伊藤ハム社におけるクライシス・マネジメント(危機管理)を考える
(27日午後 追記あり)
依頼者の方からお歳暮には例年「伊藤ハム」の詰め合わせセットをいただくことが多いのですが、こういったことがありますと、贈っていただく方も(今年は)伊藤ハム製品は差し控えよう・・・と躊躇してしまうかもしれませんし、ずいぶんとタイミングが悪かったのかもしれません。ご承知のとおり、東京工場で使用する地下水に基準値の3倍程度のシアン化合物が混入していたことで、200万点以上に及ぶ商品回収を始めた伊藤ハム社でありますが、本日あたりはイオングループやイトーヨーカ堂はじめ、大手スーパーの商品棚からも、ウィンナー製品が消えたようであります。工場で使用する井戸水が集中豪雨の影響で一時的に汚染されたもののようでありますが、この原因事実については伊藤ハム社としては非難されるところは少ないものの、やはりなんといいましても、9月24日の時点で工場の現場担当者が井戸水の汚染を認識していながら、経営トップには10月22日まで知らされていなかった(あくまでも記者会見で公表された事実による)・・・ということでありますので、これが「企業不祥事」の部類に属するものとするならば、いわゆる「二次不祥事」型の問題が発生したことになります。
1 マスコミ対応としての問題点
23日の日清食品HD社の防虫剤成分混入問題の記者会見では、経営トップである社長さんが冒頭謝罪し、また防虫剤成分混入の原因事実についても説明された(説明内容については批判されているところもありますが)わけでありますが、その2日後の伊藤ハム社の記者会見には社長さんは登場されておりません。(業務担当取締役の方々が会見されたようであります)この違いは何に由来するものなのでしょうか?実際に健康被害が生じていることの違いか、それとも「食の安全」に対する社会的影響度の差異に由来するものなのか、そのあたりが私にはよくわからないところであります。ただ、記者会見に臨んだマスコミの方々からすれば、「なんで社長が出てけえへんねん!これって挑発的ちゃうか?」といった印象を持たれませんでしょうか?たしか伊藤ハムさんは、2005年の輸入豚肉に関する関税法違反事件で法人が起訴されたときにも、当時の社長さんは総務担当取締役さんを代理に立てて裁判に出席しなかったことから検察の反感を買い、また裁判所からも(異例の)検察求刑を上回る罰金判決を受けたことがあったと思います。(もし間違っておりましたらご指摘ください。訂正いたします)そういったご経験からも、「危機管理」には経営トップが先頭に立って会社を守る必要性を痛感しておられるのではないかと思うのでありますが、どうなんでしょう。そもそも3年前の不祥事の際、再発防止策としてCSR委員会が設置され、法令遵守とともに「報連相(報告・連絡・相談)の充実」を掲げておられたのでありますから、社内連絡体制の不備が原因だったとすれば、重く受け止めていただきたいと思います。
2 行政対応としての問題点
これまた公表されている事実関係からしますと、経営トップが井戸水の汚染を知った10月22日の翌日(23日)に保健所へ報告を行い、ただちに公表するようにと指導を受けたにもかかわらず、まる二日公表が遅れた・・・ということのようであります。つまり、会社側のご説明では、公表するのは当然だけれども、関係取引先への通知を行ったうえで公表したかったから遅れた・・・というものでありますが、本当にそういったお気持ちだったのでしょうか?日清食品さんの場合のように、すでに公(おおやけ)になっている場合ならばまだしも、健康被害も発生しておらず、(NHKニュースによりますと)実際にも保健所からは口頭注意で済む程度の問題でありますので、はたして経営トップに「公表すること」へのインセンティブは働いたのでしょうか?このあたり、保健所へ報告すれば世間に公表せずに済むのではないか、商品回収に動かなくてもいいのではないか、といった経営陣の希望的観測があったのではないでしょうか。しかしながら、予想に反して保健所からは自主公表することを強く要望されたために、今回の事実開示に至ったのではないでしょうか。もし、私の推測がはずれていて、経営トップに事実が報告された直後に自主公表を決めたとすれば、それは経営トップとしての企業倫理観は素晴らしいものあり、企業不祥事体質が希薄であることの証拠だと思います。
