会計士疲弊~監査現場の再生を急げ~
日本公認会計士協会近畿会の前会長でいらっしゃる佐伯先生が、9月5日の朝日新聞「私の視点」において、タイトルのとおりの意見を述べておられます。佐伯前会長は、ご存じの方も多いかとは思いますが、ズバッと自説を述べられる方ですので、(ご異論も多いかもしれませんが)論旨明解でわかりやすいご主張内容です。(引用されている日本公認会計士協会東海会の調査では、主として監査業務に従事しておられる会計士の半数以上の方が「子供には勧めたくない」業務と回答されているとのことで、これにはちょっと驚きましたし、事態はかなり深刻であることを思い知らされました。このあたりは、多くの会計士が第一線の会計監査の現場を離れて、コンサルタント業務に足場を移す傾向にあるといった引用や、20%を超える会計士の方々が「将来的に魅力を感じないため、やりたくない」といった回答とも相通ずるところがあるように思います。ご自身のやっておられる職業を娘や息子に誇らしげに説明できない、ということはけっこうつらいところではないでしょうか。)
疲弊する監査現場の再生の道筋として、佐伯先生は三点を挙げておられ、どれも当ブログで何回か話題となっていたものでありました。ひとつは訴訟を意識した「過剰ともいうべき監査マニュアルの導入」であり、今後は経済事件において逮捕、起訴、判決のありようとその報道について、事後的に専門家が検証できる仕組みが不可欠、と主張されています。裏を返せば「司法は経済事件を裁けるか?」という問題を真剣に検討すべき時期に来ているということであり、これは法曹においても真摯に会計専門職の方々の経済事件への率直な意見に耳を傾ける時期に来ている、ということでもあろうかと思います。ふたつめは「期待ギャップ」に関するものであり、会計士側としてはこれには言い分もあるようですが、どういった理由があるにせよ、会計監査への社会の期待には応えなければならないとして、日本公認会計士協会の会計士不正への対応に厳しい注文をつけておられます。
そして三つめとして「制度のねじれ」を挙げておられますが、(制度のねじれとは、一般に企業を監査する立場の人が、その対象企業から報酬をもらっているために、どうしても甘い監査になってしまうのではないか・・・という制度の構造上の問題のことを指します)これもまた社会から期待されている会計監査の実現を妨げる要因である、とされています。特徴的なのは、ここでは佐伯先生は、監査役の存在を重視されている点です。いわゆる報酬決定権限および会計監査人選任権を監査役(会)に付与すること(上場企業の場合でしたら、これと併せて財務諸表監査に関する実質的な委託権限も監査役に付与する、ということなんでしょうね)、および監査役と会計士との連携強化という点に求めておられます。これまでも監査役制度の充実という点からは(つまりコーポレート・ガバナンスの視点から)会計監査人の選任権や報酬決定権の問題がとりあげられたり、内部統制報告制度の統制環境の問題として、監査役と会計監査人との連携が謳われることはありましたが、社会の期待に応える会計監査の実現のためにも監査役の地位強化が図られるべき、とか会社決算の早期開示の要請との関係で会計士と監査人がいかに連携強化を図るべきか、といった意見が出されることは少なかったように思われます。
監査役の地位強化や、会計監査人と監査役との連携強化、という問題は、これまでも現役の監査役さんの立場からは発信されていますし、会社法改正や公開会社法の検討のなかでも議論されていることは承知しておりますが、私はやはり会計士さんの立場や、証券取引所等の自主規制機関の方々、金融商品取引業者の方々などからも問題提起がなされなければなかなか前に進まないのではないかと思っておりますので、こういった立場の方が今後の監査役の役割や会計監査人との協働に言及されることは大きな意義があると考えています。(なお、監査役の役割への期待と同時に、粉飾決算等が社会問題化した際には、会計監査人と同等に監査役も責任を問われるべきである、と明言されていることも、これまた当然のことだと認識しております)ただ、以上の三点が再生の道筋だとしましても、それで本当に会計士の皆様が「子供に職業として勧めたくなるような会計監査」となるのかどうかはちょっと疑問のような気もいたします。かといって、NHKドラマ「監査法人」の主人公(社会悪を暴く正義の味方)のような仕事こそ、皆さんが理想の姿として見ておられたという感じでもなかったようですし。「あの人はできる会計監査人だから、あの人に依頼しよう」とか「あの監査人がいるから今度は○○監査法人にしよう」といった被監査企業側の声が出てこない職域である以上、「子供に勧める職業」というものがどうもイメージしにくい業務であることは間違いないかもしれません。「期待ギャップ」の問題とは若干異なりますが、「100点とっても誰もほめてくれないのが会計監査」であるならば、もっと「会計監査の社会的使命や責任」を世間的に認知されることが必要だと思います。
