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2009年1月29日 (木)

長銀粉飾事件は最高裁判決で終結したのか?(巨大銀行の消滅)

Kyodaiginkou001 当ブログでずっと関心を抱いてきました長銀粉飾決算事件でありますが、昨年7月の最高裁判決(被告人無罪判決)をもって、事件そのものは終了したような気になっておりました。しかしながら、この本を拝読いたしまして、まだまだ長銀事件は終わっていないことを確信いたしました。

巨大銀行の消滅~長銀「最後の頭取」10年目の証言~(東洋経済新報社 鈴木恒男著 1900円)

著者である鈴木恒男氏は副題のとおり、長銀最後の頭取であり、民事賠償請求訴訟の被告のおひとりでもあった方です。(刑事事件の被告人からは免れた方であります)上記刑事最高裁判決の日、同じ最高裁小法廷において、民事事件についても上告棄却の決定が下りておりましたので、まさに著者にとっても前同日「無罪確定」となったわけであります。本書は、「10年目の証言」とありますが、長銀の元経営陣ら3名が逮捕されて以来の捜査や裁判の経過を記述したところは最後の一章だけでありまして、「なぜ元経営陣らの責任追及で長銀事件を終わらせようとしたのか」という点にもっとも大きな焦点があてられております。以前共同通信社から発売された「崩壊連鎖(長銀・日債銀粉飾決算事件)」も、大蔵省や日銀、政治家らの行動に焦点をあてて、たいへん興味深く読ませていただきましたが、本書はなんといっても、長銀とともに歩んでこられた著者が、バブル以前からバブル崩壊、ノンバンク処理、そして長銀崩壊に至るまでの内情 事実経過を余すところなく克明に記述されており、「これからの長銀事件」を語るには必須の一冊であります。また、コンプライアンスという観点から、どうしても知りたかった長銀幹部とノンバンク幹部(長銀頭取候補者が泣く泣くノンバンクの経営トップへ異動した事情も含めて)の人間関係について、「頭取」という地位にいらっしゃったからこそ、冷静に記述されているところが非常に興味深いところであります。(著者は、このような異動に関する人間関係が、長銀特有の「企業風土」を形成した、とまで明言されておられます)また「ノンバンク」と一口に言いましても、IPOをさかんに勧める証券会社の思惑も含め、本書を読むとそれぞれに特有の事情があったことも理解できます。

昨日のエントリーでは柳田邦男氏の高裁判決見直し要望書をとりあげ、「特定個人への責任追及によって事件を終結させ、失敗の本質を見失っては、本当の企業不祥事再発防止策は見出し得ない」という柳田氏の見解に賛同いたしましたが、本書で鈴木元頭取が指摘されている点もまさに柳田氏と同じであります。最高裁判決を経て、3人の被告人の無罪は確定したわけでありますが、100人を超える長銀関係者が連日警察、検察庁の取り調べを受け、主導権をめぐって警察と検察との対立抗争が発生し、破たん責任の真相解明に期待をしていた内部調査委員会の委員の方からは旧経営陣が民事賠償請求を受けるような事態のなかで、いったい長銀破たんに責任があるとすれば、どこにあったのか、いまだ判明していないのではなかろうか、最高裁判決は、とりあえず個人である旧経営陣には、その責任を問えないことを明らかにしたにすぎず、本当の問題分析はこれからではないのか?といった疑問が湧いてきます。もちろん鈴木氏自身の見解も述べてはいらっしゃいますが、その本当の原因究明の資料を残すべく、本書において「裸の長銀」を昭和50年代にさかのぼって記述し、読者による問題解明への議論に期待をしておられるのではないでしょうか。(また著者の抱いておられる「司法への不信」という点につきましては、あの細野祐二氏の「公認会計士VS特捜検察」を想起させるところであります)

なお、法律家として興味深いのは、著者が長銀粉飾民事事件における控訴審判決(東京高裁平成18年11月29日)の一部を引用している箇所であります。もし、私の勘違いでなければ、民事控訴審判決はこれまで判例を紹介した雑誌等もなく、おそらく内容をご存じの方も少ないのではないかと推測いたします。(第一審判決は判例時報1900号に掲載されているので、もう何度も長文を読み返しておりますが・・・)引用された箇所のみご紹介いたしますと、

「一審原告(旧長銀)の経営破たんの原因を分析してみれば、経営責任者であった被控訴人ら(旧長銀の経営陣)のいわゆる護送船団と言われた国家的な保護の下での安閑とした経営姿勢、あるいは定見のないままバブル崩壊を推進した無責任な経営姿勢等を指摘することはできようが、それはひとり被控訴人らだけに向けられるべきものではないし、従前の金融政策、金融行政の在り方にも深く関係する性質の問題でもあるのであり、個人責任を問う本件の損害賠償請求の成立要件としての違法評価とは性質、領域を異にするものであるというべきである。このような点も見てみれば、歴史的にも特記に値する金融危機の打開策として、問題を抱えながら発出された新基準に適合しない会計処理があったことをもって直ちにこれを商法違反であるとしたうえで、被控訴人らを損害賠償という形で個人的に断罪するのは、法の解釈・適用の在り方の基本部分に疑問が残り、肯認できないものである」

この高裁判決は、いわば長銀の破たん問題について、従来の金融政策、金融行政の在り方に深く関係する問題であって、適法・違法なる評価をもって判断することには疑問が残る・・・といった、とても「大人の判断」を示したものではないでしょうか。一般に公正妥当と認められる企業会計の慣行とは何か?といった問題について、司法の謙抑性を示したものであり、私個人としては、少しうれしくなったような次第であります。(ひょっとすると、もう「第二の長銀粉飾事件」への道を、日本は歩み始めているのかもしれません。)

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2009年1月28日 (水)

柳田邦男氏の判決見直し要望書と企業コンプライアンスの精神

2001年の日航機ニアミス事件における管制官2名の刑事事件の進捗について、私は詳しくは存じ上げませんが、柳田邦男氏が高裁の有罪判決についての見直し要望書を最高裁に提出された、とのことであります。(読売新聞ニュースのみが伝えているようです)企業コンプライアンスに個人的に興味を持つに至ったのは、もうだいぶ昔に柳田邦男氏の「この国の失敗の本質」を拝読したことにも起因しております。このたびの要望書につきましても、誰もがあえて触れたがらない「組織の構造的欠陥」という問題について、再度検証を求め、そうでなければ本当の企業不祥事はなくならない(有効な再発防止策は生まれない)・・・と考える柳田氏のご意見には大いに賛同するところであります。しかも、柳田氏は2005年よりJAL安全アドバイザリーグループの座長を務める立場にありますが、自身に近い組織にとって「耳の痛い」要望を公然と社会に投げかけるところに敬服いたします。

