JR西日本事故報道から探る不作為の過失(立件方針その1)
(9月27日午前:追記あり)
ここ2~3日のJR福知山線事故におけるJR西日本幹部と運輸安全委員会(鉄道事故調査委員会)との癒着問題については、その内容において唖然とするばかりであります。これまで当ブログでは、比較的冷静にJR西日本側にも有利な事情を斟酌したうえで自説を述べてきたつもりですし、新聞で掲載された私の意見も、そのような意見として採り上げられてきたものであります。今回の一連の報道は、捜査機関から公表された事実が発端になっているようですが、これらが事実だとすればJR西日本社の危機対応はズサンであったとしか言いようがありません。各マスコミの報道には多くの問題が含まれているように思いますので、とりあえず問題を整理する必要があります。私は大きく分けて3つの問題に整理すべきかと考えております。
ひとつは鉄道事故調査会のメンバー(当時)だった方々が、調査結果が出る以前に当時のJR西日本幹部の人たちと接触をしていた、という事実。これは本当にビックリしました。国鉄時代の先輩・後輩という仲であったとしても、いや、そういった仲だからこそなおさら接触してはいけないことは「調査委員会」の公平性、中立性という面からして当然の前提であります。ちょっとこれは信じがたいところでありまして、守秘義務云々以前の問題であり、絶対にあってはならないことと認識しております。調査委員会の性格が真実発見にあるのか、責任追及にあるのか、といった論点は承知しておりますが、どのような目的であっても、その外観的独立性が疑われるようなことになりますと、委員会の社会的信用が著しく低落してしまうことは間違いないわけです。(ひいては年月を要してとりまとめられた報告書自体の信用性にすら傷がつくおそれが生じます)医療事故調査会や、今後設立されるであろう消費者庁における事故調査委員会の在り方にも相当な影響が出るのではないでしょうか。
つぎに問題は一連の接触問題がJR西日本側よりなされた、ということでいわゆる「JR西日本の企業体質」が問われる、ということであります。ご遺族や被害者の方々へ真摯に対応する、ということを告げながら、裏ではこのような企業責任および幹部責任(民事も刑事も含む)が問われないような工作を弄する、という事実は、このたび公になるまで社内で隠されてきた、ということなのでしょうか?(それとも、そもそも事故調査委員会委員と事前に接触をはかる、という行為そのものが、まったく問題ない行為だと認識されていたのでしょうか?)これは「企業体質を問う」というものでありますので、誰かの民事・刑事責任が問われる、ということとは別でありますが、企業コンプライアンスの観点からは重要な問題であり、あまりにも残念な事態のように思われます。
そして最後は捜査機関が公表したと思われる事実、つまりJR社が事故調査委員会へ提出した資料について、函館脱線事故の解説資料だけが提出されていなかった事実と、山崎前社長が事故調査委員会報告書の原案をみて、「自動装置が設置されていれば事故は防げた」なる文言を削除するよう求めた事実のもつ刑事事件立証への重み、というものであります。これは単に「企業体質」を表現するものではなく、立派な刑事立件のための重要な証拠である、と考えます。少し錯覚を起こしそうでありますが、そもそもこのJR西日本の刑事事件につきましては、決して経営トップの責任が問われているものではなく(結局のところ、検察は経営トップの責任を問うことをあきらめた模様であり)幹部職員の刑事責任を追及するところへ全ての資源を投下しているものであります。つまり、半径600メートルのカーブを半径300メートルのものに変更する際、(1997年ころ)安全責任者(鉄道本部長)だった山崎前社長の業務上過失致死罪を問うものであります。したがって、あまり「企業体質」などという言葉を用いますと、かえって論点がぼけてしまう可能性があります。すでに何度かブログでも述べましたが、不作為による過失犯を立件するためには、たとえば平成3年の大洋デパート火災事件最高裁判決の考え方などを参考としながら、被告人の責任要素としての「事故の予見可能性」と、実行行為としての結果回避義務違反、そして事故と実行行為との客観的な因果関係の存在が立証される必要があります。今回捜査機関より明らかにされた上記二つの事実から、なるほど、と思われる立証方針が垣間見えてくるのと、それでもなお、山崎前社長の業務上過失致死罪を有罪とするには最大の争点が待ち構えている・・・ということが次第に予想できるようになりました。
