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2009年8月 6日 (木)

本当の裁判員制度はこれからですよね?

とくに刑事事件に詳しい弁護士・・・ということではありませんので、単なる感想ではありますが、裁判員制度第1号事件は懲役15年(検察官の求刑は16年)という量刑判断で終了したそうでありますが、これから本当の「裁判員制度」が始まるものと考えております。

とりあえず裁判員(ならびに補充裁判員)の方々も、記者会見を終え、ホッとされていらっしゃるかと思います。しかし求刑16年のところを判決は15年という厳しいものでしたので、おそらく被告人は控訴をするかと。そして控訴審では、これまでどおり三人の職業裁判官によって続審となるわけです。もし、裁判員制度のもとでの判決が厳しいと感じたら、今後も当然控訴がなされる事件は増えますよね。公判前整理手続を採用していますので、事実認定はそこそこ証拠制限されてしまうかもしれませんが、量刑判断については、被告人として軽減されることに期待を持つでしょうし。(その可能性がある限り、弁護人は控訴を勧めなければ懲戒されてしまうかもしれませんし。)

さて、そこでは裁判員による評議はありませんので、これまで通りの量刑相場に従って判決が言い渡されるのでしょうか?それとも、高裁の裁判官の方々は、何らかの理由によって地裁(第一審)の量刑判断に拘束されるのでしょうか?しかし、裁判官の独立は憲法で保障されていますから、原則として第一審の量刑判断には拘束されることはないですよね。いっぽうで高裁が何らの拘束もなく、いままでどおりの量刑基準にしたがって控訴事件を処理するのであれば、いったい何のための裁判員制度なんでしょうか?

判例タイムス1296号において、高裁裁判官らの(裁判員裁判の控訴審について)協議内容が示されているそうですが、このあたりを解決する指針のようなものは出されたのでしょうか?

それと、裁判員制度に積極的に参加したい、と考えておられる市民の方々は、(思想として)「被害者の人権重視」なのか「被告人の人権重視」なのか、どっちの意識をお持ちの方々が多いのか、一度アンケートなどをとってみてはいかがでしょうか。(もちろん偏りがなければ問題ないのでありますが・・・)積極的に参加したい、とされる方々が結局のところ裁判員や補充裁判員に選出されるのであれば、このあたりの意識の偏りというものは問題になってくるんじゃないでしょうか。これは国民の参加といいつつ、運用において辞退の自由を事実上認めたり、また重大事件に限って裁判員制度を採用する、ということを前提とするのであれば当然について回る問題点かと思います。今後、裁判所の運用においてますます「辞退を事実上緩やかに認める」方向に進むのであれば、当然に検討すべき課題かと思いますが。

また、市民感覚による評議についてはとくに申し上げることはありませんが、評議が成り立つためには、裁判員の皆様方が、「懲役刑って何をするのか」「15年って、かならず15年たたないと刑務所を出られないのか」(仮出獄制度-たとえばどういったことを刑務所でやれば早く仮出所できるのか?)といったあたりが基本的に知識として共有されていることが前提ですよね。(そうでないと、そもそも「何年が妥当か」といった議論は不可能なはずですし。これは刑罰を応報的刑罰観で考えても出てくる問題ですよね。)量刑判断について、いろいろと議論したとしても、裁判員ひとりひとりの知識の差はどう埋めるのか?(事前に裁判官がひととおり説明するだけでは到底無理ですよね?)このあたり、裁判所はどう考えておられるのでしょうか?

病院長の脱税事件を最後に、ここ数年、刑事事件から遠ざかっておりますので、なにもえらそうなことは言えませんが、きれいごとではなく、「司法が裁判員制度についてどう考えているのか」が評価されるのはこれから(控訴審から)ですよね。本当の裁判員制度はここから始まるのではないかと。

