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2009年2月 5日 (木)

村上ファンド事件控訴審判決からインサイダー防止体制を考える

すでに新聞報道でご承知のとおり、村上被告(および法人たるMACアセットマネジメント)の証券取引法違反被告事件につき、東京高裁は(村上被告に対しては)原審の有罪実刑判決を破棄して、執行猶予付きの判決を出したそうであります。2月4日の読売新聞朝刊には、高裁判決要旨が掲載されておりましたので、以下はあくまでも判決要旨を読んだかぎりでの感想ということでご了解ください。(判決全文にアクセスできた場合、また少しばかり見解が変わるかもしれません)

村上氏自身に(課徴金ではなく)刑事罰としての証券取引法(現金融商品取引法)167条による犯罪が成立するためには、その構成要件としての①上場株式等の、②公開買付等事実を知った(情報の伝達と受領)、③公開買付者等関係者等が、④その公表前に、⑤株券等の買付等を行ったこと、および上記構成要件事実に関する認識(主観的要件たる故意の存在)が必要であります。また、上記②の「公開買付等事実」とは、公開買付者が法人である場合、その業務執行を決定する機関が、公開買付等を行うことについての決定をしたこととされております(証券取引法167条2項)。そして地裁、高裁を通じて争点とされていたのが、村上氏がライブドアと交渉していた当時、この「公開買付等を行うことについての決定」があったのかどうか、ということであり、地裁判決は平成16年9月15日の時点において、堀江氏や宮内氏がライブドア社員に、ニッポン放送株式取得に向けての具体的な指示を出していたことをもって「決定」があったとしておりました。しかしながら、高裁判決では、この「決定」があったといえるためには、大量の株券買い集め行為が主観的にも客観的にもそれ相応の根拠を持って、そのような実現可能性があると認められることが必要である、とされており、具体的には平成16年11月8日のライブドア首脳と村上氏との会談の時点ではじめて、この「決定」が認められる、とされているようであります。この点、原審が「実現可能性が全くない場合は除かれるが、あれば足り、その高低は問題にならない」としていたのとはかなり裁判所の意見内容に差がみられます。今朝の日経新聞に掲載されておりました著名な法律学者の方々のご意見も分かれておりましたが、この「決定」に関する原審の解釈については、多くの学者や実務家によってかなり批判の的になっておりましたので、この高裁判断についてはおおむね妥当な基準を示したものではないか、と歓迎される向きも多いのではないでしょうか。

ただ、私が疑問に思うところでありますが、このように「決定」の内容を(すくなくとも)原審よりも限定的(客観的)に捉えるということになりますと、犯罪成立要件たる故意との関係はどうなるのでしょうか?この点は、とりわけ証券取引法166条、167条いずれにおいても「情報受領者」のケースでは問題にならないのでしょうか?とりあえず、証券取引法167条の犯罪が成立するための故意としては、公開買付等事実を知って、ということでありますから、「ひょっとして公開買付を行うことについての決定があったかもしれない」といったいわゆる未必の故意が行為者に認定される必要があります。原審のように「決定」に関する概念を「実現可能性があれば足り、その高低は問題にならない」と捉えるのであれば、この「未必の故意」とは親和性が高く、構成要件該当性と主観的要件との整合性にぶれが生じないと思います。しかしながら、構成要件該当性としての「決定」の存否については主観的にも客観的にもそれ相応の根拠を持って、実現可能性があると認められることが必要だとするならば、たとえば公開買付者側の主観的側面に重きをおいて「決定」が認められるケースでは、その判断根拠となる証拠等が、行為者の未必の故意を認定する証拠には使えないケースも出てくるのではないでしょうか。また、客観的な側面に重きをおいて「決定」が認められるケースにおいても、理屈のうえでは、その客観的な側面については、公開買付者と行為者との間で共有されていたのかどうかを認定する必要があるのではないでしょうか。「重要事実の決定」に該当するかどうか、といった「あてはめの錯誤」については故意が阻却されることはありませんが、「重要事実の決定」と評価するための根拠事実(生の事実)について、その解釈にあまり複雑なファクターを持ち込みますと、結局のところ行為者の目からは見えないような事実や主観的要素を盛り込んで判断することになる可能性は否めないと思いますし、そうなりますと、犯罪成立要件としてのインサイダー行為者の「未必の故意」が認定できない事態になるのではないかと考えられますし、そのように考えても、市場取引者間における不公平感の是正というインサイダー取引防止のための制度趣旨を損なうことにもならないと思うのでありますが、いかがなものでしょうか。現に、この高裁判決においては、理屈の問題ではありませんが、情状理由として「被告は当初からインサイダー取引を利用して、利益を得ようとしたものではなかったことや、当初は被告の得た情報がいわゆるインサイダー情報に該当するとの認識自体も強いものではなかったことなどは、十分に考慮すべきものと思われる」とされております。村上氏側の弁護人は原審、控訴審を通じて「村上氏には実現可能性に関する認識はなかった」と主張されていたそうであり、これはおそらく構成要件該当性との関連性で主張されてきたものだと推測いたしますが、この主張は村上氏の主観的要件との関係ではどのように位置づけられるのか、ちょっと私のなかでは整理がついていないところであります。

