プリンシプルベースによる規制と経営判断原則の適用(その1)
企業会計におけるIFRS(国際財務報告基準)適用問題は、最近の経済雑誌においてトレンドな話題でありますが、企業法務とIFRS導入問題に関する話題というのは、いまひとつ盛り上がっておりません。しかしながら「ビジネス法務9月号」(中央経済社)のトレンドアイにおきまして、ようやく著名な弁護士の方(47thさん)が「IFRS導入がもたらす企業法務の地殻変動」なるタイトルでIFRS導入が及ぼす企業法務上のリスクについて警鐘を鳴らしておられ、内容は誠に卓見だと思います。
とりわけIFRS導入によるプリンシプルベース(原則主義)の採用について、不可避的にダイバージェンス(同じ経済事象について、複数の会計処理が成り立ちうる事態)を発生させるものであり、企業における会計処理の選択に関する法的責任問題については、「後だしジャンケン」的な責任追及をしない制度的な枠組みが必要である、と解説されております。(たとえば金融商品取引法上の不実開示責任など)IFRS導入は大きな問題でありますが、そもそもプリンシプルベースによる規制手法が採用される領域において、取締役の法令遵守体制に関する法的な枠組みについて、私自身若干の疑問がございます。(IFRSも将来的には国内法によるエンドースメントがなされるものと思われますので、その際にはプリンシプルベースによる規制問題が発生するはずであります。)取締役の法的責任の有無を判断する基準として代表的な「経営判断原則」は、このプリンシプルベースによる規制がなされている場合、どのように適用されるのか、といった問題であります。
「最新金融レギュレーション」(西村あさひ法律事務所編 商事法務)の第一章(第1講)では、この「ルールベースの規制とプリンシプルベースによる規制」がとりあげられておりまして、たとえばプリンシプル、という用語が用いられていても、法令の上位概念として位置づけられるもの(たとえば「金融サービス業における14項目のプリンシプル)と、法令のなかにプリンシプルベースの考え方を採り入れているもの(たとえば「内部統制報告制度における11の誤解」や、平成20年度金商法改正による利益相反管理体制の整備義務など)が整理されております。(これは私も以前から整理されるべきである、と考えておりました)このうち、後者の「法令のなかにとりこまれている」プリンシプルベースによる規制手法につきましては、もし法令解釈に誤りが生じた場合には、「具体的法令違反行為」が生じてしまうことになります。
そもそも会社法上の「経営判断原則」につきましては、何度かこのブログでもご紹介したとおり、ビジネスとしてリスクをとりにいく取締役の経営判断については、たとえビジネスに失敗して会社に多大な損害が発生したとしても、判断当時の状況からみて取締役には大きな裁量の余地があるのであって、著しく合理性を欠くような判断をしないかぎりは、その法的責任は問われないものとされております。(日米では若干、司法判断のあり方に差がありますが)しかしながら、具体的な法令違反行為がなされた場合には、「そもそも法令違反行為を犯してまで、ビジネスを進めることについての取締役の裁量権はない」とするのが最高裁の判断でありまして、取締役の業務執行行為は具体的な法令違反に該当するような場合には、そもそも経営判断原則の適用はなく、取締役には任務懈怠(もしくは不法行為責任上の過失)が認められる、とされております。それでは、たとえばプリンシプルベースによる規制のように、行為規制の内容も不明瞭であり、また判断権者の判断基準も不明瞭ななかで「法令違反」と認定されたような場合でも、やはり具体的な法令違反行為があったことだけで経営判断原則の適用が排除されてしまうのでしょうか?
このあたりは、どなたかのご意見がすでに論文等で発表されているのではないか、と思ってグーグルで検索してみたのでありますが、どうも見当たりませんでした。金融行政だけでなく、今後は消費者行政などにおいても、企業の経営の自由度を上げながら、なおかつコンプライアンス経営の実効性を確保する手法として、ますますプリンシプルベースによる規制手法が増えるものと思われます。そこで、(その2)において、このプリンシプルベースによる規制と(取締役の法的責任に関する)経営判断原則の適用について、IFRSと内部統制報告制度を例にとって若干検討してみたいと思っております。(以下、つづく)
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コメント
ご無沙汰しています。
顔写真入りで載ってしまい、お恥ずかしい限りなんですが、ルールの内容が曖昧になっていく中での経営判断の位置づけは難しいですよね。
一つのアプローチは、過失のような主観的なパラメーターで処理をすることで、野村證券事件の時の独禁法違反部分については、確か、当時専門家に聞いてもはっきりしない領域だったので責任は問えないといっていたんではないかと思います。
もう一つのアプローチは、正面から法令解釈の限界に挑戦することは取締役の裁量権の範囲内と認めることで、これはALIのPrinciples of Corporate Governanceのコメント(comments d. to 4.01(a), first para.)などで推奨されているアプローチです。
日本でも90年代半ばに、法令違反行為と取締役の責任については、いくつか論文が出ていました(例えば吉原先生が東北大学の法学に書かれた論文等)が、不勉強で最近の論文は十分に追っておりませんが、ご参考までということで。
投稿: 47th | 2009年8月 6日 (木) 12時47分
どうもおひさしぶりです。(お元気そうで)
前者のアプローチは、(その2)で触れる予定でありますが、具体的法令違反に過失がなかったとされるものですね。この裁判所のロジックが妥当なところかとは思うのですが、現在のように内部統制やコンプライアンス経営がうたわれている時代に、たとえば野村證券事件を例にとれば、役員は独禁法違反であることを知らなかったことに過失なし・・・と裁判所が判断してくれるでしょうかね?ここでプリンシプルによる規制・・という点で無過失と認定されやすい、とも解することができそうですが、予見可能性(法的安定性)という面では問題が残りそうな気がします。
また、後者については初めて知りました(ご教示ありがとうございます)が、なんだか頭の良い経営者が悪用する可能性が出てくるようにも思えますね。(アメリカではどうなんでしょうか)
私の方がよっぽど不勉強なもので、そういった論文すら知りませんでした。探して拝見したいと思います。
投稿: toshi | 2009年8月 7日 (金) 01時08分
会社計算規則の改正案が出ていますね。(120条)
従来の米国基準に代えて、指定国際会計基準(改正連結財務諸表規則93条、金融庁告示3条)を認めるという形ですが、SECという公的機関が関与している米国基準を、民間機関であるIASBが作成するIFRSに単純に置換えて国内法に規定するのは、法律的にはどうなんでしょうか?
投稿: 迷える会計士 | 2009年8月12日 (水) 22時17分