8月 6, 2009 刑事系 |

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コメント

じゃあ、えらそうなことを書かなければいいのに。
しかもありきたりな内容だし。

投稿: unknown | 2009年8月 7日 (金) 01時29分

たぶん、こういったご批判がくると思っておりました。

できるだけ「ありきたり」にまじめに書きました。

投稿: toshi | 2009年8月 7日 (金) 02時21分

ある程度予想されたことですが、裁判員の感覚のばらつきなど今後も問題は多そうですね。
未だに米国のOJシンプソンの殺害疑惑の大騒ぎぶりを思い出してしまいます。
こういった例を見ていると、制度は定着しても議論は尽きない問題かなあと思ってしまいます。

投稿: katsu | 2009年8月 7日 (金) 09時38分

「裁判員制度は、これから」という点には、非常に賛成いたします。初回にしては、混乱もなく、非常に上手くいった方だと思いますが、弁護技術や弁論(特に、量刑については「寛大な処分」としか述べなかった点)等についても、これからであると思います。

>「被害者の人権重視」なのか「被告人の人権重視」なのか、どっちの意識をお持ちの方々が多いのか

という点のアンケートは、さほど重要ではないように思います。というか、本人も区別できないでしょうし、実際に刑事裁判を見たことがない人は、裁判を目の当たりにして、全く感想を異にする可能性も高いからです。

>評議が成り立つためには、裁判員の皆様方が、「懲役刑って何をするのか」「15年って、かならず15年たたないと刑務所を出られないのか」(仮出獄制度-たとえばどういったことを刑務所でやれば早く仮出所できるのか?)といったあたりが基本的に知識として共有されていることが前提ですよね。

というのは、少し裁判員裁判の臨む弁護人としては、感覚が違うように感じられました。量刑について、軽くする方向で求めるのであれば、その点についても十分に弁論等で述べていくべきでしょう。こういった点も含めて、(裁判所の仕事ではなく)当事者主義なのだと思います。事実、模擬裁判では、統計データを持ち出して、「昨今、これらの刑期では、ほとんど仮釈放は行われていない」という弁論をしたチームもあると聞いています。

投稿: Mic (一弁護士) | 2009年8月 7日 (金) 11時39分

DMORIです。
toshi先生の「本当の裁判員制度はこれから」というのは同感です。
シミュレーションでは出てこなかった問題点が、実際にやってみて表面化したものがあると思います。

1)抽選結果とはいえ、女性が6分の5を占めてしまうと、やはりこれでは問題だと改めて感じました。
特に痴漢やセクハラ、強姦など男女問題が絡む裁判で、裁判員が女ばかり、全員男、といった偏りが出た場合、やはり問題です。

男女同権だからという表面的な大義だけで、男女の偏りはくじ運任せ、というのは間違いでしょう。裁判員は性別に関係なく判断を下せるか、について最高裁はどこまで実験をしたのでしょうか。
痴漢や強姦を事案とした模擬裁判で、裁判員が男性のみ、女性のみというグループに分けて評議させ、偏りが出ないものかどうかを、検証する必要があるのではないでしょうか。私の予測ですが、明らかに偏ると思います。

2)裁判員に当選する確率が明らかに低いのに、47人も招集するのは、候補者に対して失礼です。
候補者に指名された人たちは、みな4日間の仕事を休んでもよいように、いろいろと努力して仕事の段取りをつけてきているようでした。

公判の前日に召集するのでなく、もっと何日も前にまず1日集まってもらい、公判の3日間とも参加できるかを含めて確認したうえで抽選し、公判本番への間隔をあけるべきです。
そうすれば、抽選にはずれた多数の候補者は、1日だけ仕事を休めば済むわけであり、わざわざ4日も休みの段取りをつける必要はないわけです。

こんな簡単なことなのに、どうして市民の立場に立って考えられないのでしょうか。

投稿: DMORI | 2009年8月 7日 (金) 21時41分

制度そのものの否定説もある中で導入された制度ですが
いざ始まってしまえば、存在を前提とした現実的な議論に
流れていく、お決まりのパターンですね。
いつしか制度自体を誰も批判しなくなる。

私の興味は控訴審との関係にあります。
市民の処罰感情(法ではない、惰性)で裁いた第一審を
控訴審(法と、プロの良識)が改めて裁く。その結果どうなるのか
を検証するためにも、どうか第一審に無用な気を使わない
控訴審判断をみせてほしいと思います。
「無用な気を」というのは、裁判員制度導入の矢先に
裁判員の意見と異なる判決を出してよいものか、というような
それです。

