痴漢逆転無罪(最高裁)判決・私的解説
速報版でも触れておりますが、4月14日最高裁(第三小法廷)は、被告人が下級審で1年2月の実刑判決を受けた強制わいせつ被告事件(満員電車における痴漢行為)について、刑事訴訟法411条3号(判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められる場合)を適用して、職権にて破棄自判により無罪判決を下しました。以下は私の個人的な感想にすぎませんが、とりいそぎ要点と思われる点につき、解説をさせていただきます。
本来、最高裁は事実に関する問題については審理をしない、いわゆる法律審(第一審と控訴審は事実審かつ法律審)が原則でありますが、例外として、職権によって事実誤認の有無についても判断することができるわけでして、それが刑事訴訟法411条に規定された場合ということになります。また、現行刑訴法では、控訴審と上告審については事後審制を採用しておりまして、いわば事件そのものを審査するのではなく、原判決を対象として、その当否を事後的に審理する制度、ということであります。したがいまして、例外的に最高裁が事実を審査するとしても、最高裁に証人を呼んできて、新たに直接的に証拠を吟味するのではなく、これまでの下級審において採用された証拠等を再度見直して、原判決の当否を審理する、ということが基本となるわけであります。本判決を理解するには、まずこの点に関する予備知識が必要となります。
満員電車内における痴漢行為について、最高裁で無罪判決が出た・・・ということで、一般的には「被告人の潔白が証明された」とか「被害者の女子高生がウソの証言をして、無実の人を不幸に陥れたことがわかった」といった印象をもたれるかもしれませんが、この最高裁判決は、そういった次元で事実認定がひっくり返った、というものではないようです。(すくなくとも多数意見はそのようなレベルでの判断ではないと思われます)多数意見は、被害者の証言内容の疑問点を3つほど掲げて、こういった(単なる感情的なものではなく、論理的に考えて生まれてくる)疑問点がある以上は、被害者の証言の信用性については一定の疑いを生じる余地を残したものであって、その結果、被告人を有罪とするには「合理的な疑い」を抱かざるをえない、という結論に至っています。
ところが少数意見のおふたりの裁判官(とりわけ堀籠判事)の理屈については、この多数意見の議論とは噛み合っておりません。たとえば堀籠判事がご自身で事実認定をされている箇所(第2 事実誤認の有無)では、説得的な意見を展開されていますが、その文章の末尾がかならず「これを不自然ということはできないと考える」(15ページ中段)、「この点をもってAの供述の信用性を否定するのは無理というべきである」(15ページ下段)、「これをもって不自然、不合理というのは無理である」(16ページ中段)「Aの供述の信用性を否定することはできないというべきである」(16ページ中段)といったように、ほぼ断定的に(自信タップリに)多数意見を切り捨てております。実はこの噛み合っていないところがおそらく本裁判のキモにあたるところではないかと思われます。
つまり、最高裁の「事実認定の在り方」に関する裁判官の意見の相違に起因するのではないかと思われます。そもそも刑事訴訟法411条3号の「重大な事実の誤認」に該当する場合というのは、裁判官の自由心証主義(刑事訴訟法318条)を規律する「経験則、論理則に基づく判断過程に誤りがある場合もしくは誤りがあると十分に疑われる場合」とされておりますが(この点は多数意見も少数意見も同じです)、多数意見は、たとえ例外的であっても最高裁の裁判官が「事実認定」をすることが許されるケースでは、事実認定の結果については裁判官は「無罪推定原則(疑わしきは被告人の利益に)」に十分配慮すべきではないか、と考えるものであります。したがいまして、多数意見の判決内容は、「被告人が有罪であるとの心証を得るには合理的な疑いが生じる」とか「被害者の証言の信用性に一定の疑いの余地がある」といったような(歯に物がはさまったような)言い方ではありますが、その結果として最高裁の裁判官自身の事実認定作業の最後に無罪推定原則を持ち出すことにより、無罪判決へと結論付けることになります。
