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2008年7月19日 (土)

「公正なる会計慣行」と長銀事件(その7・無罪逆転判決)

皆様ご承知のとおり、7月18日長銀事件(証券取引法違反、商法違反被告事件)の上告審判決が最高裁で出ましたね。過日、最高裁で口頭弁論が開かれましたので、予想どおり被告3名について無罪判決、つまり原審破棄自判の結果となっています。(なお、RCCが上告人である民事事件の上告についても棄却されたそうですので、約60名の長銀株主らによる損害賠償請求控訴事件以外は、ほぼ終結したようですね。なお株主集団訴訟のほうは、当時の監査人であった新日本有限責任監査法人も被告になっていますね)

とりあえず、さきほど最高裁のHPにて、判決全文を読んでみました。書きたいことは山ほどありますが、とてもブログという媒体では書ききれないので、読んだ感想(第一印象)だけに簡単に触れておきたいと思います。もしご関心をお持ちの方は、当最高裁判決と刑事原審判決(東京高裁平成17年6月21日 判例時報1912号135頁以下)および、当最高裁判決と民事第一審判決(東京地裁平成17年5月19日 判例時報1900号3頁以下)を対比しながら検討されることをお勧めいたします。

まず第一印象としましては、原審の東京高裁判決と比較して、この最高裁判決は、あくまでもこの長銀の粉飾事件という限られた事案の処理にかぎっての判断を示している ということであります。各被告の弁護人らの上告理由を「いずれも上告の理由にあたらない」と排斥したうえで、刑事訴訟法411条を用いて職権調査のうえで「このまま確定させてしまっては著しく正義に反する」として有罪→無罪の判断に至っております。新しい会計指針(資産査定通達+会計士協会の実務指針)が当時の世において「公正なる会計慣行」であったかどうか、といった一般的な議論をするのではなく、当時の長銀という特定の会社において、いったい公正なる会計慣行は何だったのか?という議論をしています。(ここが大きく原審と異なるポイントですね)

そもそも平成9年から10年当時、新しい会計指針が一般的抽象的に(どこの銀行にも通用するような)「公正なる会計慣行」になっていたかどうか?というところから議論を始めますと、原審のように「公正なる会計慣行が併存することなどありえない」とか、「唯一の会計慣行といえるための要件」とか「会計慣行と罪刑法定主義の関係」について議論することになりますが、最高裁はそういった議論はほとんど回避しています。

「そのようなことをいちいち議論しなくてもいいではないか。この長銀という銀行の会計処理方針をじっくりと眺めてみて、その当時に長銀という企業に妥当していた「公正な会計慣行」を探ればいいではないか。もし個別の会計処理が、長銀に妥当していた公正な会計慣行に反していればルール違反を問えばいいではないか」

といった姿勢ではないでしょうか。だからこそ、最高裁判決が職権調査によって掲示している事実を読みますと、新しい会計指針の制定経過を丹念に分析し、定量的な判断基準に乏しい当該会計指針を長銀という個別の銀行がどう受け止めていったか、という流れが克明に記されていることがわかります。

最高裁は徹底して「公正なる会計慣行は『法律』ではない」という視点ですね。原審のように個別の企業の事情とは区別して平成10年当時の新しい会計指針の「会計慣行」性について論じるのであれば、それは「法と同視する」姿勢であり、また通達によって会計慣行が変わることと罪刑法定主義との関係を論じるのも、まさに「法と同視する」姿勢のあらわれですよね。そういった姿勢を一切示していないところに最高裁の「こだわり」を感じました。まさに個々の会社にとっての「一般に公正妥当と認められる企業会計の慣行」の内容を最終的に決定するのは裁判所の役割であり(江頭「株式会社法」第二版566ページ)、とくに会計慣行はその企業にとって「唯一」ではなくても、ほかに会計慣行があっても問題ない、といった考え方に立脚しているようです。こういった発想は、企業会計基準委員会の開発する会計基準については、ほとんどの上場企業が財務会計基準機構に加入しているわけですから、これを法的強制力があると一般的に考えることともなんら矛盾することはないのでしょうね。(会社法との関係ではそこまでは言えませんので、とりあえず会計慣行と推定される、ということになるのでしょうね)