よく「市民の常識を裁判に」というキーワードが出されますが、
これを量刑判断に持ち込むのはミスリードだと確信しています。
市民の常識は「事実認定」に資するのが本来ではなかったか。
私は感情で裁かれたくはありません。

事実認定の場面であるからこそ、上で提起されている「男女の差」
等を超えた良識的判断を市民にも要求できるのではないでしょうか。

比較的“易しい事件”でありながら表出した問題点は多いようです。
前途多難ですね。

それにしても、弁護人の「法律家からは絶対でない質問ですね・・・」
という趣旨の発言は皮肉なのか讃辞なのか…

投稿: JFK | 2009年8月 7日 (金) 23時19分

 刑事弁護のやり方をよほど工夫しないと弁護士は全敗になってしまうかもしれませんね。たった数日の公判期日を想定した公判前整理手続きになるわけですから、よほどのケース以外は弁護側の立証は極めて限定されてしまうのではないでしょうか。逮捕後受任した場合には限られた接見時間の中で弁護方針をどう立てていくのでしょうか。証拠探し、証人探しはいつやるのでしょうか。整理手続きの三者協議に明確な立証趣旨と物、人を提示しない限り弁護側立証は認められないのではないでしょうか。
 結局、大きなローファームに依頼し、人も金もかけられる被告以外は十分な弁護が受けられなくなる懸念があります。これまでも刑事弁護は少ない人数と限られた権限の中で、警察、検察に対抗するハンディキャップを背負ってきました。今回「寛大処分を」としか言えなかったのも、検察側に反証する証拠も十分な情状証人を立てることも時間などの制約の中でできなかった可能性を感じます。まあ、今回は分かりやすい事件ではありましたが。
 整理手続きまでに反証内容を準備しない限り間に合いません。しかも数日の公判日程に合わせた立証方針です。裁判員の負荷を考慮すればやむ得ないのでしょうが、やはり本末転倒だと感じます。裁判は裁判員のための制度ではないでしょう。何か公判はセレモニーのようで、事実上整理手続きの場で固まってしまうと思います。裁判は公開が原則ですが、これだけ段取りを決めるのであれば2段階裁判のようなものですから三者協議も完全公開すべきでしょう。弁護側が精神鑑定を申し立てたとすれば、鑑定期間が数ヶ月は掛かるでしょうから、三者協議で採否を決めなくてはなりません。最近は裁判所がきちんと三者協議の内容を発表しているのかもしれませんが、弁護側の発表だけだとプロパガンダもあって正確性に欠けることもあります。これまでは公開法廷で見ていられましたので、検察の意見などを聞きながら有無罪を考えてきました。三者協議の取材に苦労してきましたので、余計そう感じます。
 toshi先生は控訴審で量刑について職業裁判官がどう判断するかを指摘しておられます。もちろんこれも関心がありますが、これまでは事実調べに極めて限定的な態度をとって来た控訴審ですがこれからは積極的に事実調べを認めるべきではないかと思います。絶対に数日の公判では事実調べが少なすぎると思います。
 例え法廷真実に過ぎないとはいえ、弁護側が十分な活動の機会を作らないと弁護人は裁判のアリバイに過ぎなくなるような気がします。裁判員は冤罪を減らす効果も指摘されましたが、たったあれだけの立証・反証の中でどうしたら無罪を探し出せるのでしょう。もし「?」を裁判員が感じたとしても、弁護側立証が無ければ証拠もないですし、そもそも日程が決まっているわけですから、軌道修正は難しいように感じました。起訴状の誤記などのケアレス無罪でなければ、血の出るような攻防の末、無罪を勝ち取ってきたのではないでしょうか。そのためには自ずと時間がかかります。証人1人掘り出すのだって大変な労力です。マニュアル裁判では想定できない、心のひだに迫るのが刑事裁判だと思います。職業犯罪者でなければ事件の裏側にはさまざまな事情が存在しているように感じてきました。それだけに底の浅い審理になったと思います。
 裁判員が感情に流され勝ちなのは自明ですから、犯罪被害者立法と相まって応報刑色を強めることが良いという政治判断があったとしか思えません。ですから2審はその市民の判断を尊重するしかない流れではないでしょうか。そういう意味でも弁護人の責任は極めて重くなったように思います。
 