いっぽう、少数意見のおふたりの判断は、そもそも我が国の裁判所では、裁判官が直接主義、口頭主義によって自由な心証を得て事実認定をするのが原則であって、たとえ最高裁が事実認定を例外的に行うとしても、それは事後審制のもとでは書面によるものにすぎない、したがって事実認定については原審、控訴審の判断を最大限尊重するのが当たり前であって、被害者や被告人を面前で調べてもいない以上は謙抑的に権利行使すべきである、という思想が流れているように思われます。したがいまして、たとえば第一審や原審(控訴審)の事実認定を行った裁判官の経験則や論理則が明らかに不合理といえるような場合に限って刑訴法411条3号事由に該当すると考えますので、先にご紹介したように、不合理かどうか、無理があるかどうか、といった断定的な判断に終始することになります。
もちろん多数意見も、最高裁が事実認定に積極的に口を出すのはレア・ケースである、というところをきちんと絞りをかけています。判決冒頭において、痴漢捜査の危険性(冤罪可能性)を明確に述べ、しかしながら痴漢被害者が泣き寝入りをすることは許されないことから、今後も被害者供述のみによる立件の可能性を認めつつも、その裁判審理における被害者供述の慎重な取り扱いを求めています。その具体化として、上で述べたような無罪推定原則も裁判官の経験則や倫理則の一部を構成する、といった判断や、詳細な証言や臨場感のある証言といった表面的な供述内容だけで信用性を判断することへの警鐘、といったことが問題とされているわけであります。つまり、痴漢事件を強制わいせつ罪や条例違反によって摘発する場合の特殊性(人権と人権のぶつかり合い、司法制度による事実認定の限界)ゆえに、あえて口を出さざるを得ないということなんでしょうね。
こうやって多数意見と少数意見を比較してみますと、結論は正反対ではありますが、その思想については紙一重の違いといっても過言ではないと思います。この判決文を理屈でもって(突き詰めて)考えていきますと、「被告人は痴漢をしたかもしれないけど、その証拠が揃わなかっただけである」とか「被害者女性は、なにかの目的をもって、ウソの証言で無実の人を陥れたのかもしれない」といった言葉で表現されてしまうかもしれません。しかし、この最高裁の裁判は、そのようなことを議論することが主たる目的ではない、ということであります。多数意見に与する裁判官と少数意見を書かれた裁判官の両者に共通して言えることは、「神でもなければ、過去の真実に近づくことはできない。人間が過去の真実に近づく以上は、その権限行使は(人間の能力を超えているという)畏敬の念を以て、謙抑的でなければならない。それでも、被害者が存在する以上は、誰かが過去の真実に近づかなければならない。」といった、人間の力への過信を戒める言葉ではないでしょうか。昨年11月の迷惑防止条例違反に関する最高裁判決においては、女性のふとももを執拗に撮影していた男性について、ひとり無罪の少数意見を書いていた田原判事が、今回は有罪とする少数意見に回っておられますが、法の下における裁判官の姿としては、至極全うなものだと認識いたします。最高裁の裁判官は、常に法の下で理性的判断を怠らない職責を担っているものと信じております。(すいません、ではビジネスマンは今回の判決をもとに、満員電車ではどのようにふるまうべきか、ということも書こうと思ったのですが、長くなりましたので、別のエントリーで書きたいと思います)
PS 昨日の速報版のほうで、下着の上から触った場合には条例違反だと書きましたが、交通ルールさんのご指摘では、「最近の判例では、スカートをまくって下着の上から触った時点で強制わいせつ罪の実行の着手が認められる」そうであります。ご教示ありがとうございました。(ずいぶんと厳しくなっているのですね)
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コメント
http://blog.livedoor.jp/advantagehigai/archives/65129769.html
「高尚な」議論に口をはさむ気はありませんが、非常に常識的な判決であろうと考えます。被疑者は一貫して無罪を主張しており、他方、自称被害者は、「被害を受けた後、再び同じ車両に乗り込んだ」としています。明らかに不自然です。
このような事件が起訴され、また地裁・高裁で有罪となったことに驚いています。
抜本的な解決としては、やはり、男性専用車両しかないと思います。
西武の株主提案では、株主の半数近くが賛成しています。
投稿: 山口三尊 | 2009年4月15日 (水) 02時20分
興味深く読ませていただきました。
「じゃあどうするの?」といったところで、僕も抜本的解決が必要な時期にきているのではないかなと思いました
男性専用車両よりも、一部の車両の天井にカメラを設置してはどうでしょうか。
