「うっかりインサイダー」の「うっかり」とはどういう意味か?
私のブログでもそうですが、最近のマスコミなどでも、「うっかりインサイダー」なる言い回しによってインサイダー規制と課徴金制度との関係について説明されることがあります。(企業におけるインサイダー取引防止プログラムも、この「うっかりインサイダー」発生を予防する趣旨で策定されることもあるようです)典型例としては、昨年のコマツ社や大塚家具社の課徴金納付命令事案などがこれにあたると思いますが(詳しくは2007年5月9日の こちらのエントリーをご覧ください)、最近でもサンエー・インターナショナル社が、証券会社の「インサイダーにはあたらない」との意見をとりつけたうえで増資発表を行ったことについて、後日金融庁より課徴金納付命令を受ける事態となり、これも「うっかり」インサイダーに含めて考えてもよいものと思われます。要はインサイダー情報を利用することで、不正な利益を獲得する目的はないままに、インサイダー取引による規制に違反して、結果的に不当な利益を会社が獲得してしまったようなケースのことを指すものであります。
さて、この「うっかりインサイダー」でありますが、本来、刑事罰としてインサイダー取引が規制されてきたわけですが、ご承知のとおり平成17年以降は課徴金処分を中心とした取引規制がさかんになり、その課徴金による規制のなかで「うっかり」事例も取締対象となるに至りました。刑事訴追となりますと、厳格な立証のための証拠が必要となり、一件あたりの調査に多くの労力を要するものでありますが、課徴金制度を用いる場合には、立証の負担がきわめて軽くなり、金融庁としても機動的にインサイダー規制に対応できることとなります。おそらく、今後もインサイダー規制の中心的な機能を担うのは、この課徴金による規制方法であることは間違いないところであります。
しかしながら、「うっかりインサイダー」における「うっかり」とは、いったい何を指しているのか、これまであまり議論されてこなかったのではないでしょうか。たとえば四半期報告書虚偽記載に関する刑事罰規定(金融商品取引法197条の2、第6号)と、課徴金規定(同法172条の2、第2項)の条文を比較しますと、虚偽記載に関する構成要件が別個に規定されていることからみて、おそらく四半期報告書の虚偽記載については、たとえ報告書発行者に故意が認められない場合であっても課徴金が賦課される(であろう)ことが推測されます。しかしながら、インサイダー規制に関する刑事罰規定(同法197条の2第13号、166条1項)と、課徴金規定(同法175条)の条文を比較しますと、課徴金規定は刑事罰の構成要件を引用しているにすぎないので、原則としてインサイダー取引について課徴金処分を科す場合にも、会社関係者には刑事罰同様の主観的要件が必要になるのではないかと考えられます。つまり「うっかりインサイダー」における「うっかり」というのは、過失によってインサイダー取引を行ったことを指すのではなく、たとえ「うっかりインサイダー」であっても、そこに(少なくとも)故意は認定される必要があるのではないか、ということであります。(※ ちなみに、インサイダー取引規制における「故意」とは、公表されるべき重要事実が決定(発生)していることを知りながら、売買することの認識でありまして、不正な利益を獲得する意図を含むものではありません。)
実は、このあたりが私自身よく理解していないところでして、「うっかりインサイダー」とは、有価証券報告書虚偽記載の場合と同様、課徴金賦課事例においてはインサイダー取引に関する故意が不要な場合であると(従来は)考えていたのでありまして、そもそも不正な利得の収奪を目的とする課徴金制度にあっては、それでもまったく問題はないと理解しておりました。しかし、 「金融商品取引法下の証券取引等監視員会の活動」(内藤純一氏の講演録)のなかで、内藤氏が、
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と述べておられるところからしましても、やはり金商法175条によるインサイダー規制の場合でも、(たとえ実質的には故意性の立証が不要なほどに緩和されているとはいえ)理屈のうえでは故意性の立証は必要であって、たとえ「うっかりインサイダー」であっても、過失によるインサイダーは規制の対象にはならない、ということになりそうであります。つまり、「うっかりインサイダー」の「うっかり」とは過失によるインサイダー取引を指すものとは言えない、ということであります。
