金融庁審議会SG「社外取締役制度の義務化、独立性強化」の本気度
つい最近までは、社外取締役制度については「わざわざ社外から取締役を招へいしても、いったい企業価値向上に結び付くのか?そんな実証例はあるのか?日本には固有の『社外監査役制度』があって、それなりに代替機能を果たしているのだから、なにも屋上屋を重ねるような制度は必要ないのではないか」といった意見が強かったのではないでしょうか。(とくに経済界の意見としては、いまでも概ね社外取締役制度の導入には否定的意見が強いと思います)しかし、18日の日経新聞一面では「金融審が『社外取締役を取締役会議長』にする案を検討している」と報道され、19日の朝日新聞ニュースなどでも、19日開催の第18回(再開後第3回)の金融審スタディグループ(SG)において、社外取締役制度の義務化および社外性の要件厳格化について議論が交わされた・・・などと、社外取締役制度がコーポレート・ガバナンス議論の中心課題として採りあげられているようであります。
基本的には金融審SGでの話題につきましては、「金融法制のなかで、いったいガバナンスの話がどこまでできるのか?」といった根本問題があるそうですが(そもそも会社法で議論すべき話題ではないのか?)、経済産業省における「企業統治研究会」での中心課題も、やはり上記2点でピタリと合致しているようですから、俄然実現性については「本気度」が高くなってくるような気がしております。(このあたりは、「旬刊商事法務」の新春1854号における経産省の課長さんの論稿が非常に参考になります)「いまなぜ『社外取締役制度』なのか?」というあたりも、これまでの「企業パフォーマンス論」から、「株主によるガバナンスにおける代弁者として不可欠であり、なにもかも『株主総会で決める』ことを回避する手段となる」とか「在日米国商工会議からの強い要望だから」といった「理屈よりも市場にお金が入るようにするための現実的かつ政策的要請」のほうが強く主張されるようになったようであります。もちろん、意思決定機関と執行機関を分離する、といった議論まで含めて検討されるのであれば「理屈の問題」もまた浮上してくるとは思いますが、とりあえず現状としてそこまでの改革は現実的ではないと思いますので、やはり政策的なところが大きな理由なんでしょうね。
全国社外取締役ネットワークの会員でありながら、こんなことを申し上げるのもちょっと気がひけますが、「社外性」の要件厳格化という点についてもどこまで独立性を強調すべきか、慎重な配慮が必要だと思います。ここ5年ほど、毎月一回、現役の社外取締役の方々と勉強会をさせていただいておりますが、正直申し上げて、大きな会社の取締役を経験されていらっしゃった方々の見識は間違いなく高いものがあります。たとえば「オバマ氏が大統領になったら、○○の業界にはかならず親日派の議員を抜擢するはずだから、○○の業界ではこういった点に気をつけろ」みたいな話になると、その実力の差は歴然です。またコンプライアンスという視点からみても、経営環境の変化に伴うリスクの変化についても、非常に当を得た意見がどんどん出てきます。また、一昨日のエントリーでも述べましたが、親会社から社外取締役として派遣されてきた子会社の取締役会において、その親会社の方が樹脂サッシの偽装について疑義を示され、これを機に自浄作用が機能したという話もありますし、「親会社から派遣されてきた社外取締役だからこそコンプライアンスが機能する」事例も実際にあるわけです。政策的な理由によって社外取締役導入を義務付けるとしても、独立性の厳格化につき上場企業一律に捉えることについてはどうかなぁ・・・とすこし疑問に思うところであります。たとえば弁護士が社外監査役や取締役に就任している場合、コーポレートガバナンス報告書には「当社の諸問題につき、法律家の見地から有用な意見をいただいております」などと書かれていますが、それだったら顧問弁護士やインハウスローヤーのほうが適任でありまして、イマ風に申し上げれば「当社には弁護士を社外取締役に置かなければいけないような○○の全社的リスクがあり、この弁護士が社外取締役としての地位に基づいて、どのような法律的素養を生かした活動によって、どのように効果的効率的にリスクが低減する」のか、きちんと説明義務を尽くすことのほうがよほど重要ではないでしょうか。
また「一律適用」についても慎重な検討が必要だと思います。たしかにソフトロー(取引所自主ルール)によるガバナンス規制といえば、上場企業に(その規模にかかわらず)監査役会設置を求めたり、財務諸表監査人による会社法監査の同時受託を求める、といったことがありますが、社外取締役の導入を自主ルールで求めることについてはどう考えるべきでしょうか。たとえば最近、浮動株時価総額基準の適用基準が緩和されましたが、これをクリアすべく、役員の株式放出問題や、役員退任問題などがテクニックとして活用され、その結果「緩和された時にはもうガバナンスはグチャグチャ」といった話も聞かれるところであります。基準緩和の決定も、適用前日に取引所からファックス一枚が届くだけですから、企業に準備の余裕もないのが現状です。自主ルールは機動性、迅速性に魅力があるわけですから、当然といえば当然かもしれませんが、人選や退任準備を含め、ある程度の準備期間が必要な社外取締役制度にはあまり向いていないような気もいたします。たとえ法改正によって導入するにしても、「一律適用」には問題があるように思います。理屈ではなく、現実の経営問題として社外取締役導入論を進めるのであれば、こういったあたりの「現実の経営問題としての弊害」への対応も含めて、今後検討されるべきだと思います。
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コメント
月刊監査役のフォーラムでの加護野忠男さんの発言は読まれましたか?
