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2009年9月30日 (水)

「ビジネス法務の部屋」が本になりました!!

Bizhome_4  自分で申し上げるのも気恥ずかしいのですが、当ブログをご愛読いただいている皆様のご要望にお応えいたしまして、このたびブログ「ビジネス法務の部屋」が書籍化されることになりましたのでお知らせいたします。昨日(9月29日)、日本内部監査協会の全国大会(新宿京王プラザ)でも、講演の最後に(まことに勝手ながら)宣伝をさせていただきました。

「ビジネス法務の部屋」(大阪弁護士協同組合「ビジネス法務の部屋」編集委員会 編 弁護士山口利昭 著 1500円税込 大阪弁護士協同組合発行)

大阪弁護士協同組合「ビジネス法務の部屋」編集委員会の皆様方のたいへんなご尽力によりまして、出版に至りましたことはたいへん光栄であります。すでに当ブログのエントリー数は1100を超えておりますが、これまでの4年半のエントリーのうち、ブログ解析等によってたくさんの方に読まれているエントリーを選択したうえで加筆、修正をいたしました。また、単に過去のエントリーを掲載するだけではブログ本としては物足りない・・・と思いましたので、掲載しているエントリーのほぼ7割程度には「エントリーを今振りかえって」と題して、今の私が同じテーマについてどのように考えているか、といった感想や採り上げたテーマに関する最新情報などをかなりのページを割いて補足しております。

当ブログと同様、本書のベースとなるところは「社外役員からみた法律問題、資本市場、会計問題」といったあたりでして、とくに同業者の方だけでなく、企業会計に携わる皆様、市場関係者の皆様、上場会社の取締役、監査役の皆様、法務、内部監査等に関わるビジネスマンの皆様に、広くお読みいただけるよう、できるだけわかりやすい内容とさせていただきました。本日(9月29日)の日経朝刊では、東証が独立役員を義務化することへの本格的な検討に入ったことが報じられておりますが、そういった独立役員に就任してみたい、就任せざるをえなくなった・・・・といった方々にこそ、是非ご一読いただければ幸いです。(本の詳細はこちらをご覧ください

Cimg2297_320 まだ書店では並んでおりませんが、来週あたりから全国有名書店でボチボチ並ぶ予定です。帯付きですと、こんな感じになります。270頁程度のすっきりした本ですので、出張の際に、新幹線で読むのにちょうどいいかもしれません。価格も税込価格1500円とお値打ちです。私から感謝の気持ちをこめて・・・ということで、これで儲けるつもりは毛頭ありまへん。。。

ぜひぜひ、お買い求めいただきたいのですが、一番確実なのが直接、大阪弁護士協同組合にお問い合わせいただくのがよろしいかと。メールでも、お電話でも受け付けております。(ちなみに、電話は大阪06-6364-8208 大阪弁護士協同組合   メールでのご注文は osaka@lawyers.jp です。

9月30日発行、ということで、本日9月30日よりご注文受け付け開始となります。もちろん「まとめ買い」大歓迎です。(^^;受付順にて郵送させていただきます。お近くの方は、大阪弁護士会館内の協同組合でも販売を開始いたします。なにしろ、一般の書店に並ぶといいましても、商事法務さんや中央経済社さんのように、広く新聞等で広報される体制ではございませんので(汗)、草の根運動で「書籍化」が広まれば・・・と思っております。また、マスコミ関係の皆様方、「どあつかましい」お願いではございますが、決して公序良俗に反するような本ではございませんので、「ちょっと変わったブログ本」として、ご紹介いただけますと幸いです。(ご希望がございましたら送本させていただきます。もちろん、審査の結果「不採用」となりましても、文句は申しません…笑)

Cimg2302_320_2  左の写真のとおり、帯の裏側に書かれているような章分けをしております。ご興味のあるところからお読みいただけるように工夫しております。

現在、もう少し固い内容で、著名出版社からの法律書籍の出版についてはいくつか決まっておりまして、すでに執筆中のものもございます。しかし同業者の方々のご厚意で「手作り感覚」で出来上がったものですので、多くの方に手にとっていただきたいと願っております。

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2009年9月28日 (月)

JR西日本事故報道から探る不作為の過失(立件方針-その2)

土曜日から日曜日にかけまして、多くの方より(いくつかのエントリーに対して)たいへん有益なコメントを頂戴しております。「監査法人の赤字経営・・・」については、まだお返事させていただいておりませんが、私の疑問が初歩的で素朴なものであるにもかかわらず、「なるほど」と頷きたくなるものでありまして、是非そちらもご覧ください。また「内部統制1年目の総括・・・」のほうも、示唆に富むものであります。(crossさんのコメントは、本来私がフォローしておかねばならないところ、ありがとうございましたm(__)m)そして、昨日の「JR西日本事故報道から探る・・・(その1)」につきましては、酔うぞさん、辰のお年ごさんから、これまたたいへん貴重なご意見をいただきました。本日のエントリーの内容とも関係のあるコメントですので、興味深く拝読させていただきました。

このたびのJR福知山線事故に関連するJR西日本社の対応につきましては、企業コンプライアンスならびに内部統制(本件に沿っていえば安全体制確保義務)に関わる重大な課題を含んでいるものであります。しかし、JR西日本の前社長が業務上過失致死罪で起訴されていることからしますと、やはり今後も本事件において関係者に刑事責任が問われるのか否か・・・という点を中心として検討していきたいと思っております。

最近、元検事でコンプライアンス問題に詳しい郷原信郎先生が「検察の正義」(ちくま新書)を出稿されましたが※1、そのなかで鉄道事故に関する日米の刑事司法の在り方の差について触れておられます。アメリカの場合は再発防止のために事故の真相究明が第一とされ、関係者には司法免責を付与して、事故に関する供述を最大限引き出すことに全力を挙げるそうであります。いっぽう日本の場合には、航空・鉄道事故においても、一般の事件と同様に業務上過失致死被告事件として立件して、真実の発見も刑事司法が担うことになる、とのことで、ここが日米の大きな違いである、とされております。(上記著書61頁)また、郷原先生は、公正取引委員会へ出向されていた経験から、独禁法違反事件の告発に関しては、公取委と検察との間には根本的な考え方の違いがあったとして、たとえば独禁法違反について公取委は法人単位、事業者単位、つまり企業その組織全体の行為として明らかにすればよく、個人の行為を特定することはほとんど行われなかった、しかし検察の考え方は事業者や法人企業ではなく、個人の行為につき成立するものであり、それを具体的に明らかにすることが刑事処罰の必要条件だとする伝統的な刑事司法の在り方に基づいていた、と述懐されておられます。(上記著書48頁以下)このあたりの記述内容は、本件を(被告人に対する刑事追及の在り方を)検討するにあたり、とても参考になろうかと思います。

※1・・・この郷原先生の新書は長銀事件最高裁判決に関する検察の論理などにも言及されており、村上ファンド事件やライブドア事件に関する郷原先生の見解も含め、とてもおもしろい一冊です。また、「検察」という組織が、23年間、「郷原検事」をどのように処遇してきたか、一度辞表を出した検事を慰留しつつ、検察は何を期待したのか、といったあたりも、これまであまり触れられてこなかった検察の組織の論理を垣間見るようで、楽しめます。

昨今の運輸安全委員会とJR西日本幹部との接触(鉄道事故調査委員会報告書における癒着疑惑)に関する一連の報道は、(昨日も書きましたが)驚くべき事実を報じるものであります。委員とJR幹部が接触していた当時の副社長さんは、取材において「その当時は、ヒアリングなど、(事故調とは)正式な接触の機会が多かったから、その延長線上のことと認識していた」と述べておられるようです。しかし、私は企業コンプライアンスの視点からは「外観的独立性」こそ重要であり、たとえ元副社長さんの言い訳が真実であったとしても、その接触が正当化されるものではないと理解しております。(当時の被害者およびご遺族の方々の事故調査に対する姿勢からすれば、外観的独立性の重要性はJR西日本社の方々がもっとも意識していたはずではないでしょうか。)むしろ、元副社長さんは否定しておられる「会社ぐるみ」の責任逃れ、と言われても仕方がないように思われます。ただ、コメントにおいて辰のお年ごさんが指摘されていることに近いのかもしれませんが、鉄道事故調査会の対応を非難したり、JR西日本の企業風土(不祥事体質)を糾弾することと、個人の刑事責任を追及することとはまったく別でありまして、むしろ現時点の検察は、ともかくJR西日本の幹部社員(だった個人)の立件に全力投球をしているさなかに、「西日本の企業風土の悪質さ」を論難することは、むしろ刑事事件の立証において悪影響を与えるのではないか、と感じざるをえません。結局のところ、このたびのJR西日本事故では経営トップの刑事責任は問われないことになりましたので、前社長が鉄道本部長だったときの幹部職員としての刑事責任が果たして有罪となる可能性があるのかどうか、検討してみたいと思います。

ところで、不作為の過失犯を業務上過失致死罪として立件する場合、私は責任要素としての予見可能性(具体的な事故発生に対する予見可能性)と「不作為犯」の実行行為性(結果回避可能性を前提とした結果回避義務)および結果と実行行為との客観的な因果関係を検察側が立証する必要があるものと考えております。このうち、「予見可能性」の立証については、「福知山線のカーブ変更直前における函館脱線事故の資料をJR側が鉄道事故調査会にわざと添付しなかった」という事実によって、かなり立証の成功度合が高まったのではないか、と考えております。たしかに、1年以上前の新聞報道においても、函館脱線事故に関する話題が福知山線カーブ変更直前の会議で検討されていた、ということは伝えられておりましたし、このたびのリーク記事でも、函館事例が「ATS(自動列車停止装置)を設置していれば防ぐことができた事例」として紹介されていた、という事実が判明したようであります。しかし、これだけでは福知山線のカーブ変更により、函館と同様の事故が発生するであろう、といった具体的な予見可能性までは立証できないところだと思います。(これは鉄道会社における専門領域に踏み込む内容であるがゆえに、函館と福知山とでは、そもそも様々な個別事情によってATS設置の必要性が異なっていた、と反論されれば、素人では再反論が苦しいのではないでしょうか)しかしながら、JR側が事故調査委員会に対してわざと函館事件に関する資料を隠匿して提出していた、という事実が認定されたとしますと、少なくともJR側としては「表に出てしまってはマズイ資料」という認識はあったことになりますから、その会議に出席していた前社長(当時の鉄道本部長)も、福知山線にもATSを設置しなければ、脱線事故が発生する可能性をかなり具体的に認識していたことを示す資料と認定することはできそうであります。つまり「資料があった」ことよりも「資料を隠した」ことが被告人の予見可能性を立証することになる、というものであります。なお、ここで問題となる「予見可能性」は「カーブを変更すれば脱線事故が発生する可能性が極めて高くなること」に関するものであって、「ATSを設置しなければ脱線事故が発生する可能性が極めて高くなること」に関するものではないことに注意が必要であります。

