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2008年6月 6日 (金)

「不作為の過失」と経営者の刑事責任(JR西日本事故)

経済刑法の分野におきまして、最近の傾向は「各論」ではインサイダー取引と有報虚偽記載罪、そして「総論」ではなんといっても「不作為の過失」ではないでしょうか。昨年1月29日のエントリー「企業の不作為と刑事犯罪の成立」におきまして、パロマ社へ強制捜査が行われたことをとりあげました。その後、昨年(2007年)12月中旬に元社長さんが業務上過失致死罪で起訴され、現在は起訴事実を全面的に争っているようであります。(過去のニュース記事からの情報ですので、もし間違いがございましたらご指摘ください)当時、経営トップが「不作為の過失」によって立件される・・・というのは意外に思っておりましたところ、本日の日経新聞や読売新聞夕刊一面記事でJR尼崎脱線事故に関して、JR西日本の役員らが業務上過失致死容疑で書類送検される見込みであるとのことで、ふたたび「役員の不作為による過失」が問題になっているそうであります。今年に入って被害者(ご遺族)らより告訴がなされたようですので、告訴手続の中での捜査機関の判断だったようです。

昨年の上記エントリーですでに述べたとおり、「作為による過失行為」と同程度に評価しうる「不作為」(つまり何もしない、とか放置していた、なる概念です)に過失が認められるといいますのは、被害の予見可能性があり、また被害発生の回避義務が現実化していたにもかかわらず、これを怠ったことであります。したがって不作為による過失で刑事処分を受けるのは「現場に近い責任者」くらいまでが(刑事処罰の対象としての)射程範囲ではないかと思っておりました。しかしパロマ事件といい、このJR西日本の尼崎事故の件といい、捜査機関はこの「不作為による過失」によって、経営陣にまで刑事事件に問えるといった判断を下している模様です。私自身、パロマ事件やJR西日本事件など、個別の事件に関する検察や警察の具体的な対応につきましては、とやかく言える立場ではございませんが、この「役員クラスに対する刑事事件の立件に『不作為の過失』を活用すること」が慣例化していることについては一般の企業にとっても重大に受け止めるべきリスクが増えたものと理解しております。この点、昨年の上記エントリーへのコメントのなかで、監査役サポーターさんが、

不作為の業過で、トップを捕まえられるのでしょうか? 作為犯の場合でも同様でしょうが、一般に企業犯罪と呼ばれるような事件を刑法犯である業過で立件しようとしても、せいぜい担当の部長、取締役レベルどまりで、社長・会長まではいかないような印象があります。余程の小規模・閉鎖的かつワンマンの会社(内部統制の必要性がないほどに、トップが会社全体を見渡せる規模の会社)ならいざ知らず、通常規模の会社で、社長・会長にそこまでの注意義務を認定するのは難しいのではないか思います。P社は確かに非上場・同族会社とされていますが、それほどの規模ではないと思います。それとも、3ヶ月に1回の取締役会さえ開催されていない、なんていう例示は、この会社がことほど左様に小規模・閉鎖的なワンマン会社であるとと強調したいのでしょうか(警察は)?

と疑問を呈しておられまして、これに対して私も、

私も同感であります。不作為犯でトップまでいきつくのはかなり困難を伴うことになろうかと思います。ただ間接正犯(もしくは道具理論)のような考え方をとるのかもしれません。たとえば、役員会での議論とか、トップの担当者に対する具体的指示などから、不作為犯の注意義務(作為義務)が課されるべき担当者と同程度の作為義務が発生していた、といったような感覚でしょうか。
そもそも、作為犯におきましても、共謀共同正犯や間接正犯といった実行行為概念は、相当に規範的なものでありますから、不作為犯の注意義務違反もしくは作為義務違反といった実行行為性につきましても、かなり規範的概念を用いる必要があると考えます。

と回答しておりました。たしかにパロマ社は閉鎖会社であり、取締役会もきちんと開催されていなかった、との報道もありましたので、そのワンマン経営者たる性格から、まだ「経営トップの指示」が「作為による過失」と認定される場合がある、と割り切ることができそうであります。しかしながら、ご承知のとおりJR西日本社は上場企業であり、しかも超大型の企業であります。内部統制もしっかりしていると思われる大企業の(経営トップではございませんが)経営陣に「不作為による過失」をどういった理屈で認めるのだろうか・・・と思って件の日経記事を読み進めておりますと、

