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2008年5月 7日 (水)

「会計士に対する行政処分」の民事責任への影響度

連休中は、前のエントリーでご紹介した本のほかに、粉飾決算に関する過去の判例(法律雑誌に登載されているもの)や、会計監査人の法的責任論に関する過去15年ほどの論文などをまとめて読んでおりました。監査法人ではありませんが、監査を担当した複数の会計士さん方に「従業員による不正行為」を発見できなかった監査ミスで3000万円の損害賠償命令が出された判決(凸版印刷労働組合事件 判例時報1826号97頁以下)なども、このたびはじめて全文を読んでみました。こういった判例や論文を読むなかで、一番関心をもったのが「被告側の主張」であります。いわゆる監査法人側の主張ということでして、会計の専門家の方々が、どうやって裁判所も含めた法律家集団に対して「監査とはこういうものですよ」といった主張を展開しているのだろうか・・・、というところに実務家としては関心が出てきます。もちろん被告側にも代理人がついていらっしゃいますので、争点は形成されているわけですが、うまく「法律上の争訟」として議論がかみあっているのかどうか、このあたりは一度専門家の方に検証をしていただきたいと思います。

私は医療過誤訴訟の医師側(病院側)代理人としてはかなり多くの経験がありますが、こういった粉飾決算事件の被告側主張は、医療過誤の医師側の主張に似ているところが多いように感じました。被告本人と被告側代理人との信頼関係を裁判中ずっと維持することにけっこう苦労するのであります(笑)。たとえば瀕死の交通事故で運び込まれた患者に対する医師の注意義務と、「あなたも40万円でこんなにヘンシーン!」みたいな過大(っぽい)携帯広告を掲載している美容クリニックの医師の注意義務とでは「かなりの差異がある」と考えるのが常識ではないでしょうか。(もちろん、裁判のうえでも美容クリニックの場合には、かなり医師側に厳しい法律構成がとられております。)しかしながら、分業体制が進んでいる医療業界の先生方にとっては、「なんで俺だけが責任おわなあかんねん」「なんで誠心誠意やったのにミスやていわれるねん」「あんたはなんぼ手術したって『青山テルマ』にはなれんよ、って念押しして説明したのに、それでも私に責任があるといわれるんでっか?」と憤慨されます。医療業界においては医師の注意義務に「重い、軽いはない」 (注)と認識されている方が多いようでして、医療と法律の「かみ合わない部分」で苦労することが多いわけです。そのあたりの苦労が会計士さんの責任問題にも同様に横たわっているのではないかと想像いたします。また「期待ギャップ」といわれるところも、法律の世界では影響するところがあるかもしれません。

(注)法律家の世界では「注意義務が重い、軽い」という用語は使用しません。

つい先日、当ブログでもご紹介したナナボシ粉飾決算事件判決(大阪地裁)でありますが、あの裁判の特長のひとつに行政処分が先行している(担当した監査に問題あり、とする金融庁の処分)場合に、その民事責任の過失認定にも影響があるのかどうか、という点がございます。現時点で詳細な検討は差し控えさせていただきますが、このナナボシ判決では、被告側(監査法人側)の主張がほぼそのまま認められ、行政処分は(公認会計士法の制度趣旨という行政目的の達成のために出されるものであり)、民事事件とは別個の法制度によって発令されるものであるから、行政処分を受けたことをもって直ちに被告の過失を推定する根拠とはならない、とされております。たしかに法制度が異なるわけですから「過失を推定する根拠」にはならないと思いますが、金融庁が平成18年に出した処分のなかで「問題がある」と指摘した箇所と、このたびのナナボシ判決のなかで裁判官が会計士の過失を基礎付ける事実として指摘している箇所はほとんど一緒(いずれも架空売上の実在性に関する監査手続。期間帰属の問題や回収可能性の問題とも考えられますが、おそらくいずれも実在性について最も重大な問題があるとしていることに間違いないと思われます)であります。法律上の「過失の推定」とまではいえなくとも、先行する行政処分が民事訴訟における注意義務の判断に何らかの影響を与えることは十分考えられるのではないでしょうか。ちなみに「過失が推定される」といいますのは、誤解をおそれずに言いますと「結果責任を問われる」ことに非常に近くなります(さきほどの医療過誤事件の例でいえば、美容整形の世界では、この「過失の推定」が働くとされる裁判官の判断もあるわけです)ので、さすがにここまでは言えないとは思いますが、裁判官が過失あり、と判断する資料のひとつにはなりうるだろうなあ・・・と。(まぁ、このあたりはいろいろと意見は分かれるところかもしれませんが)

改正公認会計士法が4月から施行され、懲罰的課徴金制度まで運用されるわけですが、監督官庁との関係悪化を回避するために今後も課徴金制度については争う機会というのはあまり増えることもないものと思われます。しかし、このブログで何度も申し上げておりますとおり、グレーゾーンは課徴金でバンバン処理する傾向にあるのが監視委員会の姿勢であり、また公認会計士・監査審査会の姿勢だと思われますので、このままでは先行する行政処分によって後から提起される民事訴訟(会社による訴訟、株主代表訴訟、株主による第三者訴訟など)におきまして、過失が事実上推定されてしまうような事態というのも考えられるのではないかと思われますが、いかがなもんでしょうか。内部統制報告制度をうまく理論武装につなげて、監査法人側で活用される道もあるかもしれませんね。

