東大合格生のノートはなぜ美しいのか?(文芸春秋)
春日電機社に対する名誉棄損に基づく損害賠償請求訴訟が提起された、といったリリースがとても気になるところでありますが、本日はビジネス法務以外のエントリーで失礼いたします。うちの近所のプチ書店にさえ、店頭で平積みになっているのがベストセラー「東大合格生のノートは必ず美しい」(著 太田あや 税別1000円)。「ほんまかいな?」とずいぶんと前から気になっていましたので、いったいどんな本なんだろう・・・と興味本位で購入しました。司法修習生の頃、おなじクラスには「とりあえず東大に合格した経験がある人」はたくさんいらっしゃいましたけど、その方々のノートを拝見するかぎり「なんやこれ?何書いてんのか、あんたしかわからんやんか」みたいなのが多かった記憶があります。
しかしながら、この本に出てくるノートは、うーーーん、たしかに「美しい。」ちなみに、内容をあまりご存じない方は、文芸春秋社のWEB「東大合格生のノートはかならず美しい」特設サイトをご覧ください。(まず、この本がベストセラーになる必要条件としては、著者が東大卒でないことですよね。)
一読しての印象でありますが、そもそも聞いたことをきちんと頭の中で理解して、思考を整理したり、暗記すべき要点をまとめたりするための「手段として」ノートを利用(活用)する・・・ということでしょうから、ノートをとる前に勝負が決まっていたりするのではないか?「ノートをきれいに書こう」と思ってがんばる人にはできない所業であって、「気がついたらきれいなノートになっちゃってた」といった人が実際には東大合格生になっている・・・というのが真実なんじゃないでしょうかね。つまり「法則」を読んだからといって、きれいなノートが出来上がる(→東大に合格する)かというと、おそらく無理ではないかと。また、たとえ「美しいノート」が作成できたとしても、「美しさ」を表現することが目的になってしまえば、おそらく勉強の効率は下がるような気がします。
上記のような感想を抱く方は多いと思うのでありますが、私がこの本を読んで一番気になりましたのが、プリントアウトやルーズリーフではなく「ノート」であること。あとからいろんな情報を追加して立派なツールに仕上げようとしますと、どうしてもパソコンやルーズリーフを使いたくなるのでありますが、ノートだと「自分はこれで勝負」という思い切りといいますか、「もう後戻りはできない」といった不退転の覚悟が感じられます。受験にはこういった思いきりの良さ(背水の陣を敷くというほうがいいかもしれませんが)が必要だと思いますし、本当に東大合格生から学ぶべきものは「捨てる勇気」「思いきりの良さ」ではないかと考えますが、いかがでしょうか。(最近は「わが娘はこうして東大に合格した」みたいな本も出版されているみたいですし、やはり東大ブランドはあいかわらずインパクトがあるようですね。)
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コメント
ごぶさたしています(笑)。
理系の人間のノートは汚いのも多かったですが(そういう人のは汚さも並でない(笑))、文系の人のは例外なく美しかったです。僕のノートも科目を問わずきわめて美しかったです(笑)。人に見せるとすごい・・・と結構ため息つかれました。高校時代の合格者の友人のノートは有料で販売されていました。コピー代以上の値で。
ご紹介いただいた本はまだ拝読していませんが、汚くなるところがあるとすれば、それが理解が浅い証拠になるのですよね。書き出し部分はきれいでも、理解が浅い部分になると急に答案が汚くなるのです。頭の中の未整理部分がそのまま反映されてしまいます。でも後半汚くなるのでは特に数学の筆記の答案などでは、ほとんど0点にしかならない。
答案を作成をするという作業は、建築物を構築するのと似たところがあって、ささいなゆがみや醜さや妥協が後々破綻をもたらすことがあるので、最後まできれいに仕上げられる目処が経ってから答案を書き始めるわけですが、最後まで組み立て方が「見えて」いれば、自ずときれいになるわけですね。そうできていれば、点数も満点。必要なものは美しい(坂口安吾)。
でもまあ社会に出ると、そんなブロック遊びがきれいにできてなんぼやねん、という問題にもたくさん出くわして、苦労するわけでした(涙 笑)。
投稿: bun | 2008年12月11日 (木) 15時05分
bunさん、おひさしぶりでございます。よくお越しくださいました。もう4年近くブログを続けていますと、開設当時から親しくさせていただいた方(といっても、ろじゃあさんとbunさんとgo2cさんくらいですが)がなつかしく思えてきます(泣)また、裁判員制度のエントリーにもコメントいただき感謝いたします。
京大出身者というのは、どこかに東大出身者を意識するところがあるわけですが、阪大出身者というのはあまり「東大卒」にこだわりがありません。たとえば13.5ゲーム差をひっくりかえされた阪神ファンが、「まあ、今年はこれぐらいにしといたろ」といった言葉が素直にでるように、「ブロック遊びができてなんぼやねん」というのも素直に出てきます。しかしbunさんの大学時代のノート、素直に拝見したいです(笑)とくに統計学とか・・・
投稿: toshi | 2008年12月12日 (金) 01時56分
この本、マスコミなどで随分と揶揄されてるようで。
「私の知ってる東大の奴のノートは汚いのばっかりだ」とか(笑)。
私もそのひとたちの学生時代のノートは見たことありませんが、
どう考えても「美しいノート」やらを書いてるとは思えない東大出身者
ばかり存じ上げておりまして、
インパクトのあるタイトルで買わせようとするこの本には
鼻白むばかりでございます。
投稿: 機野 | 2008年12月12日 (金) 05時51分
ごぶさたしてます。
つられてのこのこ出てきました(笑)
タイトルについては命題が真であれば対偶も真のはずなので
「ノートが美しくないと東大合格生でない」
というのが真のはずがないのでご愛嬌、ということですね。
一つ反証を挙げるとすると、高校の同級生で中三で高校の数学まで独学で終えてしまって共通一次(死語w)対策で文系と一緒に社会を勉強してたりしながら、当然現役で合格した奴がいるのですが、そいつはノートをほとんどとっていなかったような・・・
それ以外にも、ノートは整理されてるんだけど字がきたなくて読めない奴とかいっぱいいました(笑)
bunさんのおっしゃるように、頭が整理されていることが大事で、それがそのままノートに出るかどうかは人によるのではないかと。
ちなみに司法試験合格者のノートってどうなんでしょうか?
投稿: go2c | 2008年12月15日 (月) 00時36分
すいません、私もノートはとってません(笑)
住友銀行入行の内定をご辞退させていただいてから司法試験の勉強を始めたので、「普通の勉強では合格できんやろな」と思いまして、比較的薄い基本書(教科書)の余白にびっしりと補足事項を書き込んで、これをノート代わりに使っていました。これはこれで「美しい」かと(^^;
いまの受験生の方々は基本書など読まない・・・と聞いたことがありますが、ノートは作っているんでしょうかね?ロースクールでノートを持ってきて質問してくる学生さんにはお目にかかったことがないような・・・
投稿: toshi | 2008年12月15日 (月) 23時32分