つぎに過失犯の実行行為性でありますが、結果回避義務の観点からみますと、まず鉄道本部長というポストは、具体的に事故発生の危険を予見した場合には、これを回避すべく対応できるポスト、ということで前社長のみが(カーブ付け替え工事時における鉄道本部長として)起訴されたことはすでに報道されているとおりであります。この鉄道本部長の結果回避義務を論じるにあたっては、結果回避可能性が認められることが前提であります。たとえば当時の鉄道本部長として、カーブの変更によって具体的な事故の危険性が高まることを認識していたのであれば、たとえばいくつかの選択肢のなかからその危険を防止するための安全対策を採る必要が生じると思われます。そして、その選択肢のうちのひとつとして、ATSの設置が検討されるべきである、というものであります。このたびの検察からの開示情報では、前社長は事故調査委員に対して(事故調査報告書のなかから)「ATSがあったら本件事故は防げた」という文言の削除を要求しています。本来、当時の鉄道本部長としては、いくつかの選択肢があれば、どのような安全対策をとるべきかは本部長の裁量があったのかもしれません。しかし「ATSがあれば事件は防止できた」と書かれてしまいますと、すくなくともATS設置という選択肢を採用する必要性があったこと(もしくはそうすべき認識があったこと)の可能性は立証されてしまいます。これは結果回避義務を認定する前提としての「結果回避可能性」の立証を大きく前進させるものであります。なおかつ、実行行為性が立証された場合の結果との客観的な因果関係を立証するためにも大きな事実となるはずです。

このたびの検察から開示された情報から、以上のような理由で私は前社長の業務上過失致死傷罪立件に向けて、実際にはかなり前進しているのではないか?といった印象を持ちました。ただ、ここで問題となるのは、JRの企業体質が問題であるとして、たとえば歴代の社長が悪い、カーブ変更時における経営トップも刑事責任を追及されるべきである、といった事業者、企業としての法人処罰への世論の高まりであります。何度も繰り返し述べますが、本事件ではカーブ変更時における一幹部職員の刑事責任が「安全確保体制をとらなかったこと」を理由として処罰されようとしているものであり、いわゆる「監督過失」を問われているものではありません。したがいまして、「結果回避措置をとろうとすれば、鉄道本部長としてすぐにでもとれたこと」が立証される必要があります。しかし、もし当時の経営陣の責任を追及しようとすれば、経営陣の指示命令権を立証することが必要になってきます。ところが、もしこの指示命令があったとすると、(もしくは指示命令がなければ職員が判断できないとすると)そもそも鉄道本部長という地位にある職員の一存では、すぐにでも福知山線のカーブ変更にあたり、ATSを設置できる立場にはなかったことになり「結果回避可能性」の立証に支障を来すことになってしまいます。このあたりが、伝統的な刑事責任追及の在り方によって立件へ尽力している検察としては、「我々が我々のやり方で真相を究明するので、あまり運輸安全委員会への批判や、企業自身の責任追及に向けての気運などを高めないでほしい・・・」と感じているところではないでしょうか。また、このように「結果回避可能性」を基礎付ける事情を検討していきますと、たとえば福知山線以外にも、優先的にATS装置を付けるべき個所は全国にどれくらいあったのか、予算措置は十分にとられていたのか、具体的にATS設置場所を決定するにあたっての社内手続きはどのようになっていたのか、といった事情から、まだまだ当時の鉄道本部長さんとしては、結果回避可能性をめぐって争う余地はずいぶんとあるのではないか?と考えた次第であります。

以上は、外野の法曹としての思いつき意見に過ぎません。ただ、いろいろな報道内容がセンセーショナルに伝えられているように思いましたので、問題点を整理するうえでの参考程度にはなるかもしれません。長い文章に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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2009年9月27日 (日)

JR西日本事故報道から探る不作為の過失(立件方針その1)

(9月27日午前:追記あり)

ここ2~3日のJR福知山線事故におけるJR西日本幹部と運輸安全委員会(鉄道事故調査委員会)との癒着問題については、その内容において唖然とするばかりであります。これまで当ブログでは、比較的冷静にJR西日本側にも有利な事情を斟酌したうえで自説を述べてきたつもりですし、新聞で掲載された私の意見も、そのような意見として採り上げられてきたものであります。今回の一連の報道は、捜査機関から公表された事実が発端になっているようですが、これらが事実だとすればJR西日本社の危機対応はズサンであったとしか言いようがありません。各マスコミの報道には多くの問題が含まれているように思いますので、とりあえず問題を整理する必要があります。私は大きく分けて3つの問題に整理すべきかと考えております。

ひとつは鉄道事故調査会のメンバー(当時)だった方々が、調査結果が出る以前に当時のJR西日本幹部の人たちと接触をしていた、という事実。これは本当にビックリしました。国鉄時代の先輩・後輩という仲であったとしても、いや、そういった仲だからこそなおさら接触してはいけないことは「調査委員会」の公平性、中立性という面からして当然の前提であります。ちょっとこれは信じがたいところでありまして、守秘義務云々以前の問題であり、絶対にあってはならないことと認識しております。調査委員会の性格が真実発見にあるのか、責任追及にあるのか、といった論点は承知しておりますが、どのような目的であっても、その外観的独立性が疑われるようなことになりますと、委員会の社会的信用が著しく低落してしまうことは間違いないわけです。(ひいては年月を要してとりまとめられた報告書自体の信用性にすら傷がつくおそれが生じます)医療事故調査会や、今後設立されるであろう消費者庁における事故調査委員会の在り方にも相当な影響が出るのではないでしょうか。

つぎに問題は一連の接触問題がJR西日本側よりなされた、ということでいわゆる「JR西日本の企業体質」が問われる、ということであります。ご遺族や被害者の方々へ真摯に対応する、ということを告げながら、裏ではこのような企業責任および幹部責任(民事も刑事も含む)が問われないような工作を弄する、という事実は、このたび公になるまで社内で隠されてきた、ということなのでしょうか?(それとも、そもそも事故調査委員会委員と事前に接触をはかる、という行為そのものが、まったく問題ない行為だと認識されていたのでしょうか?)これは「企業体質を問う」というものでありますので、誰かの民事・刑事責任が問われる、ということとは別でありますが、企業コンプライアンスの観点からは重要な問題であり、あまりにも残念な事態のように思われます。

そして最後は捜査機関が公表したと思われる事実、つまりJR社が事故調査委員会へ提出した資料について、函館脱線事故の解説資料だけが提出されていなかった事実と、山崎前社長が事故調査委員会報告書の原案をみて、「自動装置が設置されていれば事故は防げた」なる文言を削除するよう求めた事実のもつ刑事事件立証への重み、というものであります。これは単に「企業体質」を表現するものではなく、立派な刑事立件のための重要な証拠である、と考えます。少し錯覚を起こしそうでありますが、そもそもこのJR西日本の刑事事件につきましては、決して経営トップの責任が問われているものではなく(結局のところ、検察は経営トップの責任を問うことをあきらめた模様であり)幹部職員の刑事責任を追及するところへ全ての資源を投下しているものであります。つまり、半径600メートルのカーブを半径300メートルのものに変更する際、(1997年ころ)安全責任者(鉄道本部長)だった山崎前社長の業務上過失致死罪を問うものであります。したがって、あまり「企業体質」などという言葉を用いますと、かえって論点がぼけてしまう可能性があります。すでに何度かブログでも述べましたが、不作為による過失犯を立件するためには、たとえば平成3年の大洋デパート火災事件最高裁判決の考え方などを参考としながら、被告人の責任要素としての「事故の予見可能性」と、実行行為としての結果回避義務違反、そして事故と実行行為との客観的な因果関係の存在が立証される必要があります。今回捜査機関より明らかにされた上記二つの事実から、なるほど、と思われる立証方針が垣間見えてくるのと、それでもなお、山崎前社長の業務上過失致死罪を有罪とするには最大の争点が待ち構えている・・・ということが次第に予想できるようになりました。

マスコミは事故調査委員会の問題点やJR西日本社の企業体質の問題点を糾弾することに力点が置かれているように思われますし、そのことも重要であることは確かでありますが、その方向性は一方において前社長個人の刑事責任追及へのベクトルを弱めてしまう可能性も内包しているようにも思われ、問題をきちんと分けて論じるべき、と考えます。そのあたりをまた(その2)で検討してみたい、と考えております。

(追記)

なぜこの時期に検察からいくつかの事情が公表されたのか?というのは私も不思議に思っておりましたが、今朝(27日)の読売新聞の記事や、読売ネットのニュースを読んで合点がいきました。捜査記録開示の直前だったそうですね。遺族の方が(あくまでも推測だが、と前置きして)話しておられるところが真実のような気がいたします。(ネットニュースよりも朝刊記事のほうが詳しいです)

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2009年9月25日 (金)

更新する時間が・・・(ひさびさの弱音)

ブログで書きたいことが山ほどあるのですが、更新する時間がとれまへん。本業が超多忙なため、関西CFE研究会も(世話人代表であるにもかかわらず)欠席してしまい、関係者の方々にご迷惑をおかけしました。。。本当に申し訳ございません。m(__)m ここのところ、かなりタイトな日々が続きますが、健康管理だけは気をつけておきたいと思っております。(ダイヤモンドオンラインの9月19日の関西アーバン銀行融資関連の記事、ひさびさに面白いなぁ・・・と思ったら、やっぱり「粉飾の論理」「兜町コンフィデンシャル」でおなじみのあの方の記事だったんですね。こういった記事、深夜にこっそりと読むのが大好きです・・・)

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2009年9月22日 (火)

監査役の「常勤性」に関するビミョーな問題(監査役の乱?)

