、「使い回し」行為にも成立するわけで、これは詐欺罪の構成要件に該当するものであります。ただ、実際に立件されないのは、食材の特定や、指示した者の故意の認定、お客さんの特定などが後日では困難であり、証拠を十分に捜査側が収集することがかなり難しいところにあるからだと推測いたします。

モラルと「違法行為」の差は大きいです。たしかに「違法行為」であっても、その違法行為につきましては、上記のとおり立件の可能性は低いわけですが、警察行政は、その「違法行為の疑い」を活用して堂々と強制権限を行使できるわけですから、またその調査権限を駆使されることで、企業にとって不都合な真実が新たに明るみに出る可能性が無限に拡大されるわけであります。これは最近の「児童ポルノ単純所持も違法」ニュースと同様でありまして、単純所持そのものを立件することが主な目的ではなくて、そのような単純所持している(合理的な疑いのある)パソコンの中身を勝手に覗いたり、そのパソコンを(所有者の承諾なくして)経由して、販売目的で所持している容疑者のパソコンまでたどりつく、といった捜査手法を合法とすることが主たる目的だったりするわけであります。「モラルか違法行為か」ということを議論する実益はけっこう大きいものであります。

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2008年5月 7日 (水)

「会計士に対する行政処分」の民事責任への影響度

連休中は、前のエントリーでご紹介した本のほかに、粉飾決算に関する過去の判例(法律雑誌に登載されているもの)や、会計監査人の法的責任論に関する過去15年ほどの論文などをまとめて読んでおりました。監査法人ではありませんが、監査を担当した複数の会計士さん方に「従業員による不正行為」を発見できなかった監査ミスで3000万円の損害賠償命令が出された判決(凸版印刷労働組合事件 判例時報1826号97頁以下)なども、このたびはじめて全文を読んでみました。こういった判例や論文を読むなかで、一番関心をもったのが「被告側の主張」であります。いわゆる監査法人側の主張ということでして、会計の専門家の方々が、どうやって裁判所も含めた法律家集団に対して「監査とはこういうものですよ」といった主張を展開しているのだろうか・・・、というところに実務家としては関心が出てきます。もちろん被告側にも代理人がついていらっしゃいますので、争点は形成されているわけですが、うまく「法律上の争訟」として議論がかみあっているのかどうか、このあたりは一度専門家の方に検証をしていただきたいと思います。

私は医療過誤訴訟の医師側(病院側)代理人としてはかなり多くの経験がありますが、こういった粉飾決算事件の被告側主張は、医療過誤の医師側の主張に似ているところが多いように感じました。被告本人と被告側代理人との信頼関係を裁判中ずっと維持することにけっこう苦労するのであります(笑)。たとえば瀕死の交通事故で運び込まれた患者に対する医師の注意義務と、「あなたも40万円でこんなにヘンシーン!」みたいな過大(っぽい)携帯広告を掲載している美容クリニックの医師の注意義務とでは「かなりの差異がある」と考えるのが常識ではないでしょうか。(もちろん、裁判のうえでも美容クリニックの場合には、かなり医師側に厳しい法律構成がとられております。)しかしながら、分業体制が進んでいる医療業界の先生方にとっては、「なんで俺だけが責任おわなあかんねん」「なんで誠心誠意やったのにミスやていわれるねん」「あんたはなんぼ手術したって『青山テルマ』にはなれんよ、って念押しして説明したのに、それでも私に責任があるといわれるんでっか?」と憤慨されます。医療業界においては医師の注意義務に「重い、軽いはない」 (注)と認識されている方が多いようでして、医療と法律の「かみ合わない部分」で苦労することが多いわけです。そのあたりの苦労が会計士さんの責任問題にも同様に横たわっているのではないかと想像いたします。また「期待ギャップ」といわれるところも、法律の世界では影響するところがあるかもしれません。

(注)法律家の世界では「注意義務が重い、軽い」という用語は使用しません。

つい先日、当ブログでもご紹介したナナボシ粉飾決算事件判決(大阪地裁)でありますが、あの裁判の特長のひとつに行政処分が先行している(担当した監査に問題あり、とする金融庁の処分)場合に、その民事責任の過失認定にも影響があるのかどうか、という点がございます。現時点で詳細な検討は差し控えさせていただきますが、このナナボシ判決では、被告側(監査法人側)の主張がほぼそのまま認められ、行政処分は(公認会計士法の制度趣旨という行政目的の達成のために出されるものであり)、民事事件とは別個の法制度によって発令されるものであるから、行政処分を受けたことをもって直ちに被告の過失を推定する根拠とはならない、とされております。たしかに法制度が異なるわけですから「過失を推定する根拠」にはならないと思いますが、金融庁が平成18年に出した処分のなかで「問題がある」と指摘した箇所と、このたびのナナボシ判決のなかで裁判官が会計士の過失を基礎付ける事実として指摘している箇所はほとんど一緒(いずれも架空売上の実在性に関する監査手続。期間帰属の問題や回収可能性の問題とも考えられますが、おそらくいずれも実在性について最も重大な問題があるとしていることに間違いないと思われます)であります。法律上の「過失の推定」とまではいえなくとも、先行する行政処分が民事訴訟における注意義務の判断に何らかの影響を与えることは十分考えられるのではないでしょうか。ちなみに「過失が推定される」といいますのは、誤解をおそれずに言いますと「結果責任を問われる」ことに非常に近くなります(さきほどの医療過誤事件の例でいえば、美容整形の世界では、この「過失の推定」が働くとされる裁判官の判断もあるわけです)ので、さすがにここまでは言えないとは思いますが、裁判官が過失あり、と判断する資料のひとつにはなりうるだろうなあ・・・と。(まぁ、このあたりはいろいろと意見は分かれるところかもしれませんが)

