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2009年5月24日 (日)

内部統制と取締役の注意義務の関係(その2)

200907no16 ファイナンシャル・コンプライアンス6月号に続き、ビジネスロージャーナル7月号にも寄稿させていただきました。こちらは「不祥事の公表・調査義務~内部通報を発端として~」と題するものでして、普段の業務経験に基づき、企業実務家の方々を対象として、主に取締役のリーガル・リスクへの対応について検討したものです。(ご興味のある方はどうかご一読いただき、ご意見を頂戴できれば幸いです。)

ところで、この7月号ですが、目次を一覧いただければおわかりのとおり、当ブログにお越しの皆様方からすると、たいへん関心のあるテーマが「てんこもり」ですよね。(あの「物言う監査役さん」も登場されているようで・・・)株主オンブズマンでおなじみ阪口(大)先生の「株主代表訴訟の対象になりやすい役員」といったインタビュー記事もおもしろいのでありますが、私的に一番の注目は新潮社法務対策室に所属しておられる弁護士の方へのインタビュー記事であります。今年2月4日に東京地裁から出されました、ご存じ「貴乃花親方名誉棄損事件新潮社裁判」の新潮社側にいらっしゃった方ですね。すでに当ブログでも2回にわたり「内部統制構築義務違反によって経営トップの損害賠償責任が認められた事件」としてとりあげさせていただいたものであります。(こちら と こちら)その名誉棄損事件判決に対する対策室弁護士としての理解と、出版社としての今後の対応等につきまして、ご自身の見解を述べておられます。やはり3日前に私がブログで述べましたとおり、この弁護士の方も、取締役の責任が肯定された理由としては、取締役に求められる注意義務の水準が上がったからというよりも、本件の個別事情の下で、経営者の立場で改善すべきことがあったにもかかわらず、その事前の予防措置をとらなかったことを裁判所が指摘したものだ・・・と理解されており、私も同感であります。内部統制構築に関する議論の進展によって、広い範囲で注意義務の有無が検討されるようになった、その範囲については、個々の企業の環境を考慮して決定すべきものである、と理解しております。

ただ、法務対策室弁護士の方は、この貴乃花親方に対する特集記事は5回にわたって(おそらく執拗と受け取られるほどに)連続して掲載されていたわけですが、かりに1回かぎりの記事であったとしたら代表者まで責任を問われることはなかったのではないか?と意見を述べておられますが、ここはちょっと私は違う意見を持っております。新潮社の代表者の方は、旧商法266条ノ3に基づく責任追及を受けたわけでありますが、この266条ノ3の適用要件につきましては「代表者の会社に対する任務懈怠」が認められ、これが第三者の損害との間に相当因果関係が認められる場合に、代表者の責任を認めるものであります。つまり、第三者の損害発生(権利侵害に対して故意・重過失が認められることが要件とされているのではなく、会社に対する代表者としての善管注意義務違反(任務懈怠)があれば旧商法266条ノ3の要件に該当するわけですから、やはり(代表者の)重過失は出版社としてのリーガル・リスク管理が徹底していなかったことに向けられているのではないでしょうか。つまり、不法行為責任の追及であれば、たしかに「1回か5回か」といった議論に集中するかもしれませんが、旧商法266条ノ3を根拠とする場合には(従来からの最高裁の考え方を基礎とすると)内部統制の構築義務違反に主な争点があるのではないか、と考えております。

Cocolog_oekaki_2009_05_23_23_07 日本システム技術損害賠償事件判決において、代表取締役に(会計不正を防止すべき)内部統制構築義務違反による第三者責任が認められましたが、あの判決と基本的には同じ構造ではないでしょうか。そもそも第三者に対する取締役の法的責任(旧商法266条ノ3、会社法429条1項)について、判例の立場(取締役が会社に対する任務懈怠が認められる限り、第三者は自己の権利侵害についての故意・重過失が認められなくても損害賠償請求を問うことができる)を採る限り、株主代表訴訟だけでなく、株主以外の第三者からも「内部統制構築義務違反」を指摘される可能性が高い・・・ということに、取締役の注意義務を論じるにあたって留意しておく必要があろうかと思われます。

なお、先の法務対策弁護士の方が、出版社独自の検討議題として、「編集権の独立」を主張しておられ、そもそも出版社の社長が、個別の雑誌の編集について、事前・事後に厳しいチェックをいれることは編集権の独立に反するものであるから、そもそも社長は雑誌記事による名誉棄損行為とは無関係だとされております。(先の判決では、たとえ編集権の独立が認められるとしても、内部統制の構築義務とは相互に矛盾するものではないので、抗弁たりえないとして排斥されています)私も「編集権の独立」については主張に値するものであると考えますが、①こと記事による名誉毀損は社員による刑事事件、企業全体の民事責任に関わる「法令遵守」問題であって、純粋な経営判断原則が適用されるものではないと思いますし、また②記事のなかでも問題とされているように、そもそも「取材源の秘匿」を最優先事項とするために、名誉毀損裁判は(被告である)出版社にとって、本来的に不利な裁判として大きなリーガル・リスクを抱えているわけでありますので、(そうであるならば)当然のこととしてリスクの低減措置を施すことが企業価値を維持するためには不可欠なものだと理解することも十分合理性があるように思われます。(これはあくまでも私見であります。講談社判決では、たしか代表者の注意義務違反は認められておりませんので、そもそも社長さんに名誉毀損リスクを低減するための内部統制構築義務など存在しない、といった理屈なのかもしれません。)

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