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2009年6月 9日 (火)

会計監査人の「期待ギャップ」リスク

当ブログでも最近とりあげましたが、コーポレートガバナンス改正論議におきまして、会計監査人の選任権を監査役に付与すること、そして報酬決定権 を同じく監査役に付与することについて、いろいろなところで是非について検討されているようです。日経の6月7日社説「会計監査の質高めるために」においても、日本監査役協会、経団連、そして会計士協会の提言内容が紹介され、日経(社説)の立場としては監査役の権限強化への制度改革を推進すべし、とありました。(おそらく会社法上の会計監査だけでなく、財務諸表監査も念頭に置いての議論だと認識しております)会計監査人の外観的独立性を確保して、公正透明な監査証明業務を果たすためにも、また今後ますます重要になると思われる「監査役と会計監査人との連携協調」を実現するためには、制度として監査役による選任、報酬決定が不可欠、とする意見もかなり強いようであります。

かりに監査役による会計監査人選任、報酬決定という制度が実現した場合には、会計監査人としては仕事もやりやすく、また適正な報酬も確保できるということで、「いいことづくめ」のようにもみえるのでありますが、いっぽうで「期待ギャップ」リスクのようなものは発生しないのでしょうか。

Cocolog_oekaki_2009_06_09_01_40 ざっくりとした印象でありますが、会計監査人の方々を取り巻くリーガルリスクとして、いま一番大きな課題とされているのは、会計の分野においては「公正なる会計慣行とは何か?」といった問題ですし、監査の分野においては、おそらく法定監査における目的論(会計監査において、不正発見はどの程度の目的とされているか?)が大きな課題とされているのではないでしょうか。(上図参考)とくに、粉飾決算が発覚して、その企業(おもに管財人)から監査責任を問われるような事態になった場合、細かいところの議論では、監査基準に従った監査が行われたのかどうか、という点が法廷で争われるわけでありますが、司法判断において、まず裁判所が判断するのは、法定監査が何のために行われるのか?という点であります。もちろん、会社の財務報告の内容が会社の実態を適正に映し出しているかどうか、という点への第三者としての意見表明にあることは当然でありますが、そこにどれだけ「不正発見」という目的をとりこむか、という点について、最近の判例などを読みますと、裁判官によって微妙に濃淡があるように思われます。

これまでは会計監査人に厳格な不正発見作業を求めようとしても、被監査会社から直接委託を受けていることや、報酬面での限界(効率的な監査手続き)などから、裁判所としても「不正発見目的」ということを強調することはなかったようであります。(会計監査人の責任を一部認容したナナボシ地裁判決でも、同様かと思われます)しかしながら、もし昨今のガバナンス論議にみられるように、そもそも「取締役の職務執行における不正発見を目的とした」監査役監査との連携が重視されるのであれば、「被監査会社から委託を受けているので、その委託の範囲において監査をする」という概念は後退するでしょうし、また監査役が報酬を決定するということになりますと、会計監査人側としても、リスクアプローチに基づいた監査計画を基準として報酬要求をしやすくなるわけですから、やはり報酬面での限界ということが監査の目的論の根拠とはいえなくなってくるように思います。

そう考えますと、会計監査人と監査役との連携・協調を重視したガバナンス整備が実現される場合には、懸案事項であります「法定監査の目的論」というものも、むしろ会計監査人にとっては要求される法的な注意義務のレベルが上がる(より、不正発見目的が強調されやすい)ことになるのではないでしょうか。つまり、一定程度「期待ギャップ」の隙間が埋められ、会計監査人に厳格な司法判断が下されることで、その会計士さん方の職務への期待感が高まることになろうかと思われます。このあたりは、まだまだ思いつきの意見にすぎませんが、会計監査人のリーガルリスクとして検討されるべき課題のひとつであると思います。

PS 本エントリーは、旬刊商事法務1866号の「コーポレート・ガバナンスにおける会計監査人の役割」(神戸大学志谷教授)の論文に大いに示唆を受けております。アメリカの制度などを参考にされながら、「妥当な解」を目指しておられる教授の論文はたいへん勉強になり、考えさせられる点も豊富であります。