人権侵害ということであれば、カメラ設置車両であることを明記して、カメラのない車両に乗ることも選択のひとつとして。
裁判も大切ですが、それよりも加害者や被害者の数をなくすことのほうが大切ではないかと。
投稿: homme | 2009年4月15日 (水) 02時36分
おはようございます。
さらっとですが多数意見、2裁判官の補足意見、田原裁判長を含む2裁判官の反対意見まで読みました。
多数意見が被害者供述が理路整然…としているのは当然だということを前提に話を進めているのが非常に印象的です。しかし、上告審で事実認定を覆滅し原判決を破棄する際のありかたの部分で決定的な意見の差が出たようで、反対意見にも納得できました。現行制度上は、反対意見の結論のほうが正しいようにおもいます。(強調するまでもないですが、あくまで素人の感想です。)
それでも無罪推定原則をより高く位置づけ、被告人と検察の攻撃防御のアンバランスを少し縮めた多数意見がやはり評価されるべきなのでしょう。
ただ、結局真実はうやむやのまま裁判は終わってしまいました。真実を追求することの限界なのでしょうか。
投稿: JFK | 2009年4月15日 (水) 06時21分
はじめて書き込みさせていただきます。医療関係の刑事裁判に限界を感じ、そこからいろいろなところを調べていくうちに、こちらでも、ときどき勉強させていただいておりました。法律は全く素人です。
管理人様が、最後に述べておられるように、人が人を裁くことの限界に対する謙虚さであるとか、裁くことへの畏れということに、とても共感します。
自分自身、刑事司法に対してかなり不信感を持っていたのですが、今回の最高裁判断をみて、もしかして自分が悲観的に思っているほど酷いものでもないのかなと、希望をもたらしてくれるような判断でした。
そこで、素人の勝手な思いなんですが、反対意見のお二人も、最高裁判決の意味と重さ故に、あえて反対意見を書いておられるなんてことは無いんでしょうか。もしそうだとすれば、実名も写真も公開されてしまう立場で、あえて反対意見という立場で少数意見を述べるというのは職責を果たすとはいえ本当に心の底から尊敬します。
いや、勝手に想像してるだけですから、ホントに意見が対立しているだけなのかもしれませんが、判決文を読んでいて、前半の補足意見で、痴漢裁判の問題点、供述のみを証拠に判断することの限界を指摘して、裁判のあり方に対する大きな問題を指摘している部分の迫力に対して、後半の反対意見のお二人の意見は、たしかに現在の枠組みで判断すれば原則そうですが、管理人様も指摘されているように、全くかみ合わず、あえて従来の原則の立場に立って多数意見を切り捨てているような印象を受けちゃいました。
うがった見方をしてしまいますが、5人の男性判事がこのような判決を書くにあたって、女性からの強烈な批判を浴びることも当然予想されるわけで、多数意見3名に対してあえて反対意見2名にまわって最高裁判決の判断の出されるにあたって当然ふまえられている前提をきちんとメッセージとして出す役割を負われているのだとしたら、ほんとに頭が下がります。特に田原判事は、管理人様も指摘されているような他の裁判での判断からみても、また裁判長という立場からしても、あえてその立場をとられたんではないかと、ちょっと思ったんです。
巨大掲示板などでは、少数意見のお二人が名指しで非難されていたりするのをみるにつけ、そのような心ない批判をものともせず、最高裁判事の職責からあえてそのような意見を述べられているのだとすれば、それこそ人として勇気づけられる判決文だと思ったわけです。
いや、ほんとにタダの勘違いかもしれませんが・・・。
長文失礼しました。
投稿: とおりすがる | 2009年4月15日 (水) 10時55分
結果だけ見れば、男性からすると良かったという印象でしょうけど、女性からすれば、女子高生が痴漢にあったという供述が本当とすると真犯人は分からず終わってしまうだけで、痴漢のやり得ですよね。痴漢に対する解決は何も無いままで、これだけで良かったと思うのは男性だけ。
女性からすると痴漢に対して重い実刑を要求したいとかあるでしょうね。痴漢で無期懲役だったら、痴漢やりますか?冤罪を無くす方法も必要ですが、痴漢事態を無くす方が重要な気がします。今現在、強制わいせつ罪で6ヶ月以上7年以下の懲役。または、謝罪し反省するフリをすれば5万円の罰金だけ。痴漢された女性の精神的なものが5万円で良いのか?罰金だけでも高くした方が良いのではないかと思うのですけど、どうでしょうか?