連休明けの金曜日(9月25日)、ひそかに注目している定時株主総会が開催されます。マニアックに商事法務さんのメールマガジンをチェックしていらっしゃる方ならばご承知かもしれませんが、ビューティ花壇社(東証マザーズ、以下「B花壇」といいます)の株主総会における株主提案権の行方がたいへん気になっております。 花卉(かき)業は、このところ景気の波に押されて業績悪化のところが多いと聞いておりますが、唯一、婚礼や葬儀などの分野では利益が厚く今後の生花の伸びも期待できる、ということで今後の業績が期待できる会社のように思われます。現在、B花壇社のガバナンスは取締役3名、監査役3名(監査役会設置会社)体制でありますが、昨年の総会で退任された創業者(大株主)のA氏が(1)A氏自身を含む取締役2名追加選任の件、(2)今総会で退任予定の2名の監査役の再任の件を株主提案しており、現執行部はこれに猛反対、ということだそうであります。大株主(創業者であるA氏)側は、親族を含めますと42%の議決権を有しておりまして、昨年のB花壇社の総会実績(議決権行使状況)からみますと、もし昨年同様の総会出席者数と仮定しますと創業者側が過半数を握ることになりそうですし、さらに別の大株主の方(元常務)の動向もかなり現執行部には苦しいのではないか、という状況でありますので※1、今後の経営支配権の行方はかなり微妙なところではないでしょうか。B花壇社のヤフー板などを拝見しますと、この9月15日から17日ころにかけて、双方から一般株主宛てに意見書が送られている模様でして、いよいよバトルが本格化しているようであります。

※1 B花壇社はたいへんIRに熱心な会社のようで、昨年の株主総会における株主からの質問と、会社側回答の要旨が閲覧できます。元常務の方は、この株主総会に欠席されていたようでして、このことからの推測であります。

私は現執行部にも、また創業者側にも中立公平な立場でありますので、どちらかに肩入れする気持ちはまったくございませんが、監査役という職務に関心のある者として、このB花壇社の株主総会で非常に注目されるのは、退任予定のおふたりの監査役さんの後任が決まらないおそれがある、ということであります。会社側リリースを読みますと、会社は新しい事業展開をはかろうとしたところ、ことごとく現監査役のおふたりに妨害された、これでは適切な経営ができないと判断して、新たに弁護士(48歳)と公認会計士(38歳)に社外監査役として就任してもらう予定であった、ところが監査役の選任議案については監査役会の同意が必要であるところ、このお二人の監査役さんは、株主提案として自分たちの再任議案が上程される予定であり、自分たちはこれを受諾する予定である、そしてそのような立場にある以上は、新任監査役の選任議案に立場上同意はできない、として多数決(2対1)により、監査役会の同意が得られなかったそうであります。つまり退任する監査役に代わる新たな監査役さんの選任議案を上程できない、といった珍しいケースとなったわけであります。※2(これもやっぱり監査役の乱と呼ぶべきなんでしょうね・・・)そして、もし大株主側(A氏)の提案しているお二人の監査役再任議案が否決された場合には、結局監査役会設置会社において必要な監査役の人数(3名)が欠けることになりますので、会社側としては一時監査役選任を裁判所に申し立てる事態になってしまいます※3。(補欠監査役さんの任期も、この定時総会終了時までですので、こちらも役に立たないことになってしまいます)

※2 新たな監査役を選任する場合、監査役会は、その選任手続きに関与することができます。

※3 なお、一時的に監査役の法定員数が欠ける場合には、それが監査役の退任によるものであっても、退任監査役は(たとえば仮監査役選任に至るまで)監査役としての権利を有し義務を負うものであります(いわゆる権利義務監査役)。

会社側の株主提案に対する反対意見の中身(監査役2名は私利私欲のために選任議案に反対しているので、これは許されない・・・・とか、現執行部は若返りをはかったのだから、72歳の監査役が2名就任していることは経営のスピードを欠く・・・など)につきましては、この会社のこれまでの経営状況を詳細に知らなければコメントはできないものと思っております。(本当は自説を述べたいのでありますが、ちょっと差し控えさせていただきます)ただ、ちょっと私が気になりましたのが、会社法上も少し漠然としていて微妙な問題が横たわっている(と思える)監査役さんの「常勤性」に関する点であります。B花壇社は、昨年の総会で経営陣の若返りを図ると同時に、監査役として1名、IPO(新規株式公開)コンサルティング会社の代表取締役のC氏(40代前半の方)に就任してもらい、そのまま常勤監査役となっておられます。つまり今回退任される監査役の1名の方に代わってC氏は昨年B花壇社の「常勤」監査役に選任されたものであります。ところで、今回会社が監査役選任議案において候補とされていた弁護士の方と会計士の方につきましては、まちがいなく「非常勤社外監査役」として就任予定だったものと思われますので、このコンサルタント会社の社長でいらっしゃるC氏はそのまま常勤社外監査役として就任される予定だったものと思われます。

しかし、この常勤社外監査役の方は、バリバリのIPOコンサルティング会社(2社)の代表取締役を務めていらっしゃるうえに、さらに別の3社の非常勤監査役も兼務されていらっしゃる、ということで、その職務内容は本当に「常勤監査役」なのでしょうか?ちなみに、江頭「株式会社法(第2版)」485頁によりますと、常勤監査役(会社法390条3項)とは、他に常勤の仕事がなく、会社の営業時間中原則としてその会社の監査役の職務に専念する者である、とされております。もちろん、「常勤性」に反する勤務形態の常勤監査役さんがいらっしゃったとしても、監査行為自体の有効性には影響することはなく、ただ監査役の善管注意義務違反の問題が生じるだけであります(上記江頭485頁)が、やはり法令違反の問題は生じうることになりますし、そもそも監査役の職務というのは、実質的な常勤監査役さんがいらっしゃらない状態で公開会社における一般株主から委託された趣旨を全うできるものなのでしょうか?たしかに会社法における事業報告の記載内容からすれば、他社役員が社外監査役を兼務することは当然に認められているところでありますので、その旨きちんと開示されていれば問題はなさそうにも思われます。しかし、それは通常、非常勤監査役の兼務に関するものであり、「常勤監査役」が他社の代表取締役やグループ外の複数の監査役を兼務する・・・ということは通常考えられるところなのでしょうか?フルタイムを常勤監査役に努める会社で過ごすのであれば、むしろ代表者をしている会社の業務について、クライアントから専心義務違反を問われることはないのでしょうか?私はB花壇社の監査役さん方の職務内容を十分に認識しているわけではございませんが、もし今後、純粋な非常勤社外監査役さんを2名選任するような事態となる場合、この「常勤性」に関する株主への説明責任はきちんと尽くすべきではないかと思います。いずれにせよ、連休明けの24日時点での議決権行使書面のとりまとめによって、ほぼ総会の行方(株主提案の可否)は判明するのでしょうね。

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2009年9月20日 (日)

監査法人の赤字経営と「監査の独立性」

いつも拝見しております武田先生のブログで知りましたが、新日本有限責任監査法人さんが2009年6月期に13億の赤字決算、と公表されたようであります。(コピーはできませんが、新日本さんのWEBページで公開されております)新日本監査法人さんは日本で最初の「有限責任監査法人」として登録されたことで、計算書類もWEB上で開示されることになりましたが、前期15億円の黒字に対して、2009年6月は17億9000万円の営業赤字とのこと。(日経ニュースはこちら)会計士の皆様はある程度、想定されていたのかもしれませんが、私などは内部統制監査や四半期レビューで相当に監査報酬が増えていたのですから、当然に黒字決算だとばかり思っておりました。(景気の波は監査法人さんにも暗い影を落としていたのですね。しかし私と同じような感覚を持っておられる方も多かったのではないでしょうか?)

ところで、こんなことを申し上げると新日本監査法人の皆様にはたいへん失礼かとは思いますが、会社法監査におきましては、監査役は監査法人の独立性や報酬額の妥当性については十分に審査しなければならないはずであります。これは(会計監査人設置会社の場合には)会計監査人と取締役との「なれ合い」を防止して、会計監査の独立性を確保するため、会計監査人の選任同意権(会社法344条1項、2項)や会計監査人の報酬同意権(同399条)が監査役に認められている以上は当然のことであります。そこで、もし外観的独立性が強く保持される必要のある会計監査人について、その経営が赤字である、となりますと、果たして監査の独立性は確保されるのでしょうか?なんとか今期は黒字にしたいがために、被監査会社に対してついつい緩めの監査業務を提供してしまうおそれ・・・ということはないのでしょうか?「緩めの監査業務を提供する」というのが言い過ぎとしましても、たとえば被監査会社の取締役や監査役から「おたくの担当者とはウマが合わないから代えてほしい。」と要望されて、正当な理由もなく経営判断によって交代させてしまう、ということにはならないのでしょうか?(これも監査法人の独立性の問題ですよね?)また、会計監査人の報酬についても、「ふっかけられたのではないか?本当に適正な額なのか?」といった疑いが生じてくることはないのでしょうか?「アホか!」と言われそうですが、けっこう監査役にとりましては真剣に検討しておく必要があるのかもしれません。(私が役員と務める会社も監査法人は新日本さんですし・・・)

「とんでもないですよ。なんといっても日本の3大監査法人、E&Yグループがそんなことはするはずないでしょ!」と怒られそうな素朴な疑問ではありますが、監査役は株主の抱く素朴な疑問にもきちんと説明しなければなりません。ましてや、9月2日の日経新聞朝刊記事にありましたように、今年年初から8月末までには上場会社における監査人の異動が196件もあったそうで、その異動のうち、新日本から離れた企業が45社、新たに就任した企業が17社ということで、この傾向は今後も続くと思われますし(最近はちょっとヤバめの会社さんの場合は、大手の監査法人さんが監査契約を解消するケースが多いですよね)、また公開された新日本さんの業務説明書によると売上に占める監査業務の割合は83,8%・・・ということですので、監査人の異動や被監査会社の上場廃止が増えることで、業績にもかなり影響が出てくるのではないでしょうか。(まぁ、売上が1044億ですから、本当はすぐに回復できる金額であることは確かでしょうが・・・)