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コメント

国内議論を精査したわけではないですが、監査役に会計監査人の選任権・報酬決定権を与えることについて、ざっくりと感想がてら問題提起します。

 監査役そのものの機能不全(法が求める責務、権限行使、パフォーマンスをMAXまで果たせているとは言えない現状)をまず解消してからの話ではないでしょうか?
 固有の解任権(会社法340条)、選解任議案への同意権(344条1項)、選解任議案提出等請求権(同2項)、報酬決定への同意権(399条)があるにもかかわらず、これらでは足りない理由は何でしょうか?また、そもそもこれらがフル活用されてますか?活用されてないとすれば、同意権を超えて選任権・決定権が必要である理由が不明です。
 会計監査人は独立の機関ではなくなり、一機能、監査役の手足に成り下がるということになりませんか? 協働関係ではなく支配関係となり、結局、監査一元化に帰すると思われますが、これで「何が」解決するのでしょうか?
 報酬決定権を付与することに独自の意義がありますか?(代表)取締役が(建前上)決定権を持つ現在と大して変わらないのでは? 相場を外れる報酬はあり得ないわけですから、誰が決めても一定の相場に収束します。

投稿: JFK | 2009年6月10日 (水) 00時14分

こんばんわ。ご無沙汰しております。監査をする側としては、どこまで監査人にどこまで責任を負わせるべきかを明確にしていただければ、そこまでの責任を負うために必要な監査手続ができますので、必要であれば、監査費用に反映していくことになると思います。
 監査人にとって最も大きなリスクは、どこまで責任を負えばよいのかわからない場合だと思います。。。どうでしょうか。。。

投稿: 丸山満彦 | 2009年6月10日 (水) 01時19分

こういう法的権限の強化がいくらされたとしても、監査役監査の実態とのギャップがますます広がるだけのようにしか思えません。

法律上の権限が強化されればされるほど、企業は「何があっても荒っぽい権限行使をしないような人を監査役にしよう」という守りの姿勢に入るでしょう。

単純に法的権限で重武装すれば解決する話でもないですし、会計監査人を監査役が選任するようにするといったことは、現実の監査役監査の問題点と論点が噛みあっていない気がします。

投稿: m.n | 2009年6月11日 (木) 00時11分

皆様、ご意見ありがとうございます。そもそも監査役がその機能を十分果たしているのか?というご意見は、社外取締役導入に関する各種団体での討論のなかでも強く主張されていましたよね。社外取締役導入賛成論の方が主張されているところは、監査役制度の整備だけでなく、その実効性についても検証してみなければ賛同しかねる、といったところだと思います。ゆえに、これまでに付与された権限が、実際に監査役によって行使されているかどうか、有効性についての検証がなされる時期に来ているように思います。ひとつの見方ではありますが、監査役が選任同意権や報酬決定に関する同意権を有効に行使するためには、同意に関する判断資料つまり情報がきちんと監査役に提供される必要があります。業務監査に忙しい監査役について、会計監査に関する判断資料をきちんと知るうえでは、まず監査役スタッフの充実など監査環境の整備は欠かせないと思います。本当に監査の実効性を云々するのであれば、まずはそういった監査費用の増加について経営者が協力的である必要があります。監査役の方々の訴訟に関与している者としては、「手足も十分に動かないのに、どうやって実効性ある監査をするのでしょうか?」と言いたいところであります。

会計監査人の法的責任論につきましては、いまホットな話題ではないかと思います。また「どこまでの責任を負うべきか」というのも、かなり線引きが困難でしょうね。ここまでの責任を負うから報酬もこうなる・・・という議論もわからないではないですが、裁判のうえではむしろ「これだけたいへんな仕事なのに、この程度の報酬しかもらっていないのだから、監査のレベルもこの程度でも善管注意義務違反にはならない」といった思考をたどるのが通常ではないかと思います。(これだと議論がかみ合わないですよね)この裁判の思考を前提として、会計監査人の法的責任を検討する必要があるかもしれませんね。

投稿: toshi | 2009年6月16日 (火) 01時46分

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