今回の裁判についてより、痴漢の冤罪ということで書いてしまいましたが、痴漢に間違われないように男性専用車両なんて乗りたくないので、つい違ったことで考えてしまいました。
投稿: takepon | 2009年4月15日 (水) 11時26分
皆様、ご意見、ご感想ありがとうございます。
ビジネス法務に直接関係しないエントリーですが、社会的にも、また司法制度の在り方にも大きく関わる裁判だと思いましたので、私的な感想を書かせてもらいました。
本件につきましては、偉そうにコメントを書ける立場にはありませんので、どうか皆様方におかれまして、ご疑問や他の方のご質問への回答など、ご自由にお書きいただければ幸いです。ただ、とおりすがるさんがお書きになっているように、意見の結論だけから、裁判官の資質や思想信条が問われることについては、「ちょっと違うんじゃないだろうか」と私も考えております。多数意見と少数意見をきっちりと吟味すべきなのは、そのあたりにあると思います。司法が社会の前面に出ることの「怖さ」を一番肌で感じておられるのが最高裁の裁判官なのでは。
投稿: toshi | 2009年4月15日 (水) 11時41分
>「下着もしくは服の上から触った」場合は大阪府条例(迷惑防止条例)違反罪
たしか、「スカートの中に手を入れて下着を触った」時点で強制わいせつ罪が成立するというのが判例であったと思います。
>「下着もしくは服の上から触った」場合は大阪府条例(迷惑防止条例)違反罪
判例を精査すると、スカートの中に手を入れて「下着から触った」時点で強制わいせつ罪が成立するというのが定説となっているようですね。
投稿: 交通ルール | 2009年4月15日 (水) 12時41分
>交通ルールさん
ご指摘ありがとうございます。(こちらのほうがご覧になる方が多いと思いましたので、まとめて移設させていただきました)
そうでしたか。あいまいな知識で申し訳ありません。
さっそく、告知します。
投稿: toshi | 2009年4月15日 (水) 12時43分
最高裁がここまでの判断をされるとは正直驚きましたが、原則を謙虚に振り返れということなのかなと自分なりに思いました。
人間が人間を裁く以上、少なくともその判断に至るまでのプロセス(事実の審理やその前提になる捜査手法、推定無罪原則)は忠実に運用してほしいと思います。
投稿: 窓際GM | 2009年4月15日 (水) 13時02分
homme さんの「裁判も大切ですが、それよりも加害者や被害者の数をなくすことのほうが大切ではないかと。」というご意見に全面的に賛成します。
カメラの設置については、私も第一選択と考え、平成18年に株主提案をしています。
しかし、これに対しては、「費用がかかる」「ラッシュ時には効果がない」という反論の他、弁護士会からも、「肖像権の侵害である」と問題視する声が上がりました。
では、その弁護士会は、痴漢冤罪を無罪にできるのか?、無罪にできないのに、カメラ設置に反対するのは無責任ではないか?というご意見もあるかと思います。しかし、このような経緯で、
カメラの設置ではなく、男性専用車両を提案しています。
投稿: 山口三尊 | 2009年4月15日 (水) 13時04分
DMORIです。
「疑わしきは被告人の利益に」の原則が大切で、今回の最高裁判断は非常に適切であると感じています。しかも、高裁へ差し戻しでなく最高裁で無罪を確定させて、被告人の救済を早めたこともヒットです。
