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2008年8月11日 (月)

司法に経済犯罪は裁けるか-細野祐二氏の新刊

Sihouha002 当ブログへお越しの方々はご存じ「公認会計士VS特捜検察」、「法廷会計学VS粉飾決算」などのベストセラー書をお書きになっておられる細野祐二氏の新刊書を拝読させていただきました。司法に経済犯罪は裁けるか(細野祐二著 講談社1600円税別)

内容的には、代表作である「特捜検察VS・・・」で著者が記述したところと若干重複する部分もあります。しかしながら、キャッツ事件で粉飾決算の被告人として係争中であり、190日間の勾留期間を経てなお一貫して無罪を主張しておられる方であることや、控訴審判決が下された直後に奥様を御病気で失くしておられることなどを含めて、経済犯罪を裁く「司法制度」の現状に対して強い憤りをおぼえ、その構造変革を強く主張している姿には、かなり大きな衝撃を受けるものであります。また、私のように前作である「法廷会計学VS粉飾決算」を、フォレンジックのための財務分析の教科書として何度も読み返す者にとりましては、細野氏の財務分析手法を学ぶためにも、この新刊書は参考書として貴重なものであります。(とくに第3章と第4章)ただ、この本を、この時期に出版することにはほんのすこしばかり疑問を抱くところであります。

そのひとつめは、つい先日、最高裁が長銀粉飾事件において被告人らに対して逆転無罪判決を言い渡しました。あの事件は、「公正なる会計慣行とは何か?」を争点として粉飾決算の有無を問う、まさに代表的な「経済犯罪」であります。以前にも書きましたが、長銀事件の5人の最高裁判事は、弁護人らによる上告理由については「理由にはあたらない」と排斥しながらも、このまま被告人らに有罪判決を確定させてしまっては、著しく正義に反するとして、逆転無罪判決を言い渡したものであります。細野氏は、この著書のなかで、検察だけでなく、裁判官に対しても「社会常識を持ちえないエリート」としてご批判をされておりますが、ではこの長銀粉飾事件に対する最高裁の判断についてはどう受け止めておられるのでしょうか?私自身も、「特捜検察VS公認会計士」を読ませていただき、地裁判決の根拠となった細野氏のアリバイが崩れ去った後にもなお、有罪判断を下した高裁判決には疑問を呈するところではありますが、「検察一体の原則」が存在する検察庁とは違い、「裁判官の独立性」は憲法で保障されているものでありますから、「とかく裁判所というものは・・・」なる批判はあまり説得力がないものと考えております。(もちろん、個々の裁判官に対する批判ということであればそれなりに説得力はあると思いますが)したがいまして、私は(どのような結論に至ろうとも)、細野氏自身の最高裁上告審の確定を待って本書をお出しになったほうがよかったのではないか・・・と感じるところであります。

そしてもうひとつは、細野氏が批判されている「司法に経済犯罪は裁けるか」というご疑問でありますが、それでは、「行政は経済犯罪を裁けるのか」という疑問であります。私は司法と同様に検討されるべきは「行政に経済犯罪が裁けるか」ということだと思っております。ご承知のとおり、インサイダー取引にせよ、有価証券虚偽記載にせよ、平成17年以降、課徴金制度が導入され、またこのたびの金融商品取引法の改正ではその課徴金の金額も上乗せされております。また、最近の証券取引等監視委員会の幹部の方の講演でも、今後ますます経済事件については個人に対しても、法人に対しても課徴金制度の活用によって臨むことが明言されております。細野氏ご自身の苦しいご体験から、経済事件の適正な処理能力が不足している司法制度を御批判される点は当然だとは思いますが、それでは「行政はどうなのか?」ということについては疑問を抱かざるをえません。たしかに強制捜査や刑罰のない「課徴金」制度と刑事訴追事件とは、その対象となった個人や法人へのインパクトの度合に違いはありますが、対象者が社会的制裁を受けるという点においては変わりはありません。司法制度を支える我々も、細野氏のご指摘を真摯に受け止める必要があることは当然でありますが、では経済事件に制裁を加える行政はどうなのか?司法と同じく会計制度や財務分析を学ぶ必要が高いのではないか?などと、私は考えるところであります。