是非是非皆さまもご一読くださいませ。
会場が大いに沸いたそうですが、あれがほとんどの企業の取締役、
監査役、社員のホンネです。まあ、(討論相手も仰せですが)
攘夷派・水戸烈公(徳川斉昭)そのものですけどね(笑)。
社外取締役が増えれば増えるほど、取締役会は空洞化していきます。
何せ実態を肌身に感じていないですから
(スーパーマンのような極めて優秀な経営のプロフェッショナルは
別でしょうけど、そんなひとは日本だと100人もいるかな)。
加護野先生も仰せですが、「独立性」とはその独立性を意識すれば
するほど「無責任」と化してしまいかねません。
経営に於いては非独立性=当事者意識が絶対に不可欠です。
だからこそ、折衷案的に「社外監査役」という制度があるわけですから。
つまるところ、「経営と執行の分離」というのは超巨大企業だけでしか
有効ではないような気が強くします。重役が執行をおこなっているほうが
効率的かつスピーディに企業運営が図れるわけです。
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金融庁もまだアリバイ作り(存続運動)みたいなことをしてるのかと
溜息が出ますよ。税金使ってるわけですからね彼らは…。
投稿: 機野 | 2009年1月21日 (水) 00時39分
ここでいう「社外取締役制度の義務化」「独立性強化」とは
いったいどのような意味なのでしょう。
よく知らなくてあれですが、人材不足、報酬の問題、兼業・競業の
問題、社外取締役本人の委縮(安全志向)、会社側の委縮、などの
問題がありますから、監査役のほうで半数以上要件や責任限定契約で
バランスを取っている現状がぎりぎりだと感じています。
社外取締役に関するこれまでの議論からすれば、義務化は極論だと
思います。少なくとも実務のための政策ではないですね。
そもそもコーポレートガバナンスは、そのような押しつけを受諾
して、しかたなくやることを是とする思想ではないと思います。
当該会社の株主がどう考えるか、取締役会がどう受け止めるか、
そのせめぎあいに委ねればよい。それに尽きる話だと思います。
独立性強化というのはどういうことでしょう。こちらもよく知らな
くてあれですが、
親会社や関連会社から招へいしちゃだめだということにでもしたいの
でしょうか。そういうことならば、そんな規律を押し広げるのは
不可能です。株主に説明がつく候補者はそうそういませんし、
あかの他人と経営できる風土はこの国には未だ無いのですから、
これまた全体に押し広げるのは強弁です。
職にあぶれた弁護士や会計士の雇用創出策ですか?
投稿: JFK | 2009年1月21日 (水) 21時24分
肯定論についても思索してみましたが、
どうも 海外資金の呼び込み(流出防止)くらいしか思い当たりません。
肯定論からは、不祥事の防止なんかも挙げるべきなのでしょうが、
なぜ不祥事の防止につながるか、根拠付けるのは苦しいように思います。
不祥事が防止されるというためには経営の抑止効を認める必要があり、
この点に関する反対論からの批判、すなわち「それは萎縮にもつながる」
「過度の抑制は経営効率・成長性・収益力をも減衰させる」といった批判
に耐えられない、あるいは平行線にとどまると思うからです。
間の悪いことに、今の世界経済からすると、社外取締役を義務化した
からといって海外資金が呼び込めるということにも説得的な根拠がありません。
むしろ、日本経済を上に向けるには経営を抑止している場合ではないとの
再反論が妥当しかねない環境です。
また、外国の機関投資家だけでなく、日本の株主の大部分からも肯定論が
挙がっておればよいのですが、残念ながらそれも期待できません。
日本の制度の議論なのに国内投資者からの突き上げがないというのは、
肯定論にとって、いかにも心もとないです。
結局、肯定論からも極端な肯定論(義務化・独立性強化)はとり得ず、
「努力義務」程度に落とさざるを得ないのではないでしょうか。
投稿: JFK | 2009年1月26日 (月) 22時00分
日経もどうもこの話プッシュされようとしているのですが、
だいたい内部統制のナの字もないようなマスコミさんや金融庁さんには
正直言われたくない、間に合ってます!的な気分であります(笑)。
いやマジもマジ、大真面目にそう思いますよ。
投稿: 機野 | 2009年1月27日 (火) 00時06分
コーポレートガバナンスの議論は、株主の観点からみて、会社経営に対する有効なチェックをどのように制度的に確保するか、という問題が本質的だと考えています。
教科書的になりますが、本来は、経営に関する意思決定が取締役会でなされ、その決定を執行する「業務執行者」がきちんと経営していることを取締役会を通じて監督が行われ、定時株主総会に向けてその状況の報告がなされるという基本構図があるはずです。(したがって、取締役会のメンバーとしての取締役の地位は、当然に執行権を伴うものではないはずですが、このあたりの法概念が十分に整理されていない場合があり、議論の混乱があるように思われます。取締役会設置会社となる上場会社について、「取締役に経営を委ね・・・」という趣旨の表現がなされていれば、誤解が入っています。)
