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2009年1月21日 (水)

景気「急速に悪化」で「どうなる日本のコンプライアンス経営」

政府は1月の月例経済報告で、景気の基調判断を4カ月連続で下方修正したうえで、「急速に悪化している」としたそうであります。「景気はこれまでにない速さで落ち込んでいる」とのこと。応援していた春日電機社もついに上場廃止決定(2月21日廃止予定)とのことで、なんかあんまりいい話がありませんよね。

景気が悪くなりますと、「コンプライアンスどころの話ではない。会社があるから不祥事も起こる。会社がなくなりゃ、不祥事もない」くらいに軽視されてしまうおそれもありますが、そんなご時世でもNBLの新春号(896号、897号)「ケーススタディ 企業不祥事対応(上)(下)」(第一東京弁護士会企画セミナー)の対談集は、コンプライアンス経営をかなり冷静に分析していてオモシロかったです。(パネリストは郷原信郎氏、経団連の阿部泰久氏、インテグレックスの秋山をねさん)前半はクライシスマネジメント、後半はリスクマネジメントに分けた構成は非常にわかりすく、とりわけ社外調査委員会に社外役員(社外監査役、社外取締役)が加入することの是非とか、内部通報制度はどこまで有用たりうるか、不祥事調査の目的をどこにもってくれば効果的なヒアリングが可能となるか・・・など、なかなかコンプライアンス実務に関連した具体的なお話が多く、参考になりました。こういったコンプライアンス経営のお話というのは「ホンネ」の部分が一番おもしろいと感じるわけでありますが、たとえば「食品偽装を過去にやってしまったが、いまとなってはその商品も出回っていないし、安全被害もまったくない。企業が過去の食品偽装を自主公表してしまえば、ひょっとするとレピュテーションリスクによって会社がつぶれてしまうかもしれない。それでも役員であるあなたは不祥事を公表すべきか、また法的にも公表義務はあるのか」といった問題ですね。このシンポでも問題提起されており、私自身も非常に悩むところでありますが、公表する必要はないですし、また公表すべき法的義務もないのでは・・・と考えられる場面もあるでしょうね。ただ、内部通報制度や労働力の流動性の拡大、消費者意識の向上などの事情から、「隠ぺいが発覚する確率」は昔と比較すると格段に上がっていると思いますので、リスク管理の面から考えて、公表しなくてもよい・・・と考えられる場面はかなり限定されるのではないかと考えております。

昨年12月2日、米国ではSECコンプライアンス検査室ディレクターが、上場企業のCEO宛てに公開書簡を送付し「金融不安、市場不安が続く中で、多くの企業がコスト削減策を検討しているが、法令遵守徹底のための適切なコンプライアンス・プログラムの維持、強化は上場企業の法的義務であり、そのリーダーとして重要性を肝に銘じてほしい」と述べたそうであります。また、12月5日にはPCAOB(公開会社会計監視委員会)が、米国監査人に対して注意文書を送付し「経済環境を踏まえ、景気が低下する中で、経営者がどういう行動をとるのか非常にリスクが高い。内部統制監査においてもよく確認すべきである」と強調されたそうであります。日本でも「景気が急速に悪化する」なかでの3月決算を控えて、証券取引等監視委員会とか、会計士協会とか、こういった警告文書を公開する、ということはないのでしょうかね?会計士さんも、監査役さんも、ずいぶんとプレッシャーのかかる季節になってきましたよね。。。

1月 21, 2009 コンプライアンス経営はむずかしい |

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コメント

不景気下のコンプライアンスといえば、失われた10年において明るみになった複数の不祥事とともに、蛇の目ミシン判決とダスキン事件の思考の共通性&特殊性に関する先生の論考(エントリー)を思い出します。

かの不景気における違法行為は、バブル期に金銭感覚が麻痺してむちゃくちゃした側面と、その後の業績悪化に耐えかねて違法行為に走った側面とがあるように思います。
今はどうでしょうか。コンプライアンスの要請は格段に強くなり、その内容や外延についても理論的発展が見られる中で、冷酷なジレンマにおかれる場面が増えそうです。

そこで思うのですが、司法は、「法令違反」と「会社の利益・損害」は比較考量の対象にならないと考えている、つまり経営判断原則の妥当範囲でないと考えているようにみえますが、やはりあまりにもしょうもない、といったら語弊がありますが過去のあまり重要でない問題を公表するかしないかの判断において、会社に多大な損害を及ぼす蓋然性があれば、公表しないという判断をしても責任を問われないような理論構成があっていいように思います(もちろん、限定的・例外的な場面に限られるべきでしょうが)。最高裁の思考によると、事態がのちに深刻化した場合は、初期段階に対応ができたと半ば結果論的に責任を追及され、方や、結果的に事態が進行しなかったら助かるということになり、これでは報酬安いのに会社思いな日本の役員には非常に酷なように思います(会社のために賭けに出るインセンティブが働いてしまうから)。

「期待可能性」概念についてもう少し判例の集積があればなあと思います。

投稿: JFK | 2009年1月21日 (水) 10時08分

「責任は私が全部取るから公開しろ!」(或いは「公開するな!」)
と部下に云って実際にそういう言動を取り責任を全うするというのは、
この国に限らず経営者、政治家、官僚のひとつの理想だったと思います。

いまはそんな度胸のあるかたはいないし、またそういうことを強要する
こともできませんからね。

たとえ公開したためにその企業が破綻したとしても、従業員が路頭に迷う
ことになったとしても、それは公開すべきなのです。そうならないような
工夫、努力は企業も行政・司法もマスコミももっと行うべきですが。

投稿: 機野 | 2009年1月21日 (水) 23時06分

機野さん、JFKさん、コメントありがとうございます。
管理人という立場からして、どちらのご意見も出てくるのが健全な社会だと思います。心情を吐露するとしたら、私は「墓場まで持っていく」タイプだと思います。
コンプライアンスを標榜するブログでありながら「なんでやねん」と言われそうですが、「公表したら会社が危ない」と思われる程度の会社にしてしまったのも自身の責任かもしれません。たとえ消費者を敵に回しても、名誉挽回の機会を十分に残せるだけの企業体質をつけることこそ、経営者の責任なのかもしれません。それができなかったとすれば、かっこ悪いかもしれませんが、やっぱり「墓場まで持っていく」場面もありうるのかなぁと。これ、いろんな方の意見をもっとお聞きしたいところですね。

投稿: toshi | 2009年1月22日 (木) 01時56分

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