柳田氏の要望書の件のように高尚な話ではありませんが、一昨年(2007年)、ある不祥事で新聞報道された偽装事件について、その会社の方もまじえて不祥事原因究明作業を行ったことがありました。実際のところは、商品表示偽装を行ったのはある仕入れ担当部長さんの単独意思によるものであったことが判明し、また繁忙期における大規模小売店からの仕入れ要請に、きちんと数量を揃えるためであった(足りない分だけ別の産地の商品を偽装した)ことも判明しました。つまり、この担当部長さんは、自身の私利私欲のためではなく、大手小売先の要請にきちんと応え、大口取引先を会社のために確保するため、つまり「会社のために」偽装を続けていたことも判明しました。普通であれば、特定社員が悪いことを知りつつ偽装を行ったが、その情状は十分しん酌できるもの、として寛大な処分を科して、ここで社内調査は終了し、あとは有効な再発防止策の検討に入るはずであります。しかし、ある調査委員より、担当部長さんの偽装に至る動機づけに若干の飛躍があるとして「その部長さんには、過去にも同様の偽装の前歴があるのではないか」といった疑義が呈され、再度担当部長さんにヒアリングしたところ、実は以前に私利私欲を目的とした商品偽装の前歴があり、それを経営陣と取引先で内々にもみ消したことがあったことがつきとめられました。もちろん、今回の事件について、経営陣が関与していた、ということではありませんでしたが、以前商品偽装に手を染めた社員に再度、同じポストにて業務に従事させていた、ということ自体に、そもそも「組織的な構造に問題がある」としかいいようがありません。(要は、その取引先に顔が利くのは彼しかいないので、会社としては背に腹は変えられず、従前どおりの業務をさせていた、というものであります ※なお、事件の特定を控えるため、若干の脚色があることをお許しください)

不祥事における責任の取り方については、「落とし所」をきちんと見定めて、一件落着とするのが「大人の対応」であり、また組織のためにもそのようにすべき、との意見もあるかもしれません。それはそれで一つの解決方法かもしれません。しかし、こういったことを繰り返しても、柳田氏がおっしゃるように企業の不祥事体質は何ら変わらないところだと思います。先の商品偽装の調査は、社外の人間ですし、また誰から嫌われようとも、まったく意に介さないほどに強い精神をお持ちの方ですが、プロセスチェックというのは、本来こうした原因究明の手法であり、最終的には経営トップの不作為による過失とか、企業(もしくは事業所)全体の構造的過失、というところに突き当たるのではないかと思います。そうしますと、経営トップの責任問題に発展したり、また複合的な過失競合事例ですと「いったい誰に責任があったのはわからない」といった組織の和をみだすような結果(この結果は、レピュテーションリスクを再発させるということかもしれません)を招くことになります。これは、誰でも目をそむけたくなるような事態に発展する可能性がありますが、そこに至ってはじめて再発防止のための効果的な対応策が検討されることになるのではないでしょうか。

よくコンプライアンスは経営トップの心得次第である、と言われるところでありますが、不祥事が発生したときに、徹底したプロセスチェックを貫くだけの気概をお持ちなのかどうか、そのあたりも「心得」のなかに含めておいたほうがよろしいのではないか、と思います。先日来、「不祥事を公表すること」の是非について検討しておりますが、外に向かって公表することの意味とは別に、社内でも「公表すること」に意味があることは、不祥事体質を変える、という点においては否定できないところだと思います。

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2009年1月26日 (月)

「まじめの崩壊」と企業コンプライアンス

Majimehoukai_2 ご存知、精神科医の和田秀樹氏による新刊書であります。

「まじめの崩壊」(ちくま新書 700円)

和田氏のブログによりますと、もうずいぶんと前から書きたかったテーマだったとのことで、日本人が確実に「ふまじめ化」していることへの警告を発しておられると同時に、その対応策についての提言が「まじめに」語られております。企業コンプライアンスに関連するテーマや、株主資本主義に関するテーマなども語られておりますが、おそらく私などが問題としている企業コンプライアンスや金商法上の内部統制報告制度について異論を唱えておられる(もしくは懐疑的な意見をお持ちの)方々は大いに賛同される内容ではないかと思います。私などは、よく「社外の常識と社内の常識の差を意識せよ」などと(コンプライアンスに関連する問題について)申し上げることが多いのですが、和田氏風にいえば「そもそも社内にだって常識が通る人もいれば通らない人もいる、また社外にだって通る人もいれば通らない人もいる。また同じ人間でも常識が理解できるときもあれば(精神状態によっては)理解できないときもある。むしろ「常識」が通る人はどんな人なのか、通らない人はどんな傾向があるのか、そこまで辿らなければ問題は解決しないでしょ」といった具合です。和田氏はこれを精神医学的分類によって「メランコ人間」と「シゾフレ人間」に分けて詳説されており、そもそも日本は「メランコ人間」が支配していた社会が、現在は「シゾフレ人間」が支配する社会に移行しつつあると考察されておられます。(いや、この分析は実におもしろい。賛同するか否かは別として、企業コンプライアンスを検討するにあたっては新しい視点であります)

最近よくプリンシプルベースとルールベースのお話を、このブログでもさせていただくことが多いのでありますが、和田氏曰く「そもそも、この国にはプリンシプル(物事の道理に沿って動くこと、筋を通すこと)は存在しないということは戦後から言われていたことであって、それでもうまく社会が動いていたのは、ルールベースと日本人のまじめさにあった。つまりルールの執行者が適正に執行してくれる、という信頼関係と、見せしめ的な執行があればその見せしめが社会に実効性を有していたからだ」とのこと。ふまじめ化が進行するなかで、これまでのルールベースの規制に実効性がなくなってしまうと、プリンシプルになじみのない国民への法執行は崩壊すると予想されております。このまま社会の「ふまじめ化」が進行すると、弁護士が儲かる社会になっていくだけである、といった批評もされておりまして、(はたして弁護士業が儲かるのかどうかはわかりませんが)ルールベースに慣れ親しんできた者が、「これからはプリンシプルベースで考えよう」といった意識でうまく法の執行が機能するかどうかは、たしかに和田氏のご指摘のとおりかもしれません。

本書の提言は広く日本社会全てのに向けられたものではありますが、企業コンプライアンスや内部統制といった問題に限っても、これまでのコンプライアンス指南書とはまったく別の観点から、食品偽装や性能偽装問題を考えたり、また最近のある建設会社の裏金工作事件について、不祥事発生の原因や再発防止策の本質はどこにあるのか等、検討する際には参考になる一冊ではないかと思います。

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2009年1月24日 (土)

内部統制監査の実務指針改正(公開草案)出ましたね

日本公認会計士協会のHPで内部統制監査実務指針の改正案(公開草案)がアップされております。重要な欠陥の判断基準など、かなり詳細になっておりますが、とりあえず、明日(土曜日)は一日、これを検討してみたいと思います。(常連の皆様も、おそらくいろんなご意見をお持ちになるのではないかと・・・)

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2009年1月22日 (木)