改正公認会計士法が4月から施行され、懲罰的課徴金制度まで運用されるわけですが、監督官庁との関係悪化を回避するために今後も課徴金制度については争う機会というのはあまり増えることもないものと思われます。しかし、このブログで何度も申し上げておりますとおり、グレーゾーンは課徴金でバンバン処理する傾向にあるのが監視委員会の姿勢であり、また公認会計士・監査審査会の姿勢だと思われますので、このままでは先行する行政処分によって後から提起される民事訴訟(会社による訴訟、株主代表訴訟、株主による第三者訴訟など)におきまして、過失が事実上推定されてしまうような事態というのも考えられるのではないかと思われますが、いかがなもんでしょうか。内部統制報告制度をうまく理論武装につなげて、監査法人側で活用される道もあるかもしれませんね。

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2008年5月 2日 (金)

会計監査論からみた内部統制報告制度

Kaikeikansaron GW(ゴールデン・ウィーク)の真っ只中でありますが、今週はロースクールの演習もお休みということもありまして、以前からきちんと時間をとって勉強をしておこうと思っておりました本を熱心に読み進めております。

会計監査論(山浦久司 著 中央経済社)の第5版でありますが、粉飾決算における監査人(監査法人、公認会計士)の会社もしくは第三者への法的責任論を理解するにあたっては、まず(法律を離れて)会計監査の世界におけるリスクアプローチについて、きちんと理解をしておく必要があると考えております。監査手続におきましては理論よりも現場感覚を知りたいところでありますが、監査計画の策定に至るところまでは現時点における監査理論をぜひ知っておきたいと痛感する次第であります。会計士試験などでのベストセラーなのかどうかはまったく存じ上げませんが、企業会計審議会監査部会長だった方の著書ということで、もっともポピュラーな考え方によって書かれたものではないかと思い、本書を選択いたしました。リンク先の目次をお読みになるとおわかりのとおり、内容はとてもわかりやすく、会計専門職の方ではなくても、現時点における監査実務について、かなり飛躍的に理解が進むものと思われます。この本を読んで考えてみたいことは二つありまして、ひとつは「財務諸表監査における内部統制の検証と内部統制報告制度との関係」についてであり、もうひとつは「会計監査からみた監査役制度」についてであります。

詳細はまた関連エントリーのなかで追って述べることといたしますが、山浦先生が内部統制報告制度をどのようにみているか・・・、という会計監査論からみた内部統制報告制度への意見が掲載されておりまして、これが実に興味深いところがあります。(この「第5版」において、はじめて「内部統制監査」なる章が「四半期レビュー」と同時に設けられたんですね)とりわけ新しく始まる内部統制監査につきましては、①内部統制の評価範囲については経営者と監査人が「協議」することになっているのだから、保証業務というよりも、合意された手続(agreed-upon procedures)に近いものではないか、②ダイレクト・レポーティングが採用されていないことから、経営者の報告と監査人の意見にねじれ現象が発生して読者に混乱を生じることになるのではないか、③内部統制監査と財務諸表監査とが同一の監査人によって一体的に行われることとなるので、「自己監査」の事態に陥る可能性を有するのではないか、等の意見が述べられております。いずれにしても、企業側の経済的負担を低減する目的で、いくつかの制度が採用されたことからみて、その運用次第では「形骸化」の芽ともなりかねず、注意が必要とされております。 

ただ、財務諸表監査に伴う内部統制の検証のなかでは、あまり考えられてこなかった「全社的な内部統制の整備と運用状況の評価」や、「決算・財務報告の業務プロセスの評価」といったものが加わることについては大きな意義を認めておられるようですので、やはり内部統制報告制度においては、統制環境や財務・決算報告プロセスあたりの整備、運用評価がキモになってくることは間違いないと思われます。そもそも会計監査の専門の方々が中心となって内部統制報告制度を作ってこられたわけですから、今後の内部統制報告制度の行く末を検討するにあたっては、これまでの監査論発展の歴史を知ることも大切ですし、また財務諸表監査の本論と、内部統制報告制度では、どれだけ「異質」と受け取られているか、を知ることも重要な気がしております。

私的な関心としましては、内部統制報告制度が施行された後の粉飾決算事例における監査人の過失(法的評価としての)というものは、この新しい制度によって認められやすくなるのか、反対に認められにくくなるのか、といったところにあるのですが、まずこれを論じるにあたりましては、監査計画策定の前提条件となります虚偽表示リスクの評価と、内部統制監査制度とが、どのような関係に立つのか、そのあたりを法的評価を抜きにして常識的な意見による整理が必要になってくるものと考えております。そのうえで、法的評価を検討する際の論点としましては、①監査契約の目的論と内部統制報告制度(不正、誤謬の発見は、監査契約上では副次的な目的とされてきたいままでの判例理論は、内部統制報告制度によって変容を受けるか)②統制リスクに関する法的評価に内部統制報告制度はどのような影響を与えるか、③いわゆるクリーンハンド原則、過失相殺理論は、内部統制報告制度によって適用場面が変わるのか、④全社的内部統制の評価によって、監査人には信頼の抗弁が成り立つのか、といったところではないかと予想しております。(まだまだこのお話は続きます)

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