内部統制監査人の法的責任と「過失相殺論」
迷える会計士さんのコメントで、本日(9月3日)会計士さん方の研修で「会計監査人の責任限定」がテーマとされていたことを知りました。(このテーマで弥永教授が講師ということになると、このブログでもっとも読まれているエントリーを想い出します。もう3年ほど前のエントリーですが・・・・なんか懐かしいですね)迷える会計士さんが、内部統制監査人の法的責任について意見を述べていらっしゃいますし、とても興味深いところですので以下にご紹介させていただきます。
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(迷える会計士さん、どうもありがとうございます)弥永先生が掲げていらっしゃる「対会社責任」というのは、たとえば内部統制報告書を提出しなければならないような上場会社が破たんして、再生債務者管財人から(当時の)会計監査人が粉飾見逃しの監査責任を追及されるような場面なのでしょうね。(内部統制報告制度が問題となっているようですから)学校法人や労働組合法人などの法定監査については枠外と理解してよろしいのでしょうね。
たしかに迷える会計士さんや講師の先生が指摘しておられるとおり、内部統制における経営者の評価や内部統制監査人による監査の制度が導入され、会計監査人に対する責任追及の場面における監査人の注意義務違反の認定は変わる可能性はあると思います。ただ、ここで注意すべきは内部統制報告制度はあくまでも金商法上の内部統制の話であり、会社法上の内部統制とは異なる・・・ということであります。つまり経営者が内部統制を有効と評価したこと、または内部統制監査人が、報告書に適正意見を付したことが、そのまま監査人の注意義務の内容に影響を与えることはない、ということであります。
たとえば一例として、上で話題となっている「過失相殺」について考えてみます。たしかに内部統制を経営者が評価して、これに監査人が適正意見を付する(お墨付きを与える)、という制度が運用されることで、「粉飾決算の発生は、そもそも監視を怠っていた役員を含め、会社自身に落ち度があったんだから、会社が監査人に責任追及するのであれば、会社側の過失を考慮すべきである」ということが(適正意見を付した)監査人の側からは言いにくくなることは事実です。しかし「過失相殺」が裁判所によって斟酌されるのは、あくまでも「事実」であります。迷える会計士さんが引用しておられる凸版印刷事件では、労働組合側に著しい内部統制の不備があることを理由に、(裁判所は)責任追及された公認会計士さんの側に有利に過失相殺が認められました(労働組合側に7割の過失あり)。しかし、判決文を詳細に読んでいただければおわかりのとおり、裁判所は単に内部統制に不備があったことから過失相殺を認めたのではなくて、内部統制に不備があったと評価できるような事情(事実)を詳細に認定したうえで労働組合側の7割の過失割合を認定しております。つまり凸版印刷事件で述べられている「内部統制」は(イマ風にいうならば)会社法上の内部統制について議論しているものであり、「内部統制の不備」を基礎付ける事実の有無を問題視しているものと思われます。
したがいまして、内部統制報告制度が施行された後におきましても、適正意見を付したことがダイレクトに会計士さんの法的責任や過失相殺割合の変化に結びつくものではないと考えております。むしろ法的責任が厳格化することが正しいとすれば、それは(たとえ投資家に対して有用な財務情報を提供することに資する制度だとしても)すべての上場会社に対して義務付けられた制度であって、この制度によって会社法上の財務報告内部統制の構築義務の履行すべきレベルも当然に高まっていることに起因するものと理解しております。また、会計監査人につきましては、私は基本的に内部統制監査制度によって、その法的責任がダイレクトに厳格化する方向には行かないのではないか、と考えております。たとえ内部統制監査人の法的責任が問題となるとしても、現実問題として粉飾決算による監査人の見逃し責任が追及される場面では、財務諸表監査における注意義務違反の判断において一緒に議論されるのではないでしょうか。ただ、最近は会計監査人の法的責任が争点となる裁判では、会計監査人の善管注意義務の有無をリスク・アプローチの観点から捉える裁判官が増えてきましたので、財務諸表監査の場面において、統制リスクをどのように把握して監査計画を立てたのか、またどのように試査の範囲を決定したのか、どこに深度ある監査を行ったのか、といったあたりが、監査人の注意義務を論じるにあたって厳格に判断される傾向になるのかもしれません。しかし、これはあくまでも、内部統制監査制度、という新しい制度の施行が直接監査人の法的責任に結びつくことを示すのではなくて、制度運用の実態を詳細に検討したうえで、どのような事実が会計監査人の注意義務を基礎付ける事実として評価されるべきか(考慮されるべきか)、というきわめて法的な思考を踏まえたうえでの「厳格化」に起因するものだと思います。このあたりが、会社法上の内部統制と金商法上の内部統制とを区別しなければならないポイントのひとつかと思われます。開示規制違反という法的責任は別としまして、「不正見逃し責任」という法的責任が決算訂正や内部統制報告書訂正とリンクすることによって、投資家に有用な情報提供が躊躇されてしまう事態になることを、すこし私は危惧しております。(最後になりますが、こういったことを考えるヒントをいただいた迷える会計士さんに、あらためて感謝申し上げます)
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コメント
法律に疎い会計士のコメントを、御紹介いただき恐縮です。
若干の補足をしますと、過失相殺については、弥永教授は「従来、我が国の裁判所は、過失相殺という形で、監査人の責任を限定してきた」と指摘されています。
今回想定されている状況は、粉飾決算ではなく(粉飾決算の会計監査人(監査人)の責任については、先生がお書きの通りかと思います)、従業員の横領のような不正が発生した場合で、内部統制監査で適正意見を表明した監査人(会計監査人)は過失相殺を主張することが困難であることを前提に、どのように監査人の責任は限定できるかについてでして、この点について教授は、「従業員の不正により発生した損害については、監査人は責任を負わない、という契約を会社と結ぶことは可能ではないか」と述べられていました。
投稿: 迷える会計士 | 2009年9月 6日 (日) 09時59分
アメリカでの金融危機の主因となったのは、金融商品を組み合わせた
極端なリスク分散だったことをふと連想してしまいました。
リスクというか(法的)責任をいかに分散、有り体に言って「回避」
するテクニックについてお話しされているような感じがします。
経営者にも従業員にも公認会計士にも、それぞれ応分の逃れることの
出来ない責任がある。
それ以上でもそれ以下でもないのではないでしょうか。
応分の責任とはあくまでも報酬の範囲内のことでしょう
(悪質な違法行為があった場合はまた別ですが)。
こうすれば責任から逃れられるというような指南には道徳的に嫌悪感を
禁じ得ませんし、逆に過度な厳格化論は「ためにする論議」にしか
思えませ。
ん
投稿: 機野 | 2009年9月 7日 (月) 01時20分
迷える会計士さん、追加の情報ありがとうございました。今月号の企業会計では資産除去債務に関連する法律問題に積極的にアタックされておられる弥永先生には敬服いたしております。(ただ、ときどきツッコミを入れたくなるのも、そういったアタックに刺激されるからであります)
機野さん、ごぶさたしております。辛口のコメントがないとさびしいので、またよろしくお願いいたします。(といいますか、最近お返事を書くのが遅れまして申し訳ございません)
私も責任があるにもかかわらず、その責任を回避するような法律解釈につきましては道徳的に嫌悪感を覚えます。ただ、そもそも責任がないのに後だしじゃんけん的にさも責任があるかのような解釈にはもっと嫌悪感を抱きます。そのあたり、すぐに反応してしまうんですよね。
投稿: toshi | 2009年9月 9日 (水) 02時03分