柳田邦男氏の判決見直し要望書と企業コンプライアンスの精神
2001年の日航機ニアミス事件における管制官2名の刑事事件の進捗について、私は詳しくは存じ上げませんが、柳田邦男氏が高裁の有罪判決についての見直し要望書を最高裁に提出された、とのことであります。(読売新聞ニュースのみが伝えているようです)企業コンプライアンスに個人的に興味を持つに至ったのは、もうだいぶ昔に柳田邦男氏の「この国の失敗の本質」を拝読したことにも起因しております。このたびの要望書につきましても、誰もがあえて触れたがらない「組織の構造的欠陥」という問題について、再度検証を求め、そうでなければ本当の企業不祥事はなくならない(有効な再発防止策は生まれない)・・・と考える柳田氏のご意見には大いに賛同するところであります。しかも、柳田氏は2005年よりJAL安全アドバイザリーグループの座長を務める立場にありますが、自身に近い組織にとって「耳の痛い」要望を公然と社会に投げかけるところに敬服いたします。
柳田氏の要望書の件のように高尚な話ではありませんが、一昨年(2007年)、ある不祥事で新聞報道された偽装事件について、その会社の方もまじえて不祥事原因究明作業を行ったことがありました。実際のところは、商品表示偽装を行ったのはある仕入れ担当部長さんの単独意思によるものであったことが判明し、また繁忙期における大規模小売店からの仕入れ要請に、きちんと数量を揃えるためであった(足りない分だけ別の産地の商品を偽装した)ことも判明しました。つまり、この担当部長さんは、自身の私利私欲のためではなく、大手小売先の要請にきちんと応え、大口取引先を会社のために確保するため、つまり「会社のために」偽装を続けていたことも判明しました。普通であれば、特定社員が悪いことを知りつつ偽装を行ったが、その情状は十分しん酌できるもの、として寛大な処分を科して、ここで社内調査は終了し、あとは有効な再発防止策の検討に入るはずであります。しかし、ある調査委員より、担当部長さんの偽装に至る動機づけに若干の飛躍があるとして「その部長さんには、過去にも同様の偽装の前歴があるのではないか」といった疑義が呈され、再度担当部長さんにヒアリングしたところ、実は以前に私利私欲を目的とした商品偽装の前歴があり、それを経営陣と取引先で内々にもみ消したことがあったことがつきとめられました。もちろん、今回の事件について、経営陣が関与していた、ということではありませんでしたが、以前商品偽装に手を染めた社員に再度、同じポストにて業務に従事させていた、ということ自体に、そもそも「組織的な構造に問題がある」としかいいようがありません。(要は、その取引先に顔が利くのは彼しかいないので、会社としては背に腹は変えられず、従前どおりの業務をさせていた、というものであります ※なお、事件の特定を控えるため、若干の脚色があることをお許しください)
不祥事における責任の取り方については、「落とし所」をきちんと見定めて、一件落着とするのが「大人の対応」であり、また組織のためにもそのようにすべき、との意見もあるかもしれません。それはそれで一つの解決方法かもしれません。しかし、こういったことを繰り返しても、柳田氏がおっしゃるように企業の不祥事体質は何ら変わらないところだと思います。先の商品偽装の調査は、社外の人間ですし、また誰から嫌われようとも、まったく意に介さないほどに強い精神をお持ちの方ですが、プロセスチェックというのは、本来こうした原因究明の手法であり、最終的には経営トップの不作為による過失とか、企業(もしくは事業所)全体の構造的過失、というところに突き当たるのではないかと思います。そうしますと、経営トップの責任問題に発展したり、また複合的な過失競合事例ですと「いったい誰に責任があったのはわからない」といった組織の和をみだすような結果(この結果は、レピュテーションリスクを再発させるということかもしれません)を招くことになります。これは、誰でも目をそむけたくなるような事態に発展する可能性がありますが、そこに至ってはじめて再発防止のための効果的な対応策が検討されることになるのではないでしょうか。
よくコンプライアンスは経営トップの心得次第である、と言われるところでありますが、不祥事が発生したときに、徹底したプロセスチェックを貫くだけの気概をお持ちなのかどうか、そのあたりも「心得」のなかに含めておいたほうがよろしいのではないか、と思います。先日来、「不祥事を公表すること」の是非について検討しておりますが、外に向かって公表することの意味とは別に、社内でも「公表すること」に意味があることは、不祥事体質を変える、という点においては否定できないところだと思います。
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コメント
ナナボシの判決文を探しにいった際に、偶然日航のニアミス事件の判決を見つけて、読んでみました。
それによると、「精密な航空計器の故障や異常な気象現象の介在というものではなく、便名の言い間違いというという、管制官として明らかに初歩的な単純ミスをした被告人に刑事責任を追及することは、何ら特異なこととは思われない」と、単純なミスであるから個人に刑事責任があるとしていますが、ミスの態様により責任の所在が決まるというのは、法的にどのような論理によるものでしょうか?
管制の現場で便名の取り違いがどの程度発生しているか知りませんが、予測できるミスであり、そうであればミスが重大な事故を招来しないような、組織としての管理体制が必要ではないでしょうか。
ナナボシについては、最近会計士協会の処分が行なわれ(それにしても遅すぎ!)、司法、行政と合わせて一応の決着がつきましたが、その中で、平成10年3月期を担当した会計士については過失はなかったが、行政処分がなされているから懲戒するとしています。自主規制機関としての会計士協会の懲戒処分と金融庁の行政処分について、その前提となる過失の認定に食い違いが生じていることは問題ではないでしょうか。
投稿: 迷える会計士 | 2009年2月 7日 (土) 22時13分
迷える会計士さん、こんにちは。
管制官からみて、ほんのちょっとの注意をすれば防げたにもかかわらず、その「ほんのちょっとの」注意を怠ったことが重大なミスである・・・といったところかと思います。精密な航空機器の故障ということであれば用意に発見できないとか、異常気象については予測困難といった理由が立ちますが、そういった結果回避に向けた措置は、本件では簡単にとれたでしょう・・・というあたりが差異としては認められるのでしょうね。しかし、本件で「言い間違い」があったことについては、そこで原因分析を終わらせるべきではなく、なぜ「言い間違い」が生じ、それをすぐに確認できなかったのか、という背後の組織的構造欠陥にまでせまらなければ再発防止はできないのではないか、というところがポイントです。
これはJR福知山線の事故分析でも同様ではないかと思いますね。
後半のところは、私もよく気がつきませんでした。迷える会計士さんの問題意識については私も同感です。ちょっと自分で調べてみて、また検討してみようかと思います。
投稿: toshi | 2009年2月 8日 (日) 11時30分