最高裁(第一小法廷)2連発判決の重み

今日(1月22日)、最高裁第一小法廷から重要判決がたて続けに出ていますね。(どちらも即日、最高裁HPに判決全文が掲載されておりますので、ご関心のある方はそちらをご参照ください)とくに「(過払金の返還債務の消滅時効に関する)個別進行基準」が否定されたことで、明日の消費者金融会社の株価がどうなるのか注目であります。

もうひとつの「相続預金の取引履歴の開示」に関する最高裁判決は、ちょっと報道されているものを読んでもわかりにくいように思います。整理しておかなければいけないのは、この最高裁判決は、あくまでも「取引履歴開示」に関するものであって、相続預金口座の残高照会に関するものではありませんので、ご注意ください。金銭債権は相続開始によって、各相続人に分割承継されますので、金融機関は各相続人からの問い合わせに対しては残高の有無、金額を回答する必要があるはずです。(現にそのような取扱がなされているはずであります。ただし払い戻しについては遺産分割協議や他の相続人全員の承認書がなければ応じられないと思いますが)

そのうえで、あらためて最高裁判決の論点ですが、そもそも預金契約は一般には消費寄託契約(準消費寄託契約)と解されていますので、預金者からの請求があれば預かっているお金を返還すればいいだけのはずです。もちろん民法665条により「消費寄託契約」には「委任に関する規定」が準用されているのでありますが、委任契約における受任者の報告義務(同法645条)は明確にその準用規定からは除外されているので、そもそも金融機関としては取引履歴を報告する必要はないのではないか?といった問題が発生するわけですね。今日の最高裁判決は、まずこの預金契約の法的性質について、自動引き落としや定期預金自動更新などの複合的なサービスが含まれていることに着目して、預金契約は、単純な消費寄託ではなく、そもそも委任契約(もしくは準委任契約)の性質を含むものである、という点を明らかにしたところが論点になるものと思われます。最高裁が「金融機関の事務処理の適切さについて(預金者が)判断するために(取引履歴の開示は)必要不可欠」とする理由を示しているところにも注目ですね。

さて、金融機関に預金者に対する取引履歴の報告義務があるとしても、これを相続人のひとりが単独で開示請求できるか、というのが次の論点ですね。高裁はどうも、先の「個別承継した預金債権」の存在からストレートに開示請求を認めたようですが(あくまでも報道ベースからの推測です)、財産権(金銭債権)の存在と、契約上の地位とは別個に考えるべきですし、最近よく議論されている信託法の理論からみても、別個に扱うべきではないかと思います。そこを最高裁判断はうまく切り抜けて預金契約上の地位は個々の相続人に存在するのではなくて、共同相続人全員に準共有(民法264条)として存在することを明らかにしております。そのうえで共有物の保存行為として(同252条但書)単独請求を認容しているようです。上告人(金融機関)の主張している「被相続人のプライバシー侵害」については、あっさりと排斥されてしまったようであります。

金融機関の守秘義務の解除に関する判例は、このところ非常に多いように感じております。この最高裁判決の先例としての妥当範囲はどこまでなのか、(また、含みを残している「権利濫用」とは、どのような場合が該当するのか)そのあたりは、また金融法務に精通された先生方の判例評釈を楽しみにしております。

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2009年1月21日 (水)

景気「急速に悪化」で「どうなる日本のコンプライアンス経営」

政府は1月の月例経済報告で、景気の基調判断を4カ月連続で下方修正したうえで、「急速に悪化している」としたそうであります。「景気はこれまでにない速さで落ち込んでいる」とのこと。応援していた春日電機社もついに上場廃止決定(2月21日廃止予定)とのことで、なんかあんまりいい話がありませんよね。

景気が悪くなりますと、「コンプライアンスどころの話ではない。会社があるから不祥事も起こる。会社がなくなりゃ、不祥事もない」くらいに軽視されてしまうおそれもありますが、そんなご時世でもNBLの新春号(896号、897号)「ケーススタディ 企業不祥事対応(上)(下)」(第一東京弁護士会企画セミナー)の対談集は、コンプライアンス経営をかなり冷静に分析していてオモシロかったです。(パネリストは郷原信郎氏、経団連の阿部泰久氏、インテグレックスの秋山をねさん)前半はクライシスマネジメント、後半はリスクマネジメントに分けた構成は非常にわかりすく、とりわけ社外調査委員会に社外役員(社外監査役、社外取締役)が加入することの是非とか、内部通報制度はどこまで有用たりうるか、不祥事調査の目的をどこにもってくれば効果的なヒアリングが可能となるか・・・など、なかなかコンプライアンス実務に関連した具体的なお話が多く、参考になりました。こういったコンプライアンス経営のお話というのは「ホンネ」の部分が一番おもしろいと感じるわけでありますが、たとえば「食品偽装を過去にやってしまったが、いまとなってはその商品も出回っていないし、安全被害もまったくない。企業が過去の食品偽装を自主公表してしまえば、ひょっとするとレピュテーションリスクによって会社がつぶれてしまうかもしれない。それでも役員であるあなたは不祥事を公表すべきか、また法的にも公表義務はあるのか」といった問題ですね。このシンポでも問題提起されており、私自身も非常に悩むところでありますが、公表する必要はないですし、また公表すべき法的義務もないのでは・・・と考えられる場面もあるでしょうね。ただ、内部通報制度や労働力の流動性の拡大、消費者意識の向上などの事情から、「隠ぺいが発覚する確率」は昔と比較すると格段に上がっていると思いますので、リスク管理の面から考えて、公表しなくてもよい・・・と考えられる場面はかなり限定されるのではないかと考えております。

昨年12月2日、米国ではSECコンプライアンス検査室ディレクターが、上場企業のCEO宛てに公開書簡を送付し「金融不安、市場不安が続く中で、多くの企業がコスト削減策を検討しているが、法令遵守徹底のための適切なコンプライアンス・プログラムの維持、強化は上場企業の法的義務であり、そのリーダーとして重要性を肝に銘じてほしい」と述べたそうであります。また、12月5日にはPCAOB(公開会社会計監視委員会)が、米国監査人に対して注意文書を送付し「経済環境を踏まえ、景気が低下する中で、経営者がどういう行動をとるのか非常にリスクが高い。内部統制監査においてもよく確認すべきである」と強調されたそうであります。日本でも「景気が急速に悪化する」なかでの3月決算を控えて、証券取引等監視委員会とか、会計士協会とか、こういった警告文書を公開する、ということはないのでしょうかね?会計士さんも、監査役さんも、ずいぶんとプレッシャーのかかる季節になってきましたよね。。。

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2009年1月20日 (火)

ACFE JAPANと関西CFE研究会共催による特別セミナー(CFE資格者向け)

