続・貴乃花親方名誉毀損事件判決にみる「出版社の内部統制構築義務」
ある方のご厚意により、閲覧を渇望しておりました「貴乃花親方名誉毀損事件」地裁判決(コピー)と、事件の発端となりました週刊誌記事(5つほど)を頂戴しました。さっそく平成21年2月4日付け東京地裁民事41部判決の全文を読ませていただきました。(民事38部ではなかったようですね。ホント、どうもありがとうございます m(__)m )係属中の事件につきまして、いくら「場末のブログ」といいましても、法律家の身分で詳細な法律意見を述べることはエチケット違反になるかもしれませんので、自身に関心の高い「内部統制」に関する争点のみ感想として書かせていただきます。
本件は新潮社が貴乃花親方にまつわる記事を平成17年2月17号から同年7月14日号に至るまで計5回、「週刊新潮」に掲載した件につき、貴乃花親方側が名誉毀損に基づく損害賠償請求および謝罪広告を求めて訴えを提起した事件であります。相手方は新潮社(法人)と、編集長、そして新潮社の代表者の3名でして、709条、715条(使用者責任)、719条(共同不法行為)を根拠とする点については普通の名誉毀損損害賠償事件と変わらないところでありますが、特筆すべきは旧商法266条ノ3(取締役の第三者責任)を根拠として法人の代表者個人の損害賠償を求めているところであります。そして、先日のエントリーでご紹介したとおり、東京地裁は「週刊新潮」の編集長と法人の不法行為責任(謝罪広告1回掲載を含む)を認めたうえで、さらに旧商法266条ノ3第1項に基づき、新潮社の代表者ご自身の損害賠償責任を認めております。
判決書の24頁以降で、新潮社代表者の旧商法266条ノ3に基づく法的責任認容に関する判断理由が記載されておりますが、当裁判所は明確に、出版社は名誉毀損等の権利侵害行為を可及的に防止する効果のある仕組み、体制を作っておくべきものであり、株式会社であればその代表取締役が業務統括者として社内にそういった仕組み、体制を構築すべき任務を負うもの、と判示しております。具体的には(新聞報道にありましたように)
①記事の執筆に関与する従業員について、名誉毀損等の違法行為の要件や「あてはめ」に関する正確な法的知識、名誉毀損等の違法行為を惹起しないための意識と仕事上の方法論を身につけるための研修を行う体制を構築する、②出版物を公刊する前の段階で、相応の法的知識、客観的判断力等を有する者に名誉毀損等がないかどうかチェックさせる仕組みを社内に構築する、③出版物を公刊した後の段階で、客観的な意見を提示しうる第三者視点をもった者によって構成される委員会等において、記事内容に名誉毀損等の違法性がなかったかを点検させ、社内責任者を交えて協議し、すでに発行した出版物中の記事の適否を検討する体制を構築する、
といったあたりが内部統制の骨子と思われます。(判決文ではもっと詳細な説明がなされておりますが、いちおう要旨のみということで)なお、社内体制の構築ということについては、新潮社側からも反論がなされておりますが、2年に1回程度の社内研修を行っているということでは到底不十分である、週刊新潮担当取締役が編集長に毎回説明を求めており、また問題があれば代表者へ報告される仕組みは存在することについても、社内体制としてはまったく論外、といった判断内容となっております。
「裁判所はなぜここまで厳格に出版社の内部統制構築義務を論じたのか?」という点でありますが、やはり新潮社の週刊誌出版の歴史からみて、この部門(週刊誌公刊)においてはとりわけ名誉毀損による人権侵害のリスクが高いことに注目したのではないか?と推測しております。裁判所の判断は抽象的な判断理由だけをセンセーショナルに捉えるのではなく、判断の基礎となった事実との関連性をきちんと押さえておく必要がありますが、5つも立て続けに貴乃花親方の周辺記事を掲載した…という点よりも、むしろこれまでの著名な週刊誌公刊の歴史のなかで、名誉毀損的な訴訟も数多く、実際に人権侵害と判断されたケースも非常に多いことから、「とりわけ週刊誌部門においては」リスクが高いと認識すべき・・・といった点を裁判所は重視したために、こういった内部統制の構築は代表取締役の必須の任務だと判示したようであります。ですから、冒頭「出版を業とする企業は」で始まる判断理由でありますが、すべての出版社にこの新潮社と同様の厳格な内部統制構築義務が課されるとみるべきかどうかは、別途考慮を要するところだと認識しております。このあたりは(おそらく)原告側から明確な主張がなかったところだと思いますので、裁判所のリスク管理としての内部統制構築義務の捉え方として、今後の同種紛争には極めて参考になるところだと思われます。
そして、もう一点特徴的なのは、先に掲げました③の事後チェック体制であります。「週刊誌を出すのに、なんでいちいち事後に第三者委員会の検討なんかしないといけないのか?現実離れした見解ではないか?」といった感想を持たれた方も多いのではないでしょうか。しかし当ブログの常連の皆様でしたらおわかりのとおり、内部統制は「整備と運用」もしくは「PDCAプラン」が基本ですので、整備された内部統制がうまく運用されているのか、改善すべき点はどこか・・・といったチェックがなされてはじめて「体制が構築されている」と評価されるわけであります。したがって、名誉毀損等の違法行為を防止するための仕組みが必要・・・といった判断が妥当するのであれば、当然のことながら、この事後チェック体制の構築は基本要素として備わっていなければならないことになります。新潮社という株式会社が、内部統制の基本方針について取締役会で決議をされている以上、当然のこととしてPDCAプランが機能していなければ会社法違反になるはずですので、こういった表現になるのも当然ではないかと考えております。