つい先日、「内部告発~潰れる会社 活きる会社~」(諏訪園貞明、杉山浩一著 かんき出版 1470円)が出版され、私が読了した本は既に付箋でいっぱいになっております。著者である諏訪園氏は、「金融財政事情」などをお読みの方々はご承知のとおり、この6月まで経済産業省の課長さんだった方で、NOVAの内部告発を受けて同社の立ち入り調査を行ったり、また公正取引委員会の担当官だった頃にはリーニエンシー制度の運用にも携わっておられた方であります。この著書のなかで、企業不祥事に対する役所の論理について語られているところがありまして、この10年で役所の対応が180度転換し、また今後も現在の対応方針が変わることはないであろう、と述べられております。行政の対応が事前規制(行政指導)型から事後規制(行政処分)型へと変容するなかで、企業に事故が発生した場合や、企業が事件を起こした場合など、不祥事に対する行政の対応はますます厳格になるであろう、とのこと。その理由は、行政の不作為についての国民の不満がますます大きくなっていることと、「行政指導」なる手法は、企業の立場からみれば「行政が指導してくれたので、適法であることのお墨付きをくれた」と勝手に解釈する傾向があり、消費者保護対策が重視される社会ではもはや成り立たない、ということだそうであります。(なるほど・・・)こういった諏訪園氏の解説を拝読しますと、まだまだ企業側も「行政に報告さえすればなんとかなる」といった考えが色濃く残っているように思いますし、「WHO(世界保健機構)の基準値よりも低い程度なのだから、これくらいで公表する必要はないのではないか」といった安易な考えに至ることも十分予想できるのではないでしょうか。しかしながら、行政としては報告を受けた以上は、「なにもしない」わけにはいかず、企業側の自主公表および自主回収によって、健康被害発生の可能性を低減させることまでを求めるのが正規の対応方法という認識だったように思われます。
3 「法令遵守」だけでは社会的信用を守れない時代
最近の汚染米の転売先業者、サイゼリア社、日清食品社そして伊藤ハム社など、「食の安全」に関わる事故に巻き込まれた企業は、一見被害者的立場のように思えるのでありますが、危機対応をひとつ間違えると、いわゆる「二次不祥事」として、マスコミとその背後に控える消費者を真っ向から敵に回してしまうリスクを発生させることとなります。ただでさえ、景気悪化によって企業の経営体質が芳しくないなかで、コンプライアンス的な観点からも、非常に恐ろしい時代になったと改めて痛感いたします。なお、ご紹介した諏訪園氏、杉山氏の著書は、書名こそ「内部告発」とされておりますが、内部告発に関する現状の紹介だけでなく、企業不祥事を防止するための対応策を役所の論理、マスコミの論理、経営者が抱えるリスクなどの分析から具体的に解説されており、非常に参考になるところであります。(先日ご紹介いたしました朝日新聞記者の方々による「ルポ 内部告発」を併せて、お勧めしたい一冊です。)
(27日午後:追記)
NHKニュースにより、25日に口頭注意があったと書きましたが、本日の読売新聞ニュースによると、水道法違反の疑い(水道水の汚染を発見した場合には、すみやかに報告しなければならない、との規則に違反)により口頭注意があった、とのことだそうです。
また、日経新聞社会面によりますと、PB(プライベート・ブランド)にて製造していた60万品については、販売者に迷惑がかかることになるために「公表および回収については得意先の自主判断にまかせるべきだ」として、対象製品から差し引いて公表していたそうであります。(消費者保護重視、といいましても、こういった状況はかなり企業にとっては厳しい場面が想定されますね。)ということは、やはり上記本文において記述したように、自社製品につきましても、ギリギリまで公表および回収することに逡巡されていたのではないでしょうか。かなり疑問の残るところであります。
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コメント
ご懸念の内容、まったくその通りだと思います。
ただ、健康被害が発生するリスクがほとんどないらしい事件に敏感な方が、他方で、財産被害が現に発生しているであろう長銀やア社の不適切?開示に鷹揚な立場をとられるのは、私にはよく理解できないような気がします(もし、誤解でしたら、お詫びいたします)。
投稿: ロックンロール会計士 | 2008年10月27日 (月) 21時17分
いえいえ、誤解を生じさせるような点があればどしどしご指摘ください。