(本エントリーは公認不正検査士向け広報を含んでいます)関西CFE研究会は、昨年無事、研究会第1クールを終了いたしましたが、来る2月9日午後6時30分より、大阪弁護士会館におきまして、ACFE JAPANと関西CFE研究会による共催(?)事業としまして、東京の甘粕事務局長をお迎えし、「米国CFE活動の最新事情」などを講演いただくことになりました。(2時間でCPAが2ポイントつきます。おそらく、近日中にACFE JAPANのHPでも広報されるものと思います。)関西CFE研究会においても、昨年、会員の方から米国CFEの活動状況が紹介され、私も内部通報に基づく事実調査に活用させていただいております。本場米国の不正検査のスキルや、活動実績など、なかなか普段聞くことのできない話題でありますので、関西在住のCFE資格保有者の方はぜひ、この機会にご参加ください。(現在のところ、研究会員を含め20数名程度の参加希望者です。会議室の収容人数の関係で、あと20名程度は余裕がございます)参加費は無料です。お申し込みはACFEのHPの会員ページよりお願いいたします。

日時 2009年2月9日(月)午後6時30分~8時30分

場所 大阪弁護士会館1110号室

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金融庁審議会SG「社外取締役制度の義務化、独立性強化」の本気度

つい最近までは、社外取締役制度については「わざわざ社外から取締役を招へいしても、いったい企業価値向上に結び付くのか?そんな実証例はあるのか?日本には固有の『社外監査役制度』があって、それなりに代替機能を果たしているのだから、なにも屋上屋を重ねるような制度は必要ないのではないか」といった意見が強かったのではないでしょうか。(とくに経済界の意見としては、いまでも概ね社外取締役制度の導入には否定的意見が強いと思います)しかし、18日の日経新聞一面では「金融審が『社外取締役を取締役会議長』にする案を検討している」と報道され、19日の朝日新聞ニュースなどでも、19日開催の第18回(再開後第3回)の金融審スタディグループ(SG)において、社外取締役制度の義務化および社外性の要件厳格化について議論が交わされた・・・などと、社外取締役制度がコーポレート・ガバナンス議論の中心課題として採りあげられているようであります。

基本的には金融審SGでの話題につきましては、「金融法制のなかで、いったいガバナンスの話がどこまでできるのか?」といった根本問題があるそうですが(そもそも会社法で議論すべき話題ではないのか?)、経済産業省における「企業統治研究会」での中心課題も、やはり上記2点でピタリと合致しているようですから、俄然実現性については「本気度」が高くなってくるような気がしております。(このあたりは、「旬刊商事法務」の新春1854号における経産省の課長さんの論稿が非常に参考になります)「いまなぜ『社外取締役制度』なのか?」というあたりも、これまでの「企業パフォーマンス論」から、「株主によるガバナンスにおける代弁者として不可欠であり、なにもかも『株主総会で決める』ことを回避する手段となる」とか「在日米国商工会議からの強い要望だから」といった「理屈よりも市場にお金が入るようにするための現実的かつ政策的要請」のほうが強く主張されるようになったようであります。もちろん、意思決定機関と執行機関を分離する、といった議論まで含めて検討されるのであれば「理屈の問題」もまた浮上してくるとは思いますが、とりあえず現状としてそこまでの改革は現実的ではないと思いますので、やはり政策的なところが大きな理由なんでしょうね。

全国社外取締役ネットワークの会員でありながら、こんなことを申し上げるのもちょっと気がひけますが、「社外性」の要件厳格化という点についてもどこまで独立性を強調すべきか、慎重な配慮が必要だと思います。ここ5年ほど、毎月一回、現役の社外取締役の方々と勉強会をさせていただいておりますが、正直申し上げて、大きな会社の取締役を経験されていらっしゃった方々の見識は間違いなく高いものがあります。たとえば「オバマ氏が大統領になったら、○○の業界にはかならず親日派の議員を抜擢するはずだから、○○の業界ではこういった点に気をつけろ」みたいな話になると、その実力の差は歴然です。またコンプライアンスという視点からみても、経営環境の変化に伴うリスクの変化についても、非常に当を得た意見がどんどん出てきます。また、一昨日のエントリーでも述べましたが、親会社から社外取締役として派遣されてきた子会社の取締役会において、その親会社の方が樹脂サッシの偽装について疑義を示され、これを機に自浄作用が機能したという話もありますし、「親会社から派遣されてきた社外取締役だからこそコンプライアンスが機能する」事例も実際にあるわけです。政策的な理由によって社外取締役導入を義務付けるとしても、独立性の厳格化につき上場企業一律に捉えることについてはどうかなぁ・・・とすこし疑問に思うところであります。たとえば弁護士が社外監査役や取締役に就任している場合、コーポレートガバナンス報告書には「当社の諸問題につき、法律家の見地から有用な意見をいただいております」などと書かれていますが、それだったら顧問弁護士やインハウスローヤーのほうが適任でありまして、イマ風に申し上げれば「当社には弁護士を社外取締役に置かなければいけないような○○の全社的リスクがあり、この弁護士が社外取締役としての地位に基づいて、どのような法律的素養を生かした活動によって、どのように効果的効率的にリスクが低減する」のか、きちんと説明義務を尽くすことのほうがよほど重要ではないでしょうか。

また「一律適用」についても慎重な検討が必要だと思います。たしかにソフトロー(取引所自主ルール)によるガバナンス規制といえば、上場企業に(その規模にかかわらず)監査役会設置を求めたり、財務諸表監査人による会社法監査の同時受託を求める、といったことがありますが、社外取締役の導入を自主ルールで求めることについてはどう考えるべきでしょうか。たとえば最近、浮動株時価総額基準の適用基準が緩和されましたが、これをクリアすべく、役員の株式放出問題や、役員退任問題などがテクニックとして活用され、その結果「緩和された時にはもうガバナンスはグチャグチャ」といった話も聞かれるところであります。基準緩和の決定も、適用前日に取引所からファックス一枚が届くだけですから、企業に準備の余裕もないのが現状です。自主ルールは機動性、迅速性に魅力があるわけですから、当然といえば当然かもしれませんが、人選や退任準備を含め、ある程度の準備期間が必要な社外取締役制度にはあまり向いていないような気もいたします。たとえ法改正によって導入するにしても、「一律適用」には問題があるように思います。理屈ではなく、現実の経営問題として社外取締役導入論を進めるのであれば、こういったあたりの「現実の経営問題としての弊害」への対応も含めて、今後検討されるべきだと思います。

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2009年1月18日 (日)

西松建設社の内部統制に「重要な欠陥」は認められるのか?