女子高生は、ウソではなく本当に触られたのかも知れない。しかしこの被告人が真犯人であるためには、もっと合理的・客観的な証拠が必要です。したがって、被告人はイノセントではなく、ノット・ギルティなのです。裁判員制度で市民が参加するに際しては、「無罪」でなく「有罪にはできない」という日本語の感覚を研修してもらう必要があると思っております。
では、女子高生は単にやられ損か、という意見もあるかも知れませんが、そうならないためには、せっかく他の乗客もいるわけですから、他の乗客に証人になってもらえるような「やられ方」を工夫することです。
一発で「この人、痴漢です」と叫んだのでは、目撃者はいないでしょう。まずは小さな声で「やめてください」「触らないでください」と言うことです。そうすれば、乗客の誰か横目で様子を見てくれる人がいるものです。そのあげくに犯人が痴漢行為を続ければ、目撃者を得られる可能性はかなり多くなるというものです。
私は、「痴漢です」の電車の現場に乗り合わせたときは、積極的に割って入っていき、「誰か目撃した方はいますか?」と大きな声で周囲に呼びかけます。それで誰も名乗り出なければ、犯人よばわりされた男性に私の名刺を渡して、「もし法廷で証言が必要な事態になった場合、周囲に目撃者はいなかったという事実については、私が証言しましょう」と伝えることにしています。
幸い、これで裁判沙汰に発展した体験は、私にはまだありません。
痴漢冤罪を生まないために、男女それぞれが電車内でも連係して立ち向かう必要があります。
投稿: DMORI | 2009年4月15日 (水) 13時09分
今回の痴漢事件の被害女性ように、電車内で陰部を直接触られてたので、何としても痴漢の犯人を警察に突き出し有罪に持ち込みたいと決心する女性は、例えば陰部を触られている時に、その手を爪でひっかけば、ひっかき傷が証拠となるし、爪にDNAが残るので、痴漢犯人は一切の言い訳もしないと思いますが。
投稿: スパイラルドラゴン | 2009年4月15日 (水) 15時25分
昔、ネットで痴漢常習者とおっしゃる方が手口を告白していました。間に第三者をはさんで女性に触ったり、器具を利用する等、自分の犯行だと特定されないよう工夫をこらしているそうです(もちろん、真偽は不明ですが)。仮に、これらが事実だとすると、被害者に名指しされた痴漢犯人に冤罪が多いらしいこともうなずけます。
痴漢の予防と摘発は、抜本的には、やはり特別な方法(監視カメラや、男女別車両、混雑緩和など)を考えるしかないような気がします。
投稿: ロックンロール会計士 | 2009年4月15日 (水) 21時26分
山口三尊さま、解説ありがとうございました。(そういった事情は知りませんでした。というか、おそらく肖像権侵害というクレームが出るからこそ、一部車両だけをカメラ設置にして、そこにカメラが設置されていることを承知のうえであれば承諾の意思があったとみることができるんじゃないかと思ったのですが。。。)
男性専用車両については、たしか未だ社会的に認知されていないから、といった意見が西武鉄道側から出てましたよね。もっとこういった意見を声を大にして広報して、社会的に認知されるようになればいいですね。
ロックンロール会計士さんがいわれるように、私も特別な方法を考えるしか方法がないと思います。
toshi先生のブログは普段はビジネス法務(僕はよくわかりませんが)をテーマにしているようですが、僕はこのようなテーマをまじめに考えるブログがもっとあってもいいと思っています。
投稿: homme | 2009年4月15日 (水) 22時05分
最初に、小生の意見を記事に取り入れて頂いたことにお礼申し上げます。
また、同じ内容を2度送信してしまった事をお詫びします。すぐに反映されなかったので送信ミスがあったと思い、重複送信してしまいました。申し訳ありません。
