今年6月25日付けのアルファ・トレンド・ホールディングス(札証)のリリース「監査役会の監査報告における付記意見に対する当社の是正措置について」などを読みますと、当該事例は監査役の個別監査意見が取締役の職務執行、ひいては会社の内部統制システムの是正に寄与することになったモデルケースのように思われます。ひょっとすると、リリースされていないケースにおきまして、こういったアルファ社のように監査役の意見によって内部統制の是正が図られている企業もあるのかもしれません。しかし株主や一般投資家に見える監査役の活動というものは非常にレアケースであり、なかなか監査役の活動が企業価値の向上に役立っているのかどうかを判断することは困難なのが現状ではないでしょうか。
月刊監査役7月号では、旭化成の元代表取締役で、日本監査役協会の会長も務められた笹尾慶蔵氏の論文「『監査役無機能論』について考える」が掲載されており、非常に感銘を受けました。まず昭和25年当時の松本丞治、石井照久という両東大教授(当時)の監査役論争について紹介され、「監査役無機能論」はいつの時代も米国の制度をテンプレートとする考えの商法学者や資本市場関係者から唱えられ、経済界は一貫して監査役制度の廃止に反対するのであるが、その経済界の反対にも二面性があり、真摯に監査役制度の有用性を評価する者と、社外から取締役メンバーに介入されたくないことの口実として監査役制度の有用性を評価する者がいる、とのことであります。(いまの議論とほとんど同じ議論が昭和25年当時からなされていた、といっていいようであります)
とくに最近の議論では監査役制度の運用面を検証してみよう・・・という風潮が出てきておりますが、笹尾論文では監査役の活動は「そもそも外からは見えないのだ」とされており、私もまったく同意見です。また監査役監査は属人性の強い職務であり、監査役の人格、見識、能力に、大いに左右される傾向にある、という解説にもうなづけます。最近、日本監査役協会作成による「監査役監査基準」の法的性格・・・のようなものが、監査役の法的責任論とともに話題になることがありますが、笹尾論文では、会計監査人とは異なり、監査役制度は能力の差があることを前提とした制度であるために、監査役監査の法的な注意義務の水準を示すものではなく、「監査手続のガイドブック」的なものであると述べられており、このあたりも穏当なご意見ではないかと思っております。このように、笹尾論文で指摘されているような監査役制度の特徴からしますと、たしかに有事における監査役の職務執行のあり方というものも、「こうすべきである」と明確に説明できないところもあり、やはり監査役制度の運用を検証するにあたっても、なかなか目に見える形での実例というものを探し出すことは困難なようであります。また「運用を検証する」といいましても、それは笹尾氏が追求するような「取締役との信頼感(経営理念)を共有しながら、ときに耳の痛い提言を行う」姿を検証するのか、それとも「取締役との信頼関係が破壊されても、断固として監査役としての使命(と信じるところ)を貫く」姿を検証するのか、検証対象が合意されていなければ議論が前に進まないように思われます。
笹尾氏の論文は示唆に富むものであり、勉強になるところが多いのでありますが、NOVAの事例、三洋電機の事例、そして私が代理人を務める某会社の事例にみられるような「監査役自身の任務懈怠について損害賠償責任が追及される事例」というものは、これまであまりなかったのでありまして※1、果たして有事における監査役の対応を、その人格、見識、能力だけに依存していて良いのだろうか・・・と思案するところもあります。先日、トライアイズ社の監査役の方が監査費用請求訴訟をトライアイズ社相手に提起したことがリリースされ、また一部報道されました。取締役の違法行為差止の仮処分や、株主総会決議取消訴訟提起には監査役を支援する代理人弁護士は不可欠であり、その弁護士費用等は当然に会社が負担するものであるとして前払費用請求をしたところ、会社は費用にうち、一部しか支払を認めなかったことにより、上記訴訟が提起されております。「日本の文化と合致した監査役制度」という面からみて、法廷闘争も辞さない監査役の対応というものについては異論もあるかもしれません。しかしながら、「企業の継続性に疑義があり、株主共同の利益が毀損されてしまいかねないような事態」に陥った企業におきましては、そもそも取締役との間で共有すべき「信頼関係もしくは経営理念」は構築する前提を欠くのでありまして、法廷闘争をもってしてでも会社を守ることは株主から負託された監査役の使命ではないでしょうか。(この考え方は、差別的行使条件付きの新株予約権の無償割当が、株主平等原則の趣旨に悖ることになるけれども、買付者による大量取得行為を放置することで企業の存続に影響を与えかねないような場面において、厳格に必要性・相当性の要件をクリアする場合には防衛策の発動も許容される、というブルドックソース事件の最高裁判決の考え方に近いものと思います)こういった監査役の権利行使が濫用されないように、法的な観点から権利行使の必要性、相当性を判断するのも監査役を支援する代理人弁護士の役割でもあるわけでして、これは会社における監査費用の一部として認容されるべきものだと思われます。
※1 もちろん、これまでも監査役の責任が認められた判例はありますが、監査役が取締役の違法行為に加担していたものや、知っていながら放置していた、名義貸し監査役だった、といったものばかりであり、「見逃し責任」を問われたケースはほとんどないのが実際であります。
もちろん、監査役による法廷闘争を勧めるつもりは毛頭なく、むしろ監査役の有事における権限はできるだけ謙抑的に行使されるべきである、と考えております。しかしながら、監査費用の前払いも満足に請求できない(監査役が自腹を切らなければ法廷闘争もできない)状況では、そもそも監査役の権限は絵に描いた餅にすぎず、「謙抑性」すら議論する必要性もないわけでして、ましてや「監査役制度の運用を検証する」前提すら欠くことになることに留意すべきであります。また、監査役は自らの主張をきちんと議事録に記載して、経営理念を共有できなければ辞任すればよいではないか?といった議論も成り立つところではありますが、この月刊監査役7月号では、別の方の論文で「監査役の一斉辞任は職務の放棄ではないか?それが株主から職務を負託された監査役の職務として適正なのか?」と疑問が呈されているところでありまして、これもまた別エントリーにおいて考えてみたいと思っております。