投稿: TETU | 2009年8月 8日 (土) 03時00分

裁判員制度の特徴は、訴訟参加について深刻に考える方ほど
選任されないよう抜け穴を考えるという一種独特のインセンティブが
働くところになると思いますので、呼び出しに応じなかった二人、
申し立てて免除された20数人、体調不良により交代した一人、
こちらの方が色んな意味で気になります。
懲役15年は正直驚きました。裁判員受けする言動について
被告人にアドバイスをする必要があるのではないでしょうか?

投稿: 匿名受験生 | 2009年8月 8日 (土) 13時50分

皆様方のご意見を拝見して、とくに弁護人の重責について考えさせられました。量刑判断のための事情について、多くを弁護人から説明する、ということになりますと、本当に弁護人の責任は重いように感じますし、ほとんど無報酬に近い形で(つまり弁護士としての社会的使命に依存して)今後展開されるであろう裁判員裁判の弁護活動で、そのような重責を弁護士が果たしていけるのでしょうか?
また、それほどまでに弁護人に重責があるとすれば、その責任を全うするための時間的余裕は必要でしょうし、そこで時間的余裕がなければ、TETUさんの言われるように、控訴審は別の思想をもって臨むことにも合理性があるかもしれません。
MICさんのように、今後実際に裁判員裁判の弁護をお引き受けになる方々にも、ぜひがんばっていただき、そこで浮かび上がった問題点を法曹界でも議論しなければならないですね。
エントリ自体が感想めいたものでしたので、ご意見をいただき、たいへん勉強になりました(ありがとうございます)

投稿: toshi | 2009年8月 8日 (土) 14時09分

こんにちは。書中お見舞い申し上げます。立秋まで梅雨明けが遅れた年の夏がどんなことになるかと思うとちょっとどきどきしてます(笑)。

率直に申し上げて、私にはどれも存じ上げなかった内容で、勉強になりました。ありがとうございました。やっぱりこれ、陪審制度すらない国という欧米からの批判や、観光ないし投資先立国としての政策のやりやすさを意識した、excuseとしての導入だったというのが主な理由なんじゃないでしょうかね。僕も保険じゃないですけどこれからだと思いました(しょうもなくてすみません)。

投稿: bun | 2009年8月 8日 (土) 16時33分

近隣トラブルで片方に落ち度がないということは通常ないと思いますが,判決では被害者の落ち度はほとんど認められていないようでした。懲役15年というのも重い気がします。ネットのニュースで,裁判員が「本当にあの答えでよかったかどうか、今になって疑問や不安を感じる」と言っていると報じられていましたが,そんなに適当に判決内容が決められていると思うとぞっとします。そもそも,被害者感情等に流されることなく,公平,公正な立場から起訴,判決が行われるようにするというのが刑事裁判の歴史だったと思うのですが,今回のように被害者感情ばかり重視した判決は,この歴史をぶちこわすものではないでしょうか。今回の判決が高裁で取り消されることを願ってやみません。