さて本題ですが、強制わいせつにおいては人の反抗を抑圧するに足る程度の威迫が認められるかどうか、つまり体を押さえつけたとか害意を示した時に強制わいせつ罪が成立するのかと判断する余地もあろうかと思ったのですが、状況の悪質性が斟酌される場合には下着の上から触っても強制わいせつに当たると判断されるようです。
参考判例:http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/2391D862FC65B3FD49256C1A00115A3A.pdf
以上を参考にして頂ければ幸いです。
投稿: 交通ルール | 2009年4月16日 (木) 02時07分
最近の痴漢はネットなどで仲間を集って一人の女性を囲んで隅に追いやって犯行をして、叫ばれたりしても、仲間が無実の証言者となるという悪質なものもあるというから、監視カメラから仲間が見えないように囲むのも確実ですから、カメラだけじゃなくて、どうしたら被害者を減らせるかってことが最大の課題でしょうね。私の弱い頭では思いつかないですけどね。
投稿: takepon | 2009年4月16日 (木) 10時11分
痴漢えん罪事件を見ると、被害事実に着目したコメントや裁判が多く、犯人性についての事実認定や立証が非常に甘いものが多いのではないかと危惧しております。
今回の判決も、被害事実の有無について相当議論されているようですが、小田急線のような激しい混雑の中で、どうして犯人を特定できたのか、また、乗客が一度降りて乗ったりするような移動がある中でどうして犯人を特定できたのか、疑問の残るところです。
被疑者は、犯人性については「無の立証」という悪魔の立証を行わなければならず、ここにこそ無罪推定をきちんと適用しなければ、被疑者は身を守る術がなくなってしまうように思います。
こうした意味で、痴漢の被害者の方にまず「てをひっかく」というスパイラルドラゴンさんのお勧め方法を実行して頂ければと・・・・。また、警察の方も、そのように広報してゆくというのが、痴漢減少につながればと考えております。
投稿: Kazu | 2009年4月16日 (木) 10時32分
Kazuさん、さすがスルドい・・・
実は私もエントリーの中で、被害者特定に関する論点に触れたかったのです。田原判事の少数意見のなかに「そのうち、加害者誤認の可能性の点は、一審判決が判示する犯人現認に関するAの供述の信用性が認められるかぎり、否定されるのである」と述べておられます。つまり、被害者誤認の可能性については、やはりAの供述の信用性だけで(ほぼ間違いないものとして)認定されているわけですよね。この最高裁判決は、痴漢行為の有無が争点ですが、私もKazuさんと同じく被害者誤認の可能性についても被害者供述の信用性に関する問題点は残るのではないかと考えています。ただ、これは一審判決を読んでいないもので、ちょっと推論の域を超えないものですから、あえて触れませんでしたが。
もし、先の田原判事の述べているところの解釈に、誤解がございましたらご指摘ください。
投稿: toshi | 2009年4月16日 (木) 11時19分
手を引っ掻くという手段は、補強証拠にはなるでしょうが、
依然として被害者側の一方的行為によるものであり、加害者誤認
のおそれを払拭するものではありません。「ゆすり」目的の
自称被害者には有効な手段でしょうが。
「加害者の手に付着した下着繊維」とは決定的に異なります。
これは加害者自身が下着に触れなければ付かないものですから。
「引っ掻き間違いはない」という前提を置いていませんか?