過去に何度か書かせていただきましたが、当ブログは社外監査役の視点から企業のリスク管理について考える・・というところに面白みがあると考えています。したがいまして、今回の伊藤ハムさんの件も、アーバンさんの件も、とくにどちらに厳格だとか、鷹揚だといった意識はないと思いますね。リスク管理のための問題点の出し方から、あるときは厳格にみえたり、あるときは鷹揚に見えるのかもしれません。ただアーバンの件については鷹揚と捉えられたのはちょっと誤解ですよ。「こういった考え方もあるのでは?」と、疑義のあるところをきちんと押さえておかなければブログで書く意味はあまりないと思いますし。
投稿: toshi | 2008年10月27日 (月) 21時56分
こんにちは。DMORIです。
今回の伊藤ハム柏工場は、実はわが家の近くで、よく知っています。
1.本社への連絡が1ヶ月も経ってから、というのが本当なのか。
本社も知っていたが、公表が遅くなってしまったので、工場からの報告が遅かったことにして、工場責任者に詰め腹を切ってもらっている可能性も、あるかも知れませんね。
いずれにしてもコンプライアンス意識、危機管理意識が低いと言わざるを得ません。
2.しかし保健所の見解も新聞報道で見ましたが、人体への影響はない、ということです。
サイゼリヤの問題にしても、人体への影響が危険なレベルではないという報道を見ました。
すると、人体への危険がないレベルなのに、どうして基準違反と決めているのでしょうか。
人体に影響があるから危険、とすべきではないでしょうか。
このあたり、「万一を考え、大事をとって」という理屈もありますが、基準を定めた行政のことなかれ主義も感じます。厳しい基準にさえしておけば、自分たちの責任が問われることはありません。
食品の大切さや、合理性を切り捨てているのです。
人体に影響がないくらいの低いレベルだから、食品現場で働く人たちが「これは大変だ」と思わない原因になっており、一方的に食品関係者のコンプライアンス意識のせいにするのも、問題であると私は考えます。
3.昨日JASが消費期限の基準を改定するという報道がありました。
消費期限を決める係数が厳しすぎたという判断で、もう少し延ばすことにするそうです。
まだまだ食べられるものを、捨てさせるのはもったいないし、飢えに苦しむ国の人たちに申し訳ないではないか、という国民の声が大きくなっていることに影響されたと言えます。
現場の感覚とかけ離れた行政の基準については、もっともっと見直しが進むとよいと思います。
投稿: DMORI | 2008年10月28日 (火) 12時49分
dmoriさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
伊藤ハムさんの件、このエントリーを書いた後も、ずいぶんとたいへんなことになってるようですね。
「二次不祥事」←公表の遅延、社内情報流通の問題
「やぶへびコンプライアンス」←トルエン汚染問題
「法令違反を伴わない信用棄損」←異臭騒ぎの報道、毒ガス室報道
そして東京工場の無期限停止へ
いわゆるコンプライアンス違反企業の典型的な道を歩んでしまったような気がします。
このあたり、再度エントリーにまとめてみようかと思っております。
投稿: toshi | 2008年10月29日 (水) 14時24分
toshi様
コメントが遅くなり、申し訳ありません。
始めに、私の理解不足や誤解がありましたら、お詫びいたします。
ところで、ア社については、社外監査役の視点からは不適切(≠違法)開示に当たる、しかし今回の法的規制には疑問がある、とお考えなのでしょうか。
それでしたら、鷹揚と申し上げたのは、間違いだったかもしれません。
投稿: ロックンロール会計士 | 2008年10月29日 (水) 19時57分
今回の金融庁の措置については概ね異論はありません。ただ、その適用方法については改正法との関係からどうなんだろうか?といった疑問は持っております。おそらく、これは私だけでなく、法律家としては他の方も同じ疑問を持っていると推測いたします。
ア社の「社外監査役」の視点からしますと、結論よりも意思形成過程のほうに関心を抱きますね。こういった経営判断に関わる審議のための情報が事前にどこまで監査役の耳に入っていたか、ということですね。ですから、「社外監査役としては不適切」かどうかは、その情報入手の過程をみてみないとなんとも申し上げることはできないと考えます。(たしか、ここの社外監査役には、大物検察OBの方もいらっしゃいましたよね)
投稿: toshi | 2008年10月30日 (木) 15時54分