原則として、監査法人さんは赤字経営はマズイと思います。(とくに有限責任監査法人として登録している場合はなおさらだと思います。)武田先生も指摘されていらっしゃるように、新日本さんのようにキャッシュリッチなところは良いとしましても、監査法人のGCに黄信号がともるような事態にでもなりましたら、それこそ「外観的独立性」に問題が生じるケースも出てくるように思いますし、ましてや会計監査人の独立性に問題がないことの株主への説明責任は選任同意権、報酬同意権を有する監査役にあるわけでして、どのように説明すべきか苦慮することも予想されるところであります。要らぬ心配をしないで済むように、早めに黒字転換していただくことを切に希望しております。(そういえば、大手の監査法人の計算書類の監査は準大手さんがおやりになる・・・という暗黙の了解があるとかないとか?そうしますと、次に控えている準大手の有限責任監査法人さんの場合はどこが監査するのでしょうか?大手と準大手でグルグルと「循環監査」とか「仲間内監査」なんていうのは、もっと独立性に問題がありますよね??笑)

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2009年9月17日 (木)

企業の社会的責任論(CSR)とソフトローの親和性

経団連では毎年10月を企業倫理月間とされているそうで、会長さんによる企業倫理推進のためのメッセージも発信されておりますが、このたび(9月15日) 「日本経団連:CSR(企業の社会的責任)に関するアンケート調査結果」が公表されましたので、概要版だけですが拝見させていただきました。(ちにみに437社からの回答結果ということですので、かなり客観性は保持されているのではないでしょうか)

そもそも社会的責任に関する基本的な考え方として、アンケート結果では「法令遵守を超えた社会的良識の範囲での活動」とか、「持続可能な社会の創造に向けた活動と」理解されていらっしゃる企業が多いところから、CSRはあくまでも法令遵守とはそれほど親和性はなく、社会的な貢献のひとつであると認識するのが一般的なところだと思われます。自社のCSR活動をWEBページなどでほとんどの企業が公開している(95%)、とのことでして、法令遵守という範疇にはないからこそ進んで広報できるのでしょうね。しかしながら、概要版を仔細に見ていきますと、たとえばサプライチェーン・マネジメントとして「(CSRを)契約条項に盛り込んでいる」企業が40%近くに上っておりますし(このあたりの問題点は以前のエントリー「CSRは法律を超えるのか?」をご参照ください)、CSRに関する情報開示としては「自社の不祥事への対応状況を広報する」企業が51%もあり、さらにCSRを推進する上で参考にしているガイドラインとしては「ISO26000の社会的責任に関する規格を参考にしている」企業が24%もある、とのこと。こういったアンケート調査結果を眺めてみますと、やはりCSRは法令遵守とは無関係とは言えないものであり、たとえばISO26000規格などがもっと国際規格として普遍化していけば、そのうちソフトローとして法規範化するのではなかろうか・・・との疑問が湧いてきます。

こういった疑問が私だけの素朴な疑問であれば、とくにブログで述べるほどのこともないかもしれませんが、早稲田大学の商法の大先生が同様のことを疑問に思っていらっしゃるとすれば、皆様方の関心度も少し変るかもしれません。ご興味のある方は、直接原文を参照していただければと思いますが、最新の「金融・商事判例」(9月15日号)「金融商事の目」のコーナーで、元早大総長の奥島先生が「社会的責任の国際規格と会社法」と題する意見を述べておられます。ご承知のとおり、ISO26000は特に企業組織だけを対象とした国際規格ではありませんが、奥島先生は実質的にみるとISO26000は会社法との関連性は決して小さくはないとされています。ISO26000が目指す社会的責任の原則が、直ちに法的レベルまで引き上げられることはないが、近い将来、企業経営に関するある部分はソフトロー化するのではないか・・・と予想されております。(適正な経営のための内部統制システムの整備が会社法で法制化されていることからしても、今後その可能性は十分にある、と論じられております)奥島先生の言われるCSR原則のソフトロー化の重要な結論としては、社会的責任の原則が規格化して、これが社会で強い支持を集めることになれば、やがてソフトローとして善管注意義務の判断基準を底上げする方向に進むのではないか・・・といったあたりかと思われます。

このあたりは、とりわけ企業社会における規制の手法が事後規制的、原則主義的に変わりつつあるなかで、とても重要な問題意識ではないかと私も勝手に共感いたします。法律と自主的な行動規範との境界が、取締役の法的責任を論じるうえで明確にならないケースが今後増加することになるでしょうし、その境目のモノサシとして今後使われる可能性があるのが、ある程度規格化されたCSR活動(CSRの考え方)ではないでしょうか。CSRについては、私もあまり普段研究しておりませんが、もし奥島先生が指摘されているように、今後ソフトロー化(つまり法的責任との関連性あり)との関連性が認められるのであれば、興味深く今後の議論の進展をみていきたいと思う次第であります。

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2009年9月15日 (火)

民主党・公開会社法素案への素朴な疑問

9月7日付けロイターの動画ニュースにおきまして、民主党大久保勉参議院議員のインタビューを拝見いたしました。公開会社法PT事務局長として、今後2~3年以内に制定するという「公開会社法」の中身について概要を述べておられます。(次の衆議院選挙までには施行するとか)現在新聞報道等で最も注目されている「監査役の従業員代表制」につきましては、大久保氏の論理は以下のとおりであります。

会社は株主のもの(アングロサクソン系の考え方)は否定されるべき、会社は従業員、経営者、取引先を含むステークホルダー全ての者のためにある→経営者の暴走を防ぐためには現在の監査役(監査役会)はあまりにも力が弱い→暴走に歯止めをかけるには監査役会の強化を図る必要があり、そのためには従業員からも監査役を選出する必要がある→ただし労働者の代表ではなく、あくまでも従業員の代表である。組合の代表ではない。→代表選出の方法については今後検討する。

なるほど、経営者の暴走を防ぐというために現在の監査役制度の補強という意味で従業員の代表者を監査役会に参加させることが目的のようであります。ところで、本日(9月14日)の日経新聞「法務インサイド」では、三宅編集委員の記事として、この民主党公開会社法素案について紹介されておりました。そのなかで、大久保議員は(民主党内には独立社外取締役の選任を上場ルールによって義務付けるべきだ、との声が少なくない、との記事をうけて)「独立社外取締役の数は・・・全体の3分の1以上が望ましい」「もしそれが嫌なら、委員会設置会社に移行すればいいではないか」と話しておられます。なお、PTの素案においては、社外取締役義務化に関する記述はない、とのことであります。あくまでもハードローではなく、ソフトローによって社外取締役の義務化を図ろう、ということのようであります。

少しビックリいたしましたが、このふたつのインタビューの内容は素朴に矛盾していないのでしょうか?社外取締役義務化の話は、ご承知のとおり株主と経営者(会社)との対話の促進を目的とするものであります。「所有と経営」の分離が極限まで進んでいる上場会社の場合、株主と経営者との直接の対話に限界がある以上、株主による経営監視(モニタリング)と役員から株主への説明責任の履行(アカウンタビリティ)という二つの重要な「対話要素」を代替できるのは社外取締役だけである、というのが「会社は株主のためのもの」という思想を強く主張される方々の意見ではないでしょうか。しかしながら、冒頭の動画インタビューにおきましては、大久保議員は明確に「会社は株主のものという思想は否定されるべき」と述べられており、ステークホルダーの利益調整(バランス、という言葉を用いておられますが)のために従業員代表制の監査役会制度を推進されておられるわけで、この「社外取締役義務化」と「監査役制度改革」とは制度を必要とするそもそもの思想のところで矛盾しているように思えるのですが、いかがなものでしょうかね?それとも社外取締役導入義務化は、(従業員代表者の監査役会参画と同様に)経営者の暴走を止めるため、ということを目的としているのでしょうか?私的にはコンプライアンス経営のための社外役員というのは歓迎したいところですが、一般には社外取締役は企業パフォーマンスの向上のため、ということですよね?

さらに、冒頭動画インタビューにおいて、大久保議員は親子上場は禁止する、と明言されており、その理由は子会社の少数株主保護の必要性が高いからだ・・・と述べておられます。この少数株主保護の問題につきましても、基本的には株主権強化を目指す方々の意見に近いものがありますので、やはり「ステークホルダーの利益調整云々」とは若干方向が違うように思えます。従業員代表監査役の利益相反問題や、会計基準の一本化問題など、詳細なところでの疑問点もいろいろとありますが、まずはこれまで行われてきた金融庁SGでの議論や、監査役協会における監査役制度改革の流れなどからみて、大きな思想のところでブレが生じないように議論の整理から始めていかなければならないと思うのでありますが、どんなもんなのでしょうか?

