法律家はIFRS(国際会計基準)をどう受け止めるべきか?
個人的な関心から、昨年来当ブログにおきましても、IFRS(国際会計基準)と「公正ナル会計慣行」との問題について触れておりますが、コンバージェンス(収れん化)とは異なり、アドプション(直接適用)が現実化するに至って、いつかは重大な問題を直視しなければならないと思っております。いわゆる「国際会計基準を国内法的にどう受けとめるべきか」という問題であります。企業会計基準委員会の開発する企業会計基準について、金融庁ガイドラインで承認をする・・・というわけにはいかないようであります。
季刊「会計基準」2009年3月号において、神田教授が論稿「上場会社法制をめぐる論議」のなかで、金融商品取引法上の重要課題として「国際会計基準の取扱」を論じておられましたが、「企業会計」5月号では、いよいよ金融庁・企業会計審議会の会長でいらっしゃる安藤先生が、この問題を真正面からとりあげておられ(「IFRS導入と会計制度の展望」)、会社法会計制度の再構築への提言にまで言及されていらっしゃいます。また、同5月号では、この分野の第一人者でいらっしゃる弥永教授も、IFRSが連結財務諸表に強制適用された場合の違憲性(国会が唯一の立法機関であり、私人に対する立法権の委任は認められない)について言及されておられます。(「IFRSと会社法」)
権威者の方々が動いたから・・・というわけではありませんが、IFRSを法律の世界がどう受け止めるのか?といった問題については、こういった方々が発言をしなければならないほどに喫緊の課題になってきた、ということは言えるのではないでしょうか。金融商品取引法会計の世界であっても、そこに有価証券虚偽記載へのペナルティ(刑事罰や課徴金制度)が存在する以上は、IFRSの(個々の企業会計への)適用の適法性を最終的に判断するのは、まぎれもなく裁判所でありまして、まさに「司法の世界」なのであります。とりあえず、現実の企業社会において適用されるべきIFRSについて、どのように「会計基準の位置づけと国による認定手続についての明文の規定を金商法上設けるべき」(神田教授)なのか、そろそろ法律家の立場からも検討がなされる時期が来ているように思います。とりわけ、IFRSが刑事罰(人身の自由)と関連性のある概念であるがゆえに、罪刑法定主義の趣旨を損なわないような法規命令であること(白紙委任の禁止)を、どのような理屈でもって根拠付けるのか、今後の重要な法律的課題ではないかと思います。(平成10年6月の「商法と企業会計の調整に関する研究会」のような、きちんとした議論の場が必要になってくるのではないでしょうかね?)
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コメント
伝えられるところによれば、IFRS(国際会計基準)を適用する、又は、適用を認めている国が100カ国以上あるということです。
いうなれば、すでに100カ国以上の国が会計基準と法律(会社法・金商法など)との関係をクリアーしているということでありましょう。
欧米では、広範なその必要性(企業・組織・非営利団体や公会計など)から、会計基準が特定の法律の付随物(会社法の計算規定、金商法の財務諸表規則等)ではなくいかなる法律にも中立的でかつ独立しています。
日本のように縦割り行政の枠での法律(法務省の会社法、金融庁の金商法など)の付随物ではありません。国際基準を導入するには、会計基準が特定の法律(会社法・金商法など)の付随物から独立することです。
日本の会計がいつまでも特定の法律(法律によって目的が異なる、会社法の配当可能利益算定目的など)の付随物から脱却することを期待したいものです。日本で会計の国際化を阻んでいたものに、日本独特の法律があります。
国際会計基準ができた経緯は欧米の法制度を踏まえて普及が行われており、会計基準の国際化に伴い会計に関連する規定は、いずれ、好むと好まざるに関わらず、法律も国際化する必要があるのではないでしょうか。すでに海外に事例が100カ国以上あるということです・・・
投稿: AY | 2009年4月21日 (火) 09時54分
私は、IFRSを日本にも導入しないと、日本経済の将来は暗いとまで、感じています。米国がIFRSに舵を切った時に、その形はいよいよ明白となったと考えます。
おそらく近い将来に、中国はIFRSの適用に踏み切るだろうと思います。アジアでも、フィリピン、ベトナムは基本的にIFRSであると理解しています。アジアにおいてもIFRSが主体となった時に、日本がコンバージェンスなんて時代遅れのことを言っていたら、日本は金融コストの高い国となって取り残されると思います。