マスコミは事故調査委員会の問題点やJR西日本社の企業体質の問題点を糾弾することに力点が置かれているように思われますし、そのことも重要であることは確かでありますが、その方向性は一方において前社長個人の刑事責任追及へのベクトルを弱めてしまう可能性も内包しているようにも思われ、問題をきちんと分けて論じるべき、と考えます。そのあたりをまた(その2)で検討してみたい、と考えております。
(追記)
なぜこの時期に検察からいくつかの事情が公表されたのか?というのは私も不思議に思っておりましたが、今朝(27日)の読売新聞の記事や、読売ネットのニュースを読んで合点がいきました。捜査記録開示の直前だったそうですね。遺族の方が(あくまでも推測だが、と前置きして)話しておられるところが真実のような気がいたします。(ネットニュースよりも朝刊記事のほうが詳しいです)
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コメント
これには国鉄の文化がある程度以上大きく関わっている、と考えています。
現在、日本ではJIS(日本工業規格)が当たり前に使われていますが、技術の世界では国鉄規格が長年幅を利かせてきました。
その理由は、JISよりも先に工業規格を定めたから、なのだそうです。
こんな事は、戦前のことだろうと直感的に感じますが、わたしが聞いた話に「ワープロ規格問題」があります。
簡単に言いますと、ワープロが普及し始めたころに国鉄が「国鉄規格のワープロを作れ」とワープロメーカに申し入れた、というものです。
ワープロに国鉄規格も無いものだ、と思いますが国鉄の主張は「カギ括弧をひっくり返せ」だったそうです。
国鉄は戦前、公文書を縦書き日本語タイプライターで作っていました。
それが戦後になって、横書き文章の「国鉄規格」を定めたときにカギ括弧の規格を決めた。
それにしたがって、横書き日本語タイプライターのカギ括弧の活字を作った。
それが普通の横書き文章のカギ括弧がひっくり返った関係になっていた。
だから、ワープロメーカに「国鉄規格ワープロ」を作る事を要求した。
要するに、国鉄のルールがルール、という文化があったわけです。
もちろん、ワープロについては聞いたワープロメーカの方は驚くし、そんなものは相手にできない、と無視されたわけですが、国鉄が無視されるとは思っていなかったところがすごいわけです。
このような「国鉄側の視点」から見ると、今回の事件の背景の頑丈さが見えてくると言えるでしょう。
投稿: 酔うぞ | 2009年9月27日 (日) 12時01分
酔うぞさん、おひさしぶりです。コメントありがとうございました。
なるほど「国鉄の文化」ですか。私もずいぶんと昔の話かと思っていましたが、そういった企業風土はあるのかもしれませんね。我々が考えているような企業コンプライアンスの考え方など、吹き飛んでしまうような現場感覚というか、企業風土みたいなものについて、ちょっと私には想像がつかないレベルなのかもしれません。(ワープロ規格の話、ちょっと驚きました)ただ、そうでもないと、「事前接触」ということなど平気でできないかもしれませんし。。。
投稿: toshi | 2009年9月27日 (日) 14時09分
次から次へと、こういう事例が続くのはどうしてなのか、という問題も考えたいところですが、法律家としてこういう事例に接した場合、まず考えるべき問題は、何でしょうか。
企業側の顧問であれば、企業側が「出直し」に向けて積極的な対策を講じていくこと、それを対外的にも示していく必要があるということかと思いますが、どうでしょうか。その具体的な対策の第一歩は、また社内「調査委員会」なんでしょうか。なんか、皮肉な感じです(苦笑)。
株主はどう考えるでしょうか。まずは、株主は代表訴訟を、と考えるでしょうが、退任した役員相手ではどうも限界が。。。
