官僚が決定権を握るルール体系(政省令は無用の長物?)
10月20日の日経新聞朝刊「領空侵犯」にて、楽天会長(兼社長)の三木谷氏が「法律を肉付けする省令や通達などの『装置』を操作する権限を官僚が握っているのは問題」として、重要事項は官僚が決めることへの疑問を呈しておられます。三木谷氏が指摘しておられる2007年の建築基準法改正による業界の混乱や2006年の電気用品安全法について中古家電への適用を巡る混乱につきましては、官僚の設定したルールの不備(もしくは不徹底)によってもたらされた事例として、当ブログでも当時いろいろと議論させていただいたところであります。
法律で定めるならまだしも、大切なことが国会審議を経ずに役人の胸三寸で決まるのはおかしい。官僚支配からの脱却ということが唱えられているが、その早道は省令というわかりにくい制度をやめることです。国民生活への影響が多大なルールづくりを官僚任せにしては、国会議員の職務放棄では。(日経記事より引用)
という三木谷氏の意見につきましては私も正論だと思います。ルール作りを官僚まかせにすることの弊害は、おそらく事後規制社会が機能しない場合にはますます企業社会に閉塞感を生むことになるように思われます。平等原則(行政目的によるルールが平等に適用されうるか)、比例原則(行政目的を達成するためのルールとして、最小限度の権利侵害にとどまっているか-過度に萎縮的効果を与えていないか)、他事考慮(別の行政目的を達成するためにルールが活用されていはいないか)といった点について、事後規制社会における行政ルールの在り方については十分検討する必要があると思います。もちろんこれは立法府だけの責任でなく、司法によるルール形成機能が働いていないところにも弊害の原因はあるものと考えております。
ただ一方において、官僚にも言い分があるはずです。今年3月、薬害エイズ事件において厚生省官僚(元)が「不作為」の刑事責任を問われました。これは最高裁判決です。現場の公務員ではなく、政策法務に従事する官僚が「何もしない」ことについての刑事責任を問われる意味は大きいと思います。世の中の動きをキャッチしながら、何もしないとその違法性を刑事、民事(国家賠償)で問われる時代・・・、ということになりますと、行政官僚も皆、政省令の策定や行政指導、ガイドラインの策定などに必死になることが考えられます。片方で「官僚支配からの脱却」といわれて「何もするな」と言われ、もう片方では「不作為の過失」を問われて「なにもしないことは違法だ」と言われ、いったい官僚はどうしたらいいのでしょうか。単に「重要事項は官僚が決めるな」と言い放つだけでは問題は解決しないように思われます。また、最近の食品偽装問題や悪徳商法対策など、消費者行政に期待されるところは、行政ルールやガイドラインを用いて機動的な対応が要求されるところが大きい場面も想定されるところだと思われます。
政策法務に関しては私も詳しいところではありませんが、規制緩和→国民の厳格な自己責任→行政によるルールは最小限度、という流れと、規制緩和→国民の自己責任を厳格には問えない(保護行政の必要性)→機動的な行政手法の活用→司法による検証手続きの確保、といった流れを考えながら、バランスをとる必要があるのではないでしょうか。
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コメント
山口先生
たしかに一概には決めつけられない問題でしょうね。新聞記事での某氏の意見も、問題点の指摘としては意味がありますが、現実的ではないような感じもします。もっとインタビューでは話をされたのでしょうから、もう少し具体的な中身まで意見を聞きたい気もします。
枠組みづくりのために法律に関しては、審議会など活用して、意見を反映させているのでしょうし、政令や省令などはパブコメを通じて、一定のチェックが働くような制度的な措置を講じているはずですが、先般の会社法などでも、審議会での議論と異なる「創作」が多くあって物議をかもしたことは記憶に新しいところです。
行政庁も完璧ではないですし、一定のシンパシーはあります。実直に仕事をされている方もいるでしょうが、開き直ったり、。。。いろいろ問題もあるのも事実。最後は、制度も運用する人の問題に帰着しますし、それをウオッチする側のカバー領域や力量も必要でしょうね。
もう少しマスコミもきちんと問題を取り上げ、抑止力を発揮できればいいのですが、大手新聞紙にはいろいろしがらみがあるようです。
そういう意味で、そういったところの隙間をブログなどネットでの議論や批判が埋め、社会的にも意義のある役割を果たしている面もあるように思います。
忙しい中で、先生が意見を発信されていることも、こういう文脈で大きな価値があると応援しております。
とりとめない意見ですが。。。
ではまた。
投稿: 辰のお年ご | 2008年10月21日 (火) 02時28分
そのような極端な例を出されなくてもいいと存じます。
薬害エイズの件は(私が知る限り)論外すぎます。
公務員としてどうかという以前に、人間としての姿勢として
許せないわけでして。
公務員は仕事しなくても出来なくても(それだけでは)
クビになりませんし、失策、失政を繰り返しても何ら個人の責任には
なりませんからねえ。
投稿: 機野 | 2008年10月21日 (火) 06時38分
>辰のお年ごさん
ご意見ありがとうございます。パブコメの在り方についても三木谷氏の意見が出ていたと思います。とりあげておられる「審議会」の件は、最近の大杉先生の法律時報での論文で内容を知りました。
>機野さん
ご意見ありがとうございます。たしかに最高裁の件は極端かもしれませんが、これは「行政裁量が収縮して、もはや裁量の余地がない」点が違法とされることを明らかにした点で大きな問題だと思いますね。(是非は別として)私は行政の不作為が法的に行政の裁量の余地を収縮させることについて今後の行政への影響については注視したいと思っております。
投稿: toshi | 2008年10月21日 (火) 09時47分