国会が決定することができないIFRSで、国内法人の情報開示に対する強制適用することの問題指摘はありますが、具体的に検討すべきと考えます。内閣府令や法務省令でIFRSは、Follow可能と思います。今月初めのロンドンでのG20における合意事項にしても、Financial Stability Boardの創設や各国が共同して対処する事項が多く含まれています。
国際社会の場は、各国の利害がぶつかり合っており、字面と本心が異なる場合があるものの、各国はうまく立ち回っていると思います。戦争に負けるまで、気がつかなかったとなるのは、まずいと思います。
投稿: ある経営コンサルタント | 2009年4月21日 (火) 14時57分
間違ってる間違ってないという問題ではありませんからねえ。
ただ、国際会計基準の思想にはどうしてもついていけないですな。
財務諸表の存在意義、目的そのものが異なるわけで、
もう少しキャッシュフロー的、単年度的、非時価会計的な見方という
ものが尊重されるべきだと思います。
投稿: 機野 | 2009年4月22日 (水) 00時43分
toshi先生が推薦されていたので、浜田康『会計不正』(日本経済新聞出版社)を購入して、いま読んでおりますが、次のような記述を見つけて深く納得いたしました(ご紹介、ありがとうございます)-- 「現在の会計基準は、時価会計に特徴的なように、企業価値を測定するには合理的なのですが、必ずしも経営者の能力とか、事業の収益性を直接表すとは限らないのです。〔時価会計、退職給付会計、税効果会計、減損会計〕はすべて景気の変動と同じ方向に損益を動かすという傾向があります。・・・現在の会計基準は、景気に対して過敏に反応するので、損益のアップダウンの加速度が、ひと昔前の会計基準に比べかなり大きい・・・ これは経営者には大変なプレッシャーで、・・・ところが、社会一般の業績を見る目は、昔とほとんど変わっていません。投資者やマスコミは昔の会計基準の感覚で、1~2%の増減益率にもこだわる傾向が強く残っています・・」(77頁以下より抜粋) IFRS、むずかしいですね。
投稿: おおすぎ | 2009年4月22日 (水) 09時59分
>現在の会計基準は、時価会計に特徴的なように、企業価値を測定する
>には合理的なのですが、必ずしも経営者の能力とか、事業の収益性を
>直接表すとは限らないのです。
会計基準以前に、そもそも会計公準(会計基準の基礎的前提)が経営者の能力それ自体や事業の収益性を直接測定することを想定していないのではないかと思います。会計公準には、企業実体の公準、継続企業の公準、貨幣的評価の公準の3つがありますが、経営者の能力といったものは貨幣的評価の公準に関するものと言えるでしょう。
投稿: 首都漬 | 2009年4月22日 (水) 21時31分
「IFRSを法律の世界がどう受け止めるのか?といった問題について」検討されることは有意義だろうと考えます。
ところで、法律外のルールを取り込んで法的判断を下すというのはしばしばみられることです(よく知りませんが、標準的な治療法のガイドラインを医師の過失有無の基準に使うとか)。
しかし、だからといって、すべてのルール作成に法律家を関与させるという主張は一般的ではないと思います。
会計基準の設定についても、法律家の関与が(望ましいことかもしれませんが、)必須とまではいえないと思います。
投稿: ロックンロール会計士 | 2009年4月22日 (水) 23時08分
みなさま、コメントありがとうございます。ひとつひとつ拝読させていただき、勉強させていただきました。
法律の世界では、いま債権法(民法)の大改正・・・といった大きな話題がありますが、会計の世界でもIFRSはこれからの会計実務にとっての大きな話題なのですね。私はどちらかといいますと、原則的なことに興味を持ちますが、これまで以上に、会計実務家の方が概念とか理屈の問題を検討しなければいけない機会は増えるのではないでしょうか。
配当規制については、今後ますます財務諸表会計との親和性を強めるものと予想していますが、やはり粉飾決算というと司法判断とは切っても切れないでしょうから、会計と法との問題共有は社会の要請になってくると思っています。
またいろいろとご教示ください。
投稿: toshi | 2009年4月27日 (月) 00時08分