内部統制監査制度の必要性(法制度化)を考える
最近ライブドア刑事被告事件や、先日の長銀事件判決などから、「司法は本当に経済事犯を裁けるのか?」「そもそも専門性の高い会計・監査の問題について、法律家は(すでに適正と判断された会計・監査判断に対して)異議を唱えることは容認されるべきなのか」といった問題が提起されることが多くなりました。
「公正なる会計慣行」の問題は、法律と会計基準との問題だと認識しておりますが、会計監査と法律の問題というのはどうなんでしょうか。私は会計監査制度というのは、適正な会計基準(企業会計の原則)に準拠して(上場企業が)財務諸表を作成していることを担保するための「事前規制」の一つとして、あくまでも「法が認めた制度である」と理解しておりました(したがって、会計監査のミスの違法性を司法において問われるのもごく当然のこと)が、会計学の基本書を読んでおりますと、じつはそんな甘いものではなかったようです。
以前当ブログでご紹介した「会計監査論(第5版)」(著 山浦久司教授 中央経済社)第2章「監査のニーズ構造と制度化の論理」を読みますと、事業会社が会計報告を利害関係者に開示する制度があるところでは、会計監査というのは自律生成されるべきものであって、なにも「法律が監査制度を決めたから存在するものではない」ことが詳しく説明されております。会計専門職の方々はご承知のとおり、スチュワードシップ(モニタリング)仮説、情報仮説、保険(リスク分散)仮説など、いくつか説明方法が異なりますが、いずれにしましても、市場があって、会計報告を行うべき企業があれば、そこにはおのずと会計監査制度というものが生成されてくるべきものであるとのこと。なるほど、こういった考え方に立ちますと、法律と会計基準との関係と同様、法律と会計監査(法律学と会計学)との関係についても、「どっちが上」といった議論からは解放されるわけですね。ただ会計監査も現実には法制度化されているわけでありますが、「本来、自律的に生起するはずの会計監査のニーズを、あえて法規制の対象にしなければならない理由と論理過程は必ずしも明確ではない」とのことだそうで、実際のところはいまだ法と会計監査との関係についてはよくわかっていないところも多いようであります。
こういった「法律と会計監査」のファジーな部分を考えますと、たとえば財務報告に係る内部統制報告制度(いわゆる日本版SOX法)におきましても、いっそのこと内部統制監査という制度は廃止してしまってもいいのではないでしょうか。もちろん、現在は法制度化されておりますので、あくまでも立法論にすぎませんが、法制度化されずとも「自律的に生成するもの」でしたら、そのほうが開示制度になじみやすいようにも思います。「そんな制度、企業にとっては何の役にも立たない」と考えておられる上場企業でしたら、とくに監査を受ける必要もありませんし、内部統制をきちんと構築している企業でしたら、投資家への評価を受けるために任意監査制度によって内部統制監査を受けた内部統制報告書を提出すればいいわけでして、それなりの「差」が投資家にもわかる制度になりそうな気もいたします。そのかわり、企業情報の開示制度ですから、内部統制の有効性判断については企業側が責任をもてるように、監査役のひとりに「財務会計的知見」を有する人を就任させることでモニタリング制度を確保する・・・ということにすれば、かなり効率的な制度になるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
いまのままですと、来年6月以降、「国際会計基準の直接適用と公正なる会計慣行」を取り巻く論争と同じように、「法と会計監査の関係」がいろいろと取り沙汰されて、また「法と会計」に関する神学論争のようなものが増えてしまうような気がしてきました。
| 固定リンク
コメント
こんにちは、コンピュータ屋です。
「いっそのこと内部統制監査という制度は廃止してしまってもいいのではないでしょうか」とは、我々が言うのとは違い重みがありますね。
おっしゃるように、形だけの制度とその対応だけに終わるのではなく、また「監査人さんに頼ることなく経営者評価を開示する」事はすばらしいです。真の開示責任が問われることになると思います。
そして、「財務報告に係わる」のみではなく、「業務の有効性・効率性」や「コンプライアンス」も内部統制の目的とする。そうなるとコンプライアンスの実効性も確保できるでしょうし、CSR経営へとステップアップして行くでしょう。
こんな事を最近思う次第です。
余談ですが、お仲間の関西の内部統制研究会の鈴木さんとオフミーテイングする機会を頂きました。今後ともご指導いただけることを期待しています。
投稿: コンピュータ屋 | 2008年10月14日 (火) 16時34分
うーーーん、一周回ってきて元に戻ってしまった感じですね(笑)。
任意でいいのなら、こんな騒ぎ(それも空騒ぎっぽい)に
ならずに済んだわけですが、強制されないとやらなかったことも
また真実ですからねえ。
投資家(国外も含む)が「内部統制報告制度」を求めているとは
全く思いません。
ディスクロージャーすべき(投資家が欲している)情報は
そういうんじゃないです。
投稿: 機野 | 2008年10月14日 (火) 23時54分
企業内容の開示が企業側のインセンティブだけでは不完全であり、制度としての社会的インフラである必要があるのは、とりもなおさず情報の非対称性にあります。ここに制度として「型にはめる」必要があります。
もっとも、制度になっているのもかかわらず、機野さまがおっしゃるように、「ディスクロージャーすべき(投資家が欲している)情報はそういうんじゃないです」という状態なのですよ。
投稿: こばんざめ | 2008年10月15日 (水) 11時33分
お久しぶりです。
私のように、行政(政府)と市民社会(市場etc.)との関係をデリケートに捉える思想の持主からすると、会計学での原理原則論や先生の率直なご感想には大変うなずけます。
信頼性・信用性、統一性という意味では、極端な話、認証制度(なんちゃらマーク)という方法もありますよね。既存の認証システムよりも少し厳格なやつを国のバックアップで構築するなど。
ただ、市場のルールは市場が作るとしても、一定レベルに成長した市場を有する場合、政府には「市場の円滑・効率的な機能を整備する」役割があります。
そして「整備」は「規制」を適度に織り交ぜるのが効率的です。しかし、警戒感のないうちにいつしか国家・行政の肥大化を招き、果ては国家が市場を支配・統制するようになり、いつのまにか『自由』市場ではなくなっていく。
今の日本(もしかしたら『自由主義体制』を標ぼうする他国も)はこのおそれの中に居ると思います。
行政を適切に“統制”できる仕組みを国民・政治家で作ったうえで、いろいろな規制をやっていけばまったく問題ないと思います。
投稿: JFK | 2008年10月16日 (木) 02時46分
みなさま、コメントありがとうございます。本件につきましては、内容がかなり過激だったためか、メールもいくつか頂戴いたしました。投資家の欲する情報と「内部統制報告制度が開示制度として法制化されていること」との関係については新鮮なご意見をいただきました。本件はおそらく今後長い目で検討すべき問題を含んでおりますので、また続編を書かせていただきます。
>こばんざめさん
わざわざブログでとりあげていただきありがとうございました。私の経験からしますと、とりあげた企業の方々はけっこう真剣にブログをお読みになりますし(笑)、厳しい意見のほうがウケるようです。こばんざめさんの推測によるご意見も交えた(その3)に期待しております。
投稿: toshi | 2008年10月20日 (月) 01時31分