PS 東京の大手法律事務所さんは早速、著名弁護士さんによる「民主党公開会社法解説セミナー」を開催されるんですね。(さすが、スゴイなぁ・・・・・)

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2009年9月14日 (月)

企業担当者からみた「内部統制1年目の総括と2年目の課題」

会計や法律に関する雑誌では、ほぼ「内部統制報告制度の1年目を振り返って」と題する特集は一巡したように思いますが、旬刊経理情報9月20日号の特集「初年度の問題点とその解決策を探る」(2年目の内部統制3社の取組み)は、なかなかスグレモノの座談会であり、当ブログにお越しになられる常連の皆様方からすれば「よくぞ言ってくれた!」と拍手喝さいに近い内容ではないかと思います。(また、座談会の司会をされたトーマツのパートナーK氏も、監査法人のお立場からして、3社の方々のご発言をよくここまでまとめられたものだなあと・・・)日本を代表する3社(といいますか、日本国籍のグローバル企業である3社)の内部統制報告制度対応プロジェクトチーム責任者の方々による1年目(までの)総括と、これからの内部統制報告制度への課題を語ることが中心の座談会でありますが、まじめに一生懸命プロジェクトに関わってこられただけに、そのご発言内容からみて「おとなしくまとめられた座談会」とは大違いであります。「この際だから言わしてくれ」的で実に興味深いです。

もちろん、参加された方々も、社内のプロジェクトチームだけではなく、全社的に内部統制の考え方を共有できるようになった、業務の「見える化」が進み、問題点を改善する際にもイメージが共有できるようになった、といった制度施行の長所を指摘されている点もございますが、「このままでは制度が形骸化する」「費用対効果は会社だけでなく、監査法人や行政も工夫が必要」「監査法人自身も内部統制監査は専門家ではなく素人である」「そもそもレビューで足りる」「能力の低い監査人とのやりとりで、非常に無駄な時間を過ごした」といったお話がポンポン出てきます。司会者のK氏もフォローがたいへんなご様子でありますが、おそらくここで会社担当責任者の方々がおっしゃりたかったのは、内部統制監査にいろいろな問題点が出てきたのは、そもそも制度の建付けが悪かったのであって、監査人の責任ではないよ・・・というところだったものと思います。(したがって監査報酬の問題とか、内部統制コンサルタントの問題などは議論されておりませんでした)したがいまして、座談会のなかで参加者の方が主張されていたように、2年目の内部統制に向けて、自分たちも効率化や有効性評価のレベルアップのために頑張るけれども(各企業における内部統制のPDCA)、内部統制監査を担当する監査法人も、制度設計を担当する行政も一緒になって取り組む必要がある(内部統制報告制度自身のPDCA)ということに同感いたします。

2年目の取組みへの抱負を拝読していて、制度自体の効率化の問題を指摘されていたことは予想通りでしたが、「業務監査と内部統制評価の仕事を明確に分けて、業務監査に比重を置く」とか「内部統制における数量基準や専門的手法の(内部監査への)実質的な弊害」とか「重要な欠陥の概念見直し」「財務報告以外の目的にも有効な内部統制に向けて」などなど、企業における本来の内部監査(業務監査)の在り方と、制度対応との微妙なズレというものを、各企業ともしっかりと疑問視するようになってきたものと理解いたしました。詳しくはまた上記特集号をご覧いただければ、と思いますが、たとえば内部統制報告制度における「監査の基準」につきましては、そもそも同時期に導入された四半期報告書がレビューの基準を導入したこととの関係で決まったものとされていたのではなかったでしょうか。実務をみていて、四半期報告書におけるレビューの制度がかなり有効に機能しているようにも思えますし、インダイレクトレポーティングが採用されている趣旨などからしましても、この座談会で提言されているように見直しすることも検討されてよいのではないか、と考えておりますが、いかがなものでしょうかね?内部統制報告制度自体の見直しにあたっては、他の制度の運用の実態なども考慮しながら検討すべきだと思います。

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2009年9月13日 (日)

実に楽しかった日韓弁護士協議会(in札幌)

Cimg2070_320_2 9月11日、12日に札幌プリンスホテルにて開催された第31回日韓弁護士協議会に参加してまいりました。昨年は「独禁法の域外適用」に関する共同研究がメインテーマだったそうでありますが、今年は「企業におけるセクハラ・パワハラ」がテーマということで、(なぜかよくわからないのですが)私が「企業側からみたセクハラ・パワハラ防止体制」についての基調講演をさせていただきました。もうひとりの日本側からの講演者は労働者側代理人として多くの事件に関与していらっしゃる東京の山下敏雅弁護士であります。(お会いして初めて知りましたが、パワハラ裁判の代表的事件である2007年の日研化学事件の原告団長だったそうですね。山下先生は、冒頭からいきなり流ちょうなハングルで話し始めたのでビックリ!韓国側弁護士のみなさん、大きな拍手・・・・あんた、どこで勉強したん??)

韓国側はハナ大投証券遵法支援室の社内弁護士でいらっしゃる方で、私のレジメと比較いたしますと、あまりに中身が濃いので、これまたビックリ!(^^; ともかく、私は彼女のレジメのどこを読んでいるのかがリアルタイムではわからず、進行状況がわからぬまま、和訳文を必死で読んでおりました。(笑)ただ、日本も韓国も、セクハラやパワハラ(韓国では「パワハラ」なる用語は一般的ではございませんが)に関する裁判所の判断基準には違いがないことに安心いたしましたが、その判断基準の依って立つ基盤、つまり「社会における男女の役割」とか「会社と労働者との意識の違い」などが大きく異なるために、裁判の結論に大きな差があることは初めて知りました。いずれにしましても、私のスピーチは本来、アドリブが勝負・・・というところでありますが、そのアドリブが翻訳によってどのように韓国側に伝えられているのか・・・がとても不安でありまして(笑)、ホームであるにもかかわらず、かなりアウェーな気分に浸っておりました。ただ、参加されていらっしゃる韓国側弁護士の方の多くが、ソウルの大きな法律事務所で、おもに現地の日本法人を担当されていらっしゃる方だったので、日本語に相当堪能であることに救われたような気もします。

Cimg2074_320 シンポジウムもなんとかこなし、やっとレセプション・・・。これが実に楽しかった。韓国における裁判員裁判の実情(韓国は昨年から裁判員制度を導入しています)、兵役の関係で、裁判官か検事として任官した新人法曹のその後の人生、子供の強烈な受験戦争と弁護士としての仕事、その他法曹の私生活などなど、ビックリするような話がてんこもりでありました。たしかに参加されている方はハングルが話せる日本弁護士、日本語が話せる韓国弁護士が多いのでありますが、臆面もなくカタコトすら話せないで参加している私でも十分楽しめます。これは絶対参加する価値ありです。来年は済州島で開催されますが、もし時間とお金に余裕がありましたら(?)ぜひまた出席させていただきたいと思います。最後になりましたが、私の拙いレジメを翻訳していただいた愛知県弁護士会のS先生、またコテコテの関西弁をもろともせずに、通訳をしていただいたソウル弁護士会のB弁護士に厚くお礼申しあげます。m(__)m ありがとうございました。(明日13日、帰阪の予定であります)

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2009年9月11日 (金)

金融庁・課徴金処分で初の審判期日(味の素社員インサイダー事件)

先日、ビックカメラの元会長さんの有価証券虚偽記載事件について、金融庁の課徴金事案における初めての審判期日が開催されるのでは?という報道がなされておりましたが、期日変更ということで、こちらの味の素社員によるインサイダー課徴金事件のほうが先になってしまったようです。

そもそも金融庁の課徴金制度における不服申立(事前審判制度)は、あくまでも被審人(ここでは味の素の社員の方)を保護するための制度、という建てつけになっておりますので、一般の行政手続法による行政不服審査制度とはかなり様相が違います。SESCによる暴走を防ぐための牽制機能…と表現するのが妥当ではないでしょうか?いちおう審判官3名は法曹から選出されておりますが、証券取引等監視委員会の課徴金納付命令の勧告について、被審人の言い分を聞いて、しかるべき金融庁としての決定案を考えるにすぎないものですから、SESCの勧告とほぼ同様の決定が出されることになるものと思われます。(ということで、SESC側からもとくに必死になって有力な証拠を出すこともないと思います)

ただ、被審人は金融庁の課徴金納付命令については送達後30日以内に行政訴訟を提起することができますので、代理人弁護士さんもおつきになっておられることですし、できればこっちまで頑張っていただきたいと思います。(取消訴訟なら、金融庁側からもそれなりの証拠が提出される可能性が高いと思いますし。)また、訴訟のなかで、①刑事罰と課徴金という二重処罰体系がこれを禁止する憲法に違反することにならないのか、②不正監視・是正という同じ行政目的を持ちながら、独禁法上の課徴金制度と大きな違いを有する金融庁の課徴金制度が比例原則違反(行政目的を達成するための「必要最小限度の権利制限」といえるのか)あたりを主張して、課徴金制度の法律上の位置づけを司法判断のうえでも明確にしていただければ・・・と期待しております。(とりいそぎ、備忘録のみにて失礼いたします)

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2009年9月10日 (木)

ペッパーFS社のコンプライアンス「合わせ技一本」

O-157(病原性大腸菌)の発症・・・ということで、連日ペッパーフードサービス社の件が報道されておりますが、ペッパー社に引き続き、9日は吉野家HD傘下の「ステーキのどん」でも事件となり、すでにニュースでも報道されているようであります。(追記:10日朝、株式会社どんより適時開示として「食中毒事故の発生に関するお詫びとお知らせ」がリリースされております)また北海道のホクレン社でも、牧場に遊びに来ていた子供たちに発症者が出てしまい、ホクレン社のHPではお詫びの文書がリリースされております。(株式会社どんのHPでも、早速お詫び文書が公表されております)

150店舗以上のチェーン店を2日以上にわたって閉店するということは、ペッパー社にとりましては業績に多大な影響が出ると思いますし、今回の食中毒事故を発生させた社会的責任を痛感していることを形で示したことになりそうですが、どうも同時期にO-157事件を起こしながら、「ステーキのどん」さんや、ホクレンさんとは少し世間からの「叩かれ方」に相違があるように思えます。保健所の連絡から公表まで3日を要したことや、被害者の人数が多いことなどにも起因するようですが、なんといいましても、一昨年の心斎橋店の店長(および店員)による強盗強姦事件、昨年の傷害事件と、一連のペッパー社の社員不祥事によるところが大きいのではないでしょうか。(とくに心斎橋店の事件は当時2ちゃんねるなどでも話題になりましたし)

おそらくここ2年ほどの不祥事がなかったら、ペッパー社も今回のように(スポーツ紙を含めて)大きく報道されることはなかったのではないかと思います。今回の事件が今後のペッパー社の業績に大きな影を落とすことになるとすれば、おそらく過去の不祥事との「合わせ技一本」として評価されることになるのでしょうね。不祥事も、それだけでは後追い記事も出てこないようなものであったとしても、他の不祥事と重なって、大きく社会的評価を落としてしまうケースもありそうですね。当時の事件の記憶が喚起されてしまうことも大きなイメージダウンになってしまいそうであります。

しかしペッパー社事件に関するJ-CASTニュースの記事でありますが、この記事の最後に掲載されている会社側のコメント、もし本当にこのように広報したのだとすれば、かなりゲンメツする方も多いのではないでしょうか。