投稿: 匿名公務員 | 2009年8月 9日 (日) 14時16分

月並みですが強調しておきたい問題点が2つあります。
(1)武器対等論(武器制限論)
劇場型裁判、主観・感情を多用する裁判員、制度の体面も考えざるを得ない司法関係者、等の要素を前提にすると、国家権力・資産を背景とした組織vs弁護士という構図においては、弁護士は圧倒的に不利です。
弁護士側は、少なくとも、「検察の組織力に相当する結束力」「IT力」「プレゼン力」を備える努力をすべきでしょう。
裁判員という「影響されやすいキャラクター」の存在を媒介として、これまで以上に武器不平等が拡大してしまいます。また、(被告人となる)国民の権利は守られません。
他方、予断につながるプレゼンテーションを制止することも必要なのではないでしょうか。さもなくば、ソフトウェアや表現技術を駆使して主観・感情に訴える方向での不合理な競争が生じかねません。
(もっとも、ソフトを駆使したプレゼンテーションの出来不出来が結果に影響してしまう現実自体が制度の欠陥を示す一要素だというのが私見です。)
(2)量刑論
 私は、これまで何十年にもわたり無数に積み重ねられてきた経験知である量刑相場は尊重されるべきと考えます。法定刑に大きな幅がある現行刑法を前提に裁判するには、量刑相場が不可欠です。
 この点に関し報道のミスリードがあると思うのですが、量刑相場は裁判官のためだけにあるのではなく、判断の幅を絞り込む側面もるのですから、幅がありすぎるというある意味不合理な立法を補うものとして、法の適用を受ける国民の側にも利益があると考えます。
 市民の主観・感情を量刑判断に持ち込むならば、①量刑相場を資料として重視するか ②量刑に幅のありすぎる立法の見直しのいずれかの方向が目指されるべきです。仮に、今までの裁判がおかしかったというならば、市民の主観・感情に任せるのではなく、必然的に②の方向にいくべきです。立法を通じた是正こそが、民意の本来的反映方法だからです。

投稿: JFK | 2009年8月10日 (月) 00時24分

 toshi先生の意図とは異なるかもしれませんが、真摯な書き込みが続くのはそれだけ影響の大きい制度変更ということだと思います。
 どうしても分からないのは、公判前整理手続きを経ないで裁判員裁判はやれないと思うのですが、ここで検察、弁護側の立証計画が固まるわけで、その過程でほとんど想像が出来てしまうように思えることです。しかし、ここには裁判員はいません。裁判員が登場するのは、証拠が整理され有罪が事実上確定したあとの被害者感情への《ガス抜き》でしかないように感じられてならないのです。
 何回か、無罪の判決を見てきましたが、そこでは息詰まる攻防がありました。傍聴席のこちらも興奮しながら、推移に目を凝らしたものですが、裁判員裁判でこうした光景は想像できません。それは筋書きのないドラマで、どうなるかの予定はできません。幾らなんでも数日、総計20時間ほどの時間、それも終わりが決まっている中では起こり得ないように思えます。簡単に無罪、若しくはそれに近い敗北を検察は許しません。それを乗り越えて検察の描く構図を崩すのは並大抵なことではないと痛感しました。
 早くも弁護士のパフォーマンスレッスンが流行り始めたようです。CGを使った反証テクニックも売込みが盛んです。そのうち《ウケル弁論技術》なんて講座がロースクールで開設されるかもしれませんが、バーチャルなドラマではないです。被害者も加害者も全人格が掛かった場面です。人の心を揺り動かすのはそんな軽いものではないように思うのですが。少ないですが、体験では背筋がゾクッとし、血が逆流するような感覚を覚えたものです。

投稿: TETU | 2009年8月10日 (月) 16時28分

>bunさん
粋な「お見舞い」ありがとうございます。
日本に「監査」が根付かない理由のひとつに、株主が本当に取締役からひどい目に会った経験がないことが挙げられますが、陪審制度を導入した外国と日本の司法の歴史が異なる点も無視できないのかもしれません。主に裁判員制度に反対の方々が制度導入前に議論しておられたところですね。

>匿名公務員さん
ご意見ありがとうございます。昨日からさいたま地裁で第二番目の裁判員裁判が開始されましたが、今回は匿名公務員さんが指摘されているような点が問題になりそうですね。今回の裁判員の人たちは、被害者側の暴言をどのように評価するのでしょうか?(さっそく、被害者本人へ裁判員からこの点に関する質問が飛んだようですが)

>JFKさん
いつもありがとうございます。
かなり現在の私見に近い考え方ですが、これも実際に裁判員裁判に関与した弁護人の方から、いろいろと聞いてみたいと思います。3年間ほど検討会を行うことが法務省で決まったそうですが、何をポイントに検証すべきか、という点は早々にも議論したほうがいいと思います。