なお、判決要旨を読みますと、高裁判決は、平成16年11月8日の堀江氏らとの会議において「ニッポン放送株の3分の1獲得を目指す決定をしたと言うべきである」として、検察側主張のとおり「3分の1以上の株式取得に関する決定」を認定しているようであります。これは、原審が「すくなくとも5%以上の株式を取得するための決定」と認定したことと対比されるべき点であります。また、「公開買付を行うことについての決定」という解釈として、「ついての決定」を重視すれば、原審のような「社員に対する調査のための具体的な指示」なども重要な根拠事実に含まれる可能性がありますが、高裁判決では「たとえ調査を開始することになっても、いまだに大量買い集めの可能性の検討の端緒にとどまるというべきで『決定』があったとは認めることはできない」として、初期における調査行為などは実現可能性の判断においては重要な要素たりえない、としている点にも注目すべきではないかと考えております。

「インサイダー防止体制を考える」と言いながら、ここまで何も書いておりませんが(すいません・・・)、長くなりましたので続きとさせていただきます。要はこういったインサイダー刑事事件の否認事件の構造を検討するなかで、理屈の問題と量刑事由を振り分けて、行政処分たる課徴金処分の対象となるインサイダー取引を防止するためにはどうすればいいのか、また刑事処分を免れて、行政処分たる課徴金処分で終わらせるためにはどうすればいいのか、そしてチャイニーズウォールを敷いたり、信託を利用することによって、法人に対するインサイダー処分を免れたり、社員を不幸に陥れないためにはどこに留意すればいいのか等を検討するためには、この村上ファンド高裁判決はかなり有意性があると思われますので、そのあたりを次回以降検討してみたいと考えております。ともかく、検察庁(金融庁)サイドとしましては、これほど国民の関心を集めるインサイダー事案において、「執行猶予付き」の判決で終わらせるとなりますと、言葉は悪いですが、「やっぱり刑事事件で立件することは労多く益少なし」として、今後ますます課徴金行政によってインサイダーを取り締まる方向へ傾斜していくことになるものと予想されます。先日のエントリーでも書かせていただいたように「コンプライアンスの官民分担」がうまく機能するようになれば、たとえば「金融庁による違法行為のお墨付き(課徴金処分)」→「日証協による過怠金処分」「証券取引所による違約金処分」→「投資家による民事賠償責任の追及」「株主代表訴訟」→「社会的評価の急落」といった流れにおいて、法人や代表者が刑事罰を受けること以上の抑止効果を得ることができるのではないか(またそのほうが早いし簡単だし)、といった考え方が成り立つように思われます。また、インサイダー取引規制が初めて導入された昭和63年に一度検討されていた「インサイダー取引規制違反に対する他の投資家からの損害賠償制度」も真剣に検討されるかもしれませんね。課徴金処分とは別に「刑事罰」の抑止的効果が「最後の砦」として残るものかどうか、検察庁による上告次第ではありますが、注目しておきたいところであります。

PS ところで話は変わりますが、貴乃花親方の新潮社に対する名誉棄損損害賠償事件の判決が出ていますが(読売新聞ニュースはこちら)、これって内部統制構築義務違反が問題になっているみたいですね。(代表者の重過失が認定されているようです。事件は2005年頃の事案ですが)判決全文を読んでみたいですね。