こういった考え方からしますと、長銀事件では無罪判決が出たからといって、日債銀事件のほうでも同様の判決が出るかどうかはわかりませんよね。要は当時の税法基準と、新しい資産査定通達基準とを、日債銀はどう受け止めていたのか、という事案の内容によって、当時の日債銀に通用していた「公正なる会計慣行」がなんだったのかが、検討されることになるのでしょうね。(まぁ、実際には結論が変わる、ということはないと思われますが)とりあえず、第一印象はこのへんで。また(その8)で続きを書きたいと思っています。(ひさしぶりに読者の方々を無視してマニアックなエントリーに走ってしまいました。。。)

話がちょっと横道にそれますが、この最高裁判決で補足意見を述べておられる元検事の方ですが(補足意見を述べた真意がどこにあったのかは置いといて)、好きな作家が塩野七生さんと柳田邦男さんということで、私とまったく一緒なんです。世評がどうかは別として、私はこの方の裁判はとても気になっております。それと、長銀事件の被告人のおひとりについては刑事事件も民事事件も、現在最高裁判事になっておられる元弁護士の方が(弁護人および代理人として)ついておられたんですね(もちろん最高裁判事に任官されるまで)。やっぱり最高裁判事になられても、事件の帰趨は気にはなるでしょうね。こういった場合、もし憲法違反が議論されて大法廷が組まれる場合、元弁護人である裁判官は審理を忌避して14名の裁判官で構成されるのでしょうかね?

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コメント

「著しく正義に反する」上告事件をことごとく排斥している最高裁が、自判した狙いは何だったのでしょうか。近時行政若しくはそれに類したところが出す指針、ガイドライン等が法類似効果を事実上持ち、さらに行政罰が拡大しているように感じます。3権集中にもつながるこうした流れへの歯止め効果を射程に入れているのでしょうか。
政治的な効果を考えずに判断するとは思えず、この判決から心理的影響はでてくるのでしょうか。

投稿: TETU | 2008年7月19日 (土) 14時54分

公正なる会計慣行とは、
その企業にとっての慣行なのでしょうか。
世間一般における慣行ではないでしょうか。

投稿: itpp | 2008年7月19日 (土) 23時55分

マスコミが誤報しそのせいで人の命が危険に冒されるようなことが
あったとしても、新聞社の社主・社長が逮捕され刑務所に入るような
ことは少なくとも現代日本ではありません。

(但し、先だっての『家政婦は見た!ファイナル』でモデル(ネタ)と
 して使われていた 西山事件(密約事件)がいわばそういう実例だと
 言えるのかもしれません。この場合はどうやら誤報ではなく、国家の
 陰謀によって一人の記者が葬られ一つの新聞社が経営危機に陥った
 わけですが)

ですので、マスコミは刑事罰を受ける経営者や官僚、政治家がいない
ことを「おかしい」などと安直に述べるべきではありません。
それともマスコミだけは別だというのでしょうか。

倒産した会社の経営者が地位を失うことによってその責任を負うことは
当然ですが、金銭を着服したわけでもないのに自分の財産どころか
身柄を拘束され裁判所に入れられるというのは間尺に合いません。
極めて限定的に判断されるべきだということでしょう。

ありていに言って、経営者の責任を刑事的に取らせやすくするために
金融商品取引法は作られ施行されたわけですが、
「実施基準」なる「極めて抽象的で任意性の高い、しかもそもそも
オーソライズされたものかどうかさえ疑わしい」文言によって、
経営者や企業が「処刑」されることはありえないと
最高裁が言っているように私には聞こえてなりません。