>TETUさん
ご意見ありがとうございます。今回は、いろいろなご意見を拝読させていただき、勉強になりました。
さいたま地裁の例では、被告人がはじめてスーツにネクタイで法廷に立ったとのこと。パフォーマンスが不可避ということであれば、外見だけでなく(事実に争いのない事案であれば)被告人の良性立証(事件とは関係ないが、過去に被告人が誠実な生活をしていることを情状として立証する)なども出てくるのでしょうか?何年かたつと、こういった制度運用があたりまえになって、誰も異議をとどめないようになるんでしょうかね?しかしマスコミももう報道しなくなった頃に、(たとえば否認事件などで)本当の問題点が浮上してくるように思いますが、いかがでしょうか。

投稿: toshi | 2009年8月11日 (火) 14時09分

8月13日の読売新聞夕刊に出ていますが、この事件の被告人は本日、控訴したようです。
今後はプロ裁判官3人による控訴審が始まるようですが、7月の高裁裁判官らによる研究会では、量刑判断については、その結果が著しく不合理だと認められないかぎりは、第1審の量刑判断を覆すべきではない、との見解をまとめたそうです。もちろん、この見解は裁判員制度による刑事裁判の意義を失わしめてはいけない、というものですから、それなりに理解はできます。
しかし量刑判断といっても、被害者参加制度のもとでの量刑判断には事実認定の差も影響しているはずですし、違和感を覚えるところもあります。(現にこの裁判では被害者側の事情を弁護人が主張したにもかかわらず、その事実は認定されなかったのですよね)とりあえず控訴審の判断を見守りたいと思っています。

投稿: toshi | 2009年8月14日 (金) 02時06分

控訴審が、一審が裁判員裁判による場合とそうではない場合とで
変わってくるというのはひょっとしたら憲法違反ではないでしょうか。
公正、公平な裁判が受けられないという意味で。
裁判員裁判であってもその判決に全く縛られることのない控訴審が
行われることを切に望みます。
それで「これでは裁判員制度が意味がないのではないか?」という
問題提起が行われるのなら、その際に裁判員制度の改廃も含めて
討議されるべきかと存じます。

ただでさえ裁判員裁判は短期間で行われるがゆえの問題が指摘されている
わけでありますから、控訴審では事実認定も含めて
じっくり洗い直してもらいたいものです。

投稿: 機野 | 2009年8月16日 (日) 19時45分

性犯罪を裁く初めての裁判員裁判が行われるそうですね。
男女構成の問題に注目したいと思います。
偏った構成になっても問題があるし、選任手続の過程で
3:3を意識した恣意的な運用がなされればなお問題です。

男女構成問題の検証は具体的な評決状況をみなければ
実質的には不可能です(性別に関係なく良識ある判断が
できるのかどうかが前提問題)。
あらためて、過度に厳格な情報開示制限が問題になると
思います。

投稿: JFK | 2009年9月 1日 (火) 23時06分

やっぱり読売は裁判員制度に関する記事は早いですね。私もJFEさんと同様に反応してしまいました。事案内容はよくわかりませんが、話題にはなりそうです。私はさいたま弁護士会のある弁護士の方(裁判員裁判専門弁護士です)と先週お話する機会があったのですが、例のさいたま地裁の事件、いろいろと問題点が浮上しているみたいです。機会があればエントリーしたいと思います。

関連する話題ですが、強盗致傷事件が裁判員裁判に指定されたことについて、弁護人が「裁判員制度の違憲」を主張して裁判官による裁判によって行うよう申し立てたそうですね。いつかは違憲性について弁論する弁護士が現われるのではないかと予想していましたが、手ぐすねひいて待っていた方がいらっしゃったんですね。これからいよいよツワモノぞろいの刑事弁護士が登場するように予想されます。

投稿: toshi | 2009年9月 2日 (水) 00時48分

すでに6人の裁判員が選任されたにもかかわらず、男女構成などは報道されていないみたいですね
ビデオリンク方式が採用されますが、これって被害者の証言の信用性などはどうやって素人が判断するのでしょうか?

投稿: unknown | 2009年9月 2日 (水) 09時51分

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