もちろん名誉毀損事件特有の論点とか、被告側が主張されている「編集権の独立」との関係とか、リスク認識の問題など、意見が分かれる可能性のある争点が他にもありますので、これがそのまま高裁でも維持されるのかどうかは未知数だと思われます。また、取締役会を構成する他の役員が被告になっていたら、はたして旧商法266条ノ3による連帯責任が認められただろうか・・・、といった問題点も残っております。しかしながら、会社法上の内部統制に関する議論が相当に進み、また内部統制の構築が経営トップの責務である、との認識が周知されてきた今日、こういった判断が企業法務を取り扱う裁判のなかでも普通に行われるようになってきたことについては、出版社のみならず、広く企業のリスク管理の一環として検討されるべきではないでしょうか。本件につきましては、おそらくマスコミ全般にとって、非常に悩ましい話題であり、真正面から採り上げられることもないのでは?と思いますので、当ブログでは今後も継続的に採り上げていきたいと思っております。
PS 匿名受験生さんから情報をいただきました「福島銀行違法配当事件」ですが、これも非常に関心のあるところです。私個人としましては、この問題は地方紙で小さく報道されるだけでは済まないような問題だと思うのでありますが・・・・たとえば記者会見で「分配可能額を超えた配当がなされても、会社法上は有効」と銀行側が発表した、とのことですが、それは配当決議が有効ということなのでしょうか?それとも配当決議は無効だけれども配当行為自体は有効ということなのでしょうか?著名な商法学者の皆様は、そもそも会社法上は無効である、と述べておられるようですし、このあたりはまだ決着がついていないものと認識しております。(かなりヤバイような気もしますが。。。またの機会に・・・)
| 固定リンク
コメント
私も単純な一般化は危険と考えます。
裁判所がどのような状況を前提にしているのか知りたいところです。
たしかに人権侵害記事を含む週刊誌の発行は自浄作用で予防されるべきでしょう。しかし、週刊誌の発行は、ボツになる記事も含めると無数の取材活動の上に成り立っており、これらには盗撮や盗聴(及び買収によるこれらの実現)など違法ないし違法すれすれの活動が少なからず含まれることは想像に難くありません。人権侵害記事の発行を防ぐには、こういった前段階の活動もチェックするのが有効ですが、今回の判決どこまでを想定しているのでしょうか。最終的な発行さえストップできればOKとみているのでしょうか。
内部統制構築義務の射程によっては、写真週刊誌という業態の存立にもかかわると思います。写真週刊誌なぞはPRESSではない、といってしまえばそれまでですが、名誉毀損に当たるか否かは必ずしも明確に割り切れるもとはいえず、萎縮作用は否めません。萎縮作用という意味では、裁判所が射程に収めている名誉毀損に程度・頻発度の観念はあるのか、名誉毀損なのか名誉毀損等なのかといったことも重要だと思います。
表現の自由との関係はどうなるのでしょうか。
投稿: JFK | 2009年2月12日 (木) 23時33分
誠にもって余談でございますが、
わたくしの知人にいわゆるタニマチがいらっしゃいまして、
とてもとても著名な(元)関取の支援者なのですが、
そのかたの口から衝撃の事実を聞かされたことがあります。
それが何なのか具体的に書くことは差し控えさせていただきますが、
この事案に限らず《週刊新潮》や《週刊現代》週刊誌に書いてある
角界の暴露記事もあながち決してウソではないのだなあと、
それだけは認識しております。
ですので、名誉毀損まで成立させてしまったこの裁判についても
その真偽はさておき複雑な思いに捉われております。
それはさておき、そもそも「出版社の内部統制構築義務」などという
ものが強要されるようになってしまったら、例えば「田中金脈問題」の
追及だって出来なかったに違いありません。
出版社、ジャーナリストには高いモラルが求められますが、
それはあくまでも自主的なものでなくてはなりません。
報道による被害も看過できませんが、それもまた社会が支払うべき「民主
主義のコスト」なのではないでしょうか。
投稿: 機野 | 2009年2月13日 (金) 00時20分
JFKさん、機野さん、コメントありがとうございます。
表現の自由との関係は、おそらく裁判所も念頭に置いての話だろうなぁと思います(おそらくこの民事41部も報道関連、名誉毀損関連の専門部ではないかと思いますし)本来、名誉や信用なるものは、いったん公表されてしまうと、ほとんど被害救済は困難である、しかしながら「表現の自由」の侵害は民主主義の根幹にかかわる・・・ということで、できるかぎり公権力による事前出版の差し止めの機会は謙抑的にとらえ、そのかわり事後救済的なところで裁判所が関与する、というのが一般的な裁判所の意識かと思われます。
今回のような内部統制の問題と捉えた場合、たしかに萎縮的効果は否定できないところだとは思いますが、企業が捉えるべき「リスク」(かなり高度はリスクの存在を要求)をかなり限定的に絞ることで調和を図ろうとしているのではないでしょうか。
投稿: toshi | 2009年2月15日 (日) 12時42分