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コメント
またまたtonchanです。
本当はこのような俯瞰的な話の時にお邪魔する立場ではないのですが、ほんの少しだけ私見を(@_@;)
理論的な監査の流れは、ルールベースからプリンシプルベースへ流れています。
J-SOXを引合に出さずとも異論は少ないと思います。私自身もプリンシプルベースを
盾に監査法人と話を進めております。
一方、監査法人所属の会計士さんの作成する書類については監査法人の規則
(会計士協会、金融庁の監査に必要なもの)は増加しているようです。
プリンシプルベースの意味する自己責任とは全く無縁の規律の方向に進んでいるとしか思われません。
>訴訟を意識した「過剰ともいうべき監査マニュアルの導入」であり、今後は経済事件において
逮捕、起訴、判決のありようとその報道について、事後的に専門家が検証できる仕組みが不可欠、
と主張されています。
この部分の後半(「事後的に専門家が検証できる仕組み」は、プリンシプルベースの影響としては非常にうなづけるものです。
一方、前半(「過剰ともいうべき監査マニュアルの導入」)は結局監査費用の大幅な増大を
まねきます。上場企業としてはとても容認できるものとは思えません。
日本市場の上場コストの増大を招き市場自体の縮小を引き起こす可能性すら考えられます。
このような議論が行われること自体に会計士の方々の悩みが感じられます。
私自身は会計監査が上場企業の条件であれば、証券取引所で一括して監査報酬を決定するのも良いように思いますが。
現状の監査役よりはずっと実効性があるように思います。
取り留めのない意見で申し訳ありません。いつもコストと対応のはざまで苦労している担当者の
本音です。株主のための会計監査であれば、株主が監査報酬というコストを容認していただけることが
大前提のように思います。その意味で会計監査内容の株主へのディスクロージャーが必要になると
思うのですが、toshi先生はいかが思われますか?
是非、今後ともよろしくお願いします。
投稿: tonchan | 2008年9月 8日 (月) 09時55分
こんにちは。お久しぶりです。わたしは日本の監査現場を離れて久しいですが、たまに見聞きする同輩たちの話をきくと切ないものがあります。しかし新聞記事に出るほどとは思いませんでした。
「過度な」マニュアルは、とっくに導入済みのアメリカで数年仕事をしているのですが、結局、日本の監査がアメリカ型に「多くのジュニアスタッフとそれを束ねるマネジャー+パートナー」という構造になっていくと、仕方がないのだと思っています。私が日本で監査を始めた頃は、新人はチームでわたし一人、現場でインチャージの先輩がぴったり横について、手取り足取り教えてもらえる環境があったのですが、今日それはかないません。数少ない経験のある公認会計士が、知識・経験的に「ジュニア」な人間を使っていく以上、マニュアル化はある意味仕方ないんですが、要はそういうやり方に日本の監査はなれていないんですよね。なので、プロフェッショナリズムを侵害されているように感じ過度にマニュアルに抵抗を示している向きもあります。し、なれないがゆえにワークロードが凄いことになって、疲弊している方もいらっしゃるでしょう。
監査役との協業ですが米国の公開企業は会計監査人の選任権限はAudit Committeeにあり、協業している部分はありますが、それが果たして直接的に会計士の疲弊を防ぐのかには疑問がありますね。そもそも日本の監査役会にそれだけの重責を終える人材がどれだけ回されるのか、というのも疑問ですし。
結局、監査というのは資本市場のインフラ整備だと私は米国に来て理解したのですが、その過程で一番辛いのは、監査が「感謝されない仕事」だと認識することでした。私が日本にいたころは、まだ決算相談の色合いが濃かった時代ですから、会計処理の可否などでご相談を受け、ねぎらいの言葉をかけていただくシーンが多く、自分の「知力」にプライドを持つこともできましたが、アメリカではそういう事はほとんどないです(Yes/Noはいえても、アドバイスはしにくい)し、最近の日本もそうでしょう。果たして一般投資家には理解不能であろうマニアックな会計処理の検討を延々として、内部で承認をもらって、というプロセスの繰り返し、私でもたまに疑問を感じます。そして、顔の見えない投資家さんに対して社会的使命感を抱き続けるのは、それが本来の義務であっても難しいものです。結局そこは、「訴えられたら怖い」という恐怖政治でクオリティを保つことになります。何よりも、その現実に疲弊している会計士が多いのではないでしょうか。