投稿: 機野 | 2008年7月20日 (日) 01時18分

中小企業の場合、長年にわたってその企業独特の会計慣行というものがありますから、これも合理性があるかぎりは「一般に公正妥当と認められる会計慣行」にあたるんでしょうね。別にこれを否定する理由はないし。

投稿: unknown1 | 2008年7月20日 (日) 01時57分

事案について通じているものではないのですが、「定性的」か「定量的」かについて何度も繰り返し論じている点について、気にかかりました。あたかも刑罰の発動は、定量的な基準・規範がないといけないのではないか、という理解(誤解?)を生まないか、と。
rule based accounting であればいいけれども、Principle based accounting を志向した場合には刑罰適用が難しくなるのでしょうか。実態と大きくかけ離れることを十分認識していたとしても、「定量的」でないとして、罰則が適用されないという結果を惹起しかねない判決のようにも読めます。あくまで第一印象のコメントなので、もう少し考えてみたい点ですが。
私見では、157条の活用できる実務がまた遠のいたのではないか、ガチガチの形式主義に固執しなければならないと内閣法制局がいうのではないかと心配になります。

投稿: 辰のお年ご | 2008年7月20日 (日) 06時41分

公正なる会計慣行の内容の他、斟酌規定であったことは影響しなかったんでしょうか。現行の会社法は、「従う」規定になったわけで、旧商法と違いが出てくるでしょうか。

>ほとんどの上場企業が財務会計基準機構に加入しているわけですから、>これを法的強制力があると一般的に考えること

財務会計基準機構が会計基準を発表する都度、金融庁はこの基準が「一般に公正妥当と認められる企業会計の基準」である旨の通達を出しており、これにより「財務諸表等規則」1条2項と同様に法的強制力があると考えるのが妥当と思われます。この会計基準が、金商法に限られることも明示されています。

会社法では、会計監査人設置会社についての監査実務では、金商法と同様の会計基準が適用されており、会計慣行といえるのではないでしょうか。ただ、将来的には国際会計基準のアダプションとなるかもしれませんね。

投稿: 迷える会計士 | 2008年7月20日 (日) 19時09分

誤解のないように申し上げますが、個々の会社に適用される会計慣行を探す・・・といいましても、手前勝手な会計処理を許容するわけではありません。(おそらくそれであれば「公正妥当」なものとはいえないはずであります)世間に通用する会計処理方法というものは、かならずしも唯一のものではなくて、ほかにもある・・・というのであれば、その会社にとってどのような方法が慣行として認められるのか、それを裁判所が事実分析によって探し出す、という手法は認められるのではないか、ということであります。したがって、別の銀行には同時期であっても、前に適用されていた会計手法は「会計慣行」とは認められず、あたらしい資産査定通達による基準だけが唯一の会計慣行だった、という結論もありうる、ということです。

なお、本来ならば会計慣行自体がはたして「公正妥当」といえるものなのかどうか、という点も裁判所が判断すべき問題だと思っています。ただ、実際には企業会計基準委員会が、パブコメを募って開発した基準について、その「公正性」を議論するだけの裁判所の判断能力があるのかどうかということもあり、そこまで議論されないのでしょうね。

投稿: toshi | 2008年7月21日 (月) 19時02分

やはり刑事、民事の判断に齟齬が生じ、最高裁としての統一見解を示す必要があったということで、破棄自判としたものと理解しています。「判例違反」が(適法な)上告理由とされていますが、それに似た場面として、民事と刑事の判例が異なる状況を回避した、ということでしょうか。>TETUさん

辰のお年ごさんのご指摘については、やはり証券取引分野における刑事裁判の在り方として、今後の大きな課題だと認識しています。バスケット条項の適用について消極的な方向に行くかもしれません。同時に、ますます課徴金制度の運用に傾斜していくのではないか、という懸念も生じるところです。(ただ、そうなりますと、極端に係争事案が少なくなって、それはそえで弊害が生じるようにも思いますね)