投稿: JFK | 2009年4月16日 (木) 21時16分
ここでも抜本的な解決方法について議論されていますが、警察庁も今回の無罪判決確定を受けて痴漢捜査に関する検討会を開催することになったようですね。DNA鑑定なども話題にのぼるようです。ただ、これはあくまでも司法手続きに関するものですから、私鉄やJRの方々にも「被害者、加害者をなくすための」抜本的解決について検討していただきたいですね。
投稿: toshi | 2009年4月17日 (金) 01時58分
根本的解決といっても…と、鉄道関係者は悩んでいることでしょう。
いや、考えたくないから考えてないかも(笑)。
女性専用車両を増やそうと、男性専用車両を増やそうと、
監視カメラをつけようと、「事件」は殆ど減らないと思います。
痛勤者の実感として。
さりとて時差出勤も難しい(そもそも通勤時間が長い)。
女性が女性を、男性が男性を性的・非性的暴行することだって
あるようですしね。
となると、花粉症の方のマスクみたいな感じで
各自が自主的に対応するしかないのでしょう。
男性はブ厚めの手袋をして他人のヘンなところを触れないようにし、
女性はガードすべきところには他人の手が入ってこれないように
防御する。
書いてて非常に馬鹿馬鹿しい気分なのですが、
愚かしいにもそういういくつかの方法を組み合わせるしかないでしょう。
あと、常習犯、集団犯の痴漢と、
偶然触れてしまったか気の迷いか判断できないような事例とでは、
明確に区分すべきでしょう。
常習犯である証拠もなく、偶然か誤認の可能性が完全に否定できない
ような後者の事例(今回の裁判もそうでしょう)では、
下級審でも実刑が付くというようなことはないように
してもらいたいものです。
明確なギルティなのか、それともノット・ギルティ(無罪に
あらず)なのか、判断するべきなのでしょうが、
不起訴頻度が上がることが正しいとも言い切れないわけであり、
「まず有罪だと思うんだけどなあ、100%そうかと云われば
そこまで自信がない。だから有罪にはするけど、刑罰は低めにする」
ということも(足して二で割れるはずもないのだけど)
考えられるのではないでしょうか。
投稿: 機野 | 2009年4月17日 (金) 03時25分
今回の事件で被疑者が無罪になったことを喜んでいる者の一人です。しかし、驚くことは五名の最高裁判事のうち、二名が有罪と判断したことです。しかもその理由として、①一度電車を降りて、また被疑者のいる所へ戻ったのは偶然であり、そのようなことは実際にあり得る。②女子高生が最初に痴漢行為を受けた時、何もしなかったのは羞恥心からである。として、一方的に女子高生の証言を支持しています。しかし、①も②も単なる個人的推測に過ぎません。それに対して「疑わしきは被告人の利益に」という法の精神を説いた言葉は説得力があります。私見を述べますと、上記①については、偶然ではなく、女子高生が何か考えがあってのことのように思われます。②については、被疑者のネクタイを掴んで、「この人は痴漢です。」と叫ぶことが出来る女子高生とは、単なる恥多き臆病な少女とは思われません。女子高生の証言の信憑性を裏付ける為の調査がなされているのでしょうか。事件の初動捜査が、その後の流れに大きな影響を与えがちです。高裁での有罪判決は、その流れの影響の結果だと思われます。このように推測を重ねますと、全く違う状況も考えられるわけです。従って、既述の①と②は合法性のある意見とは思われません。
投稿: K.Kato | 2009年4月17日 (金) 03時34分
1)被害事実に関する供述の信用性、2)犯人識別供述に関する信用性、の双方とも、下級審段階で問題になっていたことは、田原反対意見からうかがえます。過去の判断例もみても同様です。
1)が否定されると、2)を議論する必要がないですが、1)は認められるとしても2)は別途検討する必要があります。ただ、実際は1)が肯定されると2)が肯定される関係になってしまっているように思います。
1)はよくわからないが、2)が明確に否定される場合、そもそも1)が怪しいという評価もできると思います。ただ、その場合、1)を肯定して2)を否定するより、1)だけを否定するだけになっているように思います。
実際に信用性を判断する局面では、1)と2)がちゃんぽんになっていて、しかも、直感的というか、本来やってはいけないはずの証拠の優越に似た、1)と2)の信用性の優越による判断が裁判官の頭の中で決め手になっているのではないでしょうか。
だからこそ、これまでかなりのブレがあるとされた供述でも、落合弁護士がブログで書いておられるように、「ほとんどすべてが、「具体的かつ詳細」「迫真性がある」「基本部分において一貫」などという、お決まりのフレーズでその信用性が肯定されているという現状、だったと思います。
投稿: thomas | 2009年4月17日 (金) 12時46分
>thomasさん
なるほど、被害事実と犯人識別とを区別した説明、たいへん論理明快でわかりやすいですね。ありがとうございました。
おそらくthomasさんの解説のとおりかと思うのですが、堀籠判事の反対意見で述べられているところでは、犯人識別に関する事実の存否(の問題)には触れずに、もし被害事実の存否について、被害者の供述の信用性がないとすると、それは被害者が虚偽の事実を述べている、ということである・・・と断定されています。(判決文14頁、11行目以下)このあたりは、やはり裁判官ご自身が、かなり被害事実の存否と犯人識別の問題を混同されている、ということになるのでしょうかね?