「お客さまの声は、真摯に受け止めて対応しています。しかし、今回は、加工工場の過失割合が高いようです。『運が悪いね、頑張れよ』といった声も寄せられています。食中毒発生後も客が大幅に減ることはなかったので、再開してもそれほど変わらないのではないかと思っています」

うーーーん。。。(ホントにこんなこと言ったのかなぁ??)この時期に(たとえ本当にそうであったとしても)、他人に責任を転嫁するような物言いだとか、「運が悪かった」といった言動はクライシスマネジメントとして最も回避すべき対応ではないかと。

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2009年9月 9日 (水)

内部統制報告制度ラウンドテーブル開催日程に関する訂正(お詫び)

先日、今年のビックイベントとして「内部統制報告制度ラウンドテーブル」の開催が決まったとエントリーで書かせていただきましたが、日程を間違っておりまして、「11月5日」とのことであります。以前のエントリーも訂正させていただきました。ブログをご覧の皆様並びに関係者の皆様に多大なるご迷惑をおかけしましたこと、深くお詫び申し上げます。m(__)m今後は、正式な事務局からのリリースがあればまた当ブログでも広報させていただきます。

とりいそぎ、訂正のお知らせとお詫びまでにて失礼いたします。

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2009年9月 8日 (火)

サンスター社のMBO高裁決定(650円➔840円)

まだ新聞等では報じられておりませんが、三尊氏のコメントによりますとサンスター社のMBO(非公開化を伴うマネージメント・バイアウト)の株式価格決定申立事件におきまして、大阪高裁は(サンスター社が賛同した)TOB価格(650円)を大幅に上回る840円が妥当、とする決定を出したようであります。(詳しくは三尊さんのブログをご参照ください)先々週、O法律事務所のパートナーの先生(モリテックス事件のIDEC社側代理人をされていた方)とお話をしていたときに、この事件は「なかなか高裁が判断しない」とつぶやいておられたのですが、ずいぶんと慎重に審理がなされていたのでしょうね。最新の旬刊商事法務でも、レックス事件を題材として新進気鋭の関西の学者の方が論文を発表しておられましたが、本当に旬のテーマであり、金融・商事判例あたりでまた決定文が紹介されるのを楽しみにしております。

しかし「関西にはこういった裁判を引き受けてくれる弁護士がいない」という三尊さんの指摘は重く受け止める必要がありますね。(適合性原則違反など、消費者保護訴訟として証券事件を扱う先生方はけっこういらっしゃるとは思うのですが、ちょっとジャンルが違いますよね)関西の場合、こういった事件だと、会社側にはたとえばO事務所かK事務所が代理人として登場することが多いようですが、少数株主側(個人やファンドなど)で代理人として活躍する若い弁護士さんが登場する土壌がなさすぎますね。ということもありまして、今年も昨年に引き続き、大阪証券取引所さんと共催により適時開示ルールに関する弁護士のための研修会(弁護士会2階ホール)を開催することにいたしました。(これも若手ではなく、「おっさん」である私が企画したものですが・・・(^^;;  )資本市場を通じたガバナンスやファイナンスの法律問題に関心を持っていただける若い弁護士の方が、関西でも増えることに少しでもお役に立てれば・・・と思います。

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2009年9月 7日 (月)

明治安田生命集団パワハラ訴訟

明治安田生命さんのコンプライアンス問題には、ことのほか思い入れがございまして、これまで「かっこいい」部分と「かっこ悪い」部分に触れてきた会社であります。当ブログにおきましても、2005年に「明治安田のコンプライアンス委員会」なるエントリーを4回にわたりリリースいたしまして、「契約金不払い」事件をテーマに「社風は10年程度経過しないと変わらないけど、期待しております」と申し上げておりました。

ちょうど土曜日に社外取締役ネットワークの関西勉強会で「企業からみたセクハラ・パワハラ問題の現状と課題」を報告させていただいたところでしたので、日曜日の毎日新聞社会面で大きく報道されていたこのパワハラ集団訴訟(予定)の記事が目を引きました。(注-「パワハラ」とは、一般には職場におけるいじめ、と定義されています)記事の内容は(おそらく)原告側当事者の方から取材されたものだと思いますので、現時点では公平な見方かどうかは不明でありますが、もしこの報道内容が事実だとすれば、第一次パワハラ、第二次パワハラ、そして第三次パワハラと、対象者にとってはかなり厳しい現実がそこに横たわっていたものと想像できます。今回は集団パワハラ訴訟ということでありますが、なるほど記事にもありますように、立証方法の強化という点からしますと、たしかに集団訴訟という方法をとることは原告側にとりましては有利かもしれませんね。またこういった訴訟を続けているのには相当の精神的疲労もあるでしょうから、集団で訴訟を続けることが、そういった疲労を和らげる意味があるのかもしれません。記事では、こういった訴訟は異例ということですが、先日のエントリーでも書きましたように、パワハラ通報は急増しており、労働審判事件まで含めれば紛争が現実化しているケースはかなり増えているのではないでしょうか。

セクハラ問題も難しい面がありますが、企業側からみたパワハラ問題の難しさについては独特のものがあります。先日もご紹介したとおり、パワハラのグレーゾーンを曖昧なままにしておくことは許されず(グレーならばとりあえず禁止・・・では、上司の適切な指揮命令権を過度に委縮させてしまって、業務に支障を生じさせる)、上司を知る社員の間で意見が分かれることがあり(熱意のある指導と受け取る社員もいれば、パワハラと断定する社員もいる)、さらにそもそもパワハラを行った者に対する懲戒処分の根拠が明らかではないケースがある、ということであります。(したがいまして、企業側からすれば、加害者と被害者をとりあえず離す、つまり配置転換等によって、あいまいなままで終わらせたい・・・という気持になってしまう場合があります。なお、これは一般論でありまして、本事例がそうだ・・・という意味ではございません)このあたりが通報窓口から事実認定を行う調査上の課題ではないかと思います。さらに、本件を例に考えるならば、パワハラに該当するか否かは(これも以前書いたところですが)行為要件と属性要件の総合的判断をもって検討すべきでしょうから、たとえば属性が「生命保険会社の営業所長と保険営業員の関係」とすれば、そこには営業所長の指揮監督につき比較的広い裁量権が存在することが認められます。そこで、このような裁量権が広く認められる(つまり上司の恣意的な判断の余地が入りやすい)上下関係では、パワハラを推認させる行為もかなり広く(緩やかに)認められる可能性があり、誰がみても常識を逸した奇異な命令ではなくても、パワハラと認定される場合もあるのではないでしょうか。

なお、パワハラ認定につき、(人格権侵害を理由に)被害者の主観的要素を重視する立場もあるかもしれませんが、企業側から見た場合には、加害者への懲戒処分の正当な理由をたてなければならないことや、あいまいな理由で加害者とされる社員に対して調査活動を継続することにより、かえって加害者側から会社が損害賠償請求訴訟を提起される可能性もあることから(現にそのような裁判で会社側が敗訴した事件もあります)、やはり客観的な根拠を重視してパワハラの該当性を判断すべきではないかと思います。

しかし、本社コンプライアンス室での対応につきまして、会社側としてはどう反論されるのかが興味深いところであります。大きな会社ですから、当然内部通報ガイドラインは規定されているでしょうから、事務手続きに反するような対応はしていないのではないか、と推測いたします。つまり、口止めにしても、所長へ通報者の存在を告げたことも、対応に時間を要したことも、おそらくガイドラインに沿った手続き遂行上のものとして、何らかの合理的な反論が考えられます。しかしながら、もしそういったガイドラインに沿うことなく、恣意的に内規に反した行動が採られていたとすれば、それは間違いなく「二次パワハラ」に該当することになるでしょうし、また仲間内での通報に対する事実上の制裁(三次パワハラ)を惹起せしめたことに対しては、「社員による内部通報者への制裁禁止」に関する周知徹底がなされていなかったものとしての非難は免れないところではないでしょうか。(しかし通報者はなぜ外部窓口を活用しなかったのでしょうかね?)あの事件から4年、またまた明治安田生命さんのコンプライアンス経営に対する姿勢が問われるような事件となり、今後の訴訟の行方が気になるところであります。

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2009年9月 4日 (金)

内部統制監査人の法的責任と「過失相殺論」

迷える会計士さんのコメントで、本日(9月3日)会計士さん方の研修で「会計監査人の責任限定」がテーマとされていたことを知りました。(このテーマで弥永教授が講師ということになると、このブログでもっとも読まれているエントリーを想い出します。もう3年ほど前のエントリーですが・・・・なんか懐かしいですね)迷える会計士さんが、内部統制監査人の法的責任について意見を述べていらっしゃいますし、とても興味深いところですので以下にご紹介させていただきます。

ちょっと先走って内部統制監査人の責任についてですが、本日ちょうど「会計監査人の責任限定」という研修に参加してまいりまして、その中で弥永教授が「対会社責任も、内部統制監査の導入に伴い、過失相殺の主張がこれまでよりも困難になる可能性が高いし、会社側の過失とされる割合が低くなろう」と指摘されていました。

凸版印刷事件のように、裁判所は会社の内部統制の不備を理由に過失相殺を認定しているわけですから、会社が内部統制を有効と評価し、監査人が会社の評価を適正であるとの意見を表明した場合で、実際は内部統制が有効ではなく、不正が発生したとすれば、監査人の責任はより重く判定されることは当然でしょうが、このあたりを十分に認識している会計士は少ないように思います。

(迷える会計士さん、どうもありがとうございます)弥永先生が掲げていらっしゃる「対会社責任」というのは、たとえば内部統制報告書を提出しなければならないような上場会社が破たんして、再生債務者管財人から(当時の)会計監査人が粉飾見逃しの監査責任を追及されるような場面なのでしょうね。(内部統制報告制度が問題となっているようですから)学校法人や労働組合法人などの法定監査については枠外と理解してよろしいのでしょうね。