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コメント

 村上ファンドの裁判における最大の鍵は、平成10年の最高裁判例(日本織物加工事件)をどう解釈するかにあると思います。私は、この判例は証券取引法第166条第1項に関する判例であって、同法第167条第3項には適用されないと考えています。
 インサイダー取引規制の目的は、日本では、証券市場の公平さの確保が唯一の目的であるかのように理解されることが多いようですが、これは正しくありません。アメリカでは、入手した情報の私的利用を自制する義務(以下では信任義務)を負った者がその義務に反した株式売買を行うという背信行為を罰するという考え方に立っています。平成10年の日本の最高裁判例において、株式取得の準備行為段階であっても「決定」があったという一見無理な解釈をしているのは、アメリカ的な考え方に基づいて、背信行為を行った者(この事例の場合は顧問弁護士)を罰しようとする意図があったと考えられます。証券取引法第166条第1項による処罰の目的が証券市場の公平さの確保のみならず、背信行為の取締りも含んでいるという立場に立てば、証券市場の公平さの確保に対する懸念が現実化しない場合であっても、背信行為があれば当罰性は存在するため、「決定」についての解釈は柔軟にすることが可能になります。
 これに対して、第167条第3項の場合には、処罰の対象となっている者はこのような信任義務を負っている者ではありません。加えて、日本の証券取引法においては、情報を伝達した者については、信任義務違反があっても、罰則が適用されません。従って、証券取引法第167条第3項においては、第166条第1項とは異なって、背信行為の取締りが法目的であると解釈することはできず、証券市場の公平さの確保のみが法目的と解釈せざるを得ないため、証券市場の公平さが実際に損なわれる段階に至ったかどうかが、インサイダー取引が成立するか否かを区別する基準となると考えられます。そして、証券市場の公平さの確保が損なわれる場合の判断については、情報を知ってしまった人とそうでない人の間で、後者が不利になることもなく、かつ、前者が不利になることもない状態であることが必要であると考えられます。この点が満たされる状態とは、5%以上の株式買付けを行おうとする企業による主観的な意思決定があっただけでは足りず、客観的に見て5%以上の買付けの実現可能性が高く、かつ、その点を容疑者が認識していた、あるいは少なくとも認識することができた状態にあると考えられます。また、いったん5%以上の買付けの決定(第1の決定)があったとしても、その決定を覆すような別の決定(第2の決定)が取締役会でなされ、更に改めて買付けを行う決定(第3の決定)が行われた場合には、第3の決定以前にはインサイダー取引は成立しないと考えられます。
 以上の一般論を村上ファンドの裁判に当てはまると、ライブドアの財務状況に照らして、ニッポン放送の株式を大量に購入することが客観的に可能となったのは、フジテレビが公開買い付けを宣言した結果としてニッポン放送の株価が一定値を下回ることがないことが明確になった時点(=金融機関がライブドアに資金供給することができるようになった時点)であり、それは2005年1月ということになります。
 更に、2005年1月4日か5日か頃に、ライブドアの取締役会において、ニッポン放送の株式を5%以上買い付けることを決められなかったということなので(大鹿靖明「ヒルズ黙示録・最終章」、日経編「真相 ライブドアvsフジ」)、仮に、その時点以前に堀江氏がいったんは主観的に買付けを決めていたとしても、ライブドアの取締役会でいったんはそれが否定されたので、この時点以前に行われた決定についてはその効力が失われ、従って、この日以前の村上ファンドによる株式購入はインサイダー取引にはなりません。
 証券取引法167条第3項における「決定」を同法第166条第1項並みに緩やかに解釈した場合、例えば、偶然内部情報を入手してしまった外部者によるその情報入手後の偶然の取引(=当該情報に基づかずに行った取引)が違法なインサイダー取引と認定される危険性、ある人を罪に陥れるために意図的に大量株式取得の情報を伝達してその人が当該株式を購入した後で実際に大量取引を行ってその人を犯罪者にしてしまう危険性、自らが大量購入しようとしている株式をライバルが購入することを防止するために意図的にそのライバルに自らの購入意図を明らかにしてしまうという制度の悪用の可能性が考えられます。このようなナンセンスを許容しないようにするためには、証券取引法第166条第1項と第167条第3項の「決定」の意味が異なるものと解釈せざるを得ないと思います。