日本の私の友人たちは、意欲的で優秀な人ほど監査に見切りをつけていきます。日本の現状では、私にとっても、子供に、公認会計士になることはすすめられても、一生の仕事として監査をすることは薦められない、ということになりそうです。
投稿: lat37n | 2008年9月 8日 (月) 18時20分
違った視点で、あえて少々異論を(笑)。
『おくりびと』という話題の映画が公開されています
(私は未見ですが高い評価を受けているようであります)。
この映画で取り上げられている或る職業ははっきり申し上げて世間から
差別の目で見られてきた仕事です。ゆえあってその「納棺師」になった
主人公(本木雅弘)は彼の新たな仕事を知った妻からも蔑みを
受けてしまいます。
つまり私が言いたいのは、世の中、「子供には勧めたくない業務」
なんていっぱいあるんじゃないかと言うことです。
それでも必要な職業はたくさんあります。
それを誇りにこそ思うべきでしょう。
もちろん、尊敬されず、収入もよくない職業には良き人材が集まらず、
システムの維持に重大な問題を引き起こす遠因になりうると
仰せになりたい旨は理解いたします。
いたしますが、私に言わせれば
「甘えるんじゃないよ」です(笑)。
つらいのは貴方ばかりではありません。
投稿: 機野 | 2008年9月 9日 (火) 00時47分
佐伯先生の言質に直接触れたわけではないので「反論」という意味ではなく、ちょっと違った視点で物を言いたいと思います。
福田総理ではないですが、「自分(会計士業界)を客観的にみる」必要があると思うのです。
どうやら深刻な問題があるようですが、私の知る会計士の先生方のイメージから、あえてステレオタイプにいえば、仕事はしんどいけれど高報酬で、それなりに異性に人気があったり、その年齢・経験に応じて社会的評価も伴っていて、、、といったように、医師や弁護士のように社会的地位と高報酬をそなえる職業と同様だと思います。また、しんどいけれど、自分の仕事には誇りと満足を持っておられるように見えます(全員ではないが)。疲弊して限界に来ている会計士にはまだ出会ったことがありません。
「子供にはすすめたくない」と親が言うのは、どの世界でも似たり寄ったりです。どんな仕事もしんどくつらいこともあるしハードさに報酬がついてくるわけでもない。またその仕事の本当のしんどさや不条理な部分を知っているから子供には「あえて」同じ思いはさせたくない、と感じるのでしょう。稼いでいるタレント、スポーツ選手、ファンドマネージャなんかも同じことを言いそうです。「自分なりの方法で幸せになってくれたらいい」という気持ちも入っていると思います。
「将来に魅力を感じない」は論外です。いまどき将来有望な仕事があったら教えてほしい。
業務負荷が増加したとしても、訴訟リスクを意識した運用への変化は仕事の性質上しかたないでしょう。今までが無防備すぎたという面もあると思います。というか、訴訟に備えざるを得なくなっているのは会計士だけはありません。医師や政治家はもちろん、教育事業者や公務員、経営上位層(その他マスコミが飛びつきうる職業全て?)も同じです。今後日本でも訴訟社会化が進み、一定のレベルで落ち着きを見るでしょう。そのレベルが日本の訴訟社会のレベルだとすれば、どの職種もそれへの対応が必要になるのは当然です。そうなると重要なものを扱う仕事ほどリスクが高くなるのだからそれに応じた報酬をもらうことを支える論理になり、好都合じゃないでしょうか。日本における責任や報酬の考え方のあいまいさからすると難しいですかね。
それでも、会計士は「能力や経験、年齢」に応じて社会的評価や報酬がついてくるからまだましだ、というのが、しがないサラリーマンから見た正直な感想です。
気をつけるべきは、能力も経験も伴わない若手の会計士が「思ってたのと違った」というのは近年の若手特有の不満であって、業界の抱える問題とは区別して議論すべきだということです。もはや資格だけで社会的評価と高報酬がついてくる時代ではないのですから。会計士個人の報酬は、市場が付けた価値がすべてだと思います。監査報酬も、制度的な問題があるとしても、基本的には市場の評価次第です。
よくいわれる「ねじれ問題」などを本当に問題視するなら、費用問題を解消する中間団体を創るか、監査コストを国家予算(=国民負担)に委ねるしかないですね(私はどちらも肯定しない)。そうなれば、チェック業務を依頼者から受託し、依頼者に誠実に、かつ公益・職業倫理に則って職務遂行することを、弁護士はできても会計士にはできないということを自認することになりますが。