たしかに迷える会計士さんや講師の先生が指摘しておられるとおり、内部統制における経営者の評価や内部統制監査人による監査の制度が導入され、会計監査人に対する責任追及の場面における監査人の注意義務違反の認定は変わる可能性はあると思います。ただ、ここで注意すべきは内部統制報告制度はあくまでも金商法上の内部統制の話であり、会社法上の内部統制とは異なる・・・ということであります。つまり経営者が内部統制を有効と評価したこと、または内部統制監査人が、報告書に適正意見を付したことが、そのまま監査人の注意義務の内容に影響を与えることはない、ということであります。

たとえば一例として、上で話題となっている「過失相殺」について考えてみます。たしかに内部統制を経営者が評価して、これに監査人が適正意見を付する(お墨付きを与える)、という制度が運用されることで、「粉飾決算の発生は、そもそも監視を怠っていた役員を含め、会社自身に落ち度があったんだから、会社が監査人に責任追及するのであれば、会社側の過失を考慮すべきである」ということが(適正意見を付した)監査人の側からは言いにくくなることは事実です。しかし「過失相殺」が裁判所によって斟酌されるのは、あくまでも「事実」であります。迷える会計士さんが引用しておられる凸版印刷事件では、労働組合側に著しい内部統制の不備があることを理由に、(裁判所は)責任追及された公認会計士さんの側に有利に過失相殺が認められました(労働組合側に7割の過失あり)。しかし、判決文を詳細に読んでいただければおわかりのとおり、裁判所は単に内部統制に不備があったことから過失相殺を認めたのではなくて、内部統制に不備があったと評価できるような事情(事実)を詳細に認定したうえで労働組合側の7割の過失割合を認定しております。つまり凸版印刷事件で述べられている「内部統制」は(イマ風にいうならば)会社法上の内部統制について議論しているものであり、「内部統制の不備」を基礎付ける事実の有無を問題視しているものと思われます。

したがいまして、内部統制報告制度が施行された後におきましても、適正意見を付したことがダイレクトに会計士さんの法的責任や過失相殺割合の変化に結びつくものではないと考えております。むしろ法的責任が厳格化することが正しいとすれば、それは(たとえ投資家に対して有用な財務情報を提供することに資する制度だとしても)すべての上場会社に対して義務付けられた制度であって、この制度によって会社法上の財務報告内部統制の構築義務の履行すべきレベルも当然に高まっていることに起因するものと理解しております。また、会計監査人につきましては、私は基本的に内部統制監査制度によって、その法的責任がダイレクトに厳格化する方向には行かないのではないか、と考えております。たとえ内部統制監査人の法的責任が問題となるとしても、現実問題として粉飾決算による監査人の見逃し責任が追及される場面では、財務諸表監査における注意義務違反の判断において一緒に議論されるのではないでしょうか。ただ、最近は会計監査人の法的責任が争点となる裁判では、会計監査人の善管注意義務の有無をリスク・アプローチの観点から捉える裁判官が増えてきましたので、財務諸表監査の場面において、統制リスクをどのように把握して監査計画を立てたのか、またどのように試査の範囲を決定したのか、どこに深度ある監査を行ったのか、といったあたりが、監査人の注意義務を論じるにあたって厳格に判断される傾向になるのかもしれません。しかし、これはあくまでも、内部統制監査制度、という新しい制度の施行が直接監査人の法的責任に結びつくことを示すのではなくて、制度運用の実態を詳細に検討したうえで、どのような事実が会計監査人の注意義務を基礎付ける事実として評価されるべきか(考慮されるべきか)、というきわめて法的な思考を踏まえたうえでの「厳格化」に起因するものだと思います。このあたりが、会社法上の内部統制と金商法上の内部統制とを区別しなければならないポイントのひとつかと思われます。開示規制違反という法的責任は別としまして、「不正見逃し責任」という法的責任が決算訂正や内部統制報告書訂正とリンクすることによって、投資家に有用な情報提供が躊躇されてしまう事態になることを、すこし私は危惧しております。(最後になりますが、こういったことを考えるヒントをいただいた迷える会計士さんに、あらためて感謝申し上げます)

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2009年9月 3日 (木)

空飛ぶDHJ(コンプライアンス経営はむずかしい)

ある上場会社の常勤監査役の方より、「2年目のJ-SOX」に関するたいへん興味深い論文をいただきました。(どうもありがとうございます)私信扱いにしてください、とのことですのでブログではご紹介できませんが、今後のエントリーにおける参考にさせていただきます。まじめに年月をかけて社内でのプロジェクトを推進してきた会社にとりましてはJ-SOXの効率化はまさに喫緊の課題であるようでして、今後の展開が非常に楽しみであります。

さて、本日はひさびさの「コンプライアンス経営はむずかしい」シリーズでありますが、5日ほど前の朝日新聞ニュースに気になる記事が掲載されておりました。ご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんが、三沢基地に勤務していた航空自衛隊の女性空士長(26)の方が、昨年5月ころより派遣型風俗店でアルバイトをしていたことが発覚し、報告を受けた上司(2等空佐)が、彼女の将来のことを考慮して、本来ならば懲戒処分(兼業禁止に該当するものではなく、自衛隊員にふさわしくない行為に該当するものとして)とすべきところを依願退職扱いとした、とのこと。この空士長さんは、依願退職となったのでありますが、その後再び防衛省の非常勤職員となり、さらに驚くべきことに風俗嬢アルバイトも継続していた、ということだそうであります。(朝日新聞ニュースはこちら

私の今年のコンプライアンス・セミナーをお聞きになった方ならばご存じのとおり、皆様方と一緒に考えましょう・・・ということで例題をいくつか出させていただきました。たとえば以下のようなものであります。

(例題1)私(課長)の課に配属されている女性職員であるAさんが、男性社員であるB主任より執拗にデートの誘いを受けて困っている、という苦情を相談されました。私はAさん、B主任ともに以前からよく知っているので、間に入って私的に解決したいのですが、よろしいでしょうか?

(例題2)私の部下であるCさんが、帰宅途中で交通事故を起こしたということで、Cさんから事情を聴いたところ、飲酒運転のうえでの事故とのことでした。幸い双方とも物損だけの事故でしたし、警察にも要請に応じて出頭する旨を申し出ていますので、このまま会社には内緒にしておこうかと思っています。

実は、こういった例題は単なる空想によるものではなく、後日会社の社会的評価を低下させるほどの大きなコンプライアンス問題に発展してしまった実話を元にしているものでして、その問題の発端となる事実を掲載したものであります。先の朝日新聞ニュースで報じられていた航空自衛隊の問題につきましても、やはり上記例題にかなり近い状況がうかがわれます。そこで、この航空自衛隊デリヘルバイト事件につきまして、まじめに考えてみたいと思います。

1 なぜ空士長のデリヘルバイトが部隊内で発覚してしまったのか?

上記朝日の記事によりますと、この女性空士長のアルバイトが2008年5月ころ、同じ部隊内の同僚が知るところとなり、これを女性空士長の上司(2等空佐)に報告をした、ということであります。では、なぜ同僚に知られるところとなったのでしょうか?たまたま同僚が指名してしまった・・・などということはまずないものと思いますし、「ナイトウォーカー」や「シティヘブン」のような紹介雑誌に彼女が掲載されていた、ということでもないものと思います。一番可能性が高いのは、彼女のプライベートを知っている男性もしくは女性との人間関係のこじれ・・・という線ではないでしょうか。先の(例題2)では、課長と部下であるCさんとの後日の人間関係の破たんが大きな問題に発展する原因となりましたが、上記事例におきましても、その可能性が一番高いように思われます。(ただしあくまでも推測にすぎません)

2 同僚から報告を受けた上司は、なぜ彼女を懲戒処分にしなかったのか?

先の朝日の記事によりますと、この上司(2等空佐)の方は「彼女の将来を考えて」あえて懲戒処分とはせず、依願退職扱いとして処理したようであります。この上司の方は、おそらく真意として彼女のことを考えて人間味ある処理をされたものと思います。(きっとこういった方は、社内でも信頼が厚く、部下からも尊敬されるタイプの方だと思いますし、この方と同様の振る舞いをしよう、と考えておられる方も多いのではないでしょうか)セミナーに参加された方も、例題1および2におきまして、正規の社内規約があることは知りつつも、人情味あふれる上司として、「俺の胸にしまっておくから」ということで内々に処理する方向を選択された方もいらっしゃいました。たしかに、問題が発覚しない可能性が皆無、ということでしたら、このような選択肢が(コンプライアンス違反か否かは別として)一番落ち着くところかなぁとも思われます。

3 なぜこういった一連の事件が、マスコミの知るところとなったのか?

防衛省は、この風俗アルバイトを継続していた元空士長への処分を検討している、とありますが、もちろん懲戒処分の対象となる行為に及んでいたのですから、これもやむをえないところかと思います。しかし、なぜこういった内々で済ませておきたかった事件がマスコミの知るところとなるのでしょうか?やはり可能性が高いのは、そもそも「こんなことが隊内であっていいのか?」との思いで通報をした同僚の方による更なる内部告発ではないでしょうか?(もしくは、彼女と人間関係がこじれた者による内部告発かもしれません)とくに行政が公式に公表すべき事件とも思えませんので、マスコミ数社(もしくは1社)に対する事件の通報があったとみるべきではないかと思います。こうなった以上は元空士長だけでなく、この上司の方も、なんらかの処分対象になるのかもしれません。

私はしゃくし定規に、セクハラ規程、内部通報規程、飲酒運転規約等が存在するのであれば、私的に相談を受けた事例につき、相談に応じることはせず、正規の社内ルートによって解決を図るべきである、とまで申し上げるつもりはございません。ただ、かっこ良い上司として内々に処理するのであれば、そこに潜むリスクについて十分認識したうえで行動を起こすべきである、と申し上げたい。「そこに潜むリスク」といいますのは、外に潜むリスクと当該上司の方の内に潜むリスクであります。「外に潜むリスク」とは、たとえば元空士長についてよく思っていない同僚の存在だとか、人間関係のこじれだとか、内部通報や内部告発のリスクだとか、マスコミの関心というものであります。いわば「不祥事発覚リスク」というものですね。そして最もおそろしいリスクは「上司自身にあるバイアス(偏見)リスク」であります。たとえばその上司が元空士長に対して「かわいい部下」という認識を抱いていたとすると、「こんな部下を悪く思うやつはいない」とか「こんな部下の友達が彼女を裏切るわけはない」といった偏見が消えず、先に説明したような「外に潜むリスク」を見えなくしてしまいます。また同僚による内部通報にしても、「同じ部隊の者がマスコミに通報するようなことはしない」とか「そもそもマスコミが面白おかしく書きたてるような話題ではない」というように、有事になるとどうしても楽観的な方向での思考に走る傾向になってしまいます。さらに上司の方は「彼女は将来のある身だから」と真摯に考えていたとしても、朝日の記事にあるとおり、人間はまた同じ行動を繰り返す傾向にあるのが現実であります。(先の例題2においても、結局のところ、部下は再び飲酒運転による事故を発生させてしまい、人身事故によって内々の処理が表面化していくことになります)

