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2008年8月14日 (木)

「工学倫理」が企業を救う三要素とは?

8月5日の読売新聞夕刊で紹介されていた工学倫理研究の第一人者でいらっしゃる森田正直さんから、昨日、長時間にわたって「工学倫理と企業コンプライアンス」に関するお話をお聞きする機会に恵まれました。(8月6日のエントリーのとおり、「ダメもと」で山陽色素さんのほうへ、本当に勝手ながら連絡をさせていただいたところ、山陽色素さんのご厚意によって、森田さんと連絡がとれまして、めでたく対談させていただくこととなりました。いろんな方に感謝、感謝です)

森田さんは、染料のトップメーカーである長瀬産業さんに定年まで勤務されておられ、現在も技術アドバイザーとして山陽色素さんに所属されておられますが、近畿化学協会の科学技術アドバイザー研究会の事務局長として、他のアドバイザーの方とともに、京大、阪大、九大ほか多くの大学の理工系学部生に「技術者としての工学倫理」を教えていらっしゃいます。「工学倫理」といいましても、大きく分けて「技術者倫理」と「技術倫理」に分けて研究されるのが一般のようです。技術者倫理といいますのは、個々の技術者としての心構えに関するものが中心でありまして、企業不祥事(たとえばデータねつ造)を知った場合に、技術者としてはどのように報告すべきか、そもそも不祥事の兆候を発見した場合に、どのように調査すべきか、被害を最小限度に食い止めるための対策をどのようすべきか、といったあたりが中心となります。いっぽう技術倫理といいますのは、そもそも「不正な目的に活用されないための」新規技術開発を研究するというものであり、たとえば新しい化学技術が開発されるにあたって、悪用されないための技術というものを最初から導入したり、悪用の危険性を抑制するための法制度(社会インフラ)などを最初に策定してから公表する、といったことの研究ということのようです。(そういえば、昨年、京大再生医療研究所の山中伸弥教授にお会いしたときも、「再生医療進歩のための倫理規定の重要性」を強調しておられました)森田さんの講義を受講されている学生さん方は、「そんなことは法学部の学生が勉強するものかと思っていました。」とびっくりされるそうですが、最近の企業不祥事の傾向をみましても、たとえば姉歯事件(構造偽装事件)のように、一般の人では「安全性に問題があるかどうか」が判明せず、技術の専門家の人たちの目によってはじめて不祥事が発覚する、という場面には、まず技術者の方々のコンプライアンスに対する意識の向上が図られる必要があるわけでして、これは到底法律を学ぶ人間だけではどうにもならないところであります。

森田さんとのお話のなかで、ブログではとても書けないような現実の不祥事発生に至る実例をいろいろとお教えいただいたのですが、そのような問題事例をお聞きするうちに、工学倫理が本当に会社を救えるためには3つの条件がそろう必要があるのではないか、といった感想を強く持ちました。

まずひとつめは不正を知った技術者がこれを「報告する勇気」です。ひょっとすると経営者先導で不正を容認しているケースもあるでしょうし、ある工場長が独断で不正を容認しているケースもあるかもしれません。現場はかなり不正には敏感なようで、プロの技術者であれば安全性よりも業績向上が優先されている姿勢というものを察知する場面が多いとのこと。しかしながら、技術者の方にとってはコンプライアンスにあまり関心がなかったり、社内における居場所がなくなってしまうことへの危惧などから、「知らないふり」をされるケースもまた多いとのこと。まずは現場でのコンプライアンス意識の向上と、これを上司に報告する勇気が必要なことは言うまでもありません。

そして二つめが「報告を受けた本部長クラスの胆力」です。森田さんのお話をお聞きして、どんなに現場技術者が不正を糾弾したとしても、この本部長クラスの方のところで情報が止まってしまって、いざ不正が発覚するや「社長は知らなかった」となるケースが非常に多いことが印象的でした。(内部通報制度などが有効に機能すれば、こういったケースが減っていくのではないか、とも思いますが、現実にはそうもいかないようです)

そして最後が、「技術者は営業の人たちの努力を知るべきである」ということです。1億円の売り上げを向上させることが、どれだけ営業を担当する人たちの努力によるものか、その苦しみを技術者が理解しなければ、結局「技術畑と営業畑との見解の相違」ということで片づけられてしまって、「君たちの意見もわからんではないが、会社はきれいごとだけでは食っていけないよ」といった意見に経営陣は与することになってしまうようです。ところが何度も営業部門とけんかをするなかで、その営業部門の苦しみがわかるようになると、「不正発覚」による信用棄損がどのように営業部門の活動に影響が出てくるのか、ということも理解できるようになるそうです。そのような相互理解の末、先の「本部長クラス」の人たちにも「今は3億円の売り上げ損になるけれども、将来の300億円の売り上げ損に比べればまし」と判断されるケースも増えてくる、とのこと。