独立してコンサル、という話は飽きるくらい聞きます。しかし、そのような右へならえでは果実を得ることはできない。市場を見てきた方々なら「単なるコンサル」へのニーズが既に陰っていることに気づくべきだと思うのですが。少なくとも、経験の浅い会計士が独立する意味が私にはよく分かりません。よほど付加価値を出せる人でないと難しい世界です。
あくまで「特別」で居たいのでしょうか。
会計士が本当に割に合わない仕事(私はそうは思わない)なら、次々と人が辞め、会計士志望者も減少していくはずです(そうならないように事前に策が打たれ均衡するのでしょうが)。今、そのような状況にあるのでしょうか。業界問題を語る際、「他の職業にもありがちな不満・不条理の範囲内」ではないか、「どこにでもある不満の吐露」になっていないか、「自分達は特別だ」という潜在意識がにじみ出ていないか。今一度見つめ直したうえで議論すべきでしょう。この点は弁護士業界にも共通するところがありそうですね。
投稿: JFK | 2008年9月 9日 (火) 00時50分
皆様、熱いコメントありがとうございます。この話題はいろんな方の意見もお聞きしてみたいので、感想のようなものでも結構ですのでご遠慮なく、コメントをお寄せいただければ幸いです。
JFKさんの最後のところの「弁護士業界にも共通するところ」というのは、たいへん耳のイタイところです。3週間ほど前に、日経法務インサイドでも特集されておりましたが、弁護士(法律事務所)のマーケティングに関する努力が足りない点は素直に認めざるをえないところです。営業努力をきちんとしたうえでなければ、「最近は弁護士も食っていけない」といった愚痴は説得力がないといわれてもしかたないですね。裁判における代理人、弁護人としての仕事以外で、われわれがどのような業務によって社会的に価値ある仕事ができるのか、リスクを背負いながらも道を見出しつつあるところだと認識しています。法曹人口の急増化のなかで、営業努力は本当に喫緊の課題なんですよ。(少なくとも大阪の弁護士にとっては)
投稿: toshi | 2008年9月 9日 (火) 02時24分
営業努力は本当に重要だと思います。セールスとは、マーケットを広げることであり、自分自身のマーケットのみならず、その職業のマーケットを広げることであると思います。
自分自身で、その職業の社会的ニーズが大きく、今よりも社会貢献を高めることができると思っているとき、そんなセールス活動ができる。そうして、「子供にも勧めたい業務」とする必要があるのだと、ふと思いました。
特別な資格を持っていないコンサルタントが夢を書いている部分がありますが、現状を固定化しないことも重要と思いました。
投稿: ある経営コンサルタント | 2008年9月 9日 (火) 12時30分
>「あの人はできる会計監査人だから、あの人に依頼しよう」とか
>「あの監査人がいるから今度は○○監査法人にしよう」といった
> 被監査企業側の声が出てこない職域である
そんなことはないんですけどね。浸かってる人はどっぷり浸かってます。クライアントも浸かってくれることを望んでますし。でもそれは、「有能だから」じゃなくて、「ウチのことをよく知っているから」なんです。だから、最初は誰でも外様扱いです。そこが弁護士とは違うところでしょうか。良くも悪くも、会計士というのは、発想が平準化されてますから。
投稿: こばんざめ | 2008年9月15日 (月) 04時22分
皆様の真剣な議論の中、閑話ですみません ^^;
ドラマ「監査法人」の監修者である山田真哉氏原作の「女子大生会計士の事件簿」が、TBS BSにてドラマ化されます。初回は、10月8日
22時より。またぞろ、リアリティのないドラマになるんでしょうね。
NHKの「監査法人」の方は、リアリティのなさが幸いして、平均視聴率は8%と「ハゲタカ」を超えて、興行的には成功のようです。リアリティのなさはNHKがドラマ編集権を楯に決めたもので、監修者の責任ではないと八田教授は言い訳をしていました。
DVDも11月に発売になるようです。
投稿: 迷える会計士 | 2008年9月18日 (木) 22時28分
最近、迷える会計士さんを含め、当ブログには論客が多数お越しいただくために、お返事するのも一苦労です。(^^;
ということで、こういった「閑話」は脊髄反射的にコメントをお返しできますので大歓迎ですよ(笑)
ぜひ見たいのですが、これってbs-iとかいうやつですよね?おそらくうちのテレビでは見ることができないと思います。(残念)H田先生のコメントは例の会計士協会でのご講演のときの発言だったように記憶しております。
リアリティを追求しすぎて、「やべえ・・・また、四半期レビュー報告書間違っちゃったから原本送り直さなくっちゃ・・・」というのも、あまり面白くないかもしれませんね。。。(しかし視聴率8%というのは大成功だったと思いますよ)
投稿: toshi | 2008年9月19日 (金) 02時31分