東証ルールは「ソフトローとプリンシプルベースの狭間」?
東証は7月27日に取締役会を開催して、上場規則の改正案をまとめるそうですね。(8月に金融庁の認可を受けて、同月改正規則が施行される、とのこと)先週の日経新聞では、上場企業にルール違反が認められる場合、東証が公表措置、上場制度違約金、特設注意市場銘柄への指定、上場廃止などの各種罰則を選択的に採用できるよう規則を改正することが報じられておりました。大規模な第三者割当増資に関するルールや、適時開示ルールに反する上場企業に対しては、証券取引所による厳格な対応が期待されるところでありまして、投資家保護の強化を図られることが予想されます。
ただ、日経でも報じられておりましたが、対象企業への罰則適用の選択肢が増える、ということは、東証に罰則適用に関する裁量権の幅が拡大することになりますし、また監督権限の強化にもつながりますので、その分一般投資家に対しては、説明責任が強化されることにもなろうかと思われます。(西武鉄道と日興コーディアルを比較したときのように、マスコミも今後は罰則の選択については関心を寄せることが多くなるものと思われます)説明責任が強化されるだけなら良いのですが、罰則適用予定の対象企業から不服申立がなされるケースというものは増えないのでしょうか?法令遵守を第一に考え、誠実に企業活動を継続しているような企業であれば問題はないでしょうが、高橋篤史氏の「兜町コンフィデンシャル」に登場してくるような企業(かなりたくさんありましたが・・・)となりますと、会社の存亡をかけてでも取引所の罰則適用に対して反論するところも出てくるかもしれません。
当ブログでも、過去に何度か触れましたが、東証ルールというものは一般にはソフトローである、と言われています。法律のように、最終的に国家権力(裁判所の判決、決定等による強制執行力)によって担保されているルールではなく、あくまでも国家権力以外の社会的な権威によって遵守が担保されるところの典型的なルールのひとつとされております。したがいまして、法律改正を必要とすることなく、専門性が高く機動性が要求される市場ルールの整備においては、証券取引所や証券業協会による自主ルールに期待が高まるところだと思われます。そこでは規制する側である証券取引所も、説明義務さえ尽くしていれば比較的自由にペナルティを選択することもできますし、「民と民の世界」であるがゆえに、裁判所も処分の妥当性についてはそれほど深く介入することはなく、あくまでも民事事件として紛争を処理することになろうかと思われます。(ペイントハウス社の上場廃止に関する仮処分事件など)
しかし今年3月ころまで、いろんな団体でコーポレートガバナンスについて議論がなされておりましたが、そこで「エンフォースメントの在り方」として議論されていたのは、会社法や金商法改正によって市場の健全性を確保するべきか、証券取引所の自主ルールによって確保するべきか、というものでありました。そして結局のところ当面は自主ルールによって対応していこう、ということで一応議論は収まったものと記憶しております。現在でも金商法には証券取引所のルールに関する規定が存在しますし、上記のとおり規則改定には金融庁の認可が必要なわけですから、東証の自主ルールというものは純粋なソフトローではなくて、実質的には市場取締権限の一部が証券取引所に委託されている関係と捉えることもできそうであります。(さらに、今後はもっと証券取引所の規則に法的な権威を付与すべきである、との意見もあります)そうであるならば、東証の上場会社に対する罰則の適用問題はソフトローからプリンシプルベースによる金融規制の領域に踏み込むことになるのではないでしょうか?
ソフトローとプリンシプルベースによる法規制の問題は、企業コンプライアンスの視点からときどき検討されるところでありますし、決して相互に矛盾する概念ではありません。しかし、たとえば上記のような罰則の選択肢が取引所に付与されるとするならば、これが法規制の一環である(つまりプリンシプルベースによる規制である)とすると、たとえば上場企業への平等適用違反、罰則の濫用的行使(他事考慮)、比例原則違反(他の罰則で法目的を達成できるのに、それ以上の罰則を選択したことの違法性)などが対象企業から主張される可能性が出てくるでしょうし、また適正な監督権を行使しなかったことについての証券取引所の過失について、一般投資家や特定企業の株主から法的な責任を追及されるケースも増えてくるのではないでしょうか。また、そういった問題を真正面から裁判所も判断せざるをえないわけでして、「民と民」の関係として処理してもらえなくなってしまうことも考えられます。
「証券取引所の自主ルールはソフトロー」ということでそれほど問題がないのであれば議論にもなりませんが、今後の証券取引所の在り方次第では、プリンシプルベースによる規制との関係についても検討しておく必要があるのではないかと思う次第であります。
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