長銀粉飾事件は最高裁判決で終結したのか?(巨大銀行の消滅)
当ブログでずっと関心を抱いてきました長銀粉飾決算事件でありますが、昨年7月の最高裁判決(被告人無罪判決)をもって、事件そのものは終了したような気になっておりました。しかしながら、この本を拝読いたしまして、まだまだ長銀事件は終わっていないことを確信いたしました。
巨大銀行の消滅~長銀「最後の頭取」10年目の証言~(東洋経済新報社 鈴木恒男著 1900円)
著者である鈴木恒男氏は副題のとおり、長銀最後の頭取であり、民事賠償請求訴訟の被告のおひとりでもあった方です。(刑事事件の被告人からは免れた方であります)上記刑事最高裁判決の日、同じ最高裁小法廷において、民事事件についても上告棄却の決定が下りておりましたので、まさに著者にとっても前同日「無罪確定」となったわけであります。本書は、「10年目の証言」とありますが、長銀の元経営陣ら3名が逮捕されて以来の捜査や裁判の経過を記述したところは最後の一章だけでありまして、「なぜ元経営陣らの責任追及で長銀事件を終わらせようとしたのか」という点にもっとも大きな焦点があてられております。以前共同通信社から発売された「崩壊連鎖(長銀・日債銀粉飾決算事件)」も、大蔵省や日銀、政治家らの行動に焦点をあてて、たいへん興味深く読ませていただきましたが、本書はなんといっても、長銀とともに歩んでこられた著者が、バブル以前からバブル崩壊、ノンバンク処理、そして長銀崩壊に至るまでの内情 事実経過を余すところなく克明に記述されており、「これからの長銀事件」を語るには必須の一冊であります。また、コンプライアンスという観点から、どうしても知りたかった長銀幹部とノンバンク幹部(長銀頭取候補者が泣く泣くノンバンクの経営トップへ異動した事情も含めて)の人間関係について、「頭取」という地位にいらっしゃったからこそ、冷静に記述されているところが非常に興味深いところであります。(著者は、このような異動に関する人間関係が、長銀特有の「企業風土」を形成した、とまで明言されておられます)また「ノンバンク」と一口に言いましても、IPOをさかんに勧める証券会社の思惑も含め、本書を読むとそれぞれに特有の事情があったことも理解できます。
昨日のエントリーでは柳田邦男氏の高裁判決見直し要望書をとりあげ、「特定個人への責任追及によって事件を終結させ、失敗の本質を見失っては、本当の企業不祥事再発防止策は見出し得ない」という柳田氏の見解に賛同いたしましたが、本書で鈴木元頭取が指摘されている点もまさに柳田氏と同じであります。最高裁判決を経て、3人の被告人の無罪は確定したわけでありますが、100人を超える長銀関係者が連日警察、検察庁の取り調べを受け、主導権をめぐって警察と検察との対立抗争が発生し、破たん責任の真相解明に期待をしていた内部調査委員会の委員の方からは旧経営陣が民事賠償請求を受けるような事態のなかで、いったい長銀破たんに責任があるとすれば、どこにあったのか、いまだ判明していないのではなかろうか、最高裁判決は、とりあえず個人である旧経営陣には、その責任を問えないことを明らかにしたにすぎず、本当の問題分析はこれからではないのか?といった疑問が湧いてきます。もちろん鈴木氏自身の見解も述べてはいらっしゃいますが、その本当の原因究明の資料を残すべく、本書において「裸の長銀」を昭和50年代にさかのぼって記述し、読者による問題解明への議論に期待をしておられるのではないでしょうか。(また著者の抱いておられる「司法への不信」という点につきましては、あの細野祐二氏の「公認会計士VS特捜検察」を想起させるところであります)
なお、法律家として興味深いのは、著者が長銀粉飾民事事件における控訴審判決(東京高裁平成18年11月29日)の一部を引用している箇所であります。もし、私の勘違いでなければ、民事控訴審判決はこれまで判例を紹介した雑誌等もなく、おそらく内容をご存じの方も少ないのではないかと推測いたします。(第一審判決は判例時報1900号に掲載されているので、もう何度も長文を読み返しておりますが・・・)引用された箇所のみご紹介いたしますと、
「一審原告(旧長銀)の経営破たんの原因を分析してみれば、経営責任者であった被控訴人ら(旧長銀の経営陣)のいわゆる護送船団と言われた国家的な保護の下での安閑とした経営姿勢、あるいは定見のないままバブル崩壊を推進した無責任な経営姿勢等を指摘することはできようが、それはひとり被控訴人らだけに向けられるべきものではないし、従前の金融政策、金融行政の在り方にも深く関係する性質の問題でもあるのであり、個人責任を問う本件の損害賠償請求の成立要件としての違法評価とは性質、領域を異にするものであるというべきである。このような点も見てみれば、歴史的にも特記に値する金融危機の打開策として、問題を抱えながら発出された新基準に適合しない会計処理があったことをもって直ちにこれを商法違反であるとしたうえで、被控訴人らを損害賠償という形で個人的に断罪するのは、法の解釈・適用の在り方の基本部分に疑問が残り、肯認できないものである」
この高裁判決は、いわば長銀の破たん問題について、従来の金融政策、金融行政の在り方に深く関係する問題であって、適法・違法なる評価をもって判断することには疑問が残る・・・といった、とても「大人の判断」を示したものではないでしょうか。一般に公正妥当と認められる企業会計の慣行とは何か?といった問題について、司法の謙抑性を示したものであり、私個人としては、少しうれしくなったような次第であります。(ひょっとすると、もう「第二の長銀粉飾事件」への道を、日本は歩み始めているのかもしれません。)
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