丸山先生が「とある建設会社の裏金事件と財務報告に係る内部統制」におきまして、「とある建設会社の内部統制は有効と評価されるのか、関心があります」と書かれておられます。私も非常に関心を抱くところであります。

監査基準委員会報告第35号「財務諸表の監査における不正への対応」における「不正」(財務報告における重要な虚偽表示の原因となる不正)の概念に「裏金工作」は該当しないのかもしれませんし、また金額的重要性も認められない可能性もありますので、西松建設社の一連の不祥事は投資家への情報提供の信頼性という面からみれば「重要な虚偽表示リスク」には該当せず問題はない(有効と評価する)、との見方もありそうです。また、このような経営トップが共謀したうえでの海外送金行為、貸金庫保管など、監査人も監査役も他の役員も「待った」をかけることができないような工作であって、そもそもが内部統制の限界を超えた事案(どんな内部統制を構築しても防ぎきれない工作)なのであるから、とりあえず財務報告に係る内部統制の有効性評価には無関係である、といった抗弁も立ちそうであります。

しかし、裏金工作は全社的な資金の流れを伴う犯罪行為ですし、経営トップを巻き込んでの全社的な関与のもとで行われております。そうしますと、たとえ今回の裏金工作自体が財務報告に直接かかわる不正でなくても、「お金の流れを経営陣が自由に操ることができるような状況なのですから」今後の財務報告に係る内部統制が経営陣によって無視される可能性はきわめて高いものと思いますし、将来の重要な虚偽表示リスクを考えた場合には「重要な欠陥あり」といえるのではないでしょうか。(建設業界という事情も、現在の各会社の業績からみて固有リスクのひとつとして考慮されると思いますし。)また「重要性」という意味から考えましても、金額的重要性を検討するまでもないほどに、経営トップが指導する裏金工作は、将来の財務報告の信頼性に影響を与える「質的重要性」が高く、リスク・アプローチ(監査リスク=固有リスク×統制リスク)の視点からも、もはや正常な内部統制に依拠して財務諸表監査を行うことが困難なレベルではないかと考えます。ただし、今回の事例ではどうだったのかは不明ですが、たとえば一連の裏金工作が内部通報によって発覚した場合や、社外取締役の指摘もしくは調査によって判明したような場合であれば、「重要な欠陥」に該当するか否か、また少し考え方が変わるかもしれません。また、ガバナンスを変更することによって(たとえば社外取締役の活用など---先日の窓枠サッシの性能偽装事件では、トクヤマの社外取締役さんの対応で不祥事発覚に至ったことは記憶に新しいところであります)、全社的内部統制については是正が可能だと思いますので、安易な内部統制限界論は持ち込むべきではないと考えます。

経営トップの関与する企業不祥事すべてを採り上げて、内部統制報告制度における「有効性評価」を問題とすることはできませんが、今回の「裏金工作」は、やはり財務報告の信頼性とかなり密接な関係にたつ不祥事ではないかと思います。さてそれでは、経営トップが辞任することで、こういった全社的内部統制の不備が是正されるのでしょうか?監査人と監査役、また監査人と内部監査室との連携・協調がますます重要視されるなかで、とりわけ「不正」と重要な虚偽表示リスクとの関係に留意しなければならない企業においては、(そもそも監査人は「不正」の法的判断は一切しないわけですから)モニタリング部門にも何らかのしっかりとした対策が必要ではないかと(少なくとも私は)思います。

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2009年1月17日 (土)

法人登記簿の代表者住所を原則非公開に??

詳しくは司法書士さんのブログで解説されるものと思いますが、17日の日経夕刊の記事によりますと、法人登記簿の閲覧については「代表者住所」が制限されるよう、政府が検討しているとのことで、法制審議会などで詰める・・・ということだそうであります。(日経ニュースでも掲載されています。日経ニュースでは、早ければ2009年の会社法改正も視野にいれている・・・とありますね。)

私はこの記事を一読して、記事が誤っているのではないかと思いますが、いかがでしょうかね。ご承知のとおり、法人登記簿に掲載されている住所には「本店住所」と「代表者住所」(たとえば株式会社なら代表取締役、代表者を指定していない特例有限会社であれば取締役等の住所ですね)があり、誰でも閲覧できますし、謄写もできます。もちろん、そこそこ大きな会社であれば本店住所と代表者住所は別々でありますが、日本のほとんどの株式会社は代表者の住所を本店住所として登記しているはずです。「雇われ社長さん」の場合には、実質的なオーナーの住所が「本店住所」だったりします。したがいまして、「代表者住所」の閲覧制限をしても、「本店住所」が記載されていればほとんど意味がありませんよね。となると、閲覧制限が検討されているのは、ひょっとすると「代表者住所」とともに「本店住所」も含む、ということなのかもしれません。

たしかに先日の元厚生次官の方々のいたましい事件がありましたし、個人情報保護の観点から制限することにも理由があるとは思いますが、その(住所閲覧制限による)恩恵を受ける社長さんは、全体のごくごく一部の方々でありまして、ほとんどの「町の社長さん」方はその恩恵を受けられないことになりますので、著しく平等原則に反する取扱いになってしまうのではないでしょうか。(この平等原則違反の取扱を正当化できるだけの合理的根拠って、なにかありますでしょうか?)となりますと、個人情報を平等に制限するならば「代表者住所」とともに「法人住所」も制限する必要があるのかもしれません。ただ、日本の裁判制度は「本人訴訟」が原則ですから、「裁判を起こしたい」と言って、法務局へ行けば、少なくとも「法人住所」は(たとえ閲覧制限されていても)誰にでも開示されることになります。また、たとえば「法人住所を探したけど、そんな会社がなかったので、代表者の住所に訴状を送りたい」と法務局で言えば、これまた国民には裁判を受ける権利がありますので、誰に対しても代表者住所の開示を拒否することはできないでしょう。そうしますと、「訴訟手続など、正当な利用目的のある場合に限り開示を認める・・・」などと条件を付してみても、ほとんど意味がないことになります。結局どのように個人の住所閲覧制限を法制化しても、その制度趣旨は実現できないと思われます。

むしろ、反社会的勢力に属する方かどうか、フロント企業に属する会社なのかどうか、といった調査することや、立証するための資料に乏しくなるために、逆に凄惨な事件が増えるような気がするのでありますが、いかがなものでしょうか。

PS ところで「司法書士さん」といえば、「認定司法書士さん」の業務に多大な影響を及ぼすといわれる平成20年11月10日神戸地裁(第6民事部)判決が話題になっていますね。被告の司法書士さんは現在控訴中とのことで、まだ裁判は確定しておりませんが、今後の刑事犯罪の主観的要件の立件にも関わる重要な判決内容ですので、冷静に今後の動向を見守りたいと思います。

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2009年1月15日 (木)

ペイントハウス3億円架空増資、SECが調査

一昨日のエントリーへのコメントで「ロックンロール会計士」さんが、上場企業の退出にからんで役所と証券取引所と公認会計士協会で役割分担とかあるんでしょうかね?との疑問を呈されておられましたが、(実は私もよくわかりませんが)なんとなく、そんなこともあるのかなぁ・・・と思わせるようなニュースもちらほらとあるような気がいたします。