投稿: 関沢洋一 | 2009年2月 6日 (金) 21時09分

 裁判所が背信行為者を処罰するために重要事実決定基準を
操作しているとは考えられません。また、166条と167条とで
別異に解さなくとも、適用除外規定がありますので特に不都合
はないと思われます。むしろ、重要事実を知ってしまった者は
適用除外に当たらない限り取引をしてはならないのであって、
これを殊更許容しようとする解釈は、インサイダー取引規制と
逆行するものではないですか。

 私は166条も167条も一貫して「投資判断への重要な影響」が
基準だと思います(最判H11・6・10は166条の決定の解釈に
背信者処罰の要請を持ち込んではいない)。

 判決文を読んでないですが、当時の堀江社長の意思決定は、
当該事実認定が真である限り、実質的に会社の意思決定と同視でき、
投資者の投資判断に重要な影響を与えるものだといえるんじゃあり
ませんか?

投稿: JFK | 2009年2月 6日 (金) 23時15分

一夜かけて地裁判決や関連判例を読んでみました。

この事件を見るとき、「実現可能性」という言葉に
とらわれるべきでないと感じました。
被告人は単に情報を聞いちゃった者ではなく積極的に
打合せを重ねるなど実現可能性すら左右しえたように読めます。
また、当時のLD社の経営判断を取締役会による機関決定
に求めるのも妥当でなく、実質的な経営判断はむしろ
堀江氏を中心とした幹部の意思決定、ミーティング、
対外的な会議の中でなされることもあったとみるべきです。
この点にはH11判決が妥当すると考えます。
それに加えて、単なる情報受領者でなく実現可能性をも
左右しえた等、事案の特殊性も踏まえて判断したのでは
ないでしょうか。
高裁判決が手に入ったら、判断過程の相違について素人なりに
検討してみたいと思います。

投稿: JFK | 2009年2月 7日 (土) 13時58分

 私が166条1項と167条3項で別異に解釈すべきと主張する意味は、1項と3項は別々に扱うべきという趣旨と、166条と167条は別々に扱うべきという2つの趣旨があります。
 166条1項は、会社関係者に関する条文で、167条1項は、公開買付者等関係者に関する条文で、167条3項は、公開買付者等関係者から公開買付け等事実の伝達を受けた者に関する条文です。166条の重要事実の場合、インサイダー取引禁止の対象となる企業は、当該上場会社等に限定されることになりますが、167条の公開買付け等事実の場合、TOB等を仕掛ける相手企業の範囲は無限定に存在するわけですから、規制の範囲ははるかに厳しいものになります。
 もっと問題なのは、1項と3項の差です。1項の場合、会社に対して何らかの忠実義務を負っている者ですから、会社に被害を及ぼしかねない行為を自制すべきだという論理が成り立ちますが、3項の場合、会社とは関係ない人なので、会社関係者と共謀する場合を別とすれば、違法性ははるかに低いものになります。
 しかも、167条3項では、公開買付け等の実施に関する事実の伝達を受けた者は、「当該買付け等事実の公表がされた後でなければ、・・・当該公開買付け等に係る株券等に係る買付け等をしてはならない」と書いてあるので、情報を聞いてしまった人は、その情報に基づいたか否かを問わず、問題の株を買ってはいけないことになります。ある企業が他社の株式を大量に購入しようとする場合には、計画時点では多数存在する候補の中から最終的に数を絞りこむことが通常でしょうから、計画時点で偶然情報にアクセスした人は、広い範囲に渡って株式の購入を自制しないと、167条3項で処罰されるリスクを負うことになります。これは非常に厳しい規制です。
 以上を総括すれば、166条1項の判例を安易に167条3項に持ち込むのは危険であり、最高裁が十分に吟味することを望みます。
 なお、私の以上の見解は、東京大学の藤田友敬東大教授がお書きになった「内部者取引規制」(フィナンシャルレビュー1999年3月号、http://www.mof.go.jp/f-review/r49/r_49_063_090.pdf)に影響されているところが大きいです。この論文はとてもよく書かれており、村上ファンド事件の本質を理解する上で、是非読んでいただきたいと思います。

投稿: 関沢洋一 | 2009年2月 7日 (土) 16時00分

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