それにしましても、第3章で記述されている検察官の会計知識が事実であるとするならば、本当に驚愕であります。少なくとも、すこしばかり会計制度に関心があるにすぎない私ですら、そこに説明されていることは「会計のイロハ」と認識しており、このような理解不足が実際のところであるとは信じがたいところであります。(たしかライブドア事件で監査人の取り調べを担当していたのは、公認会計士試験に合格している検察官だった、と記憶しておりますが、そういった検察官がキャッツ事件を担当しておられなかったのでしょうか?)なお、司法制度が会計制度を理解するための「社会的インフラ」作りが必要であるといった趣旨には私も賛同いたしますが、細野氏が提案されている具体策につきましては、私が考えるインフラとは少し異なるものがありますので、そのあたりはまた別の機会に検討してみたいと考えております。

8月 11, 2008 本のご紹介 |

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司法に経済犯罪は裁けるか 『公認会計士vs特捜検察』の細野祐二公認会計士による3作目、 『司法は経済犯罪を裁けるか』が講談社より出版されました。 『公認会計士vs特捜検察』(体験談)、『法廷会計学vs粉飾決算』(理論)に次いで、今回の『司法は経済犯罪....... [続きを読む]

受信: 2008年8月11日 (月) 22時07分

コメント

こんばんわ。はじめまして。

公認会計士試験に合格している人であっても、実務経験がなければ、
監査についての知識は、素人とたいして変わらないですよ。

最低5年程度の監査実務経験がなければ、会計士試験に合格している検察官
であっても、監査については何も分からないでしょうね。

投稿: とおりすがり | 2008年8月16日 (土) 02時07分

ご意見ありがとうございます。そうですか・・・、最低5年ほどの実務経験がなければ「監査はなにもわかっていない」と言われてしまいますでしょうか。。。やっぱり厳しいなァ。

では、一般に公正妥当な会計慣行といわれる「公正性」の中身については、どうでしょうか?あれは企業会計基準委員会が一般には判断するところですよね。なにが「公正」なのか、委員のなかで意見の一致は常に認められるところなんでしょうか?
意見の一致が認められないということは、えらい会計士さんのなかにも、会計制度がわかっている人とわかっていない人がいることを物語っているように思うのですが。

投稿: toshi | 2008年8月17日 (日) 23時09分

監査実務を経験する以外に監査を知る方法がほぼありませんから、そういうことになってしまうと思います。会計士の意見形成プロセスが公表されているわけでもありませんし。プロフェッショナルと呼ばれる職業はみんなそうではないのかなと思います。
監査の場合、個人差はありますが、フルタイムで7~8年くらい経験しますと、検証手続を行なわなくても、会社の財務諸表や諸資料をざっと見ただけで、大きな問題は発見できるようになります。「ここでこんな数字が出るわけがない。」とか、「自分がイメージしてたのとかなり異なる。」とか、「何かがおかしい。」といった感じで。もちろん、どんなときも、証拠の論理的な積み上げと調書の作成は行ないますが。このあたりまで到達してはじめて、「ひととおり出来る」ということになるのかな、と思います。

会計基準設定機関内での意見の不一致については、複数の人間が集まれば、意見が異なるのは普通のことだと思いますが。
え?そういう趣旨じゃない?すいません、ご質問がよくわかりません。

投稿: とおりすがり | 2008年8月24日 (日) 16時25分

一般人よりも相当程度、会計や監査に造詣が深いと思われる当ブログ管理人でも、会計に関する理解がこの程度なのかと思うと残念でなりません。事実としての取引に対し「一般に公正妥当」であるとされる会計処理の中から、最もよく事実を表す処理方法を適用するのは、現場の実務者であり、委員会のメンバーでもなければ、金融庁の財務官僚でもないのです。ルールの適用及び解釈は、こと会計基準だけの話ではなく、法律も同様ではないかと思うのですがいかがでしょう。

投稿: こばんざめ | 2008年9月13日 (土) 23時40分

こばんざめさん、ご意見どうもありがとうございます。(私は会計についての造詣は深くないですよ。)

むしろ こばんざめさん は他のコメント内容から拝察して会計に関する造詣が深いものとお見受けしました。会計基準と法律の適用、解釈の関係はたいへん難しいと思います。
ただ、同じかどうかと聞かれますと、まずどちらの解釈も「違法かどうか」に関わるルールですから、その法源としての正当性が問題になりますね。そこで「会計基準」は何をもって正当性があると理解するのでしょうか。これは私が会計に造詣の深い方にお聞きしたいところであります。現場の実務者が選択する会計基準の適法性(つまり違法配当などにはならない、ということ)はどこから発生するのか、という点であります。ここに意見の食い違いがありますと、「同様」かどうかの判断には至らないと思います。

投稿: toshi | 2008年9月16日 (火) 02時27分

> その法源としての正当性が問題になりますね。そこで「会計基準」は何をもっ
> て正当性があると理解するのでしょうか。現場の実務者が選択する会計基準の
> 適法性(つまり違法配当などにはならない、ということ)はどこから発生する
> のか、という点であります。