それにしても、なんとなく「なつかしい匂い」のするペイントハウス社の件ですが、産経新聞ニュースによりますと、2005年5月当時(JASDAQ上場時)の増資が架空増資(見せ金増資)ではないか?とのことでSECは「偽計取引」の可能性が高いとみて調査をされているようであります。(毎日新聞ニュースのほうが詳しいようですね)ただ、この本によりますと、NOVAが破たんした2週間後である2007年11月7日付けの読売新聞の報道にて、SESCがペイントハウスのこの架空増資の件で関係数か所を捜索していたことが報じられていたようです。また、2005年7月からSESCがペイント社の有価証券報告書の検査を開始していたことと考え合わせますと(その後、金融庁初の有価証券報告書訂正命令の発出へとつながることになりますが)、ずいぶんと長い間、SESCはペイント社の件を追い続けていたように思われます。資金の流れや法人間の支配関係から「相場変動目的」や偽計取引の故意を客観的に立証することの困難性を改めて感じますね。

ただ、捜査が困難であることだけで、長時間を要した、ということでもないのかもしれません。そういえば、先にご紹介した本にも掲載されておりますが、毎日新聞で名前の挙がっておられる方は、NOVAの件で「仕掛け人」たる地位にあったとか。2006年当時、ペイントハウス社の会計処理に噛みついたのはジャスダックでしたし(その後、上場廃止処分禁止の仮処分騒動が起こったのは3年前のエントリーのとおりでありますが)、その会計処理に適正意見を表明した会計士さんを(年末に)問題視したのは公認会計士協会ですし、その会計士協会は金融庁への懲戒勧告を申し出ておられるようですし、なんとなく、ストーリーが読めてくるような気がしております。一昨日のエントリーでも書かせていただきましたが、上場廃止基準が今年いっぱいは(少なくとも時価総額ベースでは)緩和されるようですし、現時点では退出していただきたい企業をすぐに退出させることはできない環境にあるでしょうから、ともかく「退出していただきたい企業」が増えることだけは「役割分担」をもって阻止しようということではないでしょうか。(しかし3年ほど前のエントリーを読み返しますと、ずいぶんとアホなことやエラそうなこと書いてますね・・・・(^^;ハズカシ・・ 今だと、ちょっと世間の怖さを知ってしまったので、ここまでツッコミ入れることはできないかも・・・)

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2009年1月13日 (火)

上場廃止基準の緩和と上場会社のコンプライアンス

月曜日の日経朝刊一面記事で東証・大証は時価総額が一定額を下回った企業を上場廃止や指定替えにする基準について、これを緩和する方針を固めた・・・とあります。(日経ネットニュースはこちら)東証を例にとると、1部、2部、マザーズと、それぞれの基準とも下限金額を4割程度下げるとのこと(たとえば2008年に指数が60%以上下落したマザーズだと5億→3億ということになるのでしょうね)東証の有価証券上場規程(平成20年8月5日改訂分)601条(4)によると、「ただし、市況全般が急激に悪化した場合において、当取引所がこの基準によることが適当でないと認めたときは、当取引所がそのつど定めるところによる」とありますので、昨年11月以降は、この規程によってルールの適用を一時停止していたようです。

今回は601条(4)の適用によるのではなく、そもそもルール自体を変更する、ということで多くの上場会社が時価総額基準抵触(上場廃止の猶予期間突入)の事態を回避できる、ということになるようであります。株価下落傾向はずいぶんと長引く、ということが言われていますので、(反対意見はあるものの)経営改善策が直ちに株価の上昇には結びつかないと思われますし、このあたりはやむをえないところではないでしょうか。この緩和基準を適用すると、東証だけで抵触会社が30社以上→10社程度となるそうですが、こういった基準緩和が上場企業のコンプライアンスとどのような関係にあるのか、私的にはとても関心のあるところであります。こういったブログを始めてから、いろいろな適時開示をみるようになりましたが、やはり時価総額が廃止基準にひっかかってしまうことと、企業の無理な資金調達スキームとの関連性は否めないところですよね。キャッシュリッチな企業であれば業績下方修正の発表と同時に自社株買いを決定してなんとか株価の下支えを行うことも可能かもしれませんが、そもそも資金に乏しいわけですから、「そっちの方向」でなんとかしたいと思うのも当然かと思われますし。反社会的勢力と上場企業との接点が増えたり、一般投資家に対してグレーな開示情報が流れたり、(さすがに最近は減ってきましたが)露骨に既存株主から第三者への富の移転が生じるようなケースも多かったと思うのでありますが、とりあえず今回の緩和方針によって、こういった不適切な開示、スキームによる資金調達方法は(少なくとも一時的には)減少傾向に向かうのではないかと予想しております。(甘いでしょうか?)

しかし、取引所にとって「頑張って経営改善をして、市場に残ってほしい」企業がダーティーな資金調達に手を染めることを回避することはいいと思うのでありますが、もともと「早く出て行ってほしい」と思っておられる企業にも同じく延命措置をとることになりますが、こちらはどう考えたらいいのでしょうかね?証券取引所としては別途「企業行動規範」によって次善の策を検討されているのでしょうか。取引所とは別の話でありますが、ここで最近気になるのが日本公認会計士協会による「会員に対する懲戒処分」なのであります。オピニオンショッピングを繰り返す上場企業にとって「優しい」会計士さん方や、期中の会計監査人交代時における引き継ぎ不足、不足を認識したうえでの高いリスク管理を怠った会計士さん方が次々と懲戒の対象となっております。(しかし審査対象事実はずいぶんと以前のお話なんですね)こういった懲戒の内容をみますと、上場企業全般への監査に対する厳しい対応というよりも、会社内部でゴタゴタが発生し、内部統制をきちんと構築できない企業、つまり開示情報にも一般投資家保護の要請を期待できないような企業に対する監査上の警告が発せられているように思われます。どっちかというと、こういった監査法人側へのけん制によって、「市場から退出してもらいたい企業」への対応がはかられているようにも思いますが、いかがでしょうか。

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2009年1月 9日 (金)

IFRS(国際財務報告基準)の適用と「一般に公正妥当と認められる企業会計の基準」

昨日から日経新聞で連載されている「国際会計基準がやってくる(日本とここが違う)」を興味深く読ませていただいております。(9日の朝刊が最後のようです)アメリカが発展させた細則主義からEU基準の原則主義に転換する(連単分離論からすると連結財務諸表について、ということなりますが)ということで、商社や製造業の大手上場企業さんでは、すでにIFRS準備室も活動を開始しているとのこと。また、IASBの要望なのかどうかは存じ上げませんが、各国の大手監査法人さんも、IFRSの適用を想定して多くの会計士さん方が勉強をしなければならないそうですので、担当者の方々は今後ますますお忙しくなるのでしょうね。

