「資本市場と弁護士の関係」は両刃の剣
おおすぎ先生のブログでも早速紹介されておりますが、日経の三宅伸吾さんがコーディネートしておられる「変貌する資本市場-適正な市場ルールと執行の行方を探る-」(9月29日日経ホール)の議事内容が日経WEBでも公開されましたので、とりわけパネルディスカッションを中心に読ませていただきました。いや、実にオモシロイ。当ブログにお越しになられる方々ならすぐにおわかりになると思いますが、どのテーマも私的には非常に関心のあるものばかりでして、パネリストの方々のご発言につきましては、ビンビン反応してしまいますね(笑)もちろん「公開会社法」に関する議論にも関心がございますが、とりわけディスカッション後半部分の「資本市場と弁護士の役割」につきましては、プリンシプルベースを中心とした規制のなかで弁護士に期待されるもの、第三者委員会報告書の現状を踏まえたうえで、委員としての役割に期待されるものなど、読んでおりまして私自身の考え方と「大きな開き」がないことについて意を強くした次第であります。
ただ、IPO支援をしたり、第三者委員の補佐をした経験からみて、たしかに弁護士も資本市場のルール作りや執行の実効性確保のために、今後は更なる関与の必要性が高いことは理解できますが、一方におきまして弁護士には監査法人(公認会計士)さん方のように監督官庁(金融庁)がないものですから、弁護士の活動というものにはほとんど規制がかからない・・・ということは結構重大な問題である、と認識しております。ときどき引用させていただいている高橋篤史氏の「兜町コンフィデンシャル」などを読んでおりましても、裏の紳士達の仲をとりもつのも、また裏の紳士達に形の上での法令順守(どのような手法を用いれば市場ルールには形式的に反しないことになるのか?)を指南するのも弁護士であることがすぐに理解できるところであります。また、証券取引所の方々と、まじめにお話をしておりますと、(これまで痛い目に合っていらっしゃるからなのか)どうも弁護士という職業に対しては、どこまで信用性が置けるのか?ちょっと疑心暗鬼になっておられるようなイメージを抱きます(いや、ひょっとして私だけがそのように抱いているだけなのかもしれませんので、あくまでも「そんな感じがする」という程度のことなのですが・・・・・)
ご承知のとおり、弁護士には監督官庁がないので、そのぶん日弁連や単位弁護士会が所属弁護士に対して厳格な懲戒処分を下すことになります。(公表されるだけでも毎月10名程度かそれ以上の弁護士が懲戒処分の対象となっていることはあまり知られていないと思いますが、これは組織強制における自治権をもつ団体としてはかなり健全な姿なのではないでしょうか?)ただ、懲戒審査を行う立場の人たちがどれだけ証券市場ルールを認識しているかといえば、(失礼ながら)専門家集団である金融庁とは比較にはならないものと思いますし、また基本的には市民(もちろん法人も含みますが)による懲戒請求がなければ綱紀・懲戒の対象にはならないものと思います。したがいまして、こと「資本市場と弁護士の関係」という点に限って申しますと、「グレーゾーンで暗躍する法律専門家」というものは、直接当局が動かないかぎりは弁護士の強制加入団体自身による自浄作用がうまく機能するものではないのでは?・・・と(私的には)考えたりしております。(こんなこと言うとまた大阪弁護士会の副会長あたりから叱られそうですが・・・(^^;; )
ということで、資本市場に精通する弁護士が増えることはたいへん良いことなのではありますが、このパネルディスカッションのなかで石黒先生が申しておられるように「弁護士の倫理観」(誰のために仕事をするのか)といったあたりを合わせてしっかりと認識していかなければ、プロフェッションとしてのスキルが意外な方向で使われてしまう・・・ということになりかねないのでありまして、私も心して(そのような誘惑を断ち切る)仕事に臨む必要がある、と自戒しておくことにいたします。(このパネルディスカッションにつきましては、ほかにもたくさん申し上げたいことがございますが、とりあえず本日はこのへんで・・・)
PS
最近、「BLOGOS」に転載される関係で、あまり他の話題には触れないことが多いのでありますが、南田洋子さんのご逝去につきましては、謹んでご冥福をお祈りいたします。長門さんの会見をみて、私の両親の死と重なってしまったせいか、理屈抜きに号泣しました。長門さんのこの4年間の幸せと、舞台が終了するまで南田さんを「氷漬け」にしておく気持ちは、おふたりにしかわからないのかもしれません。私がいままで視たテレビの歌番組のなかで、一番レベルが高かったのがご夫妻で司会を務めておられた頃の「ミュージック・フェア」でした。見事なほどのボケ(長門さん)とツッコミ(南田さん)がたいへん印象的でした。それほどの宗教観を持たない私自身が、最愛の人の「認知」や「死」を、長門さんのように真正面から受け入れることができるのかどうか、いまのところまったく自信がありません。
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コメント
グローバルな面で、あれこれうるさく言われるか。言われないかの差が、いろんな資格にも、変革をもたらしていると思いますが、
目の前の問題を考えると、グローバルな視点をなくして、日常生活も危ういというのは実際で、
それを短絡的に発展していくと、弁護士さんも今後、効率化か、分散化か、どちらが望ましのかを議論すべきかもしれませんねと、
外野は、軽い気持ちで観察してます。
投稿: yamada | 2009年10月22日 (木) 20時56分
yamadaさん、コメントありがとうございます。
私はあまり難しいことはわからないのですが、弁護士の職域開発という観点からは立場上、頭を悩ませているところです。
でも、社会のニーズをあまりにも無視しつづけてきたように思います。今後はそのあたりを真剣に考えて分散化と効率化の問題を検討していきたいと考えております。
投稿: toshi | 2009年10月23日 (金) 03時25分