もし社外取締役が一切いない状況はどういう状況かを考えると、取締役会のメンバーは、社長をトップとした経営陣の職制上の上下関係がそのまま持ち込まれ、取締役会による意思決定も監督も、実際は社長が独占的に行うような体制になってしまうのではないでしょうか。しかし、社長の独走・専横を抑止するためにも、また、経営が非効率であったりするなど問題がある場合に適切に対処するためにも、執行と監督の分離により、取締役会が適切に監督機能を果すべきではないか、という問題意識があると思います。取締役会に監督を期待できない場合には、企業価値の向上が十分になされないだけでなく、不正などの問題に適切な対処ができない(組織ぐるみでの不正行為)が発生したとすれば企業価値の破壊につながります。取締役会に期待される機能が十分に発揮されることは、株主だけの問題ではなく、企業価値向上の観点からも、望まれる状況といえ、他方、経営チェックがない状況で不備が露呈すると、被害は大きくなるということがいえるのではないでしょうか。
取締役の独立性の議論をすると、企業価値が高まったかどうか、高まっていないならばそれは不要だ、とか、現状でも経営はうまく行っているのだから、そんなのは有害だ、という議論もなされることがありますが、チェックアンドバランスがない(不十分)である場合の問題をもう少し考えてみる必要がある、と思います。その意味で、取締役会のあるべき姿がきちんと議論されることが大事ではないか、と。
(監査役設置会社の場合に業務を執行する役職として、会社法上の概念として代表取締役と業務執行取締役がありますが、そもそも「取締役」である必要はないはずです。このあたり、ゼロベースで会社法の概念整理をしてみると、違った議論の展開があるかもしれません。)
最後に、個人が株式投資をしようと考えた場合に、危なくて自分のお金を委ねる気にならない、という状況にある会社が多かった場合、社会的にも問題だと思います。海外投資家の資金がどうこう、という問題の前に、日本国内の投資家があまり投資したくならない状況というものを、真剣に考える必要があります。海外投資家を利するというよりは、本質的には国内の問題といえます。経営チェックに信頼が置けないのではないか、が問題というべきでしょう。
投稿: 辰のお年ご | 2009年1月27日 (火) 12時57分
業務執行者が行うのは『業務執行』です。
経営という用語の意義には広狭ありますが、
取締役が経営をしないという議論は寡聞にして知りません。
委員会設置会社と取締役会設置会社は別物です。
あくまで、一般論は取締役会設置会社が基本です。
ちなみに、私の理解では「監督」も経営の一部です。
念のため、「政策論」と「当該会社のガバナンス」は峻別すべきです。
肯定論は主に非当事者的な視点で語られ、否定論は当事者(株主・
経営者・投資者)の視点からものを見ます。
政策論が企業価値を語るとき、その文脈からはいつの間にか
株主の視点が欠落する傾向があります。
企業価値を享有するのは終局的には株主です。最高裁が企業価値を
語るとき、「株主の意思」「株主共同の利益」という言葉が出てくる
のはそのためです。
コーポレートガバナンスも株主の視点を中心にするべきで、
他人事のような上からの政策論だけでは肯定論を補強できないと考えます。
政策論のみでは、ゼロコンマ数%の企業に妥当する議論を99.?%に
押し広げることはできない、これが私の考えです。
投稿: JFK | 2009年1月27日 (火) 20時32分
皆様、熱いコメントありがとうございます。(ずいぶん遅いごあいさつになりますが、今年もよろしくお願いいたします>辰のお年ごさん)
加護野先生のシンポは森田先生が司会をされていた関係で、すぐ傍で拝聴させていただきました。おっしゃるとおり大爆笑のシンポでしたよ。おそらく現在のコーポレートガバナンスの議論が「いかにして海外ウケのする取締役会を形成するか」といった視点からのものだと思いますので、取締役会=意思形成機関というところからスタートすべきなのでしょうね。当事者的な立場は執行役員に頑張ってもらって、執行役員に対峙する取締役会、といった構図もひとつ考えてもいいのではないか、というところが重要かと思います。企業パフォーマンスの検証は二の次ということなんでしょうね。
なお、JFKさんと辰のお年ごさんのご意見につきましては、本日東証から新しいガバナンス報告書2009がリリースされたみたいですので、そちらを熟読させていただいてからエントリーのなかでお受けしたいと思います。(今後ともよろしくお願いいたします)
投稿: toshi | 2009年1月29日 (木) 02時22分