このあたりは、単に法技術的な問題ではなく、一般の方々の判決内容の受け止め方にも大きな影響を与えるものだと思います。判決のなかでも、わかりやすく説明していただきたいところです。
投稿: toshi | 2009年4月17日 (金) 15時40分
今回の事件の被告人は、防衛医科大学の教授でしたが、このような社会的身分の故に慎重な判断をしてくれたという可能性はないのでしょうか。もし、被告人が低学歴のDQN(ドキュン)だったら、こういう判断になったのでしょうか。裁判官がこのような差別とするとは思いたくはありませんが、可能性がゼロとも言い切れないように思います。
投稿: 首都漬 | 2009年4月19日 (日) 12時43分
被告人の社会的立場やら人格やら性格やら、
或いは弁護士先生がたの力量次第やらで、
当然判決というものは変わってくるものですよね。
いつの時代でもどこの世界でもそうでしょう。
(こういうことをここに書くのは僭越の極みですが(笑))
裁判なんてそもそも不公平なものじゃないですか。
裁判官によっても結論(判決)が変わるわけですから。
人間がやることですから、それは当たり前のことです。
だからこそ、逮捕も起訴も審判も慎重であらねばならないのです。
人間がやることだから間違いがあって当然。それはなくならない。
だからこそ、不可逆であってはならないと思います。
おかしいと思ったら、間違っていると分かったら、
どんどん改めるべきです。
- - - -
そこで気になるのが和歌山カレー殺人事件の最高裁の判決です。
99.9%有罪であったとして、残り0.1%でも被告が無罪である
可能性があったとしても極刑は宣告されるべきでしょうか。
私には分かりません。
だから私は決して裁判員にはなりません。
投稿: 機野 | 2009年4月20日 (月) 00時06分
先生のブログのエントリーから、社会と司法が大きく接点を持つ領域で、このような質の高い議論がされていることは、本当に素晴らしいと思います。
「ビジネスマンは今回の判決をもとに、満員電車ではどのようにふるまうべきか」という点のご見解、楽しみにしております。
ところで、とおりすがりの発言で恐縮ですが、個人的に気になるのは、刑事裁判の適正さや冤罪防止と、痴漢防止を比較して、「痴漢防止の方が重要」という御意見について、痛いほどよく理解できますが、これについては、どちらも非常に重要で、優劣はつけられないとしか言えないんではないでしょうか。社会全体で、痴漢防止は人権侵害であり、なくしていく努力は必要ですが、このことは、無辜の被告人を有罪にしてよいという理由にはなり得ません。当たり前かもしれませんが、裁判員裁判が始まる時、このことは、殊更に重要になってくると思います。
投稿: とおりすがり | 2009年4月21日 (火) 15時30分
処刑したあとで「実は私が殺しました」という真犯人が現れる、
という悪夢を、裁判官は幾度となく見てるのでしょうか。
そういう悪夢に耐えることもまた判事報酬に含まれていると思うのですが
裁判員に支払われる報酬にはどうも入ってないように思われます。
心理的負担を考えれば、時給数万円以上支払われるべきです
(私個人は忌避しますけど)。
連続ドラマ『魔女裁判』(フジテレビ系)には、どうぞご注目ください。
投稿: 機野 | 2009年4月22日 (水) 00時48分
皆様、コメントありがとうございます。ビジネス法務のブログで、こういった話題で盛り上がってしまいましたが、まじめなご意見が多く、私自身もたいへん勉強になりました。(首都漬さんのご意見は、なかなか痛いですなぁ。。。現実にはそういうことも否定できないように思っています)
カレー事件は死刑確定となりますが、「悪夢に耐える」のもまた裁判官の現実です。はぁー・・・、いよいよ裁判員制度開始ですね。。。
投稿: toshi | 2009年4月22日 (水) 01時31分