さてそうなりますと、「うっかり」というのはいったい何を指していると考えるべきなのでしょうか?構成要件への「あてはめ」の錯誤に該当する、ということになるのでしょうか。たとえば「重要事実」に該当しないと考えていたら、それが「重要事実」だったとか、重要事実が「決定」していたにもかかわらず、それが決定していないと認識していたとか、そういった構成要件該当性に関する認識の食い違いのことを「うっかり」という言葉で表現したものにすぎない、ということなのでしょうか。しかし、こういった「あてはめ」の問題としてとらえますと、刑法理論との関係からみて、責任が阻却されるかどうか、いちおう裁判所の判断を仰いでもおもしろそうな問題になってくるように思われます。また、そのようなものではなく、「うっかり」というのは、不正な利益を得る目的がある場合とない場合とを区別するものであり、課徴金制度は、そういった不正利益を得る目的がない場合でもインサイダー規制の対象とする、ということであれば問題はなさそうに思われます。いずれにしましても、このあたりの整理をしなければ、「うっかりインサイダー」が何を示しているのか、共通認識が得られないのではないかと危惧しているところです。
本来はインサイダー取引についての「グレーゾーン」をどのように取り締まるのか、といった立法政策上の問題に帰着することは間違いないとは思いますが、金融商品取引法上の課徴金処分については、まったく処分の効力が争われた事例がなく、また今後も争われる可能性に乏しい現実のなかで、具体的な処分の適法性はどのように担保されるのだろうかとの疑念をぬぐいきれないところであります。先日のサンエー・インターナショナルの社長さんも、今回の課徴金処分の責任をとって辞任されるようでありますが、私からすると「なぜ辞任しなければならないの?」といった気持であります。課徴金処分を受けたとしても、とりわけ「うっかりインサイダー」事案であれば道義的な批難の対象にはならないと考えています。かりにサンエー・インターナショナルの社長さんのように感じるのが一般的な傾向であるとするならば、この課徴金処分の運用については慎重でなければならないはずであり、またさらに積極的な運用が検討されているのであれば、この「グレーゾーン」に関する対応についてはもっと多くの人たちが検討すべき問題ではなかろうか、と考える次第であります。(うっかり事例とは離れますが、たとえば「重要事実」の決定時期については、村上ファンド事件でもそうですが、とても早い段階で「決定」があったとされるケースが目立ちますが、取締役会や監査役のガバナンスがしっかりしている会社であれば、「社長が意思決定をした」時期に決定があったと認定されることに関して、大いに異論を唱えてもいいのではないでしょうか?)
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コメント
こんにちは。諸外国のインサイダー処罰規制を見ると、非公開情報を知って、「それを利用して」取引を行ったことが構成要件とされていることが多いようです。「知っていたことと取引の間には(因果)関係がなかった」ことの立証責任は被告人の側に課しても良いと思いますが、これを要件とせずに禁止・処罰している日本法の立場は異例であり、--エントリーがそのような趣旨では必ずしもないことは承知していますが--仮に「(因果)関係が無い場合には処罰まではせずに課徴金にとどめる」という運用が志向されているとしても、課徴金を課すことすら妥当性を欠く疑いがあると思います。
逆にいうと、その他の点で(立証の困難、重要案件への資源の集中配分)課徴金が運用されるという方向を規制当局が志向しているというのであれば、合理的だと思います。
この書き込みが、エントリーの主旨に反して無ければよいのですが・・
投稿: おおすぎ | 2008年8月 5日 (火) 09時29分
おおすぎ先生、たいへんわかりにくいエントリーに優しい解説コメントをいただきましてありがとうございました。諸外国の事例分析や法令判例分析まで検討が及んでおりませんので、こういった解説をいただけますと非常に勉強になります。おそらく当局の視点は、先生がご指摘の立証困難の救済、他事件への資源配分だろうと思われます。
当局の課徴金(金額)に含ましめる意味合いですが、改正金商法のもとにおいても、不正収益の完全なる剥奪、と説明されているようですね。(上記内藤純一氏の解説)「制裁、道義的責任」という解説をすると、やはり違法性がいやがうえにも問題になってくるから、ということなんでしょうか。私にはどうも未だ曖昧模糊としている点が多いように思えてしかたありません。
投稿: toshi | 2008年8月 6日 (水) 14時32分
おひさしぶりです。
法学系の方はご存じないかもしれませんが、旬刊経理情報の8月10日号で、葉玉先生が「うっかりインサイダー違反30問30答」なる論稿をお出しになっており、とてもわかりやすく、かゆいところに手が届く内容です。やはり、「うっかりインサイダー」って、企業にとっては関心の高い分野なんですね。
投稿: 品田 | 2008年8月 7日 (木) 12時11分