投稿: toshi | 2008年7月21日 (月) 19時16分

詳しく判らないのですが、要するに一般株主も
会社が発表したのは、全てどの基準でなされた
かを知らないといけない、また、その慣行が
企業の多数で行われているかどうかまで詳しく
知らないといけないということなのでしょうか。

結局、剰余金が無いのに配当したという事実は
無かったというに等しいのではないのでしょうか。

拓銀の場合とどう違うのでしょうか?
どなたか、素人にもわかるように教えていただ
けませんか。


投稿: ご苦労さん | 2008年7月23日 (水) 13時46分

ときどき会計監査をしておりますが、会計理論にさほど詳しいわけではなく、また、法律も勉強途上なので、トンチンカンな意見でしたらお許しください。
最高裁の判決しか読んでおりませんが、資産査定通達等や監査委員会報告のルール性(これが法と同じレベルかどうかわかりませんが)一般を否定した訳ではなく、新ルールの内容が曖昧で、現にそれに従っていないものも多い場合には、旧ルールに従うことも許されるといったことをいっているだけではないでしょうか。
明確な新ルールがでれば(定量的まで要求すると、補足意見や辰のお年ごさんの問題意識に対応できないと思います)、当然、それに従うというのが公開会社や会計監査の現場での対応だと思いますが、これは、法律的にはおかしいのでしょうか。

投稿: ロックンロールCPA | 2008年8月31日 (日) 17時29分

ロックンロールCPAさん、コメントありがとうございます。

違法配当の有無や、虚偽記載の有無を判断するためのルールである以上は、法と同視できるかどうかは別として、やっぱり「どういった要件が満たされればルールたりうるか?」といった議論は必要ですね。

たとえば「新ルールに従っていない銀行も多かった」という事実は、「慣行といえるかどうか」という要件を基礎付ける根拠のひとつにはなるかもしれませんが、「新ルールに従っていない銀行が多かった」ということ自体から「ルールがなかった」ことや「旧ルールに従うことが許容される」ことにダイレクトにはつながらないと思います。エントリーでも述べましたが、この事件の原審や地裁判決では、公正なる会計「慣行」とは何か、「唯一の」会計慣行といえるための要件は?といったあたりが中心論点として議論されてきましたので、これまでの議論に対して最高裁はどのように回答したのか、とう点を検討することも重要ではないかと思っています。

またとりわけ、公正なる会計慣行が「唯一」のものでない、ということが明らかになったことも重要かと思います。(ご質問への回答はこちらの方が近いかと)たしかに新ルールが明確なものであれば旧ルールを排除する趣旨である、とも考えられそうですが、そもそもルールにも幅があることは当然でしょうし、どこまでをひとつの「ルール」とみるか、といったこととも関係しそうですので、少なくとも「会計慣行の唯一性」を最高裁が採用しなかったことは今後の経済事件にも影響を与えるものではないかと考えています。
これも高裁判決と対比してみるとわかると思います。刑事事件については検察側が「違法配当」を立証するわけですから、この「唯一性」が崩れることは検察にとってかなりしんどいことになると思いますし、ここは私も今後の運用における課題だと思いますね。

投稿: toshi | 2008年9月 2日 (火) 16時17分

toshi様
早々にお返事をいただき、ありがとうございました。
おっしゃる通り、会計基準、会計慣行の法規範性?は重要で、また、おもしろい論点だと思います。
ただ、今回の最高裁判決は、本文で書いておられる通り、それらの議論をほとんどしていません。しかし、むしろ、改正後の決算経理基準等のなんらかの規範性を暗黙の前提としたうえで、関連ノンバンクに関する部分に限って内容の曖昧さをついているような気がします。
補足意見が、判決の内容と、まっとうな会計士の問題意識の双方をうまく要約していると思いました。

投稿: ロックンロールCPA | 2008年9月 3日 (水) 01時49分

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