血の通った人間どうしで構成される組織である以上、法律では捉えられない義理人情が組織の潤滑油として不可欠であることは否定いたしません。しかしながら、リスクの存在を知りつつあえてグレーな対応に出る場合と、リスク自体が見えないままにグレーな対応に出る場合とでは、その後の企業不祥事へと発展する過程において大きな差が生じます。(リスクを承知のうえで、あえてグレーな対応に出た場合には、その後有事に至る場合でもなんとかなるケースが多いと思います)思考停止のコンプライアンスに陥らないためにも、(いろいろとご異論はあるとも思いますが)誰でも悩みそうな身近な事例を元にして、コンプライアンスリスクの存在を丁寧に分析してみることも、有益ではないでしょうか。

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2009年9月 2日 (水)

過年度決算訂正と内部統制報告書の訂正の必要性

磯崎先生の「カブドットコム証券社外取締役辞任について」を読ませていただき、ブログという媒体で、このようなレベルの高いものが発信されることにつき、驚きを禁じ得ませんでした。私の記憶が間違っておりませんでしたら、たしかカブドットコム証券が最初に公開買付けを受ける際の社外取締役としての意見書に、磯崎先生は、今回一緒に辞任される弁護士の方と歩調を合わせてかなり会社側に厳しい意見を付されていたものと思います。(すくなくとも賛意は表明されなかったはず。価格算定方式に注文をつけておられたんですね。訂正いたします。当時は独立委員会といえば、なんだかんだいっても会社寄りの意見しか出さないものだ・・・といった考え方を持っておりましたので、その意見書を拝読したときにはたいへん新鮮な気持ちになったことを記憶しております)私はあの意見書を読んだだけでも当時にしては珍しくガバナンスが効いている会社である、という印象を持っておりました。先日の日経新聞における社外調査委員会の在り方に関する記事などを拝見しておりますし、また私自身も現在進行形で、このような調査委員会に参画しているものですから、磯崎さんの上記エントリーは、問題提起として本当に考えさせられるところが大きいです。ちなみに、適時開示問題や監査人の適正意見との関係から、社外調査委員会の在り方については開示問題(金融庁)と絡めて議論されるところがありますが、実際のところは行政の許認可(許認可停止やその解除など)や取引先の取引継続(CSR経営)などにも「委員会意見書」は多大な影響力を持つものでありまして、A4何枚かのレポートが会社の命運を握る場面は少なくありません。あらためて、社外調査委員会の在り方について議論する場が必要でしょうし、実は日弁連でもいろいろと対策が検討され始めたようにも聞き及んでおります。

さて、(話は変わりますが)一昨日は日本内部統制研究学会の第二回年次大会について書かせていただきましたが、学会の午前中の報告でも一部質問が出ておりました「過年度決算訂正と内部統制報告書との関係」について、ちょうど本日手元に届きました月刊監査役9月号(560号)でも「企業法務最前線」として東京の大手法律事務所の先生が概説をされておられますので、入手可能な方はご一読をお勧めいたします。(実にタイムリーな論稿ですね)この問題は内部統制における金商法と会社法の狭間の問題だと認識しておりますが、この論稿を執筆されておられる先生も、やはり同様の意識をお持ちのようで、冒頭金商法上の内部統制と会社法上の内部統制に関する論点整理を試みておられます。

この点につきまして金融庁内部統制Q&Aの71問を参考としますと、まず有価証券報告書の過年度決算訂正をしなければならない場面において、常に内部統制報告書の訂正も必要、というわけではないことは明らかであります。また、経営者による評価範囲の決定が適切に行われているケースにおきまして、評価範囲外から不備が見つかった場合にも、内部統制報告書を有効と経営者が評価したことには影響はないので、とくに内部統制報告書の訂正を要する場面ではないものと思われます。問題は、内部統制報告制度が開始された以降の年度において、経営者が関与するような会計不正が発生していたにもかかわらず、(たとえば経営者主導による架空循環取引によって架空売り上げが計上されていたような場合)事後の事業年度において、この不正が発覚し、過年度決算が訂正されるような場合であります。つまり過年度の決算訂正と同時に、当時の内部統制を有効と評価した報告書についても訂正を必要とするか否か、また過年度の内部統制報告書に適正意見を出した監査報告に誤りがあったとすべきか、ということであります。さきほどの月刊監査役の論稿におきましては、会計不正の原因が従業員による不正なのか、それとも経営者主導型の会計不正なのか、ということによって報告書訂正の要否も変わってくる(場合が多い)のではないか、と論じられております。その理由としましては、経営者主導型の会計不正の場合には、いくら立派な内部統制システムを構築していたとしても、いわゆる「内部統制の固有の限界」を超える場合(典型例)が多いであろうから、そもそもとりあえず機能している内部統制が存在する以上はとくに内部統制を無効と評価し直す必要はない、(いっぽう従業員不正については、内部統制が有効であれば防止しうるケースもあり「重要な欠陥」があったとされる場合が多く、内部統制報告書の訂正が必要である)というところのようであります。

おそらくこの先生の整理がスッキリしていて常識的な判断内容かと思いますが、ここに登場する「内部統制の限界論」の理解の違いによっては、また別の考え方も出てくるのかもしれません。たしかに経営者が内部統制を無視する場合には、内部統制が存在しても有効に機能しない場合がある、というのが内部統制の限界について議論されるところであります。しかし、この内部統制の限界、という概念は会社法上の内部統制構築義務(運用義務)とは全く別の概念であり、むしろ会計原則における「真実性の原則」や「重要性の原則」、監査上のリスク・アプローチ(いかに効率的に投資家にとって有益な情報を提供するか)との親和性が高い概念ではないでしょうか。つまり財務報告の信頼性を確保するための内部統制は、どんなに立派なものを作ったとしても、すべての不正や誤謬のリスクを事前に把握できるわけでもなく、不正を見逃してしまうケースもある、だから費用に見合った70点程度の内部統制システムなら合格点ですよ、という会計監査の世界における概念を説明したものにすぎないものとも思われます。(だからこそ、内部統制監査の実務指針のなかでは、とくに内部統制の限界論は意識されず、所与の前提として理解されているのではないでしょうか)株主から預かった資産を有効に活用しなければならない経営者として、「内部統制には固有の限界がある」以上、費用に見合ったそこそこのシステムを構築することも重要であって、財務計算書類が適正に作成されることを担保する内部統制のレベル感を裏から説明したのが「内部統制の限界論」だと認識しております。

このように、内部統制の限界論を金商法上の内部統制報告制度のなかで考えますと、経営者評価としては「そこそこの内部統制システム」であれば「重要な欠陥」が認められず有効と評価してよいことや、内部統制監査人としては(ダイレクトレポーティングが採用されていないこととも併せ考えると)経営者が70点程度の内部統制が構築され重要な欠陥はないとする評価が正しいことについての合理的心証を得られれば適正意見を出してもよいことを担保する意味合いがあるものと考えられます。そうしますと、たしかに経営者が内部統制を無視したり無効化させるような場合には「内部統制固有の限界」は認められるかもしれませんが、果たして当該会社の内部統制が「そこそこのレベル」にあったのかどうかは経営者不正であれ従業員不正であれ、原因分析のうえで精査する必要があるのではないか、とも考えられます。(つまり100%経営者不正を防止できるような内部統制は不要だけれども、70%程度は経営者不正を防止できるようなシステムが構築されていたかどうか、ということは問題とされるべきですよね。たとえば4年経過しなければ架空循環取引が発覚しないような体制ならばマズイけれども、1年で発見できるようなシステムなら「そこそこ」のシステムかもしれません。これが全社的統制の有効性に関わる判断でしたら、当然に評価範囲の決定にも影響が出てくるでしょうし。)私はどちらかといいますと、経営者不正によって架空循環取引が長年にわたって繰り返されてきた、というケースにおきましては、そもそも全社的統制、とりわけ統制環境に大きな不備があったものと評価すべきですし、むしろ「重要な欠陥」があったとして内部統制報告書の訂正を必要とすべきではないか、と考えます。金融庁内部統制意見書(実施基準)における内部統制の限界に関する説明事項のなかには、経営者の内部統制無視の場合とともに、従業員による共謀不正も(内部統制の限界として)含まれておりますので、経営者不正と従業員不正によって過年度の内部統制報告書の訂正の要否が変わる、というものでもないように思いますが、いかがなものでしょうか。むしろ経営者関与の会計不正事例におきまして、不正会計事件を知らなかった他の役員などが内部統制構築義務違反(善管注意義務違反)を問われかねないケースにおきまして、内部統制の限界論は機能するように思います。(この「内部統制の限界論」につきましても、金商法と会社法の内部統制の仕訳を必要とするポイントだと思っております。まだまだこの問題には内部統制報告書を訂正することと、経営者や内部統制監査人の責任問題についても書きたいことがございますが、ちょっと長くなりましたのでまた別の機会ということで。。。)

PS ところで、「内部統制の効率化が2年目の課題」ということで、「効率化」というのは、たとえばキーコントロールの整理などが中心なのかな?と思っておりましたところ、現場の会計監査人の方々は財務諸表監査における内部統制審査と内部統制監査との可及的な融合、ということを考えていらっしゃるようで、キーコントロールの整理統合あたりはあまり意識されていないみたいですね。監査法人の営業上の問題からなのかな・・・・・・(^^;

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