以前にも少しエントリーで書かせていただきましたが、このIFRS(通称:国際会計基準)が直接適用された場合の法律問題というのは、もうどこかで既に議論されているのでしょうか?(もし議論されておられるところがあればお教えいただきたいところです)税金・配当可能利益計算は個別財務諸表(日本基準)ということでしょうから、違法配当罪や特別背任罪の該当性は別としましても、有価証券報告書虚偽記載罪(粉飾決算)については連結財務諸表が問題となりますので、当然のことながら金商法上(連結財務諸表等規則1条)の「一般に公正妥当と認められる企業会計の基準」とIFRSの関係が問題となるわけであります。これまでは日本のASBJ(企業会計基準委員会)が開発してこられた会計基準がこれに該当するものである・・・と(規則1条2項の文言からほぼ異論なく)認識されてきたわけですが、日本からおひとりだけ理事が選出されているIASB(国際会計基準審議会)が策定する基準が(アドプションということになりますと)そのまま金商法上の「一般に公正妥当と認められる企業会計の基準」になる、ということも異論なく認識されるのでしょうか?もし基準になるとすれば、それはどういった理屈によって基準であると説明されるのでしょうか?これは未だよくわからないナゾです。ましてや、「基準」といいましても、それが「原則主義」ということを前提としますと、書かれてあるものだけが「基準」なのか、それとも書かれていない原則(GAAP?)も「基準」と呼ぶのか、その場合、書かれていない原則は、コンバージェンスが進むであろう個別財務諸表の日本基準適用の際の会社法上の「一般に公正妥当と認められる企業会計の慣行」における「慣行」と同一なのかどうか?(ウーーン、ますますもってナゾであります)

連結財務諸表の用語、様式及び作成方法に関する規則
   (規則の適用)
    第一条

 金融商品取引法 (昭和二十三年法律第二十五号。以下「法」という。)第五条 、第七条、第九条第一項、第十条第一項又は第二十四条第一項若しくは第三項(これらの規定のうち第二十四条の二第一項において準用し、及び財務諸表等の用語、様式及び作成方法に関する規則 (昭和三十八年大蔵省令第五十九号。以下「財務諸表等規則」という。)第一条第一項 の規定により金融庁長官が指定した法人(以下「指定法人」という。)についてこれらの規定を法第二十七条 において準用する場合を含む。)の規定により提出される財務計算に関する書類のうち、連結貸借対照表、連結損益計算書、連結株主資本等変動計算書、連結キャッシュ・フロー計算書及び連結附属明細表(以下「連結財務諸表」という。)の用語、様式及び作成方法は、財務諸表等規則第一条の二 の規定の適用を受けるものを除き、この規則の定めるところによるものとし、この規則において定めのない事項については、一般に公正妥当と認められる企業会計の基準に従うものとする。

2 金融庁組織令 (平成十年政令第三百九十二号)第二十四条第一項 に規定する企業会計審議会により公表された企業会計の基準は、前項に規定する一般に公正妥当と認められる企業会計の基準に該当するものとする。

とくに、公認会計士さんの刑事責任や民事賠償責任というのは、ほとんどが被監査対象会社の倒産が引き金になるわけですから、いまのように経済情勢が極めて悪い場合には、民事再生法適用会社(粉飾決算がからむケースでは、裁判所から管財人が選任されると思いますので)については、再生債務者管財人から刑事告訴や民事賠償責任を追及されるケースはまちがいなく増加すると思われます。(先日のナナボシ事件地裁判決にあるように、先行する金融庁の行政処分と、裁判所の判断とは、その目的を異にしておりますので、金融庁から処分がなかったことについては、あまり司法判断には影響しないものと思われます)現に、先日の長銀粉飾決算事件判決や一昨年のライブドア刑事第一審判決などのように、「公正なる会計慣行」の中身が司法判断によって決定されてしまい(ライブドア事件の際には判断は回避されましたが、それでも投資事業組合は脱法行為目的で作出されたものであるから、その存在は法律上認めない・・・との理屈は、法律家には判断構成が理解できても、会計専門職の方々には不可解な印象が残ったものだと思います)、会計実務に関与されておられる方々は戦々恐々とされておられるようであります。こういった時勢におきまして、法律とIFRSの関係がどうもよくわからない・・・といった状況のまま制度が開始されるとなりますと、会計専門職の方々も大きなリーガルリスクをかかえたまま監査に臨むこととなり、「後だしジャンケン」で負けて監査法人自身も大きな社会的信用を毀損することになりかねないことを懸念いたします。

本日の日経新聞では、原則主義といいましても、粉飾決算のリスクの高い項目については規則が明確になっている、という点が指摘されておりましたが、そうはいっても書かれていないところを企業経理担当者や監査法人さんが解釈しなければならない度合いはこれまでよりも強くなるのですよね?「基準」をルールと捉えるのであれば、罪刑法定主義との関係や強制力の正当性根拠(法の委任?)、複数の基準を認めるのかどうか、監督庁たる金融庁の処分と裁判所の判断とはどういった関係に立つのか?といった問題点をクリアする必要があるでしょうし、「基準」を原則と捉えるのであれば、「一般に公正妥当」であるとは、どういうことなのか?実体なのか手続なのか?誰が「公正妥当」と最終的に判断するのか?日本基準と国際基準の「原則」は同じなのか?といった問題点が浮上するのではないかと考えております。(ちなみに「ルール」というのは法規範に準ずるような規則のこと、「原則」というのは規則を解釈するときの指針・・・程度にお考えいただければ結構です。原則ととらえるのであれば「唯一の基準」なる概念は出てこないように思いますし、ストック重視、フロー重視といった会計論争を含めて「真実性の原則」にいうところの「相対的真実」なる会計的発想とも合致するように考えております。)

なんだかんだ申しましても、最終的には裁判所が(紛争解決に必要な範囲において)個々の企業に適用されるべきルールは決定するわけでありますので、会計専門職の方々も、裁判所ルールとか、エンフォースメントの在り方については理解をしていただく必要があると思います。しかしながら、社会インフラとしてみた場合、会計士さん方が安心して監査に臨める環境、そして、多少アブナイ企業であっても、正々堂々と監査をすれば、たとえ粉飾を見抜けなかったとしても監査責任を問われない環境をできるだけ早く作り出すためには、そろそろ、こういった「法と会計の狭間にある問題」にクリアな整理がほしいところであります。

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2009年1月 7日 (水)

情報処理推進機構(IPA)のクライシス・マネジメント

IPA(独立行政法人 情報処理推進機構)職員の方のPCソフトがウイルスに感染してしまい、16,000件に及ぶファイルが流出してしまったそうであります。第一報では詳細な内容は判明しておりませんでしたが、役員さん方による記者会見により、(当該職員の方が)ファイル交換ソフトを利用して児童わいせつ画像をダウンロードしておられたことが判明したようで、ファイル交換ソフトを入手していた動機は「やっぱりなぁ」と思われた方も多いのではないでしょうか。(詳細を報じるITメディアニュースはこちら)