森田さんとマルハニチロ社の6億7000万円の特別損失計上に関するお話(先の子会社によるうなぎ産地偽装の件)をしておりましたが、森田さん曰く、「結果として6億円の損失で済むならたいしたことはありませんよ。不祥事で恐ろしいのは、これからの営業ですよ。これまで6億円稼ぐのに必要な労力の10倍くらいの労力がないと、信用は取り戻せないし、それだけのものを稼ぐことができないんじゃないでしょうか」本当にコンプライアンス経営って、むずかしいですね。今度は森田さんのご厚意によって、近畿化学協会の技術アドバイザー研究会におじゃまして、他のアドバイザーの方々のお話を聞かせていただくことになりました。「化学」など、私のまったく知らない世界ではありますが、コンプライアンス問題を通じて、いろいろな方と意見交換をさせていただくことはたいへん貴重であり、楽しみにしております。

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コメント

コメントなので、短くなってしまって、うまく伝わらないと思いますが・・・・・

>ひとつめは不正を知った技術者がこれを「報告する勇気」
>二つめが「報告を受けた本部長クラスの胆力」
>最後が、「技術者は営業の人たちの努力を知るべきである」

項目としては正しいと思いますが、現実に起きている事件ではこれらが十分機能しないからと言って、これらが機能不全であったとは必ずしも言い切れないと感じるところが多々あります。

具体的には、三菱ふそうの複数の部品破損で設計の問題ではなく、製造の問題として主に材質の変更を対策としたことが挙げられます。

このような場合に、上記にご紹介いただいたような「問題」が正しく機能していない、から事件になったと言えるのか?と考えると「別の要素」としては「製造会社としての文化に問題がある」といったいわば常識論になっていくような気もしています。

投稿: 酔うぞ | 2008年8月14日 (木) 08時28分

コンピュータ屋です。

今回のお話、コンピュータ屋業界の人々(一応技術者です)は肝に銘じるべきと実感しました。裏方の技術者ではありますが、お客さん企業の仕組みを作ったり、運用支援をしております。このとき、いわれている3つの要素について関心が薄いのです。
情報セキュリティや個人情報保護の仕組みの構築をおこなっていながら、それらの上位概念であるはずのコンプライアンスには疎いのが実態です。
何とかしなければと言うのが私の感想です。
以前からの思いでもあり、コンピュータ屋のテーマです。
ご教授ありがとうございます。

投稿: コンピュータ屋 | 2008年8月14日 (木) 13時19分

酔うぞさん、コンピュータ屋さん、コメントありがとうございました。

酔うぞさんの意見に正確にお答えしているかどうかはわかりませんが、三菱ふそうの事件においては、技術者の意見が前会長が主宰していた個別対策会議において封じ込められた事実とか、技術幹部のメモ内容が明らかにされなかったりということで、全社的なコンプライアンス軽視の風潮が一番の原因だったのではないかと思っております。これを「常識論」というのであれば、たしかにそのとおりかと思います。
ご指摘のとおり、これで会社が救えるかといわれますと、到底それだけで十分とは言い切れません。ただ、技術者の方々が声を上げやすい環境を作ることも、経営面においては有益ではないかと思いますし、そういった実例もありますので、次回の「工学倫理」に関するエントリーにおいては、そういった実例を御紹介したいと思っています。

おそらく「内部統制」が企業にとって有益なものとなるためには、こういった全社的な「盛り上がり」が必要なのでしょうね。もうすこし具体的な提案ができるようになれば、と思います。>コンピュータ屋さん

投稿: toshi | 2008年8月15日 (金) 02時02分

>全社的なコンプライアンス軽視の風潮が一番の原因だったのではないかと思っております。

まぁそうなのでしょうが、上滑りなコンプライアンス重視であった可能性の方が高いと考えています。

日本の製造業が高品質で知られるようになった背景には、現場作業員に大幅な権限委譲が行われていたから、という点が見逃せません。
有名なのは、トヨタ自動車が始めた組み立てラインの停止が誰でも出来る仕組みですね。

これは別に、トヨタだけがやっていたことではなく、多くの工場が形を変えても現場の作業員が工場を止めることは普通にやっていました。

これらはいわば文化の問題であって、規則などはその後から引っ張り出してきたものです。
これが規則が先行して、かつ規則が何かを見逃した場合は、かなり重大な問題になります。

不良品を製造中に排除するために、中間検査を多数行うのか、中間検査をせずに最終検査で不合格にする方が合理的なのか、という争いは長年続いています。
このような点でも非常に複雑な文化や常識に基づいて動いているのが工場の実際であって、そういった文化がどうあるべきなのかを無視して「我が社の伝統」などとやると大失敗になる野田と思うのです。

投稿: 酔うぞ | 2008年8月17日 (日) 10時56分

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