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コメント

>グレーゾーンは課徴金でバンバン処理する傾向にあるのが監視委員会の姿勢であり、また公認会計士・監査審査会の姿勢だと思われますので・・・

本当にそうなんでしょうか。
公認会計士・監査審査会の処分については、監査証明業務の適正さを確保する体制整備が監査法人側にも十分に行われていなかったこれまでの監査法人の在り方に対して厳しい対応をとったものではないかな、過渡期のものではないかな、と推察していたんですがどうでしょうか。もうこれ以上大規模監査法人はつぶせないですし、むしろその次の規模の中規模監査法人がきわめて少ないので、行政も今後の対応を考えていると思っています。19年改正法下で行政処分も多様化したので、これからのあり方は、変化していくだろう、注視していく必要があるだろうと考えています。

民事責任については、監査法人の側としても改正法下での有限責任を踏まえた対応がこれから見られるでしょうし、そうは言っても、監査法人の保守的対応の傾向は続くんでしょうね。

また、来年に向けて、過去の会計処理をめぐる(会社と監査法人との)議論や過年度決算修正がこれからまだまだ出てくるんではないか、と思われますがいかがでしょうか。

課徴金は、金商法と公認会計士法とで、構造が違うと思っています。後者は、4月施行でこれからですが、制度面では必要的ではないですし、故意の場合と相当の注意を欠いた場合とで区別するなどの特徴がありますし、そもそも虚偽監査証明の場面ですよね。刑事責任の議論は、協会が政治的にも何とか一旦は回避したのですが、きちんと対応しないと議論が再燃しかねません(監視委員会の建議が19年改正では反映されていない点で、今後の監視委員会の摘発状況は注視する必要があるかもしれません)。

なお、金商法についても、改正法が現在国会で審議中ですよね。また改めて議論するテーマかな、と思っており、今後の議論に期待しております。

投稿: 辰のお年ご | 2008年5月 7日 (水) 02時47分

おはようございます。いつも勉強させていただいております。

ナナボシの件は、監査に携わる者としてかなりショッキングな判決であり、どういったところが過失とされたのか注目しております。それよりも私がわからないのは、どうして粉飾を主導した会社から訴えられるのでしょうか?過失相殺ということだそうですが、そもそも過失の原因は会社が主導した粉飾によるものであり、過失すら認められないのではないのでしょうか。--株主代表訴訟による、というのであればわかるのですが--最近、同様の裁判で、会社からの訴えが棄却されたものもありますし、そのあたりも会計士にはよくわからないところです。今後ともどうかよろしくお願いいたします。

投稿: 烏帽子岩 | 2008年5月 7日 (水) 09時37分

>辰のお年ごさん

冷静な分析どうもありがとうございます。
私自身もあまりセンセーショナルな話題として取り上げるのではなく、今後の内部統制報告制度の行方とともに議論をしたいテーマでありますが、いわゆる「経営者不正」にからむ粉飾が増加する傾向であれば、この問題はこれからも訴訟へ持ち込まれるだろうな、と予想しております。監査という仕事の認知度が高まったがゆえに、その「期待ギャップ」リスクも増えてくると思いますね。
課徴金に関するご意見は、なるほどそうですね。勉強になりました。

>烏帽子岩さん
はじめまして。
ご指摘のとおり、問題もあろうかとは思いますが、法律のうえでは旧経営者と管財人とは立場が違いますので、そのあたりでクリーンハンズ原則は適用されなかったと思います。(でもそうなると、過失相殺も別個の論点になるかもしれませんが、この判決では認めていますね)
株主の利益に資するのであれば、現取締役らによって監査法人の責任を追及することも、善管注意義務の履行のひとつと思いますし、このあたりは事例ごとに検討されるべき問題であると私は認識しています。

投稿: toshi | 2008年5月 7日 (水) 14時33分

山口先生
いつも迅速な回答ありがとうございます。
公認会計士・監査法人の責任の問題を考えるうえで、個人的には監査役がきちんと仕事をしていたかどうか、も重要なポイントとして検討されるべきと考えています。虚偽監査証明が問題となる事例では、監査役会も会計監査の方法・結果について、きちんとチェックしていたか、疑問とされるべき事例もあるでしょうし、このあたりが機能していたかをもう少し厳密に精査することがあってもいいのではないかな、と。(あくまで抽象論で、具体的事例は想定していません、念のため)

いずれかの立場の人の肩を持つものではないですが、粉飾などの場合にマスコミ的にはすぐに監査法人の責任の議論が出てきがちですが、二重責任の原則をしっかりと理解しこれを前提としたうえで議論がなされる必要もあるでしょう。会社側のガバナンスがどうであったのか、は本当はもっと深刻な問題であるかもしれません。

金商法上は、開示書類の虚偽記載等にかかる課徴金の方は提出会社が名宛人ですが、仮にこれが役員(取締役、監査役)個人も対象となる規定であったと仮定すると、どういう事態になっていただろうか、などと考えてしまったりもします。法務省と金融庁の縄張りの議論にもなりそうであり、また各種団体から猛反発があるから誰もあえて言い出さないのかもしれませんが、立法論を検討する際には、選択肢として考えたうえで、法制の在り方の決定があってもいいかな、と。感情論抜きに冷静に議論するのは難しそうなテーマですが。

投稿: 辰のお年ご | 2008年5月 8日 (木) 02時47分

>辰のお年ごさん

会計監査論と内部統制報告制度のエントリーのなかで、今後検討すべき点として4つほど掲示しておりますが、それとからめて、次のエントリーのテーマとして考えていたところを先に問題提起されてしまいました(笑)
具体的には全社的内部統制の評価、監査にまつわる会計監査人と監査役との関係でありますが、監査役の地位強化、社会的期待度の増加を認めるのであれば、それにともなう正当な責任のあり方も検討する必要はある、と考えております。(ただ、私の立ち位置をどこに置くべきか・・・、これはまだ逡巡しておりますが)

投稿: toshi | 2008年5月 9日 (金) 02時25分

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