個人や法人に対して、普段から情報セキュリティの重要性を広報されているIPAさんとしては、なんとも格好の悪い事態であります。顕在化したリスクとしては、「普段からウィニーに注意してください」と言いながら、自分の会社の職員がこんなことになってしまって、だらしがない・・・、といった倫理的な非難を浴びること・・・・・で済むのであれば御の字だと思います。私などはIT素人なものですから、倫理的なことよりも、そもそもここの職員さんがファイル交換ソフトを使うとしても、(どういった立場のお仕事だったかは存じ上げませんが)その「恐ろしさ」を十二分に知っているはずだから、かならず自衛策を講じているはず・・・、にもかかわらず簡単に流出騒ぎを起こしているということは、しょせん、組織的にも、たいした技術は持っていないのでは?と邪推してしまうことが第一印象であります。たとえばIPAのサイトでは、ファイル交換ソフトによる情報流出を防止するための技術的な対策がリリースされておりますが、私からすると、当該職員さんは、こういった対策を当然に講じていたにもかかわらず、PCをウイルス感染させてしまい、さらに感染していることに気付かずに情報を流出させてしまった(しかも流出していることすらわからない)と思います。ということは、推奨されている対策というものが何ら無意味なものではないか?と考えてしまうのであります。(これは全社的リスクだと思います)私のようなITオンチの一般人からこういった「邪推」をされてしまうところにもっとも大きなリスクがあるのではないでしょうか。

IPAとしては、再発防止策として「私物PCでファイル交換ソフトを使用することを禁止する」ということだそうですが、これは倫理的な非難のレベルのリスクには対応可能でありますが、「そもそもなにもわかっていない組織なのでは?」といった技術面での信用毀損のクライシスには対応していないものと思います。むしろ、IPA自らリリースされているような対策を必ず毎日チェックすることを規定化するとか、もう少し今回の職員さんのセキュリティチェックの状況を公表して、組織の技術的な対策が間違っていないことを広報するとか、そのあたりのマネジメントも必要ではないかと思いますが、いかがでしょうか。

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2009年1月 5日 (月)

アトリウム社の利益相反取引と取締役の法的責任

不動産流通化事業、サービサー事業を主たる業務とするアトリウム社(東証1部、クレディセゾンの上場子会社)の社長さんが、自身が金融機関から借り入れている金員の返済目的で、アトリウム社より19億8200万円の融資を受けていたところ、担保として差し入れていた社長さん保有の自社株の市場価格が下落したために11億円の貸倒引当金が繰入れ計上されたことが新聞報道されております。(詳しくは毎日新聞ニュースをご参照ください。なお、問題になっている半期報告書では、その70ページにおいて引当に関する開示がなされております。)つまり社長さんが自社株を売って20億円を返済できない限り、アトリウム社の社長さんに対する融資金が焦げ付き、相当の損害を被る可能性が出てくることになります。なお、会社側はこの会社法上の利益相反取引(会社法356条1項2号、同法365条1項)については「取締役会の承認を得ているので問題はない」とのこと。

たしかに取締役会の承認決議による利益相反取引ですから、手続上はその有効性に問題ないのかもしれませんが、承認のある利益相反取引でも、もし会社に損害が発生した場合には取締役の任務懈怠責任が問われますので、このアトリウム社の役員さん方(取締役会決議で20億円の融資に賛成された取締役の方々、そしてなんら異議をとめなかった監査役の方々も)は、かなり憂鬱な日々を送っておられるのではないでしょうか。とりわけ取引の直接相手方でいらっしゃるアトリウム社の社長さんの場合、会社法428条1項によって無過失責任とされておりますので、このままアトリウム社の株価が上昇せず、また20億円ほどの個人資産も存在しないとなりますと、その取引責任は現実化するものと思われますし、かなり厳しい状況ではないかと推察されます。

ところで会社法428条1項といいますと、基本的には無過失責任を規定した条文であると認識されておりますが(おそらく会社法の時代になっても、裁判官はそのように理解している)、東大のT教授の商事法務論文(1763号、1764号に掲載されております。2年ほど前に同志社のロースクールの演習でも活用させていただいた著名論文ですが)では、利益相反取引の直接相手方である取締役は、無過失を立証して免責を主張することはできないが、「任務懈怠がなかった」ことを証明することで免責される余地はある、と述べておられます。たしかに428条1項の文言解釈としても、このT先生の見解は妥当するように思います。この「任務懈怠≠帰責事由」を前提とする解釈の場合、その明確な切り分けが問題となりますが、T先生は利益相反取引が「公正な取引」と言えるかどうか、という点で仕切っておられ、たとえ(取引時の状況から)公正な取引であって、その後当該取引に起因して会社に損害が発生したとしても、その直接相手方である取締役には任務懈怠がない、よって損害賠償責任は負わない、とする見解であります。非通例的取引としての利益相反取引が、実際に会社にとって不可欠な場合(会社の存続にとってやむをえない場合)があることは、監査役などをしておりますと理解できるところでありまして、この「公正な取引」でスクリーンをかける・・・というのは実務家からみても、納得できるように思います。ただし、何が「公正な取引」にあたるか?と言われますと、これは明確に線引きできるようにも思えませんし、日本のように「善管注意義務」と「忠実義務」とを分けた判例が形成されていない場合には、なおさら困難ではないかと思われます。

今回のアトリウム社の社長さんの場合、20億円の融資契約時には融資金に見合った評価額の自社株を担保として差し入れているわけでして、(自社株取得規制に関する論点もありますが、ここでは置いといて)その後も評価額が低減するたびに自宅その他の個人資産を追加担保として差し入れておられる様子です。会社の調達金利に1%未満の上乗せもされているとのこと。こういったケースでは、20億円の融資の時点では、担保評価額等からみて公正な取引である、として先のT教授の見解によれば社長さんでさえ「任務懈怠はなかった」として、免責される余地もあろうかと思われます。ただ、利益相反取引が、元来会社にとって利益の上がることまでは要件とはいえないまでも、先の毎日新聞ニュースで八田進二教授がコメントされているように、資本の毀損を生じかねないようなリスクを背負ってまで、会社が20億円を社長さんに融資しなければいけないのか、リスクと裏腹の関係にあるであろう会社のリターンもよくわからないまま、この取引が行われたとすれば、やはり公正な取引とはいえないようにも思われます。このあたり、取締役会に出席されていた監査役の方々は、どういった質問をされたのでしょうか?なお私の理解の進んでいないところもありますので、またどなたか適切なアドバイスをいただければ幸いです。

そもそも「公正なる取引」か否か、といった極めて経営判断の妥当性に近いところで司法判断が下されることにはかなり懐疑的ではありますが、取締役会でこの融資に賛同された取締役の方々に任務懈怠があったかどうか、という点については、むしろリスク管理に関する内部統制システムの構築(運用)義務違反の有無を検討したほうがスッキリするのではないでしょうか。実体として「公正取引」かどうか、といった点よりも、手続きをしっかり踏んだうえでの経営判断だったのかどうか、プロセスチェックの妥当性を検討するほうが司法判断には乗っかりやすいように思います。また、いずれにしましても、40%程度の株式を支配するクレディセゾン社が、本件についてどのような対応をとるのか、そのあたりも注目されるところです。

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2009年1月 2日 (金)

新年のご挨拶

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新年、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。年末年始は和歌山県の雑賀岬にある旅館で過ごしておりました。束の間の休暇でしたが、家族だけでのんびり過ごしました。

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