いきなり核心を衝いたご質問ですね。。。

誤解を恐れず私見を申しますと、会計処理の正当性は、利害調整にあると思っています。

会計とは事実の表現です。事実は一つしかないのですが、その表現方法はいろいろあります。その意味で、会計処理の選択は、経営者の主張(アサーション)です。
その一方、その会計処理の結果を利用する人がいて、その人にも主張があります。
通常、この2者の利害は対立しているので、どこかで折り合いをつけなければなりませんが、結局、2者の「折り合いがつく」ような会計処理が選択されることになりましょう。これが、会計の利害調整機能といわれるものです。

(この点、私の知り合いの会計士が、「守銭奴と守銭奴の主張がぶつかったところに仲裁に入るのが、我々の仕事だ」と言っていたことが、未だに忘れられません。)

これを、管理者様が例として挙げておられます「配当」にあてはめますと、ここで登場するのは株主(=経営者)と債権者ということになるでしょう。現在、会社法上の配当可能額が、両者の「折り合いがつく」境界線であると考えられた結果による法整備なのだろうと思われます。
しかし、厳密に言えば、いくらまでなら配当を支払ってよいか、という命題は、実は会計の守備範囲ではありません。会計は、配当が支払われたという事実を表現するのみであり、その表現方法に選択肢はありません。なのでこの問題は、会社法の立法趣旨の問題となるのですが、そこをあえて分離する必要は、実務上ありませんので、通常は会計の問題としてとらえられることになります。

このように、会計と法律というのは、民事であれば、機能は似ているのではないかと思います。ただし、会計は法律よりもずっとアソビが大きいですが。。。

投稿: こばんざめ | 2008年9月16日 (火) 14時13分

>こばんざめさん

早々にご回答いただき、ありがとうございます。会計基準自体がプリンシプルベースで作られているとしますと、こばんざめさんのおっしゃる「事実の表現方法」というのは、いわば会計基準の「解釈」と捉えてもいいのでしょうか。そう考えると、かなりしっくりと理解できるようにも思えます。(会計は法律よりもアソビが大きい・・・の「アソビ」とは、自動車のハンドルの「アソビ」といった感覚ですよね?)

ただ法律が紛争を解決する場合、そこには法律の解釈だけでなく、事実の認定作業が必要になりますが、会計の場合もその「解釈」と同時に、そのひとつしかないとされる事実の認定は必要なのでしょうか。また、どこかで「折り合い」をつけるということですが、折り合いがつかなかった場合、それはやはり裁判所が折り合いをつけるということでよろしいのでしょうかね。そうしますと、やはり私は「利害調整」だけでは正当性は説明できないと思いますがいかがでしょうか。

投稿: toshi | 2008年9月18日 (木) 01時33分

> 「事実の表現方法」というのは、いわば会計基準の「解釈」と捉えてもいいの
> でしょうか。
会計基準の解釈ではなく、事実の解釈と言ったほうがいいような気がします。

> 会計は法律よりもアソビが大きい・・・の「アソビ」とは、自動車のハンドル
> の「アソビ」といった感覚ですよね?
そのとおりです。

> 会計の場合もその「解釈」と同時に、そのひとつしかないとされる事実の認定
> は必要なのでしょうか。
事実の認定がすべてである、と言ってもいいと思います。事実の解釈というべきでしょうか。事実をどのように認定するかによって、会計処理が決まるという感覚です。
ちなみに、「ひとつしかないとされる」というのは、どういう意味でしょうか。事実はひとつではない、と言下におっしゃられているように思えましたが。。。

> 折り合いがつかなかった場合、それはやはり裁判所が折り合いをつけるという
> ことでよろしいのでしょうかね。
なので、紛争が起こったとき、折り合いをつけるべきは、会計基準の解釈ではなく、事実の解釈ということになります。

ある会計処理が「一般に公正妥当と認められ」たものであるかどうかは、解釈された事実と会計処理との関係においてであって、事実の解釈のやり方、ではありません。したがって、解釈された事実と会計処理との関係を争点として紛争があった場合に裁判所が登場するような状況では、その会計処理が、未だ「一般に公正妥当と認められ」ているとはいえない、つまり、利害調整機能を果たす段階にまで至っていないということになります。逆に言えば、利害調整機能を果たしている会計処理は、正当性があると言えるのではないかと思います。

投稿: こばんざめ | 2008年9月20日 (土) 08時33分

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