とすると、やはり企業側の自浄作用が機能しているかを見て、それがおかしければ、放置した点の役員の責任ということになるでしょうか。責任追及をどの程度やるか、という問題には経営判断の余地が入ってくるといえるでしょうから、追及が手ぬるいなどと不満をもった株主がいたとしても、代表訴訟で任務懈怠や損害を立証していくことはなかなか難しいのでしょう。
そうすると、監査役がどういう対応をするか、に関心が集まるということになるのでしょうか。ここでしっかり動かなければ、監査役は何のためにいるのか、という批判もなされそうで、悩ましいところかもしれません。
このような事案で、その企業固有の問題(企業文化など)があったとしても、あまりそこに関心が集まってしまうと、正常なルートできちんと責任を問うことがおろそかにならないか、懸念されます。そのあたりがうやむやになることは、「緩み」から後々もっと大きな問題につながるおそれが大ともいえそうです。
第三者としても、関係者が、きちんと事実関係の究明と責任追及を徹底することを願ってやみません。個人の責任の問題だけでなく、モラルハザードの防止の観点から、不正はやはりそれ相応の結果になるということが示される必要があるといえるでしょう。
投稿: 辰のお年ご | 2009年9月27日 (日) 15時06分
>我々が考えているような企業コンプライアンスの考え方など、吹き飛んでしまうような
>現場感覚というか、企業風土みたいなものについて、ちょっと私には想像がつかないレベルなのかもしれません。
わたしは、日本大学の精密機械工学科を卒業しています。
この学科は、元が東京大学造兵科です。
東京大学造兵科は戦争の進展によって、機械工学での規格や精度管理の重要性が国家の重大な目標である、として設置された学科でした。
戦後の経済発展では、この考え方が輸出で良い製品を作る日本の評価を高めた、とわたしは考えています。
このような時期にも、国鉄は国鉄規格を押し通していました。
これが、国鉄(鉄道産業)が使う各種の機器や素材についても、小数のメーカーの独占が続いた背景です。
「現場感覚」とおっしゃっているところに若干の疑問符を付けられているように受け止めましたが、現場ではなくて「全体」と見るべきでしょう。
国鉄が技術に自信を持っているは当然です。
なにしろ、世界で初めて商用全国規模のリアルタイムオンラインサービスを実用しのたが、緑の窓口です。
技術的には全国規模のリアルタイム処理のコンピュータシステムでしたが、当時それを公表するとアメリカから潰されるとの考えで、コンピュータという言葉を使わなかった程です。
彼らが「後から出てきて・・・・」と思っているのは当然でしょう。
それを象徴しているのが「後出しジャンケン」だと思うのです。
偏見を持ってみれば「コンプライアンスを問題にするのは新進の企業だ」といった見方すら成り立っているのではないか?と思っています。
投稿: 酔うぞ | 2009年9月27日 (日) 18時25分
酔うぞさん、辰のお年ごさん、コメントありがとうございます。さっそくご意見を踏まえながら(その2)をアップいたしました。
今日あたりも、鉄道事業法に基づく事実調査、改善報告書提出命令が出されたように報じられておりますし、JR西日本社もご遺族に対して謝罪文を提出する方針とされております。世間ではかなり大きな問題だと認識しているにもかかわらず、どうもJR社にはあまり重大性に関する認識が欠如しているようで、後手後手に回った対応としか見受けられません。やはり酔うぞさんが説明しておられるような長年の事情が今回の問題行為を発生させている原因なのでしょうね。
ただ、今後の運輸安全委員会の委員構成についてはむずかしいですね。たしかにJR出身者の委員を減少させよう、といった気持はわかりますが、真実発見のための委員会ということであれば、やはり高度な専門技術を持った方はどうしてもJR出身・・・ということになってしまうのではないでしょうか?あまり急進的な意見が通ってしまうと、今度は機能しなくなってしまう委員会の懸念が生じるようにも思います。
投稿: toshi | 2009年9月28日 (月) 20時41分