カーブ変更の直前には、北海道のJR函館線の半径300メートルカーブで速度超過による脱線事故が発生。JR西日本でも97年3月の社内会議で事故が報告されたが、新たな安全対策はとらず、福知山線への新型ATS設置は事故後の2005年6月までずれこんだ。(ここにいう「カーブ変更」というのは、もともとは半径600メートルカーブだったものを、JR東西線開通に合わせて、半径300メートルカーブに変更したことを指しています-管理人による注)

とあり、やはり会議での議事内容が、(担当役員に)過失を裏付ける予見可能性があったことの証拠として検討されているところのようであります。この会議が取締役会なのか、経営会議なのかは不明でありますが、内部統制システムがしっかり整備、運用される企業におきましては、当該企業における適正なリスクの評価とその管理が社内会議で議論され、またその内容はしっかりと議事録で残されるわけであります。したがいまして、きちんとした内部統制が整備運用されている企業ほど、将来的には「不作為の過失」が立件されやすくなるわけで、とりわけ消費者と直結している企業ほど、不作為による過失が立件されるリスクなるものをキモに命じておく必要があるものと考えております。もちろん、パロマ事件も、JR西日本の脱線事故も、たいへん痛ましい被害を与えたことから、その会社の役員の刑事責任が問われているわけですし、今後あやゆる企業の事件について「不作為の過失」が問われるものでもないと思います。ただ、社会に重大な影響を与える事件かどうかは、その被害の大きさだけでなく、マスコミなどに採り上げられて話題になってしまったようなケースも認められそうですので、一般企業の役員の方々も、「私には関係ないこと」では済ませられない問題が存在するものと認識しております。

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コメント

お読みになられたかもしれませんが、この事故の遺族や被害者の方々の「4・25ネットワーク」が5月の初めだったでしょうか、とても勉強された公開質問状を出しています。事故調の報告書を踏まえて、さらに技術的な疑問を質しているのですが、真摯に事故原因を解明することが再発防止につながると考えていることが分かります。この中でも新型ATSの設置順位は経営判断で決めていたことが窺えます。質問状では危険度の高い路線への新型ATS導入が何故遅くなったのかを解明するために、取締役会や社内会議の議事録の開示も要求していたように覚えています。
導入しなかったことは経営判断であり、これが事故原因に関係すると捜査機関が判断したことも当然と思います。とてもトカゲの尻尾では説明がつかないケースではないでしょうか。

投稿: TETU | 2008年6月 6日 (金) 15時23分

情報どうもありがとうございました。(内容は存じ上げませんでした)
そこで議事録の開示要求があったのですね。たんに捜査機関の判断だけではなく、告訴を前提とした被害者の方々の力によるところが大きかったんですね。いずれにしましても、二度と同じ事故を繰り返さないための真摯な取組ということであれば、本当に頭が下がる思いです。企業法務に関する司法判断が出るときは、そこに経済的合理性を超える当事者方の執念がかならずありますが、本件でもそういった点を痛感いたします。
とりあえず、冷静に今後の展開を注視させていただこうかと思っています。

投稿: toshi | 2008年6月 6日 (金) 16時43分

数年前、オーストリアのケーブルカー火災事故で、
日本の学生を含む大勢の人間が亡くなったことがありましたが、
結局刑事裁判では関係者は全員無罪でした。納得できない遺族はNYで
訴訟を起こしたりもしましたがそれはやはり無理があったようです。
この判決が確定して以後、私は正直この国にあまりよい感情を抱けなく
なりました。

誰かを悪者にすればいいというものではありませんし、
いたずらに刑務所に収監される人間を増やせばいいということではないと
思いますが、それでも「人間の命と責任」が蔑ろにされることは
憤怒にたえません。

福知山線の事故だけを捉えるのではなく、その14年前に起こった信楽
高原鉄道事故での苦い経験を生かせなかったということも含めて、
冷静な法的措置がなされるべきだと存じます。

関西生まれの人間にとって、この事故は日航機事故、阪神大震災と並んで
忘れられない出来事となってしまいました。

いいことがさっぱりないですな、関西は…。

投稿: 機野 | 2008年6月 9日 (月) 11時01分

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